えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百十三話 相談

 

 

 

「行くわよ、朱乃。思いっきり打ち込んできなさい!」

「はい、朱雀姉さま!」

 

 姫島家が暮らす家の庭には、一部拓けた場所がある。それほど大きな面積ではないが、身体をいっぱいに動かすのには問題ないぐらいの広さはあり、ここでよく鬼ごっこや光力銃の訓練、焼き芋大会などを行ったものだ。今は俺が動きやすいようにと買ってきたスポーツウェアを二人共着こみ、庭の真ん中で構え合っていた。

 

 朱雀と朱乃ちゃんは長い黒髪をお揃いでお団子のようにまとめ、真剣な表情で向かい合っている。そして、深く白い息を吐き出した朱乃ちゃんは、勢いをつけて朱雀に向かって走り出した。手加減なく一心に拳を握りしめて拳打を放ち、ところどころで蹴りを織り交ぜていくが、朱雀は危なげなく全てを軽くいなしてしまう。なんだか正臣さんと模擬戦をしている時の俺を見ているようで、悔しそうな朱乃ちゃんの表情に非常に共感できてしまった。

 

 しかし表情に出たということは、それと同時に集中力がだんだん切れてきたのだろう。焦りから突き出してしまった掌底を朱雀に捕まれ、そのまま足払いをされて地面に勢いよく倒されてしまった。それに声にならない痛みからか涙目になる朱乃ちゃんを見て、俺は乾いた笑みを浮かべてしまう。修行の時の朱雀は結構容赦がない。朱乃ちゃんのことを思っての愛の鞭なんだろうけど、こういう切り替えの上手さは見習わないとな。

 

「駄目よ、朱乃。今のように手を掴まれる危険性のある攻撃は、無暗に繰り出してはいけないわ。ちゃんと相手の体心を崩してからじゃないと、今のようにカウンターをもらいやすいのよ」

「は、はい…」

「奏太」

「はいはいっと」

 

 さっきの衝撃で擦ってしまったのか、朱乃ちゃんの頬と足には打ち身と血がついていた。俺は見学していた縁側から光力銃を構え、朱乃ちゃんに向けて引き金を引いた。

 

受けた傷の消去(デリート)

 

 今では慣れて当然になった朱乃ちゃんは、そのまま抵抗することなく光力の光を全身に浴びる。すると、頬や足にあった打ち身が徐々に消えていき、数秒後には訓練前と何も変わらない姿へと戻っていた。それに毎回不思議そうに自分の身体を見ては、ぴょんぴょんと跳ねて調子を確かめる朱乃ちゃんの様子に、俺は小さく笑ってしまった。

 

「痛いのなくなった! ありがとうございます、奏太兄さま!」

「相変わらず、反則な能力よね。癒しの力って本来すごく貴重なものなのに…」

「姫島にはないのか?」

「ない訳ではないけど、それこそ緊急事態の時にしか使われないわ。あなたのように軽く使用できるような術や能力なんてないもの」

 

 ちょっと呆れた様子で溜息を吐かれた。原作ではアーシアさんの神器やフェニックスの涙という便利な回復能力が最初からあったので忘れそうになるけど、この世界において癒しの力は貴重とされている。それこそ、俺ぐらいの能力で『聖人』と祭り上げられてもおかしくないぐらいに。協会の仕事で、未だに内職しかさせてもらえないのも、下手に癒しの力を表に出すと危険だからって理由だからな。逆に言えば、危険を承知さえすれば億万長者も夢じゃないあたり、癒しの能力の凄さがわかるだろう。

 

 ちなみに、朱雀に協力すると誓ったあの日以降、彼女には俺の能力についてすでに伝えている。メフィスト様に姫島朱雀のことを話し、魔方陣の通信で協会の理事長と姫島家の次期当主として話し合いが行われ、契約を交わしたらしい。日本の組織は排他的な思考の者が多い中で、朱雀は中枢に行くことがほぼ決定している改革者候補だ。日本とも友好的に取引がしたいと考えていた魔法使い側としても、彼女の存在はありがたいものだったという訳である。

 

 そのため、俺が朱雀を支えることに関してはトップから了承をもらい、朱雀が当主になった暁には外交関係で色々協力がしたいと手を組むことになっていた。朱雀は鎖国状態の日本の組織の中で、外へ信頼できる伝手を手に入れられる。俺は日本人で家族もいるため、日本の代表の一角である姫島が俺の後ろ盾として立ってくれるのは非常にありがたい。そんなこんなで、俺と朱雀の関係は組織公認の一蓮托生な関係になった訳であった。

 

 

「あとその能力もそうだけど、色々ありえないことだらけよ。あなたと『友人』であるというだけで、悪魔と堕天使、魔法使いの三勢力の組織のトップから、何の功績も立てていない子どもの私に対して『信用』に値するという評価を与えるなんて」

「前に説明しただろ。俺、善悪センサーみたいなのがあるから、朱雀は信用できるって教えただけだって」

「それだけで『信用』を勝ち取れてしまったことが、ありえないって言っているの。姫島を改革するなんて、子どもの戯言と思われてもおかしくないのに、それを他組織のトップが真剣に受け止めてくれたことがどれだけとんでもないことなのか、ちゃんとわかっている?」

「いや、だって。それでも朱雀ならやるだろ?」

「もちろん、やるけど…」

 

 こんな感じで、俺に納得がいかないと伝えるように、朱雀からぷんぷんされることが多くなった。別に文句を言われている訳じゃないけど、朱雀の常識的にありえないことの連続で頭が痛かったらしい。相談にのるし、愚痴も聞くと以前伝えていたからか、今のように時々溜まったものを俺に吐き出す様になってきている。最終的には、結局改革は絶対にやるだろう? で落ち着くけど。

 

「とりあえず、水分補給はしっかりとっとけよ。教官直伝のビタミン入りスポーツドリンクだ」

「はーい! ねぇねぇ、奏太兄さま。朱雀姉さまといい勝負ができるコツって何かない?」

「それ、俺が聞きたい。あいつの攻撃、容赦なさ過ぎて避けるだけで精一杯だから」

「むしろ、私の方がどうやったらあなたに攻撃が当たるのか聞きたいぐらいよ」

 

 俺と朱雀の体術は、それぞれベクトルが違うからな。朱雀の場合、攻撃こそ最大の防御を地でいく性格で、相手の攻撃を最小限の動きで避けてはいなし、隙を見て鋭く切り込んでダウンを取ってくる。一方で俺は、生き残ることが最優先の鍛え方をしてきたので、とにかく避けるし躱すし逸らすし逃げる。あれ、攻撃する暇がない…。そんな状態なので俺と朱雀が模擬戦をする時は、制限時間内に俺へ一撃を入れたら朱雀の勝ちで、逃げ切れば俺の勝ちという勝負方法になってしまうのだ。

 

 ちなみに、このルールならなんとか俺は勝ち越している。でも、朱雀を倒せている訳じゃないから、自慢にはならない。能力込みだと朱雀と俺の能力の性質上、お互いに決定打を打てなくて泥沼化して最後まで立っていた方が勝ち、なんてことになる。こっちに関しては勝敗は五分五分。俺達が模擬戦をしても相手の体力の削り合いに焦点がいってしまうので、ものすごく疲れる。正直あんまり戦いたくない。お互いにその……負けず嫌いなところがある所為で、なかなか終わりが見えないのだ。

 

「さて、休憩はもう良さそうね。朱乃、続きいくわよ」

「うぅぅー、が、頑張る…」

 

 朱雀が空気を入れ替えるように手を叩くと、朱乃ちゃんは渋い顔をしながらも一生懸命についていく。朱雀へ打ち込み、蹴りを入れ、容赦なく転がされる。元々この修行を始めたのは、朱乃ちゃんたってのお願いであったから、彼女は諦めずに何度も立ち向かっていく。朱雀がいない時は俺が代わりに攻撃の避け方の修行を行っているが、相棒の危機察知能力がない分、朱乃ちゃんはだいぶ苦戦しているようだ。

 

 すでにこの光景に慣れ始めてきた現在。今まではみんなで遊んだり、罠の設置を考えたり、陰陽術や降霊術を習ったり、お料理を習ったり、ゲームで白熱したりして過ごしていたが、そこに朱乃ちゃんの修行が加わったのは、ほんの二週間ぐらい前のことであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 初めは俺と朱乃ちゃん、リンと小鬼の四人でわいわい遊んでいた中に、三ヶ月ぐらい前から朱雀が加わり、そんな俺達の様子を楽しそうに眺める朱璃さんも時々巻き込みながら、穏やかな日々を過ごしていたと思う。そんなある日、朱乃ちゃんからお父さんであるバラキエルさんが忙しいのは何故か、と真剣な表情で尋ねられ、俺と朱雀と朱璃さんは顔を見合わせる。最初はいつものように「仕事が大変なんだよ」と答えたが、彼女が求めていたのはもっと深い部分だった。

 

 朱乃ちゃんの父親であるバラキエルさんは、数少ない武闘派幹部であるためか、お仕事が大変忙しい。アザゼル先生も出来る限りバラキエルさんの時間を取ってあげようとしているみたいだけど、変人や血の気の多い堕天使をまとめられる手腕を持つ者は少ない。バラキエルさんって、M気質以外は強くて真面目で常識人だもんな。そりゃあ、アザゼル先生も頼りにするわ。

 

 下手に血の気の多い堕天使達で仕事をさせるといらない火種を作ってきそうだし、変人たちでまとめると余計な面倒事を増やしてきそうだし、であの自由人代表のアザゼル先生が頭を悩ませるってある意味ですごい。ちなみに、血の気の多い代表がコカビエルさんで、変人代表がアルマロスさんだ。悲しいことに、この二人とバラキエルさんぐらいしか実働部隊を動かせる武闘派の幹部がマジでいないのである。他は組織経営や研究者組しかいない。バラキエルさんが頑張って部下を育てているからなんとか回っているけど、無難に任務をこなせる人材が不足している現状が一番問題だと先生が愚痴っていたな。

 

 堕天使は先の戦争でトップ陣や下は無事だったが、真ん中がごっそり抜けてしまった弊害を現在進行形で受けているようなものだ。そして、その煽りを最も受けた一人がバラキエルさんという訳である。いつの時代も、割を食うのは仕事ができる常識人なんだな。世知辛い。なので、バラキエルさんのこの忙しさは、職場の回転率を上げる方法を見つけない限りは難しいという訳である。

 

 原作では、そういった任務や裏方を無難にこなしてくれるエージェントである『刃狗(スラッシュ・ドッグ)チーム』があった訳だけど、今の時代にはまだ存在していない。先生が神器所有者を育てようと思った背景には、研究と同時に即戦力になって、さらに真面目に仕事をこなしてくれる常識人を作るためもあったのかもしれないなぁ…。特に幾瀬さんは、すごく人が良さそうな大人の常識人って感じでカッコよかったから。俺の原作知識では、彼がどこにいて何者なのかも不明だけど、堕天使の組織にとって重要な人材だったのだろう。

 

 幾瀬さんの部分は省きながら、そんなアザゼル先生から聞いた内容を朱乃ちゃん向けに簡単に説明しておいた。大人の事情という難しいところがあるのであんまり教えたくはなかったんだけど、当事者である朱乃ちゃんの様子を見て、必要だと判断して話をした。朱璃さんや朱雀も、難しい顔をしながらも止めなかったので、朱乃ちゃんに必要ならと考えたのだろう。

 

「じゃあ、朱乃がいっぱい勉強をして、父さまがお休みできるようにお手伝いすることってできないかな?」

「でも、朱乃。堕天使の仕事は危険も多くて、……誰かに恨まれることだってあるかもしれないのよ」

「それは、怖いけど…。だけど、父さまが少しでも危なくならないように、朱乃も何かしてあげたいの」

 

 俺から話を聞いた朱乃ちゃんが、唇をギュッと噛みしめながらそう伝えてきたのは、十二月の半ばぐらいのことだ。俺や朱雀やリンという新しい刺激と、テレビや本といった外の情報を得ることができるようになった朱乃ちゃんは、『自分から』何かをしたいと願いを口にするようになっていた。

 

 俺は自分でも、かなり頻繁に姫島家に顔を出していた自覚がある。本来なら数ヶ月に一度しか来られないはずの朱雀を連れてよく転移してきたし、新しい新聞や本をたくさん持ってきたし、表と裏の世界の違いについて話も時々だけどしただろう。それが結果的に、姫島朱乃の視野を広げ、周りや自分自身のことを考えるようになった。今までは与えられるものをただ受け止めるだけだった女の子は、次第に自分から選ぶことを覚え、そして自分も周りへ何かを与えられる人物になりたい、と真剣な目で訴えてきたのだ。

 

「それに父さまが帰ってきてくれたら、母さまが寂しい思いをしないで済むから」

「朱乃、私のことは大丈夫だから――」

「朱乃は、……父さまに会えなくて寂しいよ。母様だって、本当は寂しいと思っているってわかっているもん。私は、母さまにももっと笑っていてほしいの!」

 

 両親に迷惑をかけたくない、という思い。だから、朱乃ちゃんは「大丈夫」だと何度も口に出し、笑顔を見せ続けていたことをみんなが知っていた。その「寂しい」思いにずっと蓋をしてきた朱乃ちゃんが、初めて自分の気持ちを表に出した瞬間を、俺は今でも覚えている。それを聞いた朱璃さんが、驚きと一緒に目を見開いた姿も。

 

「大丈夫じゃないよ。全然、大丈夫じゃなかったもん…! ずっと、ずっと寂しかったからっ!」

「朱乃、ごめ…」

「朱璃さん」

 

 謝罪を口にしようとした朱璃さんを、俺は首を横に振って遮る。朱乃ちゃんは謝って欲しい訳じゃない。両親を責めたい訳じゃない。今まで立ち止まることしかできなかった自分の気持ちに正直になって、そこから前に進むための決意を聞いてほしいだけだと思ったから。そうじゃなきゃ、こんなにも真っ直ぐな目を向けたりできない。

 

 それを、朱雀も感じ取ったのだろう。朱璃さんを安心させるように微笑みを浮かべると、朱乃ちゃんの視線を受け止めるように夕闇色の瞳と夕陽色の瞳を合わせる。普段の従姉妹を猫かわいがりする朱雀とは違う雰囲気とその強い眼差しに、朱乃ちゃんはビクッと肩を震わせた。

 

 

「朱乃、あなたのその決意がどれだけ大変なことなのか、ちゃんとわかっている?」

「朱雀姉さま…?」

「私は朱乃が好きよ。バラキエルおじさまが、朱璃おばさまを大切にしてくれていることも知っている。でもね、堕天使という種族に恐怖し、畏怖し、恨みを持つ者がいることも私は知っているわ。あなたのお父様が戦っているのは、そんな相手。その手伝いをするということは、あなたもその悪意を受けるということよ」

「悪意……」

 

 朱乃ちゃんは、自分がいる世界の狭さを知っている。そして、どうしてそんな狭い世界で暮らさなければいけないのかを薄々感づいている。それが、姫島朱乃を護るために母と父が作ってくれた世界なのだと。だから俺も朱雀も朱乃ちゃんの環境に下手に手が出せず、彼女の世界を護るように、まずは子どもらしく遊ぶことに目を向けさせたのだ。いずれ向けることになる外の世界に、少しずつ慣れさせていけるように。

 

 まだ朱乃ちゃんは幼い。世界の悪意なんて、まだ彼女は知らなくていいだろう。そんな風に考えていたけど、女の子の成長は早いって誰かに聞いたことがあったな。俺と朱雀という刺激は、姫島朱乃にとって大きな成長の糧になったのだろう。元々朱乃ちゃんは、自分よりも周りを気にする子だった。だから、彼女は考えたのだ。自分のことやこれからのことを。

 

「朱乃も父さまも、悪い事していないよ?」

「そうね。バラキエルおじさまは組織のために戦っているだけで、決して『悪』ではないわ。でも、堕天使と敵対する組織や種族にとっては、黒い翼を持つおじさまや朱乃は『悪』でしかないの。理不尽に思うかもしれないけどね」

「…………」

 

 朱雀が語る内容に、俺は思わず視線を向けてしまう。それは、これから姫島朱乃に降りかかるはずの悪意だったから。黒い天使は悪い存在。黒い翼があるから悪い子だと、朱璃さんを殺された姫島朱乃が自分の精神を守るために、父親にぶつけるしかなかった感情。

 

 おそらく、本来の姫島朱乃は知らなかった事実。原作の彼女は、何も知らなかったが故に、覚悟を持っていなかった。いきなり奪われ、いきなり悪意に晒され、いきなり彼女の世界は壊れて、いきなり何もかもを失ってしまったのだから。もし原作でももう少し朱乃ちゃんが成長していたら、こうやって朱雀が真実を伝えていたのかもしれない。

 

 俺が朱乃ちゃんの自意識を刺激したことや、朱雀を頻繁に姫島家へ連れてきたこと、姫島家の改革に向けた協力者を得たことで、朱雀の中に心の余裕ができたこともあるのかもしれない。それでも、今回のこの出来事が姫島朱乃の流れを大きく変えたのは間違いないだろう。

 

「朱乃は、黒い翼を持っているから悪い子なの?」

「そう言うヒトもいるわ。でも、そう思わないヒトもいる。少なくとも、私は朱乃のことが大好きだもの」

「俺にはさ、悪魔やドラゴンや堕天使の友だちや知り合いがいる。みんな世間では、邪悪で恐ろしいって言われているけど、実際に会ってみたら良いヒト達だったってことがある。もちろん、噂通りに酷い事をするヒト達だっているけど。例えば朱乃ちゃんはさ、ドラゴンと悪魔という邪悪のサラブレッドみたいなリンのことが悪い子に見える?」

「……見えない」

「そういうこと」

 

 不安げに揺れる瞳へ、安心させるように笑顔を向ける。リンのあのマイペースさと能天気さを身近で見てきた朱乃ちゃんにとって、わかりやすい例だろう。父親以外は人間に囲まれて過ごしてきた朱乃ちゃんは、リンが悪魔でドラゴンだということに興味深そうにしていた。そして、おやつとゲームが大好きな様子や、小鬼に無茶ぶりする姿に、楽しそうに笑っていただろう。

 

 種族的な特徴はあったとしても、それがそのヒトの全てを決定づける訳じゃない。俺はそれを理解しているけど、それを理解できないヒトがいるのも事実だ。原作の教会のクーデターで、「どうしても許せなかった」と頭ではわかっていても、認めることが出来ない悲しみを慟哭(どうこく)として上げていた少年がいたことも知っている。平和はヒトの数だけあって、同じものはないのだと。

 

「この世界には、理不尽なことがいっぱいあるわ。だけど、私達はその理不尽に負けないように頑張って生きていかないといけない。朱乃はその理不尽が、他のヒトより少し多いだけなのよ」

「どうしたら、いいの?」

「力をつけなさい。例え周りに認められなくても、これが自分の道だって朱乃自身が胸を張って進む強さを持つの。大丈夫よ、朱乃を認めない愚か者は、この私が一緒になって燃やしてあげるから」

「満面の笑みで恐ろしい事を言うなよ。まぁ、朱雀の言う通り、例え誰かとぶつかることになったとしても、曲げられないものがあるのなら戦うしかないからな。それに朱乃ちゃんを泣かせるやつは、全力で俺も泣かせてやるから安心して」

「二人共、朱乃のためなのはわかるけど、自分の影響力をちょっとは考えましょうね…」

 

 俺と朱雀の発言に、朱璃さんから遠い目をされた。俺と朱雀の場合、たいていが有言実行だからな。朱乃ちゃんを泣かすやつがいたら、俺と朱雀が全身全霊をもって確実に燃やして泣かせるだろう。あれ、俺達の存在って朱乃ちゃんの成長的にはいいんだろうか? 悪意を跳ね返せるだけ強くなりなさい、とカッコよく言っておきながら、俺達の方が堪え性がない気がする。いや、朱乃ちゃんに悪意を向けるやつに容赦する理由はないな、うん。

 

「……朱乃の事、認めてくれなかったり、ひどいことを言われたりするのは、すごく怖い、けどね」

「うん」

「でも、頑張りたい。父さまと母さまの娘として、兄さまと姉さまの妹として。みんなで一緒に頑張って生きたい」

 

 それから俺達の話を聞いた朱乃ちゃんは、拳をギュッと握りしめ、心を奮い立たせながら「強くなりたい」と決意を告げた。バラキエルさんの手伝いができるように、朱璃さんが寂しい思いをしないで済むように、自分が強くなることで少しでも安心してもらえるように、彼女はこれからのために必要な力をつけることにしたのだ。この小さな一歩は、間違いなく姫島朱乃にとってかけがえのない一歩となっただろう。

 

 目標を持って力をつけることを選んだ朱乃ちゃんは、たった二週間でメキメキと実力をつけていった。まずは体力づくりが大切だと小鬼と一緒に庭を駆けまわり、朱雀直伝の体術の稽古を始め、朱璃さんからは陰陽術や使役術を学びだす。俺からは協会に頼んで魔法書を持ってきたり、気配の感じ取り方などを教えたりしたかな。

 

 一番説得が難しそうだったバラキエルさんは、朱乃ちゃんの本気の泣き落としで陥落。雷光の使い方や光力の纏わせ方など、堕天使としての戦い方を伝授していた。バラキエルさん的には娘に教える嬉しさと、戦い方を教える複雑さを表情に浮かべていたけど、朱乃ちゃんの将来的に力が必要なことはきっと誰よりも理解していたのだと思う。修行を頑張る朱乃ちゃんが自分で立ち上がるのを、厳しく真っ直ぐに導いていたから。

 

 

「やぁぁッーー!!」

「甘い」

「はうんッ!?」

 

 俺がこれまでのことを思い出している間に、朱乃ちゃんがまたダウンしちゃった。朱雀なら怪我をしないように寸止めもできるんだろうけど、痛みに慣れることも大切だし、俺という回復要員もいるので、手加減をしながらも結構本格的な指導を行っている。俺も回復できるからって、先生達に光の槍をブンブン投げられたり、ドラゴンに追いかけまわされたり、正臣さんにバシバシ扱かれたりしたおかげで、痛みには必然的に慣れてしまった。回復要員がいるって、良い面もあれば悪い面もあるよね、これ。

 

 軽い脳震盪を起こしたのか、目を回してしまった朱乃ちゃんを連れて、朱雀が縁側まで戻ってくる。時間も時間だし、今日の訓練はここまでということだろう。俺は光力銃を床に寝かせた朱乃ちゃんに撃ち、問題なく傷を癒す。スポーツドリンクを入れたウォータージャグを捻り、朱雀用のコップに注いでタオルと一緒に手渡すと、朱雀は俺の隣に座って喉を潤していた。

 

「ふぅ、ありがとう。朱乃は大丈夫?」

「打ち身も怪我も全部治しておいたよ」

「そう、奏太がいるから後回しにしていたけど。次の訓練では、応急処置のやり方を教えておきたいわ。いつもあなたが傍にいる訳ではないもの。救急キットって、準備できたりするかしら?」

「あぁー、アザゼル先生に頼んでおくか? 朱雀的におすすめがあるなら、そっちも常備用に買っておくけど」

「お願い」

 

 修行で必要な物資などは、基本自由に動ける俺が準備するようにしている。俺の場合、アザゼル先生に頼んだり、メフィスト様に頼んだり、アジュカ様に頼んだり、リュディガーさんに頼んだり、と古今東西の技術や術式をお願いすることができるからな。量産目的なら、カイザーさんにお願いすれば何だかんだで作ってくれる。うん、朱雀が俺のことを呆れたように見てくるのが何となく理解できた。

 

「なぁ、朱雀。なんか朱乃ちゃんの訓練で焦っていたりする?」

「……そう見えた?」

「少しな。まだ二週間だぜ。朱乃ちゃんが頑張っているからいいけど、ちょっときついと思うぞ」

「来年の夏には、私は朱雀継承の儀を受けに全国の神社を回って、約一年かけて姫島の次期当主としての享受と顔合わせをしないといけないから。朱乃には、一年間は最低でも会えないんだもの。私に出来ることは、無理のない範囲で朱乃に託しておきたいの」

 

 俺からの言葉に逡巡した後、寂しそうに朱乃ちゃんの頭を撫でる朱雀の顔は、穏やかで優し気なものだった。朱雀継承の儀に関しては、前から俺も聞いていた。彼女の身に、霊獣『朱雀』を宿すことで、姫島の次期当主として正式に認められることになる。そのため、霊獣を宿す儀式だけでなく、次期当主としての役目も同時に果たす必要があった。

 

 確か『朱雀』は夏を象徴していて、朱夏(しゅか)とも呼ばれていただろう。最も朱雀の力が高まる時期を選び、彼女は夏の間ずっと霊獣『朱雀』へ向けた祈りを捧げ続けることになる。詳しくは姫島の極秘だからと教えてくれなかったけど、相当大変らしいことは伝わった。姫島の改革に必要な一歩のためにも、ここでしっかり足場を作っておかなければならないので、簡単に帰って来れないのは仕方がないことだろう。

 

 そんな考えと一緒に、どこか納得している俺がいるのもわかった。原作で姫島家が襲撃されたのは、朱雀が継承の儀を受けに行った後だとわかったからだ。何故、朱乃ちゃんの回想で朱雀が出てこなかったのか。姫島家の襲撃を止めることができなかったとしても、せめてその後に朱乃ちゃんを保護しようとする動きがどうしてなかったのか。それらの答えが、朱雀継承の儀によるものだと理解できてしまったのだ。

 

 それに何とも言えない気持ちになったが、重要な情報であることには変わりない。つまり、姫島家の襲撃が予想される時期が、さらに限定されたということなのだから。朱雀が旅立った後から、約半年の間に事件は起こる。それが分かっただけでも、よかったと思うしかないだろう。

 

 

「はぁー、しかし、だいぶ寒くなってきたな。修行は大事だけど、もうすぐクリスマスだから準備しとかないと。そういえば、姫島家はクリスマスイベントとかって何かしないのか?」

「クリスマスは、そもそもキリスト教の行事でしょう。むしろ私たちの場合は、正月が本番よ。新年が始まったら、五大宗家一同が集まって祭事を取り仕切り、数週間に及ぶ所縁のある神社や寺を巡り、祝辞や舞を奉納したり、本当に目が回るぐらい大変なんだから…」

「えっと、ご愁傷様…」

 

 さすがに心底疲れ果てたように溜息を吐く小学生女子を、揶揄うほど俺も鬼じゃない。たぶん、かなり大変なんだろう。言葉の端々から、苦労が滲み出ている。去年のこの時期は、駒王町の事件を解決するために走り回っていたから、こんな風にのんびりクリスマスの準備ができるのはありがたい。家族や協会組、姫島家と日にちをずらして三回ぐらいクリスマスパーティーをする予定だから、俺もプレゼントや飾りの手配とかに忙しいのだ。

 

「そういえば、駒王町で魔法少女達がサンタになって、子ども達の襲撃に対応しながらクリスマスプレゼントを配るという熱い企画を練っていたっけ」

「……待って、サンタを襲撃って何?」

「去年のクリスマスに、俺の知り合いの子ども達が約束をしたらしくてね。プレゼントがたくさん欲しい子ども達は、力を合わせてサンタを襲撃してプレゼントをたくさんもらおうと計画を練っているらしいんだ。それを知ったミルたん達が、魔法少女であり大人として、子ども達の夢を護り、願いを叶えるのは当然だってサンタ役を引き受けたんだって。町中にミルキーサンタを散らばせて、サンタを見事に倒したらプレゼントがもらえるというイベントを考えているらしいよ」

 

 俺からの説明に、頭が痛そうに手を当てる朱雀。残念ながら、これが現代日本に起きているサンタ現象だよ。原作では、イッセーくんとイリナちゃんが幼稚園の頃に約束したことで、二人が高校生になった時には笑い話になっていた内容だ。そんなイリナちゃんが引っ越したことで有耶無耶になってしまったはずの『サンタ襲撃計画』だったが、この世界では引っ越しイベントがなかったことにより、そのまま計画実行になってしまったのだ。

 

 しかも舞台は、魔法少女と悪の組織が手を取り、教会勢力がお腹を痛め、悪魔が管理に首を横に振り、一般人が一般人してくれない混沌が住まう土地――駒王町。夏休みの悪の組織との大決戦では、子ども達や協力者達の頑張りもあり、無事に魔法少女側が勝利した。その労いや感謝も兼ねて、子ども達の夢を叶えると同時に楽しんでもらおうと企画を考えたらしいのだ。

 

 「カナたんもぜひ、襲撃に来てにょ☆」と赤いミニスカ衣装にふわふわの白いわたを使った帽子をかぶり、サンタミルキーになったミルたんから、可愛らしい招待状が届いている。当日のクリスマスには、サンタミルキーになった魔法少女達が一斉に街中に解き放たれるそうだ。子どもだけでなく、駒王町の住民たちも参加できる一大イベント。提携組織に安倍家や加茂家、魔王少女様の名前が載せられ、このイベントの本気度が伝わってくる。紫藤さん、生きてくれているかな…?

 

「あなたの人脈って、時々どうなっているのか心配になってくるんだけど」

「魔法少女に関しては、俺でさえどうなってしまうのか心配でいっぱいです」

「えぇ…」

 

 魔法少女はすでに俺の手を離れ、独自の進化をしていっちゃったから。友達の夢を応援するために色々力を貸していたら、いつの間にかエライことになっていた感じでして。俺も反省はしているので、教会のみなさんへスポンサーとして胃薬を大量に送っています。姫島家やローゼンクロイツ家のことに集中していたから、駒王町のことは任せっきりにしちゃっていたからなぁ…。大丈夫だといいなぁー。

 

 

「あっ、そうだ。朱雀にちょっと相談したいことがあったんだけどさ」

「あら、また罠の改良について?」

「そっちはまた改めて相談するけど、別件。……できれば、相談内容については朱璃さんやバラキエルさんには伝えないで欲しい」

 

 俺からのお願いに訝し気な表情を浮かべられたが、朱雀は小さく頷いてくれた。朱璃さんやバラキエルさんは大人であり、子どもが危険を冒そうとしているとわかったら、こちらを止めに来る可能性が高い。俺のためを思ってくれているのはわかるけど、今はまだ伝えない方がいい気がした。

 

 床で寝ている朱乃ちゃんが風邪を引かないように座布団を頭に引き、近くにあったタオルケットを被せておく。少し長くなりそうだと思い、空になったコップにスポーツドリンクをもう一度入れて手渡しておいた。バラキエルさんは仕事で、朱璃さんは今頃台所で料理中だろうし、小鬼とリンはそれぞれ用事があったみたいで姫島家にいない。朱雀とゆっくり相談をするなら、今しかないだろう。

 

「私なら相談しても大丈夫なの?」

「朱雀なら俺を止めないだろ。そういう話」

「あぁ…、そういう話ね。それなら、確かに私は止めないわね。奏太に背中を押してもらった立場としては」

 

 暗に、朱雀が姫島家を改革しようとしていることと同等の気持ちだと伝えると、彼女は納得したように肯定した。俺と朱雀の性格は似ているから、やると決めたら例え周りから止められてもやろうと突っ走るところがある。止まる気なんて一切ない俺達にとって、周りからの心配は非常に申し訳ない気持ちになるのだ。どれだけ心配されても、目的を成し遂げられる可能性が少しでもあるのなら、止まろうとは全く思えなくなるから。

 

 だけど、俺一人では解決策が思い浮かばない場合、他者に相談するのは大切だ。その相談相手に気をつけなければならない中で、朱雀は俺の神器について知り、さらには俺の背中を引き止めようとはしないと考えた。周りからやめた方がいい、と諭され続けた朱雀にとって、それを後押ししてくれた手の大切さがわかるだろうから。

 

「それで、何を聞きたいの?」

「えっと、そうだな。とりあえず、まずは俺の状況について話しておくな」

 

 朱雀に相談したかったのは、リーベくんの神器症の治療についてだ。神器の抵抗力が低いことで起こる症状や、それによって死に至ること。悪魔や教会、堕天使の組織でさえも救えない不治の病であること。魂と神器が繋がっていることによる治療の難しさ。俺には助けたい子がいて、それを治療できる術を俺が持っているかもしれない事。そして、何かが『足りていない』ことを伝えた。

 

 朱雀は俺の話を聞きながら、明らかに難しそうに眉根を顰めている。特に神器症が不治の病で、俺に治療ができるかもしれない、と聞いた時には何かを考え込んでいた。俺が欲しい情報は、神器症を治療するために必要な知識と理解、そして『足りない』部分を補うための何か。原作知識を探っても出てこなかったので、客観的な意見も含めてどうしても相談したかったのだ。

 

 

「魂と神器の不具合ね…」

「なんかわかるか?」

「さすがにすぐには答えられないわ。姫島の資料で調べて見るけど、魂の定義って本当に複雑だから。でも、過去に魂に関する治療をしたって資料を見たことがあるから、不可能ではないと思うけど」

「えっ、魂の治療ってできるのか?」

 

 俺からすれば藁にも縋るような気持ちだったんだけど、朱雀の心当たりに目を見開く。そんな俺の様子に、難しそうに顎に手を当てながら、朱雀はポツポツと続きを話した。

 

「ほら、前に教えたでしょう。姫島を追放されてしまった人の中に、封印術や魂に関する能力に長けた方がいらっしゃったって。ただ、その方が使っていた術は仏教系統の異能だったから、姫島の資料でも詳しく残されているかわからないのよ」

「仏教…。確か、お釈迦様とか閻魔大王様とかが出てくるんだよな」

「そうよ。神道を重んずる五大宗家には、あまり受け入れられていないけどね。私は会った事がないけど、噂に聞く『大叔母様』……姫島朱芭(あげは)様なら奏太の力になってくれたかもしれないわ。本当に、姫島のしきたりには嫌になるものね」

 

 理不尽に追放されてしまった人達のことを思って、朱雀は吐き捨てるようにしきたりへの怒りを向けていた。打開策って訳じゃなかったけど、仏教系統の術にはもしかしたら魂に関する方法があるかもしれないとわかっただけ朗報だろう。しかし、姫島朱芭さんか…。俺も会えるなら会ってみたかったけど、一切の情報もなしにどこにいるかもわからない人を探そうとは思えない。それにもういい年らしいし、すでに他界している可能性もある。

 

 残念ながら、原作で仏教系統の知識を持っていそうな人は少ないし、早々会えるヒト達じゃない。玄奘三蔵法師様や西遊記の皆様ぐらいしか思い出せない。一番会えそうなのは初代孫悟空の末裔である猿の妖怪――美猴(びこう)だろうけど、彼の情報はほとんどわからない。ヴァーリと仲が良くて、よくラーメンを食っていて、お調子者ということしか知らないのだ。原作の時期になれば会えるかもしれないけど、今会えないのなら考えても意味はなさそうだろう。

 

「それにしても、この相談内容は私だけじゃ重いわ。他に相談出来るヒトはいないの?」

「あぁー、うーん。俺の神器について知っているヒト自体、そもそも少ないしなぁ…」

 

 朱雀以外の適任者を考えてみたけど、正直思いつかない。正臣さんとクレーリアさん達は、たぶんだけど今回の相談にはあんまり力になれないような気がする。別に堕としている訳じゃないけど、あの二人は良くも悪くも普通の常識人だからな。バカップルだけど。

 

 ラヴィニアに相談するかは、ちょっと悩んでいる。彼女なら俺が言わないで、と言ったら約束を守ってくれるだろうけど、あんまり心配をかけさせたくないのだ。朱雀に相談しやすかったのは、彼女のさっぱりした性格もあるが、深く踏み込んでこないからだ。ラヴィニアの場合、俺が危ないことをしているとわかったら、絶対に譲らない頑固さがある。彼女の優しさに嬉しくもあるが、同時に複雑でもあった。

 

「その様子だと、奏太の相談内容を保護者にも伝えていないみたいね。言わないの?」

「いつか言うつもりだけど、『今はまだ』言わない方がいい気がするんだ」

「いつもの勘?」

「勘。どうしてかは答えられないけど、メフィスト様やアザゼル先生、アジュカ様といった組織のトップには、まだ伝えない方がいい気がしている。いずれちゃんと言うつもりだけど…」

 

 少なくとも、神器症に関しては俺だけでは解決できない。だから遅かれ早かれメフィスト様達に相談して話し合う必要があるんだけど、『今はまだ』言ってはいけないような不思議な感覚があるのだ。これがいつもの勘なら、それを発しているのは相棒だろう。理由はよくわからないけど…。

 

 

「その勘、間違っていないでしょうね。組織、特に聖書の神の陣営には伝えなくて正解だと思うわ」

「えっ、何で?」

「あなた、治療することに集中しすぎて、その後の混乱について全然考えていないでしょう。よく考えなさい。奏太が行おうとしていることが、どれだけ非常識なことなのかを。この世界の誰もが治療しようとしても『出来なかった』ことを、あなただけは『出来てしまう』かもしれないのよ。それが発覚したら、奏太の異能を求めてどれほどの混乱が起こるかちゃんとわかっている? あなたの神器の能力でなければ治療ができないのなら、これから先で奏太が背負うことになってしまう命の重さは、とても比べ物にならないものになるわ」

 

 朱雀から伝えられた内容に、俺は呆然と聞くことしかできなかった。今の俺は、神器症を治療することができるかわからない状態だ。捕らぬ狸の皮算用みたいに、出来てもいないことにうじうじ悩んでも仕方がないと思っていた。だからそこまで重大には思っていなかったんだけど、朱雀からの指摘に認識を改めなければならないと感じた。

 

 この世界の誰もが治療できないとされる不治の病。それを治療できるかもしれない、という段階からしてすでにヤバいのだと。万が一、それが誰かの耳に入ったら、俺の治癒を求めて世界中から求める声を向けられるかもしれない。だって、俺にしか治療できる当てはないのだ。『概念消滅』の能力を使えるのは、俺だけしかいない。

 

「一番まずいのは、そのローゼンクロイツさんのお子さんが神器症を患っていることを、教会が知ってしまっていることよ。その子を治療出来てしまったら、必然的に天界にも気づかれる。奏太を知っている悪魔と堕天使なら、秘密裏に処理してくれるかもしれないけど、教会は決して無視できる問題じゃないわ。それこそ、あなたの身柄を手に入れるために、教会側が『灰色の魔術師』に強硬手段を用いる可能性も否定できない」

「強硬手段って、そこまで…」

「私は日本の術者側だから、聖書の陣営や神器についてそこまで詳しくはないけど。その神器を司るシステムっていうのを管理しているのは、天界なんでしょう? その天界でもどうしようもなかった病を、魔法使いが治療できたなんて、明らかに天界や教会の権威的に放っておけないと思うわ。最悪、悪魔と堕天使と天使と魔法使いで拗れに抉れて、戦争に発展する可能性だってあるわね」

 

 朱雀の語る最悪に、俺の頬は思いっきり引きつっていた。原作では和平をしていたのに、俺の存在の所為でまさかの戦争勃発とか、あまりにも洒落にならない。そんな馬鹿なと思う心はあるけど、それでも教会側にバレたら穏便に済まない可能性があることを確かに理解はできた。俺が行おうとしている神器症の治療は、この時代においてはとんでもない爆弾だったのだ。

 

 そして、そんな危険性があるのなら、メフィスト様達ならどうするか。まず組織の長として、そんな事態に発展させないために尽力するだろう。そのために一番有効的な手段は何か。俺が神器症を治療したことを隠蔽するより、もっと確実に防ぐ方法が一つだけある。簡単だ、そもそも俺が神器症の治療が出来なければ、この問題は起こらないのだから。

 

「もしかして、メフィスト様達に伝えない方がいいと思ったのって…」

「まず間違いなく、あなたが治療できないように裏から手を回されるからでしょうね。あなたはまだ、治療方法を見つけていない。それなら、組織として奏太がそこへ至らないようにすると思う。奏太と世界を護るために、リーベ・ローゼンクロイツを見殺しにする道を、きっと組織は選ぶわ」

 

『信頼を向けてくれるのは嬉しいが、俺も組織の長だ。時の情勢によっては、組織のためにお前と敵対する可能性がない訳じゃない。信じるのは大事だが、疑う目を養うのも必要だからな』

 

 メフィスト様達は、俺がリーベくんを『治療できない』と思っている。それは、ある意味で当然だろう。なんせこの世界中の誰もがどうしようもないと諦め、その中でアザゼル先生だけがなんとかしようと努力した結果が、原作の『軽症』の患者の緩和なのだ。聖書の神にしか触れることができないシステム。それを改変させるなんてことを、人間の子どもができるなんて考える方がどうかしているだろう。

 

 和平後なら、もしかしたら俺の治療を認めてくれるかもしれない。組織間の混乱も少なくなると思う。だけど、そこまで俺は待てるのか? リーベくんは、それまで生きていてくれるのか? 他の神器症で苦しんでいる人達に、俺は目を逸らし続けるのか? さっき朱雀が言っていた、俺が背負うことになってしまう命の重さ、という言葉がずっと耳に残っている。

 

『カナくん、キミは医者じゃない。研究者じゃない。リュディガーくんや教会やグリゴリのように、必要に迫られた訳でもない。たまたま希少な能力を持ってしまっただけの、人間の子どもなんだよ。そんなキミが、他者の命を全部背負う責任なんてないんだ』

 

 でも、俺にしか治療ができないのなら、それは他者の命を背負うことと同意義なんじゃないのか? ただ助けたいから助ける、では済まない。俺自身で選択して、自分の将来と向き合わなくてはならない。今までみたいに、大人のみんなに守ってもらうだけじゃ駄目なのだ。世界の流れを変えるのなら、俺自身もまた変わらなくてはいけないのだと気づいた。

 

 

「たぶんだけど、あなたの神器が伝えた『足りていない』という言葉の中には、この問題も含まれているんだと思う。助けたいから助けるだけの覚悟じゃ足りない。奏太がこれから先、自分が生きていく未来も含めて、ちゃんと覚悟を持たないといけないということじゃないかしら」

「……確かに、それなら俺は『足りていない』な」

「まだ時間はあるわ。あなたが治療方法を手に入れるまで、猶予はある。だから……」

 

 そこまで言いかけると、朱雀は腰に手を当て、ビシっと俺に向けて真っ直ぐに指を差した。

 

「それまでに、ちゃんと戦う覚悟を決めてきなさい!」

「……うわぁ、容赦ねぇ」

「あら、あなたが欲しいのは引き止める言葉じゃなくて、背中を押してくれる言葉じゃないの。奏太なら、やると決めたらやるでしょう?」

「もちろん、やるけど…」

 

 なんだか先ほどまで、俺が朱雀に向けて言ったやりとりの焼き回しのような内容になったことに、お互いに噴き出してくすくすと笑ってしまった。冷静に考えても問題は山積み。考えなくてはならないことが数えきれないぐらいあるし、メフィスト様達をどうやって説得すればいいのか頭が痛いし、さらに天界側との交渉を頑張らないといけない。何だこの忙しさ、ちょっと泣くぞこのやろう。

 

 それでも朱雀の言う通り、やると決めてしまった思いが止まることはない。自分でも何でここまで諦めることができないのかわからなくなる。普通に考えて、これだけの問題やデメリットがあるとわかれば、他人であるリーベくんのことを諦める選択肢が浮かんでもおかしくないのに。だけど、不思議ときっと何とかなると能天気に考えられてしまう俺の残念な頭は、可能性が少しでもあるのなら頑張りたいと思ってしまうのだ。

 

 だって、その方が俺は嬉しいから。理不尽なんかに負けたくないから。俺の行動で少しでも何かが変わってくれるかもしれないと信じたいから。そんなちっぽけな自尊心を満たしたいから、俺は前を向いて歩くのだ。いつかそのどうしようもない自尊心が、俺にとって胸を張れる誇りになれるように。自分にとっての最高の自分を目指すために。ちゃんと逃げずに、戦っていこう。

 

 

「ありがとうな、朱雀。相談にのってくれて」

「構わないわ。私もよく愚痴を聞いてもらっているからお相子よ」

 

 さすがは、戦友。頼りになる。朱雀のさっぱりとした言葉に小さく噴き出しながら、俺は手に持っていた飲み物を一気に飲み干した。

 

 


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