えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百五十二話 輪廻

 

 

 

「あっ、このアイス。さっぱりしていてすごくおいしい」

「ソルベっていうみたい。果汁でつくれて、私にも食べやすいようにって鳶雄がレシピを考えてくれたのよ」

「ついに自作レシピまで作り出したか、あの女子力の塊」

 

 シャリシャリとした触感を楽しみながら、氷菓子の優しい甘さに自然と頬が緩む。乳製品特有のとろみがない分、すっきりとした味わいが喉をつるんと通っていく。これは確かにお年寄りでも食べやすい味だし、疲れた身体にもよく染み渡る冷たさだ。

 

 鳶雄のやつ、神滅具の問題がなかったらレストランとかカフェとかを開いてもいいと思う。それだけの腕前だと素直に感じる。これはお金が取れるおいしさだ。あいつは謙遜して首を横に振るけど、わりといけるような気がするな。

 

「鳶雄、将来は料理関係に進めばいいのに。陵空(りょうくう)高校は偏差値もそれなりに高いから、良い推薦先もあるだろうし、専門学校とか行けそうだけどな。あいつが店とか出したら、絶対に通い詰める自信があるわ」

「あらあら、べた褒めね」

「実際、おいしいですから。あいつももっと自信を持ったらいいのに…」

「ふふっ、他の人にお披露目できる機会があまりないものね」

 

 俺からの孫の賛辞に、朱芭さんはご満悦そうに微笑む。鳶雄の場合、周りが料理の上手い人に囲まれているからか、自分の腕前に自覚が全くないのが困りものだが。普通の家庭料理ぐらいしかできないと鳶雄はよく言っているが、当たり前のように朱芭さんを基準に考えている。お前はどこの「俺、何かやっちゃいました?」とか言いそうな無自覚系無双主人公(料理)だよ。環境チートを自覚するべきである。

 

「うーん。鳶雄って聞き上手だから、店を出すなら客との距離が近い方がいいだろうな。知っている人には人気の隠れた名店的な」

「でも、あの子ちょっと人見知りがあるのよね。初対面の人には硬くなっちゃうというか」

「そこは東城みたいな接客担当を雇って、程よく距離を縮められるようにすればいいと思いますよ。店の宣伝なら、俺の人脈を使えばいいし」

「あなたの人脈は洒落にならないから、ほどほどにしておきなさい」

 

 朱芭さんから真顔で注意されたので、ちょっと想像してみる。俺がみんなに一声かけた結果、鳶雄の店が豚丸骨(げんこつ)大将のラーメン屋みたいに異種族ごった煮の魔境カフェと化す様子を――。……これは、いかん。俺がゆっくり食事を楽しめない。鳶雄の受難も倍プッシュだ。人脈を使うのは朱芭さんの言うとおり、ほどほどにしておこう。むしろ瓢鯰(ひょうねん)師匠にお願いして、地味に宣伝するぐらいが一番いいか。さすがは師匠、ちょうどいいところにいつもいてくれる。

 

 さて、幾瀬家へお邪魔していきなりの重い話に胃が痛くなったが、朱芭さんとこうして話している間にだいぶ落ち着いたと思う。朱芭さんの寿命や鳶雄の封印とか、これからも考えなければならないことは多いけど、ちゃんと納得して進むしかないことはわかっていた。俺の原作知識では、大人になった鳶雄は『神の子を見張る者(グリゴリ)』のエージェントとして働いているぐらいしかわからないけど、あいつの傍で支えると決めたのは俺なのだから。

 

 

「ふぅ、ごちそうさまでした。食器を片づけてきますので、空いたカップをもらいますね」

「えぇ、お願いするわ。私は次の話のための準備をしておくから、急がなくても大丈夫だからね」

「……ちなみに次って?」

「あなたのもう一つの「起源」の話。それを話し合うには、必要なことよ」

「えっ?」

 

 朱芭さんの食べ終わったカップを手に、俺は驚きに目を見開いてしまう。俺の中にあるもう一つの「起源」。姫島朱雀のおかげで俺の起源が「木」であることが判明し、さらにもう一つ「紅の何か」があることを知った。朱雀曰く、元々生まれもった「神依木」の起源を食いつぶさないで、共生することができるものらしいけど。本来なら神器の「浸食」によって食われるはずだった俺の「木」の起源を、相棒が嫌がって「浸食」ではなく共生できるように「変質」させることでできた新しい「起源」だろうと言われた。

 

 つまり、「神依木」が生まれもった俺自身の特性で、『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』が目覚めた九年前から新しくできた起源こそが「紅の何か」なのだ。朱雀が俺のことを歪だと言ったのは、俺の行動が本来なら循環する輪から外れることを嫌う「木」の性質から明らかに外れていたからである。駒王町の前任者問題で最初にあれだけ俺が介入することにぐるぐる悩んでいたのは、そういう部分もあったからだろう。

 

 だけど、あの頃から……そう『書き換え(リライト)』の習得と同時に相棒と何かしら繋がった感覚を持った頃から、俺は『変化』を受け入れることに躊躇しなくなった。悩んで考えることはあっても、踏み出すことに怖れなくなった。俺の中で『原作』という凝り固まっていた概念を取っ払ったからだと思っていたけど、微妙に影響を受けていたことは否定できない。俺自身、悪い変化だと思っていないからいいけど、神器の「浸食」のヤバさがわかる。本当に宿主本人は今までの自分を客観的に振り返らないと、わからないし気づかないのだ。自分がいつの間にか変わっていたことに。

 

 平和を望み、何度もこれでいいのかって悩んで考え込んでしまう「俺」と、一度やると決めたら猪突猛進で最後まで突っ込んでいく「俺」。その二面性は間違いなく俺の中で存在していて、そして不思議とうまいこと共生している。自分の起源がわかってから一ヶ月ほど経って、『倉本奏太』という人間を冷静に見つめ直した結果わかったことだった。

 

「……朱芭さんは、わかったんですか? 俺のもう一つの起源」

「えぇ、私だからこそ気づけたわ。仏陀(ぶった)の説いた教えを受け、魂の理念を培ってきた私だからこそ。きっと私のもつ『朱芭(あげは)』の名も、あなたにとっては偶然じゃなかったのでしょうね」

「アゲハの…名?」

 

 朱芭さんの澄み切った瞳に気圧されるように、カップを持つ手が自然と震える。たぶん朱芭さんは言葉通り、本当に俺でさえ気づいていないことを理解したんだと思う。最初に幾瀬家にきた時、朱芭さんが言っていた言葉を思い出す。『あなたにとっては聞きたくないことと、触れられたくないことに土足で踏み込みます』と。彼女が気づいた俺のもう一つの「起源」は、きっとそういうものなのだろう。

 

 俺は緊張でドクドクと感じる心臓の鼓動を振り払うように首を振り、キッチンの流し台で二つ分のカップを洗っていく。ブラシでキュッキュッと音を立てながら、自分でも不思議と心が凪いでいくのがわかった。いつも小さなことでも励ましてくれる相棒は、不気味なぐらい今は静かだ。たぶん相棒は、俺以上に俺のことをわかっているはずだろう。朱芭さんがこれから語ることもきっと知っている。

 

「俺が、誰にも触れられたくないと思うこと…」

 

 洗い終わったカップを水拭きし、乾燥棚の中へ入れておく。俺は基本的に隠し事が苦手だし、表情にすぐ出てしまうためものすごく下手だ。それに周りには信頼できるヒト達がたくさんいて、いつだって相談できる恵まれた環境にいた。俺のことを理解してくれて、信じてくれるヒト達が大勢いる。だから俺だってその信頼に応えたいと思って、自分にできることならなんでも力になるつもりで過ごしてきたはずだった。

 

 本当に? そんな疑問を自分に問いかけてしまう理由を、俺が一番わかっているはずだ。だって、一つだけ誰にも話さないと決めたことがあったから。それは誰にも、『この世界で暮らすヒト達だけには』話したくないと自分自身で決めた誓約。みんなの聞かないでくれる優しさに甘えて、都合よくずっと口を噤むことを選んだこと。

 

 ――俺が九年前に得られたものは、神器だけではなかったから。

 

 

「朱芭さんそれ、仏具ですか?」

「そうよ。とりあえず、私が持っている物を並べられるだけ並べてみたわ」

「台の上いっぱいに並べられると、ちょっと圧巻ですね…」

 

 意を決して朱芭さんが待っている和室へと戻ると、先ほどまでソルベを食べていたちゃぶ台の上に漆色の美しい小物がいくつも置かれていた。俺は戸惑いながらも朱芭さんの向かい側へ再び腰を下ろし、まじまじと仏具を眺めていく。朱芭さんの授業で習ったので、ある程度の知識ならあるつもりだ。

 

 仏具は仏壇を美しく装飾するもので、魔除けの役割を果たすものである。もともとは古代インドの偉い人が手首や頭部、腰などに身に着ける装身具だったんだけど、後々仏教の文化に取り入れられて、寺院やお仏壇の荘厳具(しょうごんぐ)になった経緯があった。仏教の中でも宗派によって、デザインや具足の数が変わったはずだ。しかし、今更なぜこんなものを並べたのかがわからない。俺は観察を終えると、ゆっくりと朱芭さんと目を合わせた。

 

「さて、奏太さん。私が何故あなたのもう一つの「起源」に気づいたのか、順を追ってお話ししましょう。まず、私がそのことに気づいたきっかけは二年前……あなたと初めて会ったあの日よ」

「えっ!? そんな前から……?」

「きっかけだけならね。覚えているかしら、私があなたのことを探るために魂の奥底に触れた時のことを」

「お、覚えています」

 

 ドキリと心臓がはねたような気がした。あの時、朱芭さんに俺の魂を見てもらって、それで俺の神器が鳶雄の狗と接触したことで目覚めたことを思い出したのだ。彼女は俺の魂から、鳶雄の狗の残滓を感じ取った。あの時はいろいろなことが判明して、正直いっぱいいっぱいだったことは覚えている。

 

「鳶雄のもつ『黒刃の狗神(ケイニス・リュカオン)』には、『自分と波長の合う神器を呼び寄せる』特性があるわ。だから、神器を持つあなたにあの子が惹かれたのだと納得したけど、それでもあの子がわざわざ『姿を見せるほど』あなたを気にしたのはずっと疑問だったの。あの子はおっちょこちょいなところはあるけど、自分の影響力もよくわかっていたはずだから」

「えーと、鳶雄の狗のことですよね?」

「そうよ、鳶雄が生まれながらに宿した漆黒の狗。でもね、朱雀ちゃんがあなたの「起源」を判明させた時、あの子がそこまで惹かれた理由にも納得できたわ。きっと懐かしかったのね。神器としてだけでなく、偽りでも神性を持っていたあの子にとっては」

 

 偽りでも神性を持つ神器。朱芭さんの話を聞いて、ハッと息を呑んだ。そうだ、確か『黒刃の狗神(ケイニス・リュカオン)』は、十三種ある神滅具の中で唯一『神』の名を冠することが認められた神器だった。狗神に宿る『天之尾羽張(あめのおはばり)』が持つ神剣の特性。それは、神器として歪に融合してしまった今でも、きっと()の奥底に残っていたのだろう。元々俺が持っていた「神依木」の体質が、鳶雄の中に宿った狗を無自覚に刺激してしまったのか。

 

「もちろん、そのことは今でも申し訳なかったと思うわ。あの子を目にしたあなたは、神滅具のオーラによる急激な揺さぶりで己の中の神器を呼び寄せてしまった。ただの一般人で幼かった奏太さんにとって、とても耐えられるような衝撃ではなかったでしょう。だからこそ、幼いあなたは急激に得てしまった神器の力を使い、自身の持つ「起源」を我武者羅に辿って、『あなた』を目覚めさせることで精神の安定をはかった」

 

 神器に目覚める前の「俺」と、神器に目覚めた後の「俺」を区別するような言い方に唇が震えた。

 

「起源を、辿る?」

「あなたが元々持っていた「木」の起源は、五行でいう一番初めの循環を司る性質。春に芽吹き、冬になれば生命力を失い、でもまた春になると芽を生やす。再生と死という相反する概念を持つ、復活の象徴。あの子によって引き上げられたあなたの力は、無意識に自分が生き残るための最善の方法を掴み取った。幼いあなたに耐えられないのなら、魂の中に眠っていた「あなた」の意識を復活……降霊すればいいのだと」

「降霊…」

「あなたの『降霊』の資質は神性に特化しているけど、別に神性だけしか降ろせないという訳じゃないわ。元は同じ魂をもつ者同士。拒絶反応や反発なんて起こるわけもない。「あなた」を降霊し、幼かったあなたと融合……混じり合うことで、覚醒による精神的な負荷をあなたは耐えきったのよ」

 

 九年前に突如俺の身に起こったことを、詳細に告げられることに呆然とするしかない。きっかけは、確かに漆黒の狗だった。でも、俺の前世の記憶を呼び寄せたのは、生きるために必死に手を伸ばした俺自身だったのだ。

 

 手が震えてくる。喉がカラカラに乾いてきた。俺がずっと隠してきたこと。誰にも言わないと決めていた、俺と相棒だけの秘密。

 

「奏太さん、あなたにはあなたとは違う意思が宿っている。それを何と言えば、いいのでしょうね。前世の記憶、転生、憑依……輪廻。あなたの身に起こった出来事を、表す言葉はたくさんあるわ」

「…………」

 

 俺が口にさえ出さなければ、誰にもバレることなんてないと思っていた。こんな耳を疑うような、突拍子もない出来事を当ててくるヒトなんているわけないって。保護者のみんなに俺の行動を疑問に思われることはあっても、きっと答えに辿り着くわけがないと高を括っていた。何かの魔法や術で俺の心の中を読もうとする相手はいるかもしれないけど、それは相棒が打ち消してくれる。

 

 だから、俺が口にさえ出さなければ気づかれるはずがないと、深く考えたこともなかった。俺が『倉本奏太』であることは間違いないけど、前世であろう自分の意識や知識を取り込んだことで多大な影響を受けた。最初の頃なんて、記憶の混乱で前世と今世の区別だって曖昧になっていたのだ。ただの七歳の少年にはなかった価値観や感性を身につけ、まったく別の人間になったといっても過言じゃない。それでも、俺は俺だって一番思いたいのは自分自身だった。

 

 

「奏太さん、大丈夫。落ち着いて。ごめんなさいね、あなたが踏み込んでほしくない領域を勝手に荒らして」

 

 動揺から自分の思考に潜っていた俺を、優しく抱きしめるような温もり。恐る恐る視線を上げると、いつの間にか傍にいた朱芭さんが俺の頭をすっぽりと腕に囲っていた。彼女に触れられるまで、まったく気づかなかった。

 

 徐々に焦点が合っていくと、こんな風に正面から人に抱きしめられたことがあっただろうかと思い起こす。前世の記憶を思い出してから、どうしても気恥ずかしくてそういうことは避けていた。誰かに頭を撫でられたり、手を繋いだりすることだって、恥ずかしかったのだから。

 

「大丈夫、あなたはあなたよ。あなたの意識は確かに変わったかもしれないけど、あなたの魂は真っすぐに輝いていたわ。奏太さんの魂に直接触れた私だからこそ断言できる。あなたは間違いなく、幾瀬朱芭の自慢の弟子で大切な子。そうでなければ、私が愛する孫の封印を任せるはずがないでしょう?」

「……はい」

 

 俺の中へゆっくりと沁み込ませるように、落ち着いた朱芭さんの声が届いていく。どうしよう、どうすれば…と焦っていた心が、静かに凪いでいった。俺がずっと隠していたことを知られて驚いてしまったけど、彼女の声音は決して責めるようなものじゃない。何も心配しなくていいのだと言ってもらえた気がした。

 

「私はあなたをちゃんと受け入れるわ。それに奏太さん。身も蓋もないことを言ってしまうけど、私はあと少しでこの世を去るわ。私はね、どうしたって残してしまう側なの。あなたからどんな話を聞いたって、私に何かできる時間はないわ。本当に話を聞くことしかできないのよ」

 

 朱芭さんの言葉に、思わずバッと顔を見つめてしまう。自分の死期についてあっさり口にする彼女に、パクパクとなんと言っていいのか言葉が出ない。そんな俺の様子に、朱芭さんはニコリとS気の含まれた笑みを浮かべた。

 

「だから、気にせず全部しゃべっちゃいなさい。これからを一緒に生きるヒト達には言えなくても、死期が近い私なら問題ないでしょう。こんなおばあちゃんだけど、あなたが抱えている全てを私も背負うわ。そして、誰にも言わずに持って逝ってあげる」

「持って逝くって…」

「奏太さん、私はね。ずっと鳶雄のことを抱えて、でもどうしようもないと折り合いをつけて、自分なりに最後を見届けるつもりだった。誰にも話せないと心に決めて、鳶雄にすらずっと隠すことを選んだわ。でもね、あなたに抱えていた思いを話せたとき、本当に嬉しかったの。私が一人で背負っていたことを、こうして受け止めてくれる人がいてくれたことに」

 

 それは、その気持ちは、わかる気がした。五年前に俺が初めて助けた女性と話せた時、裏の世界の恐怖を一緒に分かち合えたあの瞬間。橘恵(たちばなめぐみ)さんと共有できたあの気持ちは、たとえ彼女は忘れてしまったとしても、今でも俺の心の中に強く残っている。家族にも誰にも言えなくて、ずっと一人で抱え込むしかないと思っていたことを、外に吐き出すことができた嬉しさ。共感してくれる相手がいてくれた安心感を。

 

「最初はあなたの抱えているものを飲み込んで、墓場まで持って逝くつもりでした。きっとあなたなら、自分に折り合いをつけながら生きていけるでしょうから。でもね、私はあなたの師になったわ。そして、何度も救われた。だったら最後ぐらい、弟子のメンタルケアに貢献してあげたいじゃない」

「メ、メンタルケアって…」

 

 あっけらかんとした態度で告げられることに、もう唖然と聞くことしかできない。さっきから、朱芭さんの言葉を繰り返すことしかできなかった。いきなり核心に触れられて混乱しているのに、そんなこと知ったことかとどんどん話は進んでいくのだ。正直に言えば、ついていくのがやっとだった。それでも少しずつ、じわじわと朱芭さんの言葉を理解していくと、カァと頬に朱が走った。

 

 まるで幼い子どもにやるように、優しく頭を撫でてくれる温かい手に絆されそうになる。俺が抱えていることを何でもないように受け止めようとしてくれる朱芭さんに、徐々に視界が歪んでくる。彼女の着ている着物を濡らしたらまずいと身をよじろうとしたが、まるで構わないという様にグッと力を入れられた。

 

 本当に話していいんだろうか。話しても……いいのかな。俺がずっと抱えていたものを、一緒に背負ってもらえる。朱芭さんの言うとおり、彼女には時間がない。そして、彼女の頑固さと意志の強さを俺はずっと見てきた。世界にとって危険因子である幾瀬鳶雄を救うと決め、そのためなら世界すら敵にまわした覚悟を。そんな朱芭さんが誰にも言わないというのなら、たとえどんなことを知ってもその誓いを守って逝くのだろう。

 

 朱芭さんの腕の中に顔をうずめながら、ぽたぽたと零れる雫を袖でふき取っていく。そんな俺が落ち着くまで、彼女は俺の頭をよしよしと撫で続けてくれた。

 

 

 

――――――

 

 

 

「すみません、落ち着きました…」

「あら、もういいの?」

「……転生した人間のテンプレ的なセリフに、前世と今世を合わせた精神年齢的に云々というものがあって…」

「どっちにしても私よりは年下だから、別にいいでしょ」

 

 子どもみたいに抱きしめられた羞恥心に言い訳を考えてみたが、まったくもって反論できなかった。伊達に年を食っていないと思うしかない。女性に年齢関係は禁句だけど。近くにあったティッシュで鼻をかみ、目元もゴシゴシと拭っておく。当たり前のように前世のことを口にできた自分に少し驚き、それを何でもないように聞いてくれる朱芭さんに安堵が胸に広がった。

 

「さて、奏太さんの前世に関しては、またゆっくり聞かせてもらいましょう。まずは、あなたのもう一つの「起源」の話を終わらせないとね」

「あっ、そういえばそのことについて話していたんですよね。衝撃が大きすぎて、忘れていました」

「あなたの転生は、今回の話と切っても切り離せない関係にあったわ。あなたのもう一つの「起源」は、今のあなた自身を表してもいたから」

「今の俺自身をですか?」

 

 そういうと、朱芭さんはちゃぶ台に広げていた仏具のいくつかを手に取って、俺の前に差し出してきた。前世のことでうっかりしていたが、そういえばこの仏具は何のために置かれていたのか。よくわからないが、とりあえず差し出された仏具を手に取り、まじまじと見つめてみる。きれいに装飾された荘厳具(しょうごんぐ)を指で撫で、つるりとした手触りを感じた。

 

「それでは、問題です。奏太さん、それらの仏具には流麗な装飾が施されたものが多数存在します。その中で、よく使われるデザインを知っていますか?」

「デザインって言うと…、蓮の花とかですか? 仏像とかは蓮台に乗っていますし、湯飲みとかにもよくデザインされていますよね。金でできたジャラジャラした瓔珞(ようらく)も、蓮の花をモチーフに作られたって聞きました」

「えぇ、そのあたりは有名だものね。他には?」

「他は…」

 

 俺は、ザっと目の前に広がる様々な仏具に目を通す。思えば、仏具として見ることはあっても、そのデザインを注視したことはなかったかもしれない。そして、満遍なく眺めていて気付く。鳥や蓮以外の花もいくつかあったが、ある生き物を装飾に使っているものが多かったことに。俺は目についた仏具を一つ手に取り、朱芭さんへその答えを告げた。

 

「……アゲハ蝶」

「ふふっ、私が姫島が信仰する神教ではなく、仏教に肩入れしちゃった理由の一つよ。どうして、『蝶』が仏具の装飾によく使われるかは知っている?」

「蝶が、亡くなった人の魂や精霊を浄土へ運ぶと伝えられていたから」

「そう。蝶は再生と復活、そして『変化』を象徴すると言われているわ。蝶と魂には深い繋がりがあるとされているの。私が魂を扱う術に秀でていたのは、きっと私の「起源」もそれに当たったからなのでしょうね」

 

 再生と復活。その二つは、俺の元々もっていた「木」の起源とよく似ている。キリスト教でも、蝶は「魂」に深く関わっていて、死者の魂を表現していることも多い。生と死と復活のシンボル。故に「蝶」は多くの宗教で取り入れられ、大切にされてきたのだ。

 

「それに、奏太さんが話してくれたもう一つの「起源」の特徴。「木」と共生できる「紅」の空を飛ぶ何か。そして、『幸運』『縁』『変化』を表している生き物と考えてみると…」

「……蝶は春の訪れを告げる生き物として、『幸運』を呼び寄せると言われていて、変化と喜びの象徴だった」

「ギリシャ神話に出てくる、愛の神エロスの妻であるプシュケーは元は人間でしたが、蝶の羽をもつ神に生まれ変わったと言います。その時、エロスの母であるアフロディテから多くの試練を課せられましたが、彼女は様々な『縁』を繋ぎ、難題を越えて結ばれたと言われています。そして、何よりもね」

 

 朱芭さんは仏具に装飾されているアゲハ蝶を指でそっと撫で、真っすぐに俺と目を合わせた。

 

「蝶にまつわる象徴はいくつもあるけど、仏教では特にこう言われているの。蝶はあの世とこの世を行きかう力があるとされ、『輪廻転生』の象徴として崇められていたのよ」

「輪廻転生…」

 

 カチリと、俺の中で何かが嵌まったような感覚があった。朱雀と滝行をする前に話していた、もう一つの決定的なピース。倉本奏太という人間を象徴する『何か』。『幸運』『縁』『変化』、そして『輪廻転生』。言われてみれば、納得するしかない。前世を知った俺だって、まぎれもなく俺自身なのだ。こうして記憶をもって、新しく生まれ変わった俺だって、間違いなく『倉本奏太』なのである。

 

 何も知らなかった小学二年生だった俺と、前世を思い出して世界を知った俺は、どちらも消えることなく相棒のおかげもあって寄り添うことができた。相棒が目覚めた時と、俺の意識が目覚めた時は同じだ。だからもう一つの「起源」を目にした時、相棒のようにも俺自身のようにも見えたんだ。相棒はきっと、どっちの俺も消さないようにゆっくりと交わる様にしてくれたんだと思う。

 

 情景が浮かぶ。白っぽい不思議な空間にある一本の木に、ひらひらと羽を休める紅の蝶の姿。この世界で俺が俺らしく生きるために受け入れた『変化』の象徴だった。

 

 

「はぁー、マジかぁ……。こんなの朱芭さんじゃないとわかるわけないじゃん」

「そうね、だから言ったでしょ。『朱芭(あげは)』の名前をもつ私と奏太さんが出会えたのは、偶然じゃなかったのかもしれないって」

「そう言われると、なんか複雑というか何というか…。俺自身としては、鳶雄や朱芭さんに出会ったのは本当に偶然だとしか思っていなかったですから。朱芭さんの弟子になったのだって、俺が神器症を何とかしたいって理由だけでしたし」

 

 思わず倒れ込みたくなったが、ちゃぶ台の上にある高価な仏具を倒すわけにもいかず、後ろにごろんと転がるしかなかった。行儀は悪いけど、手を顔に当てて項垂れるしかない。俺の起源の本質を知るのは、きっとこれから先も朱芭さんただ一人だけだろう。「蝶」が起源だということは伝えられても、その本質を俺が周りに語ることはない。朱芭さんが知ってくれているだけでいいと感じる。それだけ、俺にとって幾瀬朱芭さんの存在は大きくなっていた。

 

 だから、余計に寂しく思ってしまう。辛いと感じてしまう。あと半年と少しで、彼女は確実に俺の前から去るとわかっていることが。でも、だからこそ俺は彼女に話すことができたのも確かだ。俺の中にある矛盾した思いに溜め息を吐きながら、ゆっくりと起き上がる。朱芭さんは俺の様子に肩を竦めると、柔らかく目を細めて笑っていた。

 

「さっ、そろそろお昼ご飯の時間ね。ご飯でも食べながら、色々話を聞かせてもらおうかしら」

「……前世って言っても、普通のどこにでもありふれたものでしたよ」

「あら、それはいいわね。あなたの話って、だいたい年寄りにとって心臓に悪い話ばっかりだったから」

 

 くすくすと微笑む朱芭さんを見て、大事なことを忘れていたことに気づく。というか、これが一番重要じゃん! とハッとした。前世関連で、原作知識のことはどうしようかと。でも彼女ならそれすらも受け止めて、俺との約束を守ってくれるだろう。

 

 ただ、ものすごく心臓に悪そうなのは否定できない。ここまできて、朱芭さんに隠し事をするのはどうかと思う。でも、やっぱり心臓には悪いと思う。世界のこととか、和平のこととか、テロのこととか、鳶雄とか鳶雄とか鳶雄とか…。俺の介入によって、原作とだいぶ変わってきてしまっているし、実際に起こるのかはすでにわからなくなっている。それでも、世界に流れる大筋……大きな流れはあるような気がした。

 

 俺の考え込む様子に気づいた朱芭さんが、仏具を片付けていた手をピタッと止める。引きつった笑みを浮かべる俺に、朱芭さんの目元が引くついたのが見えた。さすがは師匠、俺の心の内を感じ取ってくれた。

 

「……朱芭さん」

「ど、どうしたの?」

「俺の前世を話す前に、これを」

 

 俺は、『取り扱い説明書(リニューアルバージョン)』を頭を下げて手渡した。心臓は大切にしてもらわないといけないからね。何故か年々、朱雀がくれる取説が分厚く感じてくるけど。二年前に読んだメモより明らかに厚くなっている本状態に、朱芭さんが「ひぃッ!?」と小さく悲鳴を上げた。すごい、朱芭さんの悲鳴なんて初めて聞いたよ。取説を見せただけなのに。

 

 原作のことを話すのは、正直に言えば迷いがないわけじゃないし、本当にいいのかって思いはぬぐえないけど、それでも今後の未来について俺自身悩み続けていたことは否定できない。誰かに相談したいという気持ちがなかったわけでもない。ずっと悩んで、考えてきたことなんだから。それでも、俺はどうしても勇気を出して話すことはできなかった。前世のことも含めて誰にも…。

 

「朱芭さんの言うとおり、俺はずっと抱えてきたことがあります。「俺」という意識が目覚めた時から、ずっとどうしたらいいんだろうって考えてきたことが、ずっと…。四年前のある事件で、俺なりに吹っ切れたと思っていても、いつも頭に過ることはたくさんありました」

「……あなたの前世と、関係があるのね?」

「はい、それでも聞いてくれますか?」

「これ以上、何が飛び出すのかと頭が痛いけど…。あなたの全てを背負って逝くと決めたのは私自身よ。だから、もうドンッと来なさい!」

 

 さすが朱芭さん、女傑らしい覚悟の決め方である。ちょっとやぶれかぶれな気配もあるけど…。俺は少し噴き出すと、ちゃぶ台の上にあった仏具を片付ける手伝いを始めた。さぁ、何から話すべきだろうか。まず、兄ちゃんの傍若無人っぷりはしっかり伝えるべきだろう。シャーベットの長い方と短い方の恨みは、未だに忘れていない。アレを反面教師に、俺は立派な兄ちゃんになろうと思えたからな。俺ならちゃんとシャーベットの長い方を、朱乃ちゃんとヴァーくんにやれるね。

 

 ふと窓に映る小さな庭に、一匹のアゲハ蝶が止まっているのが見えた。鮮やかな色合いの羽を広げ、それからふわりと(そら)へ昇っていく姿に目を細める。俺の中にあった一つの見えない壁を越えられた。なんとなく、そんな気がした。

 

 


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