えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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 第6章の全体の流れが決まりましたので、また時間を見つけてはコツコツと更新していきたいと思います。第6章は高校1年生~高校2年生の二年間を描いていく予定です。蝶の羽ばたきでちょこちょこエライことになりそうですが、頑張っていくよ(`・ω・´)!


第六章(上) 激動編
第百四十六話 邁進


 

 

 

「……よし、準備は大丈夫かな」

 

 先ほどまで寝癖がついていた黒髪を整え、陵空(りょうくう)中学校の制服に身を包んだ少年は気合いを入れるようにまっすぐに前を向いた。自分の部屋にある鏡に映る顔はまだ少し眠たげだが、朝食を食べている内にマシになるだろう。パンパンと軽く頬を叩いた幾瀬鳶雄(いくせとびお)は、いつも朝早く起きて仕度をしてくれている祖母を手伝うために自室の扉を開けた。

 

 鳶雄は朝に強い方である。祖母と二人暮らしであるため、毎日の日課である朝食作りを手伝っていたら、自然と身についた生活習慣だ。祖母である幾瀬朱芭(いくせあげは)は、いつも大らかで優しいが、こういうところは非常にきっちりしている。昔からお祖母ちゃん子だった鳶雄は、朱芭に褒めてもらいたいという思いもあり、幼いころから習慣づけてきたのだ。今では当たり前になったが、そんな昔の自分をふと思い出して小さく噴き出した。

 

 今日から鳶雄は、中学校の最終学年にあがる。中学三年生のやるべきことといえば、やはり高校受験に向けた受験勉強だろう。幼馴染である東城紗枝(とうじょうさえ)と少し前に進路先について相談したが、家からそこまで遠くない陵空(りょうくう)高校を目指そうと話をした。家の近所だからということもあるが、それなりに偏差値も高く、ハワイ諸島を豪華客船で十日間クルージングできる修学旅行の内容にみんなで目を輝かせたのも印象的だった。

 

 初の海外旅行をせっかくなら友人たちと一緒に楽しみたいというのは、多少動機が不純かもしれない。だけど、そこを目指す同級生も多く、紗枝や佐々木と揃って受験勉強もできる。それに、朱芭の傍をあまり離れたくなかった。年々身体を動かすことに苦労している様子を見て、孫として大好きなお祖母ちゃんを支えてあげたいと思うことは鳶雄にとって当然だったのだ。

 

「まぁ、いつも朱璃さんや朱乃ちゃんが手伝いに来てくれるから、俺の出番はそんなにないかもしれないけど…」

 

 幾瀬家のためにわざわざ申し訳ない気持ちはあるが、鳶雄にとって頼りになる親戚に大変感謝もしている。学生である鳶雄は、昼の間はどうしたって拘束される。仕方がないことだが、あまり動けない祖母が家で一人というのは家族として心配だった。そんな鳶雄の気持ちを汲み、さらに学生としての時間を楽しんでほしいと積極的に彼女たちは動いてくれたのだ。

 

 姫島一家と出会ってもうすぐ一年経つ。それに感慨深く思うと同時に、幾瀬家と姫島家を繋いでくれた先輩の顔が浮かんだ。数週間前に中学校を卒業していった先輩には、本当にお世話になっただろう。祖母の下で先輩が謎の念仏修行を積みだしてから二年。修行終わりの食卓に先輩も座ることが多々あり、食事関係はこちらで用意していたから、どちらかといえばこっちがお世話をした側かもしれないが…。それでも、先輩――倉本奏太(くらもとかなた)のおかげで助かったことはいくつもある。彼は何でもないように笑って、幾瀬家を支えてくれたのだ。

 

 時々揶揄(からか)われて困らせられたことはあるが、同級生や家族にはちょっと言いにくい相談に快くのってくれた。振り回されることもあったが、空気というか場を読むのが上手く、周りのために察して動いてくれたことも多い。そんなこれまで色々面倒をみてくれた先輩は、もう……いない。それを実感すると、胸にぽっかりとした寂しさと一緒に、これからは自分が先輩として後輩たちの面倒を見ていかないといけないな、と身が引き締まる思いもした。

 

 新しい学年を迎える初日。卒業した先輩に託されたものを胸に、鳶雄はキリっとした表情でリビングの扉を開けた。

 

「あら鳶雄、おはよう。今からちょうど朝食に取り掛かるところよ」

「おはよー、鳶雄。ご飯はもう炊飯器にセットしておいたぞー」

「……いや、何で当たり前のように(うち)にいるんですか。奏太先輩」

「えっ?」

 

 普通に朝から幾瀬家で寛ぐ奏太を見て、さっきまでの決意を色々返してほしいと鳶雄は真顔で思った。

 

 

「つまり、これからはちょくちょく朝から祖母ちゃんに師事されに来ると」

「そっ。俺が日本にいられるのは半年だけだしね。なので、これから半年間またお世話になりまーす」

「卒業式での感動が薄れるんですけど…」

 

 三人よっての朝食作りが終わり、おかずを掻き込みながら事情を聞く。これまでは鳶雄が春休みだったため朝からは遠慮していたが、学校が始まれば午前中は確かに問題ない。この二年間でわかっていたが、奏太のマイペースな行動力というか、問題なければいけるだろうというノリの軽さにハァ…と息を吐く。普通なら他者の家にお邪魔して朝食まで同伴するのは図々しいかもと遠慮するものだが、朱芭と鳶雄ならそこまで気にしない。それを見越して来ているだろうあたり、相変わらずだと肩を竦めた。食費も事前に朱芭に渡しているあたり抜け目がない。

 

「今年でもう三年目ですよね。えーと、般若心経(はんにゃしんきょう)とか覚えるの」

「般若心経はもうとっくに覚えたよ。そういう一般大衆向けに広められた仏教の教えのことを顕教(けんきょう)って言うんだけど、そのあたりは去年の秋ぐらいに合格点をもらえたかな。今は密教(みっきょう)関係……内々で継承される教えや真言を教わっているところだよ」

「ふーん…?」

 

 話をしてもらってアレだが、鳶雄は宗教関係について特に関心を持っていなかったので「そうなんだ」としか思えない。お祖母ちゃん子の鳶雄は、これまで料理など祖母からたくさんのことを教えられてきたが、こればっかりはさっぱり理解できなかった。そもそも普通の中学生がお経を勉強するというのは、どう考えても一般的ではないだろう。奏太の話や費やしてきた年月を考えれば、趣味の範疇などとっくに超えている。

 

 そんな先輩の本気具合を間近で見せられてきた後輩は、思春期にかかりやすい厨二病的なものにかからず済んだこともあり、大変一般的な知識しかもっていなかった。特に何か困るわけでも迷惑を被るわけでもないので、朱芭と奏太の師弟関係に不思議な気持ちはあっても、あまり干渉しないようにしてきたのだ。ずずっと味噌汁を口につけた鳶雄へ、奏太は少し考えてから口を開いた。

 

「うーん…。鳶雄にわかりやすく例えるなら、細かいところは違うけど『陰陽道(おんみょうどう)』と言い換えてもいいぞ。よく漫画やドラマでやっているだろ。『六根清浄(ろっこんしょうじょう)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)』とか、手印を結んで呪文を唱える『九字(くじ)』とかな」

「あっ、それなら聞いたことがあります。『臨・兵・闘・者・皆(りん・びょう・とう・しゃ・かい)……』みたいなやつでしたっけ。仏教って陰陽術だったんですか?」

「陰陽道そのものじゃないけど、鳶雄が知っているような陰陽師が使う呪文や真言は、道教や密教、修験道に由来していることが多いんだ。もともと陰陽師っていうのは占い師みたいなものだったんだけど、呪禁師(じゅきんし)が廃止された頃から呪術にも精通するようになって――」

 

 奏太から短めに教えられた内容に、感心したように鳶雄はうなずく。時々朱芭がその話に指摘や補足を加え、これまでの知識が身についている弟子の様子に嬉し気に微笑む姿から、この二人の師弟関係の良好さがうかがえる。奏太という弟子が出来るまで知らなかった祖母の一面。先輩をスパルタで容赦なく泣かせる朱芭にちょっと引いたことはあったが、ここ数年の溌溂とした祖母の様子に安心もしていた。

 

 幾瀬鳶雄にとって、かけがえのない最愛の肉親。朱芭の様子から、だんだんと年齢による無理がきていることも頭の中ではわかっている。大きくなっていく自分と反比例するように、小さくなっていく祖母の身体。だけど、鳶雄はその先を考えたくなかった。きっと大丈夫だと、まだまだ一緒にいられるはずだと、漠然と沸き上がる不安を打ち消していく。その不安は年々膨れ上がっていくが、今はただこの穏やかな日々をずっと見ていきたかった。

 

 

「それじゃあ、そろそろいってきます」

「おう、気を付けていってこいよ」

「その、先輩も修行を頑張ってくださいね」

「はははっ…。半年に期間が圧縮された結果、修行のスパルタが倍プッシュされる予感しかしない」

 

 そうして賑やかな朝食を済ませ、食器類の片づけをする頃にはそろそろ出発しないといけないだろう時間になっていた。鳶雄は右肩にスクールバックをかけ、トントンとスニーカーの中へ足を入れる。鳶雄が家を出た後の施錠をやるとついてきた先輩に頭を下げ、玄関の扉に手をかけた。一応ささやかながら応援をしてみたが、目が死んだように笑う先輩に今日の晩御飯は先輩の好物でも作ってあげよう、とそっと目を逸らした。

 

 鳶雄が心の奥底で感じている怖れ。友人である佐々木達に家庭内のことを話すのは気が引け、幼馴染の紗枝には心配をかけさせたくなかった。姫島一家のみんなには今でさえ世話になっていて、これ以上迷惑をかけることに気後れする。それに鳶雄自身の性格だが、女性に弱音を吐く姿を見せたくないという男としての意地みたいなものがあった。祖母と二人で暮らしてきた鳶雄にとって、女性とは守るべき立ち位置だ。元来の負けず嫌いな性格も合わさって、自分でも難儀なものだと思考した。

 

 ……でも、だからだろうか。鳶雄の中で、倉本奏太だけは少し違った。他人だけど、家族ぐるみの深いつながりがある男の先輩。家族や友人達のように常に近い距離にいる人たちと違い、学年が一つ違うこともあり、近いけど遠い立ち位置にいる奏太は、鳶雄にとって唯一肩肘を張らずにいられた人物だ。それに後輩なんだから頼れ、と当たり前のようにいつも受け入れてくれた。

 

「……ねぇ、先輩」

「ん?」

「祖母ちゃんは、大丈夫ですよね。これからも俺、祖母ちゃんとずっと一緒に…」

 

 思わず開いた口から発せられたのは、何を言いたいのか要領を得ないような言葉。自分でもまとまらない感情に、鳶雄はグッと唇をかんだ。こんなこと、先輩に話してもどうしようもないじゃないか。それに明確に言葉にすれば、言霊として現実になるかもしれない。

 

「いえ、すみません。何でもないです」

「鳶雄」

「じゃあ、祖母ちゃんのことよろしくお願いします。いってきます!」

 

 困惑を浮かべる奏太に背を向け、鳶雄は逃げるように家を出てしまった。足早に出て行ったことに申し訳なさを感じたが、先輩なら鳶雄が深く触れてほしくないとわかったら、触れずにいてくれるだろう。きっと新しい学年に上がって、その不安が少し心に揺さぶりをかけただけ。ちょっと時間をおけば、胸に渦巻くもやもやだって気にならなくなるだろう。

 

「……しっかりしろよ、俺」

 

 こんな情けない顔を祖母ちゃんに見られた方が、よっぽど心配をかけさせてしまう。来年は高校生になるのだから、しっかりと勉強だって頑張らないといけない。「鳶雄なら大丈夫」といつも優しい笑顔で、そっと背中を押してくれる朱芭を安心させてあげられるように…。照り付ける春の陽射しに目を細めながら、幾瀬鳶雄は気分を入れ替えるように学校へと駆けていった。

 

 

 

「……神器の持つ予感ってやつなのかもな」

 

 飛び出していった鳶雄が走り抜けた玄関の扉を閉め、奏太はそっと呟く。要領の得なかった鳶雄の言葉を、奏太は何となく理解していた。神器は宿主の魂と密接につながっている。彼の中に眠る『存在』が、これから少年の未来に起こるだろう先を感じ取ったように。

 

「最初に朱芭さんが言っていたよな。俺に修行を付けられるのは、三年間だけだって」

 

 どうして三年だけしかダメなのか。どうして深く聞いてはならないと直感が働いたのか。最初はわからなかったその疑問は、彼女との修行によって知りえた知識と触れてきた魂の感覚から、おのずと気づいてしまった。正直に言えば、気づかなければよかったと思う。まだぼんやりとしかわからないが、『その時』が少しずつ近づいていることはわかっていた。誰であろうと、いずれ迎えることになるだろう理。何も知らないまま、気づかないまま、『その時』を迎えられていれば……。

 

 そこまで考えて、倉本奏太は静かに首を横に振る。幾瀬朱芭の技術を継承すると決めたのは自分の意思だ。ならば彼女の最後の弟子として、師の生き様を最後まで見届ける。師の生きてきた証を受け継ぐために、自分がやるべきことを一心不乱に全うする。彼女はきっと己の定命に逆らわない。包み込むような優しさと真っすぐな性根を持つ、他人にも自分にも厳しい人だから。

 

「本当…。裏の世界(こっち)に足を突っ込んでから、立ち止まっている暇なんて全然ないな」

 

 グッと腕を伸ばして、落ち込みそうになった気分を上げるように奏太は大きく息を吸い込む。温かな紅の光が宿主の感情に寄り添うように感じられ、それに感謝を告げるようにそっと胸に手を当てた。吹っ切れるようにため込んだ息を吐き出し、先ほどまでの意識を切り替える。

 

 その目は真っすぐに前を見据え、『変革者(イノベーター)』として迷いなく師の下へ足を向けたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「……なぁ、あいつは何で倒れ込んでいるんだ?」

「おばあちゃんの修行が鬼神すぎるんだって」

「むっ、厳しい修行をしてきたってことか。それをやったら、俺も強くなれるのか?」

 

 新たな幾瀬家での修行の日々が始まって、早数週間。うん、あれから半月しかまだ経っていないことに愕然とした。卒業式の時にこれからはさらに厳しくすると言われていたが、本当に有言実行すぎて泣きたくなる。疲れた俺を慰めてくれる朱乃ちゃんと、厳しい修行と聞いて目を輝かせるヴァーくんの会話を聞きながら、俺は姫島一家の暮らすマンションにお邪魔していた。

 

 一ヶ月ほど前に知り合った子どもたちは、最初はお互いの距離感に戸惑っていたようだけど、今は問題なく過ごせているようだ。危なっかしくて天然気味なヴァーくんを見てて、朱乃ちゃんのお姉ちゃん魂が刺激されたのか、彼女の方から自主的に関わるようになったらしい。何だかんだで押しに弱いヴァーくんはその勢いに絆され、今に至るみたいだな。

 

 朱乃ちゃんとヴァーくんは年が近いのもあるが、バラキエルさんとの修行を一緒に受けるようになったのも大きいと思う。体格や力量が同じぐらいだからか、走り込みや体術の訓練を二人で取り組んでいることも多い。父親であるバラキエルさんがちょっと複雑そうだったけど、強くなるという目標のために毎日修行をしている二人にとって、刺激し合える相手が傍にいるのは良いことだろう。

 

 遠距離型のウィザードタイプである朱乃ちゃんと近接型のパワータイプであるヴァーくんは、元々の才能もあって子どもながらすでに火力が馬鹿にならない。力量の差がある相手と下手に組ませると大けがをさせかねないため、なかなか同世代の子どもと組ませることが難しかった。しかも異形の血を半分引き、特殊な異能だって持っている。過保護かもしれないが、同世代から「化け物」のように見られる可能性もあり、幼い二人のために大人たちが慎重になるのは当然だろう。俺も二人がのびのびと成長してくれたら嬉しいしな。

 

「奏太。俺にもその修行方法は試せないのか?」

「あぁー、ごめんヴァーくん。俺がやっている修行は密教って言って、内弟子にのみ伝える秘伝みたいなものなんだってさ。だから、あんまり詳しい内容は話せないんだ」

「……ダメか?」

「うん」

「魔王の血を引く白龍皇の俺でもダメなのか?」

「うん」

「そうなのか……」

 

 しょんぼりされた。普段から生意気盛りなヴァーくんだけど、こういう素直なところが憎めないし、可愛いんだよな。口にしたら確実に不機嫌になって怒られるから言わないけど。それに実際に俺がやっている修行は、他者へ口外するには危険なものがいくつもある。下手に真似して、取り返しがつかないことになったらまずい。毒薬変じて薬となる、ということわざがあるように、密教の中には邪法や呪祖を扱う術もあるのだから。

 

 

「えーと、その代わりって言ったらアレだけど…。アザゼル先生から許可をもらったし、今日は俺のパートナーをヴァーくんに紹介できると思う。だから、魔法の修行とかなら段階をレベルアップできると思うよ。俺も教わっているし」

「……奏太のパートナー。確か俺と同じ神滅具(ロンギヌス)の所有者だと言う…」

「あぁ、ラヴィニアって言うんだ。たぶんもうすぐ向こうの仕事が終わると思うから」

「わぁー、今日はラヴィニア姉さまも来てくれるんだ!」

 

 ヴァーくんの話を聞いてから、ずっと会ってみたいとラヴィニアにお願いされていたからな。危惧されていた神滅具の暴走もこの二人なら大丈夫だろうと判断され、あとはヴァーくんが他人に慣れるのを待っていた感じだ。倒れ込んでいたテーブルから顔を上げて俺が説明すると、朱乃ちゃんは嬉しそうに手をたたき、ヴァーくんはパチクリと目を瞬かせて一瞬固まる。そして、碧眼がギラギラと好戦的に輝き、両腕を胸の前で組みだした。

 

「そうか、くくくっ…。まさか伝説のドラゴン――『白い龍(バニシング・ドラゴン)』をこの身に宿す俺と、同等の力を宿す人間にこんなにも早く相まみえるとはな…」

 

 どうやら先ほどまでの機嫌は一気に直ったようで、不敵な笑みを浮かべだす。壁に背を預けながら、気取った口調とポージングを決めるヴァーくん。どうやら彼の中で、自分以外の神滅具の所有者に会える興奮を強者風味に表しているようだ。

 

 そんな微笑ましいヴァーくんの様子を携帯でパシャリと保存して、彼の成長記録をそっとつけておく。最近はカッコいいポージングを一生懸命にノートに書いて研究していたから、その成果を発揮できて何よりである。

 

「ふっ、是非とも一戦を交えてみたいものだ」

「無理じゃないかな」

「アザゼルに咎められるからか? 悪いがその程度で俺の戦意を削ぐことなど、それこそ無理というものさ」

「ヴァーリくん、私もラヴィニア姉さまは無理だと思う」

 

 俺と朱乃ちゃんのマジトーンの指摘にへこたれず、ふんと鼻を鳴らすヴァーくん。別にアザゼル先生に叱られるからとかじゃなくて、彼女を相手にする場合は物理的に無理だと思う。だからこそ、アザゼル先生も二人を会わせることに問題なしと太鼓判を押したのだから。ラヴィニア・レーニという少女をよく知る俺と朱乃ちゃんは、無言で目を合わせて心を一致させる。戦意を(みなぎ)らせるヴァーくんには悪いけど、どうやっても無理だろうなぁと思った。

 

 それから三十分後。懐にしまっていたヴァーくん自作の『ここぞで使うセリフ集』をまとめたメモで予習を完了させた彼は、マンションに設置されている転移魔法陣の前にスタンバイしていた。無表情で佇んでいるけど、わくわくと効果音がつきそうなぐらいソワソワしている。

 

「おい奏太、まだか」

「さっき連絡をしたら、もうすぐだってさ」

「そうか。……ポケットに手を突っ込んで立っている方がいいか? いや、やはりここは定石通り腕を組んで待ち構えた方が…」

 

 どうしよう、ヴァーくんが微笑ましすぎて仕方がない。原作のヴァーリ・ルシファーは知っていたけど、小さい頃のヴァーくんのこうした一つひとつの頑張りが、あの大胆不敵な最強の白龍皇を作り上げていたんだな。あの原作のヴァーリ・ルシファーの傲岸不遜(ごうがんふそん)さは、決して一朝一夕でできたものではなかった。こうした涙ぐましい努力の集大成が、未来の彼に繋がっていたのだ。今度は携帯の録画で一部始終その様子を保存しながら、これからも彼の成長を見守っていこうと心に決めた。

 

 そして、ようやく待ち人が到着したことを知らせるように、転移魔法陣から魔法力があふれ出す。魔法陣から白色の光源が渦を生み、眩い閃光を周囲に放った。俺たちが眩しさに目を細めたその後、ふわりと舞い降りる金色の髪が視界の端に見えた。片手でとんがり帽子を押さえながら、ラヴィニアは俺たちへ向けてニコリと微笑みを浮かべた。

 

 

「こんにちは。お待たせしてしまって、申し訳なかったのです」

「こんにちは、ラヴィニア姉さま」

「気にしなくていいよ。そっちこそ、お仕事お疲れさん」

「はい、ありがとうございます」

 

 仕事終わりにそのまま転移で来てくれたのか、協会で普段から着用している白いローブのままだ。そうして、三人でのんびり挨拶を交わしていると、どうやら片手をポケットに入れて歩み寄ることにしたヴァーくんの姿が見えた。伝説のドラゴンが宿った神滅具を所持することを誇るように、周囲に重たいオーラを滲ませていく。好戦的な眼差しを隠すことなく、ヴァーくんは口の端を愉快そうにあげていた。

 

「キミが神滅具を所有する魔女か。なるほど、なかなか良いオーラを纏っている」

 

 きょとんとするラヴィニアへ、ヴァーくんはポケットに入れていない方の片手で顔の半分ほどを覆いながら不敵な笑みをつくった。

 

「ふっ、俺はヴァーリ。悪魔の血と、キミと同じ神すら滅ぼすことが可能と言われる力を持つ『白い龍(バニシング・ドラゴン)』をこの身に宿した唯一無二の存在さ」

「あなたがヴァーくんなのですねっ!」

 

 さっきまでの雰囲気やヴァーくんが三十分かけて練習したセリフなど全く意に返さず、ラヴィニアは満面の笑みを浮かべる。そして、無防備に近づいてしまったヴァーくんをその腕の中へ嬉しそうに抱き寄せた。まさかの反応にピシリと固まるヴァーくん。100%予想していた俺と朱乃ちゃん。

 

「――だっ、抱き着くなっ! おい、ちょっと、待ッ……!」

「やっと会えたのです。私は、ラヴィニア・レーニと言います。よろしくなのです、ヴァーくん!」

「ラ、ラヴィニア・レーニ! お前もヴァーくんはやめろっ! 俺にはヴァーリという名前が――」

「ヴァーくん。私のことは、ラヴィニアでいいのですよ?」

「話を聞けェェッーー!!」

 

 先ほどまでの気取ったセリフ回しは完全に取っ払い、いつもの年相応なヴァーくんが顔を見せていた。ラヴィニアの腕の中で必死に藻掻いているが、善意しか感じない女性に手は上げられないのかほとんど抵抗できていない。ちなみに「ヴァーくん」呼びは、彼女の中ですでに決定事項だから諦めろ。うん、やっぱりラヴィニアを相手にしたらそうなるよね。それから結局どうすることもできず、助けを求めるようにこちらへ視線を向けるヴァーくんに、隣にいた朱乃ちゃんが困った弟を諭すように告げた。

 

「ヴァーリくん。ラヴィニア姉さまはね、……奏太兄さますら振り回す天然さんなんだよ」

「か、奏太以上だとッ――!?」

 

 ヴァーくんの抵抗がピタリと止んだ。ラヴィニアが天然なのは間違っていないけど、何で俺が引き合いに出されるの? ヴァーくんも戦慄するところがおかしくない? ラヴィニアも不思議そうに首を傾げているけど。

 

「……どうしようもないのか?」

「うん、兄さまと姉さまに関しては」

「そうなのか…」

 

 ガックシとラヴィニアの腕の中で力なく項垂れるヴァーくん。すげぇ…、現在・過去・未来永劫において史上最強になるだろう白龍皇が完全に白旗を上げている。まさか出会って数秒で、ラヴィニアの本質を理解してしまうとは…。遠い目で意識を飛ばすヴァーくんとか初めて見た。とりあえず、これ以上は同じ男としてちょっとかわいそうなので、ラヴィニアの興奮を収めておいた。

 

 ようやくラヴィニアの腕の中から解放されたヴァーくんはふらふらながら、なんとか気丈に立っている。たった数分で白龍皇をここまで憔悴させるとは、恐るべし天然…。落ち着いたラヴィニアは膝を折ってヴァーくんと視線を合わせると、慈愛に満ちた表情で頭をよしよしと撫でていた。

 

 

「改めまして、私は『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』に所属するラヴィニア・レーニなのです。私は『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』を宿しています。ヴァーくんの中のドラゴンさん共々、よろしくお願いします」

「……よろしく。あと、頭を撫でるな」

「ふふっ、はいなのです」

 

 プイっと顔を逸らす真っ赤なヴァーくんに、ラヴィニアは彼の頭からそっと手を離した。それからプルプルと小刻みに震えると、「先に帰るッ!!」と隠し切れない羞恥心を見せないように足早に部屋から出て行ってしまった。乱暴な足取りだったけど、怒っていないのはわかる。たぶん、恥ずかしくて拗ねてしまったのだろうな。

 

 ヴァーくんが『神の子を見張る者(グリゴリ)』に保護されて、もうすぐ四ヶ月ぐらい経つ。早いような遅いような不思議な感覚だ。無表情で感情をあまり表に出さないようにしていた頃とは、だいぶ変化してきたと思う。今回のようにヴァーくんの新しい顔が見られることが嬉しくて、だんだんと年相応な姿が見られるようになってきたことに安心した。

 

「あっ、もうヴァーリくん! 兄さま、姉さま。ちょっと行ってくるね」

「うん、ヴァーくんのことよろしく。今日のお昼ご飯はシーフードパスタだって言っておけば、お腹を空かせて戻ってくると思うよ」

「はい、今日は腕によりをかけて作るのです」

「わかりました、楽しみにしています!」

 

 朱乃ちゃんはぺこりと頭を下げると、ヴァーくんを追って部屋から走っていった。ヴァーくんと一緒に過ごすようになったからか、なんだか朱乃ちゃんはお姉さんらしくなったな。今日は朱璃さんが幾瀬家で過ごす日だったので、お昼はラヴィニアがイタリア風味のパスタをご馳走してくれる予定だったのだ。ヴァーくんは細長い麺が好きなので、今日はマカロニじゃなくて細麺だけどね。しばらくして熱が冷めたら、二人とも戻ってくるだろう。

 

「カナくん、嬉しそうですね」

「ははっ、うん。……いい子でしょ、ヴァーくん」

「はい、とってもいい子なのです」

 

 二人が出ていった扉を見ていた俺に、ラヴィニアは寄り添うように笑みを浮かべる。そして、二人でくすくすと肩を揺らし合った。さて、育ち盛りな子どもたちのためにも、おいしいお昼ご飯を用意してやらなきゃな。少し前に「子どもたちもどんどん大きくなり、海産事業も拡大できそうです!」とホクホク顔でサーモンやアンチョビといった魚介類や、エビやカニなどの甲殻類を届けてくれたサーモン・キングや人魚の奥さんのお土産だ。あまりは朱璃さんにあげる予定なので、姫島家の食事はしばらく豪華になることだろう。

 

「じゃあ、いこっか」

「そうですね。カナくんは、カルボナーラかトマトソースのパスタでしたら、どちらがいいですか?」

「うわっ、迷うなそれは…。そうだなぁー」

 

 俺たちものんびり歩きながら、マンションの中を一緒に歩きだす。陵空(りょうくう)中学校を卒業して、早一ヶ月。そして、海外留学まであと五ヶ月ほど。そう思うと短いように感じてしまうけど、かけがえのない大切な時間なのは間違いない。新しく始まった日常に少しずつ慣れていきながら、こうして月日は少しずつ過ぎていった。

 

 


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