えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百二十五話 協会

 

 

 

「えっ、まさか家族みんなで来るつもりなのかよ!?」

「もちろん。だって、家族で旅行に行くなんて久しくなかったのよ? しかも、海外旅行! 何よりも、結果が出るまで毎日が重く苦しかった受験戦争を耐え抜き、多くのライバルたちから勝ちを拾い、見事に第一志望の合格を果たした私への盛大なお祝いがあってもいいじゃないッ!」

「……大学の合格発表の日に、お祝いにホールケーキを買ってやっただろ」

「あれはごちそう様。若い内に一度ぐらい、ホールケーキ一人食いはやってみたかったの。でも旅行は別!」

 

 輝くような笑顔でサムズアップをして、テンション高めにウインクをする姉。血の繋がった弟にそれをやっても、白けるだけだよ。俺がジト目で見つめても、すでに耐性のついた姉は全く動じない。お互いに遠慮なく言葉や態度に出しても平常運転なあたり、やっぱり姉弟なんだろうなぁー。ちなみにその時のホールケーキは、さすがに途中で胸やけをしたようで後で俺も一緒に食べました。

 

 肩より少し長いぐらいの黒髪に最近始めたらしい化粧、見慣れていた学生服から今時の女性らしいカジュアルな装いになっている。俺の姉である倉本愛実(くらもとまなみ)は、本人が今言ったように受験戦争を勝ち抜き、この春から女子大生になった。それなりに名前を聞く四年制の大学で、今は新しくできた友人達と遊び回るのが日課らしい。何だかんだで生真面目な性格なので夜遊びはしないし、講義は真面目に受けているだろうから両親もそこまで心配はしていないようだ。

 

 去年の倉本家は、高校三年生だった姉の受験をみんなで支えるために応援しただろう。さすがに浪人は嫌だったようで、恥もプライドも捨てて当時中学二年生だった俺に「英語のリスニングを手伝って!」と頭を下げられた時は頭痛がしたな。あまりにも情けなくて手伝ったけどさ。幾瀬家で調理の仕方を教えてもらえたから、平日の晩御飯もずっと俺が用意していたし。

 

「俺、姉ちゃんの受験勉強かなり手伝ったと思うんだけど」

「本当にねー。奏太が英語できて助かったよ。さすがは海外生活経験者」

「将来はメフィストさんが経営する海外の企業で働くつもりなんだ。日常会話や筆記ぐらいすらすらできないとまずいだろ」

「我が弟ながら、将来が心配なさ過ぎて姉としてつまらない。揶揄(からか)えない」

 

 人の努力をつまらないで一蹴するなよ。あと、下は上を見て育つからな。テストが近づくたびに発狂する姉を見て育てば、真面目に取り組んでいこうと思うもんだよ。特に英語は、ラヴィニアからほぼ毎日教えてもらえたからな。俺、表の世界ではそれなりに優等生だと思う。もっとも裏の世界ではまだまだだから、心配があると言えばその通りとしか言えないけど。

 

 最近の裏事情なら、朱芭さんのスパルタとかマジでヤバいし泣くぞ。般若心経をようやく読経できるようになったと喜んでも、次から次へと課題が増えていく。一年前に朱芭さんからまず教わったのは、仏教の経本の初歩とされる阿含経(あごんきょう)についてだった。この経本から因果の道理について詰め込まれ、十二因縁(じゅうにいんねん)やら四聖諦(ししょうたい)という仏教にとって重要な法則や真理を学んだだろう。

 

 そして、阿含経(あごんきょう)の次に習ったのが方等経(ほうどうきょう)という経本だ。これは仏教について学ぶ上で、基本中の基本とされる教義に関する学習らしい。そんな感じで、去年の一年間で仏教に関する知識をなんとか基礎レベルにまで引き上げるられるように集中したと思う。今やっている般若心経は世間一般的にはポピュラーな経文だけど、実は中級レベルぐらい難しいんだよな。初級と基礎をしっかり踏まえていないと、解釈を誤解しかねないためだ。今は般若心経の経文に含まれる解釈を一つずつ勉強中である。

 

 一瞬、今後も続くだろうスパルタ教育に目が死にそうになってしまった。頭を下げて教えてもらっている身だから、文句なんて言えないのでやるしかないんだけどさ。それに朱芭さんは確かに厳しいけど、わからない時は俺に理解できるように根気強く教えてくれるし、成果はちゃんと出ていると思う。だから泣くほどきついけど、彼女の教えについていくのに疑問はない。

 

『私の持ちうる全てを伝えられるよう、あなたを三年で仕上げてみせるわ』

 

 始めの頃に朱芭さんから言われた言葉だ。どうして『三年』という期日を設けたのか疑問には思ったが、なんとなくそれを『今は』聞いてはいけないと感じ、口に出すことはしなかった。その疑問や不安と真剣に向き合うためには、まだ俺自身に足りないものがあり過ぎると直感したから。『今は』朱芭さんから与えられるものを我武者羅に取り込んでいくのが、俺がやるべきことだと思った。

 

 

「――って、姉ちゃんが変なことを言うから話がズレた。それより外国にあるメフィストさんのお家へみんなで挨拶に行きたいって、何で急にそんな話に?」

「急にって言うけど、こっちからすれば家族(奏太)が四年間ずっとお世話になっているのよ。電話や手紙でしかお礼が言えていないし、一度ぐらい直接顔を見てお礼がしたいじゃない。向こうは社長さんで忙しいと思うから、負担を考えればせめてこちらから足を運ぶべきでしょ」

 

 平日は共働きである両親の帰りが遅いため、姉と二人で簡単に晩御飯を作って、食べている最中に突然告げられた家族旅行案。最初は驚きに目を瞬かせたが、表の住人である倉本家からすれば理由として納得できる。家族から見れば、長期休みのほとんどをメフィスト様が毎年面倒を見てくれているように見えるだろう。今年の夏休みも俺が協会へ行くことは決定していたし、倉本家からしてみれば申し訳ない気持ちや、子どもをいつも預かってくれているお礼が言いたいと考えるのは自然と言えば自然だ。

 

「去年は私の受験があって、母さんが旅行を認めてくれなかったからね。ようやく受験から解放されたんだし、だったらお礼も兼ねて挨拶をしに行くついでに、海外旅行を楽しんでもいいんじゃないかなって。……そう言えば、奏太も中三だから世間一般的には受験生よね。何で奏太は今年も長期旅行をしてもいいの?」

「日頃から勉強しているから、姉ちゃんみたいに一年で詰め込む必要がないからじゃないか。母さんからいつも通りに勉強しているなら行ってもいい、って言われたけど」

 

 味噌汁を啜りながら母さんの台詞を告げると、姉の目が明後日の方向に向いていた。テストが近づくと毎回大騒ぎをしている姿を見せていたら、受験の時ぐらいはしっかり勉強しろ、と親なら言いたくなると思うよ。何度も言うけど、そんな姉の背中を見て弟は育ってきましたから。しばらく無言の後、姉は心の平穏のためにスルーすることにしたらしい。そういうところだよ。

 

「私は過去を振り返らない女なの。それより、挨拶よ挨拶! 写真で見たメフィストさんってすごくダンディなおじ様だし、クレーリアさんっていう私より二つぐらい年上のプロポーション抜群のお姉様もいるんでしょう。しかも日本人の恋人持ち! ラヴィニアちゃんともお正月以来会えていないし、成長期だからきっとすごいことになっているんでしょうねぇー」

「すごいこと……。身長が抜かされていないといいけど」

「女の子の成長期と聞いて、奏太が気になるところはそこなの」

 

 ものすごく残念な生き物を見る目で見られた。いや、男として重要だろうそこは。ラヴィニアは外国人だからか、日本の平均的な女子の身長を優に超えているからね。毎日牛乳を飲んでニボシや果物を食って、日々対抗出来るように意識しています。

 

「とにかく、そういう訳だからメフィストさんに奏太から打診してみてよ。出来ればお盆中がありがたいけど、母さん達も出来る限り日程を合わせられるように調整するって言っていたわ」

「うーん、とりあえず聞くだけ聞いてみるよ。挨拶できればいいんだよね」

「うん。ゆっくりお話ができたら一番嬉しいけど、お邪魔するのはこっちの都合だから無理は言えないもの」

 

 姉ちゃんからの提案に、思案しながらも俺は頷いておく。それなら、まぁ何とかなるかな…。さすがに協会本部へ家族を連れて行くのは無理だけど、メフィスト様なら表側の人間に見られても問題ない住居の一つや二つぐらい持っているだろう。予定の日時の時に、その家で応対すれば不自然には思われないはずだ。『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』のみんなも、たぶん俺の家族と会うぐらいなら時間を取ってくれそうだろう。

 

 クレーリアさんと正臣さんにも声をかけようと思うけど、ちょっとうっかりなところがあるから気を付けてもらわないとな。特に正臣さん。クレーリアさんは駒王町で表の住人として過ごしていたから大丈夫だろうけど、正臣さんは幼少期から教会育ちの生粋の裏側の人間だしなぁ…。協会内でも癖で刀を腰に差して歩いてしまって、時々「Oh(オゥ)Mr(ミスター),SAMURAI(サムライ)!?」と一部の大興奮した魔法使いに揉みくちゃにされている。せっかく魔法を習っているんだから、収納ぐらい使おうよ。

 

「…………」

 

 そこまで考えて、俺は目線を天井へ持っていき口を閉ざす。普段通りの姿を見せないように友人達の方へ注意してもらうような状況、というのがそもそもおかしいんだよな。表側で平穏に生きる倉本家への配慮としては当然なんだろうけど、それでもちょっと考えてしまう。俺はいつまで家族に隠し続けるつもりなんだろうと。裏の世界に入ってすでに四年。神器が覚醒した頃からなら八年だ。俺だってもう中学三年生になった。日本の義務教育的には最終学年で、自立が早い方なら来年から一人立ちする人だっているだろう。

 

 表の世界で平穏に暮らす家族を裏の事情に巻き込みたくない思いはあるけど、だからってずっと嘘をついて隠し続ける現状がよいとも思えない。昔はよくそれで悩んだな。今は言い方は良くないけど、良くも悪くも誤魔化すことに慣れてしまったような気がする。たぶん、このまま誤魔化し続けるのも一つの道だろう。いつかこの嘘をつく罪悪感さえ、慣れて麻痺してくれるかもしれないから。

 

 

「ん、奏太。どうかしたの?」

「……ううん、何でもない。ごちそうさま。皿、洗っておくから水につけといて」

「それは、ありがたいけど…。何か困っていたら相談ぐらいのるわよ?」

 

 俺としては顔に出したつもりはなかったんだけど、さすがは姉なんだろうか。気安げに首を傾げる姉ちゃんに、俺は考えを巡らせてしまう。さすがに真実をここで言うつもりはないけど、少し聞いてみたい気持ちにはなった。

 

「例えばの話だけどさ。もし俺には姉ちゃんや両親にも教えていない隠し事がある、って言ったらどう思う?」

「うーん、隠し事かぁー。それって例え話として答えたらいいのよね」

「できればだけど」

 

 姉ちゃんは食べ終わった食器類をシンクへ運び終わると、俺の向かい側の椅子へ再び腰掛けた。顎に手を当てて「むぅー」と少し唸りながら、視線を虚空へ向けて彷徨わせている。しばらく考えをまとめていたが、彼女はお茶を一杯飲み干すと、多少迷いは感じられるがハキハキとした答えを口にした。

 

「まぁ、気にはなるかな。でも、奏太なら悪いことはしていないだろうから、言いたくないなら無理には聞かないと思う。それに本当に深刻な悩みだったら、奏太ってすぐに顔に出るからわかるもの」

「姉にすら看破できると宣言される俺の表情筋って…。というか、何で悪い事をしていないと思うんだ?」

「あんたって変なところで度胸はあるけど、悪事が出来るような度胸があるとは思わないから」

 

 真顔でさらっと言われた内容に、ガクッと肩が落ちる。いや、そのあたりを信じてくれて嬉しい気持ちはあるけど、ちょっと反論したくなるような気持ちも湧くと言いますかね…。ある意味、これも信頼なんだと思うけどさ。ただ姉の言葉に、心持ち肩が軽くなったような気はした。少なくとも、姉ちゃんは俺が答えを出すまではきっと待っていてくれる。それがわかっただけでも、少し踏み込んだ質問をした甲斐はあったと感じた。

 

「で、私に話せる悩みなの? 恋愛相談とかなら個人的にやってみたいから、随時募集中よ?」

「生涯ネタにされるとわかっているから、それだけは姉ちゃんに相談することはないと思う」

「ふふふっ、私の目は誤魔化せないわよ…? 去年の夏ぐらいから、奏太って家に帰るのが遅いよね。同じ中学校の友達の家で晩御飯をごちそうになったり、お裾分けっぽい料理やお菓子を持って帰ってきたりしているけど、普通そこまで世話になるぐらい親しく通うかしら。もう一年ぐらい経つし、そのお料理を作っている子と実は良い関係になっているんじゃないのー?」

「そいつ、性格イケメンで女子力がカンストしているただの後輩男子だよ」

「……奏太。お姉ちゃんにその将来の有望株を紹介する気ってない?」

 

 無言で背中に敷いていたクッションをブン投げた。良い音が鳴った。大学生が中学生をターゲットにするな。俺が持って帰ってくる鳶雄の料理が気に入っていたのは知っているけどさ。あいつには幼馴染とはとこの修羅場(決定事項)というイベントが待っているんだ。これ以上、刺激を増やしてやるな。「ちょっと冗談のつもりだったのに、痛ぁーいッ!?」と涙目で怒り出す姉。俺の目は、たぶんものすごく残念な生き物を見る目だっただろう。

 

 こうして倉本家の日常は、多少騒がしいながらもいつものように平和に過ぎていくのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 姉ちゃんから家族旅行のことについて聞いてから、数日後。休日である今日は、『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の施設にお邪魔している。去年は襲撃事件のことがあったから姫島家へ出来る限り顔を出していたが、近頃は幾瀬家へ行ってお経を延々と唱えている。そして空いた日は出来るだけ協会に顔を出し、主に『変革者(イノベーター)』として依頼された仕事に取り組んでいる。イッセーほどではないとはいえ、俺もスケジュール管理をしてくれるマネージャーが欲しくなってくるな。

 

 ちなみに魔法使いの協会でやることは、別に仕事だけじゃない。裏の世界についての勉強や魔法の訓練だってやるし、ここの施設を使えば普段の生活ではできない特訓ができる。訓練の内容に合わせてドームの大きさや環境を変えられるトレーニングルームでは、ラヴィニアの神滅具やドラゴンであるリンとのコンビネーションを磨くのに使っている。普段はぬいぐるみサイズでお菓子をもぐもぐしているリンだが、本来は四、五メートルはあるだろう巨体のドラゴンなのだ。俺を乗せて空を飛ぶことだってできる。ドラゴンライダーとか絶対にカッコいいので、現在飛行訓練を頑張っているところであった。

 

 それと中学三年生になってから、協会に所属する他の魔法使いとの交流も少しずつ増えてきている。詳しい話は午後にメフィスト様から教えてもらえるみたいだけど、そろそろ俺も本格的に『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の一員として表に姿を現していく予定らしい。もちろん正体はバレないように、フード着用で大丈夫みたいだ。それでも理事長直属の部下として見栄えは良いように、繊細な刺繍が施されたものすごく高級そうな生地でできた灰色のローブをいただいてしまった。色合いも白過ぎず黒過ぎず、何処か温かみがある感じの色だろう。

 

 ラヴィニアも淡い青の綺麗な装飾がついた真っ白のローブを着ているし、これが協会で着る俺の正式な魔法使いとしての衣装となるのだろう。サイズを合わせるために試着してみたが、ちょっとコスプレをしているようで別の意味で楽しんでしまった。服の調整が終わったら、今後魔法使いとして人前に出る時はこれを着ていくことになるそうだ。正直魔法使いとしての実力だけなら見習いみたいなものだから、理事長の部下として立つことにちょっと気後れはする。相棒のおかげで実績や貯金が、恐ろしく積み上がってしまったからなぁー。

 

 

 改めて思い出した自分の立ち位置に思わず遠い目をしてしまったが、あともう一つ協会で日常的にやっている訓練がある。それは約三年前から、協会へ来たら出来る限り欠かさず行っていることだ。普段なかなか実戦経験を積むことが出来ない俺にとって、貴重な対人戦を経験することが出来る。相手は当然俺よりも強いんだけど、これでもたくさんのヒト達から手ほどきを受けてきたんだ。勝てないまでも、それなりにいい勝負が出来るようにはなってきたと思う。

 

 これまでずっと続けてきた取り組みをふと思い返した時、昔と今の違いから自分の成長を実感することがあるだろう。最初の頃に比べると出来ることが増え、自分の意思で考えて動く力が身に付き、今まで出来なかったことが当たり前のように達成できる。それと同時に、次にやるべきステップもどんどん進んでいくから気は抜けないが、それでもこうして彼と相対し合えるだけの実力がついたことに嬉しさを感じた。

 

 そんな感慨深い気持ちになったが、相手との間合いがまたなくなったことを感じ取り、瞬時に意識を切り替えた。

 

「――っふ!」

 

 相手の呼吸音と相棒の思念から咄嗟に左足を後ろに下げ、引っかけられそうになった足元の攻撃を躱す。彼の持つ武器が地面を微かに打った音が耳に入ったが、すぐに軌道を読んで返す刀で来るだろう振り上げを避けるために相棒を構え、受け流すことで刃を逸らした。それに目を細めた相手はさらに畳みかけようと、俺に向かってなおも一歩踏み込んでくる。

 

 その瞬間、相手の足が踏み込んだ空間に緑色の魔方陣が突如浮かび上がった。敵を拘束する効力を持った魔法の鎖。それが複数地面から飛び出していったが、彼は微かに目を見開いただけで最小限の動きで小刻みに刀を振るい、全て弾き返してしまう。それで終わらず俺も左手の光力銃で追撃をするが、バックステップで大きく後ろに下がられたことで仕掛けた罠や追撃からあっさり逃れられてしまった。

 

 相変わらず反応が人外染みている。朱雀から攻撃が当たらないと文句を言われたことがあるけど、その気持ちが本当によくわかるな。どれだけ仕掛けても一撃も当たらない。もっとも俺も決定打はもらっていないので、膠着状態と言ってもいいかもしれない。とにかくさっきの攻防で拘束することはできなかったが、動きを阻害することは出来た。攻勢に傾き出した相手の出鼻を挫けただけ上等だろう。上手く距離も稼げたことに、心の中でホッと息を吐いた。

 

 お互いに間合いの外に出たことで、仕切り直しのように武器を構え直す。三年前は汗一つかかせることができなかった相手との模擬戦。まだまだこちら側の攻撃の手は少ないけど、教官との修行のおかげで間合いの把握はトラウマレベルで身体に覚えさせられたし、神器を使った受け流し方や回避は実力者相手にも通じるだろうと太鼓判をもらっている。こうして彼と真正面から打ち合えるようになっただけでも、成長を感じられるというものだ。

 

「奏太くんが使う隠蔽ができるその魔法トラップは、やっぱり厄介だね。疑似仙術を使っても、実際に発動されないと感知すらできない」

「これでも、仙術もどきは一日の長がありますから。正臣(まさおみ)さんもオーラを察知する能力を、戦闘でも問題なく使えていてびっくりですよ。全然攻撃が当たる気がしないです」

「さすがに常時発動はできないから、要所要所で制御して使っているけどね。乱発すると自分の中のオーラが狂いかねないのが難しいところだよ」

 

 困ったように肩を竦めた黒髪の二十代の青年――八重垣正臣(やえがきまさおみ)さんは、俺からの評価にまだまだ納得がいっていないと伝えるようにそう答えた。正直独学なのに、たった二、三年で疑似仙術を大よそ使いこなせている時点ですごいんだけどな。仙術は、人間の中にある未知のパワーを開花させることで感じることが出来るようになる力だ。本来なら長い修練を経て、自然の息吹や世界の理に触れ、そこからオーラを感じ取ることで手に入るかもしれないというレベルの難しい技能である。だから人間で仙術が使える人は、だいたい徳が高い人ばかりであった。

 

 ところが俺の相棒の能力を使えば、最短距離で人間の中にある未知のパワーを実感させられる。ただ無理やり力をこじ開けたようなやり方だから、あまり褒められた方法じゃないだろう。使えば世界に漂う邪気を取り込む危険性があり、邪気に耐性がない人間は壊れやすい。だから長い修練を経て邪気を受け流せるぐらいの下地が、本来は必要なのだ。俺には常に邪気を自動消去してくれる相棒がいるからデメリットなく使えているだけだし、正臣さんだってクレーリアさんが持つ『無価値』の力で溜まった邪気を払ってくれているから問題ないだけなのだ。

 

 つまり、俺の疑似仙術もどきはお手軽に開花できる反面、取り込んでしまう邪気を対処できる方法がないと自滅しかねないのである。今更だけど俺、裏世界一年目にノリで自滅しかねない能力を創っちゃっていたんだなぁ…。そりゃあ、タンニーンさんも頭を抱えて遠い目をするよ。本来ならそんな危険がある仙術もどきだが、その有用性は使用している俺が一番実感している。俺の感知能力が他のヒトに比べて非常に高性能なのは、八割方これのおかげなのだから。

 

「取り込んだ邪気の方は大丈夫なんですか?」

「それなりに身体へ耐性がついてきたおかげで、始めの頃ほど体調不良を起こすことはなくなったよ。クレーリアが毎日診察してくれるし、奏太くんの治療のおかげで特に問題なく鍛錬できていると思う」

 

 最初の頃は、オーラや邪気に酔って具合悪そうでしたもんね。クレーリアさんを護るために、協会の理事長の眷属になるために、特殊な能力がないことを気にしていた正臣さんは、危険があるとわかっていてもこの仙術もどきを自分のものにしたいと話していた。戦闘方面に才能を極振りしている正臣さんでさえ、こうして形にするのに二、三年はかかった。それに俺やクレーリアさんのような能力者が傍にいないと、邪気によって狂う危険性もある。だからよっぽどの事情がない限り、仙術もどきを他者へ施すのは禁止していた。

 

 

「さて、メフィスト会長と約束した時間までまだあるから、もう一戦やってもいいかな。戦闘での疑似仙術の調整は、奏太くんが相手の時でしかできないからね」

「俺が傍にいれば、オーラや邪気の暴走が起こっても相棒で対処できますからね。それに俺も、ラヴィニアとクレーリアさんが作ってくれた魔道具の調子をもう少し確かめたいので助かります」

 

 俺は確認するようにブーツのつま先でトントンと地面を叩いた。魔道具の研究や制作に取り組んでいたクレーリアさんお手製の逸品だ。このブーツの裏面に、先ほど正臣さんに仕掛けた拘束の罠の魔方陣が刻まれていて、俺が魔法力を足元に流して術を発動させると、踏んでいる地面に魔方陣をスタンプのように貼り付けることが出来るのだ。手を加えやすい初級魔法だからこそできる方法である。これによって、手を塞ぐことなく戦闘の最中でも簡単に罠を仕掛けることが出来るようになった。

 

 仕掛けられる魔方陣は、現在の俺の能力的に最大二個が限界だろう。相棒の概念消滅で気配や姿を消すようにして罠を仕掛けないと、不意を打てないから意味がない。敵が踏み込んでくるだろう位置を割り出して、事前に設置する必要があるから、なかなか頭を使うことになる。だけど初見の相手には大変有効的だし、知っている相手も罠を警戒して下手にこちらへ攻撃を加えられず戸惑いが生まれる。接近戦での切り札の一つとして、今後も活用していけるだろう。

 

「三年間、奏太くんと模擬戦をしてきたけど、月日が経つにつれてキミって強くなるというより、厄介になっていくという方がしっくりくるよね」

「それって、褒めています?」

「もちろん。奏太くんの戦い方は、僕達のように勝利を手に入れることが目的ではなく、とにかく負けないためのものだ。戦闘においてキミは、自分の『勝利』に価値を置いていない。相手を『勝利』させないことに価値を置いている。ちょっとした違いなんだけど、実際に相対した相手にしかわからないだろう厄介さだと思うよ」

 

 ふーん、そういうもんなのかな。確かに俺は基本的にサポートがメインで、任務を受ける時は必ず実力者が一緒にいることが前提になる配置だろう。サポートタイプの役目は、アタッカーたちの能力を十全に生かせるように最後まで生き残ることだ。だから俺だけで戦闘を行うことになるなんて、そうそう起こるはずがない。そんな事態になったら、当然撤退を視野に入れるし、自分が生き残ることがある意味でこちらの勝利条件に繋がる。味方がいるのなら、俺が無理して敵を倒す必要はないのだから。

 

 だからといって、それで全部味方任せにするのはまずいから、こうして訓練はしている。万が一味方が全員やられてしまったり、助けが期待できなかったりした場合、俺一人で勝利しなければならない場面もいずれあるかもしれない。そういうもしもが起こらないように気を付けないといけないけど、俺の戦闘スタイルの傾向が正臣さんの言う厄介方面に行ってしまったのは、きっとその所為だろうな。

 

「さて、それじゃあお手柔らかにお願いしますね」

「あぁ、こちらこそ」

 

 短い挨拶の後、再び刀と槍を向け合い、ゆっくりと間合いを測り合うように足を進める。ピリピリとした空気に肌が粟立つような感覚を感じながら、お互いに疑似仙術でオーラの流れを読み合い、仕掛けるタイミングをじっくりと吟味した。この間が、一番ドキドキするのかもしれない。間合いに入った瞬間、無我夢中で動くことになるだろうからな。

 

 そうして、どちらともなく顎を伝って流れた汗が床に落ちたと思った時には、直感で跳び込んでいた。正臣さんも全く同じタイミングで足を踏み出していたようで、一瞬で間合いがなくなる。交差すると同時に斬りだされた刃を槍の柄で受け流しながら、反撃のタイミングを狙って対処していった。

 

 こうしてクレーリアさんが約束の時間を知らせに呼びに来るその時まで、俺と友達との協会での訓練は続いたのであった。

 

 

 


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