えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百四十一話 一難

 

 

 

「ヴァーくん、この家から何か持っていくものとかはある?」

「大したものは特にないが…」

 

 薄暗い雲から降り注ぐ雪によって、真っ白に覆われた欧州の田舎町。俺の手を取った後、気恥ずかしそうにヴァーくんはそっぽを向いてしまう。そんな彼の様子に少し笑いそうになったが、それでへそを曲げられては困ると思って何とか我慢した。それによく見れば、寒さで小さな身体が小刻みに震えている。意地でも顔に出さないと歯を噛みしめているが、早めに暖かいところへ連れて行くべきだろう。

 

 ヴァーくんを無力化するために時間をかけてしまったので、早めに移動するべきだな。そろそろヴァチカン側が動き出しかねない。おそらく原作のシェムハザさんは、彼を保護する際に実力行使ですぐさま連れて行くしかなかったと思う。ヴァーくんの異形や大人に対する警戒心はかなりのものだ。原作だって相当暴れまわった可能性が高い。

 

 俺も悪魔とドラゴンのハーフであるリンが一緒じゃなかったら、聞く耳を持たないヴァーくんの説得は難しかったと思う。時間は貴重だったけど、それでも彼の姿を直接目にして、どうしても無理やり連れだすのに抵抗感を覚えたのだ。自分でも甘いと思うけど、このあたりは俺の性格だと思って割り切るしかないだろうな。

 

 とにかく、悪魔祓いの人達が来る前にこの町を離れよう。一応ヴァーくんに声をかけてみたが、家の隅っこに置かれている荷物ぐらいしか目につく物はない。彼がこれまで使っていた防寒具や食料品。しかし、これらはほぼ廃棄寸前ぐらいの代物ばかりで、食品類は盗んできたものだ。正直に言えば、移動にかさばるし衛生的にもよくないから持っていきたくないが、彼にとっては思い出の品かもしれない。それに、このまま放置してしまうのも町の美化的に悪いかもしれないと悩んでしまった。

 

 そんな風にちょっと考えたが、ヴァーくんはここに置いて行って構わないと首を横に振る。彼以外にも貧困で空き巣狙いをする人間が時々いるらしく、きっと彼らが見つけて有効活用するだろうと平然と告げた。なんとも逞しいというか、生きる力ってすごいなと俺は頬を掻く。崩れかけの家屋から三人で出ると、囲んでいた結界を解いておき、グッと腕を伸ばして背伸びをした。降り続く雪に足元を見下ろすと、だいぶ積もってきているようだった。

 

「はぁー。これで依頼は達成だなー」

「カナ、ヴァーを保護できたって連絡を入れた方がいいんじゃない?」

「あっ、確かにそうだな」

 

 ローブの端をリンに甘噛みされ、俺は腰につけているポーチから携帯電話を取り出した。とりあえず、結果を伝えておけば大丈夫だろうとメール画面を開いて『対象の保護成功。合流場所求む』と短文を送っておく。ここにずっといても仕方がないので、どこが集合場所になっても大丈夫なように大通りに向けて歩こうとヴァーくんに声をかけた。彼もそれに異論はないようで、積もった雪を踏みしめながら俺達は移動を開始した。

 

 ぬいぐるみサイズのリンは積もった雪が歩きづらいようで、今は俺の肩の上に乗っかっている。ヴァーくんは俺の一歩後ろをついてきていて、さっきから連絡を取り合っている俺の携帯電話に視線を向けているのがわかった。もしかしたら、携帯電話を初めて見たのかもな。神器に意識を向けている様子から、白龍皇(アルビオン)にこれが何なのか聞いているのかもしれない。相棒と対話している時の俺を傍から見たら、こんな感じなのかもしれないな。

 

「……それは、通信機なのか? やはり、仲間がいたわけか」

「仲間というか…、まぁそうだね。ヴァーくんの保護を俺達に依頼したヒトだよ」

「依頼…? 俺を保護したいと言った者とお前たちは違うのか? そもそもお前たちはどういう立場で――……おい、そのニヤついた顔をやめろ」

「いやー、だって。俺達に興味を持ってくれて嬉しいなーって」

 

 さっきまで話すら聞いてくれず、ずっと敵意を向けられていた側からすれば、警戒心の強い猫がちょっとずつこっちに歩み寄ろうとしてくれているみたいで嬉しくなる。腕を伸ばして銀色の髪をわしゃわしゃすると、バシッと強めに叩かれて威嚇されてしまった。うーん、これ以上は本気で機嫌を損ねそうなのでやめておこう…。それにしても、せっかくサラサラそうな銀髪なのに随分痛んでいる。帰ったら、まずは風呂に入れてやらないとな。

 

「……ッ、もういいっ! だいたい、俺をどこに連れて行くつもりなのかぐらい先に教えておくべきだろう」

「えっ、あぁそうだよな。そこがまず重要だわ。これから行く場所は、聖書陣営の一角。堕天使の組織『神の子を見張る者(グリゴリ)』だよ」

「リンたちは、そこの副総督に依頼されてヴァーを保護しに来たんだよぉー」

「……堕天使?」

《――――――!》

 

 俺が人間の魔法使いで、リンが悪魔でドラゴンだったからか、まさか自分の保護先が堕天使の組織だとは思っていなかったようでポカンとした表情を浮かべている。それに関しては、仕方がないだろう。ヴァーくんからすれば、悪魔と敵対している堕天使組織も同様に危険だと思っていて当然だ。訝し気な顔はされたが、こちらの話をとりあえずは聞いてくれるらしいとわかり、ホッと息を吐いた。

 

「堕天使と悪魔は確かに敵対関係だけど、ヴァーくんは人間とのハーフで神器(セイクリッド・ギア)所有者だ。堕天使は神器の研究に最も力を入れている組織でね。一言でいえば、神器研究が大好きなマッド集団なんだ。俺も神器の修行でグリゴリにお世話になっていて、今回はその伝手で依頼されたんだよ」

「俺の神器を研究するために、保護するということか?」

「言ってしまえば、それが理由だね。逆に言えば、そういう理由があるから命の安全は保障するよ。実験体みたいな扱いは嫌かもしれないけど…」

「いや、相手にも思惑がある方が納得がいく」

 

 何でもないように言ってのけるヴァーくんに、育ってきた環境のシビアさがうかがえる。先生たちなら非合法な研究はしないだろうし、原作のように親代わりとして育ててくれると思う。ヴァーくんの信頼を得られるかは先生たち次第だけど、俺も協力はしていくつもりだ。神器修行で鉄球は禁止するように抗議の準備も万全である。

 

 

「俺もできる限り顔を見せるから、何かあったらいつでも相談してくれていいからな」

「……やはり、お前は『神の子を見張る者(グリゴリ)』の人間じゃないんだな」

「あぁー、うん。俺は別の組織の人間だから…」

「…………」

 

 ヴァーくんの保護をグリゴリからの『命令』じゃなくて、『依頼』されたという時点で薄々気づいてはいたみたいだ。無表情で無言だから何を考えているのかは読めないけど、不安に思うのは当たり前だろう。これまでの環境によって精神的に大人びていても、彼は十歳ぐらいの子どもなのだ。俺は原作知識で十代後半の唯我独尊だった最強の白龍皇(ヴァーリ・ルシファー)を知っている。だけど俺の目の前にいるのは、必死に内面を見せないように強がる小さな子どもだ。ヴァーくんはラヴィニアと同じで、生きるために子どもではいられなかっただけなのだから。

 

 今は冬休みだから数日は傍にいられるけど、正月が明ければ残り数ヵ月で卒業する中学校生活が待っている。俺にとって日本で過ごす最後の学生生活だ。それに朱芭さんとの修業もあるから、放課後に顔を見せることができるのも週に数回だろう。彼に手を伸ばしたのは俺なのだから、その手を掴んだ責任はちゃんと果たしてあげたい気持ちはあるんだけど…。

 

「カナもヴァーも暗い顔すんなよー。リンがちゃんと傍にいてやるからな」

『えっ?』

「リンはカナの使い魔だよ。使い魔の行動は、主の意思そのものだってパパから教えてもらってるもん。パパにちゃんと理由を言っておけば、グリゴリの施設でヴァーが寂しくて泣かないように一緒にいてやるぞ」

「なっ、泣くわけないだろッ!」

 

 リンの明け透けな態度に、サッと頬に朱を入らせるヴァーくん。そこにさっきまで感じていた子どもらしくない表情は見えなくなっていた。ヴァーくんの傍にいるということは、これまで冥界と協会を行き来していた生活をやめて、彼がグリゴリに慣れるまでのケアをリンがしてくれるということだろう。ドラゴンは本来、縛られることが嫌いだ。だから仕事の時以外、リンは好きな時に人間界へ来て、好きな時に冥界に帰っている。そんな自由気ままに暮らしているリンが、わざわざこう言ってくれたのだ。

 

 年齢的に言えばリンはヴァーくんより少し年上なので、ドラゴンの弟ができた気持ちなのかもしれない。何だかんだで朱乃ちゃんの時も、世話を焼いてくれていたからな。たぶんリン自身もヴァーくんが心配だと思ったんだろうけど、このことで悩んでいた俺のためでもあるのだろう。俺の肩の上でぐりぐりと鼻先を押し付けてくるリンに、俺は感謝の気持ちも込めて鱗を優しく撫でた。

 

「……ありがとう、リン」

「ちなみに報酬は、毎日朱璃の手料理が食べられる権利ね」

「って、それが狙いかよ!」

 

 相変わらず、こういうところはちゃっかりしている使い魔である。でも、成長期のヴァーくんの健康を考えたら、味気なさそうな施設の食事よりもおいしい家庭料理の方がいいに決まっているだろう。なら朱璃さんに頭を下げて、食費を出すのは主である俺の役目だな。たぶん朱璃さんも朱乃ちゃんとそれほど年の変わらないヴァーくんのことを知ったら、自分から作るって言ってくれそうだしね。

 

 ……あぁ、そうか。去年の夏、姫島一家の襲撃事件があった。本来なら朱璃さんは亡くなっていて、朱乃ちゃんはバラキエルさんと決別して、だいたいこのぐらいの時期にリアス・グレモリーさんに拾われている頃なんだ。姫島本家を追放され、朱芭さんのところで修行しながら食堂の準備を頑張る朱璃さん。そして、堕天使の組織へ正式に保護され、日々雷光の修行に取り組む朱乃ちゃん。彼女は今後のために、姫島の術や生活技術を今も一生懸命に覚えようとしている。彼女たちは本来、この時期には『神の子を見張る者(グリゴリ)』にいなかった。この時期にヴァーくんが保護されたのなら、ちょうど入れ違いになるんだな。

 

 アザゼル先生やバラキエルさんの許可は必要だろうけど、もしかしたら朱乃ちゃんにとって貴重な同年代の友達になれるかもしれないのか。『堕ちてきた者たち(ネフィリム)』にも何人かいるみたいだけど、基本年上に囲まれた生活を彼女はしている。それに、異形と人間の間に生まれたという特殊な出生同士。ヴァーくんと朱乃ちゃんだからこそ、共感し合える気持ちもきっとあると思う。俺とラヴィニアみたいに、気の置けない幼馴染の友達になれたらいいんだけどなぁー。

 

 

 

「さっ、この路地を抜ければ大通りにもうすぐ出るはずだ」

「やっとだねぇー」

 

 新雪で真っ白に降り積もった人気のない小道をザクザクと進み続け、ようやく遠めにぽつぽつとだが人気のある大きな道が見えてきた。先ほど返信されてきたシェムハザさんからのメッセージを読み、レンタカーを置いてきた場所に集合なのを再度確認する。ここまでくれば、それほど時間をかけることはないだろう。顔に少し疲れが見えるヴァーくんには申し訳ないが、もう少しだけ頑張ってもらおう。

 

 さっきのヴァーくんとの攻防前。俺から逃げるために彼は魔力とドラゴンのオーラを放出して、町の中を逃走していた。シェムハザさんのおかげで横やりはなかったけど、この町に残るエージェントを刺激した可能性はある。もしかしたらこのことを不審に思い、ヴァチカンから派遣されるという上級エージェントに連絡を入れられたかもしれない。

 

 ヴァチカンから欧州の田舎町まで移動するなら、まだ時間はかかるだろう。それでも、用心は必要だ。念のため仙術もどきで周囲を確認しながら、ヴァーくんの体力も考えて慎重に進んできたのだが、これなら問題なく街を出られそうだな。

 

「ここは最低限だけど雪かきがされているから、少し速歩きで行こうか」

「わかった」

 

 こくりと頷くヴァーくんを確認し、最後の大通りを抜けるために一歩足を踏み出そうとした瞬間――魂を震わすような感覚に足を止めた。一歩後ろを歩いていたヴァーくんが俺にぶつかりそうになって、文句を言いたそうに声をあげようとしたが俺は咄嗟に彼の口を塞いで、すぐさま地を蹴って壁際に身体を寄せる。突然の行動に目を白黒させるヴァーくんには悪いけど、今は詳しい話をしている場合じゃない。

 

 相棒から発せられた紅の思念。これまで何度も俺の命を救ってくれて、何度も俺を導いてくれた感覚。その感覚を他者に伝えるのは難しいけど、俺だけは相棒の思念を疑わない。それが俺と相棒の関係なのだから。俺の切羽詰まった様子に何かあったと悟ったのか、口を塞いでいた手を軽く叩かれたので、ゆっくりと外しておく。小さく咳き込むヴァーくんに申し訳なかったので、小声で謝罪をしておいた。

 

「こほっ…。何か、あったのか?」

「……ごめん、すごく嫌な予感がしたんだ」

「うぇっ、カナの嫌な予感……?」

 

 俺からの一言に、リンが一歩引いた。ヴァーくんと彼の中にいるアルビオンから「それがどうした?」的な視線を感じたが、こればっかりは経験則というしかない。今年の夏まであんまり意識していなかったけど、俺の保護者の皆様曰く、俺が感じる『嫌な予感』は最悪を引き当ててくるみたいだからね。ちゃんと気づいて対処しておかなかったら、後々大変なことになるだろうと。そのための対処は毎回ものすごく大変らしいけど、そういった理由もあって相棒から発せられるこの感覚を無視してはいけないのだ。

 

「ヴァーくん、リンを抱っこしてもらっていてもいいかな?」

「……わかった」

 

 俺の肩に乗っていたリンも大人しくヴァーくんの腕の中へ納まり、ジッと俺のやることを見守ってくれている。まずは相棒が告げるこの感覚の正体を掴む必要がある。ヴァーくんの前だから遠慮していたけど、この予感が正しいのなら出し惜しみは悪手だろう。俺は手の中に紅の槍を呼び出し、仙術もどきと合わせながら神器のオーラを集中させていく。ヴァーくんは、はっきりと俺の神器を目にしたからか、興味深そうに相棒を見つめていた。

 

視覚の認識の消去(リムーブ)

 

 俺は目にオーラをため、壁越しに大通りを見通していく。道を遮る障害物は俺の目からは全て除去され、雪が降る中道を歩く人波だけが映った。一般人しか映らない視界の中で、俺は『異質なもの』の気配だけを探っていく。ゆっくりと仙術もどきの感知範囲を広げていき、心を落ち着かせてオーラを伸ばしていった。そしてその先で、……禍々しい強大なオーラを纏った人物が町を歩いていることを察知した。

 

 遠視の魔法でその方面に目を凝らすと、腰に幾つもの剣を帯刀している黒衣の神父を見つけた。彼が放つ禍々しい気配は、その腰にある剣から発せられているようだ。見ているだけで肌が泡立ち、ぞわぞわとした不気味さが背筋をかけてくる。そんな一般人とはとても思えない異様な出で立ちでありながら、誰も『彼』に向けて目を向けない。俺の記憶にある知識が警鐘を鳴らし、じっとりとした汗が頬を伝った。

 

 

「なるほど、ヴァチカンが誇る上級エージェント。『ドラゴン』を狩るなら、これ以上ない人材ということか」

 

 どうやら教会側は、ヴァーくんの存在をかなり重く見ていたらしい。もしかしたら無意識の内にヴァーくんの中に眠る魔王の血と神滅具のオーラに、彼らは畏怖を感じていたのかもしれない。心のどこかで俺は油断していた。上級エージェントが来るとわかっていても、相手はハーフ悪魔のボロボロの子ども一人なのだ。たった一人を狩るために、貴重な戦力をわざわざ投入してこないと考えていた。万が一鉢合わせても、今の俺なら上級に勝つのは難しくとも、切り抜けるぐらいなら問題なくできると思っていたのだ。

 

 だが、彼相手にそれはできない。カトリック、プロテスタント、正教会を含めて、トップクラスに数えられる戦士の一人。裏の世界に入ってからメフィスト様に教えられた危険人物のリストにも、すでにその名前は存在していた。教会の人間でありながら、幾つもの魔を纏う白い死神。教会が行っている戦士育成機関の出身で、肩口あたりで揃えられた灰色に近い白髪を持っている少年。年齢はヴァーくんより上っぽいが、俺より少し下ぐらいだろう。その位の年齢で、上級エージェントとして名を馳せている実力者。

 

 彼から感じられるオーラの圧に、よくこの年齢でここまで完成されたと感心さえする。教会が誇る、最高傑作だというだけはあるな。感知タイプの俺がギリギリ気づく距離なので、向こうはまだこちらに気づいていないはず。忍び足で元来た道を一度戻り、『彼』と鉢合わせないように目的地へ向かうしかない。俺は無言でヴァーくんの肩を叩き、指を差して引き返すように合図を送る。困惑する彼にリンもぐいぐいと袖を引っ張り、俺の後押しをしてくれた。それから一歩、一歩と少しずつ距離をあけていった。

 

 本当によりにもよって…、という気持ちだ。身に纏う独特なオーラと俺が持つ原作知識から、一目見ただけで彼が何者なのかに気付いた。さらに彼の性格や戦い方、使う武器の種類に、……その実力も。パワーもスピードもテクニックもあるという、俺にとって絶対に真正面から戦ってはいけないタイプだ。そろそろと大通りから離れていき、大回りをしようと頭の中に地図を描いていた最中――

 

 『彼』の持つ『剣』から突如、不気味なオーラが膨れ上がった。

 

「――ッ、ァ!?」

「ヒュッ――!!」

《――――――!!》

 

 そのオーラは、『ドラゴン』だけを襲った。極悪なまでに一点に研ぎ澄まされた『呪詛』。獲物が自分達から逃げることを悟った『剣』が、自らの担い手へ知らせるようにオーラを放ったのだ。そのオーラに当てられ、真っ青に顔から色をなくすヴァーくんとリンに俺は目を見開く。担い手にばかり意識が行き過ぎて、伝説の魔剣の存在を頭から消してしまっていた。それと同時に、壁越しでありながらこちらへ視線が向けられたような気がした。『魔剣』に導かれるように、『彼』がこちらを見る。

 

 ――相棒からの警鐘が頭の中に鳴り響いた。

 

 

「――――っ!!」

 

 俺はリンを抱えるヴァーくんを左腕で持ち上げ、彼らの重さを感じる感覚を消去する。瞬時に紅のオーラを全身に纏い、相棒の能力をフル活用して全速力で駆け出した。後ろは見ない。『彼』から逃れるには、彼の持つ『魔剣』の感知範囲から逃げることが必要だからだ。あらゆるものを切り刻めるという、最強を冠する伝説の魔剣。さらにその魔剣には、強力な龍殺しの呪いが施されているのだ。

 

 北欧神話である『ヴォルスンガ・サガ』に記載されている、英雄『シグルド』。『ハイスクールD×D』では、五大龍王の一角であり、最高峰の防御性能を持つ『黄金龍君(ギガンティス・ドラゴン)』のファーブニルを一度滅ぼしたとされている英雄。現在のファーブニルは、北欧の神々の手によって復活した存在なのだ。龍殺しの特性を持つ剣の中でも、最も極悪な力を持つ一本の意思ある魔剣。その名を――『魔帝剣(まていけん)グラム』と言った。

 

「よりにもよって、ジークフリートとかふざけんなよっ……!」

 

 お前、存在自体がフライングし過ぎなんだよっ! 何で原作の第三章ぐらいに出てくるはずのネームドエネミーが、こんな田舎の町中で出てくるんだァッ! ヴァーくんはまだ、お前みたいなヤバいやつと戦えるレベルじゃないんだぞ。そのレベルに達成するまで、ちゃんと出番を待っとけよっ! 俺はヴァーくんを認識阻害のルーンが刻まれた灰色のローブの中に包み込み、少しでも龍殺し(ドラゴンスレイヤー)の追跡を撒けるように走り続けた。

 

 原作では三大勢力の和平が成立した後に現れた敵側の一人。旧魔王派と同様に『禍の団(カオス・ブリゲード)』の中核派閥の一つを担っていた英雄派の副リーダー。『龍の手(トゥワイス・クリティカル)』の亜種バージョンを持つ神器所有者で、さらに五本の魔剣と一本の光の剣を所有する英雄シグルドの末裔――『魔帝(カオスエッジ)ジーク』。

 

 

「――ダインスレイブ」

 

「二人とも、しっかり捕まってろ」

 

 仙術もどきで感覚を鋭くしていたおかげで、微かに聞き取った魔剣の名前。それに舌打ちをすると、俺は一切スピードを緩めることなく、相棒に全ての意識を集中した。ここで少しでも足を緩めたら追いつかれる。なら、不安や恐怖という雑念を全て消し去り、生き残るために駆け抜けるしかない。彼の扱う魔剣の特徴は原作知識で覚えている。そしてその知識は、俺を通して相棒も共有していた。力強い紅の思念が、俺の中を駆け巡った。

 

「――相棒ォッ!!」

 

 突如、俺達の進路を塞ぐように地面から生え出した無数の氷柱。氷の魔剣『ダインスレイブ』は、剣を一振りするだけで巨大な氷の柱をいくつも操ることが出来るのだ。その数は瞬時に増えていき、こちらの進路を完全に塞ごうとしてくる。だが、俺はその氷柱が生まれる僅かな隙間をすり抜ける様に疾走していく。その先端は鋭利に尖っており、一秒前にいた場所がすでに貫かれているような状況。少しでも避ける位置がずれれば、足が恐怖に竦んでしまえば、地面から生えてくる氷に俺達三人は串刺しにされるだろう。

 

 それでも、俺は迷わなかった。恐れなかった。相棒は俺からの無茶に『是』と返してくれた。なら、大丈夫だ。俺の命は相棒に任せた。だから俺がやるべきことは、ここから抜け出す打開策を切り開くこと。地面から飛び出す氷柱の勢いに積もっていた雪や氷が空へ押し出され、それが視界を覆うように空間へと広がる。幻想的なまでにキラキラと光り輝くダイヤモンドダスト。それを目にした俺は、咄嗟に声を張り上げた。

 

「リン、舞い上がった雪と氷に向けて火を噴けっ!」

 

 魔剣によって作られた氷柱は難しいが、空に舞う雪や氷なら今のリンでもいけるはずだ。返事はなかったが、使い魔と繋がる念話で了承が返ってくる。俺が望むイメージを念話で伝えると、ローブを翻して口元だけ見せたリンは、視界を覆う白色に向けて広範囲に口から炎を吐いた。龍殺しの『呪詛』の影響によって威力はそこまでないが、広範囲に当てられた炎によって氷は解けて水となり、沸点を越えて一瞬にして水蒸気へと変わる。だが、すぐに鎮火された炎によって熱は冷め、一気に氷点下の環境へと水蒸気は晒された。

 

 小さな水の粒が空中へ無数に舞い上がる。局地的に作り出された即席の濃霧。それにより俺達に向けられていたジークフリートの視線が、刹那の間だけだが遮られたのがわかった。

 

「バルムンク!」

 

 しかし、魔帝(カオスエッジ)はすぐに左手に新たな魔剣を取り出し、切り裂くように霧の中へ剣を突き刺した。暴風の魔剣『バルムンク』。剣先からまるでドリルのような風のオーラが剣に纏まりつき、そこから発生した竜巻が破壊の渦を生み出す。魔剣『ダインスレイブ』によって作られた氷柱すら削り取る竜巻によって、辺り一帯に広がっていた霧が一瞬にして消え失せた。

 

 だが、……俺の勝ちだ。一瞬でも俺から視線を外してくれさえすれば、それでよかったのだから。

 

 

「……見事だ」

 

 仙術もどきの感知で拾った彼からの純粋な驚きと、どこか楽し気な気配を感じる声音。俺は『分割(セパレート)』した『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』をヴァーくんとリンの手に刺し、「外に漏れるドラゴンのオーラを消去」させ、俺自身も能力で一切の気配や姿を消したのだ。ジークフリートの驚異的な索敵能力は、彼の持つ魔帝剣グラムの持つ龍殺しの呪詛の力だ。あの剣は自ら意思を持ち、そしてドラゴンの血を求めている。龍の属性を持つ者を問答無用で呪ってくる恐ろしい魔剣。

 

 逆に言えば『ドラゴン()』の気配さえ断てば、その索敵能力は一気に下がるだろう。力の塊であるドラゴンが、己のオーラを完全に消し去ることは不可能に近い。俺の能力で強制的に消すぐらいしないと、魔帝剣グラムから逃げられなかっただろう。あとはジークフリート自身の目さえ誤魔化すチャンスがあれば、こちらを辿る痕跡を消せると踏んだのだ。

 

 こちらを見失ったことで足が止まったジークフリートを完全に置いていく勢いで、俺はどんどん突き放していく。一方向に逃げず、師匠から習った追跡を撒く用のルートを選びながら、確実に距離を稼いでいった。相棒の力がヴァーくんとリンに効いている間に、最大限距離を離しておかないといけない。次に補足されたら、今回のようにうまく逃げられる保証はないのだから。

 

 白龍皇との鬼ごっこの次は、まさかの龍殺し(ドラゴンスレイヤー)との鬼ごっこになるとは、本当に俺の運ってどうなっているんだろうか…。一難去ってまた一難という状況に、思わず盛大なため息が出た。相棒からの危険を知らせる思念も消え去り、ようやく人心地着くことができたと確信ができると、ずるずると壁に背中をついて倒れ込む。命の危険が半端なかったから、無傷で切り抜けられて心底助かった…。鬼ごっこはしばらく勘弁したい。

 

 

 それから携帯電話を取り出して一報を入れると、ジークフリートの気配を察したシェムハザさんが遠回りでこちらへ車を出してくれているようだ。ヴァチカンの予想外に速い動きに謝られたけど、シェムハザさんからの「問答無用で捕まえろ」という指示に逆らって、話し合いを望んで時間をかけてしまった俺の責任でもある。それに隣で灰色のローブに包まる銀髪を見て、この選択に後悔はしていない。何より、こうして生き残れたのなら上々だ。それに今回の借りはいずれ倍返しにするだろうさ……将来のヴァーくんがなっ!

 

 それから相棒の思念に従って町を走り去り、シェムハザさんと無事に合流することができた。俺が行動している間に裏で他のエージェント達を気絶させてくれていたようで、あとはスムーズに進めることが出来たようだ。本当に鬼門は、ジークフリートだけだったんだなぁ…。彼が出てくれば、堕天使の介入を悟られないように隠密していたシェムハザさんも出てこざるを得なかっただろう。俺の正体も人間の神器(セイクリッド・ギア)所有者ってことはわかったと思うけど、所属も能力もたぶん悟られなかったと思う。リンはローブの中にヴァーくんと一緒に包まっていたし、オーラも混ざって判別しづらかっただろうしな。

 

 こうして多少のトラブルはあったものの、無事に今回のミッションをコンプリートすることができた。魔帝剣(まていけん)グラムの龍殺しの波動を浴びて、ぐったりしているヴァーくんとリンをそっと車のシートに乗せ、俺達は速やかに撤退したのであった。

 

 


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