えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第五章(下) 白龍皇編
第百二十四話 食卓


 

 

 

「ふぅ……。資料を改めてまとめるのも、一苦労ね」

 

 和室に広げた古い冊子や昔使っていた法術の教本や呪具。それらの整理をしながら、幾瀬朱芭(いくせあげは)は小さく息を漏らした。自身の寿命の限界を知った日から、少しずつ始めだした身辺整理。表の世界のものは非常に心苦しいが、孫である鳶雄(とびお)の幼馴染である東城(とうじょう)家に任せるしかないだろう。朱芭の死期と同時に突然家の物が片付き出したら、鳶雄に違和感を与えてしまう。祖母の死は孫を悲しませ、寂しい思いをさせるだろうが、表の人間として育ててきた責任は最後まで果たす。せめて鳶雄が成人するまでは、安寧とした暮らしをさせてやりたい。それが、愛する家族へ残せるせめてもの我儘だから。

 

 しかし、さすがに裏の世界のものを表の人間に任せる訳にはいかない。実家であった姫島が誇る力は示せなかった朱芭だが、法力を扱う術者としての能力は高かったと自分でも自負している。そのため、この家に眠る呪物や書物の中には、おいそれと表に出してはまずいものもいくつかあるのだ。他の術者からすれば非常に勿体ないと愕然とされるだろうが、それらを封印し処分するのは、自分がやるべき最後の仕事の一つだと考えていた。

 

「まぁ、引き継ぐものも多いから処分する手間はだいぶ楽になったけどね」

 

 思わずポツリと呟いてしまった言葉に、朱芭はふふっ、と笑みをこぼす。本当なら『姫島朱芭(ひめじまあげは)』として研鑽してきた『全て』を消すつもりだった。ここにある『全て』を処分するはずだったのだ。しかし、今から約一年ほど前に起こった出会いが、朱芭が考えていた『全て』を塗り替えることとなる。自分が今まで残してきたものを引き継いでくれる相手が見つかったのだから。

 

 そこまで考えて、朱芭はふと思案する。そうか、もう一年が経ってしまったのかと。自分の死期が近いだろうという漠然とした予感は一年前からあった。その時は孫のこれからを思い、どうすることもできない自身に悲観し、せめてもの幸せを願うしかなかった日々。でも今の朱芭には、そういった焦燥があまり感じられない。来るべき時に備え、受け継いでくれる相手へ自分のこれまでをどれだけ伝えられるか、という願望の方が強い。

 

 孫のことを思って自分から契約を望んだというのに、その契約に自分が一番救われているのかもしれない。朱芭が彼と結んだ契約は、傍から見ても非常に重いものだっただろう。それでも、鳶雄と一つしか違いのない少年は、真っ直ぐな眼差しでそれを受け入れてくれた。それがどれだけ朱芭にとって救いとなったことか。何十年と自分が背負ってきたものを、十代の子どもに任せることに懺悔にも似た罪悪感はある。それでも、もう後戻りできるほど自分は強くなかった。未来を託せることが、思いを残せることが、これほど自身の心を軽くしてくれることを自覚してしまったから。

 

 もっともそれを知ってしまったことで、彼女の中に新たな悩みを生むことにもなってしまったが。

 

 

「……だからこそ、私がやらないといけない。ううん、きっと私にしかできない」

 

 彼女の口から静かに呟かれる決意と一緒に、グッと拳に力が入る。その少年の魂に直接触れた彼女だからこそ、彼がずっと抱えているものを感じることが出来た。きっと彼は、それを誰にも知られたくないと思っていることも。魂に精通していた朱芭が気づいてしまった、少年の隠し事。きっとそれを墓場まで持って逝ってあげることが、彼女が少年へ返せる恩義なのかもしれない。それでも朱芭は、じっと手に持つ書物を抱えながら考えを巡らせる。

 

 本当に『それ』を持って逝くことだけが、自分にできることなのだろうかと。あの少年に返せる思いが、それだけしかないのだろうかと。彼は彼なりにその隠し事に折り合いをつけながら、これからの未来をきっと歩んでいくだろうことは想像できる。自分が考えていることが、ただのお節介で余計なお世話である可能性も十分ある。だけど、自分が背負っていたものを一緒に持ってくれる相手ができた『喜び』を彼女は理解してしまった。それ故に、思ってしまうのだ。

 

 これからも一緒に未来を生きていく者には伝えられないだろうことでも、自分(残す側)になら伝えられるのではないかと。自分が託した相手の肩の荷を、少しでも下ろしてあげられるのではないかと。そう願ってしまうのだ。まさか家族以外のためにこんな風に悩むことになるとは思わなかったが、自分に残った時間を最後の弟子のために使っても構わないと考えられるほどには、朱芭の心は確かに助けられたのだから。

 

「ふぅ…。それに、朱雀ちゃんや姫島を追放されたという親子のこともある。まったく、この年になってやることが増えるなんて思わなかったわ」

 

 朱芭は先ほどまで考えていた悩みをいったん消し、少年によって齎された追加情報に思わず頭を抱えたくなる。こっちはもういい年だというのに、出会う度に『取り扱い説明書』を読むはめになるようなやらかしを度々やってくるから性質が悪い。もう説明書の中身を暗唱できるレベルになってきたことに、遠い目になってしまう。別の意味で、「うちの孫はこれから大丈夫かしら?」と心配になってきた。

 

 そんな風に考え事の所為で止まってしまっていたが、溜まった息を吐きながら再び手をいそいそと動かし出す。弟子のために残す分と朱雀や例の母娘のために残す分、とテキパキと振り分けていく。姫島を改革するという夢を掲げる少女のために姫島のしきたりや使えそうな術式をまとめておいたり、料理が得意だという母娘に姫島の秘伝レシピをまとめたり、鬼を使役することにおいて使える姫島の技術を覚えている限り書き記したり、と色々やっているとすぐに時間が過ぎていってしまう。

 

 あとどれぐらい残された時間が自分にあるのかはわからないが、これからの不安を忘れることが出来るほどの忙しさに今は感謝しよう。きっと最後のその時まで、朱芭は悲観する暇がないぐらい未来のために動き続けることが出来るだろうから。むしろ、やり残しがないように気を配らないといけないぐらいかもしれない。鳶雄が学校から帰ってくる時間いっぱいまで、彼女はやるべきことに集中することにした。

 

 

「ただいまー、祖母(ばあ)ちゃん」

「おかえり、鳶雄。そうそう、新しいクラスにはもう慣れたの?」

「あぁ、うん。意外と同小のやつも多かったからなんとか。それに佐々木の付き合いでできた友達も何人かいたから、結構気が楽だよ」

「あらあら、そうなの。二年生で佐々木くんと紗枝ちゃんともクラスが離れちゃった時は心配そうにしていたけど、よかったわね」

「うっ、まぁ…」

 

 暗いわけではないが、そこまで社交的ではない鳶雄にとって、去年の入学式にできた騒がしい友人の社交性は貴重なものだっただろう。彼との付き合いのおかげで、中学二年生になって新しいクラスに変わっても孤立する心配をしなくてよくなった。あの騒がしさに慣れた身としては少し寂しい気もするが、時々顔を見せに遊びに来るので付き合いは今まで通り続いている。それに嬉しさはあるが、口にしたら確実に佐々木が調子に乗るので黙っていた。しかし祖母にはそんな鳶雄の心境は見破られていたようで、羞恥に頬を赤らめる。相変わらず、祖母に隠し事はできない。

 

「そ、そうだ。奏太先輩から伝言をもらったんだった。今週の土曜日に家にお邪魔しても大丈夫かって」

「あら、土曜日ね。わかったわ」

「……今更だけど、家の祖母(ばあ)ちゃんと学校の先輩の仲が良いって、ちょっと変な気分だな」

 

 去年の夏休みぐらいから幾瀬家へお邪魔することが増えた先輩に、鳶雄はなんとも表現しにくい胸中になる。どうやら祖母と個人的に関係を作ったようで、鳶雄が家にいない時も普通に会っているらしい。朱芭は優しい人だが、不思議と親しい付き合いの者はあまりいない。そんな祖母が鳶雄の一つ上の先輩とこれほど気安げに付き合うことになるとは思いもしなかっただろう。

 

 別にそれが嫌な訳ではないが、おばあちゃん子な鳶雄としてはちょっと気にはなる。だからって二人の間に入ろうとは思わない。最初の頃は二人の組み合わせが不思議で覗いたりしていたが、お経みたいなのを延々と言わされて泣き出しそうな先輩と鬼教官のような祖母を見た時から、自分は見なかったことにするようにした。祖母が厳しい人なのは知っていたが、相当スパルタらしい。時々疲れただろうと手作りおやつを持っていってあげると、般若心経を唱えながら拝まれたこともある。素直にやめて欲しい。

 

 どうしてそんなことをしているのか疑問はあったが、先輩曰く、将来的にどうしても必要で祖母である朱芭がそれについて詳しいから教授してもらっている、と教えてもらった。果たして般若心経が必要になる将来とは何なのか…。そしてどうしてそんなに般若心経に詳しいの祖母(ばあ)ちゃん……。と内心色々思うことはあったが、普段より朱芭が生き生きしていることは身内である鳶雄にはわかった。おばあちゃんが喜んでいるのならいっかと納得しちゃうぐらいには、おばあちゃん大好きな孫であった。

 

 そんな不思議な付き合いであったが、さすがに半年近くも家族ぐるみな関わりが増えると、奏太と鳶雄の関係も当然ながら深まる。佐々木経由で知り合い、先輩後輩な適度に距離のある付き合いから、いつの間にか晩御飯を幾瀬家で食べて談笑し、普通に漫画の貸し借りをするぐらいの距離感になっていた。名前の呼び方も奏太が幾瀬家によく来ることになった頃、普通に祖母には「朱芭さん」呼びなのに、後輩は「幾瀬」呼びでは変かと考えたようで、お互いに名前呼びになっていた。

 

 初対面の時に佐々木から言われたが、確かに趣味もあうし、付き合いやすい先輩だと鳶雄は思う。思えば、いくらコミュニケーション能力の高い佐々木でも、わざわざ一年先輩の奏太と積極的に関わろうとしていたのは、そういった理由からでもあったのだろう。年上ぶることもないし、年下の扱いが上手いというか、なんだか慣れているように感じる。時々勉強も見てもらえるし、しかも英語がペラペラだから、佐々木と一緒にテスト前は拝み倒して教えてもらっていただろう。そう考えると、鳶雄にとっては良い先輩ではあると思う。

 

「ちなみに、今度は何の勉強をするの?」

「いつもの座禅と読経の後、半日は写経(しゃきょう)修行かしら」

「…………」

 

 ただ、祖母のスパルタもアレだが、それを涙目になりながらも真面目に受ける先輩もアレだな、と鳶雄は心から思った。

 

「となると、奏太先輩の晩御飯も(うち)になりそうだね」

「えぇ、土曜日は鳶雄にお願いしちゃってもいいかしら?」

「うん、わかった」

 

 奏太が来るまで料理は祖母の手伝いばかりだったが、修行で朱芭の手が離せない日は、鳶雄が代わりに作るようになった。さすがにお客さんもいるとなると、腕によりをかけたくなるというか、負けず嫌いな性格がつい出てしまって気が抜けない。そんな訳で日に日に家事スキルを上げていく鳶雄に、「女子力半端ねぇ…」と毎度後輩に胃袋を掴まれかけては戦慄する先輩であった。

 

「でも、そっか。もう一年になるんだなぁ…」

 

 小学校を卒業して中学に入学したばかりの時は、目に映る景色全てが目新しくて目が回っただろう。数日前、中学二年生となって去年の先輩のように新一年生の案内をしたが、あの時の自分もこんな感じだったんだなぁ、と初々しい後輩たちの様子に懐かしくなった。一年経ってようやく自分も先輩になったんだと実感してくると、なんだかくすぐったく感じてくる。

 

「そういえば、中学二年生って漫画とかだと主人公の年齢になることが多いんだよね」

「ふふっ、第二次性徴期で身体も精神も変わっていく頃だからかしら。子どもから大人に変わっていく時期でもあるから、今までの自分とは違う自分を見つけたくなるらしいわ」

「へぇー、なるほど」

 

 新しい自分探し、という言葉に鳶雄は納得するように頷く。そう言われれば、確かに中学二年生になって不思議な全能感みたいな気持ちが浮かんだり、ちょっと普通とは違うことをやってみたりしたい気持ちはあるかもしれない。

 

 そこまで考えて、鳶雄はふと気づいた。そういえば、先輩が突然般若心経に目覚めだしたのって中二からだった気が…。もしかして先輩は、今までの自分を変えるために悟り方面に拗らせちゃっただけじゃ……? 今までの疑問に対する答えに、うっかりたどり着いてしまったかもしれない鳶雄は真顔になった。

 

「……祖母(ばあ)ちゃん。俺は立派な普通の中学二年生になるよ!」

「えっ? そ、そう?」

 

 孫の突然の宣言にきょとんとしながら、祖母は目を瞬かせた。今度から、先輩の修行をもっと優しい目で見てあげよう、と鳶雄は唇を噛みしめながら拳を握りしめる。こうして鳶雄は、先輩のおかげで中学二年生になってすぐに訪れるはずだった思春期の妄想を一足先に卒業したのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

不生不滅(ふしょうふめつ) 不垢不浄(ふくふじょう) 不増不減(ふぞうふげん) 是故空中(ぜこくうちゅう)。えっと、無色(むしき) 無受想行識(むじゅそうぎょうしき) 無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい)……」

「奏太兄さま、怖い」

「オニニ…」

「えっ? あぁー、ごめんごめん。ちょっと宿題で般若心経の全文を覚えないとまずくてさ」

「学校って、お経を唱える宿題が出るのっ……!?」

 

 目を見開いて戦慄する朱乃ちゃんと、ぷるぷると震え出す小鬼。違うよ、日本の学校はそんな怖い宿題なんて出さないから。日本の文化にカルチャーショックを受けないで。というか、ドSの血縁が心から感じられる姫島の大叔母様からの宿題だから。めっちゃスパルタだからね、朱芭さん。教えを乞う立場なのは俺だから頑張るけど、正直毎回泣かされている気がする。今週の土曜日もちょっと泣きそうだけど、鳶雄のおやつで癒されながら乗り越えてみせるよ。

 

「ところで、朱乃ちゃん。この荷物はどの部屋に置けばいいんだ?」

「うーんとね。それは母さまのだから、あっちの部屋にお願いします!」

「了解っと」

 

 朱乃ちゃんがビシっと指差す部屋の入り口を確認し、俺は両手で段ボール箱を運び出す。相棒の能力を使えば重さを無くすことはできるけど、これも修行だと考えて自分の力で運ぶようにしている。毎日早朝は走り込みをしたり、教官からもらった修行メニューをしたりと鍛えてはいるつもりだけど、少しぐらい目に見える成果が出るといいな。そう、朱雀をノックアウト出来たりとか! ……うん、いつか出来たら嬉しいなぁー。

 

 ちょっと遠い目になりながらも、せっせと荷物運びに精を出して数十分。ようやく片付いてきたため、ふぅと滲んだ汗を服の袖で拭う。隣で段ボール箱を開けて、中身を整理している朱乃ちゃんと小鬼にも一声かけ、少し休憩を取ることにした。それなりに広い間取りだから、なかなか大変だったかもしれない。水を一杯もらおうと台所に顔を出すと、エプロン姿の朱璃さんがフライパン片手に鼻歌を口ずさんでいた。

 

 

「ふふっ、篭毛與(こもよ) 美篭母乳(みこもち) 布久思毛與(ふくしもよ) 美夫君志持(みぶくしもち) 此岳尓(このをかに) 菜採須兒(なつますこ)~」

「朱璃さん、普通に怖い」

 

 朱乃ちゃんの気持ちがものすごくよく分かった。

 

「あら、ごめんなさいね。奏太くんが経文を一生懸命に唱えているのを聞いて、私もよく暗唱させられたなと思ったの。懐かしくて、つい私も万葉集を歌いたくなっちゃったわ」

「姫島の高度過ぎる教育、相変わらずヤバいな」

 

 おしとやかに頬に手を当てて、朗らかに微笑む朱璃さん。この奥様、のほほんとしているようでスペックはさらっとスゴイ人だからな。折り紙以外にも楽器や歌も得意だし、玄関に飾られている生け花なんて思わず写メを撮って、衝動的に朱雀に送り付けたレベルである。

 

「引っ越しの荷物運び、どうもありがとう。奏太くんがいてくれて、すごく助かったわ」

「いえ、大きな家具はバラキエルさんが運んでくれた後でしたし、これぐらいならいつでも呼んで下さい」

 

 そう言って笑みを浮かべると、水道の蛇口を捻って水をコップへ流していく。前回の山の中にあった和風の一軒家とは違い、これから彼女達が住む家は見た目もかなり近代的な家になっただろう。ここは『神の子を見張る者(グリゴリ)』が管理しているマンションの一室で、姫島一家の新しい家になる場所だ。

 

 約半年ほど前にあった姫島との話し合いで、彼女達を正式に堕天使の組織が管理することが出来るようになった。敵対組織に彼女達の情報が流れた可能性がある以上、安全をしっかり確保できる住居が必要だろう。これまでは正式に決まるまで仮住居で暮らしていたが、ようやく日本の街中で安全に過ごせそうなマンションを確保できたため、引っ越すことになったのだ。さすがに一軒家だと防犯上の心配があったので、他のグリゴリのエージェントも住み込みが出来るマンションタイプとなったらしい。

 

 今後、日本で暮らす堕天使の組織の関係者は、このマンションで過ごすことになるだろうとのこと。アザゼル先生の構想的には、朱乃ちゃんと年が近いだろう『堕ちてきた者たち(ネフィリム)』の生徒を中心に、日本で活動する仲間の拠点にするようだ。現在、ものすごく深い地下空間を製作中のようで、色々とギミックを仕込んでいるみたい。防犯的には武闘派幹部である雷光の住処でもあるからな。ここほど安全な場所もそうそうないだろう。

 

「それに、こちらこそ朱璃さんの作るお昼ご飯をごちそうになれて嬉しいですから。今もいい匂いが漂っていて、正直待ちきれないです」

「あらあら、ふふふっ。そう言ってもらえると、作り甲斐があるわ」

「事実ですしね。それにしても、このマンションに住む予定の人達がちょっと羨ましいです。本格的にここが拠点になったら、食堂を開く予定なんですよね。朱璃さんのご飯をいつでも食べられるなんていいなぁー」

「アザゼルさんから聞いた予定では、食べ盛りの子どもが何人も入ってくるみたいだから。でも部外者を入れられない関係で、あんまり日常生活のサポートはできないらしいの。基本自炊やお弁当、インスタント食品を食べることになりそうって聞いて、それは成長期の子どもには可哀想だと思ったのよ」

 

 今は姫島一家と堕天使の何人かが住んでいるだけだが、今後保護された日本生まれの神器所有者の多くはここに住むことになるだろう。しかし、組織として保護した異能者を簡単に外出させる訳にもいかないし、だからってお手伝いさんを雇うのは難しい。つまり掃除洗濯も含め、全部自己管理だ。だから食事は配給されるお弁当を食べるか、食材を使って自炊するか、という生活能力がないと大変そうな暮らしになりそうとのこと。それなりに自立能力がある子どもを住まわせる予定だが、中にはカップラーメンばっかり食べるのもいそうではある。

 

 という話を聞き、それなら手が空いている朱璃さんがここのマンションの管理を引き受けたいと話したのだ。いわゆる、寮母のような感じだろうか。姫島の約定もあって、残念ながら朱乃ちゃんと同様に朱璃さんも表の世界で自由に行動できる訳じゃない。しかし閉じ込められている訳ではないし、朱乃ちゃんの行動範囲が広がったこともあり、今までのように一日中家に籠っている必要はないのだ。それなら、自分にできる仕事を探したいと思ったようで、九年間家事に専念してきた彼女なりに考えたそうだ。

 

 マンションの階層掃除はグリゴリのハイテクロボがあるし、細かいところは式紙で眷属を増やせる朱璃さんの手でも問題ない。神器所有者として保護された子どもは、色々精神面での問題を抱えていることが多いらしいけど、朱璃さんの包容力といけないことをした時に止められる地母神力(ドS)があれば、そこまで大きな問題にはならないだろう。むしろ精神面でのケアに繋がるかもしれない。彼女なら、適度に距離を測ってその子に合った接し方が出来ると思うしな。

 

「なるほどなぁ…。朱乃ちゃんは、『堕ちてきた者たち(ネフィリム)』の年少クラスに時々お邪魔する感じになるんですよね」

「えぇ、朱乃ぐらいの年頃となると人数も少ないし、精神的に不安定な場合が多いから、様子を見ながらってことになるみたい。普通の学校には行かせてあげられなかったけど、せめてお友達や学校の雰囲気を楽しんでくれたらと思うわ」

 

 朱璃さんの言葉に、俺も頬を掻いてなんとも言えない気持ちになる。朱乃ちゃんを普通の学校に行かせるのは、安全や姫島との約定的にやはり厳しいとしか言えなかったのだ。自由を約束する条件にあった「姫島の約定を知る関係者が必ずつくこと」というのが難しい。そもそも姫島朱乃の存在は秘匿されていて、堕天使の中でも信頼できる者にしか伝えられていない。そんな状態で、小学校に通う朱乃ちゃんにずっとついてもらうのは、人材不足がひどい堕天使陣営にはとても無理だったのだ。

 

 それに朱乃ちゃんは普通の女の子だけど、それでも異形側であることには変わりない。表の学校に通うには、彼女はあまりに対人経験がなさすぎる。自分の立ち位置や周りとの違いを本当の意味で自覚していないと、朱乃ちゃんも周りの子も傷つく結果に終わる可能性だってあった。そういった諸々を考え、それでも朱乃ちゃんに学校を知って欲しい、という願いも考慮した結果、裏の学校もどきである『堕ちてきた者たち(ネフィリム)』へ体験入学することになった訳である。

 

 これも色々心配ではあるけど、朱乃ちゃんの世界を少しずつでも広げていこうとするなら、必要なことだろう。それに少し年上にはなるだろうが、このマンションに引っ越してくるだろう学生との関わりもできる。限定的だがようやく得られた自由を朱乃ちゃんに与えてあげたいけど、焦らずに一つひとつの問題に向き合っていくしかないと思う。それに朱璃さんやバラキエルさんや小鬼が彼女の傍にはいるし、微力ながら俺達だっている。困っていそうな時は、適宜相談してもらえるように様子を見ておこう。

 

 

「……さて、今後も色々あるでしょうけど、まずはお昼ご飯にして英気を養いましょう。奏太くん、二人に食事が出来た事を伝えてもらってもいいかしら?」

「はい、わかりました」

 

 グイッと水を飲み干すと、コップを軽くゆすいでおく。今日は和風だしのあんかけ料理のようで、色とりどりの野菜や肉が良い色で湯気をあげている。朱璃さんの料理に完全に胃袋を掴まれた身としては、毎日でも食べたいぐらいだ。たぶん、朱璃さんが未婚の女性だったら絶対に惚れていた自信がある。そして知ってしまったドSさに悩んで項垂れていた自信もあるな。うん、やっぱり朱璃さんにはバラキエルさんじゃないと無理だろう。相性ってやっぱり大事だと思う。

 

 それにしても、俺の舌も随分肥えてしまったものだよなぁ…。洋菓子関係はクレーリアさんがメキメキと力をつけているし、和食は朱璃さんのぶっちぎりだ。美人で年上で料理上手で優しいというまさに理想の女性陣だけど、両人ともお相手がいるんだよね。やっぱり素敵な女性には、すでに相手がいるもんだ。俺ももう中学三年生だしなぁー。というか、まずは相棒の年齢フィルターが解除されないと色々困るぞ。ちょっとそのあたりも相談していかないといけない。

 

 ちなみに最近ヤバいのは鳶雄である。あいつ和洋中どれでもいけるオールラウンダーで、朱芭さんの修行で疲れた俺のオアシスになってきている。しかも俺が経文で死にそうになった絶妙なタイミングで手作りお菓子やお茶を入れてくれるし、写経で腱鞘炎を起こしてプルプルしていたら温かいおしぼりを手に当ててくれるしで、どんどん女子力が高くなってきている気がするのだが。ちょっと、鳶雄くん。俺の好感度を上げてどうするんだ。攻略されそうになっちゃうでしょ。

 

 ちなみに、朱芭さんの料理は本当に稀にしか食べたことがないけど、アレはもう次元が違う。年季の入り方が尋常じゃない。あんなにバランスもよく、美味しい食事を三食毎日食べていたのなら、そりゃあ鳶雄のレベルも上がるわ。俺もちょっと晩御飯を作るのを手伝ったことがあるけど、何あの包丁さばきに手際の良さ。鳶雄がいない隙をついて、鍋の中の灰汁(アク)を相棒で綺麗に消し去るぐらいしか自慢できなかった。ちなみに、あとで朱芭さんからめっちゃ怒られた。幾瀬家の料理で神器を使うには、まだ時代が早すぎたらしい。

 

「朱乃ちゃーん、小鬼ー! 食事が出来たから、準備を一緒に手伝ってくれ!」

「はーい!」

「オニ! オニニ!」

 

 すっかりお腹を空かせた子ども達は、輝くような笑顔で台所まで全速力で駆けてきた。きっと尻尾があったら、全力で振っていることだろう。わくわくと効果音が付きそうな様子で炊飯器のご飯をテキパキと器に盛る朱乃ちゃんと、小さい身体でテーブルにランチマットを敷いていく小鬼。相変わらずの絶妙なコンビネーションである。それを横目で見ながら、俺は食器類を運び出していった。

 

「それでは、いただきます」

『いただきまーす!』

「オニー!」

 

 家庭料理を器用にスプーンやフォークを使ってお行儀よく食べるようになってしまった小鬼のスペックにちょっと遠い目をしながら、姫島家の食卓は和やかに進んでいく。これまでは姫島家が心配でちょくちょく顔を出していたけど、朱乃ちゃんもだいぶグリゴリでの暮らしに慣れてきているように感じる。一応今後も遊びにはくるけど、あんまり俺がここに来過ぎるのは朱乃ちゃんの成長的にも考えないといけないかもな。彼女はもう狭い世界から飛び出したのだから。

 

 お母さんや小鬼だってちゃんと傍にいるし、俺は自分でも朱乃ちゃんに対してかなり甘い自覚がある。たぶん彼女が困っていたら、手助けしようかと考えてしまうと思う。しかしそれだと、姫島朱乃の今後の成長的には決してよくないだろう。壁にぶつかったら、自分で考えて結論を出して行動するスキルも大切だ。だから時々顔を見せるぐらいにして、来た時は存分に甘やかす感じでいいんじゃないかな。うん、完全に良いとこどりである。

 

「そうだわ、奏太くん。無事に引っ越しが終わって、これからゆっくりと腰を落ち着かせることができるだろうから、前に話してくれた幾瀬朱芭様にご挨拶をしたいと思うの」

「えっ、朱芭さんにですか?」

「えぇ、姫島を追放されてしまった同士、何か助け合えればって。それにもし可能なら、朱乃に親戚づきあいをさせてあげられないかと思って。ご迷惑でなければだけど…」

 

 朱璃さんと朱乃ちゃんから許可をもらったので、朱芭さんには二人のことはすでに伝えている。堕天使の組織に保護されている朱璃さん達だけど、姫島の条件に合う俺と一緒なら街の中を歩くこともできるだろう。鳶雄のことは先生に内緒にしている手前、バラキエルさんの協力は必要かもしれないけど。

 

 事情を話したら、教官なら渋い顔をしながら認めてくれるかもしれないが、あんまり先生に隠し事をさせたい訳じゃない。まずは朱芭さんに相談かな。それに親戚づきあいが一切ないって前に鳶雄が言っていたし、可愛いはとこがいることを知ったら喜びそうだろう。もう一人のはとこに関しては、強く生きてくれとしか言えないが…。

 

「母さま! 朱芭さまって、朱乃の大叔母(おば)さまなんだよね!」

「えぇ、そうよ。お母さんもお会いしたことはないけど、私のお母さまがとても素晴らしい方だったと話してくれたのを覚えているわ。それに私の料理も元を辿れば朱芭様に繋がるらしいの。母が叔母様に料理を教えてもらって、それから私が母から習ったのが流れだから」

「えっ、えっ、すごい。じゃあ、大叔母(おば)さまは、母さまの母さまのお師匠さまなんだ!」

 

 朱雀のことを初めて知った時と似たようなテンションで、朱芭さんについて大興奮する朱乃ちゃんに、小さく噴き出してしまう。これで朱雀と同じ年の男のはとこもいると知ったら、朱乃ちゃんのテンションはどうなってしまうんだろう。まさか兄の座を競い合う間柄になってしまったりはしないだろうか。その時はきっと仁義なき戦いになることだろう。護るべきものがある時の俺は、一味違うことを教えてやろう…。

 

 そんなわいわいと賑やかな食事は過ぎていき、午後は朱璃さんも一緒に荷物整理をすることになった。さすがに女性用の小物は俺が手を出す訳にもいかないからな。俺はバラキエルさん用の家具や書籍、ダンベルなどの私物を運んでいったが、途中で鞭や蝋燭を見つけてしまい、それらは無言で段ボールに詰めてベッドの下に隠しておいた。俺は何も見なかった。自分でも空気の読める生徒だと思う。

 

 そうして無事に引っ越し作業を終えると、朱璃さんからお礼に引っ越し蕎麦をいただき、姫島家を後にすることになる。中学三年生になったばかりの春。裏世界一年目から三年目までの巻き込まれ具合からしてなんとも不安になってしまうが、裏世界四年目は多少は静かに過ごせるといいなぁー、と願いながらのんびり足を進めるのであった。

 

 


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