一先ず、織斑家の状況を再確認しよう。
まず“金が無い”。
次に“暇が無い”。
そして最後に“ヤバい”。
『貧乏暇無し』とはよく言ったものである。
一家の大黒柱である千冬が懸命に働いてはいるものの、それでも家計は正に、火の車であった。
千冬はまだ高校生。故に勤労に割ける時間も少なく、また時給も安い為、織斑家には貯金と言う名の資産を作る余裕すらもなかった。
また2人の弟――秋斗か一夏の内、そのどちらかが働きに出られる年齢ならば少しは変わったが、現実は非情な事に、2人ともまだ小学一年生でしかない。
故に秋斗はこれらのハンデを抱えた上で、何とか原作ストーリーが始まる時期までの間、自身を含めた織斑家の3人を生存させる事が要求された。
(――――ぶっちゃけコレ……。ほとんど詰んでるような気がするぜ)
小学校の算数の時間。前世の教養と言うある種のチートのお陰で、秋斗は現時点の授業ならばまともに聞かずとも何とかなった。
なので秋斗は授業よりも優先して、現状の織斑家に適した迅速な財政再建プランの立案に頭を悩ませていた。
(一番確実な手段は、俺が児童施設に行く事なんだが――――)
最初に秋斗が考えた計画は、織斑家の状況を原作と同じ形の『姉弟の二人暮らし』にする事であった。
それが現時点で取れる対策として一番手っ取り早く、また同時に確実な形で損耗を減らせる解だと秋斗は思っていた。
しかし先日、それを千冬に提案した際、肝心の千冬に盛大に泣かれてしまった為、秋斗はその案を廃棄せざるを得なかった。
(まぁ、今になって思うが……一夏の性格からして俺が一人で身を切ると言うのは、絶対に良しとはしないだろうな)
千冬の負担を減らす為に秋斗が独りで児童養護施設に行くとすれば、恐らくそこに一夏もついて来る可能性が高い。
秋斗は不意にその可能性が脳裏を過ぎるのを感じて、小さく苦笑した。
弟2人が同時に手元から去れば、流石に今度は千冬の方が精神が折れかねない。なのでやはり、直接的な口減らし案は廃棄する方が良いだろう。
となると、一家3人揃った上で『生活の基盤を磐石なモノにする』案が要求される。
(……マジでどうしたもんかねェ)
前世の喫煙習慣の所為か、秋斗は思わず鉛筆を口に銜えた。
(とりあえず千冬の姉貴が過労で倒れる前に不労所得で稼ぎ口を作るのが先決だな。こういう時こそ生活保護だが……後見人の居る未成年の家庭って保護を貰えるのか? ……手っ取り早く俺が“内職”でもやるって手も無い事は無いが――――)
秋斗が前世に行なった幾つかの内職。その中でも一番堅実に稼げる方法として、秋斗はラインスタンプ、エロ漫画、エロイラスト集のネット販売を脳裏に浮かべた。
肉体の年齢に眼を瞑れば、精神的には十分に老成している秋斗が、今更エロ関係を製作する事に抵抗など存在しない。
もとより前世では、ソレを生業の一つにしていた為、条件さえ揃えれば、今生でも小遣い稼ぎの同人レベルならば、やってやれない事は無かった。
しかし実行するには前提として、ある程度のネット環境と最低限の機材が必要になる。
金を稼ぐにせよ何にせよ、新しい事をはじめる際にはまず“呼び水”として、ある程度の纏まった額の支度金が必要なるのだ。
(流石に今の俺が銀行から金借りるってのは無理があるし、小学生の保証人になる奴なんているわけがねェ……。兎にも角にも、ある程度の元手が欲しい……)
金を稼ぐにはそれなりの元手が必要になる。
それはものづくりでも販売でもギャンブルにしても同じ。
問題は金を稼ぐ為の支度金をどう工面するかに尽きる。
とりあえず最低20万。出来れば50万の単位で、秋斗は資金を欲した。
「ん~、難しい」
「――――こら! 織斑君、授業に集中しなさい」
支度金を用意する手段に頭を悩ませる秋斗に、クラス担任の林から叱責が飛んだ。
「……っ!? ……すいません」
「ぼ~っとしてたらダメですよ? 幼稚園じゃないんですから。それとついでに6ページの問3に答えてくれますか?」
「……あ、はい」
秋斗は教師に指示された教科書の16ページを開いた。
問3
Aの果物屋さんで50円のリンゴを4つ買いましたが、帰宅途中でBのスーパーで45円のリンゴが売られていました。
Bの店でリンゴを4つ買っていた場合、幾ら得をしたでしょう?
その問題を見た瞬間。
秋斗は天啓を得た様に支度金を用意する算段を思いついた。
「――――なぁ、一夏。お前、今幾ら持ってる?」
「は?」
放課後。秋斗は家路を共にする一夏にふと尋ねた。
「幾らって、いきなりなんだよ? 何か欲しいモノでもあるのか?」
「あるにはある。だがその為に一夏にちょいと協力して欲しいんだ」
「……なんだよ、藪から棒に?」
訝しがる一夏に、秋斗は算数の時間に閃いた『計画』を歩きながら話してきかせた。
「――――秋斗……お前よくそんな事思いついたな? なんて言うか、スゲーな!」
「……だろ?」
秋斗から計画を聞かされた一夏は、素直に感心したと言う表情を浮かべる。
そんな兄からの賞賛に対し、秋斗はどこか悪辣に見える笑みを浮かべた。
「これでも色々考えて生きてるからな。まぁ、それは置いておくとして、だ。……一夏も薄々気づいてると思うが、姉貴の奴、毎日くたばりそうな勢いで身を削って働いてるだろ? で、俺はそいつを手助けしたい。だがその為には俺一人の力じゃ無理だ。だから一夏に相談した。……どうだ、手伝うか?」
「そんな風に言わなくても手伝うよ。で、俺は何をすればいいんだ?」
「なに、そう構えなくても難しい事じゃない」
「え?」
秋斗は具体的な行動の仔細を一夏に話す。
計画の具体的な形を聞くにつれて、一夏の表情は真剣なモノに変わった。
流石主人公といった所か、その顔は小学生ながらも十分が風格のある様に見える。
「―――と、こんな感じだ。最終的な部分で“運”の要素が絡むから、最後は祈るしかねェ。それに骨折り損になる可能性も高いが――――」
「秋斗がそこまで言うって事なら、俺は秋斗を信じるぜ。それに俺って、実は結構クジ運良いんだぜ?」
「……知ってるよ。だから頼ってんだよ」
一夏は一切悩む様子を見せず、一応忠告として失敗する可能性を指した秋斗に、頼れと言わんばかりの力強い笑みを浮かべた。
流石主人公とでも言うべきか、一夏は時折、謎の運のよさを発揮する事が度々ある。
故に秋斗は、一夏のそれを頼りにするつもりだった。
千冬の名前を持ち出せば一夏が協力を断らない事は十分に予想できたが、それでもこれ程までに、弟の頼みに協力的な姿勢を見せる兄は他に居ないだろう。
(……なんか、純粋すぎて騙してるみたいな妙な罪悪感があるな。別に騙しちゃいないんだけども)
見た目だけなら一夏も秋斗も小学生。
しかし秋斗の内面は、十分に成人と言ってもいい。
誘い込むようにして幼い一夏を誘導するような形で無理やり協力させた己の手腕に、秋斗は「薄汚れているなぁ」と小さく自嘲を浮かべた。
「――――で、俺はとりあえず“柳韻先生”の所に行けばいいんだな?」
「あぁ、時間は掛かると思うが頼む。俺も後でそっちに合流するからよ。……頼りにしてるぜ?」
「任せろ! それじゃ、早速行動開始といこうぜ!」
「あいよ」
やるべき事を決めた後、2人は競うように帰路について各々の行動を開始した。
――――そして二週間が経った。
prprprprpr♪
自宅の電話が鳴った直後。秋斗は飛ぶようにして受話器にかじりついた。
同様に一夏も台所から電話口に駆け寄った。
「――――もしもし?」
『どうも、織斑秋斗様ですか?』
「はい、そうですが?」
『……ご当選おめでとうございます!』
「っ!?」
待ち望んだ言葉を受けた秋斗は思わず拳を握り込んだ。そして一夏にどこか悪辣な笑みと一緒に、サムズアップして見せた。
一夏もそれで作戦成功を察して、秋斗の隣で大きく両腕を振り上げた。
「――――ただいま」
「お帰り、千冬姉ぇ! すげーぜ! 秋斗の奴、マジでスゲーんだぜ!」
「おいおい、どうしたんだ一夏? 少し落ち着け――――」
「これが落ち着いていられるかよ! 神戸牛だぜ! 神戸牛! 千冬姉、神戸牛って見たことあるか!?」
「………………はぁ?」
夕方になり、千冬が学校から帰宅した。
千冬は意気込み過ぎの競走馬の様に強く興奮した一夏の出迎えを受けて、心底困惑した様子を表情に浮かべた。
詳しい話を聞こうとする千冬は、思わず秋斗に対して視線を向けた。
「秋斗、一夏の奴は一体どうしたんだ? 何が何やら――――」
「まぁ、見れば判るさ。……一夏、出してやんなよ」
「おうとも!」
秋斗の合図で、一夏は冷蔵庫からトレイに乗せた大きな霜降り肉を取り出して見せた。
そして肉を恭しく千冬に手渡した。
それはキメの細かい霜の降りた極上の牛肉だった。
千冬は受け取った高級食材を見て、普段の落ち着いた表情を秋斗も見た事の無い程の驚愕に変えた。
「ど、どうしたんだこんな肉……一体、何処で――――いや、どうやって!?」
一家を養う為に身を粉にして働く千冬が、その肉の価値に気づかないはずが無かった。
探るようにして睨む千冬に、秋斗は苦笑混じりに事の顛末を説明した。
「俺と一夏の2人で、片っ端から“懸賞はがき”を送ったんだよ。肉はその結果。――――ま、俺としちゃハズレなんだけど」
「懸賞? はがきを送るにしても、それを買う金なんてどこから――――」
「んなもん、俺達の小遣いに決まってんだろ? 後はまぁ、柳韻先生の所で手伝いをやって、代わりに不要な“お年玉切手シート”を貰って、それを使ったんだ」
「俺達、まだ働けないだろ? でも何とか千冬姉の助けになりたくてさ。ちなみにこの計画は全部秋斗が一人で考えたんだぜ? 俺は考えに乗っかっただけだけど……」
「お前達――――」
千冬は肉を乗せたトレイを手にしたまま、顔を俯かせて肩を震わせた。
切っ掛けは算数の教書にあった応用問題だ。
金が無いなら、物を“売って”作れば良いという、それは実に単純な発想だった。
しかし売るにしても、それなりに価値があって尚且つ不要な代物でなければならない。
秋斗はそこから“懸賞はがきの景品”に着目し、それを転売する事を思いついた。
はがきを送るだけなら小学生でも出来るし、その上、懸賞の当たり品がそれなりに高価ならば、売れば確実にはがき一枚分よりも儲けが出せる。売る為に大人の同伴こそ必要だが、そのくらいの頼みを引き受けてくれる大人の知り合いは周囲に腐るほど居る。後見人の篠ノ之柳韻と、その道場に通う大人達だ。
更に言えば、懸賞に送るはがき買うのにもそれなりの金が掛かる為、それを補う手段としても篠ノ之柳韻が非常に頼りになった。
篠ノ之道場は多数の門下生を抱えており、柳韻自身も古風な人物。故に御中元お歳暮の文化も大切にするし、“年賀はがき”は毎年莫大な量が来るのは予想できた。
そしてその予想は見事に的中し、篠ノ之道場には使う予定の無い大量の“お年玉切手シート”が存在した為、秋斗は一夏と協力して、篠ノ之道場の掃除や雑事を手伝い、その対価として不要な切手シートを譲り受けたのだ。
「――――後一ヶ月遅かったら、切手シートの引き換えは出来なかったけどな。まぁ、あれだ。思い立ったら吉日っていうのか? まさにそんな感じだったな」
「いや、ほんと秋斗はマジでスゲーよ!」
「わかったから、落ち着けよ一夏……(一番スゲーのはお前なんだからよ)」
秋斗は一つの結果として神戸牛を手に入れた経緯を話して聞かせた。
我ながら計画と言っておきながらも、随分と運否天賦に頼った皮算用だらけのザル計画だと、秋斗は自嘲する。
しかも一夏の持つ主人公補正と言うか、運命力というべき謎の運の良さを頼った計画だ。
計画を作ったのは秋斗だが、実際の所、成功に漕ぎ付けさせたのは一夏の運。神戸牛を当てたのは一夏の送ったはがきなのだ。
ソレを思うと、秋斗は手放しで賞賛してくれる一夏こそ、一番賞賛されるべきだと思った。
が、説明するにしてもその凄さは“自覚させると消える”と言うある種の予感があり、秋斗はむず痒い気持ちになる。
「…………すまない」
「ぁん?」
千冬は唐突に謝罪の言葉を零した。
秋斗の思考と一夏の興奮は、それによって唐突に遮られた。
「千冬姉?」
「……どうした?」
「………………っ!」
不意に秋斗と一夏は、肩を震わせて静かに泣きだした千冬に強く抱きしめられた。
「……すまない! 不甲斐ない姉で――――」
「気にすんなよ千冬姉。だって俺達家族だろ? 千冬姉一人に無理させるわけには行かないじゃないか?」
「……あぁ。すまん……ありがとう!」
泣きながら零される謝罪の言葉に一夏は優しげな笑みを零す。
(…………後の世界最強は意外に泣き虫なのな)
秋斗は姉の涙をあえて見ないようにするのが出来る弟なりの優しさだと小さく苦笑を漏らした。
その日の夕食は実に豪華な仕上がりとなった。
織斑家で一番料理が得意なのは原作通り一夏である。
故に当然、この日のメインディッシュの調理には一夏が名乗りを上げた。――――その様はまるで関羽のようであった。
ちなみにその際に行なわれた織斑家会議で、篠ノ之家に肉の一部をお礼としてお裾分けする事が決まる。
料理番組で培った技術を発揮した一夏の手により、この日の夕食は神戸牛のステーキとなった。
それを一家3人で切り分けて食した。
「……美味いな」
「あぁ。って、いうか神戸牛ってのは
「なぁなぁ、秋斗。やっぱり時計とか狙うより食材狙おうぜ? 絶っ対、そっちのほうが良いって!」
三者三様のコメントを残し、織斑家一同は初めての高級食材に舌鼓を打つ。それは秋斗にしても初めて食べる肉であった。
「食って終わりの食材より、元手を作ってその資金を増やすのが先。まずは姉貴の稼ぎ以外での収入源を確保して、貯金と“ゆとり”を作る、だな。一夏には悪いけど、食卓に彩を添えるのは少し待ってくれや?」
この調子では一夏は食材狙いで懸賞を送りかねないので、秋斗は苦笑交じりに釘を刺した。
「……秋斗の言い回しはわかりづれーよ。もう少し簡単に言ってくれ」
「と、いうか秋斗。そもそもお前、どこでそんな知恵を拾ってきた? それに高熱を出して以来だが…………その、なんと言うか少し“雰囲気”が変わったか?」
「ん? そう見えるか?」
穏やかな食事が続く途中で、千冬はふと、訝しげな表情を浮かべた。
一夏もまた千冬の言わんとする所を察したのか、興味深そうな視線を秋斗に向けた。
その質問は何れ来るだろうなと、秋斗は半ば予想していた。
しかし、“今”来るかと、小さく苦笑を漏らす。
秋斗は内心でどのように説明するかを思案する。
「――――変わったって言うか、ちょっとそろそろ本気出そうと思ってな。いつまでも兄貴や姉貴の後ろをついて歩くのも情けないだろ? だからまぁ、少し意識してみたんだが、姉貴達は前の俺の方が好きかい?」
秋斗は逆に質問を投げた。
具体的な説明をするより、拘る必要の無い小事としてサラリと流す方が良いと思ったからだ。
千冬は少し思案の表情を浮かべ、ふっと小さく笑みを浮かべる。
「……いや、どちらかと言えば今の方が好みだな。以前のお前は私や一夏に手を引っ張ってもらう頼りない奴だった。それに比べると、今の方が確かに頼りになるな」
「俺も別に悪い感じじゃないと思うし、良いと思うぜ? そのイメチェンもありだと思う。それにやっぱ、千冬姉と同じでなんか頼もしくなったと思ったし」
「………………そっか」
千冬の一夏の感想を聞いて、秋斗も笑みを浮かべた。
前世の記憶に目覚める以前の自分――そのズレは確かに存在し、そして誤魔化しようが無い。
しかし前世も今もどちらも同じ秋斗であり、どちらの記憶も己のモノで、本物なのだ。
以前の“織斑秋斗”という人格を、今の自分が消去してしまったわけではないが、流石に自分でも感じる様な急激な変化が己の身に起こった。それを最も身近に居る織斑家の2人が、どう思うのかだけが、秋斗には少し心配だった。
しかし2人の答えを聞いて秋斗は安堵した。
「――――なら、問題ない。しばらくこの路線でいかせて貰うわ」
「しばらくって、お前またイメチェンする気かよ?」
「どうだかな。……まぁ、よほどの事があればまたキャラ変更するかもな? でも多分、死ぬまでこのまんまかもしれないとだけ言っとく」
「おいおい、なんなんだそれは?」
苦笑する一夏と千冬に冗談めかした言葉を送り、秋斗は癖になったどこか悪辣に見える小さな笑みを浮かべた。
一家は夕食を終えた後、『はじめて神戸牛を食った記念』として、3人で一枚の写真を撮った。