えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

14 / 225
第十四話 信頼

 

 

 

 まず、魔法について俺が知っている知識をおさらいしておこう。俺の初戦がいきなり魔法使い、というのもなんだか変な気分だけど。正直悪魔や堕天使相手なら、何度か頭の中だけでなら考えたことはあった。しかし、はぐれ魔法使いと戦うことになるとは、まったく想定していなかったのだ。この世界、本当に戦うかもしれない相手に溢れすぎだろう。

 

 とりあえず、原作で知っている知識と、この世界で師匠に買ってもらった魔法の知識を記した本から、簡単なさわりだけをまとめると、魔法とは「こんなこといいな、できたらいいな」的なことを叶えるために、人の手で緻密に作られた超常現象なのだ。

 

 魔法は、『悪魔』の魔力だけでなく、『神』の起こす奇跡、または超常現象を、独自の理論、または方程式でできうる限り再現させたものらしい。すべての現象に必ず一定の法則があって、その法則に従って、計測や計算をして導き出した力が魔法だったりする。ちなみに、原作でもお馴染みとされる『魔方陣』は、独自の式をつくりあげることで、その超常現象を起こすための計算の答えのようなものなのだそうだ。頭がこんがらがるな。

 

 どっかの堕天使の幹部がアンチマジックについて研究していたけど、「魔術には、圧倒的な物理攻撃だ!」だけで、全く参考にならない。というか、確かに原作の皆さん、ほぼ魔法を力押しや独自の能力でなんとかしちゃっていましたね。一般人にとってほとんど参考にならない事例が多すぎるぞ、原作のパワータイプの方々よ。

 

 まぁ、そんなこんなで。つまり、カッコよく先ほどまで闘志を燃え上がらせていましたが、結局はこうなるという訳だ。

 

 

「はははっ、どうした? 威勢がいいのは声だけのようだね、少年」

「うっさいわ! その声しか頑張れない、いたいけな少年に向けて、魔法をぶっ放してくるやつに言われたくない!」

 

 げっ、また来たァッ!? 俺は地面を蹴って、次の路地に身を投げ出す。その瞬間、俺の後方から爆発音が聞こえ、後ろの壁の一部が黒く焦げていた。それに口元が盛大に引き攣り、汗が滝のように流れるが、俺は急いで足に力を入れ、再び走り出した。

 

 しかし、逃げても逃げても、全く表通りに出られる気配がない。物陰に隠れても、すぐに見つかってしまう。これらのことから、俺は相手からなんらかの魔術をかけられていると判断した。神器で効果を消せるかもしれないが、相棒は俺の最大の切り札だ。下手に発動させるわけにはいかない。

 

 俺の神器は「消滅」の効果があるため、どっかの「不幸だー!」と叫ぶ高校生や、魔術無効化の紅薔薇の槍を持つランサーのような対処法が思いつくが、俺には彼らと同じことができない。まず、俺の神器は俺の地力に影響される。何度か相手の魔法を見たが、どうやら数発なら問題なく消せると思念で相棒が教えてくれた。だけど、威力が上がったり、弾数が増えると途端に俺は追い込まれる。相手が本気を出していないのは、一目瞭然だしな。

 

「消し続けるにも、たぶん俺の体力が持たないだろう。ステルスもさすがに相手の視界に俺が捉えられている時に使うと、疑似気配遮断じゃ効果が薄くなるし、神器の可能性を考えて本気になるかもしれない」

 

 未だに俺をただの子どもと侮っている相手に、警戒心を芽生えさせるわけにはいかない。神器というのは、それだけ存在感があるものなのである。もし決めるのなら、一撃で仕留められる時か、逃げる隙をつくのに使うべきだ。それまでは、神器の力はぎりぎりまで隠す。ところどころ、衝撃を消滅させたり、ダッシュしたりでは、使わせてもらうぐらいだ。

 

 真正面からの戦闘は厳しい。だから、逃げる隙を窺うために、俺は全力疾走して逃げ回っていた。いきなり神器で切りかかるには、相手の戦力が未知数すぎるので却下。何より俺の勝利条件には、時間の経過もあるのだ。俺は相手に「いくぞっ!」と大声を出した後、全速力で別の路地へと逃げ出した。相手の茫然とした顔に一瞬笑ったが、当然そんな余裕はすぐになくなったのは言うまでもない。

 

 ラヴィニアさんのところに、俺が逃げる訳にはいかない。彼女が二人もはぐれ魔法使いを相手にできるかわからないし、俺というお荷物を抱えたまま二対一の戦闘などさせられないからだ。だから、せめて逃げまくって隙を窺い、そして表通りに逃げて助けを呼ぼうと考えていた。騒ぎを起こせば、協会の人が来てくれるはずだろうから。

 

 しかし、そんな俺の浅知恵を、相手はどうやら看破していたらしい。一向に裏路地から出られないあたり、何かの術に囚われているのだろう。

 

「結界か、暗示か。この場合、俺を外界に出さないための結界魔法が有力か。俺の居場所は、たぶん探知魔法だろうな」

 

 探知と暗示なら、俺自身に『魔法効果の消滅』をかければ無力化できるだろう。しかし、結界だとやっかいだ。直接槍で結界に触れないと、ここから出られそうにない。結界の奥に向かいたいが、さすがに魔法の雷が降る中、真っ直ぐに目的地に向かうのは至難の業だ。気配を消すにしても、ある程度の予測をたてて動かないと気づかれるだろう。

 

「ふむ、なかなかすばしっこいものだ。今度、追尾機能でも考えてみるかな」

「……なぁ、あんた無駄な時間を過ごすのは嫌いなんだろ。逃げまくる俺を捕まえるより、もっと有意義なことをしたらどうだ?」

「はははっ、必死だな。もちろんそれほど時間をかけるつもりはないが、この時間は俺の魔法の実験に良さそうだと思ったものでね。それに、ある程度人質が傷ついていた方が、より効果的かもしれないという考えの下だ」

「このっ……!」

 

 完全に遊んでいやがる。力のない相手に力を振るって、優越に至るってガキかよ! 俺は怒りから、足元にあった石を魔法使いに向けてブン投げた。直撃したら、間違いなく怪我をするだろう石の軌道は、やつの目の前に現れた防御魔方陣に弾きとばされる。そのままその魔方陣の文様を少し変え、また雷が俺に降り注いできた。

 

 俺は急いで身体を地面に転がし、近くにあった箱を蹴り飛ばして雷に当てて、なんとか相殺する。そして、身体を滑り込ませるように、新たな路地にまた飛び込んだ。

 

「……攻撃は防御魔法で防がれる。相棒で防御魔法は消せるかもしれないけど、チャンスはきっと一度きりだ。魔力の通ったものを、そう何度も消せる体力が俺にはまだない。しかも、一度神器の効果を見せたら、今度は最大出力で防いでくるだろうからな…」

 

 はぐれ悪魔の結界を消したことがあるから、ある程度体力の消耗具合がわかる。俺が近づけば、相手は今のように雷の魔法を放ち、防御魔法を使ってくるだろう。つまり俺は、魔法の雨の中を突っ切り、防御魔法を突破して、あの魔法使いを倒さないといけないのだ。初戦闘のド素人に厳しすぎる。

 

 神器の効果で姿や気配を消してやり過ごす手もあるが、俺が結界内に囚われているのは変わらない。相手だって不審に思うはずだから、隠れ続けられる時間は多くないだろう。

 

 

「……とりあえず、探知だけはもしかしたら、神器なしでなんとかなるかもしれないか」

 

 ためしに俺は、師匠に買ってもらっていた魔法の道具をリュックから取り出す。袋に入った粉状のもの。冥界にある植物をすり潰して作られるこの粉は、周辺の魔力や魔法力を狂わせる力があるらしい。つまり、俺の居場所が探知されにくくなるのだ。

 

 ついでに、通信用の符を使ってみたが、これは外には繋がらなかったため、おそらく通信阻害されているだろうことが判明する。俺はそれに苦虫を噛み潰したような顔になりながら、まずは粉を頭の上からまぶし、路地をとにかく走り回ってみた。すると、先ほどまで感じていた、見られているような感覚が薄くなったように感じる。……これは、撒けたのだろうか?

 

『なるほど、探知阻害の道具か。存外頭も回るらしい』

 

 ビクッ! と肩を揺らし、俺は声の聞こえた上空にすぐに顔を上げた。そうしたら、上空に路地を覆うような大きめの魔方陣が作り上げられていた。おそらく、拡声効果のある魔法を使ったのだろう。

 

 あいつのイラついた声音から、俺の居場所が曖昧になったのだろうとわかる。俺は今が逃げるチャンスだと思い、神器で俺の気配や魔法効果などを消しておく。すぐに結界の起点を探すために、路地の先を走り出した。

 

 相手が俺を捉えられていない今が、最大のチャンスなのは間違いない。もし結界が見つからなくても、このまま隠れて過ごすこともしばらくはできるはずだ。そう俺は考えていた。それでも、俺は心のどこかで、まだこのはぐれ魔法使いという存在の実力を把握しきれていなかったのだろう。

 

『さすがに面倒になった。君の言うとおり、これ以上時間を使うのは、氷姫や他の協会の連中相手に得策ではない。故に見せてやろう。我ら魔法使いの神髄の一端というものを――』

 

「えっ?」

 

 あいつの不穏な声が耳に入ったと同時に、上空が強く光り出した。あの大きめの魔方陣から、バチバチと放電が流れだし、それを目にした瞬間、――怖気が全身を駆け巡った。ドクンッ、と手に持つ神器からも危険を知らせるような脈動を何度も感じる。アレを発動させてはならない。だけど、俺が上空にある魔方陣を消すには、無重力で飛んで全力で消しにいくしかない。だけど上空じゃ、さすがに魔方陣は消せても、相手の攻撃を避けられない。

 

 ならばどうするか。俺は直感的に槍を天に向け、上空の魔方陣に一直線に刺す様につきだした。もちろん遠距離攻撃なんてないので何も起きないが、こうしないとアレは防げないと何かが俺に告げている。そしてその直感が正しかったことを、数秒後、俺は身をもって味わうこととなった。

 

 

『どうやら君は、結界から出ようと頑張っているみたいだから、教えてあげよう。君のいるその空間は、路地と路地をくっ付けたラビリンスのようなつくりでね、実はそんなにも広くないんだ。簡単な結界ではあるが、魔法使いではない君では、この結界の核の隠し場所はわからないだろうなぁ』

 

 高らかと魔法の演説をどうもありがとうよ、こんにゃろうっ! 路地同士を繋げているってことは、亜空間系の結界ということだ。つまり、結界の核というものを俺は見つけないと、ここから逃げ出せないということか。本気でふざけんじゃないぞ。それじゃあ、こいつに最初に見つかったあの時点で、俺が逃げるのはほぼ詰みじゃないか!

 

『虱潰しに探せるが、探知阻害を使った君を探し出すのには、少々骨が折れる。ならば、手っ取り早く済ませるにはどうすればいいか。……簡単だよ、君のいるだろう範囲全てを攻撃範囲にしたらいい。結界の中で囚われているのは、間違いないだろうからね』

 

 あぁ、なるほど。確かにそれは効果的だ。いくら姿や気配を消したって、攻撃が効かない訳じゃない。俺自身はちゃんと存在しているのだから。魔方陣より感じる魔法力に肌が粟立ち、カチカチと鳴る歯が、本能的に危機を俺に知らせてくれる。逃げられない、発動を阻止できない。ならば、残るは防ぐしかない。

 

『威力より、範囲に力を注いだから、生き残れはするだろう。一応、死なないことを神に祈っておいてあげるよ。さぁ、……その矮小な身に魔法の力を受けるがいいっ!!』

 

 魔法使いの高笑いが響き渡る中、俺は己の相棒を信じて、ただ強く神器を握り締める。そして、空が瞬き、俺がいる路地全体に紫電が降り注いだ。

 

 

 

―――――――

 

 

 

「ほぉ、ただの少年だと思っていたが、どうやら私の目は少々曇っていたらしい。まさか、あの魔法から無傷とはな。見くびっていたよ」

「……そのまま見くびっていてもらえると、俺としてはありがたいんだけどね」

「悪いが、それはできないね。さすがに、……神器(セイクリッド・ギア)を持った相手に油断はしない」

 

 だろうな、と俺は吐き捨てるように、荒い呼吸音と共に舌打ちをする。相手のフードから覗く目が、完全に俺を興味の対象として見ている時点で、もう油断してくれないことはわかっていた。防ぐためには仕方がなかったとはいえ、俺は自分の最大の切り札にして、唯一の逆転の可能性を敵に見せてしまったのだ。

 

 あの範囲魔法の紫電に対して、俺がとった行動は単純な『魔法の消滅』だった。しかし、ただ槍を振り回すだけじゃ、おそらく被弾していただろう。それを無傷で防げたのは、相手の魔法が雷の要素を持ったものだったおかげだ。空に向けて槍を突きだしたことで、それが俺に降り注ぐ雷の避雷針となってくれた。神器の先端に魔法が届くと同時に、俺への攻撃が収まるまで全力で消滅させ続ける。疲労感が半端ないが、こうして五体満足で立っていられるのは相棒のおかげであった。

 

 正直言って、相手が俺よりも格上すぎる。迷宮型の結界といい、俺の予想をあっさり超えてきた。しかも、あれだけの範囲魔術を放ったというのに、こいつは未だに息一つ切らせていないのだ。

 

 俺は体力も精神力もかなり消耗したのに、こんな状態で相手からの慢心が消えた。俺の疲労困憊の様子に目を細めているから、もしかしたら油断はまだ残っているかもしれない。それでも、警戒心が芽生えた格上を相手にするなんて想像したくなかった。

 

「なぁ、あんたはラヴィニアさんへの人質に俺が欲しかっただけだろう? 俺はこの通り、神器持ちだ。今の魔法は、かなり大きなものだったから、外の連中に気づかれた可能性があるぞ。もともと今の一撃で決めるつもりだったんだろうけど、俺は怪我一つしていない。俺は今みたいに防いだり、隠れ続けるだけでも勝機がある。ここで戦闘になれば、協会に捕まる可能性が高まるんじゃないか」

 

 神器の存在を敵に知られたのは痛いが、今はこいつから逃げることが先決だ。常人だと思っていた相手が、とんでもない武器を隠し持っていたのだ。普通なら、態勢を整えるために撤退するはずだろう。年上だから一応使っていた敬語もなくし、口調を大胆なものに変えておく。強がりでもいい。相手に俺とここで戦うのは、不利だと思わせなければならない。

 

 もう体力も精神力も限界に近い。初めての戦闘は、例え逃げ回るだけだったとしても、かなりの疲労感が俺を襲っていた。特に精神力がやばい、もう気力だけで立っているようなものだ。だから、さっさと帰ってくれ! と表情に出そうになるのを、俺は必死に堪える。

 

 しかし、この世界はどこまでもモブに優しくなかった。

 

 

「君の言い分はもっともだ。しかし、俺の目的は今この瞬間に変わったよ。君のその神器はなかなか面白そうだ。『氷姫』との戦いを今回は諦めて、君を連れて行く方が有意義な気がしてきてね。ぜひその力を研究して、新たな魔法の一端を手に入れたいものだ!」

「――ッ!? お、おい、戦いを諦めるって、あんたの仲間はどうするんだよ!? そのための人質だったんだろう!」

「仲間? あぁ、同士ではあったさ。しかし、それだけだ。俺は俺のために、魔法の神秘を手に入れ、魔法使いの先を追求する! 今回はそのための肩慣らしであり、俺のような高い資質を持つ者を追放した協会への見せしめだったけどな。故に、俺の新たな力の一端を手に入れる橋渡しになったと思えば、同士の命も無駄にはならないだろう」

「……イカれている」

 

 理解ができない。話し合いだとか、そんな次元じゃなくて、こいつの考えが宇宙人過ぎて、別の惑星の異星人と会話をしている気分だ。本当に自分のことしか考えていない。相手の気持ちとか、そんなものは全部二の次、いや考えてすらいないのだ。俺を人質にしようとしたり、研究材料にしようとしたり、仲間を簡単に切り捨てたり、こいつにとって、周りの人はみんな道具でしかないのだとわかった。

 

 こいつに捕まったら、俺は俺じゃなくなる。頭を弄るぐらい普通にしてきそうだ。人権や感情だって、きっと一つも考えてくれない。もしかしたら洗脳されて、ラヴィニアさんと戦わされるかもしれない。俺の所為で、家族や恵さんのような一般人に手を上げるような、研究が進められるかもしれない。研究が終わったら、殺されたり、どこかに売られたりするのかもしれない。

 

 いやだ、そんなのいやだ。

 

 

「さて、俺と一緒に来てもらおうか」

 

 ねっとりとした視線に、震えが身体を駆け巡る。先ほどまでの怒りの感情より、俺を支配していたのは恐怖だった。まるで、未知の生き物に出会ったような感覚。理解することができないということが、こんなにも恐ろしいなんて知らなかった。

 

 この世界で、神器を持った子どもや強い力を持った相手に恐怖し、排除しようと動いた彼らの思いを一端だけでも俺はわかってしまった。なんてひどいことを、と思っている気持ちは変わらないけど、それでも理解できないものへの拒否感を、俺は強く理解できてしまったのだ。

 

 恐怖で動けない俺に向けて、はぐれ魔法使いは眼前に魔方陣を展開させ、また俺に向けて紫電を放った。俺はもう反射で槍を持った右手を前に出し、飛んできた魔法を打ち消した。

 

「ふむ、どうやら魔法を消しているようだね。その槍の先端に当たると、当たったものを消滅させることができるということかな」

 

 ぶつぶつと口にしながら、やつは今度は先ほどの紫電よりも何倍も強い輝きを持った魔法を放ってきた。俺はまたしても、神器の先端を前に突き出すことしかできず、結果魔法と槍はぶつかり、相殺しきれなかった力の余波が俺の身体を後方へと吹き飛ばし、勢いよく壁に強打した。打ちつけた身体に走った痛みと、消滅しきれなかった魔法による火傷、それらの苦しさから息が詰まった。

 

「なるほど、威力によって消滅させられる限界があるのか。消せるのは、魔法だけか? それとも他の物質も消すことができるのかな。はははっ、神様の作った道具はすごいなぁ! こんなにも興味が引かれるとは思っていなかったよ!!」

 

 どこの総督さんだよ、と毒突きながら、それでも吹っ飛ばされた衝撃で、先ほどまで動けなかった身体が動かせるようになった。物理的なショック療法かもしれない。二度と受けたくはないけど。

 

 

「痛ッ!?」

 

 なんとか、逃げないと。そう俺は自分の右足を動かそうとしたが、鋭い痛みが走り、立ち上がることができなかった。視線を恐る恐る向けると、右足からぱっくりと血が流れ、変な方向に足が曲がっていた。その光景に、絶望が俺を襲う。これじゃあ、逃げることができない。さっきの打ち付けた衝撃で折れてしまったのだ。人間の子どもの身体で、耐えられる訳がなかった。

 

 あぁ、これは絶対にピンチだ。少し動けるようになっても、未だに身体が震えている。こいつの魔法は強力すぎるし、近づくにしても、あんな魔法を何度も撃たれたら俺の方がもたない。何より近づいても、防御魔法で止められる。俺の消滅に限界があるとわかれば、間違いなく自分にとって最高クラスの魔法壁を張って相手は防ぐだろう。

 

 逃げるにしても、こんな足じゃ逃げられない。相手も俺を逃がさないように手を打つだろう。俺が姿を消せば、またあの範囲魔法を撃たれるかもしれない。そうなったら、俺にはあれを二度も防ぐ術はない。結界の核だって、未だに見つかっていないのだから。

 

 ラヴィニアさんや協会の助けを待ちたいけど、果たして間に合うのか。彼は俺よりも、その辺りを把握しているだろう。俺はどれだけ持ち堪えればいい? どれだけ頑張ったら助けが来るんだ? ……そもそも、本当に俺に助けなんて来るのか?

 

 助けが間に合わなかったら、俺はこいつのおもちゃにされるしかないのか?

 

 

 

 

 

「……それだけは、いやだ」

 

 無意識にこぼれた声が、神器を握る力を強めた。あぁ、そうだ。そんな未来なんて、絶対に嫌だ。俺はまだ何も成し遂げられていない。何も残していない。死にたくなんてない。何より、こんなところで諦めたくなんてなかった。

 

 助けが来なかったら、もう終わり? ……違うだろ、俺。助けがたとえ来なかったのだとしても、それで終わりな訳がないだろうがっ! 最後まで足掻けよ! 立ち向かえよっ! こんなところで諦めるんじゃねぇよ!! そう彼女と約束したんじゃないのかッ!?

 

 そんな未来が嫌だったら、俺の大切なものを好き勝手に蹂躙されたくないのなら、守りたいものがあるのなら、自分の手で勝ち取るしかないだろうがァッ!

 

 ガンッ! と倒れ込んでいた身体を支えるように、神器を地面に突き立て、俺はそれを支えに立ちあがった。打ち付けられた身体は、痛みで悲鳴をあげている。右足の感覚だって、もうほとんどない。恐怖は未だに俺の中で巣食っている。だけど、それとは違う強い思いが俺を動かしていた。

 

 こんな状態なのに、不思議と俺の頭は回転しているように感じる。なんだか力強く、熱い奔流のような力が身体を満たすように流れてくる。クリアになった思考は、俺が生き残るための方法を貪欲なまでに模索しだした。

 

 戦力差――絶望的。真正面からやっても勝てないだろう。だったら、ガチンコ勝負なんてしない。高みにいる相手と同じステージにつきあう必要なんてない。無理やり俺のステージに引き摺り落とせばいい。

 

 怪我の状態――絶望的。一歩だって、身体を動かすことができそうにない。右足が特にひどく、歩くことさえ困難。だけど、それがどうした。手がある。左足だってある。四肢がもがれた訳じゃない。何より、俺は生きている。そして、一つだけ思いついた方法があった。一発逆転のチャンス。なら、怪我だってなんだって利用してやる。どんな痛みにだって、今なら耐えてやる。

 

 

「ほぉ、驚いた。まだ立ち上がるか。存外にしぶとい。しかし、その怪我ではもうどうすることもできまい。俺の考えに賛同するのなら、これ以上痛めつけるのはやめてやろう。俺の同士になることを、今この場で誓うといい」

「……誰が、誓うか。そんな碌でもないもの」

「だが、ならばどうする? どうせ、その怪我じゃ何もできはしないぞ。まったく、君は賢くない子どものようだ。もう俺に縋るしかないというのに」

「お前にしか縋れない? まさか、俺には誰よりも信頼できる相手がいつもそばにいるんだ。俺の情けないところも、馬鹿なところも、頭下げて縋る姿も、そいつにいっつも見られてしまっている。それでも、そんな俺を見捨てずに、最後まで一緒に生き残ることを考えてくれるんだ。だから、俺は俺にできることをただ頑張ればいいだけなんだよ」

 

 俺の言葉に、訝しそうな表情を魔法使いは浮かべる。俺はそれに一笑すると、紅の槍を地面から引っこ抜き、近くの瓦礫で右足を支えた。さぁ、いこうか相棒。怖くて足が竦みそうになるけど、俺は誰よりもお前の力を信じている。だから見せてやれ、お前の力を。見せてやろう、諦めが悪い、臆病で情けない俺たちの底力を。

 

「なぁ、……さっき、お前は言ったよな。俺にはもう何もできないって。だけど、残念。一個だけ、お前に意趣返しができるとっておきの方法があったりするんだ」

「なんだと?」

「お前の目的は、俺の神器だ。だけどな、神器っていうのは、その宿主が死んじゃうと特殊な方法を使わない限り一緒に消えてしまうんだ。それぐらい知っているだろう?」

 

 俺が何をしようとしているのか、何を伝えようとしているのか、考えを巡らせているのだろう。お前は俺の神器の能力を知ったと思っているだろうが、残念ながらそれが全てじゃない。俺が最後までお前に隠し続けていたもう一つの切り札、それを知らないこいつは、確実に引っかかる。それが最初で最後の、俺に残されたチャンスだ。

 

「あと、ラヴィニアさんは俺の無事を願っていた。そんな俺が、お前の所為で死んだとわかったら、もしかしたら責任を感じて、お前を執拗に追ってくるかもしれないな」

「……何が言いたい?」

「気づかない? 俺が今ここで死んだら、お前は詰んだってことだよ」

 

 師匠、俺は今笑えていますか? あいつの表情を見ていると、どうやら俺の顔はちゃんと役目を果たしてくれているらしいとわかる。敵に己の思惑を悟られるな、って鉄仮面な表情の師匠に言われていたけど、すぐに顔に出る俺はどうやら無表情は苦手らしい。だったら、笑ってやる。笑うのなら、得意だからな。

 

 俺は右手に持った紅の槍の先端を、自分の方へ向ける。ようやく魔法使いは俺の真意に気づいたのか、初めて焦りの表情を浮かべて、魔方陣を展開させようとした。だけど、遅いよ。俺は、意を決して、勢いよく自分の腹に神器を突き刺した。

 

 肉を貫く感覚。あぁ、くそ、……やっぱり痛いな。点滅するように飛びそうになる思考。でも、意識だけは絶対に消さない。これぐらいやらないと、あいつを出し抜けない。だから頼むぞ、相棒。俺はあの下種野郎よりも、いつ来るかわからない助けなんかよりも、お前を信じる。

 

 そして俺は、血だまりの中に沈んだ。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。