えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百四十話 白龍皇

 

 

 

「俺を保護しに来た…だと?」

 

 寒さで震えそうになった唇に力を入れ、ヴァーリは射抜くように灰色の少年を見つめる。ヴァーリの訝しむような声に、フードを深く被った少年は肯定するように頷いた。先日まで命を狙われていた身の上で、味方など誰も心当たりがいない。そんな状況で現れた正体不明の人間の言葉など、到底信じることはできない。一切の警戒を解かないヴァーリの様子に、灰色の少年――倉本奏太は仕方がなさそうに肩を竦めた。

 

「こっちの言葉が信じられないのはわかっているけど…。それでも、まったり話ができるほどこの町が安全じゃないことは、キミもわかっているだろう? ……ヴァチカンの上級エージェントが、ハーフ悪魔でドラゴンの神器を持つキミを討伐するために、本格的にここへ向かってきているみたいなんだ」

「……上級エージェント?」

「天界、天使、教会、聖剣、エクソシスト。どの言葉が一番キミに通じるかはわからないけど、悪魔と敵対する一大勢力が、キミ一人を討伐するためだけにこの町へ向かってきているということだよ」

《――――――!?》

 

 ヴァーリの警戒が解けないことは承知で、まずは必要な情報を開示することを奏太は選んだ。とにかくこの町が危険であることを伝える必要があると判断し、主にヴァーリの中にいる存在へ向けて警告を発した。仙術もどきの力と魂の感知によって、ヴァーリの中にある神器が目覚めていることはわかっている。自分と同じように神器へ意識を向けるしぐさをしていることから、何らかの思念を感じ取ることは可能なのだろうと当たりをつけた。

 

 その予想は当たり、己の中にいる神器から焦りのようなものを感じ取ったヴァーリは困惑気味に眉を顰める。普段から威風堂々とし、自分を導いてくれた念波が揺れているのだ。それだけ、目の前の存在が告げる敵は強大で、今のヴァーリの力では太刀打ちできないと判断されたのだろう。そうじゃなければ、このような得体の知れない相手の言葉に『それ』が揺れることはない。

 

「……その話が、本当とも限らない」

「以前キミを襲ったのは、教会のエージェントだ。そして俺は、人間の魔法使い。魔法使いにとっても教会はちょっと怖くて…。時には魔女狩りと称して、『処理』の対象にされることもある。少なくとも、以前キミを襲った相手と俺は同じ組織の人間ではない。それは理解してもらえると嬉しいかな」

 

 そう言って、奏太は杖を掲げて魔法力を使った小さな火を生み出す。奏太が人間で、その姿から魔法使いであることを見抜くのはそう難しくない。ヴァーリを保護する予定である堕天使組織『神の子を見張る者(グリゴリ)』についても伝えるべきか考えたが、今の話でヴァーリの興味が少しでもこちらに向いたら話すべきだろう。興味があるなら、自分が保護される予定の組織を知りたいと思うのは当然なのだから。

 

 なんでも情報を開示するのは危険だ。なので、とりあえず断片的ではあるが必要な情報は与えた。以前ヴァーリを襲った組織とは違うこと、ヴァーリの身に危険が迫っていること、こちらがヴァーリを保護したいと考えていること、の三点は伝わっただろう。真っすぐに見据えられる黒い瞳に悪魔としての性質か、少なくともこちらを騙すような意図をヴァーリは感じなかった。魔法力による力にヴァーリは目を細め、内に眠る存在へ確認するように意識を向けた。

 

 次々と開示される情報に、こちらの状況を灰色の少年は完全に見透かしていることがわかった。そして先ほどまでの動揺を抑えた内なる思念が、彼の話を肯定するようにヴァーリへ伝えてくる。実際にヴァーリを襲ったのは、教会だろうことは『それ』もわかっていた。魔法使いと教会の関係も間違いではない。いずれ遠くないうちに、教会から討伐隊を組まれる可能性があったことも視野に入れていたのだから。

 

「えーと、それで俺はキミを保護しに来たという訳なんだけど…。詳しい話はちゃんとするから、一緒に来てくれないかな?」

「……お前が、以前俺を襲った組織と違うことはわかった。そして、俺を殺しに来る勢力がいることも理解した」

「うん」

「だが、それでお前についていく気はない」

 

 苛烈に燃え上がった碧眼は、ドラゴンのオーラによって金色が混じっていく。相手への目くらましにドラゴンのオーラを衝撃破のように当て、言い切ると同時に町の屋根へと跳躍する。静かに溜めていたオーラを一気に放出し、悪魔の羽を広げて地を勢いよく蹴ったのだ。隠すことのない不信を瞳に浮かべたヴァーリにとって、自分以外の他者を信用することなどできなかった。

 

 決裂の言葉と共に浮き上がり上空の屋根へ飛び移ったヴァーリは、不意打ちでドラゴンの強大なオーラをぶつけた交渉相手をちらりと見たが、焦ることなく軽くいなされてしまった様子に小さく舌打ちをする。奏太のコントロールされたオーラを感じ取っていたので、やはりあちらの方がオーラの扱いは上手いようだ。

 

 前回現れた教会の刺客は、突然ぶつけられたドラゴンのオーラに本能が委縮し、それによって優位に立つことができたのだが、同じ手は通用しないらしい。普通の人間にとって、ドラゴンとは災禍の象徴だ。それ故に、本能的な恐怖を呼び覚ます。ドラゴンと相対するのなら、彼らが身に纏う莫大なオーラの前に立てることが前提条件なのである。

 

 その条件を満たすには、実力のある強者か、よほど肝の据わった相手か、特殊な能力や環境による影響など、何かしらの要素がなければ難しい。強者を望む性質を持つドラゴンにとって、己のオーラと相対できるかふるいにかけることもできる。その条件を満たす相手に、少しの興味を抱いたヴァーリだったが、今は一心不乱に駆け出すことを選んだ。先ほどの速度では灰色の少年を撒くことはできないと判断し、悪魔の力とドラゴンのパワーを全開にして、決して追いつかれないように走り抜けた。

 

《――――――》

「あぁ、そうだな…」

 

 ヴァーリの内にいる『それ』の警告に従い、拠点として滞在していたこの町をすぐに出ることを決意する。ふと窓に映った人間の営みにうまく表現できない寂しさのようなものが沸き上がったが、静かに首を振って散らしていく。町の温かさを捨て、冷たい白い大地の中へ向かうことは危険な賭けでもあるが、ここに居たら確実に『処理』されるのだ。

 

 ならば森へと逃れ、数日を耐え忍び、他の町を目指すしかない。一度今の住処へ帰って、防寒具や残っている食料をかき集める必要があるだろう。ヴァーリは雪によって人影がなくなった町の屋根を飛び移りながら、倉本奏太との距離を一気に広げていった。

 

 

 

「……はぁ。やっぱりこうなる訳か」

 

 倉本奏太は猛スピードで自分から離れていく白いオーラをたどりながら、ガックシと肩を落とす。ヴァーリから放たれたドラゴンのオーラは、奏太にとっては慣れ親しんだものだから問題はない。だてにラスボス集団や、ドラゴン達に揉まれてきてはいないのだ。こちらから攻撃する意思を見せるつもりはなかったので、放たれたオーラをいなすだけにしたが、見事としか言いようがない逃走っぷりに彼は頭を掻いた。

 

 元々ヴァーリとの交渉は決裂するだろう、と奏太はわかっていた。それでもわざわざ姿を現して、丁寧に危険を知らせたのは、彼なりの誠意である。いくら決裂するとわかっていても、やはり年下のボロボロな子どもを問答無用で捕まえる選択肢は、彼の中で納得できないことだった。その相手が例え白龍皇であろうとも。まずこちらの意思を正直に相手へ伝え、相手にもちゃんと事情を知ってほしいと思ったのだ。

 

 だから、こうして直接顔を合わせて話をした。それで話を聞いてついてきてくれれば最良だが、そうはならないだろうとわかっていたので、ちゃんと次の手は打ってある。奏太はゆっくり息を吐きだすと、身体の筋肉を伸ばすように足を曲げ、神器のオーラを全身に纏った。こちらの意思は向こうにちゃんと伝えたが、オーラによる威嚇まで受けてしまったのだ。ならば、あとは実力行使しかない。ヴァーリもそれがわかったから、真っ先にこちらから逃げる手を打ったのだろう。

 

「悪いけど、……ドラゴンとの鬼ごっこ歴は四年目なんでね」

 

 奏太は、ドラゴンの性質を知っている。特に子どものドラゴンにこちらの意見を通す大変さは、身に染みて理解していた。彼らは『戦い』に対して、独特の価値観や信念を持つ。ドラゴンにとって『戦い』とは、神聖な儀式と同じだ。彼らは己を最強の生き物だと自負し、傲慢に思われようと不利な戦いすら楽しみ、マイペースで独自のルールを曲げない。それがどんな『戦い』であろうとも、強者であるドラゴンに真正面から立ち向かう者へ敬意を持つのだ。

 

 つまり、ドラゴンにこちらの意見を通す最も効率のいい方法は、真正面からぶつかり、こちらを認めさせることだ。もし姿を消したままの状態で奏太の神器の能力を使えば、初見であるヴァーリを捕まえることができたかもしれない。しかしそれは、ドラゴンの尾を踏む行為にも等しい。戦いすらさせず、強制的に負けを押し付ける行為は、二天龍の一角である白龍皇にとって屈辱的なことだろう。そんなものをわざわざ踏まない。ドラゴンの師と使い魔を持つ魔法使いとして、彼らの誇りを穢すことはしたくなかった。

 

「まさか白龍皇と勝負することになるとは思わなかったけど、やれるだけやってみよう」

 

 奏太は事前に、シェムハザに頼みごとをしていた。ヴァーリと勝負をするのなら、この町にいるだろう教会のエージェントにばれる可能性がある。だから、ヴァーリに手を出さないように見張っていてほしいと頭を下げた。シェムハザはそれに考えたが、ドラゴンの扱いについては奏太とリンが自分よりも詳しいと判断した。シェムハザが出ればヴァーリを捕まえることにそれほど苦労はないだろうが、それは最終手段でもいい。

 

 それに事前の情報で、親族からの苛烈なネグレクトによって生まれた拒絶感と不信感。特に大人の男性に対しては、心を閉ざす傾向にあると聞いた。今ここで無理矢理保護することはできても、その後の心のケアの難しさは容易に想像がつく。それなら、多少の危険はあるが子ども同士で喧嘩して決着をつけるというのは悪くなかった。

 

「――いくぞ、リン」

『おうともよ』

 

 紅に輝くオーラに身を包み、ヴァーリの後を追うように奏太もまた飛び上がった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 一面が白に染まり、静まり返った街中をヴァーリは無言で走り続けていた。最短距離で逃げ出してきたので、もうすぐ住処にしている場所へたどり着くだろう。そうして無心で走ってきたが、ふとこんなに急がなくても、あそこで姿を現した相手を倒せばよかったのでは? という考えが思い浮かんだが、……ヴァーリは小さく首を横に振った。先ほどの灰色の少年の能力を自分はまだ理解できていない。自身も万全とは言えない状態で、真正面から敵対するのは分が悪い。それに上級エージェントがこの町に来るかもしれないのなら、時間は少しでも惜しいだろう。

 

 だから、ヴァーリは奏太に対して逃げることを選択したのだ。その考えに、ヴァーリの中にいる『それ』は何も言わなかった。ヴァーリの魂とくっついている『それ』は、もっと深く宿主の心をわかっていたからだ。宿主の心のどこかで、敵意のない相手へ攻撃することを躊躇う気持ちがあったことを。これまで大人としか接してこなかったヴァーリにとって、まともに子どもと接したのは初めてのことだった。だから、大人に対する警戒心は強くても、子どもに対しては戸惑いを持っていたのだ。それに当然の感情だろうと、そのことを責める気はない。

 

 そして、『それ』は考える。己の宿主が生き残るための最善の道を。この町に居続けるのは不可能なのは間違いない。人間の中に何とか紛れ込んで過ごしてきたが、教会に知られたため今後は難しくなっていくだろう。そして、宿主の持つ血の業によって悪魔にも助けを求められない。悪魔の父であるルシファーの正当なる血縁。知られれば死ぬまで投獄されるか、なかった者として処分されるか、人形として利用され続けるか…。少なくとも、ろくな扱いはされないだろう。

 

《…………》

 

 故に、白き龍はギリッと牙を鳴らす。教会に追われるため、今後は表の人間界で過ごすのは難しくなる。さらに悪魔に気づかれるわけにもいかない。幼いヴァーリが一人で生きていくには、この世界はあまりに悪意に溢れすぎている。他勢力に助力を求めるにも、ヴァーリの出生や能力を考えればすぐに答えは出せない。先ほどの魔法使いの少年のことを思い出したが、魔法使いと悪魔は繋がっている可能性がある。教会と悪魔にだけは捕まる訳にはいかないのだ。

 

「……心配するな。俺は大丈夫だ」

 

 そんな『それ』の心配を感じ取ったのか、ヴァーリは胸を張って不敵な笑みを浮かべる。『それ』の心配する全ては理解できなくても、その気持ちだけでも少年にとって十分だったから。こんなところでむざむざ死ぬつもりなんてないと、堂々と告げるように。その不敵な態度に一瞬呆気にとられてしまったが、己の宿主の持つ『強さ』に誇らし気な気持ちになる。この『相棒』となら、きっと乗り越えられるはずだと信じられるような気がしたから。

 

 そうして、なんとか住処にしていた家にたどり着いたヴァーリは、すぐに準備をしようとかろうじて屋根を残す壊れた家屋に足を踏み入れる。屋根と壁に空いた穴から雪が入り込んでいたようで、家の中をザクザクと音を立てながら進んでいく。唯一無事な屋根がある場所に添えられたボロボロの薄い毛布、日持ちがしそうなものを狙って持ってきた食料品などを見つける。それらを一瞥したヴァーリは、急いで手を伸ばそうとして――

 

「悪魔ドラゴンの子、確保ぉー!」

「――なァッ!?」

 

 天井から自分に向かって落ちてきた紅いドラゴンに、反射的に身体を捻って回避した。無理な体勢で避けたため、雪をまき散らしながら地面へ転がった身体を慌てて立て直し、ヴァーリと『それ』は驚愕の表情でその正体を見つめた。本来、こんな街中で見ることなど叶わないはずの存在。見た目も纏うオーラも、間違いなく『ドラゴン』そのものだった。ぶわりとヴァーリから濃密なドラゴンのオーラが溢れ、それに呼応するように赤い龍もオーラを纏った。

 

「むぅー、反応が良すぎる…。せっかくカナから『能力』も借りたのにー」

「まさか、ドラゴン…? だが、魔力の気配も感じる……?」

「そうだよー。リンは悪魔ドラゴンの子と同じで悪魔とドラゴンのハーフだもん!」

「…………」

 

 思わず呆然としてしまったが、嘘を言っている感じはない。いや、そもそもドラゴンは必要のない嘘はつかない。基本欲望に忠実で、自分中心でマイペースな性格の者が多いのだから。ふふんと鼻を鳴らす姿は、「どうだっ!」とどこか自慢気だ。ヴァーリはまさか自分と似たような存在がいきなり目の前に現れるとは思わず、素で反応に困っていた。反撃するにも、逃げるにしても、あまりに予想外の出来事が起こって思考がショートした感覚だ。それでも、内に宿る『それ』が強い念波を送ってきたことで、瞬時に意識を切り替えた。

 

 念波によって届けられた思念で真っ先に思い浮かんだのは、先ほどの人間の少年の力。一切の気配を断ち、いつの間にかこちらに接近を許してしまっていた出来事の焼きまわしのようだと感じたのだ。これほど濃密に放たれるドラゴンのオーラを、ここまで接近するまで気づかないなどありえない。何らかの特殊な能力で『消されていた』のは間違いないだろう。先ほどの少年のように。

 

 つまり、このドラゴンが先ほどの少年と関係があるのなら、ヴァーリを捕まえるための包囲網はとっくに出来上がっていたのだ。

 

 

「ドラゴンはオーラに敏感なんだ。特に同族のオーラは顕著にね。だから俺がキミと話している間に、リンにはドラゴンのオーラが濃く残る場所へ向かってもらっていたんだ。さすがに準備もなしに、いきなり町を飛び出さないだろうと思っていたからね。なら、キミが寝床にしている場所に一旦寄るかもしれないと考えたんだ」

《――――――》

 

 ヴァーリは顔を横に向け、後ろ目で確認をする。被っていた雪を払い落としながら歩く灰色のローブの少年。先ほど奏太はヴァーリを見失ってしまったが、使い魔であるリンの居場所はパスで繋がっているためわかっていた。だから迷うことなくこの場所に来れたのだ。全速力で町を駆けてきたヴァーリに追いついてきたことに驚いたが、相手が纏う気配を察して納得する。灰色の少年とは少し違う紅のオーラが全身を包んでいて、本能からあのオーラに触れるのは危険だとわかったからだ。自分と同じ異質なオーラを纏う者だと。

 

 気づけば、魔法による結界が周囲に張られている。おそらく表の人間に被害が出ないように張った、認識阻害の結界だろう。ヴァーリは結界が張られたことに少し眉を顰めたが、一般人が入ってくる危険性はこれで少なくなった。手間ではあるが脱出する時に力を開放すれば、結界を壊すことにそこまで労力もいらないだろう。

 

神器(セイクリッド・ギア)所有者か…」

「あぁ、さすがに相棒の力を隠しながらキミの相手をするのは難しそうだからね」

「お前とそこのドラゴンの気配を断つ能力は、その神器の力か?」

「どうかな。魔法かもしれないよ」

 

 当然ではあるが、自身の能力を明かす気はないのだとヴァーリは把握する。どちらにしても、全速力の自分のスピードについて来れて感知能力も高く、さらにドラゴンの援護もある。そう簡単に逃げられそうな相手ではないと覚悟を決め、ヴァーリはまっすぐに相手を見据える。戦闘も辞さない意気込みを見せるヴァーリに、奏太は白い息を吐いてこちらも覚悟を決めるように見返した。それと同時に、奏太はちらりとヴァーリの後ろにいるリンに視線を向け、少し悩むように小首を傾げた。

 

「えっと、俺達の方が数が多いんだけどいいのかな……?」

「ふん、だからどうした。嘗めるな、全部相手になってやる」

「……なるほど、さすがはドラゴンか」

 

 一対二という不利な状況だが、これぐらいはねのけられないでどうする。情けをかけられるなど冗談ではなく、泣き言を言うつもりもない。ヴァーリの思いに応えるように、《それ》も不利な状況など知った事かと獰猛なオーラを隠そうともしない。相手の全力を超えてこそ、ドラゴンと誇れるのだから。それにうんうんと頷いた奏太は、――にっこりと微笑んだ。

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

 バッと腕を上に突き出した奏太に呼応するように、バサバサと複数の羽音が崩れかけの家屋に突入してきた。これは姫島朱雀(ひめじますざく)が、霊獣『朱雀』と契約する一年間の間に作り続けた式神の一部だ。はとこである幾瀬鳶雄(いくせとびお)に会えない思いを封じ込めるために生まれた『トビーくん』の群れ。何百枚かは姫島家が使っているが、一日十枚以上は作る勢いだった朱雀の思いを受け止める受け皿として、奏太も協力として引き取っていたのだ。

 

 二年間の幾瀬朱芭(いくせあげは)からの修行で式神の扱いも学んだため、情報収集や今回のような攪乱(かくらん)させるときなどに奏太は用いるようにしていた。この町でヴァーリを探す時にはすでに顕現させておき、ひっそりと町の中に忍ばせておいたのだ。この雪の中なら、一般人が外を出歩くことも少ないため大量の鳥の集団に混乱は起こらない。万が一ヴァーリが住処へ帰らず、そのまま町を出ようとしたらトビーくんで邪魔をする予定でもいたのだから。

 

 

「――っ!?」

《――――!?》

 

 崩れかけの家屋の中に、突如視界を埋め尽くすような何十羽の鳥の突撃に、ヴァーリは逃げられないと悟る。しかし彼は魔力を反射的に練り上げ、前へと足を踏み出した。直感的にこの鳥に大した力はないと判断を下し、ルシファーの魔方陣を展開すると前方を一掃するように魔力で薙ぎ払った。ただ咄嗟であったため勢いがつきすぎ、その衝撃で勢いよく雪が舞い上がる。

 

「おらぁっ、食らえッ!」

「なっ!?」

 

 そんな遮られた視界の中、反射的に身をよじって避けた先に――白いボール状のようなものが飛んでいった。それにヴァーリと《それ》は、思わず目を白黒させてしまう。今の攻撃はなんだ? いや、とてもではないが今のを攻撃だなんて言えない。何故ならどこからどう見ても、ただの雪玉にしか見えなかったからだ。唖然としたまま視線を向けると、先ほどの魔力破が当たらない位置にいつの間にか移動していた奏太は、いそいそとまた雪玉を製作していた。

 

「……おい」

「ん?」

「真面目にやれ」

「やっているよ、これが俺の戦い方というか…。そもそも俺はキミを保護しに来たんだ。ただでさえボロボロなのに、それ以上怪我をさせるなんて俺が嫌だ。キミへの情けだとかそんなんじゃなくて、俺が純粋にそうしたいと思ったからやっている。特にルールもないんだし、俺の好きにやっていいだろ」

 

 ドラゴン並みにマイペースな理論をかざす奏太に、ヴァーリも《それ》も言葉を失う。確かに明確に勝負のルールを定めたわけでもなく、勝利条件もあやふやなままなのは間違いないが、それで雪玉を投げてくる思考回路に「なんだこいつ」と揃って思ってしまう。だが、不思議と嘘はついていないのだろうと感じてしまった。ここまできても、少年の目にヴァーリへの敵意が一切なかったのだから。

 

 そうしてさくさくと作った雪玉を、奏太は再びヴァーリに向かって投げつけてきた。槍を投げる訓練のおかげか、正確なコントロールで飛んでいく雪玉。当然ながら当たると多少の痛みはあるし冷たいだろうが、攻撃力なんてあってないようなものだ。それでも、わざわざ投げつけられた雪玉に当たるのも癪だったので、不機嫌そうにヴァーリは避けた。次々と投げられる雪玉を、身体を捩って躱し、時にはオーラや魔力を纏って振り払う。いったいこれに何の意味があるのかと逆に考えてしまい、なかなか次の行動に移すことができずにいた。

 

《――――――》

「あぁ」

 

 相手の予想外の行動に戸惑いはあるが、それに付き合い続ける理由もない。一瞬だけ外へ視線を向けたが、家屋を囲むように飛ぶトビーくんの群れが見えて大きく嘆息した。ここから逃げ出すことなら、多少無茶をすればできるだろう。だが、あの鳥の軍団に追われ続けるのは疲れる。それに森の中へ逃げても、ドラゴンを仲間にしている少年の感知能力があれば、また見つけられる可能性も高い。術者であり、大元の元凶をここで断たねば、ヴァーリが本当の意味で逃げ切るのは無理だろう。

 

 故に、ヴァーリが選んだのは相手の無力化だ。ここで術者である少年を倒せば、空を飛ぶ鳥たちはヴァーリを追うことが出来ない。彼の傍にいるドラゴンも、さすがに主を置いて追いかけてくることもないだろう。慣れた手つきでせっせと雪玉をつくる奏太を見据えながら、何度かの攻防を繰り返す。ヴァーリは心の中でカウントを数えてから悪魔の羽を広げ、一気にブーストをかけて駆け抜けた。

 

 

「さっきも言ったけど、これでも俺は魔法使いだからね」

 

 握りしめた拳の一撃を叩きこもうと迫った瞬間――ヴァーリの足元から何の前触れもなく鎖のようなものが現れ、小さな身体に巻き付きだした。鎖によって奏太の目の前で止められた拳に、ヴァーリは驚愕を顔に張り付ける。気配を感じず、目にも見えない魔法。倉本奏太自身が姿を現していることから、無意識に油断していた。生き物以外にも効果を発揮する可能性を失念していたのだ。

 

「覚悟っー!」

「ッ――!?」

 

 そこに紅い龍まで飛び込んでくる。ヴァーリは瞬時にオーラを放出し、身体に巻き付けられていた鎖を引きちぎった。それによって小さな襲撃者の攻撃は避けられたが、いつの間にかまた奏太との距離はだいぶあけられ、先ほどの焼きまわしのように再び雪玉を投げてくる。しかも今度は先ほどまで静観していたドラゴンも参加するようで、ヴァーリはドラゴンと雪玉から逃げ続けることになった。

 

 先ほど奏太が言っていた通り、ドラゴンのオーラは見分けやすいため、避け続けることはそこまで難しくない。舞った雪を払うように銀色の髪を振り、内なる思念に従って回避していく。何度か奏太に向かって突き進んだが、またしても見えない罠が張られて進路を塞がれたり、純粋に回避能力も高いようでヴァーリの拳をひょいひょいと避けられる。魔力による射撃や死角からの一撃も当たらない。攻撃が当たらない苛立ちと、どんどん膨れ上がってくる焦りと、雪玉の訳の分からなさ。それらにギリッと歯を鳴らし、イライラする気持ちをぶつけるようにヴァーリは無心で奏太へと向かって行った。

 

 それと同時に、ちょこちょこと自分に向かってくる紅いドラゴンにも目を向ける。避けることは問題ないが、警戒は怠らずに目の前の小竜も相手にしていた。さすがに人里で火の息を吐くことはできないからか、ヴァーリを押さえつけようとしたり、魔力で動きを止めようとしたりしてくるのみだが、邪魔であると言えば邪魔だ。ドラゴンの飛び込みを避けて対処するヴァーリだが、そろそろリンに反撃するべきか悩んでしまっていた。小竜はヴァーリを捕まえようとはしても、傷つけようとする動きはしないからだ。しかも、「待て待てっー!」とものすごく楽しそうにこちらを追いかけてくるので、もはや遊びだと思われている節がある。

 

 ヴァーリの中にいる《それ》も、小竜が無邪気に追いかけてくることに成龍としてどうしようかと戸惑う。たぶん最初は魔法使いの使い魔としてヴァーリを捕まえようと取り組んでいたのだろうが、今は追いかけっこを純粋に楽しんでいるオーラが伝わってくるのだ。これ、熱中し過ぎて目的を忘れるドラゴンにありがちなうっかりである。微妙な空気を感じたヴァーリは、さすがに遊んでくる子どもに手を上げることに自制が働いてしまっていた。

 

 子どもだった自分を殴り、母親を泣かせ続けた父親と同じになるようで、自分の持つ強大な力を小竜へ放つことに躊躇を覚えたのだ。《それ》もまた、宿主がこれまで辿ってきた道を知っているが故に、非情になれと伝えることもできない。それは傷つけられてきた幼い少年が宿した小さな甘さだろう。もしここまでの展開を読んで、ヴァーリにリンを(けしか)けているのならば、あっちが本当の悪魔なんじゃないかと《それ》は思った。

 

 

「……そろそろかな」

「なに?」

「息、上がってきただろ。悪魔の魔力と身体能力、神器のオーラで誤魔化していたとしても、幼いキミの体力じゃこれ以上は持たない。実戦の訓練を受ける者がまず教わるのは、スタミナの使い方だ。キミにどれだけの才能や実力があっても、スタミナの管理にまで目はいかないだろうと思っていた。現に、俺が投げた何の効果もない雪玉をご丁寧に避けたり、能力を使って弾いていたりしたのがその証拠だ。ドラゴンは一つのことに熱中すると、色々忘れちゃうみたいだからね」

 

 急激に冷えた頭に、ヴァーリは荒い呼吸音が自分の口から洩れていたことに気付く。脂汗が滲み、莫大なオーラと魔力で抑えてきた疲労が顔を出してきたのだ。先ほどまでアドレナリン全開で動いていたため、気づけなかった節々に感じる身体からの訴え。それをヴァーリにこのタイミングで気づかせたのもわざとだろう。ヴァーリの中にいる《それ》は、相手の狙いに薄々気づいていたが、あえて無言で奏太を見据え続ける。奏太はヴァーリと内にいる意思の視線を感じながら、灰色のローブをゆっくりと翻した。

 

「……ドラゴン系統の神器は、強大な力を宿主に与えるけど、その分体力の消耗が激しいという欠点を備えている。そして、ドラゴンのオーラは強大であるが故に、制御が難しく必要以上に過剰なオーラを使用してしまうんだ」

 

 原作の修行シーンで、イッセーとヴァーリが指摘されていた課題である。1の力で倒せるような敵相手にも、彼らはそのオーラの制御の難しさから10の力をぶつけがちなのだ。必要最小限の力を使えるようになるのは、ドラゴンという消費が激しい神器を使う者にとって必須の能力だろう。継続戦闘の有無にも繋がっていくのだから。

 

 だから奏太は、できる限りヴァーリにオーラを噴出させる行動を促していた。初級魔法や雪玉の破壊に、そんな大そうなオーラは必要ない。だが、まだ神器の使い方を知らないヴァーリなら、使える分のオーラをどんどん使ってしまうだろうと考えたのだ。殺傷力のないただ不快なだけの攻撃や魔法に警戒心は起こしづらい。子どもなら、ムキになって視野も狭まるだろうと考えていた。

 

「さらにこんな明らかに不衛生な環境にいながら、ここまで行動することが出来るのはキミの持つ膨大な魔力が足りない部分を何とか補っていたからだろう。そこまでわかれば、あとはそれを削りきるように動けばいい」

「狙いは、最初から俺のスタミナ切れということか」

「ドラゴン相手に油断なんてしないし、無策で立ち向かうなんて怖いことを俺はしないよ。ドラゴンに精神攻撃を仕掛けるのは、常識だと覚えておくといい」

《――、――――》

「カナ、また王様に怒られるよ」

 

 そんな常識ねぇよ、と訴えるように二匹のドラゴンから感じる呆れの念に奏太は眉を顰める。これまでドラゴンとの修業や模擬戦を経験してきた末に得られた、彼の中の常識。現にその常識のおかげで、ドラゴンの王様と称されるタンニーンとなんとか戦闘することが出来ていたのだ。不思議そうに首を傾げる奏太の態度に、「こいつ本気でそう思っていやがる…」と感じ取った二匹のドラゴンは、ドラゴン的な妙なシンパシーを感じてしまった。

 

 奏太からの説明に悔し気に歯を食いしばるヴァーリは、流れてきた汗を手の甲でぬぐい取る。相手のスタミナ切れを狙うのは、別に卑怯な方法ではない。あまりに普段の殺伐とした戦闘とはかけ離れた勝負に戸惑ってしまい、本調子を掴めなかったのがヴァーリの敗因だろう。白き龍はその敗北を責めず、『次のため』の糧にすればいいと己の宿主の悔しさを肯定する。

 

 はっきり言えば、この幼い少年は生まれ持った才能だけでここまで生き残ってきただけだ。苛烈なネグレクトによって傷つけられた心身と、自分と母と《それ》以外の全ての他者へ向けた拒絶の意思。そんな状態で生き残れたのは、もはや奇跡的に等しいことなのだ。いつ死神の鎌が、幼い少年へ無慈悲に振り下ろされてもおかしくなかっただろう。何かしらの庇護が必要だとわかっていても、他者を拒む宿主の思いも理解できるのだから。

 

 だからこそ、《それ》は見極めようと思った。ドラゴンを使い魔にし、ヴァーリを保護したいと告げる少年の真意を。天真爛漫な幼い小竜を見ていれば、無理やり言うことを聞かせているようには思わない。勝負中に遊びに熱中し出した小竜に、仕方がなさそうに笑って許していた。自分の感情に従うドラゴンが、心から主と認めている。それだけでも、同じドラゴンとして稀有な人間だとわかっていた。

 

 先ほどの勝負の途中で奏太の狙いに気づき、彼が宣言通りヴァーリを傷つける意思がないことを確認したため、《それ》はあえて宿主に忠告をしなかったのだ。今回の勝負は、今後のヴァーリにとって大きな糧にできると判断したために。そして、この少年なら八方塞がりの状況を打破してくれるかもしれないと考えたから。

 

 

《――――――――》

「……俺が、こいつに保護されるべきだと言うのか?」

 

 ずっと自分を見守り、導いてくれた存在の最後の後押し。ヴァーリも自分一人の力で生きていくことに限界は感じていた。持てる才能を活用はできても、戦い方も神器の使い方も知識も何も知らない子どもであることに変わりはない。魔王の血を持つヴァーリには、見えない敵があまりに多すぎるのだから。

 

 奏太とリンは、ヴァーリと白き龍の対話を静かに待ち続けた。せっかく削った体力を回復させる悪手であることは間違いないが、こちらが伸ばした手を掴んでくれる可能性が少しでもあるのなら待つべきだと選んだ。ヴァーリもさすがにこの状態で逃げ切れるとは思っていない。それに、この少年に他の仲間がいない保証なんてどこにもない。むしろ、潜んでいると考える方が納得がいくし、今度はその人物に追われるかもしれない。

 

 それなら、まだこの人間の方がいいのかもしれないと思った。今でも怪しい人物であることには変わりないが、彼は自分で定めた制約を守り続けている。問答無用で捕まえに来たにもかかわらず、ヴァーリを傷つけないように配慮していたのは感じていた。それに何とも言えないモヤモヤが生まれ、答えが出ない気持ちに不機嫌そうに顔を顰めた。

 

 そんなヴァーリの様子と己の神器からの思念を受け、奏太は小さく笑ってそのまま歩き出す。それにたじろぐヴァーリだったが、奏太は目の前まで来るとそっと手を差し出した。この距離ならヴァーリの攻撃を避けるのは難しいだろう。それなのにローブから覗く目は、真っすぐに困惑を浮かべる碧眼へと向けられていた。

 

「ここに手を重ねるとな、なんと美味しいご飯が食べられます。さらに雪の中でもぽかぽかに感じる防寒具も手に入ります」

「悪魔ドラゴンの子は小っちゃいから、リンのお菓子も分けてやるぞ!」

「お風呂だって入れるし、あと羽毛のあったかい布団もあります。そして、俺のとっておきのゲーム機も貸しましょう」

「あっ、ゲームで思い出した。カナ、この前人間界のCMでやっていた新作のゲームを予約してー。悪魔ドラゴンの子も一緒にやろぉー」

 

 悩んでいたヴァーリのことなどなんのそので、そのあまりにもあんまりな勧誘方法に、間の抜けた表情をヴァーリは浮かべるしかなかった。ヴァーリの中にいる存在も「こいつら、本当に大丈夫か?」と別の意味で心配したくなる。だが、不思議と先ほどまで重く感じていた手が軽くなったような気がした。

 

 それから、少しして。ヴァーリは何度か逡巡し、視線を右往左往に移しながら、目線だけは合わせずにしぶしぶと恥ずかしそうに手を重ねた。母以外でこんな風に他人の手に触れたのは、初めてだった。冷え切っていた手のひらに、ほんのりと熱を感じる。重ねた手に嬉しそうに笑った少年の黒い瞳と、ローブから見えた黒い髪。それが記憶にあった母親の黒髪を不意に思い起こした。

 

「じゃあ、改めて自己紹介。ここは外だから念のため名前だけだけど、俺は奏太だ」

「リンはリンだよー」

「……ヴァーリ」

「おぉー、よろしくなヴァー!」

「なるほど、ヴァーかぁ…。ヴァーリくんじゃちょっと長いし、俺もヴァーくんにしようかな」

「おい…」

 

 勝手に名前を弄ってくる一人と一匹に、ヴァーリの頬は微妙に引きつる。だが、正直彼らに文句を言っても普通に流されそうな気がしたので、観念したように息を吐いたのであった。

 

 


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