60話 【朝日優真の傷 I 】喪失
全部話すよ…えりちもまだ知らないことを含めて」
そう言って私…東條希は瞳を閉じる。
───これは必然。
彼の異変に気づかなかった私が償うべき、罪。
本当なら、ずっと黙っていたかった。
でもこの話が彼を知ることに繋がるなら──彼を救うことに、繋がるなら。
私は覚悟を決めて語りだす……“彼”と“私”の、その過去を。
「……私と優真くんが出会ったのは、中1の春。転勤族の親の影響で私には友達が居なくて。そんな私に初めて話しかけてくれたのが……優真君だった」
「……もう5年も前からの付き合いじゃない」
「うん。そして優真くんは私にとってココで出来た初めての友達で。女の子の友達も何人かできたけど、行き帰りは優真くんと一緒だったしね。凛ちゃんや花陽ちゃんとも、この頃出会ったよね」
私からの問いかけに、2人はゆっくりと頷く。
「───そしてこの話は凛ちゃんと花陽ちゃんが知ってるか微妙なところなんだけど。
……私と優真くんにとって、
「大切な……存在?」
「……これはきっと、彼もえりちに話してないと思う」
そこで一度言葉を切り──────
遠いあの日へ想いを馳せる───────。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中学校1年生の秋。少し強めの秋雨が降る木曜日のこと。私と優真くんはいつものように帰り道を歩いていた。
いつもなら何気なく通り過ぎる公園、でもその日だけはいつもと違って……
「────優真くん」
「ん?どしたの希」
「……何か聞こえない?」
「えっ?何かって」
「シーッ」
口に指を当て、耳を澄ますように彼を促す。
渋々といった様子で彼も黙って目を閉じ、集中して周囲の音を聞き取ろうとする。
その時。
「────────ワンっ」
───聞こえた、確かに。
降り頻り鳴り響く雨音の中に、小さくか細い“生命の叫び”。
「───こっちだっ!」
私よりも先に優真くんは声の聞こえた公園の方へと駆け出した。私も少し遅れて彼を追いかけ、追いついた頃には────
「───いた」
木陰の草むらに横たわり、目に見えて弱り果てている子犬の姿が。
「子犬……?こんなに小さい……」
「誰かが捨てていったのかもな。早くなんとかしないと……!」
彼の思考はもう、“犬を助けること”しか頭にない。
見捨てるなんて、もってのほか。
「こっからなら俺ん家よりも希ん家の方が近い!大丈夫か!?希!」
「う、うん!」
「よし…!俺の傘持っててくれ!コイツは俺が連れて行くから!」
「え、それじゃ優真くんが……」
「そうしないと希が風邪引いちゃうだろ!ほら、早く!」
一分一秒を惜しむように、優真くんは私に閉じた傘を投げつけて両手に子犬を抱えて走り出した。
……いつもそう。自分の事は二の次で、どこまでも他人思いで。
私はそんなキミが────いや、今は。
私も彼に続いて公園を出て家へと駆け出した。
▼
「うはぁー、雨結構強かったね」
「はいコレ。早く拭かないと風邪引いちゃうよ?」
「ん……ありがとね、希」
約5分ほどで私の家へと着いた。子犬の濡れた体を丁寧に拭き取り、タオルを敷き詰めた段ボール中へと入れて上からもタオルをかける。
犬の知識に乏しい私達ができる最大の応急措置だった。
幸いにも今子犬は安らかな寝息を立てて眠っている。
「……なんとかなったね」
「うん。それにしてもよく気付いたね、希」
「たまたまだよ。……それより、どうするの?私の家は多分犬飼えないし……」
「……俺ん家もだ」
そう、次に考えなきゃいけないのは、“子犬の今後”。
2人とも家で飼えないとなると、何かしらの対策が必要になるけど……
そこで彼は、突拍子もない提案を持ち出した。
「……ねぇ、希」
「ん?なに?」
「───2人で飼わない?」
「えっ……?」
「近くの廃工場の裏。あそこで2人ひっそりとさ」
優真くんはあくまで本気、面白いことを閃いたと言わんばかりに輝いた瞳で笑いかけてきた。
「……エサは?」
「2人のお小遣いでなんとかなるさ!希が厳しいなら俺が払うし!」
「……本気、なの?」
「本気も本気、大マジ」
「優真くん、途中で投げ出したりしない?」
「しないよ!………………多分」
「それじゃダメだよぉーっ!」
特に悪びれることなく、優真くんはにひひと笑う。
……もう。仕方ないなぁ。
「……わかったよ。2人で飼おっか」
「やったぜ!さすが希っ」
「でもっ!」
「んっ」
「───ふ、2人だけの…ナイショにしようね」
私の背中を後押ししたのは、“秘密の共有”。
思春期特有の秘密への執着が私にももちろんあった。
そしてそれの共有をしたくて。
───だって彼は、私のスキナヒトだったから。
彼は私の提案に、暫く目をパチクリさせた後…少し照れたように笑った。
「───うん、“2人だけの秘密”、だな」
「……えへへ」
彼の言葉が嬉しくて思わず笑みが溢れてしまった。
…少し気持ち悪いくらい、ニヤニヤ笑ってしまったかもしれない、反省反省……
「……さて、じゃあ名前つけよっかぁ」
「あ、そうだね」
「うーん、何がいいかなぁ……」
うんうん唸りながら名前を絞りだそうとする優真くん。
───実はね、もう考えてあるんだ。
そして私は呟く。“その名”を────
「─────“紬”」
「えっ?」
「
「つむぎ…うん!いいね!そうしよう!意味は?」
「……言わなきゃ…ダメ?」
「ん……まぁ、教えてくれれば」
……恥ずかしい、けど…
「き、キミと!」
「お、俺と」
「───キミと私の絆を…“紬”いでくれるように」
「……おう、そうか!い、いいなそれ!」
言った私もそうだけど、言われた彼も見たことがないほど顔を赤面させていた。
「……希」
「ん?」
「───大切にしような。“俺達の紬”を」
───キミの方がよっぽどじゃん。
「うんっ!」
子犬───紬ちゃんが“紬いで”くれるのが私達の友情、絆と……
────赤い糸であることを願って。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「紬ちゃん……お兄ちゃんが大切にしていた犬…希ちゃんとの思い出だったんだね」
花陽ちゃんは紬ちゃんのことを知っていたようで、私の話に笑顔を浮かべていた。
しかし凛ちゃんの表情は……悲しそうな、もうしわけなさそうなもので。
「……凛ちゃん?」
「希ちゃん、かよちん……紬ちゃんは」
「───そこから先は私の仕事よ」
凛ちゃんの声を、西木野先生が遮った。
「……続けて、東條さん。終わりじゃないんでしょう?」
「……はい」
ここからの話は、流石に言い淀む。
でも。
「それから私は───」
全てを話した。イジメられていたこと、彼との別れ、最後に彼に会えなかったこと……私が何を思ってこの街に戻ってきて──どんな思いで、彼への想いを棄てたのか。
「───これが私の、昔の話」
「アンタ達、そこまで……」
私の話を聞き終えた皆は、悲しそうな目を私に向ける。
「……ありがとう、東條さん。辛かったでしょう?ごめんなさいね」
「いえ。いつか言わなくちゃいけないとは思っていたので」
「それならいいのだけれど。……さて、ここからは私の番」
先生のその言葉に、自然と意識が引き締まる。
「……東條さん。あなたは彼の変化を、自分のせいだと思っている。違う?」
「……少なからず、中学の頃と高校入学時の彼が違っていたのは……優真くんが、明るさを失っていたのは、私のせいかと」
「───それは違うわ」
「え……」
「断言する。その根拠も、今から話すわ。
───さて、これは今から5日前の話」
5日前……彼が私達から姿を消した日。
そして先生は語りだす。
空白の5日間、そこで何があったかを。
▼▽▼
5日前の昼下がり。真姫の母…瑞姫は家のデスクで書類整理を行っていた。
その日は非番だったが、やることはたくさんある。故に今日も今日とて仕事に追われる日々。
そしてこれは目の前の書類を片付け終わり、ひと段落ついていた時のこと。
─────ピンポーン。
鳴り響いたベル、瑞姫は来訪者の姿を確認するべくインターホンへと向かい……
「……はい」
『どーも、朝日です』
「朝日くん……?少し待ってて」
自動門を解錠した後、ドアを開けるために玄関へと向かう。幾ばくかして再びインターホンが鳴り、ドアを開く。
「……どうしたの?あなた今日学」
「───
「っ……!!」
そこで瑞姫は悟る。今目の前にいる“彼”が、彼ではなく“彼”だという事に。
「───久しぶりね、本当に。今日は改めてどうしたの?」
「ちょっと……いや、いろいろ話したいことがあって。今忙しいです?」
「いえ、大丈夫よ。“大事な教え子”の頼みだもの」
「ありがと、センセー」
どうぞ、と促した私に目礼を返して彼は家の中へと入った。
▼
「コーヒーでいいかしら?……いや、
「お気になさらず…なんてね。ありがたく頂きますよ」
自らの分のコーヒーと、彼のための紅茶を乗せたトレイを手に瑞姫は彼とテーブル越しに目の前の椅子に腰を下ろした。
「ありがと」
「いいのよ、別に。それで?今日はどうしたの?……というより、“彼”は?」
「───オレが壊した。あいつはオレらにとって邪魔でしかねぇ」
「……なるほど、ね」
“壊した”。
この言葉の意味を、“この時の”瑞姫は正しく受け止められていなかったのだが、そんなことを知る由もなかった。
「話の腰を折ってごめんなさい、続けて」
「……まぁ、端的に言うと先生に頼みがあって」
そこで一度言葉を切り、紅茶に口を付けた。
その味を堪能するようにゆっくりと喉元を通した後、彼は口を開く。
「───オレらの過去の話を、アイツらにしてくれませんかね?」
「っ!?」
「もちろん今から全部話すよ。センセーの知らないことも含めて」
「……それは“アナタだけの”望み?それとも──」
「──────センセー」
「っ……」
蓋を開けたかのように突如解き放たれる黒い何か。
大の大人でも有無を言わせぬ威圧感を誇るそれは、瑞姫にとって初めてのものではなかった。
「……やっぱりあの時のアレは、貴方だったのね」
「あの時…?」
「この間ケガをしてウチに運ばれてきた時──」
────『……さて、俺も部屋に行きますね。ありがとうございました』
『待って、朝日くん。まだ話は……』
『──────
『っ……!あなたやっぱり…!』
……また勝手に。
拒絶の意味を込めて告げた2度目の“ありがとうございました”。それを聞いた瞬間、先生の表情が驚きに染まる。』────
「あぁ、バレちゃったか」
「自分からバラしたようなものでしょう?……いつから貴方は…」
「それも話す、全部。だからセンセーはそれを伝えてくれ、
「……どうして?」
「……そうすれば」
そこで言葉を止めた彼は、悲しげに笑う
「───アイツらはきっと、オレから遠ざかってくれるから」
「……わかったわ。それが貴方の望みなら」
「ありがと。じゃあ話すね」
一応の承諾を出したが、瑞姫は思う。
本当に遠ざかることを望むなら
───どうしてさっき、あんなに悲しそうに笑ったの?
そんな瑞姫の思いをよそに、彼は語り始める。
彼の5年間──彼の傷の全てを。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中1の一月。
希が居なくなったことを知った。
彼女は本当に何も言うことなく、俺の前から居なくなってしまった。
俺の心に、たくさんの思い出と、たくさんの傷を残して。
なんで何も言ってくれなかったんだ。
なんで何も言わせてくれなかったんだ。
───どうして
クリスマスのあの日。希に学校に──正確には中西から場所の変更を告げられたわけだが──来るように言われたあの日、どれだけ待っても彼女は来ることもなく。
15分、30分と時は過ぎ……1時間が経とうとした頃。
「───優真!」
自分を呼ぶ声が聞こえて、俺はそちらを向く。
「…………翔太」
「探したぞおい!どうしたんだこんなとこで」
「……ちょっと呼ばれてて、さ…」
荒川翔太。
俺の中学時代の友人。俺はこいつの家で行われるクリスマスパーティに招待されていた。
「ん…もしかして希ちゃんか?希ちゃんならさっきすれ違ったぞ?」
「えっ……?」
「友達と仲良く歩いてた。だからここにはもう来ないんじゃないか?」
希が…………他の友達と…?
「本当に?」
「マジマジ。だからほら、早くいこーぜ!パーティもう始まってるぞ?」
「……お、う」
翔太に引っ張られるように、俺は学校を後にした。
彼女は一体何を俺に伝えようとしたのだろう。
その答えを、俺が知ることはなかった。
▼
季節は少しだけ流れ、2月。
俺は放課後の
廃工場の隅、そこにひっそりと備え付けられた小さなドアの先。そこには若干の草むらと、中央に大きな木がそびえ立つ、“生き物が生活するには丁度良い”小さな一角がある。
そう、ここは俺と彼女の秘密の場所で、そこには…
「──────ワンッ!」
小さい頃特有の、甲高い鳴き声。
俺の姿を見るや否やパタパタとこちらに駆け寄ってくる小さな影。
「──────紬」
その名を呼びながら、俺はその小さな体を撫でる。
拾った頃からは想像もつかないほど元気になり、俺が来ると楽しそうに走り回っている。
何度か凛や花陽をここに連れてきて、4人で遊んだこともあって。
「ワンッ!ワンッ!」
そして紬は吠える──“俺の隣の、誰も居ない虚空”を目掛けて。
───
「───ごめんな、紬。あいつはもう居ないんだ」
このやり取りを、彼女が消えたあの日からもう何度も繰り返した。
その度に希が消えたという実感が俺を襲い、途轍もない悲しみに見舞われて。
それでもまだ、俺が紬を世話し続けているのは……
「……約束、したもんな」
──『キミと私の絆を…紬いでくれるように』──
紬は、俺と希を繋ぐ最後の糸。
何処へ行ったのかもわからない希が俺に残した、最後の絆だったから。
ここで待っていれば、会えるかもしれない。
そんな思いに、醜く縋って。
一目でいい、もう一度だけ、彼女に会いたい
あの日君は、俺に何を言おうとしたんだ?
俺も君に、伝えたいことがあったんだ
もし再び会える時が来たなら
今度こそちゃんと言うんだ
────『君が好きです』、って
次回、61話【朝日優真の傷 II 】血涙
今回もありがとうございました。