「初めまして。私は三年の七瀬天夜と言います」
状況が落ち着いたところで七瀬が柔らかな物腰で手を差し出しながら奈央に挨拶すると、奈央は手を握り返しながら挨拶を返す。
……ん? 何で一人称が私? いつも僕だったよな?
「初めまして。私は風上奈央です。いつも兄がお世話になっています」
全くなっていない! 迷惑ならかけられているが。
家族の知り合いと挨拶する時の定番だから言っているだけで奈央も意識しているわけでないだろうが否定したくなるな。
ていうか、七瀬と会話なんかして大丈夫か? 変な影響を受けたりしないだろうな?
物凄く兄として心配なんだが……。今すぐ七瀬を殴り飛ばして奈央から引き離したい気分だ。
「天夜って格好いい名前ですけど、何か男みたいなですね」
「よく言われる。何でも私が生まれた時に性別を間違えられたみたいでね。それで両親がもう一回名前を考えるのが面倒臭いからって、そのままの名前にしたんだよ。我が親ながら酷いものだよ……」
七瀬が苦笑しながら答える。
……よくそんな堂々とそれっぽい口調で意味のない嘘をつけるな。逆に尊敬してしまう。いや、やっぱりしない。
必要はないけど一応ツッコんでおくか。
「嘘をつくな。お前は普通に男だろ」
「……え? え?」
奈央は言っている意味が分からなかったのか驚いた表情で俺を見るが、すぐに理解すると確認のために七瀬に視線を向ける。
奈央はこの部屋に入ってから驚いてばかりだな。でも、これで終わりじゃない。
終わってほしいとは思うけど……。
「酷いな。体はともかく心は乙女のつもりなんだけど」
「ダウト! お前は身も心も男だ。確か彼女もいたはずだよな?」
「それなら昨日、別れたよ」
「マジで!?」
女の方は七瀬にベタ惚れだったし、七瀬も満更でもない感じでよく週末にデートをしていたはずだ。
ちなみに七瀬の恋愛事情について詳しいのは春休みに「面白そうだから天夜のデートを尾行するわよ!」というドラマの影響を受けたと見られる発言から始まった部活動――もとい部長のワガママに付き合わされたからだ。
尾行が最初からバレていて七瀬にいいように振り回されたけど。特に何に疲れたかって七瀬達がラブホ街に行った時にテンパって訳の分からないことを呟き出すと綾音と二人がラブホに入ったら乱入しようとしていた部長の暴走を止めることだ。
他のメンバーは用事があるとかでいなかった。これは不幸中の幸いだった。二人だけでも大変なのにフルメンバーとなると恐ろしいものがある。間違いなく警察に補導されていた自信がある。……嫌な自信だな。
「いやいや、自分は悪くないみたいな言い方はおかしいでしょ? 二人が暴走したのは君が巨乳の幼馴染みをラブホに誘ったのが原因だから」
七瀬が急に心の中を見透かしたようなことを言ってきた。というか見透かしていた。
だって俺は一言も発していないのだから。何、こいつ? 妖怪の覚か何かか? 人の心が読めるのか?
いつものことではあるが得体の知れない感じがあって怖い。
だが事情を全く知らない奈央と神崎からしたら七瀬の発言(俺が綾音をラブホに誘ったこと)の方が気になったみたいで、俺のことをジト目で睨んでいる。正確に言うなら嫉妬も混じっているように感じられる。
神崎は分かるけど、何で奈央まで?
俺は話を誤魔化すために二人の視線を無視しながら話も戻す。
「そ、そんなことより何で別れたんだ? お前の悪ノリにも乗ってくれる良い彼女だったと思うんだが?」
「……音楽性の違い?」
小首を傾げながら明らかに嘘だと分かる返事をする七瀬。
男なのにその仕草が妙に似合っていて魅力的だ。恐らく大抵の男なら男と分かっていても見惚れるだろう。場合によっては間違いが起きる可能性まである(七瀬にそっち系の趣味があるのかは分からないが)。
だが俺は大丈夫だ。俺にはこんな女装野郎よりも可愛い幼馴染みと妹がいるからな!
「……お前が音楽活動をしているなんて聞いたことないが」
「…………」
七瀬が何故かここで急に黙った。
こいつが黙るなんて珍しいけど、いきなりどうしたんだ? 俺は何も変なことは言ってないはずだし。
一瞬、真面目に考えてしまったが七瀬が次の瞬間に口にしたのは本当にどうでもいいことだった。というか意味の分からないことだった。
「何で風上は僕に対してタメ口なのかな? 一応、先輩なんだけど」
「……お前が最初に会った時に敬語は苦手だからタメ口で良いって言ったんだろうが」
「そうだっけ?」
「……そうだ」
段々、面倒臭くなってきたので返事が雑になる。
よく考えたら何でマジメにこいつの相手をしているんだ? 早く話を終わらせて家に帰りたい。そしてMプレイが本当に気持ち良いのか綾音か奈央に踏まれて確かめたい。
俺は七瀬が次の発言をする前に部長の椅子になっている変態に話を振る。
「お前もそろそろ名前ぐらい言ったらどうだ?」
「何故この私がお前ごとき低劣な屑の命令を聞かないといけないんだ?」
「誰か低劣な屑だ!」
俺は椅子の顔面めがけて全力で蹴りを放つ。直前に部長が上からどいていたので椅子は蹴りの破壊力に耐えきれず吹っ飛ぶ。
そして壁に激突した椅子はピクピクと体を小刻みに振るわせるだけで起き上がる様子がない。
「あ、ヤベ……。やり過ぎた」
いつも暴力的なツッコミをしていたとは言え、今回は七瀬とのやり取りでイライラしていたせいで手加減をするのを忘れていた。
さすがに死んではいないだろうが大丈夫か?
「気絶してるね」
七瀬が倒れている椅子の顔を覗き込みながら端的に答える。
本当に気絶しているだけだろうな? お前の言葉は信用できない。
「ナイスキック!」
「……お兄ちゃん、今のはさすがに駄目だと思うよ」
親指を立てて俺を称賛する部長に引き気味の奈央。他のメンバーはともかく初めて見る奈央には刺激が強かったのだろう。
部長の方はどうでもいいけど、奈央に嫌われるのは嫌だ。俺は「おー、先輩よ。死んでしまうとは情けない」とかふざけている神崎を無視して先輩に詰め寄ると顔を全力で往復ビンタをする。
「起きろ! 寝ると死ぬぞ!」
奈央の好感度が下がると困るから起きてくれ! それがなかったら、このまま放置だけど。
さすがに死なれるのは困るけど、気絶程度なら日常茶飯時だし静かになるから好都合だ。
「……それ、止めを刺しているだけだよね?」
綾音が真っ当なツッコミをしたような気がするが俺の耳には届かなかった。
15話終了です。
では感想待ってます。