えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百一話 伝手

 

 

 

「おっ…。珍しいな、バラキエル。お前がまだここに残っているなんて」

「あぁ、明日の修行メニューの最終確認をな。期日は決まっているとはいえ、教官として半端な事はできん。それに鍛えれば鍛えるほど、彼らはなかなかに面白い反応を返してくれるからな」

 

 『神の子を見張る者(グリゴリ)』の研究施設の一室で、アザゼルは顎に手を当てて端末を操作するバラキエルを見つけ、片手をあげて挨拶をする。そして返ってきた友人の真面目な答えに、つい笑みを浮かべてしまう。始めの頃は、初対面の人間の子ども相手にどう接すればいいのか悩み、さらに家族との時間を取るためにすぐに帰宅していた姿と比べれば、随分と馴染んでいるように感じたのだ。

 

 元々生真面目な性格の友人だが、武闘派としてドライな思考もあるため、気が乗らない仕事だろうと義務感で黙々と任務を遂行することはできた。しかし、今のように楽し気な表情でメニューを考えている様子を見れば、彼自身も今の仕事を意欲的に取り組んでいるのがわかるだろう。ここ数年は家族以外に時間を使うことを避けている感じであったが、まだ出会って数日しか経っていない少年のために時間を割くことを許容しているのだ。

 

 奏太とバラキエルの手合わせは、何度も形を変えて行われていた。さすがに人間である少年を死なせないために、本気や殺傷力のある威力は出していない。しかし、最近では威力は手加減しているが、雷光を放つスピードは手加減しなくなってきている。おそらく回避能力に関しては、雷光と称された男も認めるレベルになってきたのだろう。まだまだ身体が追いついていない部分も見受けられるが、反応は出来ているのだから。

 

「ふーん、『彼ら』ね。武闘派のお前から、手合わせで面白いなんて言葉が出るとは思わなかったわ」

「彼のような『勘』で動くタイプは何人も見てきたが、あそこまで特殊な例は見たことがない。アレは文字通り、神器に自分の全てを委ねていた。己の感情や疑問よりも、まずは『できる』と信じて行動してくる」

「あいつ、自分自身よりも神器の方を信頼しているからなぁ。神器に無理なら、自分も無理と考えている。戦闘関連は苦手意識もあって、特にその傾向が強いだろう」

 

 普段の日常生活は、奏太が自分で考え、主体的に動いている。それを神器も受け入れ、補佐や介護以外の役割を表だって行うことはない。しかし、悪意の有無や戦闘といった宿主が苦手と感じている分野に関しては、神器が前面に立って主体的に動いている。そして、それを宿主自身もお願いしているような状態だ。ある意味で、役割分担をしているとも言えるだろう。傍から見たら、正気かと思えるような方法だろうが。

 

 倉本奏太の持つ、危機感知能力。宿主を護るために備わっている神器の特性の一つではあるが、特にそれが顕著に表れている事例だろう。彼の持つ予知にも似た感知能力は、問題なく戦闘でも使えているようだ。その直感の精度は、アザゼルやバラキエルも認めるほどのものになってきている。正直、奏太自身が考えて動くよりも、相棒に任せていた方が、明らかに動きが良いぐらいの違いはあるだろう。ちなみに、それは宿主本人も自覚済みである。

 

 今まで研究されてきた神器の感知能力に、これほどまでの力はなかったのだが、前例を尽く吹っ飛ばす宿主と神器にアザゼルもだんだん気にしなくなってきていた。最近では、「まぁ、カナタだしな…」で受け入れ態勢が出来てきたことに、慣れを感じる。研究者としては興味深くもあり、ある意味で研究者泣かせな生徒であった。

 

 

「雷光であるお前から見て、その感知能力は実戦でも通用しそうなのか?」

「ふむ…。私の評価としては、あの神器の感知能力は緻密な機械のような印象を受けたな。確率を瞬時に導き出し、その時々に応じた最適なパターンを指示している。まさに、お手本のような解答だ。しかし、その分私のように戦い慣れた者は、最適な道しか選ばない相手の行動を予測しやすい。最初の頃は、それで嵌めることも容易かった」

「……最初の頃は?」

「しばらくしたら、驚くことにパターンをランダムに組むようになっていた。それも、私の思考や戦い方を考慮した形にな。ただの機械にはできない、己の反省点を洗い出し、最も適した動きになるように『学習』をあの神器は行っていた。それも回数を重ねるごとに、目に見えるほどの成長を見せる。宿主の信頼に応える様にな」

「学習能力を持つ、意思のある機械か…」

 

 アザゼルはバラキエルからの見解に、顎髭を思案気に撫でる。連日密度の濃い手合わせを行っていた教官だからこそ、気づいた視点。感情的で流されやすいが揺るぎない信頼を寄せる宿主と、機械的だが宿主の信頼に応えようと柔軟に作戦を考案する冷静な相棒。ちぐはぐでありながら、お互いの足りない部分を補うように機能しているようにも感じた。

 

 実力から裏打ちされた『直感』を行使する者との戦い方とは違う。二重人格と表現していいほど、二人の全く思考パターンが違う相手と戦っているようなものだ。戦闘をする者は戦っている相手の能力だけでなく、その表情や性格も考慮に入れながら戦闘の流れを考えるのが基本である。しかし、奏太に関しては戦闘の流れを委ねている相手が内にいるため、外の人格から実力が計りづらくなっていた。予知にも似た『(神器の思念)』は、バラキエルさえ驚くほどの精度であるというのに。

 

 そのため、実際に手合わせをしなければ、相手の実力を正確に計れない。しかも、機械のような緻密な確率思考に、柔軟な学習能力も兼ね備えているとは、あの宿主を見てまず思わないだろう。見た目も性格もオーラも、とても戦闘が出来そうにないのだから。初見の相手なら、まず騙されて油断する。本当にお前は暗殺者でも目指しているのか、とアザゼルはちょっと遠い目になった。

 

 

「なるほどねぇ。色々ツッコミどころはあるが、あいつもそれなりの実力はついてきた訳か」

「まだまだ粗は目立つがな。だが、彼は能力で己の感情を一瞬で律することができる。感情を武器にする直情的な者は、実力を発揮する者も多いが、その分冷静さを欠いて命を落としやすい。手合わせでこちらがどれだけ心に揺さぶりをかけても、すぐに行動出来ていたからな。アレは相対して、初めてわかる厄介さだろう」

 

 所謂、定石の手が使いづらい相手なのだ。こちらの常識が、相手には通用しない。倒せないことはないだろうが、初見で相手にすればまず戸惑うだろう。しかも面倒なことに、時間をかければかけるほどこちらの戦い方を解析され、相手の能力によっては封殺される。勝てないと踏んだら逃げに徹され、こちらの情報を得てから全力逃走。仲間がいれば、最も適した立ち位置から援護を施す。

 

 半端な攻撃では回避や回復をされ、遠距離攻撃は直感で避けられ、特殊能力は逆に利用される。神器の特性上、搦め手を使う相手ほど嵌めやすいのだ。それこそ、奏太以上に性質の悪い性格をしているか、相手が反応できないレベルのスピードで一気に仕留めるか、小細工が通じない純粋なパワーで畳みかけるか、という純粋な実力勝負の方が倒せる確率は高いだろう。

 

 もっとも、奏太がそんな相手に真っ当な勝負を挑む可能性の方が低いだろうが。魔王級のパワーを持つ魔龍聖に仕事をさせないように、全力で妨害や弱点を狙い撃ちするし、高速戦闘を主とするエクソシスト相手には、トラウマを遠慮なく抉って機能停止に追い込む。奏太にまともな戦闘をさせる、というのが一番難しそうな時点で、何かがおかしい気がした。

 

「……アザゼル。鍛えている私が言うのもなんだが、本当にいいのか? お前が和平を目指していることは理解しているが、まだ明確に味方となっている訳じゃない相手だ。このまま成長して、万が一敵対関係になった場合、厄介どころの話じゃなくなるかもしれんぞ」

「まっ、そうだな。お前の懸念はわかっている。あいつが自分の感情や理性すら意図的に消せるなら、理論上親しい相手だろうと容赦なく手を下せる訳だからな」

 

 そう言いながらアザゼルは肩を竦めるが、その声音はおかしそうな響きを含んでいた。以前奏太にも注意を促したが、組織の長として非情な決断を下さなければならない時はある。お互いに敵対する気はなくても、この世に絶対はないのだから。それでも、本音を口にするのならば、答えは自然と出ていたのだ。

 

「だが、不思議とあいつはその身に宿す能力の危険性よりも、そのアホさや能天気さの方を信じたくなるんだよ。少なくとも俺が知る倉本奏太は、親しい者と敵対関係になってそのまま戦う覚悟を決めるよりも、諦めずに手を差し伸べ続ける選択を選ぶ。そんなバカだと、俺は思っているよ」

「つまり、バカは危険性すら上回る訳と」

「邪悪の象徴とされるドラゴンにすら、勝ったことがあるバカだぜ? そして、それはきっとあいつの中にいる意思も理解している。だからアレは宿主が望む以外は、必要以上に干渉しないんだろう」

 

 奏太は神器の自意識が弱いような発言を以前していたが、逆に自意識が強い神器だったら、アザゼル達はもっと警戒していただろう。いつ宿主を操って、思いのまま動かすのかわからないのだから。だが、あの神器のスタンスは、最初からずっと一貫して貫いていた。ただ宿主の望むまま、その信頼に応えている。

 

 グリゴリ初日に起こった神器による書き換えの事実も、宿主の不審へ一番に反応を示して聲を届けたのだ。おそらくだが、神器の奥にいる意思は、宿主である奏太の信頼を失うことを何よりも気にしている。その理由までは把握できないが、彼らの歪な関係が宿主の信頼と能天気さによって成り立っていることは間違いない。だから、それが崩れるような危険や悪意から宿主を遠ざけるし、無茶ぶりにだって頑張って応える。

 

 倉本奏太のどこかズレた精神性を一番に守っているのが、危険な能力を持つ神器そのものなのだ。それを歪ませるような能力の使用など、もっともあの神器が忌避することだろう。つまり、奏太が心から望まない限り、バラキエルが懸念するような事態は起こらないと考えられる。アザゼルからの考察に、バラキエルは静かに頷きを返した。

 

 

「そうか。……アザゼル、あの子どもを私に会わせたいと考えたのは、やはり朱璃と朱乃のためか?」

「おう。余計なことをしているかもしれねぇ、って自覚はあったけどな」

 

 アザゼルは、友人からの疑問を素直に認める。バラキエルは、年末の麻雀大会の時に告げられた言葉を反芻した。自分に紹介したい人物がいる。そうアザゼルは言って、倉本奏太との邂逅の場を作った。最初は『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の所属で、メフィスト・フェレスの秘蔵っ子という立場のために護衛が必要なのだと考えたが、それにしては少年の考え方はあまりに異質すぎた。

 

「朱乃と同じ子どもで、姫島との確執もない日本人の一般市民。裏への理解もあり、何より堕天使に偏見を持たず、雷光を恐れない。性格も温厚で素直だろう。逆に、こちらが気を使われてしまったぐらいだからな」

「そういう微妙な問題に対する感覚は、意外と敏感だからな、あいつ」

「朱璃が作った食事も、いつも美味しそうに食べてくれていた。昼食を作るのは、朱璃にとっても良い気分転換になったようでな。あの子の感想を伝えると、嬉しそうに笑ってくれたよ」

 

 妻である姫島朱璃の料理を毎回完食し、律儀にお礼と感想を伝えてくれた少年。最初はこの食事を作っている者について聞いてくるかもしれないと身構えていたが、肩透かしなほど何も聞いてこなかった。アザゼルから、奏太のパートナーである少女の生い立ちの複雑さもあって、そういった問題に敏感なんだろうと教えられ、ようやく肩の力が抜けたのだ。

 

 それからも彼は、バラキエルの境界線に決して触れることなく、会話を重ねることで交友を深めていった。始めの頃のぎくしゃくした空気はだんだんとなくなり、次第に倉本奏太という一人の少年について考える余裕すら生まれただろう。そして、少年のことを知っていけば知っていくほど、何故アザゼルがわざわざバラキエルへ護衛を頼んだのか理解に及んでいったのだ。

 

 狭い世界で生きる妻と娘。彼女達の出生や生い立ちの複雑さから、会わせられる相手は自然と限られてくる。姫島という五大宗家に連なる血筋を持つ姫島朱璃、そして堕天使と人間の間に生まれた娘である姫島朱乃。彼女達と自然体で接することが出来る相手など、そう簡単には見つからないだろう。何より、バラキエル自身が認めるような相手となれば、その範囲はさらに狭まる。

 

 裏の世界の者ならば、なおさら彼女たちの存在は疎ましく思われるかもしれない。雷光として多くの恨みを受けているバラキエルの関係者であり、さらにあの姫島家から目の敵にされているのだ。普通の者なら、まず関わり合いになりたいと思わないだろう。表の者と関わらせるにも、一族の汚点を嫌う日本の組織が、姫島朱乃という存在と知り合った者を、一般人だろうと家の不始末として粛清する可能性があった。

 

 窮屈な暮らしをさせてしまっていることに申し訳なさを感じても、どうすることもできない日々。しかし、そんな中に現れた狭い条件を満たせるかもしれない少年の存在。数日という短い間だったが、一緒に過ごしたことで性格や考え方を知ることは出来た。アザゼルの友人であるメフィスト・フェレスが理事を務める魔法使いの協会の所属であり、周りに出自を隠されている関係もあって、色々と融通も効くだろう。

 

 不安が大いにあることは否定できないが、同時に停滞するしかなかった空間に新たな風を入れられるチャンスでもあった。バラキエルとて、一生妻と娘を閉じ込めておくことはできないとわかっている。娘が成長すれば、いずれ外の世界を知ることになることも。そのとき、姫島朱乃は世界の冷たさを、特に自分の生い立ちに苦しむかもしれないことはわかっていた。外の世界を拒絶して、他者に怯える可能性だって否定できないのだから。

 

 家族とは違う、異なる価値観を持った他者との交流。その必要性を理解しながらも、悩み続けていたバラキエルにとって、今回の出会いは一考するだけの価値があるものだった。朱乃達や奏太、メフィストの許可などもいるため勝手に進めることはできないが、それを考慮しながら交友を深めるのは悪くない、とバラキエルの中では思い始めていたのだ。

 

 

「そういうつもりだったのなら、最初から教えてくれていてもよかっただろう」

「最初から言っていたら、お前の場合余計なことを考えていただろ。妻や娘に会わせるのに相応しいだろうか、とか悶々とよ」

「……う、うむ」

 

 さすがは長年の付き合いがあるだけあって、バラキエルの考えをあっさりと読んでいたらしい。実際に初対面からそういった視点で見ていたら、威圧感が増してしまっていた可能性はある。自然体で倉本奏太という少年と接したからこそ、見えてきた視点もあったのだから。

 

 アザゼルも奏太ならもしかしたら、という期待はあっても、バラキエルが拒否すれば実現しないことなのだ。それなら、まずはお互いのことを知る機会を作れればと考えた。自分の生徒に余計な負担を背負わせてしまう、身勝手なやり方だと自覚はしていたが、それでもこの問題だけは友人のために協力したかったのである。

 

「しかし、本当に大丈夫なのか。五大宗家には感づかれないように気をつけるが、万が一の危険があることは否定できん。それに朱乃と年が近いとはいえ、年上の男に会わせて本当に問題はないのだろうか…」

「メフィストは渋りそうではあるが、こういった場合は本人の意思を尊重するやつだからな。あと、娘の男関係(そこ)の心配まではさすがに面倒見切れないぞ」

「しかし、朱乃は可愛い。物凄く可愛らしい。も、もしかしたら、一目ぼれをしたので娘さんを下さい、などと言い出す可能性も…」

「一年間、絶世の金髪美少女とほぼ毎日通信して、お泊りだってして、これからもずっと一緒にいる宣言もしたのに、恋愛の『れ』の字も発生していない天然(あいつ)がそんなことを言い出したら、俺でも赤飯を炊きたくなるぞ」

 

 バラキエルの父親特有の心配事に、アザゼルは半眼の眼差しで呆れたように告げる。一つ年下のラヴィニアに照れることはあっても、基本は妹を相手に接するような少年である。更に年下の少女など、完全に見守りの対象だろう。まだまだ子どもであることは間違いないし、恋愛より毎日を生きるのに必死で考えに及んでいない可能性もなくはないが、自分より年下は守る対象と思っている節があった。おそらく相手側から何かしらのアプローチでもない限り、そういった対象には見なさそうだろう。

 

 しかし、一方で感性は大人びており、さらにませたところがあるからか、恋愛対象はおそらく年上。しかも、たぶん年上が相手だとかなりチョロい。ぐいぐい来るお姉さん系に迫られたら、あっという間に喰われそうな予想しかできなかった。ちなみに、無類の年下キラーとして有名な悪魔女性であるロイガン・ベルフェゴールには、絶対に奏太を紹介してはならない、とディハウザーとリュディガーの間で何気に意見は一致していたりする。

 

 女の乳に嵌まって堕天した最古参のエロ男は、その磨き上げられた己の見解から導き出した教え子の恋愛観に、ちょっと無言になる。思えば、知り合いは年上の男ばっかりで、女性に対してあまり免疫がないような気がしたのだ。もう中学生だし、今度の授業はエロについて教えてやるか、と完全なる善意で予定を立てておいた。

 

「それで、どうする? お前がいいのなら、俺の方で奏太の方に話を通しておいても構わないが」

「いや、これは…。私や、私の家族の問題だ。このことでお前や組織に迷惑をかけてしまっているのは確かだが、それでも今回のことは私自身で話をするべきだと考えている」

「そうかい。まっ、話したからってすぐに実現できる訳じゃないんだ。お前の心が決まった時にでも、聞いてみたらいいんじゃねぇか。一応奏太に、それとなくフォローは入れておくからよ」

「すまないな、アザゼル」

 

 友人からの謝罪に、アザゼルは肩を竦めてなんでもないように受け取る。少しズルいかもしれないが、以前奏太の友達を助けるために、アザゼルは多少の危ない橋を渡りながらも協力を示した。なら、今度はその借りを返すとまでは言わないが、友人の悩みについて力添えが出来ないか聞くぐらいの図々しさは許容してもらえるだろう。

 

 成り行きとはいえ、停滞していた悪魔のゲームにきっかけという名の風を送り込んだように、停滞していた姫島家に小さくても新しい風を送り込むことができれば、幼子である姫島朱乃の将来のために、良い刺激となるはずだと考えた。アザゼルは友人とその妻、そして姫島朱乃の未来を思い描く。奏太ぐらいの年になれば、奥さんに似てきっと美人になっていくことだろう。それに父親であるバラキエルが、ヤキモキしているだろう姿が簡単に想像できた。

 

 そして身体と心が成長したならば、いつか学校もどきではあるが『堕ちてきた者たち(ネフィリム)』にでも通わせてやって、同年代と交流できる機会を作れればと思った。その頃には、もしかしたら堕天使と日本の組織の間で話し合いができる場を作れる時世になっているかもしれない。和平を組むことが出来れば、悪魔や天使側へ事情を話して仲介を頼める可能性だってある。

 

 『今』の時代では厳しくとも、『未来』にはいくつもの希望がまだ残っている。だからこそ、少しでも早く実現できるように行動するのが、自分に出来ることなんだろう。そう、アザゼルは考える。考えてしまう。それは楽観的と言われる展望かもしれないが、未来を知ることなど出来ない者にとって、先を見据えて行動するのは当たり前のことであろう。その結果を知ることが出来るのは、その未来でしかないのだから。

 

「これからのことについて、また朱璃と相談しておくさ」

「おう、あんまり根を詰め過ぎるなよ」

「わかっている」

 

 二人の口元には、小さな笑みが浮かぶ。夏休みが終われば、こんな風にゆっくり出来る時間は少なくなり、再び忙しい日々が訪れるだろう。しばしの休息に身を任せながら、堕天使達の夜は更けていくのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の理事長であるメフィスト・フェレスは、普段から微笑みを絶やすことがない悪魔であった。一万年以上生きる最古参の大悪魔は、基本どんな場面でも笑顔の仮面を崩さず、それ以外の感情が表層に出ることが珍しいぐらいだったりする。そんな彼だが、さすがに今回のことに関しては、ちょっと困ったような微妙な表情にはなっているかもしれないと思っていた。

 

『いかがでしょうか、フェレス会長殿』

「うーん、リュディガーくんの申し出はわかったよ。こちらに提示された交渉材料からも、キミの本気がよく理解できたからねぇ」

 

 人間界で暮らすメフィストと話すため、冥界から魔方陣の通信を繋げて会話を行う人物。投影に映される銀色の魔術師の目には普段の余裕溢れる色はなく、ただ真摯に頭を下げ続ける。彼は転生悪魔であるため、実績を積み上げることで成り上がってきた悪魔だ。本来なら、このように明確な弱みを見せるやり方など決して行わないのだが、それぐらい必死で藁にも縋るような思いなのだろう。

 

 それに、冥界の政治や社会には関わらないスタンスを持つメフィストだからこそ、リュディガーもこれだけ本音を明け透けなく伝えられた部分はある。こだわりが強く、油断なく損得を測り、マイペースに自分の道を突き進む理事長であるが、悪魔として交わされた契約を重んじる傾向はあった。誠実には誠実で返し、不当には堂々と利子を付けてやり返す。そういった意味では、真正面から頭を下げるリュディガーの行動は、メフィスト相手には悪手ではないだろう。

 

 何より、メフィストが保護している少年がお世話になっている青年でもある。今回の交渉も、魔法使いの理事長として使う仕事用の回線ではなく、奏太の保護者として交わしていたプライベート用の回線なのだ。特に非のないリュディガーをいじめる必要性はなく、彼の弱みを握って脅迫する旨味もなく、自分の保護している子どものことを考えると、必然的に誠実な対応となる。それに、内容が内容でもあった。

 

「神器の抵抗力に関する治療法か…。残念ながら、僕は神器についてそこまで詳しい訳じゃない。魔法使いの中には、研究テーマにしている者もいるけど、少なくとも僕が把握している限り治療法にまでたどり着けた研究や論文はなかったねぇ」

『私も『薔薇十字団(ローゼン・クロイツァー)』の方から調べましたが、著名の魔法使いの研究資料からは有力な情報を得られませんでした。悪魔側は研究資料自体がほとんどなく、魔王様方にも動いてもらっているのですが、まだ成果には結びついていません』

「えっ、サーゼクスくん達にも手伝ってもらっているの?」

『……その、ディハウザーのおかげと言いますか。こちらの事情を把握した瞬間には、遠慮なく連絡を入れて巻き込んでいたと言いますか…。彼の行動力に感謝はしているんですよ。その、はい』

 

 まさか魔王まで巻き込んでいるとは思わず、驚きを表すメフィストへ、素の声音で歯切れ悪く答えるリュディガーであった。正直に言えば、「すごく助かるけど、お前何やっているの?」と自分が聞きたい。冥界のトップを個人的なことにつき合わせている現状に、一番に頭を抱えたかった。間違いなく自分と息子のために皇帝が頑張ってくれたのはわかるので、感謝の気持ちは当然ある。それでも、頭が痛かった。

 

 半年前の事件まで、家族にすら遠慮をしまくり、全てを己の中に溜め込みがちだった皇帝の覚醒具合に、メフィストの目も自然と遠くなる。彼の変化が誰の影響の所為なのか、語らずともわかった。やっていることは間違っておらず、むしろ善意しかない行動なのだが、周りを混乱の渦に巻き込む。「冥界の第二のカナくん」と化してきている皇帝(お人好し)に、人間界で暮らす理事長は冥界のご冥福を祈った。悪魔だけど。

 

 

「ごほんっ…。それでリュディガーくんは、他に伝手がないかを探すために僕を訪ねた訳だね」

『えぇ、そうなります』

 

 ちょっと頭が痛くなっていた空気を入れ替える様に、メフィストは咳ばらいをしつつも、思案気に考えを巡らせる。そして、これはなかなかに面倒な問題だと思い至った。まず、リュディガーの慧眼は間違っていない。メフィストは周りには秘匿しているが、堕天使の総督と友人関係であり、教会とも裏で取引を行うことがある。教会は慎重に動かなければならないが、神器研究に最も熱心な堕天使側とは確実に連絡がつくだろう。

 

 しかし、当然ながら人間の組織とはいえ、悪魔であるメフィストが種族的には敵対関係にある堕天使のトップと懇意にしているなど、部外者へ簡単に教えられる訳がない。それに言い方は悪いが、リュディガーの息子のためにこちらの手札を晒す必要性が感じなかった。これが普通の取引なら、どれだけ交渉材料を積まれても「こちらにも伝手はない」と、きっぱり言うことが出来たであろう。

 

 しかし、今回はそう簡単に結論が出せない。その一番の理由は、リュディガー・ローゼンクロイツと倉本奏太が親しい関係であることだ。しかも、理不尽に奪われようとしている命に関する問題である。奏太は今、冥界のグリゴリへ行っているため、彼の息子について聞かされるのはもう少し後になるが、確実に知ることにはなるだろう。そして知れば、彼は間違いなく選択する。あの少年がやり遂げると決めた時の行動力のヤバさを、メフィストは決して軽視していなかった。

 

 組織として不利益になることには気を付けるだろうが、親しいヒトが嘆いているのなら、間違いなくなんとかしようと関わる姿勢を見せるのは、容易に想像できる。そして彼なら、まず自分に出来ることとして、アザゼルへ神器研究の資料をもらえるように全力で頭を下げに行こうとするだろう。この問題を解決するのに、堕天使側の知識の確認はまず必要なのだから。

 

 リュディガーが息子のためにどれだけ必死かは、メフィストもわかっているのだ。息子を救う手立てになれるかもしれないのなら、リュディガーにアザゼルとの関係を教えても、共犯者として巻き込める可能性はかなり高いと考えられる。そこまで思考できてしまうと、ここで彼の話を断ることに意味がないような気がしたのだ。

 

「カナくんの持つ甘さは、強い流れを作り出すことができると同時に、厄介な問題を呼び込むこともあるか…」

 

 思わず呟いてしまった、小さな囁き。奏太の真っ直ぐさに好感は持てるが、時としてそれが足かせになる場合もある。この悪魔より悪魔らしいと称されるリュディガー・ローゼンクロイツが、奏太の存在を考慮に入れず、こちらへ交渉に来たとはとても思えなかった。交渉自体は誠実な対応でありながら、こちらが断りづらい状況へ意図的に持っていっているのは、長年の経験からなんとなく察することができたのだ。

 

「……ずるいねぇ。リュディガーくん、このやり方はちょっとずるくないかな?」

『こちらも、それだけ後がないんです。彼の善意を利用していることも、重々わかっています』

「わかっているのならいいけど、このやり方はこれっきりにしてね。あの子の行動力は、僕でさえ読み切れない時があるんだから」

 

 素直に奏太の性格を利用したことを認め、メフィストが釘をさしたことに、リュディガーは了承を返す。今回は相手がそれだけ必死だったと認め、交渉を受けるしかないだろうと思考する。何よりもメフィストが危惧しているのは、リュディガー達には隠している、奏太の神器の存在なのだから。善意を利用するな、とここで約束を取り付けておかないと、アザゼルでさえも「治療法がない」と宣言した後の問題に響くとわかったからだ。

 

 奏太の持つ『概念消滅』の神器の力。彼は自分の神器のオーラを消したり、他者の力に干渉できる能力を持っている。さすがに聖書の神にしか触れられないとされる神器そのもののエラーを治すことは『できない』だろうが、その神器が放つオーラを一時的に消すことはできるかもしれないのだ。つまり、リュディガーの息子が発作で苦しんでいる時に、奏太が傍にいれば症状を高い確率で抑えることができるだろう。

 

 しかし、そうなれば奏太はリュディガーの息子の傍にずっとついていなければならない。いつ発作が起こるかわからない子どものために、彼は自分の時間を犠牲にすることになる。それこそ、情がわけば一生面倒を見ることにだってなりかねないのだ。奏太の性格を考えても、さすがにこれを許容する訳にはいかない。リーベ・ローゼンクロイツは、確かに理不尽な運命を歩まされている。しかし、それに倉本奏太まで巻き込ませるのは、それこそ理不尽であろう。

 

 故に、ここで先手を打つ。奏太の善意を利用した交渉をこの場で受け、今後同じ手は使わせない。メフィスト・フェレスの機嫌を損ねかねないやり方を、さすがのリュディガーも二度は行えないだろう。

 

 

「さて、そうなると。僕から提示できる伝手は二つだけだねぇ。キミには、選んでもらうことになる」

『その、両方を教えてもらうことは…』

「焦らない、焦らない。僕が出す選択肢は二つ。情報の精度が高い確率で得られるかもしれないその内の一つだけを選ぶか、危険や新しい情報が出ない可能性も承知で二つある伝手の両方を選ぶかだ」

『……つまり、二つの内一つは確実に選べて、しかも安全に情報を得られる。しかし提示されているもう一つの方は、危険であり、情報を得られる確証はない訳ですね』

 

 確実に得られるのは、堕天使の組織が研究した神器症の治療に関する資料。あの友人なら、ハーフ悪魔の研究データが取れるからいいぞ、とあっさりと受け入れ、提示を拒否することはないだろう。和平への交渉材料の一つとして考えている研究でもあるため、その足掛けとなるのなら悪いことではないからだ。しかしもう一つの選択肢に関しては、メフィスト自身はあまりおすすめしない選択肢である。情報を得られるかは賭けで、悪魔の陣営に所属するリュディガーにとっては危険も大きい。

 

 堕天使側の伝手だけでも十分かもしれないが、神器研究を大々的に行っている組織はもう一つある。そのもう一つの組織について、悪魔であるメフィストは殆どわからない。堕天したアザゼルも難しいだろう。もし神器症の治療について研究を行っているのなら、大本であるシステムが傍にあることから、もしかしたら堕天使以上に理解している情報がある可能性は否定できなかった。アザゼルへの伝手に関しては奏太が動く可能性が高いので、協会の理事長だからこそ持つ独自の伝手を渡せば、リュディガーへ大きな貸しを二つ作ることができるだろう。

 

 それならいっそのこと、リュディガーが可能性として考えている選択の全てに、答えを出させてしまえばいいと判断した。微かにでも希望があるからこそ、ヒトはとにかく我武者羅に行動ができるのだ。だが、希望が全て潰え、現実を目のあたりにすることで、ようやくヒトは諦めの感情が生まれる。視野が狭まっているリュディガーを止めるには、これが一番だろうとメフィストは考えたのだ。

 

 もちろん今回の伝手で治療法が得られ、みんながハッピーエンドで終われるのなら、それが一番良いことだろう。しかし、神秘が実在するこの世界ですら不治の病と称されるものはいくつかあり、それを治療する困難さをメフィストはよく理解していた。

 

 悪魔特有の病に『眠りの病』と呼ばれるものがあり、長年多くの研究者が調べ続けたにも関わらず、その治療法は未だに見つかっていない。どれだけ手を尽くしても、どうにもできないことはあるのだから。

 

 

「それで、どうするんだい?」

『――両方をお願いします。可能性が少しでもあるのなら、私はそれに賭けたい』

「……キミなら、その選択肢を選ぶと思ったよ。二つの内の一つは、カナくんが人間界に帰ってきたら教えよう」

 

 メフィスト・フェレスは、古き悪魔でありながら柔軟な思考を持つ悪魔であった。永き時を生きてきたからこそ、経験から裏打ちされた先見の明は未来を見据え、最善の選択を選べるように考えることが出来る。しかし、彼は一つだけ考慮が難しいことがあった。それは、永く生きてきたからこその弊害。諦めることに慣れ、決して変わらない現実があることを何度も経験してきてしまったことだろう。

 

 彼の予測は、今までの歴史や経験から『できない』ことを理解し、それを前提にして考えることで必要な情報だけを精査し、思考するための土台を作ってきたからこそ出来る方法なのだ。そのため、前提になるはずの土台そのものをぶっ壊してくるような、理不尽を想定するのが難しかった。それでも、もしこの時、「あの子なら、ノリで『できてしまうかも』しれない…?」と少しでも考えていたら、違う選択肢を用意していたかもしれない。

 

 倉本奏太に、『神器症の治療はできない』という前提。『聖書の神』という存在の大きさを知る故に、聖書の神以外に触れることが出来ないとされる領域に対して、当たり前のように不可侵だと考えてしまった思考。それは強大な力を持つ者であればあるほど、その思いは強くなるだろう。神がいる領域へ触れようとするなど、イカロスの翼のように燃えてしまっても不思議ではないのだから。

 

「もう一つの伝手の方は、相手の携帯電話の番号を教えてあげるから、キミ自身で交渉してみるといい」

『えっ、け、携帯ですか?』

「意外と人間界の機器も馬鹿にできないよ? 特に僕たちのような魔法や神秘にどっぷりな者ほど、こういう当たり前の連絡手段がいい隠れ蓑になったりするんだ。通信の魔法を感知する結界はあっても、携帯の電波や通信履歴を調べる結界なんてないからねぇ」

『は、はぁ…。錬金術による通信具や通信魔法が普及する世の中で、わざわざ表の携帯会社と契約してまで電話を持つ方がいるとは。その、珍しいですね』

「確か、協会の情報網で得た一つに…。最近、携帯のアプリゲームに嵌まっているらしくて、暇な時にやっているようだねぇ。だから仕事中は電源を切っているだろうけど、それ以外なら電話が繋がる可能性は高いと思うよ」

 

 その伝手の人物、本当に大丈夫なのかなぁ…。理事長がわざわざ提示してくれた伝手に文句はないが、そう思ってしまうリュディガーの心を責められはしないだろう。かなり変わり者らしいことは、今の会話からもひしひしと伝わってくる。しかし、神器症の治療について知っている可能性がある者ということは、必然的に大きな影響力を持っているか、それなりに高い地位にいる人物ではあるのだろう。

 

 メフィストから、悪魔であるリュディガーにとっては危険があるかもしれない、という忠告をすでにもらっているのだ。警戒を怠るべきではないだろう、と気を引き締めた。

 

『わかりました。それで、フェレス会長殿。そのおっしゃられている伝手とは?』

「……とある教会の戦士だよ。彼とは、昔ちょっとね」

『えっ、教会ですか?』

 

 思わず聞き返してしまったのは、仕方がないことだろう。まさか一番機械に疎そうな陣営の名前が、ここであがるとは思わなかったのだ。炊飯器が普通に普及されている時代で、未だに窯を使ってご飯を作っているのはあそこぐらいだろう。原作で教会三人娘が、電気屋さんで普通に売られていたホームベーカリーの存在に戦慄し、祈りを捧げるほどの衝撃を受けるレベルだったのだから。

 

 というか、教会の戦士が携帯電話を使っている姿が全く想像できない時点で、どんだけだと言いたくなる。最新技術にアレルギーでもあるのか、とちょっと聞きたくなった。携帯なんて最新機器が使える信徒が、果たして何人いるというのか。そりゃあ、物理的に使い方がわからない人種に囲まれているのだから、これほど連絡手段として最高の隠れ蓑はないのかもしれない。堂々と使ってもバレない、なんてことはさすがにないと思いたかった。

 

「うん、そういう新しい技術に全く偏見を持たない人物でねぇ。それ故に、どんな技術さえも吸収して、己の力としていった。強靭なまでの精神力とその揺るぎない向上心は、多くの者に畏怖を抱かせるほどにね」

『……フェレス会長殿?』

「『教会の暴力装置』。悪魔から『本当の悪魔』なんて呼ばれるような男だが、アレは敵対しなければ話は通じるからねぇ。魔法も含め、何でもかんでも力技でぶっ壊す、あり得ないデストロイヤーだけど。彼は敬虔な神の信徒ではあるが、教会の戦士の中では本当にまだ交渉の余地がある人間だと思うよ」

 

 しばらく間が空いた。メフィストの軽い口調ながら、どこか引きつった笑みを浮かべている時点で、今語られている人物像の輪郭がだんだんと浮かんでくる。教会側なのに、悪魔から『悪魔』と呼ばれるような人間。倉本奏太とは違う、極限にまで高められた純粋なる暴力の化身としての恐怖の体現。

 

『……すみません、その人間。もしかして、ヴァチカンに住んでいませんか? あと、聖剣を持っていたりはしませんか?』

「うん。彼、面倒見がすごく良くてね。教会を理不尽な理由で追放されてしまった信徒のフォローを陰ながらしていて、うちで預かることになった元教会出身者への待遇の交渉とかをやったことがあるんだよ。あと、技術を取り入れるのに抵抗が全くないから、こちら側の最新の魔法技術を記した論文とかに興味を持って、日々魔法の対抗策を向上させているんだ。本当にあり得ないよねぇ」

 

 あり得ない、を繰り返す理事長に、リュディガーの背に冷や汗がダラダラと流れる。最古参の大悪魔であるメフィスト・フェレスなら、こちらが予想もしていなかった伝手を持っているかもしれないとは考えていた。しかし、さすがにこれは予想外過ぎて、先ほどの選択を早まったかもしれないとちょっと後悔が浮かんでしまう。息子のために頑張るつもりだが、さすがに相手が相手だった。

 

 メフィストがあれだけ危険だと念押しした理由を察する。最上級悪魔であるリュディガーとて、相対すればまず無事には済まない。いや、葬られてもおかしくないほどの相手なのだ。だが、それほどまでの力量を持つ人物だからこそ、教会での地位は最上と言ってもいい。あらゆる技術に抵抗がないのなら、教会の神器技術についても知り得ている可能性は非常に高いだろう。教会の技術を知るにあたって、彼以上の適任者はいなかった。

 

「もっとも有名な二つ名は、やはり『ミスター・デュランダル』かな」

『司祭枢機卿、ヴァチカンのナンバー3。――ヴァスコ・ストラーダ猊下(げいか)

「もう一度いうけど、情報を得られる確約はできない。僕は繋ぎをつけるだけで、『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』は一切関わらない。でも僕が知る限り、教会勢力の中でリュディガーくんの求める答えに最も近い情報を握っていて、尚且つ交渉の余地があるのは彼だけだろうと思うよ」

 

 悪魔を滅ぼすことが当然の思考である教会の戦士の中で、話が出来るだけで十分すぎるぐらいだろう。メフィスト同様に柔軟な感性を持ち、信徒として清廉であることだけを求めず、それでも奇跡を心より信じる献身さを持つ。堕天使や悪魔にすら恐れられ、最も魔の者を葬ってきただろう人物こそが鍵になるとは思わず、リュディガーは深く溜息を吐いた。

 

 我が子の幸せを望み、先の見えない未来に少しでも温かな光が差すことを信じて。暗闇に覆われた道の先に、救いがあることをただ願うしかなかった。

 

 


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