夜更けかと思うほどの暗さに、囂々と水の流れる音の中で男女の声が重なった様な奇怪な声が響いていた。
倫敦ブリッジが落ちた。と、何度も繰り返し歌い所々ノイズのように掠れて聞こえるのは、笑いを堪えて歌っているらしかった。
ぱちぱち
故障してショートしたように火花を散らす街灯の下で、川と言うべきか堀と言うべきなのか。水路と道路の境界線に設置されたガードレールの隙間から、足を投げ出す者がいた。身につけた群青の法衣と豪華な袈裟は地べたで汚され、それを気にするでもなく子供のように脚をぶらつかせている。
眺めているのは、いつも鎮座していた中州が濁流に飲まれて、低木にそこら一帯をぼうぼうに生えていた雑草やらが溺れて凪いでいるところ。可哀想に、せっかく花開いていた勿忘草は水流に負けて散ってしまっている。
____ここは、黒崎杏の精神世界。
ここに住まう斬魄刀の群青飛鷺は、愉快で仕方がなかった。
普段、清涼の気を表したかの様に静かに流れていた水は今や、杏が普段表に出さないように押さえ込んだ黒崎一護に対する感情で荒ぶっている。
この水路を一杯に満たす水が、その全てを表していた。それが群青飛鷺にとってはあまりに愉快で堪らない。今にも氾濫しそうに猛々しく流れる川面。
ずぶり、と足を差し込むと足が取られそうなほどの勢いと水流から諾々と流れ込む杏の感情が、さらに群青飛鷺の笑いを誘った。
_____全てをぶち撒けたい___恐ろしい___一護に、
_____許されたい
_____愛したい、___愛されたい
_____死にたくなかった____居なくなりたい____認められたい
_____彼の成長を邪魔したくない、嫌われたくない
___あいしている。
ぱちぱちっ、街灯は激しい音を立てて火花を噴き出す。
群青飛鷺はまるで花火でも見てるかのように、目を細めた。蛇の目の笠を射し入って白い睫毛に青い火花の光が通ってキラキラと色づいた。
一護と対峙した時や触れたとき、その歓喜とそれに混じったネガティブな感情でぐちゃぐちゃの思考を足から吸い上げて、からからと重複した笑い声は伽藍堂な空間で響いた。
『なーンて
自分の斬魄刀に嫌悪を向けてくる主人の、自分には決して向けられることのない感情のなんと甘美なことか。群青飛鷺は、上機嫌で川に目線を戻した。
この川が氾濫した時、杏は陸で溺れることになるのか、それとも発狂することとなるのか。どちらにしても、群青飛鷺は面白い。どうしたって茹だり燻った熱が、この川で冷まされることはない。
黒崎杏は斬魄刀を嫌っている。いや、苦手としている。しかし、使われない間も解放されない炎は威力を増していく。もしかしたら、溺れるより自分の炎で焼き死ぬほうが先かもしれないと嬉しさが込み上げた。どうせなら瞋恚の炎に飲み込まれた方が、ずっといい。
心地よい暗闇に、蕩けた笑みを浮かべて群青飛鷺はもう一度、倫敦ブリッジが落ちたと念仏のように歌い出した。
◆◆◆
黒崎杏となる前の少女にとって、黒崎一護は単なる漫画のキャラクターであった。
しかし、今は違う。
愛していた。
前は紙面に印刷された姿で、触れて分かるのはその紙のざらつきだとかインクの匂いだった。だけど今は違う、そこに肉体があり触れれば柔らかく温かい。同じシャンプーの匂いに、笑ったり泣いたり感情を出す姿は、初めて出来た弟は愛おしかった。
杏の弟として確かに目の前で成長をし、母の日には二人で悩んでお金を出し合い買い物もした。
そして、私は死んだ。弟の前で死んでしまった。初めて、自身の半身と別れてみて空虚だった。胸にぽっかり穴が空いたようで、利き手が捥がれたようにも感じた。それを埋めるように、介入者であろうと努力した。わたしは、姉だから。「弟の助けになること」力をつけて、その席に座れるように必死にもがいた。
そして、弟がやって来た。
死者の国 瀞霊廷にやって来た時、一角さんとの戦い、更木隊長との戦い。
その都度、感じた霊圧はもうわたしの小さい時に知っていたモノではなかったけれど、それに対する寂しさより嬉しさが勝った。やっとこの穴が埋められるって。
死んでしまったことの罪悪感も、どこか感じる疎外感や孤独も、全部、全部、全部。この日を境に変わるのだと思っていた。でも、一護を実際に目にして分かったのは、この”穴”はそう簡単に埋まることはないということだった。
太陽のような髪色の優しい子、
変わらない優しさを持つあの子はもう、いっぱいいっぱいだった。
朽木さんが自分のせいで、罪に囚われたことの罪悪感。必ず助けるという正義感。死神、卍解の習得。知っていた、どれだけ一護が大変で怪我をして、なんて全部漫画で読んでいたもの。そんな彼の目の前に、死んだ姉が、自分と似た顔の女が現れてドンキホーテのように高らかに名乗りを上げて一緒にがんばりましょうなんて、馬鹿な真似がわたしにできるはずがなかった。抱きついて、褒めて、したかったことが全部愚かに思えた。
わたしは、一護の姉だ。
一護にも、朽木さんにも、時間がないのだ。わたしが介入すべきところは、ここではない。
彼に渡る情報を制限できるように、手を回し一護には夜一さんの部下だとか内通者だとかそんな感じの認識でいい。黒崎杏は、夜一に身支度してもらっている弟をみて微笑むしかなかった。前髪越しの弟は眩しかった。
もし、自分に力があったらなあ…
藍染の暗殺でもできただろうか、それとも隊長格として大ぴらに手助けができただろうか、タラレバ、もしかして、全部の妄想が歯痒く歯軋りで杏は自身のエナメル質を少し削る事で平静を装った。
【挿絵表示】
作成しました…よかったら参考程度にご覧ください。
体調を心配して頂く声をいただきまして、ありがたいです。
最近調子が戻ってきたため書き溜めをしておりました…また来週あたりに投稿したいと思います。不定期で申し訳ないです、どうぞよろしくお願い申し上げます。