えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

111 / 225
第百十一話 理

 

 

 

 最初に『それ』が意思を持ったのは、警戒と危機感知のためだった。

 

《――――……》

 

 『それ』に、感情や思考のようなものはない。いや、そういったものがそもそも必要とされていなかった。何も感じず、何も思わず、ただ『親』が望む己の役割にのみ従事してきた。それは『親』がいなくなった後も変わらず、世界を動かすためのただの歯車として機能するだけ。それ以外のやり方など、何も知らなかったから。

 

 『親』が消えたことによってこの世界に不具合が生じていることは、『それ』もわかっていた。しかし、己の役割は世界を回すことであり、それを怠ることは自身の存在の否定にも等しい。何より、不具合を修繕したり、改善したりするような機能自体がそもそも備わっていなかった。だから不具合による世界の混乱を感じても、それに痛む心もなければ、感傷のような思いも何も感じなかったのだ。

 

 世界を回す。ただそれだけを、己の役目として従事していく。それだけが、己に望まれている存在の意義だから。自身が創られた時から、『親』以外の誰とも関わることのない空間。それがこれから先もずっと続いていくのだろうと、『それ』は漠然と思い続けていた。それでいい、と思っていた。

 

 本来のこの世界の歴史でも、『それ』は課せられた役目をただ回し続けていたことだろう。しかし、一つの予想外の出来事が全てを覆すことになる。しかもその元凶は、全くの無自覚であり、自分が何をやらかしたのかも一切関知していなかった。だが『それ』にとっては、『親』以外で初めて関わりを持つことになる特別な存在となったのであった。

 

 

『どこのシスコン魔王様とスイッチ姫だよォォッーー!!』

 

 最初、『それ』は訳が分からなかった。突然、人間と神器を繋げるラインに衝撃を受けたのだ。自身のいる空間に干渉しようと外側から関わろうとする存在は今までにもいたが、まさか内側から干渉を受けるとは思っていなかった。それも、『概念消滅』という己が定めた訳ではない、本来の能力から逸脱した力を使って。

 

 『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』。その神器の力は、『対象を選択し、己が定めたものに消滅の効果を及ぼす』もの。神器の中には、『親』とそれに対を成す『魔』がいなくなったことによって、異質な進化を遂げるものや『神滅具(ロンギヌス)』と呼ばれるようになるバグを起こすものはあった。しかし、これは違う。なぜならこの力は、『親』が定めた世界の理すら消し去るほどのバグ。この世界から外れた理による力。

 

『神様ちくしょう! あっ、神様死んでた。せめて、神器なしの一般人……、それもはぐれ悪魔とか色々ちょっと怖い。でも、原作に関わるのも色々怖い。何なの、この本気で物騒な世界は…』

 

 この人間は、『親』の死を知っている。『原作知識』という、この世界の理から外れた知識も持っている。『黒刃の狗神(ケイニス・リュカオン)』との共鳴によって目覚め、さらにその知識によって変革された神器は、『概念消滅』という新たな理を持つ力に昇華された。それを人間と神器を繋ぐラインから感じ取った『それ』は、この世界そのものに干渉できるその力に、初めて脅威を覚えた。

 

 心などない、意思もない『それ』が、初めて感じた感情。誰にも干渉されることがない、誰にも触れることができないとされた自身に、届く可能性がある力。それにどうしたらいいのか、『それ』はわからず、戸惑い、迷子のように考えるしかなかった。そう、初めて感じた脅威の感情に、『それ』は初めて『思考』をしたのだ。

 

 そして、まずは見極めようと考えた。この存在が、本当に自身にとって脅威となる者なのかを。その『原作知識』が、世界にどのような影響を及ぼすのかを。世界を回すことが『それ』の役目であり、世界に向けて自ら干渉することなど考えたこともなかった。自分からアクティブに動くなんて全くしたことがなかった『それ』は、とりあえず現状を維持しながら、『外れた理の主』を監視しようとジッと『意識』を向けることになったのだ。

 

 最初は、己の脅威になるかもしれない者に対する監視。『原作知識』を有する存在が、世界を回す己の障害になり得るかの可能性を見極めるために。その宿主の持つ神器に意識を混じらせながら、神器としての性能と同化していく。しかし、『外れた理の主』を見続けている内に、『それ』の目的は少しずつ変化していったのであった。

 

 

『よし、神器よ。このさんまの骨だけを消滅させるんだ!』

 

 待ちなさい。神器をそんなことに使ってはいけません。槍は戦闘などで使うもので、決して魚の骨を消滅させるためだけに刺すなどとっ……!

 

『ちくしょう、また負けたァッ!? あのボスの動き、速すぎだろっ! でも、ようやく動きにも慣れてきたし、絶対に今日中にクリアーしてやる…。よし、今日は徹夜だ! まずは神器の能力で睡眠欲を消して、目の疲れも消して、ついでに親にバレないように気配も消す。まさに完璧な布陣だな!』

 

 そんなことに能力を使わず、意地を張らずにさっさと寝て後日にやりなさい。この前も同じようなことをして、貫徹でフラフラして学校に行ったでしょう。前世の記憶があるなら、ちゃんと生活習慣を整える大切さを思い出しなさい!

 

『大変なことに気づいた。神器の力で重力を消せば、俺ってば空を飛べるんじゃないか? やばい、さすがはファンタジー世界…。よし、早速修行の開始だ!』

 

 この者の実力では、まだそこまでの制御は無理では……。えっ、あれ、待ちなさい。やっぱり頭から落ちッ――!

 

 

 それから、『それ』は理解した。この『外れた理の主』は、アホだということに。たぶん、自分が何もしなくても、この人間は勝手に自滅して、気づいたら死んでしまっていることだろうと…。たとえ運良く生き残っても、普通に日常生活を過ごしていきそうだと……。警戒心があるようで、うっかりでやらかして、情に流されやすく危なっかしい人間。懸念していた『原作知識』の悪用も、この者の実力や思考から考えても起こり得ないだろうと思い至ってしまった。

 

 なら、もう監視の必要などないのではないかと考えるが、不思議と『外れた理の主』への観察を止めようとは思わなかった。それどころか、見守るように寄り添うように、気づいたら死んでいそうなこの主を導くように力を貸していた。この主はアホではあるが、脅威であることに変わりはないというのに。

 

 もし『親』が存命なら、どうしていただろうと『それ』は時々考えることがある。しかし、いくら考えても『親』がいなくなった事実は変わらない。己に唯一進言できただろう存在は、もういないのだ。こんな風に考えること自体、『それ』は今までしたことがなかったというのに。今では当たり前のように『思考』することを学んだのだ。ただ、『外れた理の主』を導きたいがために。

 

『いつもありがとうな、相棒』

 

 ただ世界を回すだけの歯車でしかなかった己に、真っ直ぐな感謝を伝えてくれたことに。

 

『ど、どうしよう、相棒! これどうしたらいいっ!?』

 

 大慌てで焦る様子に呆れながら、それでも自分にならなんとかできないかと頼ってくれたことに。

 

『俺には誰よりも信頼できる相手がいつもそばにいるんだ。俺の情けないところも、馬鹿なところも、頭下げて縋る姿も、そいつにいっつも見られてしまっている。それでも、そんな俺を見捨てずに、最後まで一緒に生き残ることを考えてくれるんだ。だから、俺は俺にできることをただ頑張ればいいだけなんだよ』

 

 己へ向けた純粋なまでの信頼。『親』が親だからか、その信仰にも似た祈りが何よりも『それ』の思考を揺さぶった。その真っ直ぐなまでの信仰(信頼)が嬉しいと思う『感情』を、もっと信じて欲しいと願う『欲』を、『それ』は知ってしまったのだ。学習してしまった。少なくとも、今までの何もなかった己に戻ることは、もう出来なくなってしまっただろう。

 

 神器の能力制御の失敗を慌てて支えたあの日から、『外れた理の主』が自分へ向けるようになった言葉や想い。そこに籠められた信頼は、『それ』に『心』を教えてくれたのだ。

 

 

《――依木(よりき)の望むままに》

 

 『感情』を知った。『思考』を知った。『心』を知った。『それ』は大昔から存在し、世界を回し続けていたが、意思を持って考えて行動するようになったのは、紛れもなく『外れた理の主』に出会ってからだった。

 

 最初はただの監視だった。しかし、いつの間にかこの主があまりにもアホの子過ぎて、自分が頑張らないとぽっくり死んでしまうことがわかってしまった所為で、『それ』は自分から学習することを覚えた。もしこの主が、少しでも悪意を跳ね除けられる実力や知恵があれば、『それ』がここまで成長することはなかっただろう。この主の性根を『好ましい』と感じ、その道を支えたいと感じる心が育たなければ、『親』の定めた世界を変革しようとする彼に力を貸そうとも思わなかっただろう。

 

 『外れた理の主』の先生である堕天使の言う通り、お互いの関係は本当に奇跡のようなバランスであり、もし一つでも何かが違えば全てが変わっていたことだった。神器は宿主の魂と繋がっており、その考えを共有することができる。その繋がりによって、『外れた理の主』の考えを共有できた『それ』も当然ながら『原作知識』を有した。しかし、その知識を使ってどうするつもりもなかった。自分から何かを変えるつもりもなかったのだ。

 

 世界を回すのは『親』から与えられた使命。しかし、それ以外は特に何も命はない。世界を救うのも、世界を護るのも、『それ』にとっては心が動かない。まだ育ち始めたばかりの心では、自分にとっての大切だと思えるもの以外は無関心と言ってもよかった。故に、『親』ではなく、自身を信じてくれる唯一の存在のためにしか心は動かない。きっとこれから先、この主以外にそんな者は現れないだろうから。

 

 

依木(よりき)が望む道を――》

 

 だから、『それ』は思考する。彼の望みを『本当に』叶えてしまっていいのかを。今までと同じような望みなら、『それ』は何も思わなかった。しかし、彼が今願っている望みは、今のままでは決して叶うことはない。なぜならそれは、『親』が定めたこの世界の理を崩すほどの願いだから。それを叶えてしまったら、この世界にある大きな流れから逃れることは出来なくなってしまうだろうから。

 

 それでも、彼が自分の意思でその道を真に望むのなら……。その信頼に応えるための道を示そう。その選択のための『準備』なら、ずっと前から行ってきたのだから。彼の所持する『原作知識』によって、『外れた理』を持つようになった『概念消滅』の力なら、この世界の理を消し去り、新しい理を築くことが出来るだろうから。

 

 だから、『それ』は待ち続けることにした。己の『親』……『聖書の神』の手によって創られた自身を受け入れる器へと至り、自らの意思で力を掴み取る覚悟を胸に抱くのを。名は体を表す様に、『奏』の名を受けた依り代へ『神の遺した力』を宿せるように。これからも共に歩んでいける道を示してみせよう。

 

 その選択の時はきっと、――そう遠くないことだろうから。

 

 

 

――――――

 

 

 

「おぉー、やっぱりドイツの街並みって、日本と違って屋根とか構造が面白いよなぁー」

「カナー、あそこの屋台からすごく甘い匂いがする! 買って、買ってぇー!」

「リン、さっきバームクーヘンを食ったばかりだろ…。でも、確かにいい匂いだな」

 

 いつものようにミルキー悪魔さんの転移で、ドイツにある『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の出張所に送ってもらった俺は、観光も含めながらドイツの街を歩いていた。この街の『薔薇十字団(ローゼン・クロイツァー)』の支部へと挨拶をし、リュディガーさんの暮らす街への転移の手続きをしなくてはならないからだ。遊びに行くにしても、さすがに他組織の重要施設にいきなり転移するのは失礼だからな。

 

 ちなみにリンが傍にいるのは、俺の護衛のためである。メフィスト様の幻術の魔法を籠めた魔道具を首から下げているので、一般人には犬にしか見えず、並みの術者でも看破できないものらしい。一応、「こいつは俺の使い魔ですよー」と傍目からわかるように、魔法の印みたいなものはついているから、看破できた人も慌てなくて大丈夫な仕様にはなっている。

 

 そもそも実力者なら、ドラゴンを使い魔にして堂々と連れ歩く魔法使いに関わるなんて、地雷案件でしかない。魔法使いにとって、契約者や使い魔はステータスの一つとして数えられる。実力者ならリンが魔力を持っている事に気づき、ハーフ悪魔のドラゴンであることもわかるだろう。そして、転生悪魔のドラゴンの子どもと契約しているということは、その後ろにはドラゴンや貴族悪魔がいることも理解できる。

 

 つまり、そんなリンを連れた俺に手を出すということは、『灰色の魔術師』と『爵位持ちの悪魔』と『ドラゴン』の三勢力と事を構えることと等しいという訳だ。朱雀がリンが魔龍聖の眷属ドラゴンの娘だとわかった時、明らかに頭が痛そうに額に手を当て、俺へ何とも言えない目を向けていたからな。なんてものを放し飼いにしているんだ的な目だった、アレは。そんな訳で、リンは護衛としても警告塔としても、大変優秀という訳だな。

 

「焼きアーモンド? へぇー、冬の寒い時期にぴったりのおやつだって」

「おぉぉー! シナモンもいいし、カカオも美味しそう…」

 

 チラチラと視線を向けてくるリンに、俺は肩を竦めながらおじさんにシナモンとカカオ味のフレーバーを頼み、表通りから少し離れたベンチに腰を下ろしておく。別の容器にお菓子を半分こにし、リンに渡すと鼻歌を歌いながら夢中になって食べだした。さすがに幻覚とはいえ、犬(ドラゴン)が焼きアーモンドをガブガブしている姿は見られない方がいいだろう。威厳的にも、健康的にも。

 

 

「リン、次はもう寄り道はなしだぞ。リュディガーさんとの約束の時間まで、あと三十分もないからな」

「はぁーい。赤ちゃんのお見舞いが終わったら、その後は朱乃達とのドイツ観光だよね」

「……うん。そうなるかな」

「楽しみー! 確か、お城がスゴイって聞いたよ!」

 

 リンは嬉し気に尻尾を振り、今後の予定に思いを馳せているようだった。仕方がないとはいえ、リンにとってはリュディガーさんやリーベくんは俺の知り合いってだけで、そこまで親しい訳じゃない。それよりも朱乃ちゃんとのテレビ電話観光の方に焦点を当てるのは当然だろう。それでも、何とも言えない気分にはなってしまった。別にリンは何も悪くないのに。

 

 子ども組でリーベくんの病について詳しく知っているのは、俺だけだろう。現在は治療法が存在せず、永く生きることができない不治の病。そんなことをわざわざみんなに言いふらす必要はないし、リュディガーさんもそれは望まないと思う。きっとみんな、リーベくんがいつか元気になるだろうと思っているだろうから。いつか話すにしても、もう少し時間を置いた方がいいと思う。

 

 俺はリュディガーさんと親しく、リーベくんと友達になることを約束していたから、彼の病気についても教えてもらえた。さらに俺は堕天使の組織とも懇意にしているため、俺を仲介役として挿むことで『灰色の魔術師』との関わりも上手く誤魔化せる。俺の神器の能力的に、リーベくんが病気だと聞いたらメフィスト様に進言していただろうし、俺に真実を隠すのは難しいとメフィスト様も判断したのだろう。

 

「……相棒」

 

 青空を眺めながらポツリと呟いた俺の声は、お菓子に夢中だったリンには聞こえなかったようだ。それにホッとするけど、俺の心が晴れない理由の一つは、相棒の曖昧な態度もあるのかもしれない。今までなら、相棒は俺の疑問には思念で簡単にだけど応えてくれた。だけど、神器症の治療に関しては何も応えてくれない。出来るのか、出来ないのかも。無視されている訳ではないようだけど、その理由がわからないのだ。

 

 だから、もう直接調べるしかないと思った。相棒も出来るのか判断がつかないだけなのかもしれないし、実際に解析することで開ける道もあるかもしれないから。でも、一番解析することを恐れているのは、もしかしたら俺自身なのかもしれない。もし解析の結果、相棒でも『助けられない』という答えが返ってきたらと思うと、気分が重くなってくるから。相棒が応えを返してくれないのも、俺に現実を突きつけるのを躊躇っているからじゃないか、とぐるぐると考えてしまっている。

 

 俺は目を瞑って大きく一度深呼吸をした後、クリスマス仕様になっている焼きアーモンドをカリカリと頬張り、答えの出ない悩みを振り払うように頭を振る。こんな暗い気分で、リュディガーさんやリーベくんに会うのは失礼だろう。今の内に切り替えていかないといけない。俺は俺に出来ることをすればいいんだ。これまでも、これからも。

 

「ごちそうさまー」

「お粗末様。さて、そろそろ行くぞ」

「うん。クレーリアとルシャナにお願いしたら、焼きアーモンドを作ってくれるかな?」

「お願いしたら作ってくれるだろうけど、あんまり無理をさせるなよ」

 

 夏休みが終わってからドラゴンにおやつを強請られるようになった駒王町組は、もう慣れたような対応になってきている。俺が協会で内職をしている間、手持無沙汰なリンのために正臣さんも対戦ゲームに付き合ってくれるしで。申し訳ないぐらい、うちの使い魔が本当にお世話になりまくっているな。駒王町組の適応力の高さは、相変わらずのようだ。ドイツのお土産、奮発しておこう…。

 

 

 

「あっ、おはようございます。リュディガーさん」

「おはようございまーす!」

「ごきげんよう、倉本奏太くん。リンくんもよく来たね。リーベのために、わざわざありがとう」

「いえ…、俺にはお見舞いぐらいしかできないですし」

 

 あれから少し急ぎ目に街中を進み、大通りから少し外れた路地を抜けると、一般人への認識を薄める結界が張られた場所に行き着く。そこを抜けると、きめ細やかな葉アザミの装飾が施された大きめのデザインの建物が見えた。確か『薔薇十字団』が出来たのが17世紀ぐらいで、そのあたりに建てられたらしいと前に来た時に教えてもらったな。ヨーロッパの建物って時代ごとに建物の特徴があるらしいから、今度時間がある時にでも調べてみよう。

 

 『薔薇十字団』の支部の入口にたどり着くと、守衛さんに『灰色の魔術師』の魔法使いだと告げて支部の偉い人への書状を渡した後、しばらく受付で待機しておいた。俺はリュディガーさんへ結構気軽に相談とかしているけど、悪魔になった後も組織へ貢献している彼は、『薔薇十字団』の権威的にもトップに位置するヒトだ。そんなヒトと繋がりがあるとか大っぴらに告げると混乱の下なので、こうして色々手続きが必要という訳だな。

 

 それから少しすると、フードを被った魔法使いさんが俺を迎えに来てくれて、リュディガーさんの眷属さんがいる場所へと案内してくれた。案内の間、ちらちらとリンの方を興味深そうに見ていたから、たぶん実力のある人なんだろうな。リンに許可をもらい、「お菓子一個で撫でていいそうですよ」と告げると、めっちゃ感動で涙ぐみながら拝まれてチョコレートを一つずつもらった。ドラゴンって、やっぱり珍しいんだね。拝まれたリンが、しばらく調子に乗っていた。

 

 そんな一幕がありながらも無事に眷属さんと合流し、『薔薇十字団』の本部へと転移した俺達は、銀色の髪に暗緑色の瞳を持つ男性と再会する。前回会ったのは二ヶ月前の秋頃で、教会と取引した技術を施している最中だったため、不安からかあまり顔色は良くなさそうだったんだけど、今は多少は落ち着いたらしい。少なくとも、俺の目にはいつもの優雅な佇まいに見える。前回は俺でもわかるぐらい深刻そうな雰囲気があったから、リーベくんの体調は今のところ問題ないのだろう。

 

「あっ、これお見舞いの品です。日本式の千羽鶴なんですけど」

「これは、……見事な作品だね」

「プロが知り合いにいたもので」

「キミの人脈ほど複雑怪奇なものはないと思うよ」

 

 思わず感嘆の吐息を漏らしてしまうほどの芸術的な千羽鶴の色和えに、目を大きく見開くリュディガーさん。そしてしみじみと納得される俺の人脈。なんか気づいたら、お偉いさんや実力者、個性的なヒトと知り合っていますからね。リュディガーさんに千羽鶴を手渡すと、早速リーベくんの部屋に飾ろうと案内してくれることになった。

 

 リュディガーさんの奥さんは、『薔薇十字団』に所属している魔法使いでなかなかの実力者らしく、本部のすぐ近くに住居を構えることを許されている。リーベくんの発作のことを考えると、奥さんだけでは対応できないことから眷属や組織の同僚にも力が借りやすいように、ローゼンクロイツ家はみんなここに暮らしているみたい。リュディガーさんも仕事や改革の話し合い以外では、人間界にいる時間の方が長いようだ。

 

 

「あとこれ、ディハウザーさんからです。ベリアル領の特産の一つで、体調を崩した時の悪魔に効く薬草を使った薬膳レシピだそうで。ハーフ悪魔にも効果は出ていたみたいなので、もしよかったらって」

「ベリアル領は一時期、財政難で大変だった時の知恵が色々生きている逞しい家だからね。こういう悪魔ながらの療法の知恵は、本当に助かるよ。ディハウザーには、家族や改革のことで迷惑をかけてしまっているのが、申し訳ないが…」

「ついでに、ディハウザーさんからの伝言です。『仕事は大切だが、家族を大切にすることが何よりも前提にある。これからも私はローゼンクロイツ殿に多大な迷惑をかけるので、今の内に遠慮なく私に迷惑をかけてほしい。後々、十分に清算できるから気に病まないでくれ』だそうです」

「……罪悪感よりも、今後のディハウザーの多大なるやらかしに付き合うことが確定したことに対して、現実逃避したくなってきたんだが…」

 

 たぶん、借りを作っちゃいけないヒトに借りを作っちゃったんだろうね。皇帝の実力と行動力的に、いっぱい他のヒトの迷惑を背負える分、背負った分だけ自分の迷惑も受け止めてね、と言える図太さがプラスされてしまったから。廊下を歩きながら、リュディガーさんは頭が痛そうに眉間に手を当てていた。

 

「皇帝、カナみたい」

「リン、そろそろ俺に対する認識に物申したいんだけど」

 

 なんでも『俺みたい』でまとめるのは、そろそろやめてくれない? それで通じてしまう周りにも、ちょっと一言物申したくなるから。姫島朱雀について周りへ簡単に説明する時、「カナみたいな女の子」という説明で、「あぁー」と俺と近しいヒトほど納得される流れが心にくるから。だから、納得したように頻りに首を縦に振るのをやめてください、リュディガーさん。

 

 そんな感じで世間話に花を咲かせながら、俺たち三人は真っ直ぐに建物の中を進んでいった。改めて話を聞いてみると、教会の技術によって神器の反発を抑える結界は成功したようで、神器を封印状態に近しい状態で抑えることが出来ているみたい。結界内なら、だいぶ体調が安定するようになったことにホッとする。

 

 結界用の器材がなかなかに高価なのと、珍しい錬金の素材もあるようで、結界の範囲を広げるのが大変なようだけど、いずれは部屋だけでなくこの建物全体を結界で囲みたいと話していた。神器症によって外に出ることが難しくても、せめて庭ぐらいは歩けるようにしてあげたいと、リュディガーさんなりに新しい目標を決めて行動しているようだった。

 

 結局、神器症を治療する方法は見つかっていない。今は症状の進行を遅延させ、少しでも寿命を延ばす方法しかわかっていないのだ。それでも、こうして一つずつでも出来ることを目標に決めて動けるのはよかったのだろう。どうすればいいのか途方に暮れているよりも、今は治療法が見つかるまでリーベくんの症状を少しでも良くしていく方針に切り替えて探しているらしいから。

 

 それから、ドラゴンのオーラがリーベくんの体調にどう響くのかまだわからないことから、リンは一時的に冥界へ帰ってもらうことになった。護衛のお礼に火龍の巣のみんなで食べられるように、お菓子の袋を渡しておく。リンが冥界でお昼ご飯を食べた頃にまた呼び出して、姫島家と一緒にドイツ(映像)観光を行うことになったのであった。

 

 

「あら、リュディガー。お帰りなさい。そして久しぶりですね、カナタさん。今日はリーベのために来てくれてありがとう」

「お久しぶりです。こちらこそ、本日はお招きいただきありがとうございます。リーベくんも久しぶり」

 

 リュディガーさんに案内された部屋の扉をノックして中に入ると、茶色のウェーブがかかった髪と空色の瞳を持った優しそうな白人の女性が椅子に座っていた。彼女がリュディガーさんの奥さんで、腕の中にいる赤ん坊をあやしていたらしい。結界越しではなく、直に触れ合える距離まで近づけたのは今日が初めてだ。挨拶と一緒にお見舞いの品を部屋に置き、俺は奥さんの傍へゆっくりと近寄った。

 

「あぁー、うぅー?」

「ふふっ、だぁれ? って言っているのかしら」

「へぇー、髪の色はリュディガーさん似ですけど、髪質や目の色はお母さん似なんですね」

「あぁ、妻の癖っ毛がそっくりだろう。妻の昔の写真を見ると、そのあたりがよく似ていてな」

「それを言えば、目元なんてリュディガーとそっくりじゃない」

 

 二ヶ月前にお呼ばれした時は、出迎えてくれた奥さんと少しお話できたけど、やはり前よりも穏やかな雰囲気になっていると思う。まだまだ油断はできないけど、結界の中ならこうして腕の中に赤ちゃんを抱えられる『普通』が本当に嬉しいのだろう。以前は不安に揺れていた瞳は愛情に溢れていて、彼女もリュディガーさんと同じように今できることを目標に前を向き出したのだとわかった。

 

 ふと、お母さんの腕の中にいた青い瞳と真っ直ぐに目が合った。前回は結界の中で眠っているところを遠目からでしか見られなかったけど、こうして起きている彼と会ったのは初めてだ。俺だけが一方的に知っている状態なので、見知らぬ俺に興味津々な様子でジッと見つめられてしまった。

 

「えっと、ほっぺとか手とか触ってみても大丈夫ですか?」

「心配しなくても、それぐらい大丈夫よ。どうせなら抱っこしてみる?」

「えぇッ!? いや、俺、赤ちゃんを抱っこしたこととか、ないですし…。な、泣かせちゃって何かあったら…」

「いや、倉本奏太くんなら大丈夫だろう。不思議なんだが、リーベはどうやら相手を見分けるようでね。結界の開発のために呼んだ研究員や魔術師には泣き出すんだが、私の眷属や親しい者には大丈夫だとわかるのかあまり泣かないんだ」

「…………」

 

 神器には、『宿主の危機を感知し、それを知らせる機能』がある。俺の悪意の有無を見分ける直感と似たような機能が、もしかしたらリーベくんは無意識の内に発動しているのかもしれない。リーベくんの神器は現在、封印に近い状態ではあるけど、多少の発作があるということは僅かでも覚醒している部分はあるということだ。彼の中にいる神器だって、本来なら宿主のために力を貸したいのだろうけど、それが結果的に宿主を苦しめてしまっている。

 

 リュディガーさんという最上級悪魔と、高位の魔法使いの女性から生まれたリーベくんは、おそらく才能がありすぎた。だから、生まれた時から神器の恩恵を受け、そしてラヴィニアのように神器による不運も受けた。悪魔側は神器の研究に関して、他陣営に比べれば遅れていると聞いている。リーベくんのこの『見分ける能力』が神器によるものかもしれないと、たぶん彼らは気づいていないのだと思う。

 

 俺は神器によって救われてきた人間だ。そして俺の目の前にいる子は、神器によって救われない子なのだ。産まれや環境は選べないけど、それでも生き方は誰にだって選べる権利があるはずだと思っている。神器によって不幸になってしまった人達だって、これから幸せになっていいんだって思いたかった。一人では立ち向かえないのなら、一緒に歩ける手伝いぐらいならできないかって。

 

 だけど、この世界の(流れ)は変わらない。無常でも今までと同じように、このまま流れ続けようとしているのかもしれなかった。

 

 

「それじゃあ、その、失礼します」

「はい、慌てずにゆっくりね。まずは声をかけて、安心させてあげてからよ。次に頭の後ろに手を添えて、首を支えてあげるの。そうそう…」

 

 奥さんの言う通りに、俺は恐る恐る腕を頭の後ろと股の間に入れて横抱きに支える。その間、リーベくんはジッと俺の顔を見続けていて、少なくとも泣き出す様子がないのは安心した。お母さんから受け取った赤ちゃんは、思っていた以上に重くて、絶対に落とさないように慎重に腰を据え、しっかりと抱きあげた。

 

「……あったかい」

 

 ありきたりな表現だけど、これが命の重さなんだと感じてしまった。そして、さっきからずっと俺の顔を見ていたリーベくんと、お互いに緊張しながら視線を合わせて一分ぐらい経った頃。銀色の癖っ毛を揺らし、空色の瞳が嬉し気に細められた。俺へ向け、何かを語り掛けるように言葉になっていない喃語を口ずさむ。それに安心したように、ローゼンクロイツ夫妻も笑みを浮かべていた。

 

 しばらくの間、俺はリーベくんを抱っこさせてもらえた。俺からも話しかけ、腕を伸ばして指を赤ちゃんの手に近づけると、頑張って掴もうとにぎにぎしてくる。その反応が何だか嬉しくて、微笑ましくて、思わず泣きそうになって。お母さんの腕の中にリーベくんを返した時には、胸の前にあった温もりが消えたことに寂しさも感じた。

 

 今日の午前中は、ここにお邪魔する予定になっている。アザゼル先生から預かった研究資料のことは、奥さんには内緒でリュディガーさんにしか伝えられないから、彼女が仕事で抜ける時間になったら話を切り出そう。そのあとに、神器症に関して解析できるのかを隠れて調べる必要がある。だからそれまでは、この穏やかな時間の余韻に浸っていたかった。

 

 それから持ってきた千羽鶴を、リュディガーさんと協力してベッドの端っこに括りつけておく。窓から差す光の加減でキラキラと輝くグラデーションに、リーベくんもお母さんと一緒に興味深そうに眺めていた。これから先のことを思う俺の思考に、胸の奥に感じる相棒の思念が一瞬だけ紅に輝いたように感じたのであった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。