えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

130 / 225
 『第60話 波紋』から続く、猫又姉妹編になります。


第百三十話 研究

 

 

 

 倉本奏太の介入により、本来起こるはずがなかった幾瀬家と姫島家の邂逅が実現した春のこと。人間界では大きな事件は起きず、ほのぼのとした春の陽気を感じていたが、反対に冥界ではとある事件によって大きな変化を迎えようとしていた。その事件は、本来の歴史なら別の形で表に現れるはずだったもの。しかし、小学生の頃に倉本奏太が前任者問題の複雑さにブチ切れてやらかし、さらに皇帝によって冥界中でストライキが行われたことにより、当事者となるはずだったとある人物の考え方を変えてしまったことが全ての原因だった。

 

 本来なら、この事件の裏は誰にも見つからず、魔王が調べる頃には全てを隠蔽された後になるはずであった。それこそ、原作でも相当後期――『アザゼル杯』という未来でアジュカとシヴァの連名でレーティングゲームの世界大会が開催されている頃にようやく知られるはずだったほどに隠蔽されたもの。それほどまでに巧妙に隠されていたはずの元凶の存在。そして、それを知るきっかけを見つけてしまった一人の女性の存在。見つけてしまった彼女も、まさかこれほどのものが隠されているとは全く考えていなかったのだ。

 

 皇帝が覚醒したことで、影響を受けた転生悪魔の女性。彼女は怪しい実験を繰り返す自分の主へ、法的に勝つための不正的な証拠を見つけてやろう! という気持ちでやる気を出していた人物だ。彼女にしてみれば、幼い妹の夢を叶えたい一心であり、ついでにあのいけ好かない父親の鼻を明かして、母親への手向けにしようと考えただけだったこと。まだ幼い妹を連れ出すのは難しかったため、ゲームのプレイヤーとしての実戦経験を積みながら、じっくりと妹と逃げ出すために爪を研ぎ続けていた。

 

 彼女は逃走の準備も合わせながら約三年間を使って、主がやっている不正に関する証拠を探ってきた。幸か不幸か彼女には才能があり、猫魈(ねこしょう)である母親譲りの高度な仙術も使えた。彼女の主は上級悪魔だが、そこそこの実力しかない。日々技術を磨いてきた彼女が後れを取る訳がなかった。しかしそれが、彼女が真実に気づく重要な一手を手に入れることに繋がってしまったのだ。

 

「なによ、それ…? 悪魔のイレギュラー体? それに後天的に、超越者を作り出すって…。あのバカマスターは、私達の父親は、いったい何をこの世に作ろうとしていたのよッ……!!」

 

 何も知らなかった。何も知ろうとしなかった一匹の黒猫は、本来なら数年後に見つかるはずだった真実にたどり着いてしまう。自分の主とその父親がまともな研究をしていないだろうことは予測していた。だから、それを証拠にしてここから抜け出す一手に出来ないかと思案したのだ。しかし、極秘に研究されていたその研究の内容が、あまりにも危険だということに気づく。それこそ、この研究を知られたくない『誰か』に自分が消される危険性の方が高いことに。

 

 ゲームの正当性とか、そんなことを言っている場合じゃない。それこそ、悪魔の上層部すら混乱するだろう極秘の情報を彼女――黒歌は手に入れてしまったのだ。この出来事が、彼女とその妹の道を決定的に変えてしまうことになる。それを知ってしまった事で、彼女はもう戻れなくなってしまったのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 猫又姉妹にとって運命の日となったのは、紫の暗い雲に覆われ雨が降り続ける曇天の空。水気を含んだ空気に嫌そうに眉根を寄せた黒歌は、黒い耳と尻尾が彼女の気分と同じようにへたっているような気もしてきた。元々彼女の性格的に、こんな風にコソコソするのは性に合わないのだ。やるなら、真正面から無茶苦茶に暴れる方がスッキリするだろう。おかげでここ三年間のレーティングゲームの試合では、その鬱憤を相手に当てることが常になってしまった。結果的に(あるじ)は喜んでいたが、微妙に複雑である。

 

 黒歌はふるりと小さく首を振り、仙術を駆使してそっと後を窺う。この三年間ほど、黒歌は自分の主の行動を観察するようにずっと心がけてきた。そして気づいたこととして、自分の主が研究の秘匿に関して細心の注意を払っていることだった。よっぽど隠さないといけない研究なのか、それともそれほど『あの方』と呼ぶ相手が恐ろしいのか…。それはわからないが、一筋縄ではいかないことはすぐに理解したのだ。

 

 黒歌もすぐに研究についてわかるとは思っていない。だから主の行動を探り続け、証拠となり得るものを手に入れられる機会を待ち続けた。彼女の主は『あの方』と連絡をする時は必ず遮断や防音などの結界を用いているし、研究施設へ行くときは地下に設置してある魔方陣のジャンプで飛び、警備も厳重だ。魔方陣も見張られているため、早々に手は出せない。

 

 それにこれは黒歌の持つ野生の勘だが、あの魔方陣に触れるのは危険な気がしたのだ。おそらくあの魔方陣の先が主の研究施設であり、そこに忍び込めば証拠なんて簡単に手に入るだろう。しかし、彼女の勘がそれだけは駄目だと警鐘を発する。おそらく主は出し抜けるが、その先にいるだろう『あの方』には見破られる可能性がある気がしたのだ。すぐ目の前に、飛びつきたい証拠()があるのに…。すぐに解決できないモヤモヤに、当然黒歌はイライラしたが、その鬱憤もゲームで晴らしながら彼女は頑張って耐えてきたのであった。

 

「間違いない。きっとこれから、バカマスターがいつも言っていた『あの方』との通信に入るはず…」

 

 そこで彼女が取った選択は、やはり自分の主を出し抜くことだった。主は自分では完璧な結界を張ったと思っているだろうが、黒歌の実力ならその結界さえ越えられると踏んだのだ。仙術で気配を消し、悪魔の魔力で結界に干渉して、主に気づかれないように侵入して通話を盗み聞きする。この三年間で主の魔力の特徴を掴み、何度か隠れて練習し、彼がいつも通話するだろう部屋への侵入経路を把握する。

 

 あの用心深い主のことだ。黒歌が今までにないおかしな行動をすれば、すぐに警戒心を持たれると理解していた。だから彼女は、プレイヤーとしての時間はしっかりと役目を果たし、妹との時間もしっかり取り、自由に使える僅かな時間をかけて少しずつ紐解く道を選んだのだ。というか、あの主のために妹との時間を削るとかあり得ない。そして今日、ついにその成果が表れることに嬉しさからニマニマと思わず口元が緩んだ。

 

「この私にこんなに時間をかけさせるなんて…。さぁ、どんな秘密を父親(あの男)と一緒に隠していたのか教えてもらうわよ」

 

 主はレーティングゲームの試合が終わり、数日ほど経つとナベリウス分家にある自分の研究室に籠りがちになる。その後に『あの方』にこう言われたから、とブツブツ言いながら、眷属達への投薬や実験に関する指示を出してきたのだ。つまり、その時に『あの方』と通信しているはずだ、というのが黒歌の勘である。ちなみにこの研究室は一度ひっそりと調べてみたが、残念ながら黒歌を含めた眷属達の素体データぐらいしかなく、研究についての詳しい資料は見つけられなかった。

 

 この時間、主は眷属達を研究室へ近づけさせないために仕事を押し付けることが多いが、黒歌の分は「今日は妹と遊ぶ約束をしていたから!」で眷属達に押し付けてきた。ちゃんと後日、今日の分はやるとしぶしぶ了承はしている。彼女の妹愛は、眷属達の間では知れ渡っていたので、妹に関しては絶対に触れないことが常識だった。わざわざ苦手な主に告げ口する理由もなかったので、眷属達は粛々と仕事をしていることだろう。ダシに使ってしまった妹は現在お昼寝中であるため、時間内に黒歌が部屋に帰りさえすれば問題ない。

 

 黒歌は主の様子からこの研究室へ来るはずだと考え、先に侵入して仙術で気配を絶っておく。あの主は用心深いが、詰めは甘いのだ。自分が部屋に入ったら、用心深く扉の鍵を閉めて結界を張り、ここに他の者が近づかないように使用人へ命令して注意をするのに、先に侵入されているとは考えていない。早く来ないかなぁー、と黒髪を弄りながら待つこと数十分。ついに待ちわびていた気配(オーラ)を仙術で感じ取り、そっと様子を伺った。

 

 

「これから、しばらく研究室に籠る。誰も近づかせないようにしろ」

「わかりました」

 

 ガチャリと重々しく研究室の扉が開かれ、そこから入ってきたのは神経質そうな男性悪魔と使用人の下級悪魔だった。丁寧にお辞儀をする下級悪魔など見向きもせず、さっさと下がれと言わんばかりに貴族悪魔は扉を閉める。相変わらず態度がデカいにゃ…、と心の中でボソッと黒歌は呟いた。この研究室に残った貴族悪魔こそ、黒歌を『僧侶(ビショップ)』の駒二つで悪魔へと転生させた主であり、彼女が何度も逃れたいと考えている悪魔だった。

 

「ちっ…! やはり、あの『戦車(ルーク)』はもう変え時だな。今のレートについていくことさえできていないじゃないかっ……! あの神器持ちの『兵士(ポーン)』は薬でようやく使い物になってきたが、今後も安定して使っていくにはどうするべきか」

 

 この悪魔の癖なのか、昔から愚痴をブツブツと呟いて当たり散らす癖がある。黒歌は延々と流れる悪魔の声に、早く連絡を取れよ、と無性にムカムカした気持ちが湧いてくる。自分のことを堕とす内容ではないはずだし、内容も仲間だとは思っていない眷属達のことだ。それでも、これだけ愚痴として悪い点ばかりを上げ続けられると辟易だってするものである。

 

 あの主も一緒にゲームへ参加しているはずなのに、どうして彼の目線はいつも自分だけボードの上なのだろう。自分も『(キング)』というゲームの駒の一つのはずなのに、全て度外視で眷属という『駒』としてしか見ていない。そんな主だとずっと前から理解していても、遣る瀬無さに溜息もつきたくなる。黒歌から見ても、眷属のみんなはついていこうと必死に取り組んでいた。それを何一つ、この主は見ていない。彼にとって重要なのは、ゲームの結果だけだから。まるで研究にしか興味のなかった父親(あの男)みたいな性格だ。

 

 あぁ、そうか…。だから私はこのバカマスターが嫌いなんだ、と黒歌は心の中でそっと呟いた。

 

「しかし、あの『戦車(ルーク)』を変えるにも当てがなくてはな…。さて、まずは研究の定期報告をしなくては」

 

 そして、やっと黒歌が待ち続けていた瞬間が来たのだと悟る。悪魔はナベリウス家の魔方陣を浮かび上がらせ、結界の魔法を構築していく。主が魔法に集中したのを感じとり、それに合わせて黒歌も魔力を静かに練り上げていく。この時のために、三年間も練習してきたのだ。主の結界が張られた時に、自分の存在を紛れ込ませることができるようにと。

 

 そして魔方陣の結界が研究室いっぱいに広がり、それに隠れていた黒歌が範囲に入る瞬間、魔力で小さな穴をあけて結界をすり抜ける。一瞬の出来事だったため、すぐに結界の穴は閉じてしまい、そのまま問題なく部屋を囲んでしまう。黒歌はドクドクする心臓の音を抑えるように、しばらく息を潜めたが主が違和感に気づくことはなかったようだ。それに今度こそ、ホッと息を小さく吐いた。

 

 それから主は、先ほどまであれだけ無駄口を叩いていたというのに、今は緊張に口を噤ませながらモニター盤を操作し出す。黒歌から見ても、いつも見下す態度しか見せない主が、これほど真剣な表情を浮かべるのは初めて見たかもしれない。黒歌の位置からはさすがに確認できないが、何らかのパスワード、ナベリウス家の者のみが使える魔力照合等々といった複雑な手順をいくつも行っている姿が見える。これを真似するのは不可能そうだと、見ているだけでわかった。どんだけ用心深いんだ、主の言う『あの方』とは。

 

 そう心の中で愚痴をこぼした黒歌だったが、黒しか映っていなかったモニターから突如ノイズが走る。しかし映像は入らず、映るのは砂嵐のような白黒だけ。しかし、目の前の悪魔()は平服するように深々と頭を下げた。この映像の先に、おそらく『あの方』がいるのだと黒歌は悟った。

 

『試合は見せてもらったよ。相変わらず、レーティングゲームというのは興味深いね』

「はっ、ありがたき幸せ。しかし、今回はお見苦しい試合を見せてしまったかもしれません」

『なに、気にしていないさ。それに例の『兵士(ポーン)』も使えるようになっていたじゃないか』

 

 加工の入った音声。モニターに変化はないが、どうやら声だけ届いているらしい。主もそうだが、相手方も相当に用心深い相手なのだろう。主もこの状態での会話に疑問を持っていないようで、こういったやり取りはすでに慣れているのだろう。あのプライドの高い主が、こんな相手の正体もわからないようなノイズ状態での会話を了承するなんて、よっぽどの相手なのだと感じる。

 

 息を潜めながら、黒歌はジッと情報を拾っていくことに集中する。話題は早速前回行ったレーティングゲームについてで、主は研究の成果を発表するように報告を行っていた。なかなか研究の核心に至らない話にヤキモキしながらも、黒歌は彼らの会話を聞き続ける。そしてついに、主の口から告げられた相手の正体に目を見開いた。

 

「それで、『ネビロス』様。次はどのような実験を行っていきましょうか。私としては、そろそろあの『戦車(ルーク)』は限界なのではないかと思っているのですが…」

 

 『ネビロス』と告げられた相手の名前に、黒歌は目を瞬かせる。彼女が率直に感じたのは、「えっ、誰それ?」である。少なくとも、悪魔の元七十二柱の中に、そんな名前はなかっただろう。ここまで相手に対して(へりくだ)っている主が呼ぶのだから、おそらく家名だろうことは予想がつく。つまり番外の悪魔(エキストラ・デーモン)と呼ばれる、聖書やその関連書物から外れた上級悪魔のことだろうか、と彼女はあたりをつけた。

 

 政治に興味のない黒歌だが、さすがに悪魔として常識的な情報ぐらいなら持っている。しかし、どれだけ自分の記憶を探っても、『ネビロス』なんて名前の悪魔を聞いたことがない気がしたのだ。しばらく悩んでいたが、ふと思い出したのは、自分の主が愚痴で呟いていた昔のナベリウス家に関する栄華だった。

 

『くそっ、昔の時代なら…。我がナベリウス家は、栄えあるルシファー直属六家の一つであったネビロス家の配下として、その威光を示せたというのにッ……!』

 

 その台詞は、レーティングゲームで序列二十四位のナベリウス家よりも序列が下の家系に敗北した時に、主が憎々し気に呪詛を吐いていた時のもの。傍で聞いていた黒歌は胡乱気に眉を顰めたが、『ルシファー直属』という名前に少し驚いたような記憶があったことを思い出したのだ。確かその後に眷属達へこそっと聞いてみたが、今ではネビロス家の一族全員の行方が知れず、すでに何百年も前に断絶された家らしい。だから、黒歌も本当に昔の話か、とさっさと興味が失せたのだ。

 

 しかし、もし主の言葉通りなら、ネビロス家は途絶えておらず、それどころか配下だったナベリウス家を使って今でも怪しげな実験をしていたということになる。きっとそのことに、冥界の他の悪魔達は気づいていない。あまり考えることが苦手な黒歌とて、ぐるぐると思考が揺れてしまう。嫌な汗が流れてくる。自分は今、知ってはならないことを知ろうとしているのではないかと。ゲームの闇なんかよりも、よっぽど性質が悪いものを引いてしまったのではないかと…。

 

 

『まぁまぁ、待ちたまえ。せっかくの素体だろう。大切に使わないといけないよ』

「申し訳ございません、軽率でした。しかしなかなか研究の成果として現れず、ネビロス様にご報告できないのが大変心苦しくて…」

『そうそう成果が出るのなら、苦労はないさ。だから、焦らなくていい。三年前に起こった皇帝ベリアルの騒動は、まだ記憶に新しい。眷属を下手に使い潰すと、あそこの団体組織に気取られてしまう可能性がある。上手くやってくれないと困るよ?』

「も、申し訳ありません…」

 

 画面から流れる音声は相変わらずノイズ混じりだが、そこに含まれたオーラの圧を主と黒歌は感じ取る。その声音から、皇帝ベリアルをかなり警戒していることが窺えた。よほどここの研究がバレたくないのか、あるいはネビロス家の関与を知られたくないのか…。確かに三年前から主からの無茶な要求は多少治まっていたような気はする。そのおかげか、少なくとも三年前のメンバーは未だに変わっていない。それはネビロス家からの指示だったのだろう。

 

 あの皇帝ベリアルのストライキは、レーティングゲームに色濃く影響を及ぼしていった。あれから三年。その間に行われたのは、運営と癒着『し過ぎて』いたプレイヤーの吊し上げ。ゲームにおいてあまりに悪質だと判断された者を言い方は悪いが晒し上げ、民衆への改革のアピールに使っていたのだ。皇帝が表で正道を掲げながら、裏で銀色の魔術師が暗躍した結果だろう。今は多少落ち着いているが、それでも彼らが目を光らせているだろうことは容易に想像がつく。レーティングゲームはすでに、容易に実験ができる場所ではなくなったのだ。

 

『ふむ…。やはり、この実験施設もそろそろ潮時かもしれんな』

「なッ!?」

『考えてもみたまえ。我らを護ってくれていた運営は、現在プレイヤーに対して機能できていない。そして皇帝ベリアルの持つ扇動力、さらにあの『番狂わせの魔術師(アプセッティング・ソーサラー)』の持つ情報網は侮れないもの。アレらが軽視できる存在じゃないことは、この三年でよく理解させられただろう。我らは研究を突き進めたいだけで、少しでも危険のある橋を渡る気なんてないのさ』

「おっ、お待ちください! 必ずや、必ずや結実の報告を私が届けてみせます! この私がネビロス様に、あのリゼヴィム様や魔王様方のような力を持つイレギュラー体をっ! 人工的な超越者をこの手で作ってみせますッ!!」

 

 必死に嘆願を行う主の背を見ながら、黒歌は言葉を失った。それからも喚き続ける主を見続けるが、彼女の耳に言葉が入ってこない。それほどまでの衝撃が、黒歌の思考を奪ったのだ。自分達の父親が、母や娘をどうでもいいように扱ってまで続けていた研究の正体。それが、後天的に超越者を作り出すため? そんな出来るかもわからない、出来てもろくなことにはならないだろう研究を父親(あの男)は生涯をかけてやっていたというのか。

 

 その事実に、ギリッと思わず歯が鳴る。黒歌の思考は、焼ききれるかと思うぐらいの怒りに染まった。

 

「ふざけ、ないでッ……!」

 

 頭ではわかっていた。ろくな研究じゃないことは。それでも、そんなくだらない研究のために自分達は使い潰されようとしていたのかと。母を、そんな研究に巻き込んだのかと。そんな研究のために、黒猫と白猫はこの小さな檻の中に閉じ込められたのかと。自分だけならまだしも、優しい妹まで引きずり込もうとしていた闇。母と三人で暮らしていた穏やかな日々だけでなく、自分達の未来さえも奪おうとした、全ての元凶――

 

「――――ッ!!」

 

 その怒りを、今は必死にこらえる。荒れ狂いそうなオーラを抑え込み、黒猫は強く歯を食いしばった。これまでのレーティングゲームで使い続けてきた仙術の影響で、彼女の中に蓄積されていた邪気が暴れそうになるが、この主をここで殺して何になる。白音の夢を叶えるのだと、姉と一緒に笑顔で日の下を歩きたいと願った小さな願いを踏み(にじ)りたくない。あの時に抱きしめた温かな温もりを思い出す様に、黒歌は己の腕で身体を抱きしめながら、爪を立てて衝動を押さえ続けた。

 

 それにここで鬱憤を晴らすように牙を見せても、報復できるのは主だけで、結局このネビロス家の黒幕には逃げられる。それどころか、姉妹の命だって危ないだろう。黒歌にネビロスの名が知られたと気づかれたら、執拗に追ってくる可能性だって高い。彼らは現魔王達や政府にすら気づかれずに、裏で暗躍してきた悪魔なのだ。原作の黒歌は何も知らずに主を殺めたが、それでも『あのような対応(原作のような展開)』だったのだから。

 

 彼らは原作で黒歌が主を殺した後、魔王の衛兵がナベリウス家へ辿り着いた頃には、すでに研究の痕跡は跡形もなく撤収していた。それだけ彼らの情報網は広く、衛兵を出し抜けるほどの迅速な行動力があり、裏に対する圧力を持っていたのだ。そうして黒歌の主の研究が何だったのか一切表に出ることなく、その後ろにいた人物についてなど何も辿り着かない結果に終わった。こうしてナベリウス家の事件は、ただ黒歌が主を殺したという事実以外の全てが闇の中に忽然と消えてしまったのだ。

 

 それが冥界上層部に大きな憶測を呼ぶことになり、一人取り残された白音への酷な扱いや、はぐれ悪魔としてSSランクに黒歌を指定するなどの過剰な扱いとなる背景であった。魔王であるグレモリー家が間に立って保護しなければならないほど、白音の立場は非常にまずかったのだ。ネビロス家も猫又姉妹が自分達に気づいていないと考えていたから、『その程度』で済ませた。

 

 原作では、最上級死神(グリム・リッパー)であったタナトスからの『警告』があったからこそ気づけた闇。タナトスの目的はハーデスに人工超越者の情報が渡らないように関係者全員を始末することだったが、その裏では赤龍帝達へ猫又の持つ情報は危険だと『警告』するつもりでもいたのだろう。彼女達が始末できないのなら、せめてハーデスにはそれを決して渡すなと。その事件を経て、ようやくネビロス家は表へ出ることになるはずだった。しかし、黒歌はこの時点で気づいてしまう。本来なら闇へと消えるはずだった、『ネビロス』の名を。

 

 

『――――ん?』

 

 その時、モニターの向こうから声が漏れた。必死に熱弁する主は気づいていなかったが、黒歌は一瞬ゾッするような悪寒を感じた。それはきっと声に宿る不穏なオーラから察した、生存本能だったのだろう。黒歌はバクバクと煩く鳴る心臓のあたりを押さえながら、ギュッと目を瞑って必死に息を潜める。

 

 本来なら画面越しで、黒歌の姿は見えないようにしっかりと身体は隠してあるのに、見つかる訳がないと思う。それに黒歌の仙術の精度はかなり高く、そうそう見破られるはずもなかった。自分の声だって主の大声に遮られて、相手には聞こえないはずだろう。

 

 それなのに、黒歌はここで少しでも自分の存在を勘づかれたら『終わる』と直感した。冷や汗で冷たくなった黒い着物を必死に抱きかかえ、震えそうになる身体を小さく丸めていく。そんな状態がどれだけ続いただろう。数秒、もしかしたら数分は経っていたかもしれない。その感覚すらわからなくなるほど、黒歌は己の存在を極限まで消し続けたのであった。

 

 

「……終わった、の?」

 

 バタンッ、と突然鳴った大きな音に、ようやく黒猫の意識は正常に戻る。その音は主である悪魔が研究室の扉を閉めた音だろう。いつも『あの方』からの連絡が終わると、使用人たちへ指示を出していた姿を思い出す。少なくとも、すぐに研究室へ戻ってくることはない。恐る恐る首を振って周りを確かめた後、黒歌は壁に背中を預け、大きく安堵の息を吐いた。

 

 それにしても、最上級悪魔に匹敵する実力はあると言われた自分が、ここまで恐れる何かがあったことに愕然とする。あれは、『強さ』で何とかなる相手ではなかった。相手はおそらくだが、相当な臆病者だ。臆病者だからこそ、余計に恐ろしかった。もしあの時、少しでも黒歌の存在を認識されていたら、アレは絶対的な敵として黒歌を捉えただろう。そして、ネビロスが持つ『全て』で抹消されたはずだ。

 

 この世には『暴力』ではどうにもならない『力』があることを、彼女は身を持って実感する。彼女は知らずの内に過信していた猫魈(ねこしょう)の力を思いながら、そっと顔を手で覆った。あんな『化け物』が裏にいて、自分達は本当に逃げられるのかと。それに不正の情報をバラすことで、後ろ盾の方から主を切り捨てさせようと考えていたが、自分が何かをする必要もないほどに主の状況は追い詰められていた。それだけ、彼らにとって皇帝のやらかした騒動の傷跡は大きかったのだろう。

 

「どうするの? どうしたらいいの? それに不正の証拠と言ったって、こんな私が見ただけの情報で信じてくれる訳が…。何よりも、こんなものどうやって……」

 

 主の後ろにいた存在は、黒歌にとってあまりに深すぎる闇だった。後天的に超越者を作り出すという、冥界を混乱させるには十分な研究を行っていた主と父親による禁忌。その裏で研究を手助けしていたのは、断絶されたはずのネビロス家である。そのどれもが一人の女性が抱えるには、あまりに重い真実。それに黒歌は、呆然と虚空を見つめるしかなかった。

 

 手に入れた情報を皇帝に渡そうにも、内容があまりに壮大すぎて黒歌自身も実感が湧かない状況だった。しかも情報に対する証拠が何もない。おそらく証拠は魔方陣の先だろうが、黒歌一人で手に入れられるような状況じゃないだろう。これまでの情報を手に入れられただけでも、ある意味で奇跡のようなものなのだ。皇帝に助けを求めて、本当になんとかなるのか…。しかし、だからと言ってそれ以外に手がある訳でもない。

 

 このまま待っていても事態は好転しない。それどころか、最悪『戦車(ルーク)』の代わりとして、自分の妹が使われる可能性だってある。実際に主が白音の調子はどうか、と黒歌に聞いてくる頻度が増えている様に感じていた。そして今回の主の焦り様を見れば、その事態が早まる可能性だってある。それに、もしネビロス家が研究をやめると判断した場合…。こちらを捨ておいてくれればいいが、証拠隠滅のために不幸な事故として、主諸共こちらも消される危険性だってある。どちらにしても、このままにしておく訳にはいかない。

 

 ならば、当初の予定通りに主を殺し、その隙に逃げ出そうか? この三年間で黒歌は逃げ出すための準備をしながら、虎視眈々と主の隙を狙い続けていた。しかし、ナベリウス家の裏にネビロス家がいるのなら、白音を連れた逃走は相当困難な事が予想されてしまった。おそらくだが、ネビロス家なら黒歌の主の身に何かあったら、すぐに研究データを抹消できるように何かしらの処置を行っていたとしてもおかしくない。実際、原作で黒歌が白音を連れ出せなかったのも、『あまりにも早すぎる』応援の存在が、その行く手を阻んだのではないかと思われる。

 

 皇帝への助けが駄目なら、ここから逃げ出せばいい。それは、黒歌の中にあった一つの希望の光だった。自分の力なら、あの主を出し抜いて白音を連れて逃げ出すことぐらい出来るはずだ、とある意味で『楽観的に』考えていた。その後の心配は当然あるが、それでもそこで(つまづ)くことになる可能性など全く度外視していたのだ。今は真実を知ってしまった事で、黒歌が持っていた希望は暗く濁ってしまったが。

 

「……っ、…ぅ……」

 

 一人の少年によるやらかしが、皇帝ベリアルを動かし、文字通りの嵐を冥界へ起こした。その影響は、冥界含め様々なところへ飛び火していったのだ。妹が願う温かな夢を知り、立ち向かうことを選んだ黒猫は頼りなげに顔を膝にうずめる。両親の業に立ち向かうと、妹の願いのために戦うと決めたはずの決意はまだ胸に残っている。それでも、今だけは誰にもこんな情けない自分の姿は見られたくなかった。

 

 彼女は、ずっと一人の力で生きてきた。幼い妹を護るために、自分の意思で戦ってきた。それしか自分には残っていなかったから。唯一の家族だった母を失い、主は自分を助けてくれる存在ではなく、気づけば黒歌の周りには頼れる相手は誰もいなくなっていた。助けを求めたって、結局誰も手を差し伸べてはくれなかった。

 

 母を失った時も。悪魔に選択肢を迫られた時も。そして、今も……。だから、黒歌の心の悲鳴が声になることはなかった。戦うことも、逃走することも絶望的な状況で、彼女はもう泣くことさえ忘れてしまっていた。迷い猫のようにぐるぐるとまとまらない思考に、黒歌は『力』のない自身の至らなさに悔しさから床に拳を打ち付ける。どれだけの『暴力』を持っても、妹一人護ることが出来ない無力感に黒歌は目を伏せた。

 

 

 それから傷つけた拳を妹に心配させないように仙術で治療し、黒歌は白音が寝入っているだろう部屋へとそっと帰ってきた。まだすやすやと眠る白音の白髪を優しく撫で、これからどうしようかと考えに耽る。黒歌は薄暗い空がさらにだんだんと暗くなっていく様子を窓から眺めながら、叩き付けられる雨粒をしばらく眺めていた。

 

 とりあえず、こっそりと皇帝にファンレターとして手紙を送って、事実を伝えてみようか。でも、人工超越者やらネビロス家やら都市伝説のような情報を果たして信じてくれるのだろうか。むしろ、悪戯だと思われても仕方がない。それに真実を書いて、万が一それをネビロス家の者に知られたらまずい。やはり、直接黒歌の口から伝えるのが確実だろう。

 

「でも、どうやって皇帝に伝えればいいの? ナベリウス家の街までならなんとか抜けられるけど、主に黙って別の領地へ出て行くのは不可能だわ。皇帝がこっちに来たら、大騒ぎになるだろうし…」

 

 この時の黒歌は、かなりの混乱状態で疲労がピークに達していた。ネビロス家に気づかれないように全力で仙術を行使して気配を絶ち続け、さらに一人の女性が抱えるには重すぎる真実に潰されかけていた。つまり、もう正直言って頭が全く回っていない状態だったのだ。それでもなんとか皇帝へ伝えないといけない、と筆を取った彼女の手紙はあまりに簡潔な内容になってしまった。

 

 しかし、その内容こそが皇帝ベリアルにとって最もクリティカルヒットする内容だった。

 

 

『皇帝へ――お願い、妹を助けて』

 

 

 シスコンが、起動した。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。