モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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スカイ・ラブ⑤

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はあの日以降、彼――世名友希君の事を自然と気に掛けるようになった。

 今まで隣の席になった男子は、会話を迫ってきたり、私と親密な関係になろうとしてか様々な行動を起こしてきた。そこには必ずと言っていいほど邪な感情を感じたし、授業中も頻繁に嫌らしい視線を向けられて、毎日のように私は苦痛を感じていた。

 しかし、彼はそんな今までの男子達とは何もかも違った。隣の席にも関わらず必要以上に私に喋り掛けてくる事も無く、授業中もたまに視線を向けられる事はあったが、そこに嫌な感情は感じる事は無かった。

 そう、彼は邪な考えを持って私に近付こうとはせず、ただのクラスメイトとして適度な距離で私と接してくれた。

 もちろんそれは私にとっては願ってもない事で、大変有り難い行為だ。でも、それが私は不思議で仕方無かった。どうして彼は、今までの人達と違うのだろう――と。

 

 次第にその疑問は彼に対しての関心、興味へと変わり、私はいつしか彼の事を知りたいと思うようになり始めていた。

 彼は私に対して一体どのような感情を抱いているのだろうか? 私が感じ取った通り、邪な事は考えていないのだろうか――そんな風に、日に日に彼の事を知りたいという気持ちは膨れ上がった。

 

 でも、だからといってこちらから「私の事をどう思っているの?」と問い質すような事は出来ないし、そもそもこちらから男子に話し掛ける勇気なんて私には無い。

 だから私はその疑問を抱き続けたまま、悶々と日々を過ごし続けた。そんな毎日を繰り返していると、段々と不安のようなものが心に浮かび上がってきた。

 やっぱり彼は私に隠しているだけで、内心では他の男子と同じように嫌らしい妄想を考えているのではないか――彼の気持ちを知らない事で、そんな邪推を浮かべてしまう事が増えてしまった。

 早く彼の思っている事を全て知って、この言い知れぬ苦悶から解放されたい。私はそう、密かに願い続けた。

 するとある日、神様がその願いを叶えてくれたのか、私はいつかと同じように偶然聞いてしまったのだ。そう、世名君と彼の友人達の会話を。

 

「はぁ……授業シンドイ。午後休みてぇ……」

「まあまあそう言わずに……頑張ろうよ、孝司君」

「そうだそうだ。もうすぐテストもあるし、少しでもその空っぽの頭に知識を埋めとけ」

「ま、すぐに抜け落ちるだろうがな」

「……お前ら俺を馬鹿にすんのも大概にしろよ?」

 

 会話の内容は至って普通の会話。昼休みに友人同士で交えそうな、他愛ない会話。私はそれを彼らに気付かれぬように、陰に隠れて聞いていた。

 私は今までも同じような状況に出会し、色々な真実を知った。だから今回も彼らの会話から、何か知る事が出来るかもしれない――そう期待を抱きながら息を潜めて聞き耳を立てていると、友人の一人がある話題を世名君へ振った。

 

「そういや前々から聞こうと思ってたんだが……友希、あの天城優香と隣の席な訳だけど、ぶっちゃけどうなの?」

 

 私の名前が出た瞬間、思わず身震いが起こった。

 知りたかった事が知れるかもという期待と、知りたくも無かった事を知ってしまうかもという不安。その相反する二つの感情を覚えながら、私は息を呑んでその会話の行き先を見守った。

 

「どうって……どういう事だよ?」

「いやだって学園のアイドルと呼ばれる美女が隣の席なんだぜ? 色々思う事あるだろ?」

「思う事ねぇ……」

「可愛いなーとか、良い匂いするなーとか、付き合いたいなーとか、男としてちょっとは考えるだろ!」

「孝司君、そんな事思ってるんだね……」

「彼女出来ないからって、妄想に逃げるのはオススメしないぞ」

「俺が常日頃そう考えてる訳じゃ無いからな!? でもほら、男ならそう考える奴も居るだろ? だから友希はどうなんだと思っただけだって! ほら、さっさと答えろよ! どーせムフフな妄想浮かべてたりすんだろ?」

「なんだよそれ……別に、そんなの考えてねーよ」

 

 と、世名君は考えるような様子を一切見せず、そう即答した。

 

「本当か?」

「本当だよ。そりゃ、可愛い子だなーとか思ったりする事はあるよ。けど、そういう卑猥な事妄想したりなんだりはしてねーよ。だって、相手もそういう事されるのは嫌だろ? 相手が嫌がるような事、俺はしたくないからな」

 

 そう、彼は迷い無く言い放った。それを聞いた瞬間、無意識にある言葉が安堵の吐息と共に私の口からこぼれ出た。

 

「よかった……」

 

 どうしてそんな言葉が出たのか、私自身にも一瞬理解出来なかった。けど心に目一杯の安堵の感情が広がっていくのは確かに感じた。

 きっと、安心したのだろう。彼の本心を聞いて、それが私の思っていた通りだった事に。彼は今までの人達とは違う。だからもう変に不安を抱かなくていいんだ、と。

 そして、嬉しかったんだ。今までの人と違って私の気持ちをしっかりと考えてくれている、彼の気持ちが。

 

「――誰か居るのか?」

 

 不意に、世名君がこちらの方へ顔を向けながらそう口を開いた。どうやら私の声を聞き取ったらしい。それに私は思わず動揺してしまい、慌ててその場から立ち去った。

 しばらく移動したところで、私は足を止めて荒れた呼吸を整える為に胸に手を当てながら、深呼吸をする。

 

「ふぅ……思わず逃げちゃった……でも、ようやく知れた……」

 

 ずっと知りたかった彼の考えを聞けた。そしてそれは私の望んでいたものだった。

 これでもう何も気に掛ける必要は無いんだ。彼の事は警戒する必要も無いし、安心していいんだ。彼は今までの人達とは違うんだから――それが自分が思ってた以上に嬉しかったのか、つい口元が綻んだ。

 

「あれ? こんなところで何してるのゆっちゃん」

 

 心のモヤモヤがようやく解けた事に歓喜にも似た感情を抱いていると、廊下の向こう側から歩いてきた由利が声を掛けてきた。それに私は慌てて表情を引き締め、彼女と向き合う。 

 

「ううん、特に何もしてないよ」

「そう? ……なんか、嬉しそうだね」

「え? そ、そう……?」

「うん。どことなくニッコリしてる。良い事あったの?」

「まあ……良い事はあった……のかな?」

「ふーん……ま、ゆっちゃんが嬉しそうならいいや。そろそろお昼休みも終わるし、教室戻った方がいいよ?」

 

 そう言って立ち去った由利に続いて、私も自分の教室へ向かって歩き出す。

 教室に戻ると、予鈴のチャイムが鳴ったので、私は真っ直ぐ自分の席へ向かった。しばらくすると、世名君も自分の席、私の隣に戻ってくる。私は彼が椅子に座った後、ふと彼の方へ目を向けた。

 瞬間――何故か私の胸がトクンと、一瞬高鳴った。そして次第に顔が熱を帯び、視線が釘付けになった。

 

 ――あれ? 私、どうして彼の事を見つめているんだろう? どうしてこんなに顔が熱いんだろう? どうしてこんなに……ドキドキするんだろう?

 

 その時私の中で起こった、確かな変化。その正体に私が気付くのは――これからしばらく経ってからだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 彼の本心を聞いて、もう私が彼の事を気に掛ける必要は無くなった――はずなのに、私はあの日以降もずっと彼の事を気に掛けていた。

 彼は安心出来る存在だという事は確認出来たから、警戒する必要も知ろうとする必要も無いのに、いくら時が経っても彼の事が頭から離れずにいた。

 授業中も無意識に彼の方へ視線が向いてしまうし、見ていると不思議と心の中が満たされるような感覚を覚えた。

 この感情は一体なんなのだろうか? なんで彼の事を考えてしまうの? どうして授業中に見られるという自分がされて嫌な事を、私自身が彼にしてしまっているのだろうか? そして、どうしてこんなにも温かい気持ちを感じるの?

 私の中に芽生えた経験した事の無い感情に、私はとても困惑し、その答えを考え続けた。

 

 しかしいつまで経ってもしっくりくる答えを見出せずに、時はどんどん流れていき、あっという間に冬休みを迎えた。

 休みの間も、私は暇があると彼の事を考えていた。その影響のせいで、冬休みの宿題もまともに手に付かない有様だ。

 本当に、私はどうしてしまったのだろうか――目の前に置かれた白紙の冬休みの宿題をぼーっと眺めながら、私はその事に頭を悩ませていた。

 

「――ゆっちゃん?」

 

 ふと、誰かに声を掛けられ、私は慌てて顔を上げる。すると視界に由利、海子、薫の三人が不思議そうな目をこちらに向ける光景が映り込んだ。

 そうだ、今は私の部屋に集まってみんなで冬休みの宿題をしていたんだった――その事を思い出し、私は慌てて声を掛けてきた由利に返事をした。

 

「な、何……?」

「どしたぼーっとして」

「もしかして、ゆっちゃんもお悩み中? どんなお悩み?」

「そ、それは……」

 

 会話の脈絡が全く掴めずに困惑していると、突然薫が口角を僅かに上げながら、ある言葉を言い放った。

 その言葉が、私の抱える問題を一瞬にして解決へ導く、運命の一言となった。

 

「もしかして、恋の悩みとかか?」

「えっ?」

 

 恋――薫は恐らくからかい半分でそんな事を言ったのだろうが、私はその言葉が引っ掛かった。

 私が抱き、悩み続けているこの感情……もしかしてこれは、恋なの……? つまり私は……彼に恋をしているという事なの?

 我ながら信じられなかった。私は絶対に、恋なんてするはずが無いと思っていたから。

 男の人から邪な目を向けられるようになってから、男性は私にとっては恐怖の対象でしかなかった。だから恋なんてするはずが無いと思っていた。その思考が、今までその可能性を無意識に捨てていたんだと思う。

 でも、薫に言われて初めてその可能性に気付いた。そして恋という感情が、今の私が抱く感情には、一番しっくりくる答えだと思えた。

 恋をしているから考えてしまう。恋をしているから見てしまう。恋をしているから見ていると心が満たされる――そう考えると、今までの疑問が全て解消される。

 

 でも、これは本当に恋なのだろうか? 私はまだ納得しきる事が、その時は出来なかった。

 理由は今まで恋をした事が無いから、これが恋という感情なのか、そもそも恋とはどんなものなのかよく分からなかったから。それにやっぱり自分が恋をするなんて、信じられなかった。

 

 けれどこの数ヶ月後――二年生に進学してすぐに、私はこの気持ちに確証を得た。

 学年が変われば、当然クラスも変わる。そして私の新しいクラスには彼――世名君の姿は無かった。

 海子や薫も違うクラスになってしまったし、仕方が無い事だ――最初の頃はそう思っていた。でも、日が経つにつれて、だんだんとその心境は変化していった。

 以前は同じクラスだったから、毎日のように彼の姿を目にしていた。けれど違うクラスになってからは、その頻度は格段に減った。その事に、私は次第に物足りなさを感じるようになった。

 彼と会えない事がとても寂しくて、彼の顔を見たいと思い続けていた。まるで心にポッカリ穴が空いてしまったかのようだった。

 

 どうしてこんなにも彼を求めるのかが自分でも分からなかった。けれど心は彼に会えない事で空虚に支配されていた。でも、時折彼の姿を見掛けた時は、その空虚は一気に幸福に満たされた。彼の笑顔が見れるのが、彼の声を聞けるのが、嬉しくてたまらなかった。

 この時、私はとうとう確信した。私は――彼に、恋をしているんだと。

 流石にもう疑いようが無かった。ろくに会話もした事無いけど、今まで男性に恐怖しか抱いてなかったけど、これを恋と言わずになんと言う――それぐらい、恋という経験の無い私にも十分理解出来た。

 

 それに気付いてしまったら、もう感情を抑え込む事が出来なかった。彼の事が好きで好きでたまらない、いつでも側に居たいと、私は強く思い続けた。

 でも恋なんて初めての経験。何をどうすればいいか私にはさっぱり分からず、今度はその事に頭を悩ませる事となった。

 でも今回は自分の気持ちをハッキリと理解出来ている。恋人になりたいという目標が、しっかりと私の中にある。問題は、そうなるにはどうすればいいのか、どのような手順を踏むべきなのかが分からない事だ。

 こればっかりは、私だけじゃどうにもならない――私は早急に自己解決を諦め、この事を由利に相談する事にした。他の二人にも相談しようかとも考えたが、海子は私と同じく恋愛関連には弱そうだと思ったし、薫は私には難しそうな案を出されそうだと思ったので、その時は相談しなかった。

 そしてある日の休み時間、人気の少ない場所で由利へ今までの事を全て伝えた。すると彼女はビックリしたような反応を見せてから、腕を組んで「むぅ……」と唸り声を上げた。

 

「ゆっちゃんが恋をねぇ……まさか本当にそうだとは思わなかったよ。それで、ゆっちゃんはその世名君と恋人になりたい訳だよね?」

「ま、まあ……そうなったらいいなぁ……って」

「なら、やる事は簡単だよ。告白すればいいんじゃないかな? その世名君って子に」

「こ、告白……!? いきなり過ぎない……? 私、彼とはろくに会話した事も無いし……」

「でもゆっちゃんはその子の事が好きなんでしょう? それなら告白する以外無いよ。こういうのは勢いだよ、勢い」

「で、でも……告白するにも私と彼ってまともな接点も無いし……」

「うーん……よし、なら良い考えがあるよー」

 

 そう言うと由利は「ちょっとここで待っててね」とどこかへ向かう。

 そして言われた通りその場で待つ事数分、由利が戻って来る。

 

「どこ行ってたの?」

「うんっとね、例の世名君とお話ししてきた」

「えっ!? は、話って……何を!? もしかして、私が好きだって事……」

「流石にそれは無いよー。ただ、私のお友達がお話あるらしいから、明日の放課後に屋上に来てー、って言ってきた」

「……え?」

「世名君もオッケーしてくれたから、ゆっちゃん、そこで思いきって告白しちゃおう」

「……えぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 由利の突然の提案に、私は思わず校舎中に響き渡りそうな大声を上げた。

 

「ななななな、何してるの由利ぃ!? ここここ、告白なんて、私無理だよ! しかも明日!? 急過ぎるって!」

「言ったでしょ、こういうのは勢いだって」

「で、でもだからって……いきなり過ぎるよ……もうちょっと色々と段階を踏んでから……」

「うーん……でも、ゆっちゃんの性格からすると、なんやかんやで告白を後回しにすると思うんだよねー」

「ど、どういう事……?」

「ゆっちゃんってスッゴい恥ずかしがり屋でしょ? だから仮に世名君と仲良くなって、キッチリ段階を踏んだとしても、告白するのは遠い遠い未来になる気がするんだよね。というか、仲良くなる為に話し掛ける事とかも出来なさそう」

「そ、れは……」

「でも、ゆっちゃんはやる時はやる子だからさ。だから、こんな感じに半ば強引にでも場を作ってあげれば、勇気が出るんじゃないかな――と思ったんだけど、余計なお世話だったかな? 流石にやり過ぎかな? やっぱり訂正してくる?」

「……ううん、大丈夫。ありがとう由利。きっと、これでよかったんだと思う」

 

 きっと由利の言う通り、普通の方法では私はいつまでもウジウジしてしまって、世名君に告白する事なんて出来ないかもしれない。

 けど、逃げ場の無い状況ならば、私でも告白出来るかもしれない。ううん、きっとそれぐらいしないと私の性格じゃ告白なんて無理かもしれない。めちゃくちゃで強引過ぎるけど、これが私にとっては一番助けになる協力かもしれない。

 結局のところ、思いを伝えなければ私の恋は実らないのだ。なら、告白は早いに越した事は無い。告白出来ずにいて、彼に別の恋人なんかが出来てしまっては、全てが終わってしまうのだから。

 

「私、頑張るよ。この気持ち、伝えてみせる」

「……うん、ファイトだよ、ゆっちゃん!」

「うん……!」

 

 彼の側に居れたら、きっととても幸せになれる気がする。私はその幸せが欲しい。だから絶対、この告白を成功させてみせるんだ――そう意気込んで、私は帰ってすぐに、告白の為の準備を始めた。

 する事は心の準備と、いわゆるラブレターの用意だ。別に口頭でもいいのだが、緊張で上手く言葉を伝えられないのは目に見えていたので、しっかりと自分の気持ちを、好きだという気持ちを文字として綴った。その恋文は自分でも驚くほどにスラスラと書けて、気が付いたら三枚も便せんを使っていた。

 

 そして翌日の放課後――私はラブレターを片手に、屋上で彼の事を待った。

 

「……だ、大丈夫……大丈夫……」

 

 そう言い聞かせながら、バクバクと鳴り響く心臓を落ち着かせるように胸に手を当てる。

 自分でも驚くほど緊張している。昨日はろくに寝付けなかった。こんな調子で大丈夫なのだろうか――今更不安に襲われていると、屋上の扉が開く音が耳に届いた。目を向けると、そこには世名君の姿が。

 

「……!?」

 

 それに更に心音が加速する。全身が熱湯風呂に入っているかのように熱くなり、頭の中もグルグル混乱した。

 正直恥ずかしさのあまり逃げ出したいという気持ちでいっぱいだった。けれど、ここで逃げたら全てが台無しになってしまう。勇気を振り絞って思いを伝えるんだと、私は自分に鞭を打って、どうにか彼と向き合った。

 彼も私の姿を見て少し驚いた反応を見せながら、歩み寄って声を掛けてくる。

 

「えっと……天城さん……だよね?」

「は、はい……!」

「昨日川嶋さんって人に言われて来たんだけど……もしかして、話があるっていうのは……」

「あ、その、えっと、わ、私……です! あの……ご、ごめんなさい、その、呼び出したりしてしまって……」

「いや、別に構わないんだけど……俺なんかに何の用が? 一度同じクラスで、隣の席になったぐらいで、まともに会話した事も無いよな?」

「え、えっと……」

 

 ここまで来たら、あとはラブレターを渡すだけ。それだけなのに、なかなか右手に持ったラブレターを背後から彼の前に差し出す事が出来なかった。あと一歩、どうしても勇気が出なかった。

 けど、私の事を真っ直ぐ見る彼の目を見て、私はその一歩を踏み出す勇気が――いや、踏み出したいという気持ちが一気に湧き上がった。

 ああ……やっぱり、私は彼の目が好きだ。この目にずっと見つめられていたい……彼の側にずっと居たい……彼に、愛されたい。だから伝えなくては……私の、特別な思いを。

 

「あ、あの……これ! 読んでください!」

 

 

 ◆◆◆

 

 

『――次は、白場、白場。お出口は左側です』

 

 ふと、耳に流れ込んできた機械音の混ざった流暢な女性の声に、回想を繰り広げていた私の脳はそれを打ち切り、次第に意識が現実に戻ってくる。

 まだ少しばかりぼーっとする頭をすぐに回し、私は今に至るまでの経緯を脳内で思い返した。

 昨晩の突然の大雪により電車が運行を停止してしまい、赤夜市にデートをしに来ていた私と世名君は白場市へ帰る事が出来なくなってしまい、急遽漫画喫茶で夜を凌ぐ事にした。

 そして今朝、雪は無事に止み、電車も運行を再開。私と世名君はそのまま漫画喫茶を後にして、白場市行きの電車へ乗り込んだ――そこまで思い返したところで、私は周囲を見渡した。

 窓の外には見慣れた白場の街の景色が広がっている。先のアナウンス通り、四十分近い電車の旅が終わりに近付いているようだ。

 

 降りる準備をしないといけないなと、私は膝の上に置いた荷物をしっかりと持ち、立ち上がろうとした――が、不意に視界の端に映った彼の姿に、私は浮かした腰を途中で止めた。

 私の隣には当然、一緒に電車に乗った世名君が座っている。だが彼は私と違って下車の準備を進めずに、腕を組んだ状態で背もたれに体を預けて、グッスリと熟睡していた。

 昨日は色々あったし、恐らく疲れが溜まっているのだろう。本当ならこのままゆっくり寝させてあげたいが、今はそうはいかない。

 体を軽く揺さぶろうと、彼の右肩に手を伸ばす。が、私は肩に触れる寸前で思わずその手を止めて、彼の顔をジッと見つめた。

 彼の寝顔はとても無防備で、どこか幼さを感じさせるとても愛らしいものだった。そんな彼の寝顔を見ていると自然と胸がドキドキと高鳴り、心が幸せな気持ちで満ち溢れた。

 それを感じて、私は再度実感した。ああ……私は、彼が好きなんだなぁ、と。

 

 正直、私が恋をするなんて、今でも不思議で仕方が無い。過去の経験から私は絶対恋愛なんてする訳が……いや、出来る訳が無いと思っていた。私が好きになれる男性なんて、決して現れる訳が無いと――そう思っていた。

 けれど、彼は私の前に現れた。自分でも呆気ないと思えるぐらい簡単に恋に落ちて、今では過剰なほどに彼を愛している。

 昔は特別な目で見られたく無い、誰も私を特別扱いしないで、関心なんて抱かないで――そう願っていたはずなのに、今は違う。

 世名君に私の事を特別な目で見てほしい、世名君にとっての特別な存在になりたい、世名君に愛してほしい。そんな正反対な事を心の底から願っている。私が否定しているものを、彼だけには求めている。

 自分でも不思議で、おかしな事だなと思う。けど、きっとこれが恋をするという事なんだ。人の根幹すら変えてしまうもの――それが恋なんだ。

 そして彼は、私に恋を教えてくれた。そのお陰で、今はこんなにも幸せだ。彼に恋している事が、狂おしいぐらいに幸福で、嬉しい。

 私は彼に会えてよかった。私は彼に恋してよかった。お陰で私は、少しだけど変わる事が出来た気がするから。

 

「ありがとう……世名君」

 

 とても語りきれない感謝を込めながら、私は小さく呟いた。

 その直後、電車が動きを止める。どうやら彼の顔を見つめている合間に白場に着いてしまったようだ。

 

「いけないっ……! 世名君、起きて起きて! 白場に着いたよ!」

「んっ……マジか……」

 

 まだ寝ぼけているのか、世名君はぼやっとした声をこぼす。しかし落ち着いている時間は無い。私は慌てて立ち上がって彼の手を取り、急いで出口へ向かう。

 どうにか扉が閉まる前にホームへ出る事が出来、私はほっと胸を撫で下ろした。

 

「よかった……乗り過ごしちゃうところだった……」

「あっ……と……悪いな、天城。迷惑掛けた」

 

 と、世名君が目を擦りながら私へ謝罪の言葉を告げる。

 

「い、いいよ謝らなくて。私も早く起こさなかったのが悪いし……って、ごめん! 手ぇ繋いだままだったね!」

 

 慌てていたせいで意識していなかったが、ガッツリと手を握ってしまっていた事に気付き、私はパッと彼の手を離した。

 

「え、えっと……世名君、もう目ぇ覚めた?」

「え? ああ、もうバッチリだよ」

「そ、そっか……じゃあ、そろそろ移動しよっか。朝で人も多いしさ」

「そうだな。帰ろうか」

「……うん、そうだね」

 

 帰るか……終わっちゃうんだな、私と世名君のクリスマスデート。

 デート自体はとても楽しかったし、大変満足している。それでも、やっぱり寂しい。さらにこの数時間後には、朝倉先輩が彼と一緒にクリスマスの夜を過ごすという事を考えると尚更だ。

 出来る事ならこのままずっと世名君と一緒に居たい。朝倉先輩なんて放っておいて、私だけを見てほしい。

 けど、今の私にはそれを求める権利は無い。だから、潔く諦めよう。

 

 わがままを言いたい気持ちをグッと抑え込んで、私は世名君と共に駅を後にして、家路を歩んだ。

 少しでも長い時間居たいのに、帰路を進む私達はあっという間に住宅街に辿り着き、すぐに世名君の家に到着した。

 

「……帰ってきたね」

「ああ……どうする? 天城の家まで送ろうか?」

「ううん、平気だよ。十分も掛からないんだからさ」

「そっか……気を付けてな」

「うん。それじゃあ……」

 

 クルリと背を向け、私の家の方面に足を一歩前に出す。が、次の一歩は踏み出さず、私は再び世名君の方へ向き直った。

 

「天城?」

「……世名君! 私、来年も世名君とこうしてクリスマスにデートしたい! 今度は恋人として、世名君の特別な人として!」

 

 彼を愛せるだけで、私はとても幸せだ。でも、それだけじゃ満足は出来ない。彼に愛される事が、今の私の求めるもの。

 その為には、死に物狂いで頑張らなくてはならない。海子達、他のライバル達に彼を奪われない為に。彼の隣に立つ為に、彼の愛を受け取る為に――私はこれからも、精一杯努力を続ける。

 

「その為に私頑張るから……だから! ……しっかり見ててね、世名君」

「……もちろん。しっかり見てるよ、天城の事」

「……うん」

 

 彼の真っ直ぐな、私の大好きな瞳を見つめながら、私は小さくほくそ笑み、頷いた。

 

「じゃあ……またね」

「ああ、また」

 

 最後に短い別れの挨拶を交わして、私は今度こそ家に向かって足を進めた。

 いつか必ず、彼の目を私に釘付けにしてみせる。彼も私と同じ愛を抱いてくれるように、私は頑張る。彼の特別になる為に、この恋を実らせる為に。

 

「愛してるよ――友希君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 優香の過去編、クリスマスデートもこれで完結です。
 次回はとうとう、最後の誕生日イベントです。どうぞお楽しみに。







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