えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百三十一話 予感

 

 

 

「ごきげんよう、ディハウザー。珍しいね、キミの方からこっちへ連絡を入れてくるなんて」

「ごきげんよう、リュディガー殿。確かにそちらから相談されることの方が、普段は多いですからね」

「ははっ。それに関しては、いつも助かっているよ」

 

 長らく降り続けていた曇天の空がようやく過ぎ去り、薄暗い雲に覆われたいつもの冥界の気候に落ち着いた頃。皇帝ディハウザー・ベリアルは、魔方陣の通信で声をかけた銀色の魔術師と朗らかに挨拶を交わす。冥界全土を巻き込んだレーティングゲームのストライキから三年。旗頭とその参謀としてタッグを組む事が増えた二人は、プライベートも含めて交友を深めてきた。今では家族ぐるみで関わりを持ち、二歳になるリーベ・ローゼンクロイツからも「こぉーてっ!」と親しまれているほどだ。

 

 ベリアル家は過去の貧困の歴史から親戚一同が本家で暮らし、一族のみんなで子どもを育ててきた。そのため、ディハウザーも当然ベリアル家で生まれた子どもの育児を当たり前のように行ってきている。悪魔の出生率が低い関係で、専門の職にでも就いていなければ育児経験が豊富な者はあまりいない。しかし、ディハウザーはその特異な家系のおかげか、リュディガーが知る中では最も子どもに対する接し方が上手かった。彼が子どもからの人気が高いのは皇帝という地位だけでなく、そのあたりもあるのだろう。

 

 リーベ・ローゼンクロイツの持つ神器症の病のこともあるが、育児初心者の父親であるリュディガーにとって、皇帝との関係は非常にありがたいものだった。そのため皇帝が笑みを浮かべながら話す通り、普段ならリュディガーの方からディハウザーへ育児の心得を相談することの方が多かっただろう。しかし、今回はディハウザーからリュディガーに気になることがある、と相談を受けていた。

 

「……すまない、わざわざ呼び出してしまって」

「なに、構わないさ。それで?」

「キミからすれば、私の行動を大げさだと捉えるかもしれないが、……とりあえずこれを見て欲しい」

 

 ディハウザーは、リュディガーへ白い一通の封筒を手渡す。飾りっ気のない、シンプルな手紙だ。魔術師はそれに目を細めると慎重に封筒の封を開け、そこに入っていた便箋に目を通し、――思わず目を瞬かせた。あまり己の感情を表に出さないように意識をしている彼でも、さすがに予想外の内容だった。

 

「なんだこれは、たった一文しかないじゃないか。『妹を助けて』だけなのか?」

「あぁ、私宛のファンレターの中にあったみたいでね。マネージャーが念のために報告に来てくれたんだ」

「……ディハウザー、まさかと思うが」

「……呆れられるのはわかっていたが、放っておけないだろう。こうして助けを求める声を」

 

 本来ならファンレターに書く内容ではなく、イタズラの類いと思われてもおかしくない手紙。ファンへのサービスを大切にする皇帝じゃなければ、そもそも読まれもしなかっただろう内容だ。だいたい接点すらない、ゲームのチャンピオンに助けを求める方がおかしい。本当に助けて欲しいのならこんな不確実な方法ではなく、政府や衛兵へ伝えるのが普通だろう。もっとも、そんな怪しい手紙をわざわざ読んで真摯に応えたいと考える皇帝本人もおかしいのだが。いつもの彼なら無視はしないだろうが、せめて衛兵などに知らせるぐらいの対応だっただろう。

 

 しかし、三年前の事件の裏を知っているリュディガーは、皇帝の考えを理解できてしまうが故に、溜息を吐いて眉間を指で揉む。この手紙の主が皇帝の『厄介なところ』をわかって書いたとは思わないが、偶然にも琴線に触れる内容を的確に書いてしまった。誰が想像するだろうか、三年前に冥界を大混乱へ陥れたディハウザー・ベリアルの本当の目的が、たった一人の大切な妹を救うためだったなんて。この男は、妹のためなら文字通り世界すら敵に回しかねないシスコンなのだから。思わず、遠い目になってしまった。

 

 ひっそりと届けられた手紙からは、よほど切羽詰まった状況だったのか、必要最低限すぎる内容しかない。このような方法から推察するに、周りに頼れる者はおらず、秘密裏に皇帝へSOSを届けたのだろう。政府や衛兵に助けを求められなかったのも、彼らでは手の打ちようがない相手である可能性もある。そんな面倒事を予感させる想定を頭の中で思い浮かべながら、リュディガーは疲れたように肩を竦めた。

 

「それで、私がここに呼ばれた訳は…」

「あぁ。情報通であるリュディガー殿なら、その送り主について何か知っているのではないかと思ったんだ」

「私が?」

「その送り主は、レーティングゲームのプレイヤーだと思うんだ。特徴的な名前というか、珍しい技術を使う女性だったから記憶にあった。封筒には『白音』という名前で書かれていたが、手紙の方には違う名前が書かれていた」

 

 ディハウザーの話を聞き、リュディガーは改めて簡潔な手紙にもう一度目を通すと、だいぶ下の方に確かに名前が書かれていた。『ナベリウス家の僧侶』の『黒歌』という名前が。それにリュディガーの眼差しが驚愕に見開く。彼の頭の中でナベリウス家の眷属の情報が思い返され、そこから必要な情報だけを記憶の河から引き揚げていく。それと同時に『とある事実』についても頭を過ぎり、彼にしては珍しいぐらい渋面を作った。

 

「ナベリウス眷属の黒歌。元は珍しい猫魈(ねこしょう)という種族であり、特異な仙術を扱うウィザードタイプのプレイヤー。性格は好戦的で気まぐれな野良猫のような女性で、ゲームでは基本ソロで相手を撃破している。そして、『白音』という名前の妹がいることも確かだ」

「つまり『黒歌』が姉で、その『白音』という子が、彼女の妹という訳だね」

 

 おそらく封筒に妹の名前を使ったのは、万が一ナベリウス家の関係者に見られた時、黒歌が皇帝にファンレターを送るのは不自然だと思われると危惧したのだろう。妹である『白音』が書いたファンレターだと思わせて、自分の要望を手紙に記し、皇帝の下へと送ったのだと考察する。プレイヤー名『黒歌』は、確かにナベリウス眷属の僧侶として実在した。だが、これを書いたのが本人だという証拠は何もないに等しい。

 

「……この手紙だけで、本人だという証拠はない。だから、リュディガー殿に彼女の情報を聞きたかったんだ」

「なるほど…。一応ではあるが、彼女が書いた可能性という証拠ならある」

「証拠が?」

「封筒に使われた『白音』という名前は、確かに彼女の妹として実在する。しかし、彼女は妹の存在を表へ(おおやけ)にしていない。この名前を知る者自体、ナベリウス家の内情に詳しい証拠になる」

 

 しげしげと手紙を眺めながら、リュディガーは相変わらず難しい顔で唸る。黒歌本人の意向で、彼女のプロフィールはほとんど表側へ晒されていない。ナベリウス家の主も、白音が黒歌の明確な弱点だとわかっているため、彼女を表へ出すことを嫌った。万が一、白音に親しい者が出来て逃げられたら困るとでも思ったのだろう。主は白音を自分の眷属にしようとずっと考えていたのだから。

 

 皇帝は封筒に使われた『白音』が何者なのかがわかり、納得がいったように頷く。彼女の強さや技術に目を向けることはあったが、そこまで詳しい内情はわからなかった。さすがはリュディガーだとも思ったが、同時によく隠されているはずの他プレイヤーの家族関係まで把握しているものだと感心する。そんなディハウザーの様子に、リュディガーは溜息を吐きながら肩を落とした。

 

 

「先に言っておくが、私がそのナベリウス家の内情に詳しいのは別の理由があったからだ」

「……別の理由?」

「ゲームの改革のためにね。あそこは黒に近い灰色。……この数年、私が黒である証拠を掴むために水面下でずっと探っていた家だ」

 

 ゲームの改革のためにこの三年間、ディハウザーとリュディガーは運営と癒着し過ぎていたプレイヤーの摘発を行っていた。証拠を隠蔽しようと護りを固める古き悪魔達が、今後攻勢に出るために必要な剣をもぎ取り続けたのだ。その一つに、ナベリウス家の名前があった。彼らはストライキを行う三年前まで、不自然な眷属の様子が窺えたのだが、今では大人しくなってしまい、一切の不自然が表へ出なくなってしまったのだ。

 

 それに随分慎重だと感心したと同時に、リュディガーはナベリウス家の後ろに『何かが』いる可能性を考えた。彼はあのナベリウス家の『(キング)』に、そんな器用な真似ができるように思えなかったからだ。それなら彼を操り、行動へ助言ができる『何者かがいる』と推察した。しかしそんな疑念を解消しようと調べても、自分の情報網に引っかかりさえしない。自分の情報網の厚さを知っているリュディガーは、さすがにここまで調べても『黒』が出ないプレイヤーを調べ続けるのは、ただの徒労になる可能性だって考えた。

 

 ここまでくれば、ナベリウス家に『裏』などなく、ただ単に皇帝の改革にビビって本当にもう大人しくなっただけかもしれないと思うだろう。しかし、リュディガーはそうは思えなかった。自分の情報網にさえ全く引っかからない『裏』が潜んでいる可能性。もしそうなら、それはあまりに『大物』すぎる。ゲームのトッププレイヤーとして時間が限られている中、なかなか踏み込むことができなかった家。それこそが、ナベリウス家だったのだ。

 

 

「もっとも、私がこの家に目をつけたきっかけは、あの子の『お願い』が原因だったけどね」

「あの子って、……もしかしてカナタくんのことかい?」

「あぁ、確かリーベのお見舞いに来た時、研究用に保存していたレーティングゲームの動画を鑑賞しながら戦術の勉強をしていた時かな。とある試合を眺めていた彼が言ったんだよ。『このチームから嫌な予感がするから、調べて欲しい』と」

 

 そのレーティングゲームに映っていた試合こそが、ナベリウス家とのゲームだったのだ。奏太はそこに登場した『黒歌』を見つけてしまい、けれど原作知識を他者へ話すことが出来ず、とっさに傍にいたリュディガーへ彼女のチームについて聞いたのだ。この時の彼は、姫島家の対応に追われており、さらに冥界の問題に他組織の人間である自分が関わるのは難しいと思い、皇帝達を頼ることにしたのだ。

 

 彼女が主を殺してしまうのは、まだ数年先。奏太は黒歌の主が『何かを』研究していたのは知っていたが、それが何かは知らない。それでも、何かしら危険があったのは覚えていた。それなら、皇帝達の改革で彼女達を助けられないかと期待したのだ。それでも、彼が伝えられたのは『嫌な予感がする』という漠然としたもの。奏太自身もこんな曖昧な感覚でしか伝えられないことに、リュディガーへ申し訳なさそうにしていた。

 

 だが、この数年で奏太のやらかしに強制的に鍛えられてしまった大人たちにとっては、只事ではなかった。

 

「……よりにもよって、カナタくんの『嫌な予感』か」

「あぁ、あの子の『嫌な予感』だ」

「百発百中だったよね、確か」

「フェレス会長曰く、彼がそう言った時は『最悪を想定して動くことが基本』だと疲れたように溜息を吐かれていたよ」

 

 最古参の悪魔のハイライトを消すレベルの事態。奏太の保護者であるメフィスト・フェレスが、彼を保護しているこの四年間で学んだこと。奏太にとってみれば、原作で実際に起こった事であり、相棒である『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』が送る思念に従っただけのこと。しかし、それを傍から見せられ続けた大人たちにとってみれば、彼が行動を起こす時はだいたい『大きな事件が起きる』とインプットされていた。温度差がひどい。

 

 初対面のクレーリアと正臣に出会った時も、本来ならそれで切れるはずだった縁を、奏太が『嫌な予感がしたから』と残ることを選んだおかげで、悪魔と教会が粛清に動いているという証拠を掴むことが出来た。紫藤トウジがクレーリアを攫う前にも、『嫌な予感がしたから』とベリアル眷属達へ警告をとばし、すぐに救出のための行動に移した。正臣が紫藤トウジの罠に嵌まった時も、その感覚に従って助勢に動いていた。そのどれもが、些細なきっかけから導き出された予感であり、彼が行動に移さなかったら『最悪』の事態に陥っていてもおかしくなかっただろう。

 

 倉本奏太という少年の行動力に目が行きがちだが、普段は周りとの歩調を気にして慎重に行動しようとする性格だ。つまり彼が活発に行動力を発揮する時は、それだけの事態が起こる可能性があるということ。それも下手をすれば、世界に影響を与えかねないレベルで。そのことを伝え聞いていたリュディガーは、奏太が告げたナベリウス家の件を蔑ろにするのはまずいと考えたのだ。

 

 こちらがいくら調べても尻尾を掴むことが出来ない家。もし奏太の予感がなければ、おそらくリュディガーは『灰色に近いが白か』と判断しただろう。だが奏太の予感を告げられた瞬間から、彼の中ですでにナベリウス家は『黒』だと考えて動いた方がいいと判断している。『番狂わせの魔術師(アプセッティング・ソーサラー)』ですら掴めない闇。『最悪を想定する』のなら、それぐらいの敵がいてもおかしくないだろう。

 

「そんな家の僧侶からの救援の手紙だ。これが本人のものなら、おそらく事態は限りなく……『最悪』に傾き出しているのだろう」

「カナタくんが関わっているのなら、……またとんでもない真実が出てきたりするのだろうか」

「もしかしたら、また冥界が傾くようなものが出てくるかもしれないね…」

 

 冗談のように乾いた笑みを浮かべ合う二人だが、残念なことに実績がありすぎる人間の子どものやらかしを知るが故に遠い目になるしかない。ドラゴンの王様である魔龍聖タンニーンから「お前は頼むから大人しくしていてくれ」と懇願される始末だ。現在人間界でのんびり過ごしているだろう元凶は、次元を超えた冥界で魔王級複数のハイライトを一瞬で消していた。

 

 

「……とりあえず、まずはこれが本人のものなのかの確認が必要だね」

「そうだな。しかし、最悪の事態を想定するのなら、おそらくもう時間はない」

「なら、戦力は揃えておくべきか…。だけど、私たちが動けば目立つ。それで敵に逃げられてはまずいだろう」

「これだけ慎重な敵だ。こちらが本格的に介入する素振りに気づかれたら、すぐに姿を隠すだろう。それにもしかしたら、私が陰で探っていたことにも気づかれている可能性もある。私の手を使うのも危険か…」

 

 たった一通の手紙がもたらした危険に、彼らは意識を切り替えて、各々が考える『最悪』を想定していく。

 

「……リュディガー殿。そもそもの話、これは私達で解決できそうな案件なのだろうか?」

「……もし本当に『最悪』なら、私の情報網でも掴めないような真正の『闇』が相手だろうな」

「ナベリウス家を調べるにしても、私たちは突き詰めればただのゲームのプレイヤーだ。改革を行っているとはいえ、理由もなく他家の事情に深入りするのは許されない」

「他家の事情に介入するにしても、その手紙とカナタくんの予感だけを証拠にするのは難しい。本来なら、とても信じられないだろうからね」

 

 今回はたまたまリュディガーがナベリウス家に不信を抱いていたことと、彼らがよく知る少年のやらかしを理解していたが故の納得なのだ。普通なら人間の子どもの『嫌な予感がする』というたった一言を、信用している自分達の方が疑われても仕方がないことだろう。いくら魔王級の『暴力』を持っているとしても、それを好き勝手に振るって解決できるものでは決してない。……ならば、それ以外の『力』を振るえばいいだけだ。

 

「つまり、逆に言えば私達と同様の感覚を共感できる相手がいれば、協力は出来るという訳だね」

「……ちょっと待て、ディハウザー。その魔方陣は――」

「『最悪』を想定するなら、どんな事態になっても対応できる『暴力』と『権力』は必須だ。そうは思わないか、リュディガー殿?」

 

 皇帝はニッコリと笑みを浮かべて、三枚の赤・青・緑の魔方陣が描かれた通信用のカードを手に持つ。それを見たリュディガーの頬は盛大に引き攣り、「この男本気かッ!?」と言葉を失う。だが、確かにその内の一人は倉本奏太の師匠であるため、ディハウザー達が感じている感覚を共感できる。さらに残り二人については、そもそも皇帝と親密になった最大の理由である『性癖』が関係しているのだ。ディハウザーが今回の件に乗り気になった一番の原因を考えれば、ちょっと眩暈さえしてきた。

 

 こうして、妹を救われた過去を持つ皇帝は、同じように妹を助けて欲しいと願う者のために『最悪』を乗り越えるべく自分が持つ手札を遠慮なく切ったのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「私って、本当にばかにゃ…」

 

 はぁ…、と口から出た特大の溜息を吐きながら、黒歌は意気消沈した気分を隠すことなく自己嫌悪に陥っていた。自分が知った真実を直視できず、それによる混乱を起こしたまま衝動的に書いてしまった手紙。冷静になった頃には、なんてことを書いてしまったんだ! と頭を抱えるしかない。あんな内容、どう考えてもイタズラで書いたとしか思われないではないか。そもそも皇帝の目に届くのかさえ怪しいし、届いても衛兵に連絡されて主に連絡がいく可能性だってある。もう最悪の気分だった。

 

 猫としての体質故か、あまり雨の日に外出したいとは思えなかった。そのため、長らく続いた雨期が過ぎ去り、ようやく外に出られた黒歌は、ふらりと野良猫のようにナベリウス家の領地を歩いていく。主や眷属の前では常に緊張の糸を張り詰め、さらに妹の前では弱さを見せられない黒歌にとって、一人でぼんやりと過ごす散歩は唯一の息抜きの時間だった。ふらふらと当てもなく歩き回り、そこで見つけた玩具やお菓子を妹に買っていく。それが彼女なりの日課の一つだった。

 

「……妹を助けてか。本当に何を書いているんだろう、私…」

 

 手紙に書いた内容を思い出し、ひっそりと自嘲気味に嗤う。まさかこんな捻くれた自分から、誰かに助けを求めるような言葉が出せるとは思わなかった。これまで誰も救いの手を伸ばしてくれなかったことを、自分が誰よりもわかっていたはずだろうに。だから黒歌は『自分を助けて』とは混乱の中にあっても、決して書こうとは思わなかった。自分が救われることなんて、全く信じられなかったから。

 

 それでもせめて、妹だけでも助けて欲しいと願ってしまった。だけどその希望は、自分の失敗の所為で無為にしてしまったのだ。もう一度皇帝へ送るにしても、今回のやらかしの所為で次もイタズラだと思われるかもしれない。それに白音の名前を使うとしても、そう何度も皇帝へ手紙を届けていたら、周りへ気づかれる可能性だってある。袋小路のように狭まっていく思考にどんどん気分が下降していくのを振り払うように、黒猫は無言で街を歩いて行った。

 

「あれ…?」

 

 そうして無心になって歩いていたが、ふと気づくと大通りのあたりへ足が進んでいたらしい。裏路地のあたりを歩いていたはずなのに、何故か『無意識に』こちらへと向かってしまっていたようだ。それに少し首を傾げるも、今日はあんまり賑やかな街を歩く気分じゃない。そう思って(きびす)を返そうとした黒歌だったが、振り返ろうとした先で仮面をつけた怪しげな男と目が合い、思わず立ち止まってしまった。

 

 

「おや、ちょうどいいところに華やかなお嬢さんがいらっしゃった。そこのお嬢さん、よかったら少しお手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか?」

「……それ、もしかして私に言っているの?」

「えぇ、もちろん」

「悪いけど、そんな気分じゃないわ。他を当たって――」

 

 自分でもかなり不機嫌な声音で返事をしただろう、と黒歌は思う。もともと機嫌が悪い中で、見知らぬ怪しい男の手伝いなど断るに決まっている。それに気分が更に下降した原因に、目の前に来るまでこの男の気配を読めなかった自分の腑抜け具合に苛立っていた。故にさっさと帰ろうとした黒歌だったが、不意に仮面越しに見えた暗緑色の瞳と目が合ったことで、その動きを止める。

 

 ――違う。こいつ、たぶん一般の悪魔じゃない。仙術を扱う黒歌は、相手の持つオーラからその力量を量ることができる。だからこそ、違和感を持った。だいぶ抑えられているため気づくのに遅れたが、その洗練された魔力とオーラをコントロールする技術は誤魔化せない。相手の力量を瞬時に感じ取った途端、一気に警戒心をむき出しにした黒猫へ仮面の男は感心したように笑みを浮かべた。

 

「そう、警戒しないでほしいね」

「そんな胡散臭い仮面をつけたまま言われてもね」

「私は謎の敏腕マネージャーであり、ナレーション役だからね。この仮面は一種の役作りのためだよ」

「はぁ?」

 

 姿だけでなく、言動も怪しさ満点である。銀色の髪を後ろで一つにまとめ、仮面越しだが整った顔立ちが窺えるが、やはり怪しさしか感じない。面倒事に巻き込まれる前にこれはさっさと逃げるべきか、と思案し出した黒歌の様子を悟ったのか、男はやれやれと肩を竦めると懐からスッと一通の手紙を取り出す。それを目にした黒歌は目を大きく見開き、男に食って掛かるように一歩前に足を踏み出した。

 

「それッ――!!」

「シッ……、ここで問答をしていては不自然でしょう。少しの間で構いません。こちらの用事に付き合ってもらえませんか?」

「……それを済ませたら、答えてくれるってこと?」

「えぇ、お約束しましょう」

 

 黒歌が目にしたのは、指に挟むように見せられた白い手紙。遠目ではあったが、アレは間違いなく黒歌が皇帝へ送った筈のもの。それを手に持つ男へ最大限の警戒心をむき出しにするが、それをどこ吹く風のように受け流す仮面の男へ憎々し気に睨みつける。皇帝へ届けたはずの手紙を、何故この男は持っているのか。髪色や体格から、彼が皇帝ではないのはわかる。まさかネビロス側にバレたのかとも考えたが、それにしてはこちらへの敵意を感じない。

 

 不安や疑心がない訳ではないが、ここで立ち止まっていても仕方がないのは事実。黒歌は意を決して、仮面の男の後についていく選択を選んだ。それに意味深な笑みを浮かべた男は、大通りの中央へと彼女を誘導していく。手伝いと言われたが、こんな人通りが多いところに呼び出すなんて、いったい何を考えているのかと黒歌は訝しく思いながらも無言で後を追っていく。さらに混雑していく人込みに眉を顰めながら、ようやくたどり着いた目的地の先で、――彼女は石のように固まった。

 

 

「ふははははっ! そこまでだ、『ナリキン怪獣アバァードン』よ! この冥界の平和は、我々がいる限り必ず守ってみせる!」

「来たな、戦隊ヒーローどもよ! というより、ナリキン怪獣アバァードンとはなんだ!? この私にこんな格好をさせおって、本気で覚悟したまえよッ!!」

「ヒーロー役なんてごめんだって、言ったのはあなたの方じゃない。悪役に文句を言わないでよ」

 

 それから彼女が目にしたのは、簡易的に作られたにしてはしっかりとしたステージや照明セット。謎の派手な爆発とカラフルな煙が吹き上がり、子ども達の元気に応援する姿も見える。仮面の男と似たような仮面を被り、特撮衣装みたいなものを装着した五人の男女と、金色の怪獣の被り物を被りながらキレる男が相対している。目を点にして呆然とした黒歌は、恐る恐る先ほどの仮面の男へ視線を向ける。目が合うと、また意味深な笑顔が向けられた。思わず、一歩足が下がった。

 

「あっ、ナレーター! ようやく帰ってきたのね!」

「えぇ、ちゃんと連れてきましたよ」

「えっ、ちょっと嘘でしょ?」

 

 すると、青色の戦隊ヒーローがこちらに気づいたようで、ぴょんぴょんと跳ねながら手を振ってくる。やっぱり逃げようと思った頃には、ガッシリと黒歌の腕はナレーターに掴まれ、ズルズルとステージへと連れて行かれた。それから有無も言わさずにポイっと軽くナリキン怪獣アバァードンの前に放り込まれてしまい、あまりの事態に放心するしかない。何の説明もなく、いきなりステージにあげられてしまった。アバァードンも突然のことに挙動不審になっていた。

 

「さて、マイクに電源を入れて――『これは、なんということでしょうっ!? 冥界を混乱へと陥れようとしていたナリキン怪獣アバァードン! その前に現れた戦隊ヒーロー達へ向けて、卑怯にもアバァードンは人質を取ったようです! なんと卑劣で卑怯で傲慢かつ利己的な性格なんだ、ナリキン怪獣アバァードンッ!!』

『アバァードン、サイテー!!』

「貴様、ロー…――ナレータァァァッーー!!」

 

 ナレーター役の丁寧な状況説明に、子ども達も一緒になってヤジを飛ばしていく。いきなり人質役が放り込まれたアドリブだらけの劇に、アバァードンのツッコミが冴えわたる。

 

「貴様、アバァードン! どこまで卑劣で卑怯で傲慢かつ利己的なんだ!!」

「いや、貴殿達も見ていただろっ! 普通に人質を投げ込んだぞ、あの鬼畜ナレーター! あと、もうそれはただの悪口であろうがッ!!」

『ナリキン怪獣アバァードン、早く人質を拾いなさい。先に進まないでしょう』

『アバァードン、早くしろー!!』

「これは私が悪いのかッ!?」

 

 金色の怪獣が地団太を踏んで叫ぶが、ナレーターはさっさと回せと指示をするのみ。戦隊ヒーロー達も、カッコよくポージングを決めるだけで役に立たない。アバァードンは本当にしぶしぶ投げ入れられた黒歌を着ぐるみの腕で立たせ、人質っぽく構えてみせる。訳の分からなさと怪獣への憐憫を籠めて、黒歌は死んだ目で状況に任せることにした。

 

「さて平和を脅かす怪獣よ、人質の女性が増えたから改めて名乗ろう。我らはまお……ではなく、魔界戦隊シスコンレンジャー! 私はシスコンレッド! 今度家に帰ったら、可愛い妹と寝んねする約束をした元気いっぱいのお兄ちゃんだっ!」

「同じく、シスコンブルーよ☆ 私だって今度家に帰ったら、可愛い妹がピアノの発表会で演奏する曲を一緒に練習する約束をした素敵なお姉ちゃんよ!」

「シスコンイエロー! 私も今度、従姉妹()の家へ遊びに行った時、お兄様の好きなお菓子を手作りして待っていますと約束をしてもらった兄だ。今から楽しみ過ぎて仕方がない」

「何でこんなにシスコン(真正)が一堂に集まるんだ」

 

 着ぐるみ越しなのに、怪獣の目が遠い。レッドはババッと何度もポージングを決め、ブルーは何故か可愛らしいステッキを持ってクルクルと回り、イエローは近くの子ども達へ朗らかに手を振っている。こいつら、自由すぎる。ちなみに心の中で黒歌も「私も妹とゴロゴロ過ごすもん」と思ったが、そこは口に出さなかった。

 

「ねぇ、ちょっと皇……シスコンイエロー。私、別にシスコンでもないし、妹もいないんだけど」

「むっ」

 

 そこにピンク色の特撮衣装を着た女性に話しかけられ、シスコンイエローも困ったように顎に手を当てる。確かに妹がいないのに、それでシスコンレンジャーを名乗るのはカッコがつかないだろう。ようやくまともなのが来てくれたかとナリキン怪獣アバァードンも、ホッと息を吐いた。さすがは三年間、皇帝の無茶ぶりに付き合ってきた双璧の一人だろう。

 

「あっ、でも似たような感じでいいならショタコンではあるから、それで名乗るのはいいのかしら?」

『許可します』

「わかったわ。私はショタコンピンク! この会場に集まった十代から二十代までの可愛らしいボーイ達! あとでお姉さんと一緒に良いことをし・て・み・な・い?」

「貴殿が一番自重しろォォォッーー!!」

 

 腰をくねらせて、仮面越しであるはずなのにハート模様のウインクが飛んだような幻覚さえ見えた。小さな男の子たちが集まるヒーローショーで、一番出しちゃいけない性癖持ちを表に出してしまった。レーティングゲームのランキング2位は、無類の年下好きという性癖を持っている。さすがは悪魔であった。

 

 そして最後に残った緑色の戦隊ヒーローは、無言で前に出るとスッと片手を上げる。これまでの流れから今度は何が飛び出してくるんだ!? と咄嗟に身構えたアバァードン。その空気にゴクリッ、と会場でも唾を呑み込む音が響く。そんな空気の中、グリーンはマイペースに手身近な自己紹介を行った。

 

「ゲーム大好きグリーン」

「統一性無視ッ!?」

 

 もはやただの好きなものを紹介するだけの名乗りに、戦隊ヒーロー達のゴーイングマイウェイっぷりが窺えた。

 

 

『さぁ、戦隊ヒーローと怪獣の戦いが始まります。ヒーロー達は無事に人質を救い出し、ナリキン怪獣アバァードンをやっつけることが出来るのかっ!?』

『頑張れェェー、ヒーロー!』

 

 ナレーターによるノリノリの実況を挿みながら、ナベリウス領で始まったヒーローショー。アバァードンが鬱憤を晴らすついでに、会場に被害がいかないぐらいに威力を抑えた魔力で結構容赦なく攻撃するのだが、戦隊ヒーロー達は危なげなく避けていく。無駄に実力を発揮するヒーロー達に、会場は大盛り上がりだ。ナレーターの的確な煽りで、怪獣のテンションも上がっていく。

 

 そんな光景を見ながら、改めて黒歌は「私、何でここにいるんだろう…」と諦観の眼差しで成り行きを見ていた。怪しい男についていった自分がバカだった、と頭痛のしてきた頭に手を当てる。気づいたら訳のわからないナリキン怪獣の人質にされて、助けを求める立場にされていたのだ。こんな自分には、あまりにも『似合わない役柄』だと失笑が浮かんでしまう。

 

 これはただのお芝居だとわかっている。自分に助けなんて来るわけがないと理解している。そうやって諦めを浮かべる黒歌の眼差しを見て、シスコンイエローはさらに前へ足を踏み出す。過剰な魔力の嵐の中、それでも一歩ずつ前へと進んでいく。他のヒーロー達は、それを補佐するように動き出していた。

 

「ふははははっ! こっちには人質がいることを忘れたかッ!?」

「――ッ!!」

 

 シスコンイエローが近づいて来たことを察知した怪獣に腕を突然引っ張られ、散漫気味だった黒歌はつんのめる様に前を向いてしまう。そして、俯いていた視線があがったことで、初めてしっかりと戦隊ヒーロー達と目を合わせた。仮面越しではあったが、その精悍で真っ直ぐな目を見てしまう。こんなお芝居で、という感情が霧散してしまうほどに力強い意志を感じる瞳だった。

 

「心配しなくても大丈夫だ。必ずキミを、キミの大切なヒトも含めて、全てを助けてみせる!」

「そんなの、無理で…」

「救うッ! なぜなら私は、冥界のヒーローになると誓ったのだからっ!」

 

 芝居だってわかっている、はずだった。それなのに、あり得ないはずなのに、まるで全てを見透かしたように告げられた言葉が、黒歌の中へとゆっくり入ってくる。あまりにも強大な黒幕の存在を知ってしまった事で、止まることも、逃げることも、戦うこともできなくなり、彼女にあった選択肢の全てが塗り潰された。そして微かな希望に縋って、必死な思いで助けを求めたが、それも諦めるしかなかったはずだった。

 

「だから、手を伸ばすんだッ!」

 

 ナリキン怪獣アバァードンの魔力の嵐を受け流しながら、シスコンイエローは黒歌へと手を伸ばしてくる。物理的に距離があるため、この場で黒歌が手を伸ばしたって届く訳がないのに。それでも、手を伸ばせと言ってくる。もう無茶苦茶にゃ、と内心思いながらも、黒歌は気づいたらプッと小さく噴き出していた。なんだかあまりにも必死なヒーローの呼びかけに、ぐちゃぐちゃに考えていた自分の方がアホらしく思えてきたのだ。

 

 だから、黒歌は考えるのをやめた。元々難しいことを悩むのは、性に合わないのだ。力を振るうことが好きで、天邪鬼で隠し事ばっかりで、気まぐれな野良猫。それが黒歌という一人の女性なのだから。

 

「……救ってくれるって言うなら、救ってみなさいよ。私の大切なものを全部ね」

「もちろんだ」

 

 お互いに真っ直ぐに目を合わせて告げ合った思い。それは魔力の雨嵐の中であったため、正確に聞きとれたのはステージの上にいる者達だけだっただろう。そうして黒歌は、シスコンイエローから言われた通りにゆっくりと手を伸ばしていき――

 

 

「えっ? ――ゴバァッ!?」

 

 そのまま、ナリキン怪獣アバァードンの顎に掌底(仙術込み)をぶちかました。

 

「さっきから思っていたけど、いつまで私の腕を掴んでいるつもりよ」

『おっーと、ここで人質が自ら脱出するっ! どうやらヒーロー達から送られた正義のパワーの影響を受け、突如覚醒したようです』

「そんな展開アリかッ!?」

 

 黒歌はさっさと脱出すると、ひらりとステージの隅へと逃げ込む。さすがにこれ以上、ショーに晒され続けるのはごめんだった。人質が突然逃げ出すという超展開をナレーターはあっさりとスルーし、そのままアドリブで続けていく。容赦がない。仙術の籠められた拳を直撃され、素でプルプルする怪獣のツッコミだけが空しく響き渡った。

 

『さぁ、チャンスです。人質を失い、ナリキン怪獣アバァードンが動けない今こそ、ヒーロー達による全力全開の総攻撃です!』

「おい待て、鬼畜ナレーター。総攻撃って、最低で魔王クラスなあの五人組の攻撃なんて受けきれる訳が……。あと全力も何も、当然振りで――」

 

 ナリキン怪獣アバァードンは、恐る恐るヒーロー達へ視線を移す。彼の目に映るのは、本来の彼らの実力である魔王級三人と超越者二人。明らかにオーバーキルというか、今更だけど魔王級や超越者をよくこんなにも集められたな、という感想。というより、三名しかいないはずの超越者が二名もここで戦隊ヒーローをしていることに、真面目に頭痛がしてきた。

 

 だが、彼らだって冥界の悪魔達を導き、上に立つ為政者とプロ。さすがに空気を読んでくれるだろう。読んでくれないと、本気でヤバい。そう信じて、アバァードンは悪魔とか関係なく祈るように、ゆっくりと顔をステージへ向けた。

 

「任せろ、我々のシスコンという絆で結ばれた力を見せてみせよう! 皆、一斉攻撃だ!『プチ滅殺の魔だ(ルイン・ザ・エクステイン)――』」

「よーし、任せて! 『プチ零の雫と霧ゆ(セルシウス・クロス)――』」

「『小覇軍の方程し(カンカラー・フォー)――』」

「……骨はちゃんと拾うわ。『プチ金星の裂け(ペオル・ディオ)――』」

「すまない、ショーを楽しんでいる子ども達のために私は最後までヒーローでいる。『プチ無価値なる(ゲーティア・ワース)――』

 

 絶望に顔色を無くすナリキン怪獣アバァードン。離れた所でそれを見ていた黒歌は、物理的すぎる絶望に「うわぁ…」と慄く。ステージや会場に被害を出さないように神業のようなコントロールで配慮はされているようだが、もう絶望しかない。ナレーターは最高峰の魔法で結界を張り、友人達に成り行きで引っ張られてきた『ふぁるびー』と印刷されたスタッフTシャツを着た演出担当はこっそりと魔術で隠蔽を施し、子ども達は大迫力の演出に大興奮した。

 

 こうして、ナベリウス領で開催された謎のシスコン戦隊のヒーローショーは、子ども達に大盛況の中、幕を閉じたのであった。

 

 


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