えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百八十三話 遊興

 

 

 

「痛ッ…! っっぅ――ぐぅ、シェムハザ。もうちょい優しくなぁ…」

「私がどれだけ注意しても、無茶ばっかりするからでしょう。それとも、奏太くんを呼んで治療をお願いしますか?」

「いや…、さすがにあいつにこの姿を見せるのはなぁ…。俺にも威厳ってものが」

「じゃあ、我慢しなさい」

「ちょっ、痛テェェッーー!?」

 

 コカビエルとの死闘が終わって数刻後。激しい戦闘を考慮して、冥界にある基地の中でも普段あまり使わない場所を選んでいたため、アザゼルの叫び声が響いても問題はなかった。さすがに同じ組織の仲間同士で、殺し合いに発展しかねなかった本気の戦闘を周りに見せるわけにはいかない。そのため、今回の件を知っている者は、シェムハザとバラキエルと数名の信頼できる部下のみであった。

 

 普段から不満を溜め続けていたコカビエルとの戦闘だ。万が一があり得ることは、誰もが理解していた。しかし、ここまで拗れてしまった関係をもう一度やり直すには、それだけの覚悟が必要だろうことも。総督であるアザゼル一人に説得を任せるしかなかったのは、シェムハザとバラキエルもそれを理解していたからだ。二人もコカビエルをただ切り捨てるしかない選択を受け入れられなかったからこそ、アザゼルの案に力を貸したのだから。

 

「はい、大部分の治療は済みましたよ。数日ほど痛みや痣は残るでしょうけど」

「これぐらいなら問題ねぇよ。あいつの方は?」

「治療はいらないと突っぱねられましたが、無視して部下に治療させておきましたよ」

「……お前、容赦ないよな」

「あなた方のような意地ばっかり張るヒト達と、どれだけ付き合ってきたと思っているんですか」

 

 我の強い堕天使達の副総督として、円滑に組織を回すために多少の強引さは必要なスキルである。お互いに満身創痍だったところをシェムハザに回収され、最大限の治療を双方に行った。これで、明日からも問題なく仕事を割り振れるだろう。にっこりと微笑むシェムハザに、ぶるりと寒気からアザゼルは肩を震わせた。

 

「……にしても、マジであいつのことを説得できたんだよな? もう我武者羅にぶん殴っていたから、自分でも何を言っていたのか途中からちょっとうろ覚えなんだが…」

「少なくとも、すっきりした顔はしていましたよ。今後どうするかは、彼自身が決めることです」

「……そうだな、あいつが決めることだ」

「監視はつけておきますけどね」

「やっぱりお前、手厳しいよな」

 

 確かにアザゼルはコカビエルとの勝負に勝ったが、元々は彼の不満を受け止めることが主目的だった。戦闘という方法を選んだのは、それがコカビエルにとって最も心の内をぶつけやすいと思ったからだ。つまり、最終的に彼が今後も『神の子を見張る者(グリゴリ)』の幹部として残ってくれるかはわからないということである。アザゼルがコカビエルにぶつけたい思いは全てぶつけた。なら、後は本人が納得できるまで待つしかないだろう。

 

 監視を付けるとはいえ、やり方としては甘いとしか言えない。組織の長として無理やり従わせるやり方もあるが、アザゼルはそれを選ばなかった。コカビエルの性格的に、真正面から説得に赴いたアザゼルから逃げるように無断で離反するような真似はしないだろう。離反を選ぶなら、たぶん堂々と告げに来る。プライドが高いからこそ、命を懸けてでも意地を貫くような男だ。コカビエルの矜持の高さを、アザゼルは信頼していた。

 

 はっきり言って、コカビエルはわかりやすいのである。感情的でプライドが高く、しかし根は真面目で愚直だ。トップであるアザゼルへ、方針の違いを堂々と嚙みついて来るような相手である。だからこそアザゼルも対策をたてられたし、もしもの離反に備えて警戒もできた。原作でも彼は一人で戦争を引き起こそうと独断で暴走はしていたが、堕天使に対して攻撃を加えるような真似はしなかった。彼一人の暴走として、組織から切り捨てるだけで事なきを得られたように。

 

 コカビエルは『神の子を見張る者(グリゴリ)』に対して不満を募らせ切り捨てはしたが、裏切ろうとはしていなかったのだから。

 

「傷を癒して仕事を片付けたら、しばらくは自身を鍛え直したいそうですよ。よっぽどあなたに負けたのが悔しかったようですね」

「クククっ、そうか。それは頼もしい限りだな。さすがにもう殴り合いは勘弁だけどよ」

 

 自分と同じように青痣が残っているだろう頑固馬鹿の悔し気な顔を想像し、アザゼルは楽し気に笑みを浮かべた。

 

 

「ふぅ、となると。……組織の機密情報を横流ししている裏切者は別にいるって訳だな。今回あいつと直接ぶつかってみてわかった。コカビエルとネビロス家は、無関係だと確信をもって言える」

「えぇ、そうでしょうね。彼は昔と変わらず、自分の意地を貫いているだけでした」

「過去が原因じゃないなら、裏切者の狙いは――」

 

 去年起こった『人工超越者の研究』に関する事件。ナベリウス分家の悪魔と繋がっていたネビロス家の存在。そのナベリウス眷属の神器持ちの『兵士(ポーン)』に施されていた堕天使の技術。さらには『人工超越者の研究』にも、それらが使われていた痕跡が発見された。メフィストを通じてそれらを知らされたアザゼルは、当然ながら組織の引き締めに追われたのは記憶に新しいことだ。

 

 そして、メフィストが魔王達に堕天使の繋がりを暴露した後は、秘密裏にアザゼルは魔王と連絡を取り、当時の研究についての情報を交換し合っていた。そうして詳細を調べれば調べるほど、裏切者の存在を感じずにはいられなかった。それも幹部レベルの権限を持つ者であることも…。ネビロス家の行いは世界に混乱を起こしかねない。巡り巡って『神の子を見張る者(グリゴリ)』にとって不利益となる可能性もある研究だった。

 

「仲間を疑いたくない気持ちはあるが、そうも言ってられねぇ状況だからな」

「もうすぐ停戦協定が結ばれますからね」

「あぁ、停戦協定が結ばれれば、おそらく裏切者も何かしらの動きを見せてくるだろう。相手の目的も見えてくるだろうし、そこを叩くしかない」

 

 現在、組織の幹部といえど簡単に情報を引き出せないように様々な細工を施している。だが相手も警戒しているのか、アザゼル達が張った警戒網に引っかかるような動きは見せない。なら、動かざるを得ないような状況を作るしかないだろう。相手の狙いが何であれ、これからこの世界は激動の時代を歩むことになるのだから。

 

 新たなる時代の幕開けを前に、堕天使達の夜は昏々と()けていくのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「ここ数年、外に出かける時って仕事用のローブばっかり着ていたから、私服ってちょっと新鮮な気分がしますね」

「僕もクレーリアに出会うまでは仕事用の服ばかりだったから奏太くんの気持ちはわかるけど、キミはまだまだ若いんだから遊ぶのも大事なことだよ」

「漫画や小説を読んだり、ゲームで遊んだりは…」

「リーバンくんに外の遊びを教えてもらいなさい。僕も都合がつけば護衛として一緒に行くから」

 

 ついに迎えた友人達との外遊びの日。ラヴィニアへのお礼を兼ねたお出かけだったけど、俺自身も結構わくわくしていたりする。正臣さんにも言われたけど、ここしばらくはほとんど外に出ることってなかったからなぁ…。毎日ランニングや訓練などで身体は動かしているんだけど、遊び目的で外に出ることが全然なかった。それだけ忙しかったということもあるけど、俺自身の性格の問題もあるんだろう。

 

 外へ遊びに行こうと思えば出来るのに、その気力が湧かなかったあたり自分でも引きこもり体質なのかもしれないと思う。外に出ることは嫌いじゃないし、ヒトに会うことも苦じゃないけど。昔、姉にもゲームばっかりじゃなくて外で遊べって言われていたしな。今回遊びに出かける用の服も、リーバンに頼んで慌てて服屋へ行って買ったものだ。協会の仕事は黙々と集中して行うものが多いから、他者と交流する機会も少なく、俺の出不精に余計に拍車をかけたような気もした。

 

「クレーリアも言っていたと思うけど…。真面目なことは良いことだよ。でも、奏太くんもラヴィニアちゃんもちゃんと遊ばないとだめだからね。僕もクレーリアと付き合いだしてから色々知ったけど、外に出ることで新しく知ったことはとてもたくさんある。そういった経験も大切な糧になることだってあるんだよ」

「うっ…、はい」

「奏太くんの立場上、あんまり自由が効かないことはわかっているから、そういう時こそ僕を使ってほしい。僕に迷惑をかけるって思われるより、頼ってもらった方が嬉しいんだから」

 

 正臣さんと二人で女性陣を待っている間、俺の出不精について正臣さんから懇々と説得されてしまった。彼が本当に俺のことを心配して言ってくれているのが分かるので、気恥ずかしさに黙って頷いておく。もちろん休日の過ごし方は俺の自由ではあるんだけど、こんな風に親身になって気にしてくれる友人がいるって大切なことだと思う。今後は意識ができるように頑張ります。

 

「えっと、そういえば正臣さんは今日どこに行くのかは知っているんですか? 当日のお楽しみってクレーリアさんに言われて、結局今日を迎えちゃいましたけど」

「あぁ、うん。十二月のこの時期だからね。イベントは色々あるけど、悪魔である僕たちが問題なく遊べるところを探さないといけなかったから」

「問題なくですか?」

「……十二月だと、うっかり聖歌が聞こえてくることもあって」

 

 それは、ご愁傷様です。悪魔にとって、十二月は鬼門なのかもしれない。クリスマスソングとか、一般人が歌ったぐらいのものなら問題ないらしいけど、信仰深い信徒が路上で歌う可能性は確かにこの時期ならあり得る。教会が傍にあれば聖歌隊とかの歌が聞こえてきてもおかしくないし、クレーリアさん達が場所の吟味を頑張った理由がよくわかった。

 

「今回行くところは、クリスマスに向けて一ヶ月ぐらい前からお祭りをしている地域でね。クリスマスマーケットとして、屋台や露店も色々あるみたいなんだ。教会も傍にないし、催し物や場所取りは事前に登録しておかないといけない規則らしいから、突発的に聖歌が流れてくることもないかなって」

「お祭りですか…。日本の祭りは行ったことがありますけど、外国の祭りは初めてかも」

「じゃあ、色々びっくりするかもしれないね。イルミネーションとか規模とかが本当にすごいよ」

 

 さすがは正臣さん、こういったイベント系はすでに経験済みらしい。種族的な理由で制限がある正臣さんたちだって、人間界の面白いところをたくさん知っているのだ。お金だって困らないぐらいあるんだし、確かに外に出て遊ぶことも必要かもしれない。豪遊する勇気はないけど、気分転換に世界のおいしいものを食べに行くとかはやってみたいかもな。リンは食べるのが好きだし、喜んでついてきそうだ。そう思うと、外に出るのも悪くないなと思えた。

 

 

「お待たせー、二人とも! 待ち合わせの時間は間に合ったかな?」

「ちょうどぐらいですよ。おはようございます、クレーリアさん、ラヴィニア」

「おはようなのです、カナくん、マーシャ。今日は誘っていただき、ありがとうございます」

「おはよう。こちらこそ、楽しんでもらえたら嬉しいよ」

 

 目的の場所へは協会の魔方陣から向かう予定だったので、協会の一室で待ち合わせをしていた。女性陣は普段の服装とは違って、お出かけ用の華やかな装いになっている。喫茶店を経営しているクレーリアさんは制服姿でいることも多かったんだけど、今日はデニムのズボンにチェック柄のコートと大人の女性らしい落ち着いた雰囲気を纏っている。正臣さんがデレデレした顔で服装を褒めている姿を横目に、頬を赤く染めて照れているラヴィニアと向き合った。

 

 冬用の厚みのある白いコートに、美しい刺繍が施された水色のシフォンスカート。俺が昔あげたブレスレットと合わせて、シンプルながら綺麗にまとまっていた。さらに輝くような金髪が後ろで丁寧に編み込まれていて、クレーリアさんとお揃いの髪型にしている。二人の仲の良さを感じながら、普段はなかなか見られない首元もよく見える。普段の魔女っ娘スタイルではわからなかった彼女のスタイルの良さもよくわかってしまい、思わず目がいってしまった。そんな風に考える自分に叱責するが、これは目移りしても仕方がないと思う。本当によく似合っていた。

 

「あの、どうでしょうか? クレーリアと一緒に選んだのですが…」

「これまでは私が選んだ服を着ていたんだけどね、今回の服はなんとラヴィニアちゃんが自分で選んだんだよ」

「い、いえっ! ほとんどクレーリアが選んでくれたようなものなのです。私はほんのちょっと意見を言っただけで…」

「そのブレスレットに合う服にしたかったんでしょ? それは立派な意思表示よ。ラヴィニアちゃんは素材が最高に良いんだから、こういうことに興味を持ってくれてお姉さんは嬉しかったなぁー」

「うっ、うぅぅ……」

 

 ニヨニヨと笑みをこぼすクレーリアさんに顔を真っ赤にして俯くラヴィニアだが、俺も追撃を食らい赤くなった頬を隠すように目線を明後日へ向ける。五年前に俺があげたブレスレットをちゃんと付けてくれるラヴィニアは、今でも大事に使ってくれていたりする。自分の手首にあうように修繕もしてくれているようで、ここまで大切に使ってくれるならあげた方も嬉しい限りだ。

 

「その、すごく似合っているし可愛いよ。本当にすっごく。語彙力がないのが申し訳ないぐらい似合っています」

「は、はい、よかったのです。カナくんも格好いいのですよ」

「う、うん。ありがとうございます」

 

 ラヴィニアにつられて敬語になってしまっている自分に、色々落ち着けと心の中で平静さを装う。相棒からの生暖かい思念も感じてしまい、深呼吸をするように息を吐いた。今日はこれまでのお礼も兼ねて、ラヴィニアをエスコートできるように頑張るのだからしっかりしないといけない。隣でイチャイチャするバカップルを見たら多少冷静になれたので、今後は気を付けていこう。

 

 それから忘れ物やこれからの予定などをチェックし終わった後、協会の魔法陣を利用するために移動を開始する。遊興のためにみんなで出かけるという感覚に心を躍らせながら、友人たちとの楽しい時間へ繰り出したのであった。

 

 

 

「わぁー、すごい人なのです」

「本当だな、これは圧巻というか…」

「クリスマスが近づくにつれ、もっと人が増えていくらしいわよ。はぐれないように気を付けていきましょうね」

 

 クレーリアさんから遊ぶ上での注意点を聞きながら、ラヴィニアと二人できょろきょろと街並みを眺めていく。傍から見たらお上りさんにしか見えないけど、どうせ知り合いなんていないんだし、楽しめるだけ楽しむべきだろう。クリスマスまでまだもう少し先でありながら、街の中はすでにクリスマス一色で染め上げられている。オーナメントや小さな人形が飾られ、世界中からお店が集まっているらしく国際色豊かな様子が感じられた。

 

 クレーリアさんたちを先頭にして、マーケットの地図や案内を見合いながら、どの店を覗くのか話し合っていく。とてもではないが、一日で回り切ることはできないだろう。日本と同様に様々なフードコーナーが並んでいるけど、お酒の販売に力を入れているようにも感じる。俺とラヴィニアは未成年だけど、保護者のみんなへのお土産にお酒を買って帰ってもいいかもしれないな。

 

「クリスマスマーケットといえば、やっぱりGlühwein(グリューヴァイン)を飲みながらの食べ歩きだよねー」

「えっと、グリューヴァインですか?」

vin brulé(ヴィン・ブリュレ)、ホットワインのことです。お祭りで定番の飲み物なのですよ」

「これから買うところはヴィンツァーの直営店で容器も可愛いからちょっと並ぶかもしれないけど、子ども用のノンアルコールのパンチもあるはずだよ」

「えーと、そのあたりはクレーリアさんにお任せします。さすがは手慣れていますね…」

 

 クレーリアさんのおすすめ通り、確かにグリューヴァインという商品を売っている店をちらほら見かけるし、だいたいの客は手に湯気の出ている容器を持っている。どうやら外国では定番らしく、ホットワインを片手にヒュッテ(露店)を冷やかしに行くのが通常のスタイルらしい。携帯で検索したら他にも色々種類があるらしく、ラヴィニアはアイヤープンシュという卵酒を選び、俺はスパイスの入りのフルーツジュースにした。飲み慣れない味に驚きながらも、祭りの気分を酔うように楽しんだ。

 

「おっ、もしかしてここってイタリアのお店か?」

「あっ、本当なのです。このキラキラした仮面だらけのお店は間違いないのです!」

「相変わらず、イタリアの文化ってすごいよな…」

 

 目を引く派手さに驚きながら、二人で店の中を見学していく。正臣さん達は近くにあるお店にいるので大丈夫だろう。クリスマスの飾りが数多く並び、色とりどりのお土産が並んでいる。朱乃ちゃんやヴァーくん、他のみんなにもお土産を買って帰りたいので、あとでみんなにも何を買おうか相談しよう。懐かし気に店の中を見回すラヴィニアを横目に、ふと手の平に乗るぐらいのスノードームを見つけて手に持ってみた。

 

 ドームの中には海辺の小さな家と茶色の子犬が見え、キラキラと雪が舞うように輝いている。中にある家はまるで童話に出てくるような木造の建物で、魔法使いが住んでいそうな丸みを帯びた可愛らしい一軒家だ。海辺で遊んでいる犬も、目が大きい所為かどこか顔つきが厳つく感じ、それがワンコに似ていて思わず笑ってしまった。確かラヴィニアが生まれたのは海辺の街で、いつも窓から海が見える所だったと聞いたことがある。感慨深くドームの中を眺めていると、その下に小さなスイッチがあったことに気づき、俺は指に力を入れてスイッチを押してみた。

 

「へぇ…。これ、オルゴールにもなっていたのか」

「……この曲は」

「知っているの?」

「はい、イタリアで有名なクリスマスソングなのです。クリスマスの日には、よくママやパパと一緒に歌ったのですよ」

 

 スノードームから流れる穏やかで優しい旋律が耳を打つ。速すぎず、遅すぎず、ゆったりと流れる明るめの曲調は聞いていてどこかホッとした。そんな風にオルゴールの音色を楽しんでいると、隣から曲に合わせた綺麗な歌声が響いてくる。ハッとして振り向くと、ラヴィニアの透き通るような青い瞳が懐かし気に揺れながら、自身の思い出を振り返るように歌声を重ねていた。

 

 ラヴィニアの歌声はどこか寂し気で、深海を連想させるような深い情愛を含んだものだった。心に沁み渡るような優しい歌は、彼女らしく温かで包み込むような慈しみを感じる。両親を共に事故で亡くし、神滅具を宿す運命に翻弄されながらも、裏の世界で真っ直ぐなまま懸命に生きた彼女だからこその歌声。

 

 芯の通った美しさと、儚げな淋しさと、いつも誰かのために頑張ることができる強さ。ラヴィニアの歌には、そんな彼女の在り方が表されているようだった。

 

『――――……』

 

 そして、そんな時間はオルゴールの音色が止まったことで終わりを告げる。しばらく無言で余韻に浸っていた俺達だけど、次には店の前でワッと拍手が送られていた。二人で驚いて振り返ると、どうやら露店の前にラヴィニアの歌声を聞いて集まっていたお客さん達が笑顔で手を叩いていたようだ。どうやら客寄せのように思われてしまったようで、アワアワするラヴィニアに握手を求める人もいた。困ったように笑うラヴィニアに、俺もつられて笑みを浮かべていた。

 

 

「は、恥ずかしいのです…。あんなにもたくさんの人が聞いていたなんて……」

「集中して歌っていたもんな。俺も聞き惚れていたし」

「本当ですか?」

「うん、綺麗だった。情景が思い浮かんだっていうか、ラヴィニアの優しさが感じられるような素敵な歌だった」

 

 これ以上はお店の迷惑になると思い、クレーリアさん達に一言断ってから噴水のある小さな広場へ腰を下ろした。広場の隅っこの方なので、周りには俺達以外誰もいない。ここなら、しばらくは落ち着けるだろう。ラヴィニアとしては懐かしさに口ずさんでしまったぐらいの気持ちだったらしいけど、それであれだけのお客さんの足を止めてしまえるのだからすごいとしか言いようがない。彼女は謙遜しているけど、もっと自信をもっていいとさえ思ってしまう。

 

 そんな赤面するラヴィニアへ、俺は目を合わせて心から思ったことを口にしていた。それなりに気恥ずかしさはあったけど、それよりも俺が感じた感動をちゃんと彼女に伝えたい気持ちの方が強かった。直球で伝えたからか、彼女の頬がさらに赤らんでしまったが、そこはしっかり気持ちを受け取ってもらおう。

 

「……歌を歌っていて、昔のことを思い出したのです。ママやパパがいた頃はよく歌を歌っていて、たくさん褒めてもらったのです。だから大きくなったら歌手になりたいって、そんな夢を二人に話していました」

「歌手かぁー、素敵な夢じゃん」

「でも、私は神滅具を所持しています。そして、協会の魔女として生きる身です。だから…」

「神滅具を持っていようと、魔女だろうと、それがラヴィニアの夢を妨げる理由にはならないよ。それに俺は、ラヴィニアの歌声のファン第一号――いや、ラヴィニアのお父さんとお母さんを入れたら第三号か。そう第三号として、どこまでも応援するぞ。ラヴィニアが望むなら、なんだってな」

「ふふっ、カナくんが言うと本当にそうなっちゃいそうですね」

 

 俺は座っていた石垣から立ち上がって彼女を見据えると、明るい表情でくすくすと微笑んでいた。それに俺は意を決して、先ほどの店で買っておいたプレゼントをそっとラヴィニアに手渡す。歌い手である彼女へ握手を求めるお客さんの流れに戸惑っている間に、会計を済ませていた物だ。海辺に佇む小さな丸い家と茶色い子犬が映るスノードームのオルゴール。目を瞬かせるラヴィニアへ向け、俺は頬を掻いて表情を緩めた。

 

「いつもありがとうってお礼。あと、ラヴィニアの歌のファンっていうのは本当だからさ。よかったら、また聞かせてほしい」

「……はい、もちろんです。その時はカナくんも一緒に歌ってくれますか?」

「あぁー、うん。けど、あんまり歌は上手くないぞ俺?」

「私が一緒にやりたいだけだから、いいのです」

 

 そう言って目を細めたラヴィニアへ、俺もこくりと頷き返す。ラヴィニアの歌を聞いて、過ぎ去った家族への思いを感じた。ずっとこれからも大切な思い出として、彼女の中で生き続けていくことも。だからこそ、俺もそろそろ覚悟を決めようと思えた。

 

 

「なぁ、ラヴィニア。頼みがあるんだ」

「頼みですか?」

「うん、ラヴィニアだからこそ頼みたい。これから先で神器症の治療が公になれば、聖書陣営で停戦協定が結ばれれば、俺の存在は表舞台に明かされることになっていく。俺を守ってくれるヒトはたくさんいるけど、それでも危険が迫ることだってあると思う。その時に、倉本家……家族に何も知らせないままはダメだって思ったんだ」

 

 俺が裏の世界で過ごしてきた約六年間。メフィスト様たちの協力のおかげで、表の一般人である俺の家族は裏のことなんて何も知らないまま過ごすことができた。だけど、これからはそうも言っていられなくなる。有名になる俺の存在が、家族に危険をもたらす可能性だってあるのだ。もちろん倉本家に被害がいかないように護衛を頼むことだってできるけど、護衛対象がそのことを知っているのと知らないのとでは守れる範囲が違ってくるだろう。

 

『私からカナくんに伝えられるのは、後悔だけはしないでほしいことです。――私は、もう伝えることができないですから』

 

 俺が外国への留学を決める前の夏、ラヴィニアが俺に伝えてくれた言葉が思い起こされる。大切な人達へ何も伝えることができずに、無慈悲に奪われた後悔。知りたかった答えを永遠に知ることができない辛さ。それを彼女は、ちゃんと俺に教えてくれた。だからこそ、俺は逃げずに受け止めなくてはならない。自分が選んだ道を、後悔しないためにも。

 

「リーベくんの治療が出来たら、天界との繋がりを結べたら、……俺はこれまでのことを倉本家に全て話そうと思っている。俺の立場や俺の持つ神器、今後のことも含めて全てを」

 

 まだもう少し先のことだ。それでも、自分で口にして改めて心に決める。そしてこの誓いを、誰よりもラヴィニアに聞いてほしかった。俺が真実を話すということは、ラヴィニアのことも家族に伝えないといけないから。家族ぐるみでずっと関わってきたからこそ、なおさらそう思えた。

 

「カナくんは、決めたのですね」

「うん」

「なら、私も一緒にいます。あなたが望むなら、どこまでも」

 

 ラヴィニアは俺の言葉に頷くだけだった。怖いことも二人ならへっちゃらだと、優しく微笑んでくれたあの時の真っ直ぐな眼差しのままで。臆病な俺がこうして前を向いて歩けるのは、いつだって一人じゃないと思えたからだろう。みんなが傍にいて、ラヴィニアが隣で歩幅を合わせてくれたからこそ、俺は迷わず進むことができたのだと感じた。

 

 俺に向けて差し出されたラヴィニアの白い手を、重ねるように掴み取る。石垣に座っていたラヴィニアは、俺を支えにして立ち上がると先ほど受け取ったスノードームを片手で抱き寄せていた。些細なプレゼントかもしれないけど、喜んでくれたのならよかったかな。お互いに目が合うと、自然と笑みがこぼれてしまった。

 

「さてと、次はみんなへのお土産を考えないとな」

「はい、行きましょうカナくん。今日はたくさん遊ぶ日なのですから!」

「あぁ、まだまだお祭りはこれからだよな!」

 

 もらったスノードームをマジマジと見て、「ワンワンみたいなワンちゃんがいるのです」と嬉しそうに指を差す。俺と同じような感想を持ったラヴィニアに肩を揺らしながら、始まったばかりの祭りの楽しさを存分に味わうために足を進めることにした。待ってくれていたクレーリアさん達と合流して、熱々のソーセージを口いっぱいに頬張り、食べ歩き用のプレッツェルやハムセットに頬が緩んだ。

 

 クリスマスマーケットの店舗が並ぶ中に、遊園地のようなアトラクションもいくつかあり、みんなで写真を撮りながら遊びまわった。華やかなブラスバンドの演奏が街中に溢れ、アクロバットなショーやカラフルな衣装で行われるダンスに目を奪われ、寂れた小道を探検気分で覗いていく。少し暗くなってくるとイルミネーションがそこら中で点灯し、一気に街全体が黄金色に包まれた。

 

 こんな風に夢中になって遊んだのはいつ以来だろうと思う。もしかしたら、今後はもう難しいかもしれない。それでも、この『楽しい』と感じた思い出を胸に刻んでいきたい。それがきっと、『またいつか』を実現させるための大切な原動力になると思うから。

 

 

 クリスマスまで残り二週間を切った頃。三年前から待ち続けた日が、ついに訪れる。メフィスト様達からの許可が下りた俺は相棒を握りしめ、ドイツにあるローゼンクロイツ家へ向けて出立したのであった。

 

 


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