えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百六十二話 足音

 

 

 

 眩しい日差しが降り注ぐ、夏のとある日。庭に咲くヒマワリが色鮮やかに並び、セミの鳴き声がうるさく鳴り響く。夏になるとたくさんのイベントが開催され、風物詩となる行事も多いだろう。川や山へのアウトドアや、海へ花火を見に行くロマンティックな夜。他にも夏祭りを楽しんだり、冷たいかき氷を食べたりと夏を彩るものは数多くあった。そして、夏といえば身も凍るような恐ろしい話もその内の一つだろう。

 

「そ、そんな…。嘘、よね……」

 

 一人の老齢の女性が悲鳴に似た声をあげ、後ずさる様に恐怖に身をすくませた。蒸し暑かったはずの気温すら感じなくなるほどの寒気。ガタガタと震え出した身体を抱きしめ、怖ろしさから自身を守る様にその女性は嘘だと首を横に振った。

 

「だって、だって、まだ一ヶ月も経っていないのよ? おっぱいの軌跡でお腹を痛めたあの日々から、まだほんの少ししかっ……!」

 

 六月の中旬から一ヶ月以上かけて語られた、おっぱいドラゴンの全て。この世界の未来で辿るはずだった、本来の正史。全部で二十巻分あり、しかも一巻ずつにとんでもない爆弾がある恐ろしい真実。そんな日々を何とか乗り越えることができてから、まだ一ヶ月も経っていないのだ。

 

 この世界の未来を知り、この世界でも深い真理を見て、世界の在り方すら変革させられた。自身が死した後に閲覧することになるだろう神々ですら、全てを飲み込めるのかわからないほどの黙示録(アポカリュプス)を。だが、日々弟子のやらかしに頭を痛めてきた師は、逆に考えればこれ以上のやらかしは起こらないだろうと考えていた。なんせ、この世界の未来である。この世界の真理を、おっぱいの奇跡を知ったのだ。

 

 この時の衝撃を越えるようなことが、まさか自分が生きている間に再び起こる方がありえないと考えることの何がいけないのだろうか。

 

「あ、あっ、あぁ……」

 

 目の前に差し出されたのは、一冊の冊子。これまでに何回も見せられてきたが、全てを知った彼女にとっては、もう二度と目にすることはないだろうと思っていた本。この本を見る回数が積み重なるごとに、どんどん蓄積されていく胃痛の権化。それが再び、彼女の前に姿を現したのだ。土下座する勢いで自分に差し出された『取扱説明書』に、彼女は恐怖から手で口元を覆うしかなかった。

 

 寿命ギリギリのおばあちゃんへのあんまりな仕打ちである。寿命よりも先に、この弟子のやらかしに倒れそうだ。悪霊ぐらい片手間で除霊でき、妖怪も退治できる実力のある女性に、この夏一番の血の気が引くような恐怖を味合わせた『取扱説明書』。やはりこの世で恐ろしいのは、生きているヒトなのかもしれない…。

 

「すみません、朱芭さん。ちょっと、……いや、かなりやらかしました」

「奏太さんが自覚症状を持つレベルのやらかしなのね。この前の正史の衝撃ぐらいのことなの?」

「……えっと、もしかしたらそれ以上かも?」

 

 首を傾げる奏太に、もう泣きそうだった。目じりに涙ぐらいなら溢れているかもしれない。おっぱいサクセスストーリー以上って、アレ以上に何が起こるというのか。いつも天然でやらかす弟子が、自覚をもってやらかしたと話している時点で、本当にヤバい内容なのだろう。そして、保護者達や友人達にではなく、幾瀬朱芭の下へ真っ先に訪れたことから原作知識に関することだと察しもついた。彼らには下手に相談できない内容だとも。

 

 朱芭はじくじくしてきたお腹に手を当てながら、深く深く息を整えた。自分にとって最初で最後の弟子である少年――倉本奏太を真っすぐに見つめる。彼がこれまでやらかしてきたことや、前世を抱えて転生したこと、原作知識という未来を知っていることや、神器症の治療というやらかしをすることなど、全てを知っているのは自分しかいない。

 

 正直に言えば、奏太のやらかしはもう自分の手に負えないような気もしてきたが、それならそれで未来のための礎になろう。強制的に巻き込むことになるだろう神々に申し訳なさを感じるが、朱芭にできるのはこれぐらいしかないのだ。弟子と世界のために、全てを持って逝く。ものすごくお腹は痛いが、彼女は覚悟を決めて頷いた。

 

「奏太さん、あなたの神器を借りてもいいかしら。私の体力的に治療しながら、話を聞くわ」

「あっ、はい。どうぞ」

 

 治療しながら聞くことにツッコむことすらなく、奏太は潔く紅い槍を朱芭に差し出した。半月前に原作知識について語っている時も、時々あったことなのでもはや疑問すらわかない。宿主以外には無関心なことが多い紅の神器ですら、どこか申し訳なさそうに点滅を繰り返す。朱芭は息を吐きだすと、どこか悟ったような眼差しで自らの腕に槍をそっと突き刺した。

 

「さぁ、これで準備は問題ないわ。いつでもかかって来なさいッ!」

「それじゃあ、まずは経緯から。数日前におっぱい教祖になったイッセーくんがお祈りをしていたら、七年ほどフライングして乳神様の精霊が降臨したんですよ」

「はい…?」

「それにびっくりして様子を見に行ったら、俺の起源が『神依木』だったこともあって、乳神様に憑依されちゃったんですよね。それで精神世界でこの世界に来た訳を聞いたら、近い未来に異世界を侵略する邪神勢力がこの世界を滅ぼすために来るって教わりました」

「………」

「その勢力は強大で、いくつもの異世界をこれまでにも絶滅させてきたそうです。邪神含め、グレートレッドより強いのがごろごろいると教わりました。なので、乳神様は邪神に対抗できるように、この世界にそのための術や知識を授けにきたみたいでした」

「……………」

「たぶん俺が知っている原作知識より先の未来で、この異世界編が起こるんだと思います。インフレし過ぎで、正直言って泣きそうですよ。それで、俺は成り行きで乳神様の神子になっちゃって、このことをどうみんなに伝えたらいいのか相談したいなぁーって思ったわけなんですけど。なので朱芭さんに、……朱芭さん?」

 

 静かな沈黙が続く。まるで菩薩のような微笑みを浮かべた幾瀬朱芭は、そっと目を伏せ――

 

「きゅう…」

「あ、朱芭さぁぁぁあああんッ!!」

 

 許容量を超えて、パタリと後ろに倒れたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「ここでお迎えが来てしまったのかと思ったわ」

「もう本気で心配しましたよ…」

「自分で術をかけて、あなたの神器で治療や精神安定を施しながらでコレって、もう本当に何をやらかしているのよぉ…」

 

 顔を手で覆って項垂れる朱芭さんに、俺は誠心誠意で土下座しました。今はだいぶ落ち着いたみたいだけど、めっちゃ焦りましたよ。原作知識という下地がある俺ですら衝撃的な内容だったのだから、それを現地人が知ったら倒れても仕方がない。俺も気が動転していたのは事実だけど、それでも相談できる相手は朱芭さんしかいなかったのだ。

 

 駒王町で乳神様と出会い、身体に憑依された後。相棒の紅の光に包まれたと同時に目を開けると、そこには心配そうに声をかけるイッセーくんと藍華ちゃんがいた。どうやら俺が精神世界にいたのは数分ぐらいのことだったようで、突然意識を手放した俺に子どもたちが必死に介抱をしてくれたようだ。憑依の影響なのかしばらく動けなかったけど、今回のことを二人には何とか秘密にしてもらう約束はしてきた。

 

 二人にはキリスト教の在り方を話し、乳神様のことは直接話をした俺が受け持つと伝え、日常に帰ってもらった。二人は少し納得がいかなさそうだったけど、さすがに小学生の子どもを巻き込むわけにはいかない。ただイッセーくんは、乳神様を降臨させた実績を持っている。乳神様のことをみんなに伝えるなら、さすがに隠し通すのは難しいかもしれないことはわかっていた。

 

 しかも、実際に神性な存在を降ろしたからなのか、お社の周りの空気が僅かだけど変わったのを感じた。異世界の神との交信を可能にした祭儀場。原作での駒王町は三大勢力にとって中心の拠点的な扱いだったけど、異世界との繋がりを残す場所をこのまま放置はできなかった。早めに悪魔側に伝えて駒王町に他勢力が入らないように規制してもらった方がいいだろうし、教会への対応もある。

 

 今のところ、魔法少女で溢れかえっているから大丈夫だろうけど…。ミルたん達に個人的な依頼を出して、お社周辺の警備をお願いしたので筋肉だらけだと思う。傍から見たら、おっぱい教でお祈りをしているように見せているので、しばらくの間は問題ないはずだ。一般人も教会の人達も、物理的にも精神的にも近づきたいとは思わない鉄壁の守り。しかし、そこまで長期間誤魔化せるとは思えなかった。

 

 未来での問題も山積みで、現在での問題も山積みな状態。乳神様降臨イベント一つで、まさかここまで事態が急展開になるとは思っていなかった。相棒もアレから不貞腐れているのか、乳神様の話になると明らかに不機嫌そうなオーラを纏うようになった。よっぽど俺の中に他の神様が憑依したのが嫌だったようで、基本俺以外には無関心を示す相棒が「あいつ嫌い」的な明確な意思を送ってくるのだ。

 

 これが良いことなのか悪いことなのかはわからないけど、乳神様に会う前よりもよっぽど感情表現のようなものが感じられるようになった。「好き」もそうだが、「嫌い」も案外激しい感情だもんな。俺以外で相棒が強い関心を持つのって初めてだから、ちょっと寂しい気もする。でも、これも一つの成長なのかなと俺は優しく槍の柄を撫でておいた。

 

 

「そういえば、乳神様が相棒に向かって色々言っていたな。神の手とか御子神とか…。これってどういう意味なんでしょう?」

「乳神様がこの世界の神々より高位の存在なら、こちらでは見えない真理を見透かせても不思議はないわ。けど、言葉通りに受け取るなら、聖書の神様の一部。あるいは子どもであると捉えられるわね」

「子ども…。でも、そんな存在原作には一切出てこなかったよなぁー」

 

 乳神様降臨時は、衝撃的な事実の連続で考えがまとまっていなかったけど、朱芭さんに話すことで自分でも改めて考えることができるようになった。朱芭さんの言うとおり、乳神様は相棒のことを誰よりも深く理解していたのだろう。しかし、聖書の神様の子どもと言われても首を傾げるしかない。そんな重要人物がいたのなら、神様の右腕だったミカエル様が天界代表として前に出てくるだろうか。信仰心の強い彼なら、神の子どもを蔑ろにする訳がないからだ。

 

 うーん、だけど天使のみなさんもある意味で聖書の神様の子どもと捉えることはできるのか。それでも、神の一部であるらしい相棒の存在は、明らかに天界でも重要人物に数えられるはずだろう。俺は手に持つ相棒をジッと見つめてみるが、神器からの答えはない。やはり明確な答えを知るためには、俺が相棒の下へと行くしかないのだろうな。

 

「もしかしたら、聖書の神様の下にいたアザゼル総督なら、もっと詳しくわかるかもしれないわ」

「先生ならですか…」

「あなたの神器の謎もそうだけど、異世界の神のことを伝えるのなら避けては通れない道でしょう。さすがにこれは、隠し続けるには重すぎる内容だわ」

「それなんですけど、異世界の脅威について大々的に告げるっていうのはどうでしょうか。どうせ俺の保護者に伝えるのなら、全勢力に協力を求めるべきですよね。明らかにこの世界の危機ですし、リゼヴィムだって異世界への侵攻が自殺行為だってわかったら下手に動かないと思うんですよ」

 

 異世界の脅威を伝えるにあたって、俺がずっと考えていたことだ。悪魔、堕天使、魔法使いだけでは、とてもじゃないけど手に負えない。三大勢力だけでなく、この世界に存在する神話みんなで一丸になって戦わないと確実に負けるような敵なのだ。どこまで異世界のことを信じてくれるかはわからないけど、俺の中にある加護のことや、少なくとも朱芭さん経由で伝わるだろう仏教勢力のこともある。ただの妄言で切り捨てられはしないだろう。

 

 それにリゼヴィムに関しても、あいつは『異世界で俺TUEEE!』というメアリー・スー的な行為がしたかっただけで、グレートレッド以上の実力者が蔓延(はびこ)る異世界に喧嘩を売って自殺したかったわけじゃない。父親である初代ルシファーのように、新天地で唯一絶対の大魔王という強大な存在を見せつける行為に憧れを抱いていただけだ。

 

 つまり、異世界があると聞いてわくわくしちゃったおじいちゃんへ、現実を突きつけて目を覚ませ! と正論でぶん殴ればいい。乳神様から敵勢力のヤバさを直接聞いたのだから、決して不可能ではないはずだろう。

 

「異世界があることを公表するだけだとまずいのなら、邪神のヤバさも一緒に伝えちゃえばいいって思うんですけど…」

「絶対にやめなさい。そんなことをすれば、すぐにでもこの世界は滅びへ向かうわよ」

「えっ?」

 

 異世界について大々的に公表する案は、朱芭さんにバッサリと否定された。頭が痛そうに溜め息を吐く朱芭さんに、俺は呆然とするしかない。だって、この世界が滅亡するかもしれない危機である。さすがに他神話の皆さんだって、いくら三大勢力が嫌いだからって協力しないとまずいことぐらいわかるはずだろう。破滅思考があるヤツだって、さすがにこの世界全体を敵にまわせはしないはずだ。そんなことができるなら、とっくにやっているだろうし。

 

「奏太さん、忘れているでしょう。この世界を滅ぼしてでも、自分の目的を達したいと考える存在のことを」

「忘れてるって、リゼヴィム以外にそんなヤバいやついましたっけ?」

「あなたの中では『無害』に分類されているのかもしれないけど、この時代で言えば完全に『有害』な存在よ。それこそ邪悪な思想を持つリリンよりも、単身で世界の全てを敵にまわせる実力がある分最悪に近いわ。純粋で無垢であるが故にね」

 

 単身で世界を敵にまわせる、純粋で無垢な存在。朱芭さんにそこまで言われて、俺はハッと目を見開いた。確かに忘れていた。いや、意識していなかった。俺の中で「彼女」は、最初は敵側だったけど、イッセーたちとの出会いによって変わっていった存在だったから。『ハイスクールD×D』のマスコット的な立ち位置で、イッセーたちと触れ合うことで感情や心を知って、この世界を守るために戦ってくれたのだから。

 

 だけど、朱芭さんの言うとおりだ。この時代で言えば「彼女」、……かすらもわからないかの存在は、危険以外の何者でもなかった。グレートレッド以上に強い存在がごろごろいる異世界が攻めてくる? そんなことを「彼女」の耳に少しでも入れてみろ。グレートレッドを排除できる『手段』を知った今の「彼女」がどうするのかなんて、火を見るよりも明らかじゃないか。

 

「『無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)』。「無限」の体現者、オーフィス…」

「そういうことよ。今の龍神は、あなたが知る「彼女」じゃないの。次元の狭間で真の静寂を得たいという理由で、この世界を混沌へと陥れる存在。グレートレッドを排除するためなら、今の龍神なら何だってやるでしょう。『禍の団(カオス・ブリゲード)』に協力していた正史のようにね…」

 

 沈痛な表情で告げる朱芭さんに、俺は何も言えなかった。俺の知っているオーフィスは、イッセーと友達になった「彼女」だけなのだ。今のオーフィスは、自分が孤独であることさえ認識できない、無垢故の残酷さを持っている。しかもオーフィスは次元の狭間をグレートレッドの次に行き来できる。乳神様は『機械生命体(エヴィーズ)』が異世界の存在を滅ぼすだけでなく、同士として迎え入れる場合もあると言っていた。もしオーフィスが邪神にグレートレッドを倒してほしいと願ったら、そのためにこの世界を差し出す契約だってやりかねない。

 

 そうなったら、邪神勢力がこの世界を目指してやって来るだけでなく、オーフィスまで敵に回るのだ。この世界で二番目に強い存在が敵側にまわるとか悪夢としか言えない。最悪以外の何ものでもない結末。俺はガシガシと頭を掻くと、盛大に溜め息を吐くしかなかった。朱芭さんに原作知識を伝えておいて本当によかった。俺の主観で見た世界とは違う視点で、彼女は冷静に世界を見据えてくれるのだから。

 

「……となると、異世界の存在は本当に限られたトップ陣にだけ極秘で伝えるしかないってことですよね。大々的に伝えたら、オーフィスが動いてバッドエンド。半端に伝えたら、リゼヴィムが動いてバッドエンド。もう本当に何なの、こいつら…」

「それは私の方が言いたいセリフよ…。でも、正史のようにオーフィスを味方にさえできれば、異世界の存在を公表することもできると思うわ。戦力は欲しいけど、味方にできないのなら「有限」に堕とすというのも最良ではないけど一つの手ね。ただ正史のように、どうやって龍神に興味を抱かせるかが重要になってくるわ」

「オーフィスが初めて興味を抱いたのは、歴代とは異なる成長をした赤龍帝と白龍皇の姿を見たからだ。はぁ…、やっぱりこの世界の命運はドラゴンが握っているってことなのかなぁー」

 

 窓から見える青空へ目を向け、天を仰ぐようにポツリとこぼす。おっぱいドラゴンの歌をプロデュースしないといけない可能性もある今、どうやら赤龍帝と白龍皇の未来は激動に揺れる運命らしい。俺にとって弟のような存在である二人を、命がけの戦いに巻き込まなくてはいけない。原作のように危険と隣り合わせな戦場へ向かわせる。ドラゴンの定めを持つ彼らなら自分から関わるかもしれないけど、それでもやるせなさが胸中に浮かんだ。

 

 俺が裏の世界に足を踏み入れて五年経ち、俺なりに原作知識と付き合って生きてきた。俺の意思で原作の道筋を変えてきたはずなのに、肝心なところは変えられない。やはり主人公である兵藤一誠がいなければ、この世界の秒針は進まないのだと痛感する。俺がこの世界のためにできることって、本当に少ないのだと実感した。

 

 

「俺ができることなんて、ちっぽけなことだったんだなぁ…」

「冗談よね、奏太さん。これまでやってきたことをちっぽけで片付けるのは、ちょっとどうなの?」

 

 センチメンタルな気分になる俺へ向かって、あり得ないものを見たような顔をされた。おかしい、朱芭さんと俺との認識の差にものすごい溝を感じる。

 

「あのね、奏太さん。確かにこの世界の命運を動かすのはドラゴンかもしれないわ。でも、その動かす世界の在り方を変えられる位置にいるのは、間違いなくあなた自身よ」

「この世界の在り方をですか?」

「えぇ、他の誰でもないあなたにしかできない立ち位置だわ。人間でありながら、異形や神に認められるあなただからこそその間に立てるのよ。ドラゴンがこの世界を動かす。なら、そのドラゴン達(あなたの大切な弟達)が少しでも動かしやすい世界になるように、後押しするのが兄であるあなたの役目なんじゃないの?」

 

 少し卑屈になっていた気持ちが、すとんと落ちた気がした。未来のイッセーくんとヴァーくんが動かすことになるだろうこの世界を、彼らのために後押しするのが俺の役目。原作でも多くのしがらみを持っていたイッセーくんとヴァーくんが、少しでも彼ららしく道を歩めるように。ヒロインたちや仲間や友達と笑い合う姿を、この先の未来でも見られるように。

 

『平和が一番です! 部長とエッチがしたいです! ――俺に宿る力が強力なら仲間のために使います。もし危険に晒されたら俺が守ります! 身体張って仲間と共に生きていこうかなって!』

 

 原作でこの世界の在り方を願った兵藤一誠が告げた思い。強いやつと戦いたいと願ったヴァーくんも、邪神なんて存在を見逃すとは思えない。彼らや仲間のみんなが戦いやすいように、守りやすいようにするのが俺のやるべきこと。そう考えれば、確かに重要な役目だな。明け透けな願いを口にしていたイッセーを思い出して噴き出すと、将来の二人のためにできることをやってやりたいと思えた。

 

「それに、奏太さんには色々頑張ってもらわないと困るわ。鳶雄の負担を少しでも減らしてもらわないといけないんだから」

「ちょっと朱芭さーん?」

「ふふふっ」

 

 口元に手を当てて微笑む朱芭さんに、俺も肩を竦めて笑みを浮かべた。朱芭さんはいつも俺にとって大切なことを気づかせてくれる。知識だけでなく、心の持ち方も。だけど彼女とこうして笑い合える時間は、もうそこまで長くない。あと半月もすれば、俺との修行も終わるためもっと会える時間は減ってしまうだろう。

 

「……できるかな、俺に」

「できるわ。あなたは私の一番弟子なんだから。できなくちゃ困るもの」

「ははっ、手厳しいなぁ」

 

 弱気になりそうな俺の背中を叩いてくれる手の温かさを、俺はずっと忘れないと思う。俺がこの世界の在り方を変える。そのためのカギを俺はすでに持っていた。あと必要なのは、やり遂げるだけの思いを貫くこと。

 

「異世界のことをメフィスト理事長に告げるのは、私との修行を終えてからがいいでしょう。神器症の治療についても知らせることになると考えれば、この夏で出来ることは全て終わった後の方がいいわ。その先は、きっと激動の日々になるでしょうから」

「異世界からの侵攻の所為で、神器症の治療が本当にそれどころではなくなっちゃいましたね…」

「でも、邪神の侵攻を知らせるために天界側とコンタクトを取るのに、その治療方法は良いカモフラージュになるわ。異世界の動向を中心にして動けない現状で、天界側からこちらへ接触を図る理由になるもの。異世界への危機感を伝えるためなら、悪魔や堕天使が裏で動いても不思議じゃないものね」

 

 神器症の治療を餌にして、天界陣営をこっち側へおびき寄せる。悪魔と堕天使への伝手はあるので、あとは天使さえ引きずり出して秘密裏の会談を成功させられれば、聖書陣営のトップ陣だけに真実を伝えられる。戦争の危惧を考える必要がないほど、一丸になってまとまらなくてはならないヤバい現状を。

 

 聖書陣営が一堂に集まれば、さすがに外だって騒ぐだろうから表向きは神器症の治療についての話し合いにしておけばいい。天界に伝手がない俺達が取れる唯一の方法と言っていいだろう。そうなれば、メフィスト様たちも俺の神器症の治療を止める理由がなくなる。神器症の治療をするために頑張ってきた「目的」が、異世界の存在を伝えるための「手段」に代わることになるとは、人生とは本当に不思議なものである。

 

「さっ、それでは今日の修行を始めましょう。まだ少し時間はあるから、考えがまとまったらまた相談に来なさい。今後はもう『取扱説明書』が出てこないことを祈るわね」

「あはははっ…」

 

 ジトリと見られたことに乾いた笑みを浮かべながら、俺と朱芭さんの時間は過ぎていく。修行も最終段階に入ったので、その厳しさにめちゃくちゃ泣かされました。夕方頃に友達の家から帰ってきた鳶雄にドン引きされたが、またかという優しい目で晩御飯を作ってくれました。こいつ、先輩がおばあちゃんに泣かされる姿が当たり前になってきていやがる。その通りだけど。

 

 嵐の前の静けさのような穏やかな時間と同時に、激動への足音が少しずつ耳を掠めていく。相棒のこと、治療のこと、異世界のこと、今後のこと。その全てが一本に繋がる時は、もうすぐ訪れるだろう。幾瀬家で三人で食べる賑やかな晩御飯に笑いながら、ひぐらしの鳴き声が夏の夕暮れを彩っていった。

 

 


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