8話 未完成の大器
「──先程の提案、受けさせてください」
──今、なんて?
私含め、残りのメンバーも、信じられないと言った表情で穂乃果を見つめる。
あまりの驚愕に、言葉も出ない。
一体……なんのつもりなの?
私の話を聞いてなかったの?この話を受けた先には、デメリットがあるって話をしたでしょう。
「穂乃果、貴女何考えてっ……!」
「そうです、絵里も先程から言っているでしょう!?これはA-RISEの罠かもしれないんですよ!?」
「──“何考えてるの”なんて、こっちのセリフだよ」
『っ!?』
何……今の。
今の言葉を発したのが穂乃果……?
決して怒っているわけではない、語気を荒げたわけでもないのに……気圧された。
穂乃果の言葉に──畏れを感じた。
「どうしたのみんな、これはチャンスだよ。願ってもない、大、大、大チャンスじゃん。
……私達はA-RISEに勝つ。その為の直接対決の機会が、こんなに早く訪れるなんて」
穂乃果が笑う。一見楽しそうな笑顔でも、いつものそれとは全く違う。穂乃果の綺麗な空色の瞳の中に巣食う何かが、彼女の輝きに影を落とす。
「だから英玲奈さん、あんじゅさん……先程の提案、受けさせて欲しいんです」
「……元々私達が提案した身だ、そちらが受諾するというならそれを拒む理由は私達にはない」
だが、と統堂英玲奈が前置く。
「いいのか?メンバーの中には反対意見の方が多いようだが」
「そうだよ穂乃果ちゃんっ!考え直してっ……!」
ことりな悲痛の叫びにも、穂乃果はゆっくりと首を捻りこちらをさっと見遣っただけ。
やはりおかしい。いつもの穂乃果ならこんなことはしない。
一体どうしちゃったの……!?
「……折角直接A-RISEと戦える機会なのに、どうしちゃったの?みんな」
「どうしたなんてこっちのセリフよ穂乃果。貴女らしくないわ、こんな」
「そうよ!こんなリスクの高い賭け、分が悪過ぎるわ!!」
「……リスクが、高い?」
真姫の言葉尻を取り上げて、穂乃果が笑う……否、もう“嗤う”と言ってもいい。
「違う、違うよ真姫ちゃん。
「足り……ない……?」
「──折角の大勝負だもん、
穂乃果はニヤリと嗤うと、A-RISEの2人へと向き直り……告げた。
「──地区予選で、
『!?』
「へぇ……」
「ほう……」
驚く私達と対照的に、A-RISEの2人は冷徹に笑う。そんな私達のことは眼中にないかのように、穂乃果は続ける。
「……こうすれば、私達にもう後は無くなる。リスクの大きさ分、私達はA-RISEを倒したという肩書きを得て───」
穂乃果の言葉は、途中で遮られた。
「──アンタいい加減にしなさいよ!?」
にこが、両手で穂乃果の襟を掴み、無理矢理自分の方に向かせることで、物理的に穂乃果を止めた。
「自分が何言ってるか、本当にわかってんの!?アンタ1人の裁量で、そんなことまで決めていいワケが」
「───にこちゃん」
「ひっ……!!」
今度はにこが黙らされる番だった。
穂乃果から解き放たれた、嵐のように荒れ狂い私達を襲う、黒い重圧。それは綺羅ツバサの威圧感のような、“あの人”の殺気のような、有無を言わせぬ迫力を以て私達へと牙を剥く。
遠巻きに見ていた私達にすらこの圧力。直で、しかも名指しでそれを受けたにこには、想像もつかないような恐怖として映ったに違いない。
そして穂乃果は、嗤いながらにこへと告げる
「──少し、黙っててよ」
「ぁっ、ぁ……あぁ」
「にこっ!!」
「にこちゃん!!」
死の宣告のようなその言葉を受けたにこは、掠れた声を零しながら、たたらを踏んで後退りし、数歩下がるとその場に尻餅をついた。
近くにいた私と真姫が、急いでにこに駆け寄るものの、その小さな体は細かく体を震わせ続けている。
「……これほどか、高坂穂乃果……!」
統堂英玲奈が、小さく漏らす。
“これほど”って、どういうこと……?
そんな統堂英玲奈を一瞥し、穂乃果はため息を吐くと再び語り始めた。
「……続けるけど、ここで勝てば私達は“A-RISEを倒したスクールアイドル”として、決勝へと進むことができる。これは決勝を超えて、全国で優勝する大きなアドバンテージになる……これは無鉄砲なんかじゃない。ちゃんとした動機の元の言動なんだよ。
──だからみんな!この提案、受けようよ!
私達なら大丈夫、ねっ?」
穂乃果が私達へといつものように声をかけるも、誰一人口を開かない。皆が皆、恐怖と困惑を顔に浮かべて沈黙するだけ。
──これは悪夢だ。
そう言われた方がまだ納得できる。
それくらい私は、現実離れした穂乃果の暴走に滅入っていた。現状の把握も上手くできずに、思考回路は完全にショートしている。
一体……どうすれば……。
その時
「っ!!!!」
「んぐっ……!!」
穂乃果の襟が、再び絞められる。先程よりも強く。
それを為したのは──
「……優真…せん、ぱい……?」
「──驕るのも大概にしろ、馬鹿野郎が」
「優真……」
「優兄ィ……」
彼の声色と表情が告げている。
彼は今確実に───
私達が未だかつて見たことないほどに。
▼▽▼
「──驕るのも大概にしろ、馬鹿野郎が」
その言葉とともに、俺は一際強く穂乃果の襟を絞める。やり過ぎでもなんでも構わない、痛みで彼女が正気に戻ってくれるならば。
そんな俺以上にお前は──やり過ぎた。
「……痛い、よ、優真先輩っ……!」
「お前、自分が何したかわかってんのか?」
「なに……が……それに、驕るって何の……」
「それが驕ってんだよ、穂乃果……ッ!!」
これ以上は良くない。
そう思い穂乃果の襟から手を離した。
軽く咳き込んだ穂乃果の様子が落ち着くのを待ってから、俺は改めて穂乃果に言う。
「何から何まで勝手に自分で決定づけて、随分な身分だな、穂乃果」
「私は……そうした方がいいと思っただけで」
「──それがお前の、
「……そうだよ。私はA-RISEに勝つために──」
「
「っ……」
「
「……」
俺の問いに、穂乃果は閉口する。
「……恐怖で押さえ付けて、さぁやりましょうなんて言われても、誰もついてくるわけないだろうが。お前が本当にやりたいことに向かって突っ走っていくなら、そんな力使わなくたって俺たちは喜んでついていくさ。お前が今さっきやったことは、
「っ……!!」
「A-RISEと同じやり方で勝ったって、なんも意味ないだろ。“力”をそんな風に使って人を従えても……その先にあるのは孤独だけだ。
“力”に溺れるな。“力”に使われるな、穂乃果。そんな力使わなくたって、お前は大丈夫だから」
「優真……先輩……」
穂乃果の瞳が、青い雫で揺らぐ。
瞳に宿っていた影が、瞬く間に霧散して行く。
「わ、私……なんで、あんなこと……」
動揺と焦燥で、穂乃果の声は震えている。
良かった……正気に戻ったみたいだ。
どうやら穂乃果の“力”──ツバサや“アイツ”と同じ、“王の器”は、まだまだ不安定らしい。
突如目覚めた“力”に、器量が追いついていない。産まれたての赤子が拳銃を撃てないように、ソレの振るい方も、振るう技術も足りていない。故に今回のような暴走を引き起こしてしまったのだろう。
“力”が発動するトリガー。“アイツ”……もう一人の俺の場合は、
一方でツバサはきっと、アイツ以上に力を使いこなしている。発動も自分の意思で任意かつ、孤独を受け入れ、頂へと上り詰めてみせた。
問題は──穂乃果のトリガー。
穂乃果は今回、なんらかの原因がトリガーとなって力が発動したのか、はたまた唯の力の暴走なのか。
力を振るえば、その先に待っているのは孤独。
俺はそのことを身を以て知っている。
しかし穂乃果の力は特殊。
正しく使えば仲間に勇気を呼び起こし。
間違って使えば今回のような出来事を引き起こす。
穂乃果の勇気の伝染は、この力の萌芽と生長の象徴だったのだろう。
とにかく俺は、益々穂乃果のことを見ていかなくちゃいけない。
そこまで考えて、俺はA-RISEの2人へと向き直る。
「……というわけだ、ウチのリーダーが変なこと宣って悪かった」
「いいわよ〜別に。面白いもの見させてもらったしね?」
優木あんじゅがニコリと笑う。
えれ……いや、今は……統堂英玲奈は、無表情で俺を見つめている。
「……じゃあ、さっきの話は無かったことに」
「いや、待ってくれ」
結論が出る前に、それを遮る。
そして俺は、先程の絵里やコイツらの話を聞いて考えていたことを告げた。
「──さっきの話、俺は受けたいと思ってる」
「ちょ……!」
「何でそうなるのよ、優真っ!」
「落ち着け……俺の話を聞いて、考えて欲しい」
ここで決めつけてしまっては、先程の穂乃果と何も変わらない。俺は皆に自分が考えていた内容を皆へと打ち明けた。
「……まず絵里が考えていたツバサのトラップの話だけど、俺はそうは思わない」
「え……どうして?」
「……明確な根拠があるわけじゃないけど、そんな搦め手を好んで使うか?あの女が。
アイツは自分の勝ちを信じて疑ってない。そんな奴が、こんな姑息な手を使ってまで勝ちにくるなんて、俺には思えない」
「……確かに、そうかもしれないわね」
「そしてアイツは、全力の俺たちを捻り潰すことを望んでる。だから用意してくれるはずだ……
……どうなんだ、A-RISE」
少しだけ語調を強くした俺の問いかけに、統堂英玲奈はフッ、と笑った。
「……どうなんだも何も、そう言われては用意せざるを得ないだろう。君もとんだ策士だ」
「御託はいい。結論だけ言え」
「……わかった。我々A-RISEは、君達が最高のパフォーマンスを披露出来るように、君達の要求通りのステージを準備しよう。あんじゅも構わないな?」
「ええ。ツバサもそれを望むはずだもの」
「ありがとう。それが聞ければ充分だ」
2人から目を逸らし、μ'sのメンバーに笑いかける。
「……な?この条件ならさっきの絵里が言ったデメリットを差し引いても、いい条件とは思わないか?それにさっきの絵里の話も、逆にA-RISEと同じ場所で踊るという話題性を逆手にとって、観客が望む以上のパフォーマンスができれば、大きなプラスに変えられるはずだ。俺たちは、“A-RISEと肩を並べて踊ることができるグループ”だと、観客に認めさせればいい。
……つまるところ、全部俺たち次第なんだよ」
そう、俺たち次第なのだ。
穂乃果の言ったことは確かに横暴が過ぎたが、本質を捉えていたとも言える。
先の言動も、自らを背水の陣に追い込んで決死の努力を促すためとするならば、悪い話ではなかったのだ……最も、最悪の手法でそれを提案してしまったわけだが。
「……みんな、どうだ?」
「……うん、ウチは異論ないよ。優真くんの言う通りだと思う」
「凛も!そう言うことなら、頑張れると思う!」
皆が口々に、同意を述べる。
後は、彼女だけ。
「……穂乃果、お前はどう思う?」
「えっ、私……でも、私に意見する権利なんて」
「とりゃ」
「痛っ!」
俺の伝家の宝刀、チョップが穂乃果の額に決まる。
「大丈夫。お前はもう、間違えない。さっきの過ちを認めた今の穂乃果なら、きっと選べるはずだ。自分が、“本当にやりたいこと”を。独り善がりじゃない、9人全員で叶えたい夢のカタチが、今のお前には見えてるだろう?お前はそれを信じて、突っ走っていけばいいんだよ」
「優真先輩……」
彼女の覚悟が、その目に宿っていく。
そして穂乃果は、笑った。いつものように、俺達を照らす太陽のように。
「うん!やろう!A-RISEと同じステージで、私達に出来る最高のステージを!」
そして穂乃果から解き放たれた、光の奔流。
俺達に温もりを与える、優しい陽だまり。
穂乃果の“力”が、正の方向に働いた。温もりは俺たちの心に勇気の種を蒔き、彼女の笑顔で芽生えた勇気は、何にも負けない、俺たちの原動力となる。
再度揺らいだ──覚悟が固まった。
「そういうことだ。その提案、俺たちは喜んで受け入れる。さっきの約束、忘れないでくれ」
「わかったわ。1週間前までに、具体的なレイアウト案を送ってきてね。それじゃあ今度こそ私達はこれで。次に会うのは2週間後の本戦……楽しみにしてるわ」
そう言うと優木あんじゅは振り返り、その場を後にした。
統堂英玲奈はその場に立ったまま、俺と目が合う。しばらく経つと彼女はその目線を俯きがちに逸らしたが、再び目があった時には覚悟が決まった面持ちで、俺を見つめていた。
「……今日は、これで、失礼する。だが君とは…改めてゆっくりと話したい」
「……俺と君は敵同士だ。馴れ合うような真似はしない方がいいと思う」
「……そうかもしれないな。では、また」
「あぁ」
最後、統堂英玲奈は悲しげな笑みを浮かべて去っていった。
その表情が、俺の胸を締め付けている。
でも、今はこれでいい。俺たちの戦いに、俺のこの感情は邪魔だから。
こうして俺達は、2度のA-RISEとの対面を終えた。
▼▽▼
「……もしもし、ツバサ、私だ」
『英玲奈、あんじゅ……もう、終わったのね?』
「えぇ。あなたの想像通り、彼女達は提案を受けたわよ?」
μ'sの面々と離れてしばらくしてから。
英玲奈は、あんじゅと共にツバサへの連絡を行っていた。
『そう……ありがとう。で。
──もう1つの方は、どうだった?』
「……身を以て、体感してきたわよ」
「高坂穂乃果……お前と同等の“力”を持っていた。だがまだその力を持て余していたように感じたがな」
『でしょうね……やはり、さっき目覚めたと考えるのが妥当かしら』
ツバサの狙い。
それは自らに牙を向けて見せた穂乃果への興味からくる、彼女の“力”の調査。
「無意識に味方までも怖がらせてしまうようでは、まだまだ三流だな。技量の面ではお前の足元にも及んでないだろう」
『そこを私と比較してもどうしようもないわよ。
──
「……そうだな」
『ふふっ……ところで英玲奈、ユウマには会えたの?』
「っ……あぁ、無事に。やはり彼は昔の顔なじみだった」
『顔なじみ、ねぇ。
「やめてくれ、ツバサ」
言葉を続けようとしたツバサを、英玲奈は言で制した。
「……彼の言う通り、今は私と彼は敵同士だ。とりあえず地区予選が終わるまでは…接触を避けたいと思う」
『……そう。わかってると思うけど、勝負に余計な情は無用よ?』
「勿論わかっている。それに彼女らに情などない」
ツバサの言葉に発破を受けたかどうかはわからない。
しかし英玲奈の瞳は、揺るぎない覚悟で燃える。
「──叩き潰すさ。私から彼を奪った、あのグループを」
▼▽▼
その日の夜。
「……どうした?お前から電話かけてくるなんて珍しいじゃないか」
『うん……どうしても優真先輩と話したくて』
午後9時過ぎ。夕食と風呂を終えた俺の携帯に一本の電話が入った。
「……穂乃果とこんな風に電話するの、初めてかもしれないな」
『優真先輩、今日はありがとう。私、取り返しのつかないことしちゃうところだった』
「気にすんな、言っただろ?『支えてやる』って。お前が間違えそうになった時、それを止めるのが俺の仕事だから。それに俺もやりすぎた、ごめんな」
『ふふ……最近、優真先輩に助けられてばっかりだ』
穂乃果は、俺に聞かせるつもりはなかったのかもしれない。
その呟きはそれほど小さくて、穂乃果の自信のなさが声色に現れているようだった。
「……まぁ俺がみんなに言われ続けたことなんだがな。“別にそれで良い”んだよ」
『えっ……』
「“助け、助けられる”。それでこそ仲間なんだって。にこと海未に言われたよ」
『……助け、助けられるのが、仲間』
心の中に染み込ませていくように、穂乃果は俺の言葉を数度繰り返す。ややあって電話越しにもわかるほど喜びを滲ませた声で、穂乃果は俺に言う。
『うん!わかった!じゃあ私も優真先輩を助けてあげる!』
「お、おう……頼んだ」
『で、優真先輩が間違ってると思ったら、襟を締め上げてちゃんと怒ってあげるから!』
「お前実は今日の事根に持ってる??いやあれは俺もやりすぎたと思うけどさ!」
それなら賑やかなやりとりが続く。
電話を始めるよりも、遥かにテンションの上がった様子で穂乃果はお風呂に入ると言って電話を切った。時間にして10分も満たない会話だったものの、不思議と俺の心も暖かい何かに包まれている。色々あって疲れてしまった心も、なんだか軽くなった気がする。
あいつは俺に助けられたって言ったけど。
助けられてるのは、俺の方かもしれないな。
中西光梨と遭遇。
ツバサとの対立。
そして──統堂英玲奈との再会。
色々ありすぎて、正直混乱していた心も、少し落ち着いた。穂乃果には、感謝しなくちゃいけない。
とりあえず、統堂英玲奈の事は忘れよう。
俺はそう決意した。
しかしこの時の俺は知る由もない。
俺と彼女の関係は、そう簡単に断ち切れるものではなかったということを。
今年もよろしくおねがいします。
今回もありがとうございました!
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