神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 剣豪、まだまだ全然終わってないですけど、かなり面白いです。しかし、まさか前に出て来て欲しいと書いたNINJAっぽい人もいきなり登場しましたし、ワクワクが止まりません。


86.家族

 ―――肉の塔。

 尋常ならざる邪悪な魔力に満ちた神の母胎。赤子が生まれ出る泥の大杯。そんな冬の聖女の成れの果てである贄の祭壇を見続ける黒衣の魔人―――間桐桜は、此処までの道程を思い返していた。

 長い、とても長く続いた旅だった。

 旅をすると決めて、九年ほどの月日が過ぎ去っていた。

 蟲を喰らい殺した時に宿った怨讐と理想。魔術師としての在り方。もはや、それ以外に生き方など亡く、養子になってから既に魔術師でしか無かったのだろう。いや、そもそもあの家に生まれた時点でそれ以外の生き方など許されず、自分が持つ魔術の才が他の道を閉ざしている。そう言う意味では魔術師など全員が同じ境遇だった。輝いていたと勝手に昔は勘違いしていたあの姉さんも、自分と同じく先輩と出会うまでは一人孤独に生きている唯の其処らの魔術師に過ぎなかった。

 だがもう分かっている。確かに自分は虐待を受けて精神が変質し、洗脳され、頼れる者など何もなく、誰にも助けを求められない状態だった。子供の頃に姉さんへ助けを求めても、あの蟲の餌食になって慰め者になるだけだったのだろう。先輩に相談しても結果は同じで、自分以外の誰かが更に不幸になるだけ。自分が誰かの死因になるだけ。

 それでも、助けられないのだとしても―――……自分を助けてくれる人がいた。

 それだけで自分は良い。

 こんな世界、救いなんて僅かでも在れば良い。

 何かもが救われて、人生全てが幸せになるなんて贅沢にも程がある。

 ならば、せめてこの自分だけは理想を目指そう。足掻いたところで所詮は魔術師。呪いと想いは偽物なれど―――救われないこの世界は本物だ。蟲と成り果て、魂が腐れ枯れるのを待つだけならば、その前に成すべき衝動を成す。

 ―――大聖杯を見詰める。

 間桐桜には何も無い。心の中には何も無い。

 思うべき事柄を失くして、蟲の理想だけが宿った呪いによって意識が生きているのだから。

 

「あら、姉さん。お早い登場ですね。先程ぶりですよ?」

 

 そして、大聖杯を見上げていた魔女が振り返る。空間に孔が穿たれ、求めていた者の気配を感じ取った。

 

「術式が甘いのよ。結界は自宅と一緒、セキュリティーは万全じゃないと意味ないわ」

 

「そうですか。まぁ、私も含めて色々な人に助けられたとは言え、魔法の魔術基盤に至った姉さんです。やっぱり私程度の腕前ではまだまだと言う訳ですね」

 

 とは言え、空間転移が来れたのは凛一人のみ。桜とて第二法は熟知とはいかないが知っており、この展開も予想の一つ。空間汚染と虚数結界で妨害しても転移を防げないと分かっていたが、転移可能な人数を制限する程度の邪魔は出来た。

 

「―――で、どうします? 殺し合いますか? 私は話し合いの方が好きなんですけど」

 

「……冗談。ここまで来て話し合い?」

 

「当然でしょう。私達、姉妹何ですよ。何となくですけど、ほらアレです。雰囲気で相手の考えてる事が分かる程度には、仲が良いと思うのです」

 

「ふーん。そ。だったら、私が今考えてることも分かる筈だけど? まぁ実際、あんたの考えも似たり寄ったり何でしょ?」

 

 ニタリと笑みを浮かべ、桜は魔術を使う。大聖杯から憑依・吸収した英霊の情報を自分の肉体に上書きし、身に付けたサーヴァントの能力を発動させた。嘗ての第四次聖杯戦争にて、間桐雁夜に召喚されたバーサーカーのサーヴァント。使徒の一体にも憑依させたモノを桜は自分にも使っていた。

 桜は聖杯と接続し、中身の悪魔が見ていた聖杯戦争を自分も追体験していた。

 だからこそ、彼女は過去の真実を知り得ている。第三次聖杯戦争における聖杯の顛末、第四次聖杯戦争の出来事、第五次聖杯戦争の結末。衛宮切嗣がこの世全ての悪を担ってでも聖杯で世界平和を成就させると言ったのも、正義の味方に成り果てたエミヤが士郎を殺害したい理由も、彼女は全て知っていた。

 故に、桜が雁夜を知っているのも当然だ。

 ……子供の頃は理解出来なかった。何故こんな牢獄に戻って来たのか、一欠片も分からなかった。雁夜の行動、雁夜が戦う理由、それらが本当に訳が分からなかった。目の前で見たあの死に様も、蟲が見せ付けたモノでは無く、あの人が命掛けで偶然にも蟲に見付からずに辿り着いただけの無価値な奇跡に過ぎなかったと言うのに。

 雁夜の命を吸い尽くした英霊―――サー・ランスロット。

 自分やあの蟲や綺礼と同じ者、その同類。彼を死に追いやった元凶の一匹。自分と同じ故にその所業を責めることを桜は良しとしないが、あの人は自分を助けようとした最初の誰かだったのだ。彼の心境が自分以外の誰かに向けられているのだとしても、蟲に筋肉と神経と内臓を生きたまま喰われる地獄を耐え、寿命を捧げていたのは間桐桜の為だった。

 

「勿論です―――力尽くて、相手を無理矢理自分に従わせたい」

 

 具現化する黒い鎧、黒い兜、黒い篭手―――間桐雁夜の魔力を喰い潰した男の黒い具足。バーサーカーのサーヴァント、あの円卓最強、湖の騎士が身に付ける黒騎士姿だった。

 ―――腐った魂を焼け焦がす憎悪である。

 身に付けた近接格闘術と、レスリングの戦闘技術。その経験から、桜は如何にこのバーサーカーが尋常ならざる狂った技量を誇るのか理解していた。

 凛を仕留めるのに、そも聖杯など不要。接近し、斬るだけで事足りる。

 

「安心して下さい。殺す気は十分ありますが、決着がついても生きていたら……まぁ、こんな様に堕ちた私にも慈悲は有ります。殺しません。

 蟲で悲鳴が枯れるまで犯し、暴き、悶えさせて上げます。私が受けた最初の研鑽、蟲に溺れながら理解して貰いましょう。苦痛の中の更なる苦痛と、逝き過ぎた快楽の地獄です。

 それに姉さんは間桐初心者ですので、本当に死ぬ寸前の気持ち良さからレクチャーしますね」

 

 彼女は最初から宝具を展開。全身甲冑と黒外套を装着し、完全に吸収した英霊の霊体から魔剣を引き抜いた。

 

無毀なる湖(アロンダイ)……()―――ん? あれ、なにかしっくり来ないですね。こんな良い雰囲気な呪文の響きですと、今のこの魔剣の真名に相応しくないんですかね?

 やはり、ここは真名に何て拘る必要も無いです。こんなもの造り替えて、もう呪文詠唱と変わりませんし……」

 

 その魔剣こそ嘗ては聖剣であった神造兵器。仲間を裏切り、その刃を同胞の血で染め、湖の輝きを失った堕落の象徴。

 ならば、確かにその真名は相応しくないかもしれない。

 だが真名解放は確かに成されている。握り締めるだけで本来の能力通り、桜の身体機能は上昇している。しかし、桜は聖剣ではなくなったこの宝具が、間桐桜の宝具に堕落した魔剣が、そんな程度の効果が真髄ではないことを理解していた。

 

「……悪心祝祭(アロンダイト)呪光湖泥(ヘブンスフォール)――――」

 

 唸り蠢く影の剣。この魔剣こそ、光を呑み込む―――黒湖呪沼の具現なり。

 

「―――良いですね……ああ、これですこれ。この全能感、この万能感!

 ちょこっと擬似解放しただけなのに、魔術回路が焼け焦げそうで凄く凄く堪りません」

 

 虚数を刀身に纏わり憑かせ、刀身から更に虚数の泥を光の代わりに放出する。既に魔剣へ堕ち、この魔剣は泥の魔力で構築されている。大元の魔力が呪泥となれば、宝具そのものが虚数に満ちた影剣。同じく彼女の身を守る鎧も泥光に穢れ、サーコートの黒外套も本来の形に至る。そして鎧の下に着る全身を覆う布は虚数の影衣であり、外套も同じく虚数の沼が衣となった礼装もどきとなる。

 影を纏って影となる。

 今の間桐桜は、そう言う暗闇に溺れる魔物であった。

 

「貴女、そこまで……―――!」

 

 狂っている。間桐桜は終わっている。魔術師の叡智さえ、魔法使いの道理さえ超えた魔物。

 ―――魂の権化。

 あるいは、その化身。

 類稀なる眼力で妹の中身を見抜いてしまった凛は絶望を越え、失望を終え、虚無に心を溢し落としそうになる。

 

「―――何を今更。たかだか霊核が高い程度のサーヴァント、喰い殺せなくて何が聖杯ですか。本体の守護者なら話は別ですが、サーヴァントなど所詮は劣化した魂の写し身ですよ?

 マキリ・ゾルゲェンと同じです。

 私はこの身、この魂にコレを取り込みました。

 つまり―――間桐桜そのものが、もう残留思念の総体になっているんです」

 

 ―――狂気。

 

「桜、貴女は本当に―――間桐桜なの?」

 

「何を言っているんですか、姉さん? その質問に一体なんの意味があるのですか?

 ……でも貴女の言葉です、答えましょう。

 この間桐桜と言う女はですね、もうとっくの昔に―――遠坂桜とは別の魂になっているんですよ、九年前にね」

 

 生まれたまま成長した桜ではもはやない。マキリを喰い殺したのは生きる為だけではなく、復讐を憎悪で満たす為にしたことだった。

 あの蟲を苦しめて殺してやりたくて、その為なら自分が自分で無くなって良かった。

 

「私の魂は蟲を苦しめる為だけに喰い殺した時―――混ざり者になった訳ですから。それもマキリの妄執だけではありません。

 私の魂は我が師、言峰士人の心象風景のカタチも泥と同化して得てしまっています。それだけでも間桐桜として手遅れなまでに変質したのに、今回は聖杯に吸収したキャスターの宝具を利用し、私の魔術を更に完成させてランスロット(バーサーカー)の魂も食べました」

 

 故に凛は全てを理解する。

 

「ヒトの魂は、そんなに外部から情報を取り込んだら―――」

 

「―――ええ。もうそんな魂、前とは違うモノに作り替わってしまうんです」

 

 間桐桜はサーヴァントとして存在しているのではない。サーヴァントの魂を喰らった聖杯の、虚数の影として生きている。人間の霊体まま、ただの魔術師のまま、使い魔(サーヴァント)の異能を得ているだけの生身の人間。決して英霊に憑依された擬似的なサーヴァントではなく、魂そのものが他の情報と融合してしまっている。死んだのだとしても分離出来ない領域で、一つの魂として存在が完成してしまっている。

 今の彼女はランスロットではなく、マキリでもなく、ジンドでもない。

 間桐桜は間桐桜ではなくなり、何者でもない何かに生まれ変わってしまった。

 

「だったら、それだったら……!」

 

「言うまでもない結論です。遠坂桜など、既にの世にはいません。この私は間桐桜と言う存在でさえない。

 貴女の妹は、もう―――死んでいます」

 

「―――……桜」

 

 虚数の魔剣、湖光亡きアロンダイトが桜と共に笑っていた。今となってはランスロットの宝具ではなく、桜の魂と直結した魔剣だからか、彼女の心情と同調してその魔力を変化させている。桜の魔術は負の想念を具現化させるため、その魔力に感情の波動がとても乗り易かった。

 

「さぁ、愉しいお喋りはここまでです。凛姉さん、貴女の望み通り―――姉妹仲良く殺し合いましょう」

 

 彼女を今まで桜は凛姉さんなどと呼んだ事はなく、だからこそその台詞が告別なのだと凛は分かってしまった。何よりも、聖杯よりもおぞましく煮え滾る黒い魔力が、桜の殺意と悪意を顕している。そして間桐雁夜に止めを刺したこのバーサーカーを選んだ時点で、憎い筈の英霊を力にすると決めた時点で、そもそも大聖杯を前にした桜は終わっている。

 凛はそんな桜を相手にし、生き残る覚悟を決めた。腰の付けた魔術礼装の専用ホルダーに仕舞った宝石剣と回路を繋げ、無限回廊へ至る魔術理論を思考内で展開する。そして、科学としてまだ世界に刻まれず、まだ魔法として根源に眠り続ける魔術基盤に接続完了。

 

「ふん。じゃあ油断して、とっとと私にやられなさい―――妹らしくね!」

 

「だったら、姉らしく勝ちを私に譲って下さいね―――妹からの、最期のお願いですよ?」

 

 刹那―――凛は死を垣間見た。英霊と言う超常の化け物の中に置いて、更に怪物的と称する技量を持つのが第四次聖杯戦争のバーサーカーである。人間の魔術師が、その者が例え魔法使いであろうとも、一対一の接近戦で相対した時点で勝ち目は絶無。

 縮地と呼べる足捌き。

 無窮の武錬によって成される歩行技術。

 ならば憑依するのは、この武術を完成させた遠い世界の自分にするしかない。全経路を解放し、全回路を起動させ、全神経を戦闘に特化させるしかない。

 ……音速を越えて激突し、二人は死線を交差させた。

 鉄と肉の衝撃で地面が罅割れ、溢れ漏れた膨大な魔力で大気が吹き飛んだ。

 

「中国武術、それも戦闘魔術と融合させた絶紹?

 ……第二魔法も反則のインチキ技ですけど、姉さんそのものが魔術世界のルール違反じゃないですか、それ」

 

 大聖杯による第三魔法によって解放された桜の魂は無尽蔵の魔力を持ち、その上でランスロットの技量と宝具を行使する。

 ならば対峙する凛がすべき事は簡単に決められる。平行世界より無限に魔力を供給させて、その上でランスロットにも対抗可能な戦闘技術を身に付けた平行世界の自分を憑依させれば良い。

 

「―――そう?

 別に魔法使いなら普通よ、普通」

 

 あろうことか凛は魔剣を強化した素手でいなし、桜を簡単にあしらった。加えて圏境で動きを完全に察知し、ランスロットの剣技に対して遅れず対応。

 

「そうですか。でしたら私も形振り構いませんよ?」

 

 具現する影法師の使い魔たち。黒い泥の海月(クラゲ)は地面から湧き出て、上からも降り落ちる。桜はその使い魔たちの影に潜み隠れ、更に虚数魔術で編み上げた自分の分身体を展開し―――

 

「バカね、量で勝とうなんて千年早い―――!」

 

 ―――何もかも、凛は薙ぎ払った。

 一体一体がAランク以上の宝具として独自稼動する桜の使い魔だが、そんな程度、そもそも遠坂凛に通じる訳もなし。

 

「―――それもお見通し!」

 

 だからこそ、使い魔を全滅される為の魔術を使った際に生まれるその隙を、桜が狙って潜み寄りながら斬るのも当然だった。凛は自分にインストールした技術で以って得た圏境により、気の結界とも言うべき索敵空間を周囲に張り巡らせている。無論、魔術による索敵術式を刻んだ外部回路の宝石礼装も常時機動済み。

 その中では、全てが凛の掌の上。

 桜の隠密行動など見抜けぬ道理が存在しない。

 

「魔法使い、やはり―――化け物ですか!?」

 

 今の凛に道理は通じない。桜も自分が如何なる超常か理解した上で、この姉が至った魔道の頂点を此処に来て真に把握した。

 

「―――お生憎様……!

 そもそも神秘の領域で、武芸の真髄で、今の私と戦う何て鍛錬不足も甚だしいわ……―――!」

 

 間桐桜は正しく遠坂凛を認識し切れていなかった事実を理解した。相手は魔境に至った魔術師ではなく、概念に変貌した死徒でもなく、座に召された英霊でもない。

 あれは我らが生きる宇宙の法則を手に入れた魔法使い。

 第二法、平行世界の運営。それを理解すると言う事は即ち、誰にも届かぬ無限の果てを手に入れるのと同じ道理。

 

「少し、勘違いをしてました……なるほど。凛姉さんは私とそもそもステージが違うのですね。真性悪魔の固有結界として、悪神の権能として第三法と同じ概念に至っただけの間桐桜では、魔法そのものを理解している貴女には程遠い。

 ……蟲に犯され、蟲に至った魔法使いもどきでは、遠坂凛に価値は無い。こんな聖杯、ただのガラクタですね」

 

 桜は鎧の上から一撃を僅かに貰った。本当なら呪泥と同化した鎧と、下に着込む防具の影布で物理攻撃など効かず、あらゆる魔術を吸収する筈。しかし、凛の拳には活性化した生命力を経路より汲み上げた気が練り込まれ、その上で魔術で強化され、激突と同時に気と魔力を混ぜた力そのものと言えるエネルギーを桜の体内へ打ち込んだ。その規模、1000を超える数値の魔力量が激流となり、経路と回路を蹂躙する。とある拳法家のような芸術的殺人芸には及ばないが、強引に命を幾度も奪い取る総量が威力を増加させている。

 ……掠っただけで、聖杯から祝福される回路の半分が一時的に停止状態へ追い込まれた。

 直ぐにでも機能を再開させたが、戦闘中に数秒間も回路が使えなくなるのは余りに危険。今の桜は回路自体が頑丈である故に破壊されることはなかったが、何の防御も回避もなく受ければ神も悪魔も関係無く、霊体そのものが爆薬になって魂が四散するだろう。

 

「あら。そんな長台詞を急に言うなんて、随分と弱気になったのね。降参なら何時でも大歓迎よ、黙って大聖杯が木端微塵になるところを見てなさい」

 

 見下しながら、さぁどうぞ言わんばかりに凛は桜を挑発した。攻撃しなかったのは筋肉を溶かす程に発熱した魔術回路を休ませる為でもあり、融解と分裂で内部崩壊し続ける肉体を修復する為でもあったが、桜の状態を解析魔術でじっくりと診断することが目的だった。

 果たして湖の魔剣(アロンダイト)を引き抜いた今の彼女は、どれ程に自傷しながら戦っているのか?

 桜が自分に施した聖杯の呪詛はどの程度強力で、傷返しの呪詛に自分の魔術と礼装は抵抗し続けることが出来るのか?

 抗呪術式に優れた平行世界の自分もインストールしたが、大聖杯の呪詛を利用した呪いでは相手が悪い。

 

「良くもまぁ、そこまで私の心を苛立たせるものです……ッ―――!」

 

 挑発だろうと理性では分かっているが、相手が遠坂凛ならば耐え切れない。彼女のことは今でも家族だと思って殺し合っているが、それでも愛しい男を横から奪い取った女である。

 既に価値を失くした愛、記憶から薄れる恋―――然らば、桜の恨み辛みは必然だ。

 憎悪こそ桜が動く為の燃料。これを否定すると言うことは、自分が引き起こした聖杯戦争そのものの否定となる。

 

「―――怒って怒って、怒り尽くしなさい! 憎悪の限り私だけを恨みなさい、桜ぁ……!!」

 

「私は、貴女だけが忘れられない!!

 こんなモノ要らないのに、ただの蟲になれば良いのに、この憎悪だけは決して―――!!」

 

 A+ランク以上の火力を誇る凛の通常砲撃。桜は最大まで憎悪の魔力を込めた魔剣で叩き伏せ、使い魔群を生成するも具現した瞬間に凛が放つ極光で焼き滅ぼされる。

 

「そりゃそうね、あんた今でも衛宮君が好きなんだもの。私を忘れられないのは当然よ」

 

「……―――――――――――――――ァ」

 

 当然なことを当たり前のように話すその姿。それを見た桜に有るのは負の業と呼べる混沌した激情で、嫌いではないのに憎しみ、愛しているのに殺したかった。そんな言葉に出来ない渦であり、人間で在ることを極めたような心の発露であった。

 

悪心祝祭(アロンダイト)呪光湖泥(ヘブンスフォール)……ッ――――!!」

 

 桜が両手で握り締める魔剣より―――黒湖の泥刃が、一つとなって溢れ出た。

 

Eine(接続),Zwei(解放),RandVerschwinden(大斬撃)……ッ――――!!」

 

 その黒い斬撃、凛は虹色に輝く斬撃で押し止めた。だが相手はA++ランクに位置する神造兵装。流石の凛とて専用魔法陣を空中に宝石魔術を使って数十陣刻み込み、宝具に対抗可能な程の概念を準備しなければ押し勝つことは不可能。精々数秒間だけ抵抗するのが関の山であり―――黒湖の斬撃を避けるには、十分な時間稼ぎ。

 魔術で強化された両脚は中国武術による震脚歩行によって、仙人の縮地に匹敵する高速移動を可能とする。無論、無窮の武錬を発揮する桜ならばその程度の武芸、対応出来ない訳がない。

 ―――魔剣が舞い、魔拳が奔る。

 アロンダイトは尋常な殺傷能力ではない。無限の魔力で強化した手足は確かに本当なら無敵なのだろうが、そも無尽蔵の魔力で強化されて同じ無敵となった魔剣に勝てる訳がない。だからこそ凛は刃とは触れ合わず、攻撃全てを回避するよう動く。それでも間に合わないと判断すれば、刀身の腹を撫でるように手を添えて斬撃軌道を逸らすのが精一杯。刃で肉体を抉られでもすれば、常時発露する泥光が体内を蹂躙し、凛の回路自体を攻撃する。

 しかし、その警戒をするのは桜とて同じ。むしろ、毒素として殺傷性能は凛の拳の方が高く、まともに受ければ機能不全を起こし、自分が動けない間に殺されてしまう。あるいは、とっとと大聖杯が破壊されて敗北するだろう。

 

「―――この魔導八極、貴女に耐え切れるかしら!?」

 

 魔人の領域に達した絶紹が、更に魔術で加速する。一撃一撃がサーヴァントの霊核を粉砕する脅威。虚数の衣と鎧で守った桜の身を殺す業の極致。

 聖杯である桜だろうと致死に至らせ、肉体ごと霊体を砕き壊し、魂魄に傷を与える異形の魔拳。

 奥の手としてランスロットの剣技と魔剣アロンダイトを用意したが、それでも自分一人で戦うには準備不足だったと桜は悟った。もはや遠坂凛は相手にしてはならない化生であると分かってしまった。しかし、それでも勝ち目がない訳ではない。

 

「その融け始めた肉体―――何時まで耐えられますか、姉さん!?」

 

 凛だけではなく、桜も相手の観察こそ殺し合いで勝つ為に絶対に必要な過程だと分かっている。解析魔術や魔眼による透視は出来るだけ行い、凛が今どのような状態で戦っているのか把握している。

 ……桜とて、ランスロットの霊体の規格に合わせることで戦い続ける肉体が、蘇生魔術を掛けながらも徐々に崩壊している。凛も回復しながら殺し合うのは同じなのだろうが、魔術回路は同程度だとしても、そもそも技能を運営する肉体と霊体は桜の方が耐久性が高かった。魔術師として、武芸者として、凛は桜以上に鍛錬を積んでいるが、苦痛と損傷に対する鍛錬は桜の方が遥か格上。

 このチキンレース、時間が桜の味方をしていた。

 時が経過し過ぎれば大聖杯は覚醒を迎え、時間が経つ程に死への加速が桜以上に凛は早まる。

 

「―――クゥウ、ああ……!!」

 

 魔術で体内を凛は一気に直接冷却する。このままでは魔力が過剰に奔る筋肉と回路の発熱で、脳味噌が内部から融け始める。無限の魔力供給による永続回転を第二法は可能にするも、燃料が強化魔術で熱せられる肉体と霊体はどんどん消耗する。魔術で復元と冷却をするも、加速を止めない桜を相手に凛も動きを停止される事は不可能だ。無論、この作業は桜も行っている。

 本来なら冷却をしなくてはならない程の回路の回転と過剰強化など有り得ぬが、それを可能とするのが凛の第二法と桜の第三法だった。

 

「まだまだまだ……っ―――!」

 

「あは、姉さん……っ―――!」

 

 だが、此処にて二人は拮抗した。余りにも壮絶な殺し合いは止まることが許されず、命尽きても魔術回路は動き続け、霊体に突き動かされ二人の五体は絶対に止まる事がないだろう。

 

「―――……時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)

 

 不吉な声。ぼそりと呟かれた真名解放。大聖杯―――この世全ての悪(アンリ・マユ)は歓喜した。これで自分は生まれ出て、悪に満ちた世界はやっと完結する。人間によって穢れた世界を、穢れた人間に望まれたままこの世を終わりにする事が出来る。その一歩は踏み出せた。邪魔者がまた一人死に去ったと喜んだ。

 場違いにも程がある―――乾いた発砲音。

 ……姉妹二人の戦いの終わりは、とても呆気無く訪れた。

 

「―――君は、死ななくてはならない」

 

 亡霊、衛宮切嗣―――否。アラヤの守護者、エミヤ。座にいる自身を憑依させられた新たなる契約者の一人。彼が契約を結んだのは自分を壊れた理想ごと衛宮切嗣を救った士郎と、そして最愛の愛娘であるイリヤスフィールをこの第六次聖杯戦争から救い出す為。大聖杯を解体して冬木の聖杯戦争を真に終わらせる為。本当に、ただそれだけの為だけに、死んで安息を得る筈のこの魂を切嗣は阿頼耶識へ捧げた。

 資格が有ると理解したその瞬間―――守護者に成り果てた。

 本当ならそれを成すだけの力を得れば十分だった。

 守護者としての能力を得た理由はそれだけだった。

 しかし、それなのに―――アラヤは守護者の知識までエミヤに授けた。

 聖杯戦争が世界の分岐点となる要因。そもそも、抑止力がヒトに力を与える理由。

 契約者に力を与えるのは遥か未来まで酷使するためであり、強いては人理を出来る限り維持するのが目的だ。だが、エミヤにはそれ以外にも記憶がある。

 エミヤと言う守護者は本当なら、隔離された特異点にのみ召喚される存在。そして今は亡霊として受肉したサーヴァントの自分へとアラヤが複製した座の魂が混ぜ合わさり、特異点でなくとも行動可能な守護者もどきに堕ちている。

 彼の意識は衛宮切嗣であると同時に、エミヤキリツグでもある。

 故に、今の彼は聖杯戦争を終わらせる事だけが目的ではない。士郎とイリヤを救うことに専念出来ない。

 

「君は、殺されない限り―――止まらない」

 

 女の死体を見ながら、守護者もどきは言葉を吐き捨てた。切嗣の銃弾は―――遠坂凛を、貫通していた。当たった場所は即頭部であり、右から左へと弾が脳味噌を破壊しながら飛び出て行った。

 ……脳漿ごと頭全てが散っている。

 凛は血を吹き出しながら人形みたいに倒れ落ち、顎から上が綺麗に吹き飛んでしまっている。

 エミヤが守護者として獲得した宝具とは、固有時制御の魔術による加速攻撃。サーヴァントになった切嗣はその魔術も生前以上に応用可能となっていた。宝具化によってより便利になった魔術をあろうことか、自分の肉体だけではなく、起源弾を撃つコンデンターも彼は結界で覆って解放した。

 引き金により撃鉄が降り下され、銃弾の底を叩き、炸裂する弾薬。

 銃身内を螺旋しながら銃口まで進む工程が加速され、結果―――七倍化したコンデンターの弾丸初速。

 もはや撃ち出される起源弾は、対物理徹甲弾よりも凶悪な兵器。そして圏境によって弾丸を察知可能な凛でさえ対処不可能な絶対超速。過剰魔力で構造強化した拳銃と肉体は見事に砲台の役目を果たし、魔弾は音速の十倍以上となり、魔術で強化されていた凛の頭蓋をあっさりと砕いた。

 そして強化したとは言え、加速した起源弾を撃った切嗣の右腕は無事ではない。骨が皮膚から飛び出て、骨の破片が筋肉に抉り込み、あちらこちらをハンマーで何十回も叩かれたような有り様だ。そもそも一つしかない専用拳銃が壊れないようにと、強化に回した魔力比率はコンデンターの方が高い。しかし、受肉した亡霊である彼からすれば重傷だろうと軽傷だろうと、治るのならば必要な魔力量が違う程度の差でしかない。腕だけが違う生き物ように蠢き、黒い泥となり、また無事に元の腕の形に修復された。

 

「あ、ぁあ―――遠坂ッ……!!」

 

 そして、士郎は間に合わなかった。ここまで来れたのは言峰士人が士郎を助けたからだが、結果的に最悪の場面に遭遇してしまった。

 士人は士郎を凛の元へ送り出す為、出口を塞ぐ黒騎使徒を展開した固有結界に閉じ込めていた。沙条綾香から渡された魔薬は霊体を活性化させ、魔術回路の機能を加速させ、魔力の回転率を過剰なまで上昇される効果を持つ。これによって空間そのものを塗り潰す呪詛を持つ使徒を、士人は半ば強引に捕えることに成功した。

 ……とは言え、その策は失敗に終わった。

 士郎は凛を助けられず、死に目にさえ会えなかった。

 

「―――……士郎か」

 

「じいさん―――!」

 

 ―――エミヤと衛宮。

 

「―――あら。早いですね、先輩」

 

 そして、士郎は大聖杯の眼前で、影の黒騎士となった魔人―――間桐桜を視界に収めた。














 姉妹喧嘩は終わりを迎える。魔法使いは死に果て、聖杯の魔人は狂い泣き、魔術師殺しは悪を撃ち、正義の味方は正義を嘲笑い、求道者の神父は邪悪に回帰し、泥人形は何もかもを祝福する。

 次回、大聖杯。

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