えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百二十三話 未来

 

 

 

「いやぁー……、ひどいとしか言いようがない惨状だった」

「それ以外の言葉が浮かばない状況というのも、ひどいものだな…」

 

 姫島家の襲撃事件から半日後。夕暮れの襲撃ということもあり、夜遅くまでそれらの対応に追われていたアザゼルとバラキエルは、ようやく落ち着いてきた現状に深い息を吐いた。堕天使である二人は、数日ぐらいなら眠りを挿まなくても通常通りに活動することが出来る。今回の事件の後始末を思えば、しばらくは忙しくなるだろう。それでも、二人の顔に浮かぶのは心からの安堵の表情。頭が大変痛くなる惨状が起こってしまったのは事実だが、最悪の状況にはならなかったからだ。

 

 朱璃と朱乃は緊張状態から脱したからか、安心を覚えるようにバラキエルに抱き着いた後、夜も深いためすでに床に伏せている。朱璃のドSの顕現は、ある意味で追い詰められた精神が怒りで表にブッパしちゃったからであり、精神的に疲労はしていたのだろう。妻の九年間のストレスを発散できたのは良かったのかもしれないが、顔を赤らめて「母さま、カッコよかった…」とちょっと扉を開きかけていた娘にバラキエルは目を泳がせながら、なんとか寝かしつけることが出来た。後日、家族会議が必要かもしれない。

 

 そして、堕天使のトップ陣がひどいと口を揃えて告げる惨状を作り出した元凶は、後始末はこちらでやるからと今日は家に帰ってもらうことにした。姫島家からの緊急連絡を受け、大急ぎで家から飛び出して来たため、倉本家へのフォローを何もしていない状態だったらしい。アザゼルとバラキエルが姫島家にいる時点で、すでに危機は去っている。あとは大人の仕事だからと、不安そうな少年の髪を搔き撫でて帰らせた。もう十分すぎるほど、彼には助けられたのだから。

 

「本当に、……無事でよかった」

 

 朱璃から送られた緊急の連絡と、家を護っていた結界が破られたことを知らせるあの感覚。任務を早急に終わらせて駆け出したが、家にたどり着くまで本当に生きた心地がしなかった。倉本奏太が仕掛けていた地獄のことをすっかり忘れていたほど、気が動転していただろう。結果的に襲撃者達は見事に罠に翻弄され、地獄の主による容赦ない追撃を喰らい、最後には朱璃の高笑いが響くカオス空間を呆然と見ることになった。まさか襲撃者に助けを求められる立場になるとは思わなかっただろう。

 

 しかし、もしもバラキエルが想定していた最悪の通りになっていたとしたら、それを想像するだけで今でもバラキエルの背に怖気が走る。二度目の襲撃の理由は、姫島本家が依頼した術者達による身勝手な逆恨み。確かにバラキエルは姫島本家へは配慮したやり方を選んだが、敵対した術者達の今後などには何も手を打っていなかった。姫島からの交渉に失敗した彼らの名声は落ち、それに怒りを覚えるのはわかる。しかし、少なくともまだやり直す機会はいくらでもあった。苦しい思いはするだろうが、これからに目を向けるチャンスなら間違いなくあったのだ。

 

 だが、彼らはその未来(チャンス)を無に帰した。まさか己の激情に任せ、日本のトップである姫島家との約定を違反してでも堕天使の敵対組織に『雷光』の家族の秘密を洩らし、襲撃するという方向に振りきれるとは考えていなかったのだ。五大宗家を敵に回す恐ろしさを、日本の術者である彼らが知らない訳がないはずなのに。それに万が一襲撃が成功していたとしても、その先にあるのは絶対的な破滅だ。『雷光』と五大宗家による本気の粛清が、その後の彼らには待っているだろうから。

 

 今回の襲撃が起きたことに、バラキエル達の想定が甘かったのは事実だろう。しかし、まさか自棄になって破滅的な最悪の未来を相手が選ぶことも想定しろ、というのも難しい。姫島家という細心の注意を払うデリケートな問題だったからこそ、堕天使側も迂闊に事態を動かせなかったのもマズかったのだろう。それらの悪循環が『運悪く』作用してしまったのが、今回の襲撃事件だった。

 

「今回ばかりは、カナタのやつに感謝してもしきれないな…。俺がお前を呼び出した所為で、お前の家族を失わせることになっていたかもしれなかったなんて、本気で悔やみきれねぇよ」

「お前の所為じゃない。あの任務は、実際に私でなければ達成できなかっただろう。それに、敵対組織同士で私の任務状況を調べられていた。この襲撃は起こるべくして起こった。そういうものだったんだろう」

 

 姫島家に設置されたパソコンを操作していたアザゼルは、バラキエルからの慰めにも似た言葉に遣る瀬無さそうに首を横に小さく振った。結果的にこちらは被害を出すことはなかったが、それはただ単に『運が良かった』だけだとわかっていたからだ。『最悪』を上回る『想定外』が起こったからこそ、無事だっただけなのだとアザゼルは誰よりも理解していた。倉本奏太というイレギュラーがいなければ、この襲撃は成功していた可能性が高かっただろうと。

 

 ジゾーくんが余すことなく撮影した変態共の動向を編集作業しながら、アザゼルは溜息をつく。色々な意味で頭が痛くなるというか、普通に吐き気が起きてくる罰ゲーム染みた作業を堕天使のトップがやらなきゃいけない現状。姫島家のことは堕天使内でもトップシークレットのため、他に頼める相手もいなかった。

 

 この作業を今回バラキエルを呼び出してしまった自分への罰だと割り切らなかったら、絶対に出来なかっただろう。元凶である姫島本家へ向けて「お前らもこの苦痛を味わえ…」と負の感情を多少込めながら、完璧なアングルを目指して悪意ある編集作業にアザゼルは勤しんでいた。さすがは堕天使である。

 

 

「しっかし、この地獄を編集しながら思うが、このアホみたいな罠の流れといい……あいつ、どこまで『想定』していやがったんだ? 確かこれを仕掛けだしたのって、もう一年も前だろう?」

「自分の罠の訓練のためだと言っていたが、恐ろしいレベルでグレードアップしていったからな…。もういいだろう、と告げても決して手を休めることをしなかった。深くは追求しなかったが、おそらく倉本奏太の中で今回の襲撃は『想定内』のことだったのだろうな」

「……あいつの『嫌な予感がする』は、カナタにとっては予測どころか、確実に起こる予知レベルの出来事なんだろうなぁ。だからこそ、緊急事態が起きても慌てることなく動くことが出来た」

 

 倉本奏太の行動に多少の疑問は残る。おそらくだが、倉本奏太にはアザゼルやバラキエル、それこそメフィストやラヴィニアにも告げていない『何かが』あるのは間違いないだろう。ザゼルガァーを姫島家へ配置した時だって、アザゼル自身でやっといてアレだが、やり過ぎじゃないかと心の中では思っていたのだ。しかし、蓋を開けてみればザゼルガァーがあったおかげで、姫島母娘の安全は確かなものになった。最後のオラオララッシュは、そっと目を逸らしたが。なお、姫島朱璃がちゃんと健やかに暮らしている証拠として、究極のドS行為は姫島本家に送ることはすでに決定している。お宅の娘さんはこんなにも元気です。

 

 自分達の生徒が、隠し事をしていることが気にならない訳じゃない。だが、倉本奏太は性格的に隠し事が下手で、元々素直に行動や態度で示すタイプである。悩みを自分の中に溜め込むことはあっても、限界を見極めてちゃんとそれを外に吐き出すことができた。むしろ、奏太ほど困った時に周りへ頼ることを息を吐くようにできる人種は、早々いないだろう。少しは遠慮しろ、と常々アザえもん扱いされていた身だからこそ声を大にして言える。

 

 つまり、そんな彼がわざわざ秘密にするからには、それだけ伝えることに躊躇する何かがある。そして、そういう場合の秘密を彼は絶対に口にしないと思われた。それに周りにとって必要なことなら、いずれ自分の口から告げるだろう。自分の生徒の頑固さと猪突猛進っぷりは、この三年間で嫌というほど理解させられたのだから。

 

「……まぁ、いいさ。そのバカの行動力に助けられているのは、俺達の方なんだ。子どもの秘密の一つや二つぐらい何でもないように受け入れてやるのが、大人ってもんだろ」

「ふっ…。手のかかる子どもができたおかげで、随分子育てが上手くなったんじゃないか、アザゼル」

「おいおい、ヒトを勝手に子持ち扱いするんじゃねぇよ…」

 

 頬を引きつらせるアザゼルへ、バラキエルは楽し気に口角を上げた。互いに浮かんだ疑問に蓋をしながら、軽口を言い合う。少なくとも、今はそれでいいだろうと意識を切り替えた。まずはこの襲撃事件の後始末を片付けなければならない。堕天使側の被害はゼロで、首謀者は全員拘束しているので余裕をもって対応できる。そして何よりも、姫島本家が隠したがっていた『真実』が、姫島側が雇った術者の失態によって外に流れた可能性があるのだ。さすがにそれを相手側は無視できないだろう。

 

「それで、『雷光と姫島の娘の間に子どもがいる』という情報が、どれだけ外に流れたのかの全貌は結局見えなかった訳か」

「あぁ、襲撃者達を尋問して聞き出したが、堕天使に敵対するいくつかの組織には確実に漏れただろうな。さすがに表だって口にして姫島と敵対はしないだろうが、知る者には知る事実として今後広がっていったとしても手の打ちようがない」

「たくっ、こっちは九年間もちゃんと『姫島本家のことを思って』隠し通してきたっていうのになぁ?」

 

 にやり、と悪い笑みを浮かべるアザゼルに、バラキエルは多少バツが悪そうに視線を逸らした。元々バラキエルが姫島朱璃に情を持ち、組織や家のしがらみを越えてしまったのが原因だったため、堕天使が姫島から目の敵にされるのは当然という見方もあった。だから、堕天使側は姫島本家を刺激しないように最大限の配慮を心掛けていたのだ。しかし、今回は姫島側の失態で堕天使側は被害を被った。一概に堕天使のみが悪い、と向こうも言いづらくなっただろう。

 

「……姫島は、どうするだろうか?」

「あの家の潔癖さは、九年間相手にしてきた俺達だからこそよくわかっているだろう? 『雷光と姫島の娘の間に子どもがいる』なんて醜態が外に流れた可能性がある時点で、『姫島』というブランドを何よりも大切にするあそこが取れる選択肢なんてあってないようなもんだよ」

 

 そもそも何度も交渉をしようとした堕天使側の言葉を撥ね退け、娘を洗脳したと頑なに取り合わない姿勢を示していたのは姫島の上層部なのだ。日本古来より続く由緒正しき一族の中に、異教徒の異形の血を取り込むなど考えられなかった。拒絶反応と言ってもいい。雷光が姫島朱璃に手を出したという負い目があったからこそ、これまで堕天使側は強く出られなかっただけなのだ。決して、姫島と敵対したい訳じゃないと示すために。

 

 姫島朱璃が姫島本家からいなくなって九年。そう、もう九年も経ったのだ。いくら火の加護を持つ宗家の娘だからといっても、普通なら追放処分を下し、姫島とはもう関係がない娘なのだと周りへ示せばいい。それを洗脳されているから、と姫島朱璃を諦めない姫島の意向には、当然醜態を隠すためもあるが、現当主である姫島朱凰(すおう)の意思も大きく含まれていた。彼にとって朱璃は、一族の中で最も目にかけていた存在。彼女を取り戻すのに一番躍起になっていたのは、朱凰であることは間違いないだろう。

 

「選択肢は二つ。受け入れるか、切り離すかのどちらかだろう。これまではなんとか引き延ばしてきたが、さすがにここまできたら姫島の長老共や五大宗家の奥のやつらも決断を下すはずだ。最後の引き金を引いたのは、姫島の方なんだからな」

「……わかり合うのは、やはり無理か」

「無理だ。……今の姫島家とはな」

 

 姫島家が堕天使を受け入れることはない。姫島は、姫島朱璃を切り捨てる。それは、確定事項だろう……現段階では。もし姫島朱雀の存在とその覚悟を倉本奏太を通して聞いていなければ、彼らも姫島との関係の修復を諦めるしかなかった。だが、今は未来に希望がある。霊獣『朱雀』を継承し、次期当主として茨の道を歩む覚悟を決めた一人の少女。子どもに背負わせるには、あまりにも酷な重責だろうことはわかっている。本当に実現できるかもわからない夢物語だろう。こちらにとって都合がいいから、ということも理解している。それでも、輝きを失わない子ども達の頑張りを応援してやりたいと思ったのだ。

 

 アザゼルは心頭滅却した状態で動画を編集しながら、姫島本家へ堕天使側が提供できるリストをシェムハザに連絡して見繕ってもらい、バラキエルへ家族のこれからを考えてもらう。残念ながら、姫島との交渉が成功してもしなくても、現在住んでいる家は放棄するしかないだろう。堕天使の敵対組織にどれだけ広まったかはわからない現状、雷光の家族の居場所が把握されているところにそのまま住むことはできない。姫島との交渉次第で、朱乃達を堕天使の組織が経営する安全な場所へ移すこともできるだろう。

 

 ちなみに、奏太の所為で罠だらけになっている地獄の山は、そのまま放置して敵対組織ホイホイに活用する手筈である。すでに情報は流れてしまっているのだから、わざと残して引っかかった敵対組織の連中を地獄に招待することにした。それにあそこには、アザゼルの秘密基地が残っている。隠れ蓑として、今後もシェムハザに隠れてひっそりと研究施設として使えるだろう。表向きは、バラキエル達の思い出の家の様子を見たり、修繕をしておくと言っておいたりすればいい。

 

 変態画像の編集という頭がおかしくなりそうな作業の傍ら、悪だくみでなんとか意識を逸らす。この事態を招いた姫島本家へ少しでもこの胃が痛い状況を共有できることを願って、総督の技術を遺憾なく発揮して編集を頑張るアザゼルであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 後日、姫島本家にて。『神の子を見張る者(グリゴリ)』から、姫島本家へそちらが雇った術者達が堕天使の敵対組織と共謀して雷光の家を襲撃した事件について弁解を求める書状とその証拠とされる映像端末と再生用の器材まで送られてくる。しかもそれによって、姫島朱乃の存在が外に流れたかもしれない、ということに当然ながらてんやわんやな騒ぎになった。

 

『ミルキーマジカル・スタンドアァッ~~プッ! レッツ、レボリューション!!』

 

 とりあえず、証拠とやらを検証すべきだと送られた機材に映像のインストールをした結果、二次被害が巻き起こった。

 

『魔法少女ミルキー・レボリューション! 悪い子にはお仕置きよ☆』

 

 一人が動画を止めようとしたが、まるで呪われたように止まらない。一度再生したら、砕けても最後まで上映してやるという鋼の意志(堕天使の技術力の叡智)が感じられた。おのれ、堕天使め。

 

『馬鹿を言え、傷つくことが覚悟の上ならば、その程度畏れるに足りぬ!』

 

 映像がエボリューションすると同時に、もう一人が器材に向かって『火之迦具土神(ヒノカグツチ)』の異能を放って止めようとしたが、炎対策が万全なのは当然。映像が再生されると同時に最高峰の結界が張られるようになる素敵仕様。本気過ぎる。

 

『うふふふふ。どこまで耐えきれるのかしらね? ねぇ、襲撃者の皆さん。子ども達が見ているから、死んでは駄目よ? 夫にしっかり引き渡さないといけないんだから。オホホホホホホホッ!』

 

 肝心の第六の鳥居の部分だけあえて削除されたのか、どうやって襲撃者達を地に落としたのかは不明なまま映像は進み、最後に姫島朱璃の高笑いが室内に響き渡る。容赦なく襲撃者達へ止めをさす元気な娘の姿に、どういう反応をしたらいいのか本気でわからない。えっ、嘘だよね? と究極のドSの突然の降臨に一同固まった。

 

「そ、そうだ! 堕天使に攫われてしまったショックで、きっと彼女は洗脳されてあんな性格になってしまったんだッ!」

「あっ、いえ。朱璃は元々あぁいう性格です」

『…………』

 

 身内である朱璃の姉(朱雀の母)による妹の性癖暴露に、一同黙る。彼女は姫島朱璃のハッスルする声に涙ぐみながら、朱璃の声から調子を解説しようとしだした姉を周りでなんとか押しとどめる。こちらが止めをさされかけた。

 

 それから捕まった裸族達と途中で脱落した魔法少女達は拘束され、尋問の様子が映し出される。そこに映る顔は、間違いなく自分達が『奥』の間に招き入れた術者達であり、堕天使と敵対を表明している組織のいくつかの顔も確認できた。彼らの語る内容から、姫島朱乃の存在が外部に漏れた可能性は否定できない。堕天使側の狂言だと断ずるには映像がある意味で酷過ぎ、もし真実だった場合このまま放置して問題になるのは姫島側だろう。

 

 なお、襲撃者の身柄はどうするかと映像で流れてきたが、こんなものを正直送られてきてもどうしよう、と真顔で視線を交わし合う。約定を破った粛清を行ったとしても、今更外部に漏れた情報を引き締めることはできない。ぶっちゃけ、もういっそのことそっちで処分してくれ、と言いたくなるぐらいこの変態共と関わり合いになりたくなかった。あんなののために、こちらが手を汚すことすら嫌だ。もう報復として、この映像の一部を術者達に関わりがあるところにテロる(三次被害)ぐらいでいいんじゃないか、と頭が痛い問題を剛速球でブン投げたい気持ちだった。

 

「当主様…」

「…………」

 

 そうして最後まで映像を見終わって、静寂が包んでいた姫島の一室。今まで一言も発することなく、事態を静観していた人物へ恐る恐る声がかけられた。姫島の上座に座る初老の男は、無言で腕を組み感情を露わにしないように鋭い眼差しを画面へ向けている。その瞳に籠められた渦巻く感情を、周りは息を呑んで肩を震わせた。

 

 姫島の宗主である姫島朱凰(すおう)にとって、己の姪である姫島朱璃の才能や資質は誰よりも目にかけていたものだった。この世に生を受けた時から次期当主としての才覚を示した姫島朱雀という寵児が産まれたのも、占術や秘術によって血筋や能力を厳選してきた証。いずれ姫島が選んだ男に嫁ぎ、そこから生まれるだろう次世代に彼は確かに夢を見ていたのだ。

 

 

『小鬼か…。迷い込んだのだろうが、お前は姫島が奉る地に足を踏み入れた。物の怪としての定めを受けよ』

 

 数十年前、姫島の神社に迷い込んだらしい小さな小鬼。それに何の感慨もなく錫杖を構えた朱凰へ、小さな影が小鬼を庇うように飛びついてきた。十歳ぐらいの小さな少女は小鬼を全身で覆うように庇い、涙目になりながら朱凰に力強い眼差しを向けた。

 

『ダメッ! 叔父さま、この小鬼を見逃してください。この子は、悪い子じゃないから!』

『……朱璃か』

 

 真っ直ぐに叔父と相対する姪は震えながら、それでも小さな鬼を護るようにギュッと抱きしめる。本来なら、悪鬼を刈る役目を負った姫島の娘として、彼女のように物の怪に情を持つなどあってはならないだろう。姫島の当主としてそう考えたが、……朱凰は無言で錫杖を下ろした。それにきょとんした朱璃へ、彼は静かに背を向ける。

 

『お前はどうやら、鬼に好かれる体質らしい。姫島には、時々そういう者が生まれる。それを磨けば、いずれ大成するかもしれん。しっかり励みなさい』

『は、はいっ!』

 

 叔父と姪という関係でありながら、普段から姫島の当主として接してきた二人の間にそれほど深い関係はなかっただろう。それでも、朱璃に目をかけるようになったのは間違いない。彼女の持つ火の加護、特異な体質、そして決して折れることなく自分の意思を貫く強い瞳。その揺るがない目の輝きが、姫島から追放されたことでいなくなってしまった朱芭()をふと思い出す。それに咄嗟に頭を振り、朱凰は無言で去っていった。

 

 

「……『神の子を見張る者(グリゴリ)』との交渉の席をつくる」

 

 ふと脳裏に過ぎった記憶をかき消すように、朱凰は当主としての決定を口にする。

 

「そして、通達せよ。姫島朱璃はこの時より、姫島から排斥とする。かの娘が姫島にいた証拠を抹消し、またその娘の子の存在も我らは一切の関知をしない」

 

 朱璃の身内である家族は一瞬声を上げそうになったが、こうなるだろうことは薄々わかっていた。姫島からの追放処分。もう二度と、家族として接することができない姫島の掟。それでも、映像に映っていた元気な朱璃の様子が、唯一の救いだろう。唇を噛みしめながら、彼らは当主の決定に深々と頭を下げた。

 

「ただし、黒き天使に易々とアレをやるだけでは、姫島の沽券に関わる。それに元々アレらは、隠匿せねばならなかった存在だ」

 

 冷徹なまでに感情を排し、厳かに『姫島』を語る朱凰の意思は、今の一族を体現する姿そのものだった。長老たちはその考えに同意し、すぐさま『神の子を見張る者(グリゴリ)』へ要求する条件を突き詰めていく。五大宗家全体へ通達した時、百鬼(なきり)家だけは堕天使との繋がりを完全に断ち切る方針に今後の情勢の動向も兼ねて多少の難色を示したが、最後は総意決定によって交渉に踏み込むこととなった。

 

 後日行われた姫島家と神の子を見張る者(グリゴリ)との交渉は、粛々と行われた。堕天使側は姫島からの要求をほぼ全て許諾するかたちで受け入れ、姫島朱璃と姫島朱乃の『全て』をもらい受ける。完全な自由とはならなかったが、母娘に課せられた姫島からの制限を守るのならば、少なくとも姫島からは手を出さないと確約させた。姫島はこれ以上堕天使と関わりを持ちたくないと切ったが、百鬼家は今後の情勢も考えてパイプを念のために繋いでおくべきだと上役だけに伝え、秘かに交渉役を引き受けることで五大宗家との関係は一応清算されることとなった。

 

 もちろん、堕天使に対する風当たりはこれからもキツイことには変わりないだろうが、それでもこれ以上の関係悪化を防ぐことが出来たのは双方にとって肩の荷が下りたのは事実だろう。『神の子を見張る者(グリゴリ)』は最後に、百鬼家を通じて姫島朱璃が直筆した手紙を家族へ届けてほしいと秘かに頼み、その時交渉に応じた百鬼家の次期当主である当代の『黄龍』は、「……貸し一つで承ろう」と承諾した。軍服を着こんだ大学生ぐらいの年齢ながら、その発するオーラは最強クラスに数えてもいいと判断できるほど破格のもの。そんな相手に貸しを作る危険はあったが、雷光は「自分に返せるだけの誠意をもって返そう」と頭を下げた。

 

 こうして、九年に及ぶ姫島家と堕天使の繋がりは、全てを断ち切ることで終焉を迎えたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「そんな訳で、先生から聞いた姫島との交渉の内容はこんな感じだってさ。色々制約は出来てしまったけど、姫島本家が朱璃さんと朱乃ちゃんに手を出すことはなくなったって」

『そう…。叔母さまは、大丈夫なの?』

「覚悟はしていたみたいだけど、やっぱりショックは受けていそうだったかな。でも、最後に家族へ感謝の手紙を届けることは出来たから、今は自分に出来ることに目を向けて、精一杯に前を向いて歩いてみせるってさ」

『最後になんて私がさせないからって、叔母さまに伝えておいて』

「はいはい」

 

 耳元に当てた携帯端末から聞こえる友人の堂々とした声に、俺は相変わらずだなと思いながら小さく笑みを浮かべる。霊獣『朱雀』の継承の儀式に集中していたため、ずっと音信不通だった姫島朱雀は、ようやく念願を叶えることが出来たようだ。周りの目を盗んですぐさま俺へ電話をかけてきたみたいで、「朱乃と叔母さまはッ!?」とそれはもうすごい勢いだった。

 

 とりあえず細かい部分は後回しにして、襲撃事件があった事とそれを阻止できた事、そしてそれによって交渉の席を作ることが出来た事を大まかに伝える。最後の姫島の対応には、電話越しからも感じる朱雀の怒気がヤバかったが、それでも一応の解決に導いたことには納得したようだ。もうすぐ夏が終わるだろう季節、ずっと停滞するしかなかった姫島家が、ようやく前に向かって歩き出すことが出来るようになった。これからも大変なのは変わらないけど、今はその変化を喜ぶべきなんだろうな。

 

「ところで、朱雀はやっぱり帰ってくるのは来年になりそうなのか?」

『私だって早く帰りたいけど、さすがに難しいわね。今は霊獣『朱雀』を身体に馴染ませて、その力を引き出すための訓練を行っているところだから』

 

 本人としても、大変不服そうなのがありありとわかる。仕方がないから、後で朱乃ちゃんと過ごした夏休みバケーションの写真を送信しておいてやろう。

 

「まぁ、焦って無理だけはするなよ。お前との約束はちゃんと守って待っていてやるからさ」

『もちろん、期待しているわ。……奏太』

「ん?」

『ありがとう』

「おう。修行、頑張れよ」

 

 これ以上の通話は、姫島家の目を盗んでいる朱雀にとっても危険だろう。それに通話時間自体は短かったけど、必要な部分は話せたと思う。俺はポケットの中へ携帯端末をしまうと、静かに会話するために入った木陰から出ていく。その途端、頭上に輝く太陽の直射を浴び、思わず目を細めた。夏休みはもうすぐ終わるが、涼しくなるのはまだまだ先そうだと肩を竦めた。

 

 

「あっ、奏太兄さまっ! こんなところで何をしているの?」

「うおっと、朱乃ちゃんか。いや、ちょっと朱雀と電話をしていて――」

「えぇぇっーー!! 姉さまと電話していたの!? 私も話したいことがいっぱいあったのに…」

「ごめんごめん、こっちも急だったからさ。また時間が出来たら、朱雀からかけてくれるよ」

 

 朱雀にまとまった経緯を伝える必要があったし、さっきまで無邪気に遊んでいた朱乃ちゃんを呼び出すのも忍びなかったので、こうしてみんなから少し離れて通話をしていたのだが、妹として大好きな姉とちょっとでも会話をしたかったのだろう。不貞腐れたように頬を膨らませる朱乃ちゃんに、なんとか機嫌を直してもらおうと必死に手を合わせる。それにいたずらっ子な笑みを浮かべると、朱乃ちゃんは俺の手をギュッと握って歩き出した。

 

「じゃあ、許してあげる代わりに兄さまも綺麗な貝殻を集めるのを手伝ってね。朱雀姉さまやラヴィニア姉さまのお土産も含めて、『初めての海の思い出』をたくさん見つけなくちゃいけないから」

「あぁー。朱乃ちゃんの『初めてシリーズ』ね」

「うん! さっきなんてね、ハートの形をした石を見つけたんだよ」

 

 今まで狭い世界で生きるしかなかった少女は、初めて触れる外の世界に嬉しそうに笑顔を浮かべる。自由とは決して言えないが、姫島朱乃はようやく外に出ることが出来るようになった。朱乃ちゃんに課せられた制約はいくつかあるが、大きく数えて三つある。一つ目は、姫島の血を持つことを公言しないこと。二つ目は、姫島が管轄する領域へ足を踏み入れないこと。そして三つ目が、姫島朱乃が外に出る時は姫島との制約を知る関係者が必ず付くこと。最低でもそれらの約定が守られている限り、彼女は外の世界で生きることを許されることとなったのだ。

 

 朱璃さんにも当然ながらいくつか制約はあるけど、それでもこうして家族みんなでお出かけが出来るようになったのが一番の成果だろう。今日なんてようやくバラキエルさんが休暇を取れたみたいで、さっそく朱乃ちゃんの念願だった海に出かけることにしたのだ。さすがにいきなり他人がいっぱいいる海水浴場へ連れて行くのはお父さんが大変心配していたため、堕天使が保有している無人の浜辺へ転移したけど。ちなみに俺は、付き添いとして教官命令で連行されてきた。普通に誘われたら行きますよ。そんな海での遊び方を超真面目な顔でレクチャーしてくれ、とか頭を下げなくても…。どんだけ初めての家族との海でテンパっているんですか……。

 

 そんな訳で、姫島家のみなさんに海での遊び方や注意事項を庶民代表として教え、とりあえず金に物を言わせて持ってきたレジャーグッズを広げる。水着は各自で用意してきてもらったので、とにかく姫島家のみんなに楽しんでもらおうとパラソルを立てたり、かき氷を自作したり、バナナボートに空気を入れたりでのんびりと過ごしていた。さっきまで朱璃さんと楽しそうにバナナボートに乗っていたから遠慮したのだが、朱乃ちゃんのご機嫌取りのために貝殻集めの任務を頑張るしかないだろう。

 

「父さまー、母さまー! 兄さまとキィくんと一緒に、貝殻を拾ってきてもいい?」

「あらあら、あまり遠くに行かないように気を付けるのよ」

「あぁ、足元に気を付けて行ってきなさい。ところで、倉本奏太。海で食事をする場合はどうするのが一般的なのだ?」

 

 朱乃ちゃんについて行くと、砂で顔以外の全ての部分を埋められたバラキエルさんと、良い笑顔で砂の量を増やして固めていく朱璃さんと小鬼がいた。これは果たして、姫島家のほのぼの家族風景と言ってしまっていいのだろうか? そんなことを一瞬考えたが、良いと思うのが俺の精神衛生的に良いのかもしれないと思うことにした。小鬼は朱乃ちゃんに誘われると、二つ返事でガッツポーズを返してくれた。

 

「海での食事ならやっぱり、海の家にある焼きそばとか、あとは海の幸を焼いて食べたりとかですかね……?」

「ふむ、海の幸か…。わかった、なら後で海に潜って取って来よう」

「……バラキエルさんがそれでいいならいいですけど」

 

 堕天使の幹部である『雷光』の素潜り漁。あとで「捕ったぞー!」とかやってくれないかな。写真にぜひ収めたいです。

 

「それなら私は簡単にかまどを作って、火を起こしておこうかしら」

「えっ、それ作るの大変じゃないですか?」

「大丈夫よ。他者の目があるところで姫島の術を使うことは禁じられているけど、関係者しかいないここなら問題はないから」

 

 ふふっ、と楽し気に微笑むと、朱璃さんは素早く印を結び、式紙を召喚する術式を展開した。そして契約の陣から現れたのは、バラキエルさんぐらいの高さはあるだろう屈強な鬼。彼は朱璃さんの言葉に頷くと、海辺の近くにある手頃な大きさの石を運び出し、黙々と作業を始めだす。

 

 普段よりテンションが高いような気がするバラキエルさんと朱璃さんの様子に、二人もこの家族旅行を心から楽しんでいるのがわかった。俺と朱乃ちゃんと小鬼は顔を見合わせ、テキパキと準備を始める大人達に小さく噴き出す。それならと準備は大人組に任せ、子どもは子どもで宝物探しに全力で取り組むことにしたのであった。

 

 

「海の終わりと言えば、やっぱり花火だろ。夏ももうすぐ終わるから、景気よくバチバチいきましょう!」

「オニー!」

「あっ、線香花火もある。ちょうど五本あるから、誰が一番最後まで残るか勝負できるね」

 

 朱乃ちゃんから手渡された線香花火を受け取り、全員で合図をすると同時に火の術を使って一斉にスタートを始める。全員がドキドキしながら緊張を顔に浮かべ、そして勝負がつく頃にはドッと笑いが起きた。一年前は考えられなかった当たり前の楽しさを、今はこうして姫島家のみんなと笑顔で分かち合うことができる。何でもない日常をこれからも過ごすことができる。その日々は間違いなく、みんなで勝ち取った未来だった。

 

 姫島との関係が本当の意味で解決した訳じゃないのは、ここにいるみんなが理解している。これから先に待ち受ける困難だって、気が遠くなるほどに山積みだろう。彼らは九年かけてようやく、外の世界に向けて一歩踏み出したばかりなのだから。きっとこれから先で、多くの困難が彼らを待ち受けていると思う。それに足が竦むことがあったとしても、きっとこの家族なら乗り越えていけるはずだと信じている。この笑顔を曇らせたくないと手を差し伸べる人達だって、ちゃんといるのだから。

 

「あのね、奏太兄さま」

 

 海をバックに打ち上げ花火を眺めていた俺の隣で、夕闇の瞳を輝かせながら、朱乃ちゃんも花火のような満開の笑みを咲かせた。

 

「来年は、朱雀姉さまやラヴィニア姉さま、それにリンちゃんや髭のおじさん達も呼んで、みんなで盛り上がろうね」

「うわぁー、すごく収拾がつかなくなる事態になりそう…」

「えっと、ダメ?」

「いいや。約束だな」

「うん、約束!」

 

 紫陽花の髪留めで止めた黒髪のポニーテールを揺らしながら、少女は嬉しそうに夜空へ向けて腕を広げる。その約束が、決して夢物語なんかじゃないことを誓うように。花火の明かりが消えたことで光源がなくなり、一気に顔を見せ出した星空たちへ見せつけるように。これからも続いていくだろう彼女の未来(願い)を、真っ直ぐに口にした。小さな世界しか知らなかった少女は、こうして少しずつ成長していくのだろう。

 

 本来辿るはずだった道から変わっていく世界で、姫島朱乃がこれからどんな風に変わっていくのか。不安も多少あるが、それを軽く越えるぐらい純粋に楽しみだと思える自分自身の気持ちが、何よりも嬉しいと感じた。

 

 




 これで第五章の姫島編は終わります。せっかくの姫島編なので、姫島大集合的な内容になりましたね。少々駆け足気味でまとめたので、詳しい部分はまた次章で書けたらと思います。次はいよいよ『白龍皇編』に入ると同時に、これまでのフラグも色々回収していく感じになりそうです。

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