「それじゃ、通るよー」
「あやややや、待って下さい……とは言えませんね。ではせめて道すがら、少し取材を受けて頂けませんか?」
「うーん。くぁ、仕方ないかな」
勝った少女は喜色を表しもせず、両目から溢れだしていた穢れを青磁のように割れそうな手の平で押し容れてから、更に無理を重ねてフラフラ飛んでいく。
その傍を廻る天狗は、敗者であることをもう飲み込めたのか、むしろ以前よりも余裕を持って言葉を紡ぐ。
ぶつかり合うことで、空に冗談みたいに大量の妖気を散らした二人は、それで反発力を失ったのか、旧知の如くに互いを受け容れ合っている様であった。
少女は文とここまで近づけるのには万年はかかると思っていたが、それは幼さ故の錯誤である。或いは、それもゆっくりし過ぎた際の想定だったからなのかもしれない。
恋が一瞬であったように、衝突は理解を生むものでもあると、知っていたのに不快から分かりたくなかった少し前の彼女。
しかし、ゆっくりした自分の隣に合わせて飛ぶ、文の営業用の笑顔を見てしまっては、現実を受け入れざるを得ずに。
ついつい、少女は希望を見つけてしまうのだった。
「……そう、仕方ないんだよ」
「ん? 大丈夫ってことですよね?」
「まあ、いいんじゃないかな」
でも、そんなことは文には関係ない。とりあえず、今は内を探るのではなく表をしっかり見ようと彼女は割り切っていた。
そも少女の素は、文が最低百年は擦れ違い続けていた筈なのに、気づくことすら出来なかった程に異次元な存在であり、またそれは俗にも文の姿を勝手に観察してもいたようだったのである。
幾ら変わってきていようとも、そんな元から不気味な相手の気持ちなど、早々に理解できるはずがなかった。もっとも不明なだけに、記者としては畏まって聞いてみたくなるくらいに興味深くはあるが。
ただ先程から、そんな興味興奮を抑えながら、文は大人しく飛び回りながら【今の】少女の姿を観察してはいた。その際に、気づいたことが幾つか。
ハレた天の下でよく見れば、少女は濡れていなかった。なるほど、あの弾幕は名前の通りに畔の庵をイメージしたものであったのだと、彼女は理解する。
そして、あの混沌も遠くから見ればさぞや綺麗に見えたことだろうと、ぷるぷると身震いして毒気と水気を飛ばしながら、文は皮肉気に考えていた。
ならば逆も然りでないかと思ってしまうのも想像力に富んだ記者の当然で、少し湿ってしまった手帖を取り出すのも速いもの。言葉を表に引き出すのには、自信があった。
少し居やすくなった少女の傍で、天狗は幾つもの質問を脳裏に浮かべて、その中から殊更気になる一つを問いかける。
「さてさて、もう色々と余裕があまり無いようですし、それではズバリ聞いてみましょう」
「なあに?」
「貴女が行った妖精大量虐殺の件の、原因を教えてもらえませんか? あっ、出来れば動機も欲しいですね」
「うーん。そっか、やっぱり気になるよねえ」
少女はまた襤褸になった服を隠すため、両手に力を集めて布を創りながら、眉をひそめて文に困惑を知らせた。
実際、生まれたての裸の姿は、人間ならばまるで思い出せないくらい、忘我すべき記憶である。
顔の代わりに蓋した瞳の奥を赤くして、他に理解できない産声を上げたその様はあまりに無様で、幾ら餓鬼の少女であってもそうそう語りたくはないものだった。
「話し難いですか……そうですねえ。調査が仕事の一部というのは確かですが、私としてははただ真実を広めたいのです。だから貴女が何かと私だけ分かっていても意味はないので、事実を記して広く読者に誤解を認めてもらおうと、そう思っていまして」
「偉そうだね」
「そうあることこそ、当たり前の努力目標なのですよ。常に記者は蒙昧の一歩先を行っていなければならないのですから。情報の最先端は、常に私の前に開かれていなければならないのです」
「でもそんな賢い貴女だからこそ、一番大切なものを壊した私が許せなかったのでしょ? 異変を活かす小さいものを潰してしまった私を、貴女が睨むことは仕方ない」
「……やれやれ。やはり貴女は、分かってしまうのですか」
軽くため息を一つ。それだけで、文は内に入り込んだ気持ち悪さを払拭する。
天狗は、仏に背いても顕れてすらいない神を否定するような物の怪ではない。
しかし、適切な距離というものを知らない餓鬼なんていうものは、やはり鬱陶しく思うものだった。
ただ、閻魔を前にした時よりも居心地が悪くはないのは、受け入れられてしまっているからか。そんな風に考えながら、文は小さな大妖怪を睥睨する。
そう、文は妖精、つまるところ平常が壊されたことが不満だったのである。
どうでもいいような存在が、下らないことをしているという、何時も。
そんな、弱肉強食の合間の暢気は、認めていた以上に彼女にとっては大切なもののようだったのだ。
変事の真実を報道するのが記者の役目の一つであるならば、日常の面白さを伝えるのもまた大事なことである。
素直な妖精たちは、突如として現れた【死を帯びたもの】を直視ししてそれに感染することで死に、また後で生えた。
そんな、面白くない日常の崩壊を目撃してしまった文の内で、真実を欲する心は知らずに滾っている。
「うーん。あれは強いて言葉にするなら、産穢(さんえ)みたいな事象だったんじゃないかな。まあ、そうだね……天はハレていたんだけど、【私】のせいで赤くて黒い雨が降ってしまったんだ」
「ええと…………なるほど。つまり、あの時の貴女は旧い旧い、ルールに法ってしまっていたと。そういうことでしょうか?」
「血を浴びて生まれた私は、穢れたもの。そんな旧概念に私は負けて、妖怪に堕ちた。無様にも。ああ、恥ずかしい――――でも、それでも、私は見て欲しかったんだ」
「それが妖精(誰)でも構わないと、そんな気持ちだったのでしょうか。ふーむ……だから、貴女の容姿は異常に整っているのですね。気を、引かせるために」
「くぁ。ま、それだけじゃないんだけれど……大体は合っているよ」
少しだけ成長してしまった今から思えば恥ずべき過去。そんな、捨て去れない悔いを抱いて少女は誤魔化し嗤い、そして認める。
全てが大切であるのだから、それも仕方ないことである。そう思っていても、上気は止まない。
果たして、そんな照れによって起きた幽かな紅潮ですら邪魔に思えるほど、少女の容姿は見事なものだった。
また、彼女特有の心和ませてくれない子供の笑み、というのは文の眼にも嘲笑と映りかねないものである。
言葉を半分も真に受けて見れば、なるほど少女はとても素直ではないものと思えた。
「今は大分マトモですが、当時の貴女は華飾された原石にたとえられるのでしょうね……邪魔になるくらいに眩く醜悪である、と」
「あはは。歪んだ真珠って程度に抑えていれば芸術的だったんだろうけど。そんなこと、餓鬼の私は気づきもしなかったんだよねえ」
「仕方ありませんよ、何せ幼さ故の無軌道から来た不可抗力なのですから。――――そういうことに、してしまいましょう」
「ありがとう。……ふぅ。よし、出来たっと」
よく見知った相手との口裏合わせは簡単に済み、それに少女は言葉通りにありがたみを覚えた。
それは、ただ面倒を無くしてくれた感謝だけでなく、悪戯好きな餓鬼の性が、少し後ろ暗い共有を体験できたことを喜んでいるという部分もまた大きいものである。
そんな内心を隠すように、少女は初めて【作った】外套を嬉々に歪んだ顔が隠れてしまう程近づけて、そうしてから抱く。
時間をかけてついつい創りあげてしまった二色から、少女は少し悩んで黄色の布を選択していた。
そして、彼女はアリスから紡ぎ方を学び取った魔法の糸を創って縫い、ポンチョのようにしていて、それを愛でてから身体に羽織る。
こうすることでもう五体は恥ずかしくないくらいに隠れ、胸ポケットにて安堵している人形の無事も撫でて膨らみを確認済みだ。
準備体操代わりに弾幕ごっこで充分動けて、恥晒しによって金の融点程には身体も温まっている。少女の用意は、これで完了した。
だからもう、後戻りは出来ないのである。挑み負けることに、言い訳は残さない。そう、少女は決めていたのだった。
「おお、中々お似合いですね。その格好は実に妖しくていいですよ。変質的です」
「くぁ。どういたしまして。もう時間があまりないんだけど、何か外に聞きたいことはある?」
「……うーん。後、個人的に聞きたいことがあるのですが、構いませんか?」
「もうちょっと着くまでかかるから、いいよ」
「ではでは。貴女は身に過ぎた危険を犯してまで、どうしてあんなものを助けようとしているのです? アレはそんなに価値があるものと思えませんが」
文の観察する慧眼は、少女の内に出来上がった強い決意に気付いていた。
しかし、少女が身の程を知りながらも山の神の社に飛び込むには、創ったばかりの不思議生物を保護するため、という動機では足りないだろうと彼女は考えている。
そんな無茶にどんな意味があるのか。ただ早く助けたいのであれば、ほうぼうに顔が利く博麗の巫女にひたすら頭を下げればいいだけの筈である。
だが、むしろ少女は、珍しくも失態を恥じた巫女が、事態を穏便に片付けようと働くことを止めていた。
どうしてそこまで、自力で助けるということに執着しているのか、そこが文には純粋に気になっていたのだ。
「ゆっくりは、大切なの」
「本当に、そうなのでしょうか? あんな弱々しい邪魔者、貴女ならば直ぐに見捨てるものと、私は思っていたのですけれど」
「そんなこと、もうしない。だって私は――――――」
豪、轟。
誰かの血のように赤い髪は流れ、少女の呟きは直ぐに、風に運ばれて散り散り不明瞭となっていく。だがしかし、確かに彼女は答えていたのだった。
それは、決意である。また、夢の放棄でもあった。
どうして、そう思い至ったのか。そんなことは少女にも分からなかった。不明な内心を隠すかのようにその瞳は暗く、閉ざされている。
「そう、ですか。あやややや。駄目ですねえ私は、もう少しお付き合いしたい気分になってきてしまいましたよ。……ホント。私的に、最後まで見届けたくなっちゃったかな」
「邪魔しないなら、別にいいよ」
「勿論。それは約束するわ」
しかし、間近で捉えたその答えを腑に落として、文は全てを納得していた。
そしてついつい興味に引き摺られて、仕事を放棄してまでその結果を目に入れたいと思っれしまう。
少女が山を登る真の意味を理解して、その様を見届けることを文は決めた。折れることを予知していて、それでも続くことを知らずに願いながら。
「それじゃ、私はお先に失礼するよー」
「また後で。私はゆっくり行ってあげる」
だから、一旦止まり、そうしてから邪魔にならぬよう少女よりも遅く進んで、文はこっそりと後をつけることにしたのだった。
何時かの少女が口にした、勧め通りに。
「さあ、今行くよ。待っていてね」
そして独り、少女は不安定にも慣れて後はただ、進むのみ。文や目聡い白狼天狗等の視線をその小ぶりな体躯に集めながら、彼女は無視して上を見る。
その頂きこそが、目指す天辺だった。
「……なるほどねえ。まあ子供らしい、大言壮語だこと」
そして丁度その時、切り取られた風のうわさは、神の耳にまで届いていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「あ、あの……神奈子様、諏訪子様。ひょっとして、この子がどうかしたのですか?」
「ゆ、ゆぅ?」
「……まあ、これじゃあ仕方ないよ、神奈子」
それは少女が殴り込みに来る少し前。
沸き起こる愛玩心に耐え切れず、家に入る前に表で飛頭蛮のような見た目の生物を撫でたり追いかけっこして遊んだりしていた早苗だったが、境界内にそのゆっくり霊夢が這入ってしまったことによって、その有様は二柱に見つかることとなった。
しかし、可愛らしい生き物を是非紹介したいと思っていた早苗にとっては、むしろそれを幸運と捉え、抱きしめながら二柱の傍に駆け寄る。
彼女らが揃って駆けつけた意味を分からずに。
奥座敷に連れて行かれるその合間も興奮から、早苗はペラペラとゆっくりの容貌を褒め、マスコット商法を代表とした外の手法の導入による想像出来る限りの展望等をまくし立てていた。
しかし、次第に反応の薄さから神奈子の瞳の冷たさに気付くようになり、そうしてようやく事態が重いものだという想定外の可能性に思い当たる。
裏付けるように、表は何時も陽気な諏訪子の表情には呆れが見うけられ、そして、神奈子が沈黙のまま額を抑える様を目にするに至っては、それを確信せざるを得なかった。
縋るように抱きしめた、ゆっくり霊夢の柔らかさのみが、針のむしろに包まれた早苗の唯一の救いである。
「……はぁ。諏訪子、後は頼んだよ」
「私が行こうか?」
「万が一があったら困るから、今回も私が行くわ」
「相変わらず、過保護だねー」
「その代わり、早苗にはちゃんと教えておくんだよ。こっちとあっちの違いをね」
「はいはい」
「えっ?」
そんな早苗の不安を他所に、頭の上をよく分からない会話が飛び交っていった。
まるで無視をされているようで、寂しいものであるが、しかしツーカーな夫婦みたいに分かり合っている二柱の間に、割って入るのは早苗にはまだ難しい。
そうして、不明なままに神奈子は席を立って外に向かい、残った諏訪子は端からちゃぶ台に座布団を引っ張ってきて、目の前に座る。
二柱の配置は逆だが、それは幼い頃に早苗が悪いことをした後で、神奈子に拳骨を貰う前の段とそっくりで。
「あ、あの、その……」
「ゆぅ?」
足元にポンと置かれた早苗の分だけであるだろう座布団一枚に向かってから、とうとう彼女は叱られることを予期して子供のように、狼狽え始めた。
困っても上手に助けを求められずにオロオロするところは昔と変わらないなと懐古して、微笑んでいる諏訪子にも気付かずに。
しかし、どこかに助けを求めてつい力が入った腕の中のぬくもりが、ぐゆと動いたことで、ようやく早苗は問題を思い起こして向き合えるようになる。
「あ、あのぅ……この子、実は悪いものなのですか?」
「それは違うと思うけど、ちょっとよく分からなさ過ぎるんだよね。まあ、お茶でも淹れてから、取り敢えず座って一息つきなさいよ」
「ゆ? ……ゆっくりしていってね!」
「あはは、コイツは面白いねー。博麗の巫女そっくりだけど、中身は反対だわ。人懐っこすぎるよ」
お客さんのゆっくり霊夢は、ちゃぶ台に置かれた茶缶を見つけ、笑顔で家主にもてなしの言葉を発する。
それを抱く早苗にとって、そんなおかしさは可愛らしいという感覚に通じていた。しかし、同時にゆっくりがそういうものであるという事しか知らないのに奪取してきた、自分の不明にも気付く。
そう、早苗はこの生き物の生態も、親家族も分からないのだ。コレが食べていいもの駄目なものも聞かずに軽々と家に招いてみても、何も知らなければろくにもてなしてあげることも出来ないというのに。
「そっか。可愛いだけじゃなかったのですね……この子は」
ふわふわとしていた腕の中の饅頭が謎にまみれることで、途端に重くなったのを早苗は感じた。
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