「ううっ……さっぶ……!」
朝。深い眠りから目覚め、数分程度の時間を使って眠気を払拭してから、俺は部屋の窓を開いた。同時に眩しい朝日と、突き刺さるような冷気が寝起きの俺を襲う。
今日はかなり冷えるな……昼辺りには暖かくなっていてほしいところだけど、どうなんだろうか。
枕元にあったスマホを手に、本日の気象情報を確認する。そこから手にした情報は、本日の午後は午前中以上に冷え込みます。都内では雪が降る可能性もあるので、防寒対策はしっかりしましょう――という、俺の希望とは正反対のものだった。
そう思い通りには行かないか……というか、雪降るかもしれないのか。あんまり激しくって感じでは無さそうだけど、折り畳み傘ぐらい持って行くか。
「……あれこれ考えるのは後にして、先に朝飯食うか」
ポツリと呟き、俺は部屋を出てリビングへ向かった。
つい先日年を越したばかりな気がするが、いつの間にやら一月も終盤。今日は今年に入って四回目の日曜日だ。
普段ならこんな寒い日は家に入り浸ってゆっくりしたいところだが、今日は先日から続けている彼女達とのデート日。なので、そういう訳にはいかない。
本日の相手は、朝倉先輩。例の如くデート内容は知らされておらず、今から数時間後に駅前で待ち合わせの予定だ。それまでにきっちりと準備を済ませなくてはならない。
俺は手っ取り早く朝食を済ませ、自室に戻り、早速準備を開始。今回は海子の時のように何かを持って来いという指定も無かったので、必要最低限の荷物を用意。それから本日の天候に適した服を選択する。
「これと、これ……あとは、これかな」
誕生日に朝倉先輩から貰ったトレンチコートを取り出す。正直これは俺の手持ちの服で一番防寒性能が優れていて、オシャレな服だと思う。
今更ながら良いものを貰ったんだなぁ、などと考えながら、それを含めた本日の服装も決定。あとは適当に身だしなみを整え、時間が来るのを待つだけだ。
相変わらず準備があっさりしているな、俺。まあ、これが俺らしさだろう。変に気合を入れても空回りするだけだろう。
今日も今まで通り、自然体で楽しむだけ。何も考えずに、流れに身を任せればいいんだ。そうすれば自ずと、楽しくて良い一日になる。……まあ、朝倉先輩相手だと、かなり振り回されそうだけど。でも、それもある意味楽しいに入るのかもしれないな。……すっごい疲れるけど。
今日も沢山からかわれるんだろうなと覚悟しながら、俺は時間が来るまで読書で暇を潰す。
そして数時間後。約束の時間が近付いてきたので、読書をキリの良いところで切り上げて、家を出る。外は朝起きた時よりも寒さが増していて、しばらく立ち止まっていたら凍り付いてしまいそうだった。
一応早めに出たけど、もしかしたら朝倉先輩は先に駅に着いて待ってるかもしれないな。この寒さの中、長時間待たせる訳にはいかないな。
先輩よりも先に白場駅に辿り着く為、ついでに体を温める為に、少し小走りで駅へ向かう。
そのお陰か、通常よりも数分ほど早く駅前に到着する。そのまま早速、先輩との待ち合わせ場所である時計塔前に向かう。
ここの時計塔は待ち合わせ場所としてよく使われる場所である為、既にそこには大勢の人がたむろっていた。が、朝倉先輩らしき人影は見当たらない。
どうやら俺の方が先に着いたみたいだな。なら、待たせる心配も無いか。
ホッとしながら、適当な場所で先輩を待とうと足を前に出した――その時。
「だーれだ?」
という、耳をくすぐるような囁き声と共に、ヒンヤリとした人の手と思われるものが俺の視界を覆い隠す。同時に、とてつもない弾力を誇った大きな二つの丸い物体が背中に押し当てられる。
こ、この声……それに背中に当たるどことなく覚えのある、柔らかい双球は……やっぱり、あれだよな。
それが何か理解した瞬間に、冷風で冷え切っていたはずの体が風呂上がりのように熱くなる。それを知ってか知らずか分からないが、背中の球体は明らかに故意的に密着距離を狭めてくる。
このままでは弾力という名の暴力に俺の理性が壊されてしまう。それだけは避けねばならんと、俺はきっと楽し気な笑みを浮かべているであろう背後の人物に声を掛けた。
「何してるんですか、朝倉先輩……」
「あら、正解。よく分かったわね?」
「そりゃまあ……分かりますよ」
胸で――と一瞬言い掛けたが、ギリギリで飲み込む。
「で、何のつもりですか? これ」
「恋人ってこういう事をしたりするんでしょう? だから、私もやってみたいと思って」
「どこで仕入れたんですか、そんな知識……まあ、それはいいとして……いつまでやってるんですか?」
こうして会話している合間も、俺の両目は先輩の両手に覆われたままで、若干距離は離れたが胸も背中に当たったままだ。出来る事なら早く解放されたいが、先輩は全く動く気配が無い。
「ウフフッ、最初はすぐに解放してあげようかと思ったのだけれど、思ったよりこの状況が楽しくて。もう少しこのままでいていいかしら?」
「な、なんですかそれ……」
「それとも、友希君はこうされるのは嫌?」
「嫌、では無いですけど、その……恥ずかしいというか……」
そう言った矢先、背後からフフッ、という先輩の笑い声が聞こえる。
それになんとなく嫌な予感を感じた瞬間――再度、先輩の胸が俺の背中に深く密着する。
「嫌じゃないなら、もっとこうしていていいわよね?」
「ちょ……!? だからってそんなに寄らなくても……!」
「フフッ、本当に可愛い反応。はい、離してあげるわ」
パッと、先輩の両手が俺の目から離れる。ようやく暗闇、そして幸せなようでとても恐ろしい弾力から解放され、俺はすぐさま背後に視線を移す。その先には当然朝倉先輩の姿が。彼女はクスクスと、愉悦を堪能したと言わんばかりの笑顔を浮かべていた。
「ごめんなさいね。友希君の反応を見てたら、ついからかいたくなっちゃって」
「毎度毎度、飽きませんね……」
「飽きる訳無いわ。だって、友希君の慌てた様子、大好きだもの」
唇に人差し指を当てながら、先輩は艶笑を浮かべる。
この人はブレないな……まあ、彼女のからかいにはもう慣れてきたし、こっちも嫌な思いはしてないんだし構わないんだけど、あんまり過度にやられると色々疲れる。
でも、彼女の楽しそうな姿を見るのは嫌な気はしないし、楽しんでくれてるなら、こっちも嬉しいけど。
「落ち着いたかしら?」
「……まあ、なんとか」
「ならよかった。ところで……よく見たら、今日もそのコート、着てくれたのね」
「これが一番暖かいんで。そういえば、先輩も……」
「ええ。クリスマスに着てたコートよ。フフッ、またペアルックね」
身に纏った白いコートの端を摘まみながら、嬉しそうに微笑む。きっと、俺がこのコートを着て来る事を読んでいたのだろう。
「それはさて置き……そろそろ行きましょうか」
「あ、はい。ところで、今日の予定とかは?」
「特に決まってないわ」
「え? 決まってない……?」
予想外な返答に、思わず素っ頓狂な声が出る。
「今日はね、自由にこの街を歩き回ってみようと思うの。予定は決めず思うがままに、気ままにね」
「ま、またどうして……?」
「私、この街に来てそれなりに経つけど、まだ見ていないところがいっぱいあるわ。そんな場所を自由気ままに巡って、そこで見つけたものを友希君と一緒に体験したらとても楽しいんじゃないかって思ったの。良いと思わない?」
腕を後ろで組み、俺を覗き込むように姿勢を低くしながら、先輩は少し体を傾ける。
自由気ままに歩き回るか……なんというか、先輩らしい提案だな。何にも縛られず自由に、気まぐれに進んで行く感じ。こういうところが、先輩の良いところなんだろうな。
「分かりました。この街、一緒に見て回りましょう」
「そう言ってくれると思ったわ。それじゃあ……」
そっと俺の右腕を掴み、そのまま流れるような動作で腕を絡ませる。さっきまで背中を襲っていた感触が、今度は右腕に広がる。
「一緒に行きましょう、愛しい愛しい友希君」
「……は、はい」
今日も大変そうだな――そんないつものとは別に、不思議と安心感にも似た感情を抱きつつ、俺は先輩と共に白場の街へと繰り出した。
◆◆◆
「――で、予定も無く歩き回るのは良いですけど、これからどうします?」
白場駅を離れてしばらく経った頃、人が行き交う街道を歩きながら、俺の腕に絡んで、なんの恥じらいも無く自らの豊満な胸を押し付けている朝倉先輩に問い掛ける。先輩は顎に人差し指を当てながら、視線を斜め上に向けて考え込む。
「うーん、そうねぇ……とりあえず、互いに気になったものを見かけたら立ち寄ってみるって事でいいんじゃなかしら?」
「なんか、大分ざっくりとしてますね……全然構わないんですけど」
「まあ、時間はたっぷりあるんだし、焦らず行きましょう。それに……」
そこで言葉を切り、先輩はさらにこちらへ身を寄せ、顔を俺の肩の辺りに押し当てる。
「私はこうして友希君と寄り添えるだけで幸せだから、このままずっとブラブラしていてもいいんだけどね」
「先輩、流石に近過ぎですよ……!」
「もう、今更じゃない。友希君も嫌じゃないでしょう?」
心を見透かしていると言わんばかりな眼に、思わず息が詰まる。
当然、男としてこんな状況が嫌な訳無いが、今は街中だし周囲の目もある。ただでさえ先輩は目を引く存在なのに、これでは余計に視線を集めてしまう。あと、単純に恥ずかしい。
「ほ、ほら! こんなに密着してたら歩き難いですし! 転んで怪我したら危ないですし!」
「言われてみれば、そうね。ごめんなさい友希君」
と、先輩は少しだけ距離を離す。やはりまだ腕は組んだままで、彼女の胸は当たっているのだが、それでもあの極限までの密着状態に比べればマシだ。
「じゃあ、どこか座れる場所を探さないとね。座っているのなら、どれだけ密着しようと問題無いものね?」
「って、そういう問題じゃないですよ!」
「ウフフッ……本当、友希君の反応は可愛らしいわ」
「全く……」
「フフッ……あら? ねぇ友希君、あれ」
不意に、先輩が道の先を指差す。
「あそこにあるお店、いわゆるゲームセンターよね?」
「え? ああ、本当ですね。こんな場所にゲーセンあったのか……あんまりこっち側は来ないから、知らなかった」
「……ねぇ、良ければあそこで少し遊んで行かない?」
「へ? も、もちろん良いですけど……急ですね」
「今日は自由気ままに、でしょ? なんだか前の事を思い出してね」
先輩はクスリと微笑み、こちらへ目をやる。
「ほら、私と友希君が初めてデートした時も、ゲームセンターに寄ったでしょう?」
「ああ、そういえばそうでしたね」
「あの時はすぐに出てしまってあんまり遊べなかったから、今回はいっぱい遊ばない? まだまだゲームセンターには遊べるものが色々あるんでしょう?」
「そうですね……前はクレーンゲームだけだったし、今回は色んなゲームで遊びましょうか」
「ええ。フフッ、やっぱりこういう未知のものを体験するのは、楽しみなものね」
と、先輩は少しワクワクしたようにほくそ笑む。
今までも何度かあったけど、先輩って意外と好奇心旺盛なんだよな。自分の知らない事に対して、子供のようにワクワクしている。大人らしい先輩だけど、こういう可愛らしい一面もあるんだよな。
「どうかした? 早く行きましょう」
「あ、はい」
俺と先輩はそのまま、最初の目的地にしたゲームセンターに向かって歩き出す。
店の中に入ると同時に、ゲーセン特有の騒音が鼓膜を刺激する。
「やっぱり、相変わらずうるさいところね……でも、これがこういう場所の醍醐味なんだっていうのが、今は分かる気がするわ。友希君達と色んな事を経験したからかしらね?」
「そうですか? なら、よかった……のかな?」
「きっと良い事よ。さあ、色々回りましょうか」
頷き、先輩と一緒にゲーセン内の散策を開始する。
「本当、色んなゲームがあるのね……」
先輩は目に映る物全てが物珍しいのか、興味の眼差しをあちこちに向ける。
「……友希君、あれはどんなゲームなのかしら?」
「ん? あれは……音ゲー、ですかね」
「音ゲー? それはどんなゲームなの?」
「えっと……音楽のリズムに合わせて、ボタンを叩いて、スコアを競う……みたいな感じです。ほら、あんな感じで」
丁度プレイしている人が居たので、そちらを指し示す。
「ふぅん……なるほど。あの上から流れて来るものにタイミングを合わせて、ボタンを叩くのね。にしても、あの人かなり上手ね。素人目でも分かるわ」
「ですね。音ゲーは、恐ろしいぐらいやり込んでる人も居ますから」
「そうなの。友希君は、どれぐらい出来るの?」
「俺は……正直あんまり得意では無いですかね」
「あらそうなの? 折角だから、友希君に手取り足取り教えてもらおうと思ったのだけれど」
「すみません……というか、その言い方はちょっと……」
わざとなのか天然なのか……まあ、あんまり突っ込み過ぎないでおこう。
「で、どうします? 先輩、プレイしてみます?」
「そうね……折角だから友希君と一緒に、出来れば一勝負でもと思ったけど、苦手なら無理強いする訳にはいかないわね」
「あ、別に気にしなくてもいいですよ。プレイするのは嫌いでは無いですから。先輩が一緒にやりたいなら、やりますよ」
「本当? なら……お願いしちゃおうかしら。あれで対決といきましょうか」
「望むところです。まあ、まともな勝負になるか分かりませんけど」
「私も全く触れた事が無いんだから、そんな事無いと思うわよ。……そうだ」
不意に呟くと、先輩は少し口角を上げながら、ある提案を持ち掛けてくる。
「この勝負、勝った方が一つお願いをするっていうのはどう? 毎回、勝負事の時はそうしていたし、今回もどうかしら?」
「……それ、なんか俺が負ける気しかしないんですけど。毎回そうだし」
「そうだったかしら? でも、さっき言った通り私は全くの初心者。友希君の方が有利じゃないの?」
そうは言うが、こんな提案を持ち掛けてきたんだ。彼女は勝てる自信があるのだろう。
彼女はどんな事でも、すぐに自分のものにしてしまう才能がある。きっと他の人のプレイを見て、ある程度コツが掴めていてもおかしくない。実際に触れれば、あっという間にものにしてしまうだろう。
だから、正直俺の勝ち目は無いに等しい。待っているのは、俺が敗北して先輩の要求を受け入れる未来だ。
しかし、可能性は無くは無い。先輩自身が言う通り、彼女は全く音ゲーの経験が無い。ならば、奇跡的に俺が勝つ可能性も無くは無い。
今まで散々負けてきたんだ。お願い云々関係無く、たまには先輩に勝ってみたい。ずっと負けっぱなしなのは、俺も悔しい。
「分かりました。受けて立ちます」
「そう言ってくれると思ったわ」
ニヤッと、先輩は嬉しそうに口角を上げる。
「そうだ、折角だからこのゲーム以外でも対戦しましょうか。最終的にどっちが多く勝つか……ってルールで」
「うっ、予想外の提案……でも、それも受けてやりますよ」
「流石友希君、男らしいわね。惚れ直しちゃうわ」
「そ、それじゃあまずは音ゲー勝負ですね! 手加減はしませんよ」
「フフッ……ええ、全力で行きましょう」
互いに視線を交わし、最初の対決の舞台である音ゲーの機械の前に立つ。
なんだか、ちょっと楽しくなってきたな。やるからには、絶対に勝ってやる!
そして、約一時間後。やっぱりと言うべきか、俺と先輩のゲーム対決は、俺の完敗という結果で終結した。
音ゲーでは、最初の方はミスが目立っていたが、中版辺りからミスが無くなりそのまま逆転。その後に行ったレースゲームや格ゲーといった他のゲームによる対戦でも、先輩は同じくあっという間にコツを掴み、俺を圧倒した。
まさかここまでボコボコにやられるとは……本当にやった事が無いのか疑いたくなるぐらいに上手にプレイしてたな。分かってはいたけど、本当に凄いな、朝倉先輩は。
「ふぅ……ゲームも意外と疲れるものなのね」
ゲーセンを出てすぐ、先輩は右手でパタパタと風を起こす。額には微かに汗が滲んでいる。相当真剣にプレイしていたようだ。まあそれはこちらも同じで、俺も結構汗だくだ。風が一層冷たく感じる。
「でも、とっても楽しかったわ。付き合ってくれてありがとうね、友希君」
「ならよかったです……俺も楽しめましたよ。全然勝てませんでしたけど」
「そう。……ところで、例の約束は覚えてる?」
こちらの顔を覗き込みながら、先輩は軽く首を倒す。
「……ええ、覚えてますよ。負けは負けですし、約束は守りますよ。ただ、可能な範囲ですからね?」
「分かってるわ。さて、どうしようかしら……」
どことなくウキウキした様子で、先輩は頬に手を当てながら、上空をジッと見上げる。
先輩も限度ってものは理解してるだろうけど、それでもギリギリな範囲のお願いをされるんだろうな。で、俺はいつも通りそれにキョドって、先輩はそれを楽しそうにクスクス微笑みながらからかうんだろう。本当、先輩は良い性格してる。
でも、不思議と許せちゃうんだよな……朝倉先輩だしって感じで。俺もなんだかんだで、こういうやり取りが気に入っているのかもしれない。
などという思考を終了させると同時に、考えが纏まったのか、先輩が視線をこちらへ戻す。どんなお願いにしたんだろうかと緊張している俺に向かって、朝倉先輩は真っ直ぐ言葉を吐いた。
「決めたわ。友希君、この後のお昼、奢ってくれないかしら?」
「…………え?」
予想よりも遥かに下回る――というより、方向性が全く違った先輩のお願いに、つい数秒ほど言葉が詰まる。慌ててかぶりを振り、頭の回転を戻してから、口を開く。
「そんなんでいいんですか……? てっきり、もっとその……恥ずかしい感じのお願いされるかと思ってたんですけど」
「あら、友希君はそういうお願いがよかった?」
と、上目遣いで俺を見据えながら、胸を強調するように少し前のめりになる。
「そ、そういう訳じゃ……!」
「冗談よ。もちろん、そういうのも考えはしたけど、今日はいいかなって。だって――」
先輩はそこで言葉を切り、ギュッと、俺の腕にしがみ付く。
「今日はもう十分私の好きにやらせてもらってるし、現状で満足だと思ってね。だからこういうお願いにした訳。納得した?」
「い、一応……でもそれなら、あんな賭け事しなくて良かったんじゃ……」
「そうね。まあ、楽しめたからいいじゃない」
「そんな適当な……」
本当、この人は自由だな……まあ、先輩が楽しんでるなら、それでいいか。
「それじゃあいい時間だし、早速お昼にしましょうか。奢ってもらうんだし、友希君の好きなお店でいいわよ」
「じゃあ……近くにラーメン屋があったんで、そこにしましょう」
「ラーメン屋……ラーメン自体は食べた事があるけど、そういうお店に行くのは初めてだわ。早く行きましょう」
ワクワクしたような声を出しながら、先輩は寄り掛かるように俺に寄り添う。流石にこの程度の接触には驚く――事は無い事も無く、相も変わらずドキッとしながら、視界に見えるラーメン屋に向かって歩き出す。
店内はそれなりにお客が集まっていたが、どうにか奥の方に二人分の席が空いていた。それを見て先輩は早速その席に向かおうとしたが、俺は慌ててそれを止めた。
「あ、先輩。まずは食券買わないと」
「食券?」
「あ、やっぱり知らないですか。えっと、まずはこの機械で欲しいメニューを選ぶんです」
説明しながら、入口付近の券売機を指す。
「へぇ、そうなの……便利な仕組みね」
先輩は感心したような目で、券売機を眺める。
興味津々だな……こういう時の先輩は、とても楽しそうだ。未知の存在との対面というのは、彼女にとって最上の愉楽なんだろう。
「観察はその程度にして、そろそろ決めましょうか。迷惑になっちゃいますから」
「そうね。どれにしようかしら……友希君は何にするの?」
「俺は……無難に醤油ラーメンですかね」
「そう……じゃあ、私もそれにしようかしらね」
ピッと、二人とも醤油ラーメンの食券を購入して、店員さんへそれを渡す。
それから席に着き、待つ事数分。注文した品が俺達の下に届く。
「あら、なかなか美味しそうね。いい匂い」
「冷めない内に、早く食べちゃいましょうか」
「そうね。まだまだいっぱい、友希君と街を巡りたいしね」
「そういえば、この後はどっち方面に行きますか?」
割り箸を先輩に渡しながら、問い掛ける。
「そうね……このまま西の方に、真っ直ぐ進んでみましょうか」
「西ですか……そっちはあんまり行った事無いな……」
「私もよ。どんな発見があるか、楽しみね」
「ですね。なんか、ちょっとした冒険してるみたいで、楽しいですね」
「フフッ、そういう事言うなんて、やっぱり友希君も男の子ね」
大人びた微笑みを浮かべながら、先輩は割り箸を割って、ラーメンを掴み取り、口元まで運ぶ。そのまま左手で髪を除けながら、目を閉じてゆっくりと息を吹き掛けて、麺を冷ます。
「はふっ…………んっ……ふぅ……」
そして麺を口に運び、ゴクリと喉へ流し込む。その一連の流れが無駄に色っぽくて、つい目を奪われてしまった。
先輩……なんというか、大人の色気みたいなのが凄いな。こんなにラーメンを色っぽく食べる人初めて見た。こんなの目の前で見せられたら、色々と集中出来んぞ。
「ん? どうかした?」
「えっ!? いや、何も! 伸びちゃうし、早く食べましょうか!」
「……そうね」
若干、ニヤリと朝倉先輩の口元が上がった……気がした。
その後、先輩の食べ方の色っぽさが強まった気がしたが、きっとそれも俺の気のせいだろう。きっと。
◆◆◆
ラーメン屋を後にしてから、俺と先輩は街の散策を再開した。
当ても無く、ただブラブラと西へ向かって進む途中、俺達は様々な場所を見つけ、立ち寄った。
見た事の無いスイーツが売ってある店や、古めかしいアンティークショップに、ちょっと怪しげな古本屋など。沢山の場所を巡り、堪能した。
そしてデート開始から約四時間。俺達は駅から遠く離れた街外れにある住宅街に来ていた。
「随分遠くまで来たわね」
「ですね……もうすぐで、白場から出そうですよ」
「あら、そんなに歩いたのね。友希君、疲れてない?」
「俺は大丈夫です。先輩は?」
「私も平気。むしろ、友希君に抱き付いてるお陰で、いつもより元気なぐらいだわ」
「そ、そうですか……」
俺はどちらかと言えば、抱き付かれてるせいで疲れてる。もちろん嫌では無いが、歩く度に彼女の胸の感覚が伝わってくるから、緊張で心身共に休まらない。我ながら、よく理性を保てているものだ。
「それはともかく……どうします? あんまり遠くに行き過ぎると、帰りが大変ですけど……」
「そうね……帰りの時間を考えると、そろそろ引き返してもいい時間かもね。雲行きも怪しいし」
と、先輩は空を見上げる。確かに、そろそろ天気が崩れてもおかしくない。
「……ここから先はずっと住宅街が続いてるだけみたいだし、引き返してもいいかもね」
「じゃあ、駅の方に戻りますか?」
「そうね、少し名残惜しいけど……あら?」
「どうかしました?」
「……あっち、何か見えるわ」
と、先輩は真横にあった、人一人がギリギリ通れそうな細い道の先を指差す。
「あれは……鳥居……に見えますね」
「ええ。もしかして、神社でもあるのかしら?」
「さあ……?」
「……気になるし、ちょっと行ってみない?」
「えっ、いいですけど……他に行けそうな道、見当たりませんよ?」
「なら、ここを通ればいいわ。他の道を探すのは面倒だしね」
先輩は俺から離れ、細道の前に立つ。
「そのまま前進して進むのは難しそうね……体を横にすれば行けるかしら」
ブツブツ呟きながら、先輩はその場でクルリと九十度回転。そのまま蟹歩きで細道に進入する。確かに、普通の人ならあれで通れるだろう。
しかし、先輩は恐らくそれでは無理だ。何故なら先輩は――その事に俺が気付いた時には、もう手遅れだった。
「んふっ……!」
と、先輩が吐息交じりの声を漏らす。胸が突っ掛かり、壁に挟まってしまったのだ。
そう、この細道は俺でも通れるか分からないレベルの細さだ。そんな場所を普通の人より大きいものを持つ彼女が進めば、当然そうなる。
「だ、大丈夫ですか……?」
「え、ええ……流石に、無理があったようね……」
先に進むのは諦めたのか、先輩はこちらに戻ろうと体を
「んっ……あっ……ん……!」
が、その度に石造りの壁に彼女の胸は擦り付けられてしまい、割と敏感肌な朝倉先輩は、男が昂りそうな艶っぽい声をこぼす。
このままでは色々とマズいと瞬時に判断した俺は、早急に彼女に手を伸ばす。
「先輩! 俺が引っ張るんで、ジッとしてて下さい!」
「ご、ごめんなさい……お願いするわ……」
ゆっくりと差し出された右手を掴み、俺は彼女を傷付けないように気を付けながら引っ張る。
が、まるで彼女の胸を手放してなるものかと言わんばかりに、細道を作り出す石の壁は朝倉先輩を解放しようとしない。
「クッソ……! 全然抜けん……!」
「あっ……んぐっ……! 友希君、もうちょっと優しく……んんっ……!」
「ごめんなさい! 気持ちは分かりますけどちょっと口閉じててもらえますか!? 有らぬ誤解が生まれそうなので!」
これ以上この状況が続くのは、朝倉先輩にとっても、俺にとってもよろしくない。早く抜け出さなくては!
有りっ丈の力を込めて、先輩を腕を引く。するとようやく、先輩の体が壁の間を抜け、彼女の胸が石壁から、俺の胸に密着箇所を移す。
「はぁ……なんとかなった……先輩、大丈夫ですか?」
「ええ……どうにかね……」
肩で息をしながら、先輩は疲れ切った体を休めるように俺にもたれ掛かる。若干頬が赤いのは……そういう事だろう。
「……落ち着きましたか?」
「なんとか……全く、酷い目にあったわ。ちょっと胸がヒリヒリするわ……」
そう言いながら、先輩は俺から少し離れ、自分の胸を優しい手付きで押さえる。なんとなく見てはいけない気がしたので、俺はサッと目を逸らす。
「さ、災難でしたね」
「まあ、原因は私の無謀な行動にあった訳だし、自業自得だわ。にしても、粗い石壁ね。まだヒリヒリするわ」
「し、しばらくしたら治まりますよ」
「そうだろうけど……ねぇ、友希君。痛みが治まるかもしれないから、ちょっと撫でてくれない?」
「なっ……!? 何言ってんですか! というか自分でやれば……!」
「愛する人にやってもらった方が、効果があると思って。まあ、冗談だけど。流石にそこまで破廉恥な女じゃないわよ」
と、先輩はクスクスといたずらな笑みを浮かべる。
「全く……で、神社はどうするんですか?」
「そうね……この道はもうこりごりだけど、気にはなるわ。他の道を探してもいい?」
「はい。じゃあ、少し進んでみましょうか」
神社らしき場所の位置を確認してから、先に進む。
数分ほど進むと、神社の方面へ繋がるちゃんとした道を発見。そこを進んで、改めて神社の方へ。
「やっと着いたわね……こんなにすぐ着くなら、最初から向こうのルートを探せばよかったわ」
「あはは……にしても、本当に神社でしたね」
「ええ……階段、結構長いわね」
言いながら、先輩は首を上に向ける。
「確かに長いですね……百段は超えてそうですね」
「そうね……どうする?」
「ここまで来たんだし、一番上まで行きましょう」
「そう言ってくれると思ったわ。じゃあ、上りましょうか」
手を繋ぎ、俺と先輩は長い長い階段を上り始める。
時折休憩を挟みながら上る事、数分。ようやく、終点に到着する。
「着いたぁ……思ったより長かったですね……」
「ええ……足腰を鍛えるにはいいかもね。でも……苦労した割には、何も無いわね」
先輩は背筋をピンと伸ばし、辺りを見回す。
階段の先にあったのは、極々普通なお堂だけ。他は木々が生い茂っているぐらいだ。
「正直、肩透かしを食らった気分ね……残念だわ」
「まあ、たまにはこういう事もありますよ」
「それもそうね……あら? お堂の奥、道が続いてるわね」
「え? ……あ、本当だ」
先輩が指し示す方には、確かに木々に囲まれた一本道がある。
「……行ってみましょうか」
「ですね」
何があるのだろうかという期待と、また肩透かしを食らうのではないかという不安を抱きながら、先に進む。
そして、その道の先にあったのは――俺達の予想もしてなかった、素晴らしい景色だった。
「これは……」
「……素敵」
俺達が辿り着いたのは、小さな広場。なんとそこからは、まるで上空から見下ろしているかのように、白場の街が一望出来た。
「高台にあるからもしかしてとは思ってたけど……壮観ですね」
「ええ……ここが、私達が暮らす街なのね。そして今日、私と友希君はこの街を巡った。といっても、ほんの一部だけど」
「そうですね……俺達の街は、こんなにも広いんですね」
「……いつか、全て巡ってみたいわね。二人で」
そう呟きながら、先輩は風に靡く自分の髪を撫でる。
「……あら?」
「どうしました?」
「これは……降ってきたみたいね」
朝倉先輩の言葉の直後、目の前を白い粒が通り過ぎる。
雪だ。上空から舞い降りた白き結晶達が、白場の街に降り注がれる。
「……幻想的ね」
「夜とかだと、もっと幻想的なんでしょうね」
「暗くなるまで、待ってみる?」
「そ、それはちょっと……」
「そうよね。……でも、いつか見たいわね」
「……そうですね」
「……さて」
先輩はクルリと方向転換して、街に背を向ける。
「雪も降ってきちゃったし、そろそろ帰りましょうか。風邪引いちゃったら、台無しだもの」
「ですね。あ、俺は傘持ってるけど……先輩は?」
「ああ、忘れちゃったわ。一緒に使わせてくれる? こういうの、相合い傘ってやつよね?」
「そ、そうですね」
それがしたくてわざと忘れたんだろうな……全く、先輩は抜け目が無いな。
「じゃあ、行きましょうか」
「ええ。……あ、友希君ちょっと待って」
「……? どうかし――」
瞬間。先輩は一気に距離を詰めて――俺の頬に唇を押し当てた。
「…………ちょ!? いきなり何を……!?」
「フフッ、雪で頬に雫が付いてたから、取ってあげたの」
「んなっ……! だ、だったら教えてくれたら……!」
「ごめんなさい、体が先に動いちゃって。許して頂戴。だって私――世間知らず、だから」
そう、唇に指先を添えながら、いつか言っていた言葉を口にして、先輩は満面の笑みを浮かべた。その綺麗で、とても愛らしい笑顔に、俺は何も言い返せなかった。
本当にこの人は、自由で、気まぐれで、俺をよくからかって、そして――いっつも、楽しそうだ。この笑顔が、俺と一緒に居るから出ているのだとしたら嬉しいし……ちょっと、誇らしく思える。
「さあ、帰りましょうか。ちょっと寄り道でもしながら……ね?」
「……はい」
敵わないなぁ、この人には。
こうして今回のデートは、最初から最後まで、先輩にからかわれ続けて終結したのだった。