ナザリック地下大墳墓が誇る戦闘メイドプレアデス。
そのうちの一人であるルプスレギナ・ベータは、至高の存在たるアインズに呼び出され、若干の緊張感を抱きつつも、誇らしい気分で呼び出された場所に急いで向かっていた。
(いったい何の仕事っすかねー。カルネ村とかいうつまんないおもちゃの監視っていうお仕事を受けたばっかりなんすけど。わざわざ呼び戻されたってことは……もしかしてもっと他に私にしかできない仕事ができたんすかね? くぅー、それなら嬉しいっす!)
彼女にとってカルネ村の監視という仕事は、至高の御方の命令とはいえ、退屈なものだった。なにせ彼女にしてみればただくだらないおもちゃがつまっているだけの村でしかないからだ。
アインズは重要な村だと言っていたが、ルプスレギナにすればなぜアインズがあの村に価値を見出しているのかわからないのだ。
(まー、たぶん、アインズ様の単なるきまぐれっすよね。それ以外ないっすし)
直々に命令を受けただけあって、やりがいを感じていないわけではないが、どうにも退屈なのだ。いっそさっさとぱーっと滅びてしまった方が小気味よい、とさえ感じていた。
今からの仕事はそういうよくわからないものじゃなければいいなという風に考えている間に、ルプスレギナは呼び出された場所にたどり着いた。
主人の部屋の前だ。扉を守っているゴーレムたちがちらりと目線を向けてきたが、ルプスレギナはそれを無視してしっかりと深呼吸をし、呼吸を整える。居住まいもきちんとしたものに正してから、扉を軽くノックした。
「ルプスレギナ・ベータ。参りました」
ルプスレギナの呼びかけに対し、中から威厳のある声が返ってくる。
「入れ」
それを受け、ルプスレギナは静かに扉を開けて中に入る。
部屋の中には至高の主人であるアインズと、守護者統括アルベド、そして階層守護者のコキュートスが待っていた。ナザリックでも数えるほどしかいない、100レベルに達している三人が揃っている光景に思わずルプスレギナは緊張を深める。
驚くべきは、アルベドとコキュートスの姿だ。アルベドは完全武装の状態で兜だけを取った姿であり、コキュートスが本気の武装を整えている。
その上、コキュートスが見たことのない配下を抱えていた。翼の生えた胎児のような姿のそれからは異様な雰囲気を感じる。
「よくきたな、ルプスレギナ。近くに来い」
その胎児のような存在がなんなのか気になりはしたが、アインズに呼ばれたことでその疑問は押し込め、頭を下げる。
「はっ」
ルプスレギナは主人の前まで行き、そこで完璧な所作で跪く。
「ルプスレギナ・ベータ、御身の前に。いかようなご命令でもお申し付けください」
「うむ。ルプスレギナ。お前の力が必要だ。これから我らは大森林へと赴く。お前も同行しろ」
「はっ! 承知いたしました」
ルプスレギナは一も二もなく承服した。
至高の御方がそういう以上、ルプスレギナが拒否することはありえない。何をしにいくかを聞く必要もないのだ。行くと言うなら行くだけなのである。アインズも彼女を呼んだ理由や連れて行く理由をわざわざ説明したりはしない。だからそれで正しいのだとルプスレギナは思っていた。
もっとも、説明がなかったのは、アインズが単に説明をし忘れただけだった。
それは早く行かなければアウラが危機に陥るかもしれない状況だったためだ。
アインズはまだ狼が100レベルの自分たちに匹敵することを知り、最悪の想定で動いている。
「他の者も準備はいいな? まずアルベドが潜れ。〈転移門〉」
アインズの魔法が発動し、目の前に黒い次元の裂け目が生じる。そこをアルベドがまず潜った。もっとも防御力に長けた彼女が先陣を切るのは当然とも言える。
「デハ、申シ訳アリマセヌガ、オ先ニ失礼シマス」
次に転移門を潜ったのはコキュートスだ。その四つの手には武器だけではなく様々なアイテムが握られており、いかなる状況にも対処できるようにということだろう。
慎重な姿勢を持って移動する三人の様子に、ルプスレギナの全身に緊張が走る。
「お前は私の後に続け」
「了解いたしました」
アインズが<転移門>を潜り、ルプスレギナも即座に続いた。
抜けた先はアインズが言っていた通りの大森林だ。涼しげで爽やかな森の風が吹き抜けていく。
(ここに一体なにが……?)
アインズたちはすでに少し先へと進んでいる。ルプスレギナも遅れないように、その後ろを追いかけ――
そして、その灰色の大狼に出会った。
その巨躯は小山ほどの大きさで、そこから感じる重圧感は目の前に立っていられないほどに凄まじいものがある。アインズたちが現れたことで警戒を強めたのか、立ち上がっているので、余計に巨大に見えた。ビリビリとしたものを殺気に似た何かを感じる。
見事な芸術品を思わせる灰色の体毛は、風にそよぐほどに柔らかそうで、しかしそれには普通の刃など通るまい思えるほど、極めて滑らかな輝きを有している。
恐ろしく澄んだ金色の瞳は理知的な光を灯し、まっすぐアインズたちを見据えている。
微かな唸り声がその場にいたすべての者にプレッシャーを与えた。ちらりと覗く牙が魂すらもかみ砕かんと白く輝いていた。
その狼の放つ気配を正面から浴びたアルベドは、即座にその手に武器を構える。同じようにコキュートスも武器を構えた。すでにその場にいたアウラも、それに並ぶ。
「……アインズ様。お下がりを。これは、悠長に接触してなどいられな……アインズ様!?」
だが、当のアインズがその脇を通って灰色の大狼の目の前に進み出た。
アインズは無言のまま、狼と視線を交錯させる。何も持っていないことを示すように両腕を広げた。
「……私はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っている者だ。君と敵対する意思はない。牙を納めてはもらえないだろうか」
獣に対するにはあまりにも丁重な言葉。
すると、どうしたことか、狼が唸るのをやめ、頭こそ垂れなかったものの、大人しくなってその鼻をアインズに寄せた。くんくん、とその匂いを嗅いでいる。警戒は消えていなかったが、それでも敵意というものは鳴りを潜めていた。
アインズは骨だけの手をゆっくり伸ばし、狼の鼻先に触れる。
狼は特に嫌がることもなく、ただそれを受け入れた。
骸骨と大狼の間で、奇妙な交流が交わされる。
1人と1匹の間でなにか通じるものがあったらしい。
「……アルベド、コキュートス、アウラ。武器を下ろせ。心配なさそうだ」
呆然としてその光景を見ていた三人が慌てて武器を降ろす。アルベドは警戒しつつも、アインズのすぐ側に立って、彼に尋ねる。
「あれだけ敵意を見せていたのに、一体なぜ……? アインズ様のご威光に恐れをなしたのでしょうか?」
「さて、な。正直、私にも確証はなかったのだが……なぜか、大丈夫だと思ったのだよ」
アインズはひとまずの危険が去ったことを感じ、ひとつ息を吐く。
「とはいえ、きちんと意思は確認しておきたいところだ。ルプスレギナ。この狼と意思の疎通は出来そうか?」
しかし、ルプスレギナからの反応はない。
訝しげに思ったアインズたちが最後尾のルプスレギナを見る。
「ルプスレギナ?」
彼女は最初に灰色の大狼を見た時とまったく変わらない状態で――ただ、灰色の大狼を見つめていた。