えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百五十三話 正史

 

 

 

「それじゃあ、朱芭さん。日課の早朝ランニングに行ってきますね。ついでにコンビニで何か買ってくるものとかありますか?」

「そうね…。今日は特に胃に優しい食事が必要でしょうから、お豆腐や卵が欲しいわ。インゲンは鳶雄が買っておいてくれたはずだから、豚肉とも合わせようかしら」

「は、はーい」

 

 にっこりと微笑む朱芭さんの笑顔に頬を引きつらせながら、俺は買い物メモをもらっておく。食べ盛りの俺のために本当なら別にメニューを考えていたそうだけど、それよりも自分の胃を優先するべきと判断した朱芭さんの考えは正しい。俺でさえも、心臓に悪そうと確信できる話だからな。朱芭さんの作った料理なら美味しさは問題ないだろうし、文句は一切ありません。しっかり買い物をしてきます。

 

「今日は、俺の前世のヤバい部分を話すでいいんですよね?」

「今から気が重いけどね…。あなたが日課へ行っている間に、こっちも準備をしておくわ」

「準備…?」

「詳しくは帰ってきてから教えるわね。精神や魂の術は、私の十八番ですもの」

 

 幾瀬鳶雄が修学旅行中に幾瀬家へお邪魔し、俺に前世があることを話して一日が経過した。原作知識のことは、まだ何も話していない。その代わり、朱芭さんには取説範囲外の前世の俺のことを中心に話をしたと思う。それだけで、一日があっという間に過ぎてしまったのだ。今まで誰にも伝えられなかった、前世の……もう一人の俺が生きてきた証。家族関係や日常での暮らし、友人や趣味や仕事のことなど、本当に何でもないことをたくさん話しただろう。それに朱芭さんは、「こういう話を聞きたかったのよ」と穏やかな表情で頷いてくれた。

 

 九年前、当時七歳だった俺は前世の大人だった頃の記憶に影響を受けたけど、そこまで精神に大きな乖離は起こらなかった。その理由に、前世と今世の生活環境や考え方にあまり違いがなかったのと、両方とも普通の一般人だったからだろう。もし前世の俺がファンタジーな世界の住人だったり、お金持ちの超エリートだったり、または犯罪などに手を染めたりしていたら、とてもじゃないが自分として受け入れられなかったかもしれない。

 

 俺は前世の自分の歩んできた道を理解できるし、価値観も当たり前のように共有できる。ゲームや漫画が好きで、友達と遊ぶのが好きで、身の丈に合った生活を好む小市民な性格。だから、問題なく「俺」と混じり合うことができたのだろう。朱芭さんもこれまでの俺の様子を見て、前世も一般人で普通に暮らしてきたのだろうと当たりを付けていたのだそうだ。

 

 

「昨日、朱芭さんも言っていたしな。『魂の転生』自体は珍しいけど、ないわけじゃないって」

 

 朱芭さんに見送られ、幾瀬家を出発して数十分。いつもは倉本家からランニングを始めていたので、新鮮さを感じながら俺は走り続けていた。小学生の頃から日課にしている体力作りは、すでに俺の中で当然のように定着している。バラキエルさんに教えてもらった呼吸法や走り方のフォームに気を配りながら、前世について話す際に朱芭さんから聞いたことを思い出していた。

 

 俺のように自分の前世を降霊するなんて荒業は、俺のような特殊な「起源」持ちで、事象を歪ませる神滅具のオーラの影響下でなければ、ほぼ起こらないイレギュラーなことだと言われた。だから、前世がただの一般人ということも十分にあり得たのだ。しかし、中には前世の行いを魂が深く刻み込んでいたことで今世に影響を与えるケースも稀にあるらしい。その場合は『魂を受け継ぐ者』と言われ、前世で培った知識やオーラ、能力などを今世で使うことができるかもしれないそうだ。そして俺は、そう呼ばれる人間を原作知識で知っていた。

 

「『前世の魂を受け継ぐ者』って、今思えば英雄派に所属していたジャンヌとヘラクレスのことじゃねぇか…」

 

 朱芭さんから話を聞いて、思わず溜め息を吐いてしまった。過程は色々違うけど結果として考えれば、前世と今世が混じり合った今の俺の状態は、英雄派の二人と似たようなものなのだ。フランスの聖女ジャンヌ・ダルクと、ギリシア神話の英雄ヘラクレスの魂を受け継ぐ者。原作では敵側に所属していたあの二人と同じような扱いなのは、ちょっと微妙な気持ちにもなるけど。二人は前世のオーラや能力は受け継いでいそうだったけど、記憶の方はどうだったんだろう。一応、原作の後半では改心したらしいけど、前半は本当に関わりたくないタイプの相手だからなぁー。

 

 まぁ、そんなわけで。これまで俺が前世について誰にも話せないと悩んでいた事象は、この世界ではそこまであり得ないことではないと教わったわけだ。だからって、朱芭さん以外の人に言うつもりは今のところない。でも、この状態が俺一人のことじゃないとわかったのは、心のどこかでホッとしたのも事実だ。朱芭さんが当たり前のように俺の前世を受け入れてくれたのも、そういう知識が彼女にあったからなんだろう。

 

「倉本奏太に前世の記憶があって、その前世が一般人だろうところまでは、朱芭さんにとっても想定内だった。でも――」

 

 想定外は、その前世の俺がこの世界とは次元すら違うところに住んでいて、物語(観測者)としてこの世界の過去や未来を知っていたことか…。こればっかりは、むしろこの世界の人が想定する方が無理だろう。幼い俺も無我夢中だったとはいえ、よりにもよって原作知識持ちの「俺」を降霊させてしまうとは、運が良いんだか悪いんだか…。こうしてちゃんと生き残っているあたり、運はたぶん良いんだろうけど。

 

 俺はこの世界が『ハイスクールD×D』だとわかった時、この世界への理不尽を心の底からめちゃくちゃ叫んだ記憶がある。裏なんて全く知らなかった普通の一般人で、しかも神器持ち。当時の相棒はそこまで能力も強くなかったし、どう考えても死亡フラグ満載すぎた。だってこの世界、本当にモブに優しくなかったし、想定できる敵も多すぎたのだ。原作の知識を使って楽をするなんて無理で、いかに生き残るかのために知識を使い続けたことだろう。

 

 駒王町の前任者問題に関わらなかったら、きっと俺は今でも原作を壊さないように動いていたと思う。それだけ、原作の展開はハッピーエンドで進んでいたし、俺が勝手に動いて『正史』を崩すことでバッドエンドに進んだらと怖かった。責任をとれるとも思えなかった。そんな悩みが、ずっと俺の中で楔として突き刺さっていたのだ。今は俺の行動によって未来がより良くなるように頑張ろうと足掻けるようになれたけど、ここまで吹っ切れるのは自分でも長い時間がかかったと思う。

 

 それに、原作知識(正史)を知っているのは俺と相棒だけだった。もし、俺の行動によって不幸になったヒトがいても、『正史』を知らないそのヒトは元凶の俺を責めることはない。本来の歴史なんて、知識を持つ俺だけにしかわからないのだから。そうわかっていても、重たい何かがずっと俺の心の中にはあった。未来を変えた責任というものが、確かに俺の中に存在していたのだろう。

 

 昨日、朱芭さんから「取説案件はお願いだから一日置かせて」と言われたので、取扱説明書の第五条に従って俺も頷いた。でも、俺も原作知識について考えたかったのでよかったのだと思う。どうやって伝えたらいいのか、俺もちゃんと考えたかったから。元々この世界にあった流れを、俺が勝手に変えてしまったことも含めて。変えてしまったことに後悔はしていないけど、本当に正しかったのかは未だに答えは出ていなかったから。

 

《――――――》

「……大丈夫、ちゃんと向き合うよ。たぶんこの機会を逃したら、二度とチャンスはないってわかっているから」

 

 朱芭さんは俺の全てを受け止める覚悟をしてくれた。なら、俺もしっかり前を向かないといけない。こうやって不安になって、ネガティブにぐるぐる考えてしまう悪い癖は、なかなか抜けないものだと肩を竦めた。ランニングコースの途中にあった公園の水道で、しけた自分の顔を洗い流してさっぱりしておく。頬を力強く張れば、暗くなりそうだった気持ちを入れ替えられたような気がした。

 

「さっ、コンビニまでもうひとっ走りと行くか」

 

 朱芭さんの作る朝ご飯を楽しみに、材料を揃えるため俺は足早に駆けていった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「これは、お香ですか?」

「えぇ、そうよ。お香には沈静の効能があるのは知っているでしょう? この香りは特に私のお気に入りなのよ」

「確かに落ち着きますし、良い香りですね…」

 

 朱芭さんの要望通りの買い物を終え、空腹だったお腹に美味しい朝食をいただいた後。和室に入る朱芭さんを追いかけた先で俺を待っていたのは、香木の優しい香りだった。俺も修行で香木の知識を習ったり、実際に香炉で焚いてみたりしたことはあったけど、こんなにも頭がすっきりするような効能を持つ香りは初めてかもしれない。身体も不思議と軽くなったように感じるし、さっきまでドキドキしていた心音も落ち着いてきたように思う。

 

「いつも無自覚でやらかす奏太さんから、確実に心臓に悪いなんて言葉が出てくるような話ですもの。私も精神安定と健康のために最善を尽くしたつもりよ」

「そういえば、仏具の配置も少し変わっているし、よく見れば和室にも術の気配が…」

「こちらの負担が少しでも軽くなるように、色々術を施してみたわ。やりすぎかもしれないけど、これぐらいやっておいた方がいいと私の長年の勘がね…」

 

 頬に手を当てて、自分でやった対応の数々に遠い目をしながら感想を告げる朱芭さん。彼女がどれだけ俺の取扱説明書関連の話を真剣に受け止めたのかがわかる。それに嬉しいような、複雑なような…。俺もちょっと遠い目になったけど、とりあえず昨日と同じ場所に正座しておく。朱芭さんが入れてくれるお茶を口に含み、早速話をしようとする俺を止めるように彼女の方から口を開いた。

 

「ちょっと待って、奏太さん。あなたの話を聞く前に、一つ確認をしないといけないことがあるの」

「確認ですか?」

「えぇ、今からあなたが話す内容は、私以外には誰にも知られてはまずいことなのかどうかよ」

 

 真剣な表情で問いかける朱芭さんに、俺はどういう意味か分からず首を傾げる。朱芭さん以外に知られたくないのは間違いない。そして原作知識は、下手に外に出したらまずいものだと確信できる。だから俺はこれまで、誰にも言うつもりがなかったのだから。

 

「はい、俺は朱芭さんだから話すと決めました。今から俺が話す内容は、はっきり言ってヤバいことだと思います。だから、朱芭さん以外には知られたくないです」

「……そういうことなら、一つ謝らないといけないことがあるわ」

「謝る?」

「昨日話した通り、私はあなたの秘密を持って逝くと約束しました。しかし、死後までは約束できないかもしれないことです」

「えっ?」

 

 死後までは約束できない? おそらく朱芭さんが言いたいのは、現世に暮らす間は問題なくても、自分の死後に俺が話す内容が漏れる可能性があると言っているのだと思う。その意味を理解しようと頭を働かせる俺に、朱芭さんは傍に置いてあった絵巻物をちゃぶ台の上に広げていく。顔を寄せて見てみると、仏教で有名な神様たちの絵姿が神々しく描かれていた。

 

 それらを眺めていて、俺は朱芭さんが言いたかったことにようやく気付く。朱芭さんが現世にいる間は問題ない。だけど、彼女が現世を離れた後、その魂は天へと召されて神様の下へと向かうことになるだろう。魂の術に精通していた朱芭さんなら、自分の死後の扱いについて俺よりも詳しいはずだ。俺は現世を離れた霊魂がどうなるのかを思い出し、おずおずとその答えを口にした。

 

「……閻魔大王(えんまだいおう)様と、釈迦如来(しゃかにょらい)様のことですか?」

「えぇ、そうよ。あの方々は死後の人間の行く先を見定めるために、その人間の人生を閲覧する権能があります。奏太さんが転生者であることだけなら、あの方々は特に気にすることもなかったでしょう。輪廻転生そのものは仏教では当たり前の価値観ですし、そもそも現世へ介入することをあの方々はしません。私の死後に昨日の奏太さんとの話を閲覧されても、特に何も思わなかったでしょう」

 

 うわぁー、そうか。この世界には神様が本当にいて、人間の営みを見守っている。人間と距離の近い神様もいれば、現世には一切関わらない神様だっていた。朱芭さんから教わった死後の流れを思い返せば、確かに俺との会話を閲覧される可能性は十分にあるのか。朱芭さんが言っていた通り、ただ前世の記憶があるだけなら何も問題はなかった。神様だって暇じゃない。そんな「些事」を一々気になんてしないだろう。

 

 だけど、原作知識は? この世界の理や未来の話に関しては? 閻魔大王様や釈迦如来様の興味を引く可能性はある。

 

「その表情から察するに、よっぽど知られたらまずいことなのね」

「まずい…かは、正直わからないです。でも、知られて本当にいいのか確信が持てないんです。あの、朱芭さん。先ほど、閻魔大王様も釈迦如来様も現世に介入することはないっておっしゃっていましたよね。それは、絶対でしょうか?」

「いいえ、絶対ではないわ。もちろん、よっぽどのことだけどね。だけど、これだけは確実に言えるわ」

 

 朱芭さんは絵巻物に描かれている閻魔大王様と釈迦如来様に向けて、そっと手を合わせて拝む。真摯なまでのその祈りは、彼女が心から神様を敬愛しているのがうかがえた。

 

「閻魔大王様と釈迦如来様は、人間を愛してくださっている。あの方々は、人が一生懸命に生きる姿を慈しみ、その人生を見守っているわ。だから、奏太さんが抱えているものを知ったとしても、あなたが道を誤らない限りはその思いを見守って下さるはずよ」

「でも…」

「それに、その時は私からもお願いしてみるわ。あなたなら、大丈夫だからって。……もちろん、このまま話さないという選択肢をとることも可能よ。私はただ奏太さんの心が少しでも軽くなればと思って、勝手にお節介を焼いただけだもの」

 

 ふわりと微笑む朱芭さんの笑顔に焦りを沈静させながら、俺はじっくりと考えを巡らせる。これから先のことについて、話しても本当にいいのかを。仏教系統の神様に関しては、俺の原作知識でもよくわかっていない。西遊記の皆さまはよく知っていて、気持ちのいい豪快な方々なのはわかっているけど…。ただ、原作であれだけの大騒ぎをしていたのに、原作の二十巻まで閻魔大王様も釈迦如来様も現世に現れることはなかったと思う。

 

 ある意味で中立。冥府のハーデス様は聖書陣営に対してのあたりが強かったけど、彼らに関しては特に何も言っていなかったと思う。少なくとも、原作知識を知ったからといって、どこかに喧嘩を売りに行くような血の気の多い方々ではないのは確かだ。彼らは朱芭さんの言う通り、人間の営みを静かに見守ってくれている神様なんだろう。むしろ、人間界にとってヤバい部分は対処してくれるかもしれない……?

 

「あれっ、ちょっと待てよ」

「ぐふっ…」

 

 ぽつりと呟いた俺の向かい側で、朱芭さんがお茶でちょっと噎せたようだけど大丈夫だろうか。でもそうだよ、むしろ閻魔大王様と釈迦如来様にも知ってもらえばいいじゃないか。原作のヤバかった部分を。俺が介入するだけでは難しい部分を。彼らが現世の勢力争いに加入しないなら、世界の危機的な部分を知っておいてもらった方が動きがスムーズになる。彼らも知ってしまったなら、動かざるを得ない状況をこちらから作ってしまえばいい。

 

 俺の介入によって、もうこの世界は原作からだいぶ外れてしまっている。それでも周りのみんなに下手に原作知識について話せなかったのは、俺に勇気がなかったのと、現世での勢力争いが不透明だったこともあった。今世の神滅具の所有者の所在がわかるだけでも、色々な組織が揺れるだろう。神器研究が盛んな『神の子を見張る者(グリゴリ)』でも、未だに五名しか確認できていない現状だ。メフィスト様もアザゼル先生もアジュカ様も、為政者で組織の長である。まず、知られたら組織と世界のために動くのは確実だろう。

 

 朱芭さんになら前世や原作のことを話してもいいと思えたのは、彼女がどこの組織にも所属していなくて、そして現世で何かできる時間がないとわかっていたからだ。そして彼女なら、世界よりも俺との約束を守ってくれる確信があった。逆に考えれば、現世の勢力争いには関わらない相手で、でも世界の危機には手を貸してくれるような相手ならば、原作知識を伝えておくのは悪手ではないと思う。

 

 俺が裏の世界に入った目的は、表の世界の人達が当たり前の人生を送れる手助けをすること。これから訪れる波乱万丈な未来で、巻き込まれるだろう表の世界の人達を、零れてしまうだろう小さな命を救える手助けをしたい。その時に、仏教系統の二大トップが人間のためにフォローに回ってくれるなら、俺も神様も人間界が平和になってハッピーになれるんじゃないだろうか。

 

 

「あのー、朱芭さん。ちょっと思ったんですけど…。むしろ、閻魔大王様と釈迦如来様にも知ってもらって、今後の世界の危機に対処してもらえればって思ったんですが」

「は、えっ? ちょっと待って、世界の危機?」

「はい。実は俺、この世界の未来を知っているんですよ。前世でこの世界について書かれた小説を読んで、この世界が本来進むはずだった『正史』を知っていて――」

「待って、奏太さん。落ち着いて。最初から順序立てて説明してもらってもいいかしら?」

 

 おっと、いけない。考えが先走ってしまった。これまで全く考えていなかった陣営の名前が出てきて、自分でも慌てていたみたいだ。俺はフゥと深呼吸をして息を整えると、ランニング中にまとめていた内容を思い出しておいた。

 

「今のだけでもだいぶ爆弾発言だったけど、一つひとつ質問するわ。つまり奏太さんは、前世でこの世界のことを小説で読んだことがあるのね」

「はい、ライトノベルでした。題名は『ハイスクールD×D』といって、「学園ハーレムラブコメインフレバトルファンタジー」という題目でしたね。前世の俺はそれを読んでいて、でも完結前に転生しました」

「題目の情報量…」

「美少女と肌色率とバトルはすごかったですよ。主人公視点から描かれるストーリーは聖書陣営を中心に、そして世界を巻き込む大きな戦いへと繋がっていきます。俺はこの世界にとっての大きな分岐点を、この世界が激動へと変わる瞬間を、観測者の視点でずっと追いかけていたんです」

 

 こうして話してみると、意外とすんなり口にできる自分に少し驚く。こんな話、前世以上に信じられないんじゃないかって思うけど、朱芭さんなら信じてくれるという安心感があった。現に彼女は非常に頭が痛そうな様子だけど、その目に不信や疑念はない。俺の言葉が本当のことだと理解してくれているからこそ、自分の中でゆっくりと考えをまとめてくれているとわかる。

 

 数分ほど、空間に沈黙が流れた。朱芭さんからすれば、突拍子もないことを言われたも同然のため、俺は静かに彼女が次に口を開くのを待つことにする。パチッと香木から漂う香りに心音を落ち着かせながら、原作の情報を客観的に伝えられるように言葉を選んでおいた。

 

「……わかったわ。とりあえず、細かいところは置いておきましょう。次に奏太さんがこの世界を、その小説と同じ世界だと確信できた理由を聞かせてちょうだい」

「俺が神器を持っていたこと。その小説に出てきた主要な都市や人物や技術が実在していたこと。そして、小説で描かれていた事件が実際に起きて、それに俺が関わったことで変えられた未来があったからです」

「なるほど。奏太さんの起源である「蝶」が持つ「変化」の象徴。それはあなたの持つ『その知識』も表していたのでしょうね。――バタフライ効果。あなたが見たものを『正史』とするなら、あなたの羽ばたきによって変わった歴史が『この世界線』というわけね」

 

 バタフライ効果。朱芭さんの口から出てきた言葉に、すんなりと納得する自分がいた。俺は原作という『正史』を知っているからこそ、本来あった世界の流れとその変化を如実に知ることができる。どんなに些細な変化でも、時間経過や組み合わせによって大きな影響が現れ、どんな未来が訪れるかわからなくなる。これは間違いなく、今の俺の状態だと言えた。

 

 

「奏太さんが心配していることは、ある程度予想できました。この世界の未来――大きな分岐点を知っているからこそ、それを他勢力に利用されることを恐れたのですね」

「それだけじゃないです。俺自身が、怖かったのもあります。別にみんなのことを信用していないわけじゃありません。でも、俺はこの知識を使って、すでに色々なものを勝手に変えてしまいました。『ハイスクールD×D』には、倉本奏太という登場人物は出てきません。俺はこの世界にとってイレギュラーで、異分子な存在だってわかっていましたから」

「……変えたことを後悔していますか?」

 

 自分の気持ちを言葉にする難しさに歯噛みしながら、俺という異分子についても話しておく。本来の歴史に、倉本奏太という存在はいなかった。そこが、この世界での大きな分岐点なのだから。そして、朱芭さんから真っすぐに問いかけられた質問に、グッと息を呑む。それでも、俺の答えは決まっていた。

 

「していません。世界にとっては間違ったことだったとしても、俺は変えたことを間違いだったとは思いません」

 

『あの時、カナくんに出会えていなかったら、きっとこんな風に笑うことなんてできなかったと思うから。だから、本当にありがとう』

 

 俺が変えてきた過去が、受け取った笑顔が、今の俺の背を押してくれる。未来が不透明になった不安や恐怖はずっと消えないけど、それでもこれまでの過去を消してしまいたいなんて思ったことはない。迷いなく言い切った俺に、朱芭さんは安心したように微笑みを浮かべた。

 

「そう、よかったわ。あなたが後悔しているなんて言ったら、頬を引っ叩いて前を向かせていたわ」

「え、えぇー」

「今の時点で、私から奏太さんに伝えられることは二つあるわね。一つ目は、奏太さんが心配していた『正史』の存在を天に知られることですが、おそらく大丈夫でしょう。少なくとも、すぐに何か起こることはないと断言できます」

「ど、どうしてですか?」

 

 堂々と告げる朱芭さんに、目が点になってしまう。だって、この世界の未来の知識だ。それを知ったのに、動かない理由なんてあるのか。

 

「証拠は?」

「えっ」

「あなたが語る『正史』が真実である証拠よ。私はあなたのどんな話も信じると決めているわ。でも、この事実を客観的に閲覧される閻魔大王様達にとっては、想像の域を出ない空想の絵空事。そんなものを軸にして、神様が動くことの方がありえないわ。神が信託を下して預言者を作って人間を動かすことはあっても、人間が予言者を語って神を動かすことはできないのよ」

 

 思わず、ポカンと口をあけてしまう。確かに俺がいくら『正史』の話をしても、この話が本当に真実かどうかは前世の俺と同じ次元で暮らしていた者にしか判断できない。人間の子どもが「この世界の未来を知っている!」っていきなり話したとしても、それで神様がいきなり動く方が無理があるわ。その子どもは嘘を言っていなかったとしても、まずは証拠を集めるのが当然だろう。

 

「つまり、私の死後にこの事実を神がご覧になってもしばらくは静観なさるでしょう。あなたが伝える未来があり得るのかどうかを確認しながら。万が一のことを考えて、他の神仏には閲覧できないように私の魂を守って下さるでしょうし、本当に真実だと判明したらまずはあなたの下へ確認に来ると思うわ」

「えっ、神様が直接ですか?」

「奏太さん、あなた自分の立場をちゃんとわかっている? 『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の理事長直属の部下で、魔王の弟子で、堕天使の総督の生徒で、さらにこれから不治の病とされるものを治そうとしている。あなたの価値は、今後この世界では大きなものになっていくと思うわ。すでにあなたの存在は無視できないものになってきているのよ。それなら、奏太さんと友好関係を築くきっかけとして、その未来の知識が使えるでしょう?」

 

 俺がただの一般人だったり、組織に所属する下っ端ぐらいだったりしたら、神様が直々に動くなんて起こらなかったかもしれない。だけど、俺の立場は人間の中ではかなり上の方だと思う。この世界の上位者達と普通にコンタクトがとれ、俺の意見を伝えることができる。そんな人間が、未来の知識を持っているかもしれないのだ。俺が語る『正史』が真実だとわかったら、下手に敵対するより、味方として取り込んだ方がいいという訳か。

 

 俺の話が真実だとわかるには、確かにまだまだ時間がかかる。なんせまだ原作すら始まっていないのだ。閻魔大王様や釈迦如来様がこの話を真実だと見極めるには、世界にとってかなり大きな分岐点を俺が予言して、それが確認できた後だろう。小さな細々した予言より、よっぽど確認がしやすい。その頃には三大勢力も和平をしているだろうし、情勢もだいぶ安定しているはずだと思う。

 

 原作では二十巻まで描写がなかった神仏のトップである二柱と、早めに接触できる機会があるかもしれない。これがどう転ぶのかはまだわからないけど、悪い予感はしないと感じる。なら、今は悩んでも仕方がないことだろう。とりあえず、すぐに何かが変わるわけではないことはわかった。

 

 

「それと、あなたは自分が未来を変えてしまったことを悩んでいたけど、それについて『私は』断言できるわ。あなたが未来を変えてくれたことは、間違っていないって」

「えっ」

「さっき言っていたわね。本来の『正史』に倉本奏太はいなかったって。つまり、本来の私には後を託せる後継者がいなかったということでしょう。そんなの比べるまでもないわ。私はあなたがいるこの世界で生きられたことが、心から嬉しいと思えたのだから」

 

 少し恥ずかしそうにほんのりと頬を朱に染めながら、それでも朱芭さんははっきりと俺に伝えてくれた。この世界で生きる一人の人間として、俺の行動を認めてくれる。倉本奏太の全てを、温かく受け入れてくれる。俺が心の底で一番欲しいと思っていた言葉を、こうして口に出して勇気に変えてくれた。

 

「だから、何度だって私は奏太さんに伝えます。あなたがいてくれてよかったと。奏太さんに前世があろうと、『正史』という知識があろうと、あなた自身が変えようと行動してくれなかったら何も変わることはなかったもの」

「朱芭さん…」

「『正史』の知識だって、あなたの大切な一部。それをもつことに、後ろ向きになる必要なんてないわ。あなたはちゃんと自分の意思で選んで、前を向いて歩くことができるのだから。あなたがあなたらしく笑って進める道を、これからも胸を張って目指しなさい」

 

 手厳しい指摘の中に含まれる、朱芭さんの優しさに俺は自然と笑みを浮かべてしまっていた。知識をもつことに、後ろ向きになる必要なんてない。この知識もまた、倉本奏太を構成する大切な一部なのだと。頭の中ではわかっていたつもりでも、他者から改めて教えられるとこんなにも気持ちの在り方が違うのか。俺の中で勝手に作り上げてしまっていた『何か』が、砂のようにさらさらと流れていったように感じた。

 

 

「まず、主人公は兵藤一誠と言って、おっぱいが大好きな普通の男子高校生なんです」

「あらあら、やんちゃな男の子なのね」

「はい、ついでに当代の『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』の所有者です」

「ごほっ!?」

「さらについでに、現在は色々あっておっぱい教のトップになっています」

「普通の男子高校生の肩書きからへし折ったの!?」

 

 それから、俺は朱芭さんに原作知識のことを巻数ごとに話すことにした。俺が伝えるのは原作の概要部分を中心に、世界の大まかな流れを時系列順に並べていっただけだ。登場人物の心情まで伝えるのは今回は時間がないので割愛したけど、『正史』とこの世界線での違いは簡単に伝えておいた。なお、イッセーくんのことは俺もどうすればよかったのかわからなかったんだ。ツッコミで疲れた彼の癒しになるならとお社はプレゼントしたけど、それでおっぱい教を始めるまで拗れるとは思っていなかったんだよ。

 

 朱芭さんにとっての衝撃の事実の連続に、第一章の時点でお腹いっぱいな顔になっていた。特に朱乃ちゃんの話の時は、原作での姫島宗家のやり方に憤っていただろう。彼らならやりかねないと、余計に頭を抱えていた。朱芭さん、本当に大丈夫だろうか。ここからおっぱいで世界が救われていくサクセスストーリーが展開されるんだけど、ちゃんと第四章までついていけるのだろうか…。これ、後で閲覧する厳格な閻魔大王様とかも見るんだよな。なんか、ごめんなさい。

 

 俺はこの世界のことを「ハイスクールD×Dの世界だから」で転生初日から受け入れちゃったからそこまで衝撃はなかったんだけど、この世界に住んでいる人たちにとってみたら、一巻一巻が衝撃の連続だったらしい。とりあえず、今日はまだマシな方の第二章の『乳龍帝誕生』編まではいけそうなら話そうと思う。第三章の『おっぱいドラゴン』編からは、北欧の神様とか異世界の乳神様とか『無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)』のオーフィスとかが出てきたりで、どんどんカオスなことになっていくからな。

 

 そうして、俺が相棒の異能で朱芭さんの胃痛を治療しながら今日の分を話し終わった後。昼食を作るついでに様子を見に幾瀬家へ来てくれた朱璃さんが、二度見してしまうほど疲れた顔の朱芭さんにおろおろしていた。修行疲れと誤魔化してくれたけど、あの朱芭さんが表情に出すってよっぽどだよね…。うん、本当にごめんなさい。原作に関して俺は悪くないはずなんだけど、本当に申し訳ないです。罪悪感がヤバい。

 

 朱璃さんが作ってくれた胃に優しい昼食を食べながら、この世界の混沌さを改めて俺は実感したのであった。

 

 


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