そもそも、強さとはなんだろうか。
単純に力が強い、喧嘩が強い、競争に強い、と強さが持ち出される場面の大抵にはその強さをぶつける相手を必要としている。それは強さという概念が生存意志と曲がりなりにも関わっているからだろう。
例えば遠く離れたサバンナの大地で今、哀れなシマウマの子が餓えたライオンの餌食と化したのはライオンが餓え、空腹の胃袋を持った彼の狙いが他の獲物よりも獲物として相応しかったシマウマの子だった等の要因が混ざっている事も確かではある。けれど、最も重要な事は彼らが弱肉強食の摂理の中に生きているからだ。
シマウマの子はライオンよりも弱く、ライオンはシマウマよりも強い。
だから喰う喰われるの結果が現れる。
このようにして本能に従う動物達は生存に重要なファクターである強さというものを無視できず、また逃れる事ができない。
では、人間はどうだろうか。
独自の進化を遂げて理性を得るに至った人間という種族はやがて自分たちを守るために社会を作り、ルールを作り、そして本能を封じ込めた。なぜなら理性を持った人間が得たものとは生存とは無縁の恐怖の増長だったからだ。かのハンムラビ法典に従うならば、いつだってこの世は『やったらやり返される』という意識の元に、報復と罪の狭間にある人は不安という妄想を強いられる事になったのである。
ならば、人の世に強さという概念はそもそも必要がない。強さの出現とは反対の弱さの出現に他ならず、理性の元に共同体の理想系を目指す人間には必要とはされない概念ではないか。
しかし、人は強さに固執する。
腕力、権力、財力、影響力。
他を排除して己の利益を求む者は星の数ほどこの世界に生まれた。
その結果、戦争があった。弾圧があった。飢餓があった。公病があった。
人が人として成立するであろう大前提の理性を得るにいたって尚、人は止まらず強さを欲し続けていく。まるで渇いたのどを潤す水を求めるように。
あるいは理性があるからこそ、人は強さを求めるのかもしれない。
理性を得て本能を隠し持った人間には様々な問題が降りかかった。例えば金。例えば権利。例えば愛。理性を持った結果人は動物にはない複雑な問題に悩まされ続けた。そしてそれらを解決するために他を排除する力を求め続けた。
本能=強さではなく、理性=強さとでも言うように。
しかし、理性を謳歌する時代はもう疾うに過ぎている。
過去に起こった世界大戦で人は理性の限界を思い知っている。理性的であれば幸福になれると信じた人々は、理性への過信によって結果生まれた争いの種に殺されて理性の無力さと直面したのだった。毒ガスによって空気を汚し、爆薬によって街は破壊され、飛行機によって故郷は瓦礫と化した。そして人々は死に絶えた。
果たして、人々があれほど信じた理性の結果がそのようであるならば、とある偉人の言葉を思えば、人は理性によって滅びの道を歩いているように見える。
このような理性の転回も視点を変えてみれば被害意識を受けたからというものにも思える。人は痛みに鈍感なのだ。自らの肌に食い込んだ刃が皮膚を引き裂かない限り、痛みと気付く事もできない。生存意識に欠けた人間ゆえの問題だ。
しかし、理性=強さ=滅び。
この連結は否応にも否定はできない。人は否定してはいけない。これを否定するという事は、それまで人類が取得してきた栄光、あるいは文化を否定し、人類の歴史が後悔のみで埋もれているという事を暗喩しているからである。
――――ここに、独りの男がいる。
彼は生まれながらに強さを求め続けた男だった。
切っ掛けはわからない。気付けば彼は強くなろうとしていた。
剣を揮い、ひたすらに鍛錬を重ねた彼はあるいは異様な子供だっただろう。少年特有のヒーローに対する憧れとは一線を化した情熱でもって彼は強くなり続けた。
それは誰かのためではない。彼には家族がいたが、彼が強さを求める理由は家族のためではなかったと思う。あまりに強さを求め続けた少年には、誰かに必要とされる喜びや、無条件の愛情というものがさっぱり理解できなかったのだ。それでも家族というものの大切さは知っていたから、彼は与えられる対象としてではなく与える側の立場に立った。それしか彼には判らなかったのである。
だから父親や母親とはそれなりに仲は良かったが、それよりも少年は妹や弟を愛していた。父も母も妹達を大切にし、一心に剣術を学ぶ息子の姿を最初彼らは褒めこそしたが、それも時機にどこかおかしな少年の姿に愛を失わせたのだった。
彼はそれを知っていたし、知っていても淋しいとは思わなかった。
最早それすら彼には理解できない感性となっていたのである。彼にとっての喜びは剣を褒められた時であったし、淋しさとは剣を握られない時であった。つまり彼の感性の大半は強さへの執着のみに向けられていたのである。
これを人は不幸だと言うだろう。人と感情を共有できない虚しさほど不幸な事はないと。
しかし彼は自ら幸福である事を直感で熟知していた。
彼にはなりたいものがあったし、やりたい事があった。早々に目的意識を持ち、それに向かって歩み始めた少年は常に満ち溢れていた。小さな体一杯にやる気を詰め込んで、ひたすら強くなるために、ひたすら剣を握り続けた。そのため彼は常に幸せだった。
自らがやりたいことを行える人間は幸福だ。例えそれが他の人と共有できなくても、例外なく幸福だ。
少年もそうだった。少年は幸福なままに育っていった。
そしてただひたすらに練り上げられた剣閃は彼が唯一師匠と慕った道場の先生を凌ぎ、その先を歩んでいった。
いつの間にか、彼は強くなっていった。
――――幸福のままに、強くなりすぎていった。
しかし、やがてその強さの果てに滅びの未来が男を待ち構えていたとしても、彼は未だ強くなろうとしていた。
これは、そんな男のお話。
□□□
アリーナの向こう側、遮断シールドに隔離された向こう側で熾烈な剣戟が熱を生み出していた。
私はそれを黙って見ている。
しかし、時折瞬くように移動している彼らの軌跡を目で追い続けるのは難しい。刹那のうちに加速して気付けば私がいる遮断シールドの目前に現われ、閃光を残して消える。二機の放つ剣閃に火花が散り、魅せられた観客の怒号にも似た歓声が沸き立つ。
五月蝿くて思わず舌打ちするが、それは歓声に飲み込まれて誰にも気付かれない。いや、今この時に周囲の客に意識を割く人間は警護しかいないだろう。それほどまでの熱狂が滾りきっている。夜でもあり、外の気温は涼やかなはずだったけれど、それもアリーナには関係がなく皆額に汗さえ帯びていた。
「大丈夫か」
ふと、隣に座る姉さんが声をかけてきた。顔をしかめているのを見咎められたか。
「平気です。問題ありません」
「そうか」
小さく呟いた姉さんの声。実は観客の声援等によってあまり聞こえなかった。
(ISでもあれば、問題なかったのだけど)
ISのプライベート・チャンネルを使えたならば、人々の声援など気にせずに会話ができたのだろうが、最早私の手の中にISは存在しない。過ぎた事だが、それでもこのような時にはISの利便さが思い悔やまれる。
『はあぁああああああああああああぁあああああああああああああああっっっっ!!!!』
『せいやぁぁぁああああああああああああぁああああああああああああっっっっ!!!!』
と、気を緩めた瞬間、アリーナ中に裂帛の一声が駆け抜け私はメインスクリーンに目を奪われる。
そこには犬歯をむき出しに鍔迫り合いを行う二人の姿が映し出されていた。噛み締められた歯は今にも砕け散りそうに震えており、そしてその瞳は闘志に乾いている。ぎらつき、脂ぎった戦いの瞳だ。武器を持っていなければ噛み付いてしまうかもしれない。
だが、それは長く続かない。
一呼吸の合間すら与えずに、二人は瞬時に離れ、再び剣戟を応酬する。
その様に、観客は更なる熱狂を帯びる。ひたすらに叫ぶ客もいれば、拳を握りしめ食い入るように魅入る客もいて、かと思えば酒気を帯びてほろ酔い気分の客さえいる。そこに男や女の垣根は存在しない。まるで観客がひとつの塊のように動いて感情を吐き出している。
――――これが、モンド・グロッソ。
世界で一番強い人間を決める戦いの舞台。
それはかつて見た事が無い景色、場所、熱気であり。
そして一夏、鈴が作り上げた空間だった。
「……すごい」
「当然だ」
思いもせずに漏れた言葉に姉さんが笑った。
「ここには全ての感情が託されている」
「……感情?」
「観客の興奮、子供たちの羨望、各国の願望。それらが全て選手達一人一人の双肩に託されている。ここはそういう場だ」
「……なるほど」
端的に言う姉さんの視線は私に向けられているが、その意識がアリーナの試合に向けられているのは明白だ。確かに、そういう意味でもモンド・グロッソに出場する選手にはあらゆる願いが託されているのかもしれない。
私は、どうだろうか? ……よく、わからない。
ただ、今目前で駆け抜ける二人は懸命に戦っている事がわかる。
二人もまた、自らの願いを背負って戦っている。以前聞いた二人の願いのために、戦っている。その様は苛烈であり、激しい。気取ったものなど何一つとしてない全力で、二人はぶつかり合っている。
けど。
「あの二人は、そこまで気にしてないと思います」
「ふっ……、確かにそうかもな」
メインスクリーンに見える二人がそのような考えを気にしているようなものは見えない。
――――牽制に撃たれた衝撃砲を一夏が見切れば。
一撃必殺の一太刀を鈴は凌いで避ける――――。
まるで戯れるように、二人はアリーナの中を縦横無尽に飛翔していく。
「まあ、あれはあれで必死だろう。何せようやくたどり着いた場所だ。ここで負けるというのは頭の中にないだろうさ」
一撃を重ねる毎に激しさを増していく二人の戦闘は熾烈を極めている。
鎬を削りあった二人というだけあり、その武はよく噛み合ってさえいた。揮われた武装が閃光のように鈴が攻め立てていると思いきや、その合間を縫った一夏の反撃が怒涛に襲い掛かる。
だが、もう映写された映像さえ二人の姿に追いついていない。加速された戦闘舞踊はひとつの炎のようで、見るものを圧倒させているようだった。
これを、彼女達も見ているのだろう。場所は違えども、私と同じように同じ景色を見ているに相違ない。
セシリアは闘志を滾らせているのだろう。
シャルは乗っ取った会社のオフィスで真摯に画面を見つめているのかもしれない。
ラウラは今頃警備の合間にディスプレイで見つめているに違いない。
――――もしかしたら、あの人も。
「……っ」
噛み締めた唇が痛む。
けど、それが一体何のためか予想がつかない。私のことなのに、まるで意思を離れた感情が私の中に巣くっている。
そして、私はそっと姉さんを見やった。
姉さんは深く座席に腰掛けながらもその姿勢は前のめりにアリーナの試合を覗いており、組まれた腕の指先は落ち着きなくリズムを叩いていた。表情からはその様子がわからない。
緊張している、のだろうかと思ったが、姉さんがそのような状態にある姿が想像できない。
きっと、どちらが勝つか見極めようとしているのだろう。
互いの実力は伯仲している。完全な拮抗状態にあるわけではないが、ここまできたら一瞬の判断が勝敗を分けると思われる。だけど、それは正しく一瞬の刹那のうちだろう。
何せ私にはもう予想がつかないからだ。目で追いつく事さえも精一杯なのだ。僅かな挙動さえ見逃せぬこの決勝戦においては一呼吸が命取りになる。そうして息を呑むことさえ忘れた観客達が一思いの溜め息をこぼす。
「姉さんは……」
「うん? なんだ」
気付けば、私は姉さんに声をかけていた。
その瞳が私に向けられて、思わずかけようとした言葉を飲み込んでしまう。
「姉さんは、どっちが勝つと思いますか?」
メインスクリーンに表示された二人の機体にはエネルギー残量はもう殆どない。試合が始まり幾分か立つが、開始直後に襲撃した一夏の『零落百夜』により鈴のエネルギーが半分を切り、その後は鈴がじわじわと削った事により勝負はイーブンな状態に来ている。大技は試合開始直後のものしか見られず、しかも互いの武装はまともに当たっていない。だからこそアリーナには何かが起こる予感めいた不気味な緊張感が生まれていた。
「そんなもの、決まってる」
姉さんはニヒルに頬を引き攣らせて、猛獣のような笑みを私にむけて言った。
「強いほうが勝つに決まっているさ」
そして、戦いは姉さんが言ったとおりになる。
□□□
熱波が滾っている。スクリーンに映る身体から放出する熱はまるで陽炎のようだった。
「――――は、――――はっ」
そして口からはひたすらに荒い呼吸が溢れ出ていた。意志とは離れた酸素への渇望と疲労は最早止め処なく、だからこそ一夏はそれに身を委ねていた。少しでも気を抜いてしまえば身体が傾きそうになるのを我慢して、彼は目の前にいる対戦相手を見ていた。
「ぐ、ぬぐぐぐーっ!」
鈴は、悔しげに呻りながら地上にいた。
交差の中に横合いから伸び上がった零落百夜が絶対防御を発動させたのだ。すでにエネルギーの切れた機体を身に纏う少女は悔しげに奥歯を噛み締めながら一夏を睨んでいた。まるで仇を見るような瞳だ。
だからだろう。一夏は口角をあげて、彼女を挑発するように見やった。それが言葉ではなく、そして言葉だからではないからこそ、彼女に伝えられる最大限のメッセージであった。
莫迦な奴。知らずに呟く。
けど、そうしている合間に一夏の失われていった体力が戻りつつあった。そうして気付く、己の心音。まるで耳に直接押し当てているように脈動する心臓は熱く私の身体を滾らせていた。それは試合の興奮によるものだろうか。
そしてそれを凌ぐように歓声が一夏の身体を突き抜けていく。アリーナ全体から響くそれは割れ響く歌のようでさえあった。
「――――はあ、――――はあっ」
意地があった。譲れぬものがあった。だから全力でぶつかった。それは相手も同じだ。寧ろ幼馴染であったからこそ、それは強く一夏にも理解できていた。
いつか彼は言っていた。追いつきたい相手がいると。
だからこそ、一夏は負けられなかった。負けるわけにはいかなかった。互いに想いを共にするものとして、鈴に負けられない。ひたすら勝ちたい。ただその願いのために。
「……はあ、はあ、はあっ!」
そして一夏の身体を突き抜けるものがあった。鳴り止まぬ拍手と喝采は五月蝿いほどであったが、それを劈くような衝動があった。
「――――っいよっしゃああぁああああああああああぁあああああああああああ!!!!」
握りしめられた拳が天を貫く。咆哮のように叫ばれた一夏の声は、アリーナの観客の耳に届き、そして世界中に震撼を与えていった。
『たった今、私たちは奇跡の瞬間に立ち会っています! ISによる大会モンド・グロッソ。世界大会と銘打たれた最高の舞台で、今一人の男が勝利を得ました! 通常ISは女性にしか使用する事ができないというのが私たちの常識でした。しかし、かつてそれを打ち破った人物を経て、今再びこのモンド・グロッソでその男性が勝利を収め、最強の名を手に入れましたのです。その男性の名は織斑一夏!! 世界で二人目に見つかった男性IS適合者!! 彼こそ今回のモンドグロッソの覇者であり、王者なのです!!』
メインスクリーンに映る一夏はボロボロな姿だった。けたたましい実況者のアナウンスを意識の遠くに置きながら、私は視界に映る一夏の姿を見やっていた。それは隣にいる姉さんもまた同じであった。観客席で私たちは家族が勝利する瞬間を見届けたのだった。
周りでは男性が優勝した事により騒然とした各国の人物が色めき立っており、中には泣いて喜ぶ男もいる。彼らは一夏の姿に男性権利の復権を見たのだろうか。予想するが、結局私にはわからない。
「勝ちましたね、一夏」
「……ああ、そうだな」
ぽつりと呟いた私の言葉に、姉さんは憮然と言った。
「まあ。……よくやったと褒めてやろう」
私たちはアリーナ中の熱狂から取り残されたように席に座り、そこでメインスクリーンに映る一夏の姿を見ていた。歓喜の咆哮をあげる一夏は全身で喜び、空中で拳を突き上げていた。その雄々しい姿は一見すれば子供のようですらあって、どこか微笑ましくさえあった。額に垂れる汗も、どこか肩で息をしている姿も勝負の余韻を覗かせており、いかに一夏が激しい戦いを繰り広げたかを物語っている。そしてそれを征し、今一夏は勝者となった。
「強くなったな、一夏」
誰ともなく聞こえた言葉。彼女の言葉は周囲の喧騒に紛れて聞こえはしない。
ただ、私はしっかりと聞いていた。
ちらり、と横を盗み見る。
姉さんの瞳は、どこか眩しいものでも見るように細められていた。
「そうですよね、……兄さん」
――――そして、異変は突如として起こった。
□□□
メインスクリーン、複合ディスプレイ。それら全てに彼女は突如として映りこんだ。勝利の余韻に浸った者たちは前兆なく切り替わった画面に面食らい、次の瞬間には我が目を疑う事となる。
『はろーはろーぐっもーにーんぐ!!』
特徴的な機械作りの兎耳を頭部に装着した彼女はどこか間延びしたような声音を響かせていた。愛らしい姿はおとぎ話の住人のような出で立ちであり、それでいてその瞳に宿る深みは底さえ覗かせぬ濁りを放っていた。
篠ノ之束。
ISの母であり、最悪の国際テロリスト。
そんな彼女の姿を確認した瞬間、アリーナ外部の警備を担当していたラウラは迅速に行動を開始した。
「――――総員、状況確認!!」
色めき立つ隊員の動静を支配する部隊長の厳しい凛とした命に隊員達はすぐさま己を取り戻した。各国の軍が動く中で彼女に対する見識をラウラほど持つ軍属はおらず、だからこそ冷静に彼女は指示を行えた。これにより動く事が出来たのは流石はドイツ軍の精鋭と呼べるだろう。
「今現在アリーナ全体がハッキングにかけられています! 場所は試合会場、宿泊施設、更に――――、いえ違います!? ハッキングはアリーナのみではなく放映機関及び全世界のIS施設に及んでいます!!」
「アリーナは遮断シールドレベルゼロ! ……嘘!? 扉は全てロックされておりこのままでは観客が脱出できません!」
「……そんな、莫迦な」
悲鳴のような報告に誰かが呟くが、それを否定するものは誰もいない。それほどまでにそれは信じられない事であった。世界同時ハッキングによるこれは、もはやただのハッキングではない。
しかし、相手は規格外。
大よそ信じがたい出来事ですら簡単に引き起こす、人類が生み出した天災である。
現在アリーナは丸裸状態であり、外部からの襲撃に太刀打ちできるのは配備されたIS及び通常兵器のみ。その通常兵器もISによる襲撃ならば役に立たない。何より観客席にいる観客の中には国家を統べる者達がいる。
「流石、国際テロリストという事か」
そんな中、誰もが恐慌寸前の中にいる中で彼女だけは至極冷静であった。いや、あるいはラウラのそれは通常時と同じような口調でさえあった。
「あの、隊長それはどういう……」
「わからないか、まあいい。――――総員傾聴!!」
隊員の声を切り裂いて、ラウラは命を発する。
「「「――――っは!」」」
「これより我々は厳戒態勢に移行する! 襲撃に供え武装の展開を許可し、各自周囲の警戒に当たれ!!」
隊員の顔に動揺が走る。
それは、不可解な命令であった。
今まさに厳戒態勢で現状の回復を図らなければならないというこの時に、敵対存在の目的把握は愚か観客の誘導さえ行わない。つまりラウラが下した命令は通常警備の続行だった。隊員が動揺するのは当然、疑念こそ自然だ。
しかし、そのような命令に反応するものがいた。彼女、クラリッサは隊長の命令に従い敬礼を行った。あまりに見事な敬礼に今しがたの命に不可解を覚えた隊員は副隊長がそうであるならば、とした。
「はっ!! 各隊員散開!!」
ドイツ軍の精鋭が散っていく。それを確認し、クラリッサはラウラにプライベート・チャンネルを開く。
『隊長……』
『ああ……クラリッサ、お前も感じるか』
『はい』
彼女達は己の嗅覚で持って事態を察知していた。
現在起こっている事態は一部隊がどうこうできる問題を大きく超え、国家レベルの問題と化している。それもこのようにわざわざ見せ付けるように事を行う事実、それこそが問題だった。
今しがた混乱を降り注いだテロリスト、篠ノ之束はISの母であり、その有用性を証明するために世界中の軍事システムを手中にし、日本国に二千発以上のミサイルを射出させた嫌疑を持たれ、更に彼女の余罪は最早個人としてのレベルを超えている。根源を辿り、今の世となったのは彼女のせいとも形容できる。だからこそ篠ノ之束は国際テロリストとして賞金をかけられている身だ。
そんな才女が、世界を変えた天災がわざわざ手を患ってまで表に顔を出した意味。人々はそれに思い至り、恐慌を抱いている。だが、少なくともラウラとクラリッサは彼女が関わった事により、違った可能性を見出していた。
『私はこれから会場に向かう。もしもの時は、わかってるな?』
『……はっ、私の全力で持って駆けつけますっ!! ショーツの代えもばっちりです!!』
『……そ、そうか』
そして彼女達は動き出す。この胸を掻き毟る予感に駆り立てられながら。
□□□
『どうどう、驚いた? 驚いた? みんな大好き天才篠ノ之束さんだよー』
篠ノ之束は、私の記憶が正しければ以前の姿とは一変もしていない。まるで停止しているように、彼女は数年前から変化していなかった。
以前も意味のわからない言葉を並べて彼女は純粋なほどに笑顔だった。
純粋すぎて恐ろしい笑顔だった。
篠ノ之束が映る場所の背景は目が霞むほど真っ赤であり、彼女の姿だけははっきりと見える。他には何も見えない。
その中で篠ノ之束は極自然と笑っていた。
自然すぎて、不気味だった。
『さーて、いっくん!! 取り合えず優勝おめでとう!! いっくんがそんなに強くなって束さんはびっくりです、とっても嬉しいから思わず拍手をしちゃうよ。いえーい、ぱちぱち!!』
無邪気に手を打つ篠ノ之束に対し、アリーナの観客は壮絶な緊張の中にあるのがわかった。それも当然あろうか、もし相手の機嫌を損ねれば何をされるかわからないのだ。
そして、私もまたその一人だった。
「……っ」
以前篠ノ之束によって抉られたトラウマが疼く。身体が震えそうでたまらない。寒いわけでもないのに凍えてしまいそうな感覚。身体や心が冷たくて、どうにかなってしまいそうだ。
だけど。
「……姉さん?」
私の手を、握ってくれる人がいる。
「大丈夫だ。私がいる」
「……姉さん」
その手は優しくて、温かい。
『まあいっくんだったら当然だよねー。そこらへんにいる奴らじゃ敵わない事はわかっていたから逆に嬉しさ半分だなあ。あんまりに予想通りで私としては不服だよ、束さんご立腹!』
そして今しがた名前を呼ばれた一夏が画面に映される。一夏は肩で息をしながらも、メインディスプレイに映る篠ノ之束を睨みつけていた。
だけど一夏に睨まれてなお器用に兎耳を動かしながら、彼女は笑う。ぞんざいに理不尽な事を言いながら。
その瞳は笑っていない。
まるでシャーレの中にいる観察対象を魚眼レンズで覗くような瞳で、彼女は一夏を見ている。
『まあ、それもいっくんが頑張ってきたからなんだけどねー。きっとちーちゃんも喜んでるよ!』
彼女は嬉しそうに無責任な言葉を並べている。
「……あいつは」
そんな束を見つめていた姉さんの瞳はひたすらに鋭い。まるで獲物を見つけた狼のような表情だ。
そして、私は必死に考える。
このタイミング、この場所での介入。
彼女は一体何が目的なのか。
彼女は曲がりなりにも国際テロリスト。世界を引っ掻き回した物騒者。だからこそ表舞台へ出てくる事は稀であり、世界の国際機関が血眼で捜しても一蹴にあしらうと言うのに。
そんな相手が、この瞬間に現れるこの意味は一体なんだ。
賛辞を伝えに来た。可能性は低い。
邪魔しに来ただけ。彼女ならありえる。
それ以外の目的がある。恐らくそうなのだろう。
彼女の行動には必ず意味がある。その一々の仕草には惑わされてはならない。あれほど怪物らしい怪物は見当たらないのだ。だからこそ彼女は今まで捕まらなかったのだ。
『だからそんないっくんに御褒美をあげようと束さんは思います!!』
――――来た。
私はこの時になって相手が人間であると考えるのをやめた。
まるで見計らったように混乱を与える篠ノ之束は悪魔なのだと信じた。
そこで、私は彼女の笑みを見ながら、脳裏に閃くものを見た。
篠ノ之束の行動方針。その例外を脳裏に思いつく。
かつて、一度だけ現われた篠ノ之束は自身の妹にISをプレゼントするために現われた。
そしてそのISを披露する為だけに『銀の福音』を暴走させ、戦場を仕立て上げた。
――――では、今回もそうだろうか。また、新たなISを?
いや、それは考えにくいだろう。すでに一夏のIS『白式』は篠ノ之束が作り上げたワンオフなのだ。それ以外に渡す理由が彼女にはあるか?
答えは、ない。機能面で問題があれば修繕を施すだろうし、世代的なものならば白式はそれをクリアしている。
ならば、ならば、ならば――――。
「……もしかして」
背中がぞわり、と毛羽立ち、髪の毛が浮き上がった。
そんなことありえない。いや、それこそがありえないだろうか。
相手は篠ノ之束。道理など簡単に覆してくる。
予感めいたものはあった。けど、それは予感でしかないはずだ。
しかし、この場面。この瞬間。これは、もう。
――――私の予想が正しければ。
「お膳立て?」
「……まさかっ!?」
隣で姉さんが驚愕の表情で立ちあがった。そんな彼女を知ってか知らずか、篠ノ之束はにんまりと笑みを浮かべながら。
『それじゃあ、こらからスペシャルマッチを行いまーす!!』
あくまで陽気なまま、彼女は唄うように声を紡いだ。
――――そうして、彼は現われた。
『戦ったばかりだけど問題ないよねー! それぐらいのダメージいっくんならなんともないでしょ?』
それまで篠ノ之束がいた映像が変わり、長身痩躯の男が映った。
左目に走った傷跡。少し、髪が伸びただろうか。顎には無精ひげらしきものも生えている。そして、片手に握った刀のようなものを握りしめながら、彼は不味そうに煙草を吸っていた。
場所は、すぐさま知れた。
「……ああ」
知らず、私は立ち上がっていた。あの人はいつのまにかアリーナ内部の地上にいた。ピットから入り込んだか、あるいはそれ以外かのどこからかに侵入したか定かではない。ただそこで彼は悠然と佇んでいた。
胸が高鳴り体が熱くなる。視線はあの人に釘付けとなった。
倒れ伏した鈴でさえ、その眼を見開いている。口元が動いたが、一体何を発したか聞こえずともわかった。
――――観客にざわめきが生まれた。
そう、みんな知っている。
みんなこの場所にいる人間全て彼がどういう存在か知っている。
『さあて紹介しよっかー!!』
見やれば、一夏は地上に降り立ち剥きだしの笑みを浮かべていた。それは喜びの顔にも見えたし、夢を見ている子供の表情にも見えた。
だけど、それ以上に。
一夏の顔は戦士の顔だった。
『ばん君こと、織斑万春のにゅうじょーだよー!!』
――――今ここに、伝説が現われた。
「――――にいさん」
非ユーザーでも感想を送れるように致しましたので、出来れば感想を下さい。
と、言ってももう最終回なのですが……