神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 更新しました。題名通りの食事回です!


63.合間の晩餐会

 森から脱出し、数時間後。魔術回路と心身の酷使から起こる眠気の余り意識を失い、気が付けば―――凛は、ジープの後部に取り付けられた機関銃を乱射している夢を見ていた。

 目を瞑る瞬間は覚えていた。確か、冬木市の本拠地に戻る途中の車内だった筈。

 

「人がまるで、紙屑みたいだ!」

 

 自分が今見ている視覚の持ち主―――盗賊の女が、狂気に当てられた熱を放つ声で叫んだ。重機関銃が放つ銃弾の一発一発が人間の骨肉を捩り貫き、車両の装甲も一瞬で蜂の巣にする破壊力を持つ。となれば、銃口の先にいる集団が、無様に哀れに肉片に変えられているは道理であった。

 常に最高速を維持する装甲車両(ジープ)は、戦場を縦横無尽に暴れる(くろがね)の悪魔となり、火を噴く重機関銃(ヘビィマシンガン)が兵士たちの死を告げる鉄火の使徒だった。

 

「―――アハッ! ハハハハハハ! 

 おい! このまんま真ん中まで突っ込んじまおう! どうせ殺すんだ、派手にかっ飛ばそう!」

 

 そして、ジープを運転している男に、彼女は熱に浮かれた言葉で頼んだ。むしろ、その熱狂的な姿であると、脅しているようにしか見えないのだが。

 

「…………ふ。しかし、人間が塵屑に変わる光景は何時見ても……いや、今は如何でも良いか」

 

 運転席に座る神父服の男は、内心でそれなりに焦っていた。嘗ては弟子でもあった相棒の盗賊が機関銃を連射しているのも、色々と紆余曲折を経た末の展開。自分達の車目掛けて飛んでくる対戦車榴弾や、銃弾の嵐を奇跡的なハンドル捌きで車の致命的破損を回避しているのも、止む負えない事情から。盗賊と神父は利害の一致と、自分達が持つ価値観と心情から手を結んだ。

 ……神父は六度目の戦争が始まる前に、正義の味方が死ぬのだけは阻止したかった。

 アルズベリの惨劇以降におきた事件において、この神父は元々壊れていた精神が機能停止しそうなまで死に掛かっていた。とは言え、この神父にとってすれば取るに足りない日常的な苦痛に過ぎない。鍛錬は一日も欠かさず繰り返したが、世界中を旅して回り、人々が起こす様々な面倒事や馬鹿騒ぎに関わらなかった。魔術師を殺す事も、吸血鬼や化け物を退治する事もせず、人界の深い業から離れていた。そして、そんな神父を隠れ家から引っ張り出した女がいた。危機に陥っていた友人であり兄弟でもある英雄を助けに出たのも、この女盗賊が神父を頼ったからだ。

 盗賊はそんな神父の裏事情は知らなかった。ただ、自分がこんな様に至るまでに得た信条に従っただけ。この戦場において、正義の味方を正義の名の下に裏切り、処刑しようとする奴らを敵と定めた。自分が殺しても良い類の相手を認め、神父もそれに協力しただけと言う認識。

 

「どうでも良い訳が無い。ゴミなんだよ。塵屑になった人殺しは、ゴミになる」

 

 ……まぁ、そんな二人の裏側が分かるのは、凛が第三者として知識を前以って得た状態で観察していたおかげ。そして、そんな盗賊の前でハンドルを切って飛来物を避けるついでに、敵を車で轢殺する神父に戯言を吐き捨てた。攻撃は避けても人は避けずに轢き殺す神父も、今は盗賊と同じだった。出来るだけ多くの人間を始末しようと、的確に車を運転していた。

 

「そう、ゴミなんだ。戦場には人殺しと、死んでゴミになった人殺ししかいないんさ。巻き込まれた犠牲者だけが、自分の不幸と死に人間らしい嘆きを覚えて良い。

 だからさ、皆、皆―――ゴミにしてしまえば良い……!」

 

 ダダダダダ、と盗賊は撃ちまくる。戦場を車で走り抜けながら、自分達の敵を撃ち殺しに殺し、徹底的に銃殺する。逃げる相手だろうと背中に銃弾をブチ込んだ。逃げ遅れた人間は、神父が運転する車で轢殺された。

 死ね死ね死ね。死んでくたばってゴミになって、そして死ね。屍になってしまえ!

 ―――熱狂する。

 人間の屍を前に熱で浮かれる。

 内臓が飛び散り、四肢が抉り取れ、脳漿が撒き散らされる。

 戦場の巷で盗賊が知り合った錬金術師が開発した魔車と、殺戮の為に軍事企業によって大量生産された機関銃。二つは戦場の道具と生まれ、その真価を盗賊と神父によって発揮させられていた。

 

「――――――居た!」

 

 目的の集団を発見した。魔術師やら傭兵やらと多種多様な人物らが集まっているが、目的の人間は一人だけ。動けない状態まで痛めつけられ、体中に剣や槍が刺さり、四肢を砕かれている赤い外套が目立つ男の姿を確認し―――盗賊は、笑みを浮かべた。神父も同様に、深く微笑んだ。

 外套の男が死んでいないのは、この後に処刑台へでも送る為だろう。

 今の事態を一目で理解し、一瞬で状況を判断する。友人の彼を裏切った情報屋も必ず殺すが、まずはこの場に居る奴らを徹底的に皆殺しにする必要がある。

 

「殺せ―――」

 

 ただ一言。神父が発した言葉が、本当の引き金である。盗賊は何にも構う事無く、赤い外套の男にだけ当たらない弾道を狙い、機関銃の引き金を躊躇わず引いた。

 ―――ダン、とまず一発。続いて、二発三発十発百発と死の暴風を吐き出した。

 死ぬ。藁の様に死ぬ、犬の様に死ぬ、塵の様に死ぬ。あの英雄を捕え、勝利に酔っていた裏切り者共が、踏み潰される虫けらとなって死ぬ。加え、神父が運転する装甲車は破壊鎚と化し、集団を横合いから突撃し粉砕した。物の序でにと、彼は更に手に持った大型自動拳銃(ハンドガン)でこちらを狙ってくる敵兵を狙撃し、問答無用で黙らせる。

 二人は嵐となり、殺したのだ。

 造作も無く、価値も無く、死の無意味さを体現した。

 

「…………―――」

 

 赤い外套の魔術師は茫然と、その血みどろな救出劇を見ていた。既に魔力も尽き、回路も動かない状態では呪文一つ唱えられないが、目を逸らさずに見続けていた。

 ―――一瞬の強襲。完璧な奇襲。

 誰も逃さず、一人残さず殺し尽くしてしまった。二人は魔術を使うまでも無く、自前の銃火器だけで殺し尽くした。瞬き程の惨劇で皆殺しだ。

 息が有る者も僅かにいるが身動き一つ取れず、意識がない状態だ。このまま静かに死ぬだろう。神父と盗賊の二人が戦場に居る事は知っていたとは言え、裏切られた自分を助ける為にここまで大胆不敵に虐殺するとは考えもしていなかった。本物の殺戮であり、容赦も無ければ慈悲も無い悪魔の所業で―――そんな行為しか、今の自分の命が助かる術が無かった。

 盗賊が機関銃を設置してある後部から降りた。足元に死骸があったが、気にせずに踏み潰した。神父もまた運転席から降りた。死体で地面が覆われているので、気にせず踏みながら歩いて進んだ。

 効率的で、現実的。何もさせずに一方的に殺してしまえ。

 圧倒的でありながら、合理的。全員残さず死なせればリスクは消える。

 しかし、自分一人が生き残る為、余りにも数多くの人間が死んでしまった。これでは、命の天秤があべこべになってしまう……

 

「……とか、アンタの事だ。そんな下らない事でも考えてんだろうけど、それこそ愚かだよ。

 その正義の味方として持つ天秤の計り方から視ても、今この場で死んだ人間の命は余りに軽い。だってさ、命を数で計る理屈で考えても、アンタが死ぬ方が人命の損失になる。

 ここを生き延びて世界を危機から救える可能性が―――アンタにはある。

 つまり、ここで死ぬって事は、この先の未来でアンタが助ける命を見殺しにするってことさ。正義の味方を裏切り殺そうとした人間を皆殺しにしても、命のお釣りが沢山戻って来る。つまり、殺さないで見殺しにした方が天秤が崩れてしまうって訳」

 

 理屈として考えれば、盗賊の言葉は何もかもが正論だった。命の数で考えれば、自分は確かにこれからも命を助け続けて、この場で死んだ数の数十倍、数百数千倍の人命が消えるのを阻止する―――可能性がある。第三者視点で自分と裏切り者共の命を天秤で計れば、裏切り者を殺してしまった方が良いのかもしれない。

 第三者が、突如として介入し、戦場を黙らせる。結果、人の命が救われる。

 確かにこの所業こそ、赤い外套の魔術師が繰り返してきたことだった。

 自分が死んで誰かが救われるのだったら、それで良いか、と笑みさえ浮かべて人間を静かに諦観していた。しかし、自分が行って来た理想を模す正義の執行により、死の危機から助かってしまった。

 

「―――理解、出来たかい。これは今までアンタがしてきた事さ。

 ほら……理想の果てに至った正義の名の下に救われた気分は、一体どんな気持ちだ。人の命で数で計るんだったら、そうやって選んで殺す必要があるんだよ」

 

 正義の味方の仲間だった裏切り者の屍を、盗賊は踏んだ。銃弾で抉り別れてバラバラになった屍の頭部を、彼女は蟻を潰す子供の仕草で砕いた。

 

「まぁ実際……助けたのは、アンタを裏切った連中を殺したくなる程、本気で気に入らなかったからなんだけどね」

 

 盗賊は、人殺しは嫌いだ。苦痛でしかない。しかし、誰かが殺さねばならない者も存在していると、何時か何処かで自分に対して宣告した。彼女は善良な人格のまま、それでも醜い人間共を見て見ぬフリが出来ず―――こんな様になってしまった。

 神父が望んだ様に、得られてしまった業を―――自分にしてしまった。

 

「……ぐ、ぁ」

 

 だが、まだ生きている屍がいた。盗賊は敵を殺している最中、この人物を見付けてしまい、ついつい瀕死の状態に留めて置いてしまった。殺してしまえば良いものを、しっかりと近くで殺す為に左足と右腕を吹き飛ばすだけにしておいた。

 敵は、仰向けのまま血を流している。虚ろな目で空を見上げていた。

 

「やぁ、裏切り者さん。殺しに来たよ」

 

「……盗賊の魔女に、死灰の司祭―――」

 

 気が付けば、仲間が皆殺しにされ、自分のこの状況。理解し難い事態に陥っている。なのに、視界に盗賊と神父が映った瞬間、今の状況を理解した。

 

「―――ハ。自分を殺した相手の名が遺言かい?」

 

 盗賊の女は表情を消した。正義の味方から離れ、ゆっくりと裏切り者に近づいた。そして、起き上がろうと足掻く敵の肩を踏み付け、地面に押さえ付けた。右手から突如として散弾銃を取り出し―――相手の側頭部に銃口を押し付ける。相手の顔を土に埋もれ、呼吸するのも辛いだろう。

 

「……そいつは危険だ! お前らだって、人の為に死んだ方良いと判断されれば―――」

 

「―――殺されるだろうね」

 

 盗賊の答えは、そいつにとって当然の事実。故に、血を吐きながらも、裏切り者が命を振り絞って絶叫する。

 

「だったら、奴を殺せ! 何時か必ず、見殺しにされるか、その手で殺される事になる!」

 

 裏切った理由は簡単で―――正義の味方の理想が理解出来ないから。自分を何も語らない男は絶対的な正義の化身で、その執行者に相応しい英雄だった。裏切り者は彼の行いに最初は共感し、助け続け、最後になってやっと彼を何一つ理解していない事に気が付けた。

 ……恐かった。でも、分かっている事がある。

 それはあの男は誰であろうとも、必要な時期が来れば殺すと言うこと。生かしておけば、何も解からないまま自分が死ぬ可能性があるということ。

 

「だから、それが一体どうしたってんだが。死んでしまうよりも、生きていてくれた方が面白いじゃないか?

 死ぬかもしれない何て理由で殺す何て、駄目だよ。そいつに生きていて欲しいと思っている奴らからすればね―――殺して欲しいと言っているもんさ。

 騙すなら“エミヤ”だけじゃなくて、そいつの関係者にもバレ無い様にしなくちゃなぁ……」

 

「……っ待―――待て! 頼むから、そいつだけは死なせた方が良い!

 そんな誰にも理解出来ない戦場の化け物を、このまま野放しにする訳には――――」

 

 引き金を、盗賊は躊躇わず引いた。もう、彼女が聞きたい事は聞けた。倒れている正義の味方(エミヤシロウ)に聞かせたい事も―――裏切り者に喋らせる事が出来た。

 虚しく発砲音だけが鳴り……戦場と化していた荒野は、元の静寂を取り戻す。

 そして、死体の脳漿は血霧になって消し飛んでいた。頭蓋骨が消えていた。下顎を残したまま、裏切り者は不可思議なオブジェになって殺された。

 

「だってよ、衛宮。そんな様じゃ、遠坂が泣いてしまう」

 

「…………」

 

「ふん、だんまりかよ……っち。さっさと近場のアジトまで運んで、治療してやるか。死なれてアレに泣かれると気分最悪だし、あたしも中々に応えるからね。はぁ、ったくさ、妥協しろなんて言わないけど……」

 

 盗賊は、胸を掻き毟りたくなる焦燥に駆られていた。この男は正義を失くしてしまいそうなほど絶望しているのに、正義しか残されていないほど苦しんでいた。

 正義を、理想としたのが間違っていた。彼女はそう思っていた。

 何せ、終わりがない。幾ら苦しんで、耐えて、我慢しても、ゴールが無ければ終われないのだから。

 

「……なぁ、衛宮。理想は理想のままじゃ我慢出来ないか。現実にしなくちゃいけないのか。そりゃ、アンタは何だかんだで強いから、出鱈目な数の命を救えるし、世界が滅びる危機も阻止できる。実際、あたしもアンタが成したのを見たし、救われた命も知ってる。

 けれど―――無理だったじゃないか。

 ……もう、その理想に問い続けた答えは得られた筈だ。

 人は、人を救えない。人を殺さないと、人に殺されて消える命を助けられない」

 

 まだ意識のある男と、盗賊は視線を合わせた。

 

「アンタの理想に、答えは―――無い。

 ……それが終わり。

 それで終わりだったんだ。

 今までの歩んだ道は無意味じゃなかった。その理想は無価値では無かった。幸せに出来た人もいた筈で、救えた人もいて―――でも、叶えられなかった。

 だからもう、それで納得出来ないか?」

 

 裏切られて、処刑台へ送られそうになって、だからもう良いじゃないか、と。盗賊は正義の味方の心を折らんとした。自分の師である神父を真似し、彼を人間に戻そうとした。

 何故なら、理想の答えはとうの昔に得ている筈だ。

 正義の味方は理想を追求し、最後は合理的に人命の数を効率良く守る様になった。なって、しまった。そう在らねば、余りに多くの人間が死んでしまう世界だった。彼の理想に対するこの世界の答えが、それだった。正義の価値も、もう戦場で幾度も無く見て来た筈だ。

 

「―――オ……レ、は……俺は……ッ―――!」

 

「……気絶したか。後の事を考えると気が重いよ。こいつの友人ぶっ殺しちまった」

 

 完全に意識を失くした正義の味方に向けて、盗賊は溜め息は吐く。重く、粘りつくような、後悔に未練が混ぜ合わさった悲観の色一色の声だった。

 

「応急処置は任せたまえ。この程度であらば、肉体修復の治癒も慣れているからな」

 

 ずっと黙ったまま惨劇を見ていた神父はそう喋り、的確な動作で彼の命を危機から助けた。そのまま脇を掴んで持ち上げ、盗賊の女も足を掴んでジープまで運んで行く―――

 

「…‥……」

 

 ―――と、場面は其処で途切れた。凛は目が覚めた。どうやら、眠っていた時間は短かったらしく、街に帰る為の道路を走っている途中だった。朝日はもう昇り、暖かい日差しが窓から凛に当たっていた。

 死んで死んで……殺されて、死ぬ。

 凛にとって見慣れた光景、理解してしまった世界。さっきまで夢で見た彼女のサーヴァントが居た場所と、同じ節理で支配された地獄。つまり、それは彼女が衛宮士郎と共にいた場所であり、挙げ句の果てに一人で理想に走り逃げたアイツを追い掛けていた時の日常。

 

「……どうかしたか、遠坂?」

 

 車を運転していた士郎が、何時もと変わらない表情で助手席の凛を見ていた。そして、その何時もと変わらない表情とは、戦場に慣れ親しんだ鉄の意志が現われている貌だと言うこと。

 

「なんでも無いわよ、バカ」

 

「ならば、良いさ。そして、セイバーを悼むのは当然だが―――」

 

 セイバーはもう居ない。死んだのだ、当然のこと。この男も、彼女も、自分を置いて何処かへ突き走って止まらない。

 夢で見てしまったこいつの姿と、セイバーの死が脳裏から離れない。

 人はこんなにもあっさりと死んでしまう。自分が死ぬのは恐ろしくないけど、自分が知らない所で誰かが死んでしまう。

 理性では割り切れているのに、感情が収まらない。凛は道理も理屈も世界を廻って、その身で経験をして知ったと言うのに、魔術師の理性が訴える自己に徹し切れないでいた。

 

「―――うっさいわね! わたしは割り切れないの!

 認められないけど、わたしは結局そういう人間でしかなかった。

 ……情けない話よ、全く。魔術師足らんと足掻く程、それが贅肉になっていく。なんで、こんな様になったのかしらね」

 

 凛は気が付けなかった。努力しても、駄目だった。魔術師としてなら、切り捨てるべき余分を捨てられない半端者。

 能力は一流を遥かに越えた。

 精神は何者にも負けぬ鉄だ。

 なのに、この甘さは抜け落ちない程、遠坂凛と言う人格に溶け込んでいる。

 

「そうか。いや、この話は私が言える内容ではなかったな」

 

「その通りよ。だから、あんたは何時まで経ってもバカ士郎なの、正義馬鹿」

 

「ふむ、否定はしないがな。そう言う君も―――……いや、すまなかった。だから、そんな涙目で睨まないでくれ」

 

 士郎はありとあらゆる意味で遠坂凛に勝てない。仕方が無いと実感していたが、どうも彼は自分を見抜かれている事を不快に感じられなかった。

 セイバーが死んだ。悲しく、無念だ。

 けれども、この痛みに衛宮士郎は慣れてしまった。親しい人間が死ぬことに対し、精神が擦り減って摩耗してしまっていた。

 涙は、もう―――流れない。

 そんな機能は、正義の味方を目指した時から自然と消えていた。

 サーヴァントとの別離は避けられないと、セイバーを召喚して再会すると言う事は―――彼女との別れもまた必然だと最初から理解していた。

 

「本当、最悪よ。ちくしょうが……」

 

 だから、凛みたいに士郎は人間らしく悲しめない。苦しむ事も絶対に出来ない。人が死ぬのは、衛宮士郎にとって見慣れた自然の光景だから。大切な誰かがまた死んだだけ。

 ―――と、士郎は自分を判断していた。

 だが、抑えきれない憎悪と悲哀が湧き出ているのを、同時に感じていた。

 それだけセイバーは、士郎にとって特別な存在だったのだと、死んだ後になって気が付けた。彼女は自分にとっての掛替えのない人だと分かっていたが、必然の別離ではなく誰かに殺された事で理解した。自分にとって、セイバーがどんな意味を持つ相手なのか実感したのだ。

 守れなかった事実。

 そして、セイバーを殺したであろう相手へ、理想の為の義憤ではない恨みと憎しみを向けている事実。

 許さない―――と、湧き出る決意。

 死なせてやる―――と、蠢く殺意。

 相手が何であれ多分、士郎は呵責無く殺せるだろう。機械的な正義の執行では無く、人間的な復讐を執行する。嘗てイリヤを生贄にし、聖杯を召喚しようとした神父と戦った時と似た激情と、今抱いている想いは良く似ていた。

 

「なんで……死んじゃうんかなぁ、セイバー。感謝もお別れも、伝えていないってのに」

 

「ああ、そうだな。セイバーには、まだ何もしてやれていなかった……」

 

 士郎もまた、同感だ。身内を殺されて黙っている程、彼はまだ絶望していない。何より彼にとって、この聖杯戦争は何も変わっていない。

 サーヴァントがおらずとも、やるべきコトは変わらない。

 セイバーが死んでも、理想を貫くのを諦めない。

 

「―――はぁ、やっと朝か。しかし、独り言も我慢出来ないくらい、疲れたなぁ……」

 

 そんな二人の気配を車内から感じつつ、アーチャーは霊体化したまま車の屋根に座っていた。思わず溜め息を吐いてしまったのは、同盟相手のセイバーが死んだのもあるが―――このままでは、かなり危険だと持ち前の勘で悟っていたからだった。

 森の中の城で目的の人間に会えた。やっと見付けられた。なのに、今はこの状況。

 ままならない、と面倒事を楽しみつつ―――何か、良くないモノが戦争の裏で蠢いている。馬鹿騒ぎは嫌いではないが、救いが無い地獄と化しそうだ。

 あのセイバーが、呆気無く死んだ。

 アーチャーは波乱と惨劇を感じ取っていた。

 曖昧な多分としか言えない予感だが、嫌になる程の確信があった。面白くなるのは、これからだ。此処から、本当の第六次聖杯戦争が始まるのだと―――自然と彼女は分かってしまった。

 

「マスターも大分お疲れだし、サーヴァントも大変だ。本当に戦う為だけの道具で在れば、どんなに楽な事か」

 

 戦争は道具だけあれば勝てるモノじゃない。結局、サーヴァントも“人間”でしかない。霊体である肉体面は魔力次第で無理が効くが、最高の状態を保った万全であるに精神面もある程度のケアが要る。サーヴァントでさえ、最終的にはそうなのだ。マスターならば、心身の回復は必要不可欠。

 セイバーを殺された衛宮士郎と、彼と同じ位精神的外傷を受けているマスターの遠坂凛。二人の歩調を合わせ、戦闘以外でも支えなければ、とアーチャーは真っ当なとても人間らしい考えで思い悩んでいた。

 ―――彼女は決して、聖人君子ではない。

 むしろ、闘争を良しとしてしまった悪党の類。

 しかし、英霊とは思えぬ真っ当な善人的な思慮が出来る女性だった。

 つまり、良識を備えた善人であるにも拘らず、相手を選んで非道を楽しむ大悪党。矛盾した二つの要素だけど、この二つを両立させていることが、ある意味で人間らしいとも言えた。

 

「まずは、飯かね。腹が減っては戦は出来ない。傷を負った精神も、幾分かは休めるだろうし。だったら、アタシお手製のカレーでも御馳走してやろうかな」

 

 身内に甘く、優しい。生前からそうだったが、彼女は面倒見の良い女だった。生まれついての姐御肌とでも言うべきか。実際は中々に少女趣味も大好きだが、歳を取って死んで英霊となった後になると、そんな姐御っぷりにも拍車が掛かってしまった。

 

「セイバーにも、出来たら食わせてやりたがったけど。アイツ、美味そうに食べてくれそうで、結構楽しみにしてたんだよな」

 

 人が死ぬのには慣れたが、仲間や友人が死ぬ痛みに変わりは無い。耐えられるし、心も鈍くなったが、負った精神の傷みが軽くなる訳では無い。

 アーチャーは、枯れた涙を残念に思う。

 泣くことが出来る心を失って、涙を流す機能が停止して―――辛い経験を、苦しいまま受け止められる様になった。人が死ねば悲しくて涙が出るのは、人間として普通のことなのに。涙を流せば、軽くなると言うのに。軽くさせる必要も無い程、自分は歪になっていた。気が付けば、人間らしい弱さが消えて無くなっていた。

 

「でも―――見付けた」

 

 アーチャーは不吉な笑みを抑えられなかった。霊体化しているので、その独り言も聞かれず、表情も見られることもないが、我慢はしようとした。けれど、狂う自分を解放させてやりたかった。

 

「見付けた、見付けた、見付けた。やっと、成し遂げられるんだ」

 

 彼女は静かに笑った。歪に、邪に、儚い囁きで短い笑い声を呟いた。浮かび上がる笑みを右手でなぞりながら、冬木の街を目指して行った。

 

 

◆◆◆

 

 

 テーブルの上に広がっているのは、数枚のイタリアンピザと炭酸ジュース。取り寄せたのか、戻る序でに買って来たのか分からないが、戦争後の補給としてのエネルギーにはピッタリの高カロリー。何より、戦い切った後となれば、肉体と精神の両方に休息を与えるのは合理的。次の殺し合いを万全とするのであれば、食事と睡眠は切っても離せぬ戦争の基盤。

 

「デメトリオよ、予想が当たったな。計画通り、誰もキャスターの居城を落とせんかったぞ」

 

「語るまでも無い。引き籠ったアレは、あらゆる対策をしていた」

 

 ピサを齧り、二人は五枚目に突入。Lサイズをぺロリと完食し、喉越しが気持ち良い炭酸飲料で喉を潤す。

 

「ふむ……で、どうする? 否、お主はどうしたい?

 物量で落とせず、神秘で潰せず、他の陣営を利用しても逃走で手一杯ぞ。徒労は好かぬ故、キャスター以外の奴らを殺そうにも、他の組も結局はキャスターと同等の悪鬼修羅共。

 ハッ。所詮は、英霊など誰もが同類の化生と言う訳だ。

 殺そうにも、我輩(ワシ)でも幸運を味方にせねば殺せんか。奪い取ろうとしても、奪い切れんと言うのは中々に―――そうよな、復讐に燃えていた若い頃を思い出す」

 

「……―――」

 

 この場所はライダーが拠点の一つにしているビルの一角。他にも拠点を幾つも作り、其処には彼の兵士達が街の監視と、いざという時の囮として待機していた。

 

「―――……同盟、か?」

 

「クク、同盟か。お主のような斬殺狂いに、そんな選択肢を取らせる程か……」

 

 しかし、チンギス・カンにとって、その手の智謀策謀は得意分野。裏切りと挟撃こそ、略奪戦争の華。彼は効率的なだけではなく、例え非効率であっても戦局を有利にする為ならば、自分なりの有意義な無駄も行う。何より、ただ殺し尽くせば良いだけならば、一心不乱に攻め入ればキャスターを殺せるだろう。だが、他の陣営とは違ってライダーの宝具は扱いがかなりシビヤで、使いどころが難しい。

 魔力量云々だけではなく、彼の宝具には他にも様々な戦力的要素が加わる。武器弾薬の総量に、兵士の消耗量。兵器の修理復元や、略奪した武装の再装填もあり、他にも沢山だ。

 今有るそれらを使い切れば、誰が相手でも、問答無用で勝利を得られる。しかし、結局は戦争終盤の最後にジリ貧に陥り、あっけない無様な最期を迎えるだろう。それにまだ、奥の手は秘蔵したままだ。

 

「情けないが、我々だけでは決めてが無い。いや、某ら以外の奴らも、アレを殺し切る手はない。ならば、せめて囮役は欲しい」

 

「まだまだ、決戦では無いからの」

 

「そうだ。決死には早い」

 

「勝たねば、な。聖杯が無くば、我輩の覇道も始められん。

 まずは、祖国へ戻り、覇権を握る。そして、我が帝国が滅んでから、我らの草原を痛め続けて来た国々に、報復戦争を仕掛けねば。一族の尊厳を取り戻すには、その一族に仇なした者ら、今生きる末代まで全て消さねばなるまい。

 面倒だが、殺さねば死んだ者に顔向け出来ぬ。奪い取った物を、還して貰わねばなるまい。

 これは甦った者の責務であり、人間にとって復讐は何時の時代も正義である。殺さねばならないならば、殺し、その者の物を奪い取るのは、今を生きる者の務めである。

 ならば、圧倒的な屍を以って、苦しみ死んだ同胞の手向けとせん。そして―――世界中のあらゆる文明から奪い取り、世界そのものを略奪する!」

 

「楽しそうだな。聖杯戦争は楽しいか、皇帝」

 

「当然だとも。戦争は愉快ぞ、我が人生ぞ。何より、この道楽を終えた後は世界征服と言う、死後最大の楽しみが待っておる。

 ―――ハハ……ッ!  我が国家以外は皆殺しぞ!

 殺し尽くし、奪い尽くしてやる。逆らう者ら全て殺し、全て奪う。

 我が民らに空前絶後の黄金時代を、人類史を永遠とする未曾有の大帝国建国を―――!」

 

 善悪を問わねば、ライダー以上の強い願望を持ったサーヴァントは召喚された事はない。聖杯を得たい想念の強さで言えば、圧倒的なまでに重かった。

 何が何でも、絶対に果たす。

 彼はどんな手段を使ってでも敵を殺すし、誰でも戦争の為になら滅ぼせる。

 今までの聖杯戦争のおいて、彼以上に勝つ為に真剣なサーヴァントは存在した事はないだろう。渇望と言う言葉は、サーヴァントの中で一番ライダーに相応しかった。

 

「計画でもあるのか?」

 

「―――ない! しかし、聖杯を兵器転用する予定ぞ。

 モンゴルを再び奪い取り、大陸を手に入れ、この国も―――消す。我が国とする。この世の王位を全て我が手に奪還する。

 それが、皇帝で在ると言うこと。

 自分以外の王から座を奪い、国を取る。国を作るとなれば、そう在らねば強くなれん」

 

 狂気に駆られながらも、芯には自分の意志が在る。むしろ、湧き出る狂気も楽しんで、思う儘に生きている。狂い暴れる自分の感情を愉快だと笑いながら、思考は冷徹冷静あり、行動は理性的に迅速且つ効率重視。

 欲求に支配されるのではない。欲求を知り、欲望する自分を楽しむ自己を持つ。

 そう在ればこそ、ライダーは戦争を引き起こし、駆り立て、人を殺し、人に人を殺させ、国を滅ぼす。正しく戦争の権化であり、正真正銘の化け物足り得る闘争の化身。

 

「相変わらず、お前は楽しそうに生きる」

 

「何もかもを楽しまねば、生まれた価値がなかろうて。我輩(ワシ)も若い頃は怨敵を呪いに呪って、復讐心に燃えた戦争もした事があるが―――楽しかった。

 憎い相手を苦しめ、殺すのは最高に気分が昇る。大義名分があれば、存分に愉しみ恨んで、愉しみ殺せる。やはり、人間が成せる物事と言うのは、何でも人は楽しめると言う事ぞ。人の業に底は無い」

 

「共感出来る感覚だ。業に貴賎は存在しない。戦争は某も好きだ。問答無用で好きな様に斬れるからな」

 

「だろう? 流石は、我輩を呼んだ狂人ぞ。

 戦争はやはり良い。人間の営みの極みと言える。これを楽しめぬ者は、この世に生まれてしまった事が不幸だ」

 

 ライダーにとって、このマスターは面白い狂人であった。自分と同じ様に、自分自身が内側で飼っている狂気を楽しんでいた。それも理性的な思考で、他の道楽を愉快に感じながらも、人の営みを人並み以上に実感しながらも、このたった一つの狂気を尊んでいた。

 戦と剣。二人は闘争の中でしか生きられない化け物だった。

 家族は大切―――当たり前の感性。

 妻を大事にする―――結婚とはそう言う事。

 自分の名を誇りに思う―――一族の歴史を絶やしたくない。

 傷んだ尊厳の為に復讐を貫く―――血は血で洗わねば痛みは癒せない。

 しかし、それでも尚―――彼ら二人は自分勝手に闘争を選び、殺し合いを楽しんでいる。

 

「しかし、同盟か……」

 

 デメトリオは感慨に耽りながらも、自分なりに戦略を練っていた。集団戦よりも基本的に単独行動が多い為、どちらかと言えば代行者気質の聖堂騎士な所為か、彼は自分で作戦を立て、戦局に相応しい策を考え、行動に移し、斬殺を実行してきた。

 彼は斬る為に魔を殺すのだが、この度の戦争は勝手が違う事を実感した。

 尤も、自分のサーヴァントは戦略の専門家。戦争をさせれば、英霊の座の中でも一等賞確実の略奪王。この英霊は、戦争で勝つ為に必要な能力全てを自己の限界まで高めている。決して、才能豊かとは言えぬも、誰も彼もを凌駕する精神力を持つ。輝かしい天性の才が無いからこそ、闘争の中で死ぬまで鍛えられた。自己の至らない部分を常に磨き続け、自分自身の力に満足を得た事はない。戦争に勝ち続けて達成感を得ても、己の闘争に満足した事が無かった。だからこそ、前線で生き残る為の戦闘技術もそうだが、戦略と戦術を練る思考回路も完成していた。

 結果、全てが強い。

 戦闘、戦術、戦略、戦争が強い。

 思考と技術が戦争に適応している覇王。

 生まれ持つ圧倒的な才が無くも、絶対的な力を得た本物の英傑。幾度も繰り返す戦争が彼を、そう在れと鍛えた。積み重なった経験と直感が、初めて人を殺した時から、その人生が終わる最期まで共にした個人兵器。戦乱を平定し、建国を完成させ、王と為り上がり、初代皇帝の地位を創り上げた功績―――それが、ライダーが英霊である証。

 生まれて死ぬまで闘争に生きた王の魂。そのライダーの在り方が、デメトリオにとって何よりも信頼する理由となった。

 

「……では、誰が相応しいと思う?」

 

 合理的に、勝つ為の効率性を計算する。大まかな戦略も細かな戦術も、ライダーに任せた方が確実だと、デメトリオは自分の中の最善を選択した。司令官として、今まで会ったこの世の誰よりも優れている男だ。魔術的な戦闘面で口を出しはしても、戦争は任せた方が勝率が遥かに上がる。デメトリオからすれば、サーヴァントもマスターも関係無く、自分よりも優れているならば、その者に任せると言う効率的な思考が自然だった。

 結局、この二人は似た者同士。自分が相手よりも劣っているならば、その弱さを補う為に自然と能力を利用する。魔術師やら英霊やらと、下らぬ私情を挟まぬ現実的な信頼関係を構築した上で、彼らは効率的な実用性に富む利害関係を結んでいた。

 

「そうよな。リスクは高いが、一番都合が良いのはアサシンだ。お主の話を聞くに、マスターの言峰神父とやらは誰よりも硬い芯を持つ愉快犯よ。思考は読めんが、行動原理ははっきりしておる。我輩とは違った方面からではあるが、この戦争を道楽にして愉しんでいるのだろうて。

 それにあの女、アサシンも神父に似ていそうな冥府の輩であった。こちらの方はマスターに逆らうサーヴァントには見えんかったが、交渉次第で結果は五分五分かの。中々に生意気そうぞ。話をした感触としては、純粋過ぎて、痛々しい生き様の信仰者の類だったからな、お主と同じで。そも、あのハサンに連なるサーヴァントと思考すれば、生前も想像し易いな。

 我らも悪辣に利用される事となろうが、故にそれ相応に扱っても文句は言われんし、裏切り裏切られる機の読み合いとならば……ハ、造作も無いぞ」

 

「油断すると、危険だぞ。あれは(オレ)と同じ穴の(むじな)の……狂った異常者だ」

 

「知っておるわ。こやつは戦争における鬼札。だが、性根が分かり易いのだ。何をしてくるか全く分からんが、本質の方向性が我輩らとよく似ておる。なればこそ、思考が同調し易いと考える。そも、我らのような者と組むとなれば、相手側の性質も考えなばなるまい。

 尤も、互いに同盟を結んだ先に待つのは結局、情け容赦のない騙し合い。どちらかが先に無様に果てるかと言う、醜く汚い競い合いぞ。騙された方が死ぬだけの戦争となるだけだが、それは当たり前のこと」

 

「……つまり、向こう側も同じなのか?」

 

「そうよ。奴らも我輩らがどのような性質の外法共か、同じ外道として良く理解しているだろう。しかし、こちらの思考を読ませんよ。奴らも色々と策を裏に伏せるだろうが、互いに時が来れば結末は悟れる。裏切る時と裏切られる時は一緒だと、向こう側も理解しておるだろうな」

 

「成る程。だが、此方が裏切るよりも先に、向こうから裏切られる可能性はどうだ?」

 

「勿論、それは大いに有り得る。しかし、構わん」

 

「……何故だ?」

 

「そうなれば、死ぬか殺すかだけぞ。これこそ戦争の醍醐味とも言える。加え、その時に相手側に生まれる隙を突き、逆に殺し返す算段も考えておく故、な。お主は殺されぬ様、死なぬ様、常に気張っておれば良い」

 

 暗殺に奇襲。狙撃に毒殺。まぁ、ライダーからすれば如何とでもなる課題だ。

 ―――と、其の時だった。丁度、彼が周囲に張らせていた偵察兵から、貴重な情報の連絡があった。

 

「ほぉ―――……ハン。考えておるのは、相手側も同じか」

 

「どうした」

 

「客ぞ。噂をすれば、だ。都合が良い事に―――あの神父が、来る。こちらの拠点に向かってくる。……ッハ、それも真正面から堂々と、同盟を勧めて来たぞ」

 

「そうか」

 

 ニタニタと笑みを浮かべる皇帝は不気味でありながら、血潮を震わせる気迫を放っていた。そんな王の姿を直視していながら、デメトリオは表情一つ変える事無く、淡々としていた。

 食事中の雑談もここまで。

 しかし、わざわざ相手に合わせて、食事を中断してピザを仕舞うのは勿体無い。何せ、この食べ物は冷めると本来の美味しさを味わえなくなる。ライダーは効率的に合理性を徹する生粋の現実主義者だが、積み重なった尊厳と威厳も、かなり理不尽な域に達している。何せ、数多の王を滅ぼした皇帝なのだ。

 

「兵士を使い、此処へ呼んでおる。さて、このまま同盟締結の前祝いに、彼奴らを交えた懇談食事会にするか。あの神父の好物にピサが入っておれば丁度良いのだがな」

 

「ああ。あの男は教会の仕事により、イタリアに長く滞在していた事がある。我が国の料理は奴の舌に良く馴染むだろう。

 ……まぁ、それは良い。

 問題は相手の意図が、同盟では無く此方の抹殺出会った場合だ。其の時はどうする?」

 

「―――戦争だ。既に用意は万全ぞ」

 

「素晴しい。君はやはり、頼り甲斐のある英雄だ」

 

 

◆◆◆

 

 

 ―――と、言峰士人とアサシンが、食事中のデメトリオ・メランドリとライダーが居るアジトに訪れている時の事だった。

 

「――――――……」

 

「……――――――」

 

 サーヴァントの英霊には、黒化と名付けれる特異な現象がある。属性の反転による性質の変化だ。つまるところ、セイバーが間桐桜の呪層界に取り込まれたが、正気を失った訳ではない。

 記録に欠落はなく、記憶も続いている。

 しかし、嘗ての騎士王の威容を誇った姿はもう失くした。

 死体と間違えそうな程、肌は蒼白く病的な白。眼の色は爛々と異様な輝きを持つ黄金。髪の色は煤けた金髪。

 

「エミヤ……キリツグ」

 

「…………」

 

「聞いておきながら無視か、貴様。ふ、思考回路は餓鬼のままのようだ」

 

 しかし、人格は変異してしまった。正確に言えば、自覚のある我の変貌であろうか。呪われる事に耐える為、彼女は自分から呪詛を受け入れた。

 己の精神を確保し、且つ自己を維持する。

 性格の変質を許容しようとも、自己を見失う事だけは決して行わない。

 故に、確かに彼女は人格の属性を反転させてしまった。だが、彼女の性質は元のままでもある。狂気を押さえつけるのではない。狂いそうな自分をそのまま、自分自身として認めたのだ。

 

「はぁ……これは、失敗だ。どうするんですか、桜さん?」

 

 計画では、セイバーの人格は反転する事で乖離した筈だった。元々のそれから余りにもかけ離れた思考回路は、自分を自分だと認識する事が不可能な状態となり、もう一つの自己として自我が生み出すと考えていた。

 元の善性と、呪詛で作られた悪性の二つになる予定だった。それがどうやら、混ざってしまい、良く分からない混沌と為っている模様。

 

「さぁ……?」

 

「さぁ、って。少し位は危機感をですね……」

 

「いえ。そもそも危機も何も、聖杯戦争は順調でしょう?」

 

「…………?」

 

 混乱する亜璃紗を見ながら、桜は穏やかな笑みを浮かべた。普段の彼女であれば、相手の考え事など簡単に分かるのだが、今の亜璃紗は気を抜いている。そう言う無粋な真似はせず、純粋に会話を重ねているだけだ。

 

「ねぇ、セイバーさん。今の貴女は、この世全ての悪(アンリ・マユ)を拒絶しておきながら―――己が悪性を容認しましたね。

 正英霊としてのアーサー・ペンドラゴンは、反英霊としてのアーサー・ペンドラゴンを良しと認めた。貴女の汚染を画策した私でも、この結果は想像出来ませんでした。ですけど、まぁ……その程度のアクシデントなら、想定内の事態でありました」

 

「……ほう?」

 

 セイバーは嘗ての面影を残しつつ、邪悪に笑みを刻む。笑顔とは獣の攻撃的な仕草だと言われるが、彼女の笑顔は正しくその類の凶笑。腹を空かせた獅子であろうとも、ここまでの圧迫感を出す事は出来やしないだろう。

 それを対峙する桜もまた、笑みを浮かべていた。彼女の笑みを例えるなら―――年老いた魔女。憎み疲れ、恨み暮れ、終わりを告げる黄昏を愛する女。魔性が圧倒するのではなく、底の無い諦観が両目の光を虚ろにする。だからこそ、湧き出る虚無感が如何仕様も無く、桜を魔性へと妖しく美しく仕立て上げる。桜の花の散り際の儚さと、間桐桜の魔性は良く似ていた。

 

「まさか、と言う気分ですね。反英霊としてのアーサー・ペンドラゴンが、正英霊としての貴女を受け入れる何て驚きでした。本来の計画ならば、乖離した呪詛の仮人格を主人格に成立させ、主人格を眠らせて本物の貴女としての資格を与えた上で、私達の下僕にしたんですけどね。

 聞くのも野暮ですが……何か、理解し難い理屈でも、悟ってしまったんですか?」

 

「ええ。むしろ、開き直ったと言った方が正しい」

 

「何にです?」

 

「結末に、です。満足など何一つ無い人生でしたが、全てに納得しました。死後に持っていた未練も後悔も―――捨てた。

 ああ……生まれて初めて味わう、とても清々しい気分だ。

 善悪の果てに私そのものを実感しました。善で在る私が悪で在る私を認め、悪で在る私が善で在る私を認めた。善が悪を、悪を善が間違っていないと理解したのです」

 

 乖離せず、融けて混ざった。結果―――セイバーは英霊で在りながら、今を生きる人間でもあった。

 

「あは! ははははは……! つまり、それは―――私にとって、計画以上に最高のセイバーさんって事じゃないですか!?」

 

 これを笑わすにいられるか。桜にとって、ただの消耗品の手駒でしか無い筈だった。面白味の無い英霊の出来そこないの、セイバーの成り損ないの筈だった。

 アンリ・マユの呪いはそう言う、絶対的でありながら、桜にとってすれば下らない言葉の羅列に過ぎなかった。呪いに染まった英霊も、ただそれだけの現象となり、接しても楽しくない悪なだけだと思っていた。特にセイバーのような純粋な正英霊ならば、そのまま単純に絶望して変異した暴君になると考えていた。そんな呪いの言霊になってしまったサーヴァント何て、襤褸雑巾になるまで使い潰す以外に使い道が無い……と、先程までは悪辣に蔑んでいた。

 

「でしたら、呪いで受肉した今の肉体なら、最高の気分を感じられるでしょう」

 

 しかし、桜は戦争における鬼札を手に入れた。決して唯の消耗品ではない。亜璃紗や、召喚した切嗣と綺礼に並ぶ本物の“ヒト”に化けたのだ。

 

「絶望と苦痛が過ぎて最悪ですが、だから最高の気分でもあります」

 

「うふふふふ。今の心境を話してみては如何ですか? 迷惑じゃありませんし、これから共に戦う仲間の苦悩くらいでしたら、聞くのも悪くはないですし」

 

「そうですか?」

 

「そうですよ。折角身内になってるんですから、その新境地を話すのも手です。ほら、語れば気が付くこともありますしね。

 綺礼さんと切嗣さんも、そう思うでしょう?」

 

「ああ、懺悔は良いぞ。裡に澱み溜まった迷いが晴れる。私も若い頃は生き場に迷い、死に場所を探して自殺を末に考えた。

 しかし、そうはならなかった。苦悩とは、魂の叫びに他ならない。愉悦が魂の形で在る様に、苦しみとは魂のカタチに歪みが生じている事が原因だ」

 

 妻の献身が、綺礼を苦しめていた。愛している筈なのに、愛せない。苦しめてやりたい。殺してしまいたい。台無しにしてやりたい。苦悩する彼を助けようとする妻の行いが、そもそも綺礼を更に自己の歪みで苦しませる結果となっていた。

 ……だが、そんな苦悩も晴れた。英雄王へ懺悔する事により、道を進む最初の一歩目を見付けられた。故にまず、自己の在り方を認め、肯定することを良しと綺礼は考えている。

 

「つまり―――懺悔とは、他者に在り方を示す事だ。自分でも知らぬ自己を世界へ映し、自分で自分自身の形を知る事が目的だ。

 己の本性を知れ。

 喜びとする対象を愛せよ。

 私のような悪徳を良し笑う者ですら……歪ではあるがな、この世界を生きる人間を―――愛せたのだ」

 

「―――あれが愛だと、アンタは語るのかい?」

 

 切嗣にとって、綺礼は今まで見て来た地獄の中でさえ、逸脱した本物の悪人だった。他者や自分の絶望、悲嘆、苦悩を喜びとする破綻者であり、人の世の悪行を自身の善行とする先天的異常者。化け物では無く、人間で在りながら、この男は怪物以上に異常な在り方を貫いていた。

 つまり、醜く汚く下衆で蒙昧な人間(ヒト)世界(クツウ)を愛すると、この神父は言っていた。

 

「―――無論だ。

 貴様らを羨んでもいるが、同時に苦しみに嘆く姿がとても愛おしい。あの時のような地獄にこそ、人生の縮図が具現する。あの終わりの時にのみ、人間の魂が炸裂した瞬間の輝きが、存在していた。

 それを愛さずに、何を愛せば良い。

 知ってしまえば、他に何も要らん。

 走馬燈と言う現象がある。それと良く似ているな。有りの儘に死に逝く者らにこそ、私は私が得られた答えで祝福してやりたい」

 

「ほざくな。羨ましい、と言ったお前の言葉が、言峰綺礼の本当の苦悩だ。自己の幸福を捨て、理想を選んだ僕の事を、悟った今でさえ―――憎んでいるんだろう」

 

「否定はせんよ、衛宮切嗣。幾ら足掻いても、それを私は得られなかった。

 故に―――嘗ての私が欲した日常を無価値に棄てる貴様らが、無価値な姿で終わる様を楽しむのもまた娯楽」

 

「哀れだよ。愚か過ぎて、僕は貴様を理解できない」

 

 理解、したくもない。しかし、この男は彼と良く似ている。だからか、綺礼が切嗣を特別視している様に、切嗣も綺礼に対してらしくもない悪感情を向けていた。

 

「は。その弱さが―――エミヤを生み出した元凶だろう。私と良く似るあの壊れた破綻者に、あの様な理想を託せば結果は見えていた筈だ」

 

 憎悪して、怨念を向け合う宿敵達。切嗣が綺礼を許せない様に、綺礼もまた切嗣を許す事は有り得ない。

 

「……と、ふむ。すまんな、セイバー。少し無駄な長話をしてしまった。今はおまえの話を聞こう」

 

 唐突に、神父が話を切った。まだ言いたい事も、聞きたい事もある。しかし、切嗣との罵り合いは何時でも楽しめた娯楽。今はもう良い。今はそれよりも優先したい人物がいる。

 

「騎士王よ。私と衛宮切嗣、間桐桜や間桐亜璃紗が聖杯で何かを見た様に、お前は―――この世全ての悪(アンリ・マユ)に何を見た」

 

「……良いでしょう。ならば、聞いて頂きます」

 

 桜は楽しかった。他人の憎悪と怨念と狂気は、桜にとって最高の娯楽品である栄養素。だが、今のセイバーのような自分に近しい者の苦悩は、歳を忘れて感動してしまう。

 

「自分語りは得意では無いですが……そうですね、ふむ。嘗ての私は聖者で在らんと徹し過ぎ、世界を視る目が曇っていた。かと言って、呪詛を肯定し英霊の絶望を理解した私では、真実に辿り着くことは永遠に無い。

 強いて言えば、知識が足りませんでした。

 何故、人は正しく在れないのか。何故、人は理想を曲げてしまうのか。

 理想に燃えていた嘗ての私は、人間共の姿を見て知ってましたが、何故そうなるのか実感したことが一度もありませんでした。

 アーサーとして取るべき国家運営は苦痛の極みであり、生死の境を綱渡りしている様なもの。しかし、それに迷った事は唯の一度もありませんでした」

 

 話を真剣に聞いているのは、綺礼と桜だけだった。亜璃紗にとって、セイバーの苦悩と答えは最初から知っており、理解もしていた。逆に切嗣からすれば、理解しようとしても無駄な徒労に終わるだけであり、彼の価値観では形までは理解出来ても共感は有り得ない。

 

「今思えば、私は誰にも私を理解させようとしてませんでした。滅び逝くブリテンを救おうと無心で足掻いている内に、完璧な聖君を自然に演じていました。

 そう在るのは……今に思えば、酷く楽だったんです。

 だって、誰もが理想にする聖者で在れば在る程、国の安寧を守れた。民の生命を助けられた。自分の理想を救い続けられた。

 ―――ハ。昔、敵の大王にも言われましたが、私は偶像だったのでしょう。

 自分(アルトリア)自分(アーサー)と言う、子供の頃に夢見た自分の偶像(理想の騎士王)に憬れていただけだった。

 国の為に戦い、民の為に血を流し、騎士達と共にブリテンへ救いを(もたら)す。そんな理想の王の姿を小さかった私は理想に選び、鍛錬に励み、そう在らんと剣を抜いて王となった。せめて、目に映る皆は幸福であって欲しいと国を導きました。それに理想を叶えねば国を滅びるとなれば、その思いは強くなっていったのです」

 

 思い返せば、自分は賢し過ぎた。他人の理解を必要とせず、剣を抜いた時から完成した王だった。完全無欠の聖君だった、と思う。

 誰の手も要らずに、最初から完結していた王だった。

 はっきり言えば、騎士王は騎士王で在る為にブリテンの王である必要が無かった。

 国の為に身命を賭したと言えば聞こえはいいが、実際は国など王にとって理想の成立させる為の舞台装置だった。誰かに必要とされた故に、彼女は聖君を死ぬまで貫き通したが、彼女は聖君で在る為に誰かを利用した事はあれど、心から誰かを必要だと考えた事は無かった……と、遠い昔の誰かを想い浮かべるようにセイバーは思考していた。

 

「成功すればする程、私は王になっていった。強く、強く、自分の理想が国を救い続け、民の生活を守り続けた。

 ……そして、ブリテンを導くには剣の心が必要だった。

 誰かを思う隙間は何処にも無く、ただただ王で在っただけの人生だった。

 少しでも判断を間違えただけで民が死ぬ。少しでも時間が遅れただけで民が死ぬ。少しでも騎士を完璧に指示できなければ民が死ぬ。少しでも犠牲すべき者を選ばなければ大勢の民が死ぬ。

 心身が疲れ果てても不断の激務は続いた。休みなど無かった。

 騎士達との関係や、部下らの派閥間の争うにも細心の注意で死ぬまで気を使い続けた。内政でさえあの様で在りながら、同時に外交も完璧にしなければならなかった。

 ―――完璧な騎士王……っは、笑わせる!

 完璧でなければあっさりと滅びる国だから、私は完璧で在らんと生き急いだ! 綻びがあれば其処から一瞬で滅びてしまう程、あのブリテンは脆い国家だった!

 だから……だから、ただ強く、どの国家よりも強い孤高の王と、強く従順な騎士が必要だった」

 

 セイバーにとって、毎日が命を削り続ける日常だったのだろう。

 

「……そして、誰かが犠牲にならないといけないと、あの王座で国を悟った。

 そんな化け物を完全に支配するまで完璧な聖人君子で在らなければ、自分の理想が叶えられない。国家と言う化け物をさらに上回る怪物に、私は成り果てていた。

 最初は、そうだ―――ますはこの自分を犠牲にした。次は、そうですね、戦争を勝ち抜く為に村を干からびさせた。戦場では騎士や兵士を捨て駒にした事もあった。勿論、敵国兵は我が国が安全になるまで殺し続けた。

 挙げ句の果てに……結末は、カムランの丘で終わりでした。

 間違っていたのは誰だったのか。

 考えるまでも無く―――騎士王が、誰も救えなかったから。国を救い続ける為に、私は誰かを救うことを諦めていた」

 

 それは、騎士王の懺悔。嘗ての彼女なら有り得ない心情の吐露。だが、今の彼女は己の弱ささえも、もはや唯の笑いごとだ。

 自分はそんな存在(生き物)だ。胸を張るのではなく、顔を曇らせて視線を下げるのでもなく、ただの日常の会話にして、そう語ってしまえた。そう、悲観を越えた諦観を得てしまっていた。

 

「私は確かに、諦めていたのです。国の為ならば、仕方が無いと容認していました。大勢の人々の命を助ける為に、自分で死ぬべき命を定めて殺しました。国の為、民の為、と繰り返して、私は幼いの頃に抱いた理想に溺れてました。

 そんな、人を理想の為に道具扱いする化け物―――……そう、私はなっていた。

 溺れていて、溺れ続けて、溺死しているのが楽だった。

 騎士王として手段を選んで、最小限で効率良く犠牲者を選んで、殺して、死なせて。そんな自分を昔の自分は、理解し難い化け物に感じていて。気が付けば、当たり前な作業になっていて。

 最後の最期で国も救えず、最期まで人は救えなかった。

 だから自分は結局、救いなんて分相応な愚か者。失敗した愚者の王」

 

 変異したアルトリアは、王ではなく、人として、自分の価値を断じてしまった。結論は、その末路だったのだと受け入れた。いや、最初から受け入れいたが、あの国が間違えていた事を受け入れた。

 自分だけが悪かったと、逃げていた。

 だって、他の誰かの所為にしてしまえば、理想が壊れてしまう。国がもう、死ぬしかなかった何て運命だったならば、自分の理想は一体何だったのか。

 アルトリアは自分の理想と騎士の想いを汚したくない一心で、自分以外の誰かの非を認めたく無かった。仕様が無かった、仕方が無かった、必然の不運だった―――と、有り得ない言い訳で誤魔化していた。

 

「今の私なら、理解出来るかもしれません。

 ランスロットとギネヴィアに、モードレッドとモルガン。

 彼と彼女達が何故、国を滅ぼす原因となったか理解し―――やっと、私は実感しました」

 

 壊れてしまったいた。笑みが、自分の結末を知っていた。アルトリアはやっと、もう自分が押し潰されて、溺死していたんだと分かった。生前の最期まで貫けたが、死後の出来事によって自分を理解した。それでも彼女は彼女のままだったが、呪われた仕舞った今はもう、理想で自分を誤魔化すのを辞めたのだ。

 

「―――私が、皆に価値を見出していなかったからだ。

 国や民の為に有用や無用か。王でしか在れなかった自分は、そんな観点でしか世界を見ていなかった」

 

 もう、悔恨は棄てた。ならばこそ、アルトリアは新たな絶望と後悔で満たされる。そうであったと考え、気が付いて、己が何であったか決定した。

 ただ王で在る。

 王でしかない。

 人間では無かった王。

 騎士たちにとってアーサー・ペンドラゴンは、国を導くだけの王でしか無かった。

 

「無論、個人的な感情はありました。人としての想いも消えてはいなかった。しかし、それを王で在ろうとしていた私は、決して外に向けた事は一度も無かった。

 ならば、他人とって私は王と言う生きた記号でしかなったのでしょう」

 

 心を全て空にした気分を、とても深くアルトリアは味わっていた。表情は晴れ晴れとして、迷いで止まる事は無くなっていた。

 

「成る程な。そうとなれば、我らと協力するのも自然な道理か。

 おまえは知りたいだけなのだな。聖杯を利用して、私と同じ様に―――この世の仕組みを理解したいのか」

 

「ええ。そうですよ、言峰綺礼。

 今の私は知りたいだけです。何故、誰も救えないのか―――それが、ただ知りたい」

 

 苦悩から求道者は生まれ出る。セイバーも、綺礼も切嗣も、何かを求めて現世に迷い出た死人だった。だから、せめて、あの絶望に価値が欲しいと願っているのかもしれない。

 問答をする二人を見て間桐桜は、もうアルトリアを知れた。何より、亜璃紗が仲間と認めている時点で、彼女が此方を裏切る事はないと知っていた。綺礼にとって有意義な時間だったように、アルトリアにとっても新生した自分を確認する良い機会だった。

 計画は順調そのものだ。

 戦争は思い通りに進んでる。

 間桐の魔女は戦力を完成させた。

 一番の障害はキャスターであろうが、あれの殺害計画は出来上がっていた。セイバーの吸収が成功した事も確認でき、次の段階に移れる。

 

「……あ、話終わりましたね。だったら夕飯にしよう。戦争前に知り合いの魔女から山菜や薬草やらと、沢山スパイスを貰いましたね、それを使いました。

 なので、良い感じにカレーにしてみたよ。

 栄養素も抜群で、神秘面の作用もあって魔術回路にも優しいですし。何より、味わい深く、香ばしい風味に出来ました。何時に無い自信作だ」

 

 途中から間桐邸のリビングから消えていた亜璃紗が、寸胴を持ちながら戻って来た。中身はカレーで、炊飯器もしっかり準備している。

 

「……あ、美味しそうだね。やっぱり女の子の手料理は良いね」

 

 退屈そうにしていた切嗣が、笑みを浮かべてスプーンを握る。何だかんだでブレない男だった。

 

「――――――……」

 

 取り敢えず、無言でスプーンを武装するセイバー。何だかんだでブレない女だった。

 ……似た者同士ですね、と桜が陰で笑っている事を二人は知らなかった。綺礼も綺礼でそう思っていたが、カレーには思い入れがある。生前に偶然知り合った埋葬機関の代行者が、自分が麻婆豆腐を食べる如き修羅の形相で食べていたのを思い出した。やはり、美味い好物を食べる時、人間はああなってしまうのが自然だと認められたのだ。

 

「―――辛いのか?」

 

「はぁ……? まぁ、カレーですから辛いよ?」

 

「フ、そうか。素晴しい」

 

 この連中、無意味に行儀が凄く良かった。綺礼は周りを気にせず、神へ祈りを捧げていた。この食事に使われた食材達に感謝し、自分の糧に出来ることを神へ感謝した。

 

「あのー……桜さん?」

 

「何時もの事ですよ。如何でも良いじゃないですか。

 ……うん、良い香りです、亜璃紗。スパイスの調合が素晴しいです。最近は段々と娘の成長が嬉しく感じるようになりましたけど、私も歳を取ったって事なんでしょうかね……」

 

「え。はぁ、まぁ……その、ありがとうございます?」

 

「ふふ、どういたしまして。では亜璃紗、頂きますね」

 

 賑やかなのは良い事です。そんな思考をしてしまう自分は、やっぱり成り切れない半端者なのだろうと桜は自分を嘲笑した。嘲りながらも、邪悪に染まっても、でも―――楽しいモノは存分に楽しむ。そうでなかれば、ここまで成り果てた価値が無い。

 戸惑う養子を傍目に、彼女は娘が作ってくれたカレーを食べた。セイバーも、切嗣も、綺礼も、亜璃紗に頂きますと言った後にカレーを食べた。亜璃紗もまた、皆が食べ始めてから自分の料理を食べ始める。

 ……惨酷な世界だけれども、人間は変わらないのかもしれない。

 破綻した者らの晩餐は果たして後、何度出来るのか。そんな虚しい事実を全員が理解していた。だからこそ、これは如何でも良い誰でも味わえる奇跡なのだった。




 神父さんの暗黒カウンセリングでした。悪役がほのぼのしているのって、書いていると何だか、悲しくなると言うか……
 そんなこんなで次回予告です!
 手を組み出すサーヴァントとマスター達。冬木に君臨するキャスターは、果てして何を思うのか? 桜達の目的とは? そして、誘拐された彼女達の運命は!?
 次回―――『決裂』

 読んで頂いて、ありがとうございました。

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