えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

103 / 225
第百三話 道筋

 

 

 

 ――時間は半年ほど前に遡る。

 

 駒王町の前任者問題が解決し、悪魔側は皇帝ベリアルとの話し合いをまとめ、クレーリア・ベリアルの留学と八重垣正臣の処遇などを決定した頃だ。大王であるバアル家が教会側と交渉したことで、今回の事件は『なかったこと』として処理されることになる。そのため、真実を知るのは一部の教会関係者と、原作では闇に葬られたため知らされることがなかった上層部(天界)だけとなった。

 

 さすがの教会関係者も、悪魔でもトップに位置する大王バアルが出てきた案件を、人間である自分達だけで収めることはできないと判断したのだ。故に、原作では伝えなかった悪魔と聖職者の恋愛という不祥事を、彼らは上に伝えざるを得なくなった。その顛末も含めて。教会の上層部――天界は当然ながらその報告を聞いた当初は頭を抱えてしまった。

 

 何でもっと早く知らせなかったのだ!? それが、天使達の素直な心情だろう。なんせすでに終わってしまった出来事を、事後承諾のような形で受け止めるしかないのだ。今更天界が出てきても、余計に事態を引っ掻き回すだけ。それに教会側は一人の聖職者を追放して事件をなかったことにするだけで、バアル家から十分な利益をもらえる。天界側としては、困惑しながらも受け入れる方針を出すしかなかった。

 

「しかし、普通に考えて悪魔側の対応の仕方があまりにらしくない。交渉に出てきたのが、『あの』バアル家の初代当主であったことも含めてです」

「おそらく、悪魔側で何か事態が動いたのでしょう。後で調べたところ、ベリアル家の子女が問題を起こしていた時期に、冥界で皇帝ベリアルが大規模な抗議を行っていたそうです。これが無関係だとは思えません」

「何より、何故悪魔側が教会の戦士を庇ったのだ? ベリアル家の子女を救うだけならわかるが、問題を起こした聖職者をわざわざ交渉の場にのせてきたのは何故なのか」

 

 天界側が混乱した理由の一つが、悪魔側の対応の仕方に理解できない部分があったからだ。分家とはいえ貴族悪魔にして、ディハウザー・ベリアルの従姉妹であるクレーリア・ベリアルと、腕は確かだがそれでも後ろ盾や特殊な能力など何もない教会の一戦士。この二人の命が釣り合うはずがない。紫藤トウジが八重垣正臣を粛清して、教会側の対応を示し、悪魔側に納得してもらおうと考えたほどには、両者の立場は釣り合っていなかった。

 

 悪魔側はそれこそ、問題を起こした聖職者を粛清するように言ってきてもおかしくなかっただろうし、そもそも人間の一人ぐらい彼らは何とも思っていないであろう。しかし、結果的に見れば、悪魔側はその聖職者の命を繋ぎ、魔術師の協会へ保護させるような形をとった。そこに留学という体でクレーリア・ベリアルまで合流させている。それに文句を言う資格はすでに天界側にはないが、これでは悪魔と聖職者の恋愛を悪魔側が認めているかのような動きだ。

 

 駒王町で起こった事件の内容を知ってしまった天使達だからこそ、混乱は大きかった。しかも、裏側の情報はさっぱり入ってきていないので、表側の情報だけで精査するしかない。教会側だって、今回の事件に関してはほとんどよくわかっていない状態なのだから、はっきり言ってお手上げだ。悪魔側に詳細なんて聞ける訳もない。報告にあった『ジャパンの神秘、魔法少女とスーパーロボットの突然の乱入、ってなんだよ!?』と全力で悪魔側にツッコみたい。それに関しては、悪魔側もツッコみたいだろうが。

 

 そんなプチパニックに陥った天界だが、やがて一つの結論を出すには至った。というより、問題を起こした悪魔と元聖職者を保護する理由を考えると、一つの答えが見えてきたのだ。まさか…、とは思う。しかし、可能性がなくもない。そしてその可能性は、天界側にとっても決して無視できないものだった。

 

「恋愛という不祥事を起こした悪魔とその聖職者を生かす理由があるとすれば…」

「今はない。だが、『今後』それが必要になる場面がある、と仮定してしまえばあるだろう」

「悪魔側は、すでに考えているということなのか? この時代を終わらせる方法を」

「そもそも、その二人の現在の居場所を政府が隠していないのが証拠ではないでしょうか。わざと見せつけることで、こちらにアピールをしているとも考えられます」

「古き悪魔達の筆頭であるバアル家が交渉に応じたということも、真実味を増すか…」

 

 裏で暗躍していたが、堕天使の総督故に一定の情報だけしかもらっていなかったアザゼルとて、悪魔側の対応に気づいたのだ。なら、天使側も悪魔の今後の方針に考えが及ぶのは当然だろう。アジュカ・ベルゼブブが、人間界の魔法使いの組織に二人を堂々と入れたのは、安全のためと事情を知っている者に対するアピール。つまり、天界へ向けた遠回しなメッセージだ。

 

『八重垣正臣とクレーリア・ベリアルを生かしたってことは、悪魔陣営も和平を望んでいる可能性が高いことがわかったしな』

 

 アザゼルが考察した通りの方針を、天界側も同様に察したのだ。というより、それ以外に彼ら二人を有効的に使える方法がない。どう考えても、今の時代においてクレーリア・ベリアルと八重垣正臣の存在は、厄介以外の何ものでもないからである。そんな二人をわざわざ保護している理由など、未来への布石以外に思いつかなかったのだ。

 

 

「三大勢力による和平、ですか…」

「神がお隠れになられたことで起こっている『ズレ』は、もう我々だけでは対応できなくなっています」

「えぇ、限界は近いでしょう。しかし、すぐに対応するには事があまりにも大きすぎる」

 

 悪魔側が和平を望んでいる情報が、本当のことなのかもまだ不明な状態だ。堕天使側の様子も調べておかなくてはいけない。いたずらに信徒たちを混乱させる訳にもいかないため、すぐに行動を移すことはできないだろう。だが、それでも少しずつ内側を変えていかなければならないことはわかっている。

 

 今回の件がなくても、いずれやらなければならない問題だった。なら、きっかけは手に入ったのだ。実行に移すにはまだまだ足りないのなら、今の内にちょっとずつ下地を作っておけばいい。将来どう転ぶにせよ、悪魔と堕天使との三つ巴の戦いなんて続けられる状態ではないのは、事態を把握している者にとってはわかっていることなのだから。

 

「……天界だけの問題ではありませんからね。教会の信徒たちの了解もある程度は得ていないと、暴動が起こるでしょう」

「それでは……」

「一部の者には、真実を告げましょう。事実、『システム』の不調は私達だけではすでに対応しきれない。その者たちに、教会の信徒たちへの説得を少しずつ試みてもらいます」

 

 第六天――『ゼブル』に集まったセラフ達の視線を受けながら、天使長であり、神の代行者であるミカエルはそう決定を口にする。それに難しそうに表情を変える者もいたが、異議を唱える者はいなかった。第七天である『システム』に一番近い中枢機関だからこそ、ここにいる天使達は現在の世界の異常をよくわかっていた。古の戦争を継続してやっている場合じゃないのだと。

 

 原作でも三大勢力による和平で教会側の反乱はあったが、天界の天使達による暴動が起きなかった一番の理由は、神という絶対的な存在を失ったことによる弊害を誰よりも理解していたからだろう。『システム』という、この世界の奇跡を司る大きな力が目の前にあり、しかしそれを制御できない現状に誰よりも悔いていたのは彼らだったのだから。

 

「まず、調査を行います。真実を告げるのは誰でもいい訳ではありません。悪魔や堕天使に対して憎悪を持っている者に告げれば、余計な混乱を招くでしょうから」

「ミカエル様、でしたら私の妻を推薦します。彼女は、人を愛し、命ある者全てに敬意を持つ女性です。この世界から争いを無くし、少しでも未来ある子ども達のためになるのなら力を貸してくれるはずです」

「あなたは…。確か、あなたの奥さんは『奇跡の子』を誕生させた敬虔なシスターでしたね」

「はい、その通りです。それに私の息子は、テオドロは間違いなく秀でた力を持つ子です。私はその力を、戦争ではなく、誰かのために役立てて欲しいのです。我が子や同じ子ども達に平和な未来を与えたい。我々の遺恨を、我が子に押し付けたくはありませんから」

 

 そう言って、真っ直ぐに天使長へ意見を告げたのは、一人の天使だった。黒髪に凛々しい顔立ちをした三十代ぐらいの見た目をした男性。彼は人間の妻を持ち、そしてその女性との間に子どもを宿した天使である。天使生命において命懸けとも言える堕天の危機を愛で乗り越え、産まれたハーフ天使を『奇跡の子』と周りは呼んでいた。彼は、二歳になる幼い息子が宿した力の強さをわかっている。だからこそ、少しでもその力を争いではなく、平和のために使ってほしいと願ったのだ。

 

「……しかし、危険がないとも言えません。和平に対して否定的な者に知られれば、万が一のことが」

「でしたら、一緒に護衛をつけるのはどうでしょうかぁ?」

「ガブリエル」

 

 ウェーブのかかったブロンドに輝く髪を揺らし、こてんと小首を傾げる美女が笑顔で提案を出す。間延びした声音通り、柔和な雰囲気を纏う女性である。四大セラフの一人であり、天界一の美女にして、天界最強の女性天使とも言われていた。彼女は人差し指を顎に当てながら、微笑みを見せた。

 

「私も一人推薦するわ。きっとあの子……なんて言ったらもうそんな年齢じゃないですよ、って言われちゃうんだろうけど、彼なら理解してくれると思うの。教会が誇る最強のエクソシストなら」

 

 茶目っ気たっぷりにウインクをし、先ほどまでの固かった空気を彼女は和らげる。そんな彼女が推薦する人物が誰なのか、ここにいる天使達のほとんどが理解できた。それだけ、教会が掲げる『最強』の二つ名が相応しい御仁は一人しかいなかった。

 

「……そうですね。彼なら、妻やテオドロとも面識があります。時々、会いに来ては抱っこしていかれますしね」

「わかりました。私もガブリエルと同じ意見です。幼い頃から、見てきていますからね…。彼の純粋さ、真っ直ぐな思い、今まで多くの戦士を育成してきた実績、そして何よりも主への献身の心。それを天使(私達)が信じない訳にはいきませんから」

 

 他にも、幾人かの推薦が行われ、話し合いを行い、数名の信徒が選ばれることになった。極秘任務としての扱いになり、特に戦士の育成を行っている者達への説明は最も優先すべきだろう。これからの若い世代へ価値観を伝えていくのに、多くの影響を与えるのはその師であるからだ。その者を護衛とし、さらに影響力のある数名の宣教師やシスターが少しずつ諭していく。天界もそれに合わせ、今までの任務の精査や教義の話し合いを行っていく必要があるだろう。

 

 ――そして、その選ばれた一人の名には、司祭枢機卿である『ヴァスコ・ストラーダ』の名も入っていたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「まったく、Buon tempismo(ブオン・テンピースモ)というべきか…。ミカエル様はこれを予期でもしていたのだろうか」

 

 己の手に持つ液晶画面を眺めながら、一人の老人が白くなった髪を手で掻きあげた。顔だけ見れば七十は過ぎただろうイタリア人らしい堀の深いご老人だ。しかし、顔から下がそれを否定する。鍛え上げられた胸板、巨木のような両腕、どっしりと重量が感じられる脚。背丈も二メートル以上あり、ミルたんを一回りさらに大きくした人物と言えば、それがどれだけヤバい外見かよりわかるだろう。

 

 この人物こそが、ヴァチカンが誇るデュランダルの元使い手であり、生きた伝説とされる戦士――ヴァスコ・ストラーダ猊下であった。彼はその大きな指を細かに操り、携帯電話の操作を慣れた手つきで行っていく。生粋の教会の出身者でありながら、ここまで見事に電子機器を扱えるのは、間違いなく彼ぐらいだろう。そんなストラーダが何度も見つめているのは、数日前に届けられた一通の着信履歴。それを眺めては、顎を訝し気に撫でた。

 

「まさか、悪魔から連絡が届くとはね。私の連絡先を教えたのは、まぁ予想はつくが、随分と危険なことをするものだ」

 

 教会のトップに座する彼の仕事は、今のところ教会の戦士の育成か、様々な孤児院や教会を訪問するぐらいのものだろう。大きな戦などなくなった現在で、彼ほどの男が動く案件など早々に起こらない。そこに、数ヶ月前から一つの家族の護衛も加わっている。表向きは素質があるとされる『奇跡の子』テオドロ・レグレンツィの育成だが、実際は天界の考えを布教しているその妻と子の護衛を兼ねている。

 

 そんな孫を可愛がるお爺ちゃんをのほほんとしていた最中、一本の着信が彼の視線を鋭くした。当然ながら、この携帯電話に連絡を入れてくる者など、ほぼいないに等しいのだ。まず教会関係者に電子機器が扱える者がほとんどいない。基本は錬金術師が作った教会専用の通信具を介するため、独自に使っているプライベート用の携帯電話にかかってくることはあり得ないのだ。

 

 それでも着信ボタンを押したのは、ストラーダ猊下だからだろう。昔、自分の孫を名乗る謎の人物が事故ったから金が欲しい、と連絡してきた時も楽しんで会話をしたものだ。あとで泣きながら電話越しに「孫違いでした、ごめんなさい」と謝られたが。基本大らかに受け止めて、しかも何でも対応できてしまうスーパーお爺ちゃんだからこそ、だいたいのことは許容できてしまうのだ。

 

 しかし、それがまさか文字通り悪魔からの連絡だとは予想していなかった。

 

 

「えーと、ストラーダ猊下。本当にここでその悪魔の御仁と直接会うんですか?」

「なんだ、戦士デュリオ・ジェズアルド。緊張しているのかね」

「いや、護衛として付いてきなさい、と言われて来ましたけどねぇ…。どう考えても、じいさんに護衛はいらない気がしまして」

「肩書だけなら、私に護衛がついて当然だからな。……今回は社会勉強だと思うといい」

「は、はぁ…」

 

 ストラーダ猊下が携帯電話を弄っていた横で、困ったように傍にいたのは十代前半の少年であった。神父服に身を包んだ、金髪にグリーンの瞳。教会のトップに対して軽い口調ではあるが、元々の彼の持つ飄々とした性質ではあるので特に気にしていない。それに、二人は師匠と弟子の関係でもあり、デュリオに戦い方を教えてきた一人が猊下だったため、そのあたりもよくわかっていた。

 

 デュリオ・ジェズアルド。教会が所持する神滅具『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』の使い手であり、後に天界のjoker(ジョーカー)と謳われることになる少年である。現在は教会の戦士育成機関で鍛えられているところであり、その実力や才気は誰もが認めるほどの者だった。そんな彼をわざわざ捕まえて、この場に連れてきたのは、猊下の言った通り社会勉強のためだった。

 

 二人がいるのは、すでに朽ち果てている昔の教会跡だ。一応教会の敷地ではあるが、全くと言っていいほど人が来なくなった小さな跡地。そこに残っているのは、ひび割れた十字架の像や柱、埃を被ったベンチや祭壇。そのベンチに腰掛けるストラーダ猊下の横で、誘拐同然で連れてこられてしまった手持無沙汰な少年は、とりあえず買っていたおやつを食べることにしたらしい。図太い。

 

「というか、ごくッ…。俺詳しいことを何も知らないんですけど…? せっかく美味しいもの巡りをしていたのに、いきなり『悪魔と会う。護衛に来なさい』で襟首を掴まれて引っ張られたらここにいて、正直ものすごーく困惑してるっス」

「言った通りだ。ここでとある悪魔と会う。privato(プライベート)な交渉がしたいと連絡が入ってな」

「……あの猊下に交渉? その悪魔、本気ですか。それに、猊下も何で了承したんですか? 普通に考えて、ヤバいと思うんですけど…」

 

 デュリオの疑問は最もだろう。だが、全てを教えるつもりはなかった。ストラーダ猊下が今回の話に了承した背景には、まず半年前にミカエル達から聞いていた『和平への道筋』が脳裏を過ぎったのは間違いない。ここでその悪魔に恩を売っておく。できるのなら、半年前の詳細を悪魔側の視点で教えてもらうこともできる。悪魔側の方針に確証を得られるかもしれないチャンスなのだ。なんせ、交渉の相手はあの騒動の中心だった皇帝ベリアルと近しい悪魔だったのだから。

 

 何よりも、その悪魔が交渉を願った内容がストラーダ猊下の腰を上げた。なんせ、その悪魔の願いは自分もよくわかるものだったからだ。それに自分の携帯の番号を教えたのが『(ヤツ)』であるならば、恩を売っておくことは悪くない。そしてデュリオを連れてきたのは、今後の若い世代を引っ張る人材の一人である彼に、その悪魔を見せるためだった。

 

 その悪魔が交渉する内容は、デュリオなら理解できると考えたのだ。彼が一番に願っている願いと、その悪魔の願いは同じものだったのだから。両親を亡くしたデュリオは、戦災孤児として教会の施設に引き取られ、そこから同じ子ども達のために教会の戦士となって戦ってきた。その中で、先天的に特殊な力を持って生まれ、力に呪い殺される子どもを何人もその目に映し、何度も涙を流す姿を師は見てきたのだ。

 

 だからこそ、彼を選んだ。この少年なら、きっとこれからの未来で平和への道筋を明るく照らしてくれる存在になれると信じたから。

 

 

「あと、俺がその話を聞いて問題ないですか? 俺、護衛としてここにいますけど、完全に部外者ですよね」

「戦士デュリオ、今回の交渉自体は貴殿にとって無関係ではある。だが、全く関係がないとも言えないだろう」

「……どういう意味ですか?」

 

 ストラーダ猊下の言葉に眉を顰めたが、不意に入り口の方へデュリオは視線を向けた。誰かがこの教会へ近づいてきている。その気配を隠すことがないのがわかったため、おそらく交渉をしに来た悪魔であろうと察する。気配の数は一つのようで、本気であの猊下相手に一人で交渉に来たらしい。ある意味で、すごい度胸だと感心する。猊下の実力を誰よりも理解しているからこそ、いつ殺されてもおかしくない場所へ、それでも来た悪魔に少し興味が湧いた。

 

「その悪魔は、どうやら人間を妻にしたようでな。そして先日、その奥方との間に子どもが出来たらしい。だが同時に、人間の血が混じってしまったことで、あるものも一緒にその子は宿してしまった」

「あるものって、まさか…」

神器(セイクリッド・ギア)。それも、拒絶反応を起こした状態でな。数年ぐらいしか生きられないだろうと診断され、悪魔の力では救えない我が子を救うために、縋ったのが私だったという訳だ」

 

 デュリオの目は、大きく見開かれる。唇が震え、己の師へ縋るように視線を合わせた。だが、ストラーダ猊下が静かに首を横に振った姿を見て、少なくとも自分が知る事実以上の結果はないのだと悟る。教会でも、そんな子ども達を助ける術はない。その事実を突きつける(情報を渡す)ことが、この交渉の内容なのだと知ったのだ。

 

「そんなの、あんまりにも……」

「だが、それが真実だ。教会でも公然の事実を伝えるだけで、悪魔側の情報が手に入る。取引として悪くはないだろう」

「……ッ」

 

 冷徹だと言えば、そうだろう。だが、実際にそれ以上の真実などないのだ。あるのなら、とっくに教会は解決のために動いている。デュリオ自身も、その力になるために己を磨き、少しでも何かできればと足掻いてきたのだ。そして、その悪魔がどんな気持ちでここまで来たのかが、痛いほど理解できてしまった。唇を噛みしめる少年を一瞥した後、ストラーダ猊下はそれ以上何も言うことなく、朽ち果てた教会の扉を開ける悪魔を迎え入れた。

 

 銀色の髪と暗緑色の瞳を宿す、二十代後半ぐらいの男性。最上級悪魔であるその男は、ストラーダ猊下を見据えると表情を硬くしたが、それでも真っ直ぐに強い意志を宿している。その目が、希望に縋る者が宿す色と似ていることに、猊下は静かに目を細めた。

 

 

「お初にお目にかかります、私はリュディガー・ローゼンクロイツ。この度は、あなたと話し合える場を用意して下さったこと、心より感謝いたします」

Buon giorno(ブオン・ジヨールノ)、悪魔よ。私がヴァスコ・ストラーダだ。なに、私は事実を伝えるだけだ。そちらも情報を渡してもらえることに偽りはないのだろう」

「えぇ、それがたとえ……どんな真実であろうと。私が答えられる情報を話しましょう」

 

 『どんな真実であろうと』、そう告げたリュディガーの言葉は絞り出すような、それでも毅然とした声音だった。それが昔、『弟や妹達を助けることはできないんですか』と自分へ向けて絞り出す様に、悔しそうに聞いてきた幼かった緑の瞳と重なる。隣で小さな肩が、グッと堪えるように震えていた。

 

 そうして、邂逅を果たした悪魔と教会の戦士は、お互いの真実を語り合ったのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「ローゼンクロイツさん、でしたっけ?」

「……キミは、護衛でついてきていた子だね。猊下の傍にいなくていいのかい」

「あのじいさんに護衛なんて本来必要ないでしょ。俺は社会勉強でついてきただけみたいですから」

「そうか」

 

 あれから、一時間に及ぶ話し合いが終わった後のこと。教会での神器症への対応や、解決方法が未だに見つかっていない事実と引き換えに、冥界の騒動の真実についての表側の部分(悪魔の政府が同様に知っている範囲)だけをリュディガーは語った。さすがのストラーダ猊下も、冥界で皇帝が職場改善のためにストライキをやらかしていたとは思っていなかったようで、思わず「davvero(ダッヴェーロ)?」と尋ねているのが印象的だった。そりゃあ、ビックリするだろう。

 

 皇帝が政府とどのように交渉したのかを駒などの爆弾は伏せながら語り、そして魔法少女とスーパーロボットはこちらも訳が分からない、などの表向きの事実を伝えておく。少なくとも、悪魔側が不利になるような内容は話していない。それにストラーダ猊下の目は鋭かったが、今回は冥界や悪魔の事件の流れを知ることを優先したようだ。その後、リュディガー個人が持つ魔法の知識や教会にとって利益となるだろう錬金術に関する資料を提示し、それにストラーダ猊下も発作を抑える薬の調合についての知識を提示した。

 

 二人のやり取りは事務的なほど冷静なもので、お互いに持っていたものを同等の取引として交渉している。リュディガーとしては自分の方が不利な状況故に、色々覚悟を決めていたのだが、ストラーダ猊下は一切の情報のつり上げなどは行わなかった。それもあり、これ以上教会から情報を得ることはできないだろうと噛みしめるしかない。ストラーダ猊下の目には、どうすることもできない命に縋る父親への憐憫の感情が確かにあったのだから。

 

「えーと、その、あのぉ……。やっぱり、落ち込んでいます、よね?」

「……多少の覚悟はしていたさ。教会もどうにもできない状況なのは、わかったよ」

「……どうにかできるのなら、どうにかしたんですけどね」

 

 二人が交渉している間、デュリオは大人しく話を聞く姿勢になっていた。冥界の話になった時は、そんなことがあったのかと驚き、そしてストライキという人間らしいことをする悪魔達に、思わず猊下と一緒に目を見開いた。ストラーダ猊下から、後でこの話については他言無用だと言われたが、悪魔に対する認識が彼の中で多少変わったのは間違いないだろう。

 

 そして現在。猊下が手に入れた情報の整理のために席を離している間に、ベンチに項垂れる様に座る男性へ少年は声をかけた。その背中が、あまりにも小さく見えてしまったから、どうしても放っておけなかったのだ。最上級悪魔である男に、不用意に近づいている自覚はあったが、それでもデュリオの中でこの悪魔だけは敵にも、他人にも思えなかったのだ。自分と同じ悩みを持ち、そして自分と同じように現実に打ちのめされ、それでも自分と同じように諦めきれない目をしている悪魔に。

 

 

「キミは?」

「ご紹介が遅れました。デュリオ・ジェズアルドです」

「……『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』の所持者にして、将来有望で優秀なエクソシストと噂される子か」

 

 スラスラとリュディガーの口から出てきた自身の情報に、思わずデュリオはポカンと口を開いてしまう。それなりに実力をつけてきた自負はあったが、名前だけで見破られるとは思っていなかった。それに、「情報に関しては力を入れているからね」と優雅に微笑む姿に、なるほどと相づちを打ってしまう。さすがは最上級悪魔、様になっている。

 

「キミは使いこなしているんだね、その神器を」

「です、かね。少なくとも、恵まれてはいるんでしょうね」

 

 少し離れた位置だが、リュディガーの座っている椅子にデュリオは同様に腰を落とす。それに視線を向けられたが、特に何も言われなかったのでそのままにした。

 

「お子さん、男の子なんですか?」

「……あぁ、もうすぐ一ヶ月になる」

「そりゃあ、可愛い盛りっスよね。大変な時期でもありましたけど。俺もよく赤ん坊の世話、やっていましたから」

 

 行われるのは、とりとめのない会話。悪魔と聖職者という、本来なら相容れることのない両者が親し気に会話できているだけでもおかしな話だろう。そんなデュリオの話にリュディガーは訝し気な表情をしながらも、相槌を打っていく。この少年との会話を続けようと不思議と思えたのは、彼の目が今まで会ってきた他の者達とは違ったからだ。

 

 その目には、リュディガーに向けた憐みがない。悲しみがない。真っ直ぐなまでに眩しい光を宿した、優しい緑の瞳。医者も、妻も、仲間たちも、友も、同僚達も、他の誰もが、どうしようもない運命に遣る瀬無い感情をリュディガーへ向けたのに、彼だけはそんな感情を一切感じないのだ。息子の話になると、デュリオは嬉しそうに赤ん坊の可愛らしさを褒めてくれた。

 

「それで俺、妹や弟達がいるんですよ。あっ、血は繋がっていないんですけどね。親がいなくなってしまった子ども達の孤児院に訪れてはよく遊んでいて、おやつを持って行って、色んな子たちがいて……。教会に預けられる子って、特殊な事情を持っている子も多くてですね。その中には神器を持って生まれたことで、世間から弾かれてしまった子も何人かいました」

「……神器は、その者の持つ道筋を大きく変える代物だからな」

「はい。でも、神器って神様から送られたもので、それで不幸になっちゃうなんて理不尽だと思ったんですよ。だから、俺、その子たちをたくさん笑わせてやろうと思って、みんなは不幸なんかじゃないんだって教えたくて、この力できっと何かを変えられるはずだって、そう信じて頑張ってきました」

 

 その真っ直ぐなまでの声は、少年の想いをそのまま表しているかのようだった。不意に、デュリオと同じ年ぐらいの少年をリュディガーは思い出す。自分の目指す目標のためなら、猪のように猪突猛進していく様子は、少し似ているのかもしれない。根拠はないはずなのに、きっとできるはずだと周りすら巻き込んで信じさせてくれるような、そんなマイペースさも特に。

 

 しかし、「それでも」と次に小さくこぼした少年の悔しそうな声音に、膝の上で震える様に握り込む拳に、リュディガーは目を逸らすことなくその緑の瞳を見つめた。

 

「それでも、神器を持って苦しんでいる子がいて、大人になれずに死んじゃう子もいて……。助けてやりたいのに、助けることが出来なくて…。俺、すごい神器だって持っているはずなのに、才能があるエクソシストだってたくさんの人に褒められているはずなのに、一番助けたいガキんちょ達を助けてやれない。そんなのどうしろっていうのか、俺に何がしてやれるのかって、ずっとずっと考えてきました」

 

 それは、その感情は、リュディガー自身の心を表しているかのようだった。最上級悪魔にまで上り詰め、レーティングゲームのトッププレイヤーとなり、どれだけの力や脚光を手に入れても、一番叶えたい望みには手が届かない。その無力感を、絶望を、デュリオ・ジェズアルドも経験しているのだと知った。

 

「神器の影響で足が動かないけど遊園地に行きたい妹がいて、腕が動かないけど野球をやりたい弟がいて、ずっと神器のオーラの影響で発作に苦しんでいる弟は、俺ともっと遊びたいなんて言ってくれるのに。そんなささやかな夢すら、一緒に生きたいと思う気持ちすら、叶えることが出来ないのが悔しくて、遣り切れ、なくて……」

「キミは、泣いてくれるんだな。その子たちを思って、私の子のことも思って」

 

 この少年は、きっと誰よりも神器を持つ子たちと向き合ってきたのだろう。それがどれだけ辛い結末でも、彼は最後まで傍にいる選択を選んだ。何度も現実に打ちのめされながら、それでも諦めずに、彼らの兄であり続けようとした。希望や笑顔を届けようと、ずっと足掻いてきたのだろう。噛みしめるように伝えられる言葉が、頬を伝う少年の涙が、リュディガーの心に何よりも響いていた。

 

 まるで、自分の代わりに泣いてくれているのだとそう思えたから。

 

 

「……辛いし、悲しいけど、それでも…。それでも、『仕方がない』で俺は終わらせたくないんです」

「随分と、難儀な生き方を選ぶんだな」

「ヒトが諦める理由なんていくらでも転がっていますからね。でも、そんなの一々見ている暇があるなら、俺は全部蹴飛ばして前に進むだけっス」

 

 まさか十代前半ぐらいの少年に、目を覚ましてもらえるとは思っていなかっただろう。周りが諦めているからといって、自分も諦める理由にはならない。それが自分にとって、大切なものであるというのなら特に。

 

「だから、ローゼンクロイツさんも諦めちゃ駄目っスよ。俺は、諦める気なんて全然ないですから。だって、俺はガキんちょどもの兄貴ですからね」

「ふっ、そうだな。確かに私が諦める訳にはいかないな。何故なら、私はあの子の父親なのだから」

「あっ、やっと深刻な顔から余裕が出て来ましたね」

「あぁ、さすがは将来有望な神父だ。いい説法だった。デュリオ、キミは間違いなく最高の兄だよ」

 

 息子が産まれてもうすぐ一月が経つ頃、リュディガーの中に少しずつ芽生えてきていた蕾。きっと救う手立てが見つかるはずだと、希望を捨てることなく我武者羅に探し続けていた光は、今ではもうほとんど見えなくなっている。それは、教会という大きな伝手ですら見つけられなかった事実が、さらに闇を深くしただろう。『どうすることもできないのか』という思いが生まれていたリュディガーの心に再び光を灯すことが出来たのは、間違いなくデュリオ・ジェズアルドのおかげだった。

 

「ローゼンクロイツさん、約束です。もし、俺の方でも何かわかったら絶対に教えます。だから、ガキんちょたちの笑顔のために一緒に頑張りましょう!」

「わかった、わかった。私の方でも何か方法がわかったら、必ずキミに伝える。それにしても、泣いたり笑ったり、忙しい子だねキミは」

「へへへっ、だって嬉しいですから。教会のみんなは、あの子たちすら、『そういう運命なんだ』で受け入れちゃっていて、そんなの違う! って俺一人で騒いでいる感じだったから、なんか仲間が出来たみたいで嬉しいんスよ」

「私は悪魔だけどね」

「諦めが悪い仲間ということで」

 

 デュリオののほほんとした返答に、思わず吹き出してしまう。この少年の底抜けの明るさとポジティブさ、そして優しさこそが、デュリオ・ジェズアルドの強さの根幹なのだろう。自分含め、周りの誰もが思いつめた顔をしていた中で、屈託のない笑顔を向けてくれる彼の存在は、まるで希望への道を示す道しるべのようにも感じた。

 

 

「帰るぞ、戦士デュリオ。話は出来たようだからな」

「ス、ストラーダ猊下。話が出来たって、もしかしてわざと席を外していました? あと、悪魔の御仁と仲良くしちゃっていたことはお咎めなしで?」

「先に言っただろう。今回の件は他言無用だと。それは私も同様というだけだ」

「……うっす」

 

 あれからリュディガーと別れの挨拶を交わし、悪魔の姿がこの近辺から見えなくなったと同時に、猊下はひょっこりとタイミングよく姿を現した。明らかに狙っていたかのような上司の登場に、頬を引きつらせたデュリオだが、心配していた説教はないらしい。それにホッとしながらも、何故叱られないのか、むしろ何故自分をここに連れてきたのか、いくつもの疑問が脳裏を過ぎる。

 

 デュリオとしては、リュディガーと知り合えたのは大変嬉しい収穫であった。彼は宣言通り諦める気なんてないが、それでも理不尽な現実に心が疲弊する時はある。そんな彼にとって、同じ目線で、同じ目標に向かって頑張れる仲間が出来たことは、幼い少年の心を軽くしてくれたのは間違いなかった。だからこそ、ストラーダ猊下がわざわざデュリオをここへ呼んだ理由に、不思議と首を傾げてしまう。

 

 これではまるで、自分とあの悪魔の仲を深めるために呼ばれたのではないか、と……。

 

「猊下。もしかして、何か大きな動きの前兆だったりはしませんよね?」

「貴殿の直感は、時々鋭いな。答えないが」

「ここまで勿体ぶって、答えてくれませんか!」

「ハハハッ。悩め、若人よ。……この邂逅が、貴殿にとって良き道筋になることを祈ろう」

 

 愉快そうに笑って見せるストラーダ猊下に、やっていることは相変わらずぶっ飛んでいるじいさんだ、とデュリオは遠い目をしながら思いつつ、教会へ向けての帰路を進んでいく。それに、これから先の未来で何が起こることになったとしても、自分がやるべきことは何も変わらない。自分の手の届く範囲にいる子ども達の笑顔を守る。そのために自分は強くなってきたのだから。

 

 

 倉本奏太が起こした騒動は悪魔、堕天使だけでなく天界側の方針にも変化を及ぼし、それによる影響は徐々に目に見えるかたちで広がっていく。本来なら十年後の未来で、邂逅するはずだった悪魔(リュディガー)天使(デュリオ)は、こうして関わりを持った。監督と選手という関係から変化した、交わした二人だけの約束。目指すべき目標と叶えたい願いは、今この時代から始まりを迎えるのであった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。