「――――で、何の用だ? 私としては、しばらくはお前の顔を見ないで済むと思っていたんだがな?」
「久しぶりに顔を見せてあげた親友に対して、それはちょっと酷くないかなぁ。あ、あっくん。出来ればタオルとか貸してくれると嬉しいんだけど、無いかい?」
「秋斗、雑巾だと。出してやれ」
「……流石に雑巾は冗談だよね? あっくん、出来れば普通にタオルを貸してくれない?」
秋斗は姉の命令と、今後も頼みを置きたい天災の間に挟まれて、思わず溜息を吐いた。
束の格好は、秋斗と最初に出会った時と同じで、『不思議の国のアリス』の出で立ち。だが来訪して早々に入浴中の千冬の下に突撃した為、その反撃を受けて今は衣装も髪も全てずぶ濡れの状態だった。
とりあえず秋斗は間を取り、台所に置いてある揚げ物用の“キッチンタオル”を束に渡した。
「……こいつは確かにタオルだね。こりゃ一本取られたぜ♪」
「おい、束。無駄遣いするなよ?」
「判ってる、判ってる」
束はからからと笑いながら、秋斗の渡したキッチンタオルで身体を拭き始めた。
とりあえず秋斗はその間に、束の分のコーヒーを用意する事にした。
「――――で、改めて聞くが一体どうした? 例の“研究島”でISを作ってるんじゃなかったのか?」
「作ってるよ。まぁ、実際はIS本体より、そのコアの量産だけどね。と、言うか最近はそれしかしてないよ」
「なんだ。お前の事だから、さっさと宇宙開発の方向に進んでいくかと思っていたんだが、随分と消極的じゃないか?」
「それがねぇ聞いてよ、ちーちゃん。ちょっと束さんにも良く分からない問題が起こってさぁ」
「例の、『女にしかISが反応しない』とかそういう類か?」
「そう、それ」
サラリとした口調で束の口から次々零れてくる世界規模の話に、秋斗は現実味を感じなかった。
秋斗は話を適当に聞き流しつつ、薬缶のお湯でインスタントのコーヒーを溶かし、2人分のコーヒーを準備して千冬と束の間に傍聴人として加わった。
ISが世界に登場した当初に、各国の間で結ばれた“アラスカ条約”。それから少し間を置いてISコアの管理に超国家組織“国際IS委員会”が設置された。その動きに平行するようにして国連の主要七カ国を初めとする各国政府は、それぞれの政府機関の直轄組織として、ISに関する専門の委員会の設置を急いでいる。
ISを核に匹敵する脅威として認識した世界は、この短期間にISに関する研究土壌の確保や法整備に急ぎ、次世代の“抑止力”として、その戦力の確保を目指して動き始めた。
しかし金と人材が動くのは、全て後々の兵器利用の為である。
故に現状では、束が繰り返しメディアをジャックして言った“宇宙を目指す為の翼”というIS本来の在り方は二の次であると、束は愚痴を零した。
「――――アラスカ条約でISの軍事利用は無しだと決まったはずだが?」
「あんなの所詮、形骸だよ。どうせ今後、ISの数が増えれば直ぐに改定されるし。今も条文の抜け道探しみたいなやり方でISの戦闘利用を考えてるよ」
「……戦闘利用?」
「そ。なんか各国で独自のISを作って、それをオリンピックみたいな競技種目として戦わせるんだってさ。提供した白騎士二号、三号は今、そんな感じで研究されてるね。まぁ、目指すところがエンタメだからいいけど。それより早く宇宙行こうぜって考える束さんとしては、それがすっごく歯がゆいぜよ」
「……ISを使った対戦競技か」
束の話を聞いて、千冬は顎に手を当てて顔を伏せる。
同じ頃。秋斗は現時点ですでにモンド・グロッソの原案が存在する事に内心で驚いていた。
「ちーちゃんは興味ある感じかい? まぁ、でもそれが実現したらちーちゃんならぶっちぎりで優勝できるかもね。っていうか、ちーちゃんがそれに参加するなら、ちょっと興味が沸いてきたかも」
「どうだろうな。世の中、上には上が居る。そう簡単にはいかんさ」
「え~。ちーちゃんよりISを上手く使える奴なんて居るわけ無いじゃん♪」
「……おい!」
千冬は底冷えするような低い声を出した。
すると束は「あ!」という顔をして、咄嗟に秋斗の方を見た。
秋斗は千冬の一変させた空気に戸惑い、思わず首をかしげた。
そして一拍置いてから、「あぁ、そう言えば白騎士は
秋斗が一瞬反射的に首をかしげた事が幸いしたのか、千冬は安堵したように溜息を吐いた。
「あ、あーそう言えば忘れてたね。……それはそうと、あっくんへの御土産も持ってきたんだっけ♪ 束さんとした事がすっかり忘れてたぜ!」
「あぁ、以前電話で頼んだモノか?」
「そうそう、それそれ」
束と千冬は何事も無かったかのように話を変えた。
「土産?」
それまで静かに2人の話を聞いていた秋斗は、突然切り替わった話題の中心に繰り出された事に、首をかしげた。
「コンプレッサーとエアブラシとレギュレーターと水抜き……後、リューターと各種バイトだっけ? 必要なんでしょ? ついでだから塗装ブースも含めて、実家の倉庫から全部持ってきてあげたよ♪」
「え――――?」
以前、ラップトップを取り出した時と同様の所作で、束は量子格納したそれら数々の工具を次々と空中から取り出して見せた。
何度見ても魔法にしか見えないその技に秋斗は目を見開いた。千冬も同様だ。
しかし千冬と秋斗浮かべた驚きには、それぞれその意味が大きく違った。
秋斗の方は“目的を達する為の道具が、ほとんど揃った”という喜び。
千冬の方は初めて目の当たりにする“THE機械”に対する強い戸惑い。
「IS作り始めたら普通の模型作るのに飽きちゃったしね。束さんは自分で使う道具は基本自作してるから、昔使ってた市販のお古でいいなら全部あげるよ。あぁ後、余ってる塗料がいくらか有るけどそっちも要る?」
「え、待って。マジでくれるのか? 要るよ、要る要る、超要る!」
「うむ、素直でよろしい」
秋斗は思わず身を乗り出して、反射的にそう口走った。
秋斗の反応に束は笑顔を浮かべると、ワンルームマンションに設置してある小さな正方形の冷蔵庫を一つ取り出してみせた。
扉を開けるとシンナーの臭いが漂った。
秋斗はラッカーとエナメルと数本の有機溶剤が入ってる事を確認し、思わず顔を綻ばせた。
「……全部ガイアノーツかよ、しかもマジョーラこんなに譲ってくれるとか正気か?」
「お、そこに眼をつけるとは中々分かってるね? もし使うんだったらプライマーとかトップコートも出すけど必要かい?」
「もちろん。くれるなら貰うぜ。博士、ありがとな! いや、本当に!」
「ふはは、どういたしまして♪」
「……おい、待て。お前達ちょっと待て!」
――――と、その時、千冬が声を荒げた。
「束ぇ! その道具の山は一体なんだ! それと秋斗! プラモデルを作るんじゃないのか! 一体なんなんだその工具の山は! 説明しろ!」
束が秋斗に用意した無数の工作具は、千冬にとっては名も知れぬ不思議なカラクリでしかなかった。
そしてそれらの道具は、基本的に運動畑に生息する千冬にとって、正に未知の存在。人は己の理解の外側にあるモノに対して、ある種の“恐怖”を抱き、ソレを取り出したのが世間で“天災”と呼ばれる篠ノ之束であるならば尚更。
――――しかし、そんな風に千冬の内心に湧き出た恐怖や忌諱の感情を、秋斗は咄嗟に理解できなかった。
故に秋斗は、一体何をそんなに怒るのかが判らず、首をかしげながら千冬に説明を始めた。
「いや、どれもこれも姉貴に説明した通り模型“作る”為の道具なんだけど? プライマーってのは金属塗装前に下地を作る為の薬品で、トップコートってのは――――」
「あっくん、あっくん。ちーちゃんは“こういう”の詳しくないから、その説明じゃ無理だよ」
と、その時秋斗の説明を遮るように束が口を挟んだ。
束はいつの間にか秋斗の真後ろに立っていた。
――――なぜか後ろから抱きすくめるようにして、秋斗の肩を捕まえるように両手を置いていた。
「それより束さんも質問があるんだけど、いいかな? なんで使ったことも無いような道具の事をキミは知ってるんだい? 私の作ったPCのスペックも普通に理解してたよね? なんで?」
「っ!?」
束はぐっと顔を近づけて秋斗に問うた。
不躾にいきなり顔を寄せられた秋斗は、思わず反射的に束から身を引いて離れようとするが、肩を掴んで固定されている為に、それが出来なかった。
「――――っと、博士! 悪いんだけど、ちょっと放してくれない? ……近いんだけど、顔が」
「ダメ。今は束さんの質問に答えてくれる方が先でしょ? で、なんで?」
「なんでって。そりゃ、知ってる事を知ってるって以外に答えようがないだろ? ……って、いうか頼むから、もう少し離れてもらえません?」
「…………ふ~ん」
秋斗の答えを聞いて束はにんまりと笑う。
それは束と初めて会って、名を聞かれた際に浮かべられた笑みに似ていた。
「おい、束。私の弟を放せ。と言うか気安く触るな。馬鹿がうつる」
その時、千冬が秋斗の目の前に立った。そして束の腕を外そうと、千冬は秋斗の肩に置かれた束の手首を力強く掴んだ。
千冬は何時に無く剣呑な雰囲気していた。なぜなら千冬の目には、
――――そして千冬と束が秋斗を間に挟み、対立の構図を取った。
秋斗から視線を外した束は千冬に笑顔を向ける。そしてふと思い出したように言った。
「あ、そう言えばさっき此処に来る途中の公園で、ちーちゃんのもう一人の弟君を見かけたよ」
「一夏がどうした?」
「そうそう、その子。イチカって言うんだね。うん、覚えた。でね、そのいっくんがね、公園でウチの箒ちゃんと一緒に仲良く素振りしてたんだ」
「……なに?」
束の話に千冬は眉をピクリと動かした。
(
秋斗は束の言葉を聞いて、ふとそんな感想が脳裏を過ぎった。
束は言葉を続けた。
それはある意味で千冬の地雷を自ら踏みにいくような台詞だった。
「もう、あれだね。ギャルゲーで言うなら超王道的な幼馴染ルートの、回想シーン見たいな感じだ。『大人になったら結婚しよう』とかって台詞も秒読み段階だったんじゃないかなぁ。まぁ、箒ちゃんは基本的にツンデレキャラだから、今はツンツンするだろうけどね。でね、ちーちゃん。そこまで考えた時にふと思ったんだけどさ。箒ちゃんがいっくんと『結婚』したら私もいっくんのお姉さんになるじゃん? それならもう、今日からあっくんの事も私の弟にしてもいいんじゃないかな? っていうかそうする事に決めたよ♪ だから今日からちーちゃんも束さんの家族だね。改めてよろしくね♪」
「………………は?」
発想の飛躍っぷりがまるで棒高跳びだと思った瞬間。秋斗は千冬の立つ位置から、“ガリッ”という何かを削るような重い音が響くのを聞いた。
「
先の音が、千冬の立てた“歯軋り”であると気づいたのは、その直後の事。秋斗が千冬の顔を見た瞬間であった。
人間は顔から一切の感情をなくしても“笑み”を浮かべられるのだと、秋斗はこの日初めて知った。
「私は別に冗談なんて一言も言ってないよ。あれ? ちーちゃんはいっくんと箒ちゃんが結婚するのは嫌なの?」
「一夏が誰を娶るのかは、それこそ一夏自身が己で将来決める事だ。その時の相手に箒が選ばれる可能性もあるだろう。――――が、それはあくまでも未来の話。今この瞬間に、貴様が一夏と秋斗の“義理姉”になるというのは聞き捨てならん。そしてこの私が許さん!」
「でも時間というのは、何時の時代も未来に向って進んでいくモンだよ? 私の見立てでは、もう“フラグ”という芽は既に萌えているから、後は育んでいくだけ。所詮、時間の問題だと思うよ? それなら遅いとか早いとかの理屈なんて、殆ど意味をなさないよね?」
「…………ソレが貴様の答えか?」
「だとしたら、どうするのかな? かな?」
千冬と束の対立が作り出す剣呑な気配に、身の危険を感じた秋斗は徐に挙手して言った。
「ストップ。家の中は狭いから、続きは外でやってくれ」
☆
「――――ただいま。あれ? 秋斗、千冬姉は?」
「おかえり。姉貴ならたぶん博士と殴り合ってる」
「…………は?」
昼頃になって一夏が帰って来た。
秋斗は質問に短く返事を返しながら、束に譲ってもらったエアブラシの組み立てを行なっていた。
「博士って、箒の姉さんの事?」
「そうその人。さっき来てたんだ。で、これ全部貰った」
「貰ったって、お前……何なんだよこの機械?」
一夏はエアブラシと塗装ブースを指差す。
そんな一夏の疑問に、秋斗は一つずつ答えた。
「こっちがエアブラシと塗装ブース。こっちのはリューターっていう切削用の道具。ちょっと夏休みに本格的に金を稼ごうと思ってさ」
「前に言ってた模型作って金稼ぐのに必要っていう道具?」
「そうそう」
「へぇ」
一夏にとっても目の当たりにするのが初めての工具ばかりだ。故に一夏は、興味深そうな表情で道具のいくつかを手に取り、分からないなりにそれらの造りを確かめはじめた。
「なんかこう……プラモ作るのってもう少し簡単そうなイメージあったんだけど、そうじゃなさそうだな」
「まぁ、説明書通りに作るプラモなら簡単だよ。ただ、俺がやろうと思ってんのは、少しそれとは違うけど……」
「……手伝おうかと思ったけど、俺には無理そうだな」
一夏は肩を竦めてやれやれと息を吐いた。
そんな一夏の様子に、秋斗は思わず苦笑を浮かべ、話題を変えるように一夏好みの思い付きについて話した。
「一夏って“野菜”とか育てるのに興味ある感じ?」
「野菜? なんだよ突然?」
「トマトとかきゅうりとか、一年の頃にアサガオとか育てたみたいなノリで、育てる気はあるかって聞いてんだよ」
「おぉ! 家庭菜園って奴か! もちろんあるぜ。出来るならやってみたい」
一夏の趣味に掠る分野で話を振ると、予想通りに興味を示した。
秋斗が食材を自作するという点に気づいたのは、偶々今年の最初に、学校でプチトマトの栽培をさせられた事がきっかけだ。
「調べてみたらそんなに難しそうでもなかったからよ。折角だから一夏が主体になってやってみたらどうだ? 自分で育てた野菜とか調理し甲斐あるだろ?」
「いいな、それ。でも俺の小遣いとかで出来るかな?」
一夏は興味を引かれたが、不安そうに言った。
しかしこんな事もあろうかといった様子で、秋斗は悪辣な笑みを浮かべた。
「そのくらいの金なら全然あるぜ? こういう時の為に懸賞はがきの景品を売りまくってきたんだからよ」
「ほんとか!」
「あぁ、やるっていうなら、道具を揃えて早速始めてみるか?」
「やる!」
一夏は拳を握り締めて気合の篭った返事を返した。
秋斗はそんな兄の様子に苦笑を浮かべながら、ラップトップのブラウザにホームセンター系の通販サイトを開いてみせる。
「あ、そうだ」
「ぁん? どうした?」
一夏はふと、思いついた様に言った。
「どうせ野菜を育てるならいっその事、道場の皆で育ててみないか?」
「……は?」
「いや、俺一人でやるより皆の手を借りて一斉にやった方が、たくさん採れるだろ? 鉢植えの数が増えるだけなら、手間もそんなに変わんないだろうしどうだろう?」
一夏の思いつきに、秋斗は思わず目を丸くした。
しかし考えてみると、それは実に理に適った合理的なプランである。
「……道場の皆って事は、栽培の場所は道場の庭先にすんのか? まぁ、一斉に介するならその方が都合がいいか。大人の監修もあるし、企画としては割りと面白いんじゃねェか?」
「秋斗もそう思うか?」
「あぁ、悪くないと思うぜ」
秋斗は思わず思考を加速させた。
「それと、どうせなら柳韻先生にも積極的に協力してもらって、もっと“大掛かりな企画”にしてみても面白いかもな。先生の顔の広さなら、畑を持ってる知り合いとか居るだろうし。それならプチトマトどころか玉ねぎとか芋とかも採れるかもな?」
「おぉ! 確かに!」
家庭菜園を飛び越して、大掛かりな農業体験企画として立ち上げる。
そんな風に飛躍させた秋斗の考えを聞いて、一夏は多いに乗り気を見せる。
――――そしてそれから数時間程が経過した。
昼食を取ったその足で、一夏は篠ノ之道場へと向った。
そしてなんとその日の内に、篠ノ之道場に通う年の近い同門達を巻き込み、柳韻に直談判をして農業企画を実現可能な段階まで推し進めてしまった。
秋斗にとってその展開の早さはまさに予想外であり、そして同時に一夏の侮り難い行動力には思わず舌を巻いた。
秋斗からすれば、夏休み前の期間を使って、少しづつ企画が立ち上がればと考えていた。それが蓋を開けてみれば、一夏は思いついたその日の内に、企画を“実現可能な段階”にまで、独力で導いてしまっている。
こればかりは流石の秋斗も、想像できなかった。
夕方。道場から帰宅した一夏は、この企画成立と事の顛末をドヤ顔で話した。
そして笑みを浮かべて言った。
「最近、秋斗に頼ってばかりだったからな! たまには兄貴としてスゲェところ見せないとさ!」
「…………大した奴だよ、ホントに」
秋斗はその言葉を聞いて、流石主人公なだけあると素直に感服した。