えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第百八十四話 禁手

 

 

 

「ただいま、二人とも。部屋にいないと思ったら、ここにいたのか」

「おかえりなさい、あなた。今日はリーベの体調が良さそうだったから、お庭を一緒に散歩していたのよ」

Vati(ファッティ)、おかえりっ! 今日はね、Mutti(ムッティ)とお外で遊んでいたの!」

 

 レーティングゲームのプロプレイヤーとして、冥界での仕事を終わらせてきたリュディガー・ローゼンクロイツは、家族が待つ人間界へと帰ってきていた。妻が息子を出産してからは、出来る限り傍にいられるように仕事の期間を調整している。プレイヤーにとっては繁忙期に当たる年末であるが、ここ数年はあえて仕事は断り、家族で過ごす時間が取れるようにしてきた。リュディガーはようやく取れた長期の休みに表情を綻ばせ、嬉しそうに笑う息子の銀色の髪を優しく掻き撫でた。

 

「ふふっ、さっきまで部屋の中であなたの今年最後の試合を一緒に見ていたんですよ」

Vati(ファッティ)ね、すっごく悪魔ってテレビで言われていたんだよ。悪魔よりすごい悪魔って格好いいねっ!」

「はははっ、父として自慢できる試合になってよかったよ」

 

 悪魔だけが出場しているはずのレーティングゲームで、『すっごく悪魔』と当たり前のように放映される元人間の転生悪魔。息子は順調に影響を受けていた。敵を嵌め倒してこそ悪魔だとインプットされているあたり、ローゼンクロイツ家の英才教育の賜物であった。

 

 リュディガーは両手を広げるリーベを掬い上げるように抱き上げ、微笑まし気に目を細める妻の肩を優しく抱き寄せた。魔方陣を使えば冥界と人間界を行き来できるとはいえ、プロとして長期間拘束されることはしばしばある。だからこそ、こうして家族三人で過ごせる時間が何よりも大切なものだった。何でもない日常のちょっとしたことで笑い、離れていた期間を埋めるように寄り添い合った。

 

 それからしばらく家族で庭の中を歩いていたが、息子から小さなくしゃみが出たことでその歩みを止める。グズッと鼻を手で擦るリーベの姿に、父と母は無言で頷き合った。

 

「そろそろ冷えてきたな。さっ、リーベ。家へ戻ろうか」

「えぇー、まだお外にいたい…」

「リーベ、悪くなる前に戻りましょう。お外にはまた行けるから。ねっ…?」

「……うん」

 

 父と母からの心配げな声音にリーベはこくりと頷くと、リュディガーの眷属である『女王(クイーン)』に連れられ、先に温かい室内へと戻っていった。教会と堕天使の技術による処置のおかげで、家の庭までなら神器症の発症を抑えられる結界を張れる。それでも、ちょっとした寒暖差や体調不良が発作を起こす危険性はあった。満足に庭で遊ばせることもできない現状に歯がゆい気持ちを持ちながら、以前と比べて少し痩せた妻へそっと肩を寄せた。

 

「……おまえは、ちゃんと休めているのか?」

「心配をかけてごめんなさいね。あなたがいるなら、安心して休めるわ」

「そうしてほしい。……リーベの体調の方は?」

「……命に関わるほどの症状は、まだ起きていないわ。でも、体調を崩すことがだんだん多くなってきているの。小さいものでも、呼吸が乱れたり、身体が痙攣し出したり…。この前は意識が朦朧とした後、突然倒れそうになって…」

 

 子どもの前では見せられなかった恐れが、二人きりになった途端に表面へと現れる。小刻みに震える小さな肩を支えたリュディガーは、不安に押しつぶされそうな妻の声に、ただ言葉なく受け止めることしかできなかった。二人にとって初めてできた待望の我が子が、生まれもってしまった不治の病。父として、母として、どれだけ気丈に振舞っても、不安や恐怖がいつも隣に佇んでいた。

 

 本来ならどれほどの難病や持病を我が子が持っていたとしても、リュディガーの持つ知識や伝手、最上級悪魔としての地位があれば、息子を救うことだってできたはずなのだ。しかし、リーベ・ローゼンクロイツを蝕む症状は、未だに治療法が全く確立されていないものだった。神器が放つ神秘のオーラへの抵抗力がないため、身体や精神、それこそ魂にすら拒絶反応を起こす症状。重篤な症状をもって生まれてしまった子は、例外なく十歳を越えることなく亡くなるだろうと教えられていた。

 

 教会や堕天使からの知識の提供により、子の年齢が上がるにつれて神器に宿るオーラも増幅していくため、徐々に身体を蝕んでいくだろうとは聞いていた。今日のように外を歩き回ることもできなくなり、いつの日か限界がくるだろうことも覚悟していた。それでも、大切な我が子の命が少しずつ零れ落ちていく姿を、ただ見ることしかできない現状が何よりも辛く苦しかった。薬で神器が発するオーラを少しでも抑え、結界で症状の進行を誤魔化すことしかできない。

 

 ゆっくり零れ落ちていく命を、ほんの少しでも延命させる。それが、この世界で現状できる最上の方法であった。

 

「……神は何故悪魔となった私ではなく、あの子にこんな運命を背負わせたんだ…」

 

 人間から悪魔に転生したのは、己の意思だった。悪魔と敵対する神にとって、見守っていたはずの人間が悪魔に転生したのは、確かに裏切りなのかもしれない。それでも、それならその咎は、罪のない息子ではなく自分にこそ向けるべきではないのだろうか。人間から悪魔に転生して永い時を過ごし、転生悪魔である自分と共に歩んでくれる妻を得られた。出産率の低い悪魔の血が流れているため、また何年と待ち続け、ようやく我が子を抱き上げることができたというのに…。

 

 どうしてだ、なんでなんだ、とそんな言葉ばかりが頭を過ってしまう。クリスマスに向けた祝い事が催されている世間の様子を目にしてしまうと、余計にそんな考えが膨らんでいった。神が与えた贈り物によって苦しむ我が子を思えば、この時期が訪れるたびに怒りとやるせなさが沸き上がってしまう。それを外に向けて当たり散らすような真似はしないが、ずっと心の奥に昏く淀んだものが沈殿していくのが感じられた。

 

 これから先の未来へ希望を抱くこともできず、ただ『今』を慈しむことしかできなかった。

 

 

「……ここにいても、冷えるだけだ。私たちも中に入ろう」

「えぇ、そうね。――あら?」

 

 不意に庭の出入り口へ視線を向けた妻につられてリュディガーも振り向くと、そこには息を切らせた眷属の姿があった。余程全力で駆け抜けてきたのか、体力のある悪魔が肩を上下する姿は珍しい。何かあったのかと二人で歩み寄ると、ようやく息を整えた眷属が勢いよく顔を上げた。

 

 そこに映る表情は隠しきれない歓喜と、どこかまだ信じられないような夢心地を感じさせる(ほう)けたような瞳。その態度から悪いことではないようだが、あまりにも尋常じゃない様子に、リュディガーの目に戸惑いが生まれた。

 

「どうしたんだ、そんなに慌てて…」

「も、申し訳ありません…。自分でもなかなか信じられなくて。しかし、早く主と奥様にお伝えしなければと思いまして――」

「まぁまぁ、まずは息を整えて。それで、何があったのですか?」

「はい――。『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の理事長から、主に連絡があったのです。時間の都合が合えば、こちらに折り返し連絡を入れてほしいと」

「フェレス理事長が…?」

 

 口元に手を当て、思わず疑問が口から零れる。プライベート用の通信ではなく、魔法使いの理事長としてローゼンクロイツ眷属に連絡を入れたということは、魔法使いとしてか組織絡みのことだろう。『薔薇十字団(ローゼン・クロイツァー)』に用事でもあったのかもしれない。しかし、いったいどんな要件なのかは見当がつかなかった。折り返し連絡をするにしても、まずは内容を聞いておくべきかと思い、息を整えた眷属へ言伝の先を促した。

 

 

「理事長から、言われたのです。――治療法が見つかったかもしれないと」

 

 思考が止まる。

 

「えっ――?」

 

 呼吸すら、本当に止まってしまっていたかもしれない。理解が追いつかずに、はくはくと言葉にならない衝撃だけが駆け抜けた。ちゃんと聞こえていたはずなのに、何を言われたのか頭が真っ白になって働かない。

 

 それだけ、眷属である彼が話した内容が信じられなかったのだ。何故ならそれは、どれほど渇望し、願って足掻いても、届かないはずの希望だったから。変えることができない運命に絶望し、嘆き悲しみ、天を呪うことでしか自分を保てなかったほどの過去があったから。

 

 そんな真っ暗な闇に(うずくま)ることしかできなかった未来に、一筋の光が差し込まれた。

 

 

「見つかったかもしれないのです! 神器症の治療方法が…、主のご子息を救えるかもしれない奇跡がッ!!」

 

 神の子の誕生を祝う聖誕祭が迫った冬空。イルミネーションが輝き出し、訪れる聖夜を彩ろうと活気に溢れた世界で――。神が与えた不条理な贈り物を跳ね返すため、新たな奇跡が生まれようとしていた。

 

 

 

――――――

 

 

 

「あのー、メフィスト様。リュディガーさんに治療ができるかもってだけ伝えて、『あとは当日に詳しく話すから胃の調子は絶対に整えておいてねぇ』って言って、そのまま通信を切ったとかマジですか?」

「マジだねぇ。さすがに通信でやり取りをするには、内容が爆弾すぎるものが多かったからさ。何よりもねぇ…、心と治療の準備なしに聞けるものじゃないよ。カナくんのやらかしは、本気で」

 

 普段は穏やかな口調なのに、語尾に籠められた力強さから、経験者が語る本気度が感じられました。これまで何人もの胃を救うために槍を突き刺してきたので、反論は全くできないけどさぁ…。

 

 リュディガーさんもまさか息子さんの治療を皮切りに、相棒関係で天使の皆さんが阿鼻叫喚なことになって、天界が大混乱しているところに聖書陣営での停戦協定を結ばせて、さらに異世界の邪神の侵攻を防ぐための戦いの始まりになる、とは思わないだろうからな。……うん、本当にすごい連鎖である。

 

「まぁ、さすがに簡単な説明はしておいたけどねぇ。カナくんがやらかしたって」

「俺がやらかしたの十文字で、色々納得されちゃうんだ…」

 

 おかしいな、神器症の治療ってとんでもない大事のはずだよな。乳神様の存在がぶっ飛び過ぎているからうっかりしそうになるけど、この世界にとって歴史的な瞬間にたぶんなるはずなんだよね? 説得力の因果関係さんが、めっちゃ仕事をし過ぎな件。

 

「端的に的を射た真実だよ。あとはカナくんが神器の能力を使って、リーベ・ローゼンクロイツくんを治療することは伝えているかな」

「なるほど。……今更ですけど、一度も試したことのない治療法をぶっつけ本番でやらせてほしいって、よくリュディガーさんは許可を出してくれましたよね」

 

 言い方は悪いが、確実に成功するかもわからない治療を受けさせるって、ある意味で人体実験のようなものだろう。臨床試験もしてないとか、表の世界視点で言えばありえないものだ。もちろん失敗するつもりはないけど、ヒトの気持ちというのはそう簡単に割り切れるものじゃないと思う。

 

「藁にも縋る思いもあっただろうけどねぇ…。カナくんは『リーベくんを救いたい』という動機があったから、治療法を見つけるためにずっと行動をしてきた。行動や意欲の元となった根拠が強い方ほど、力を発揮しやすいのは道理というものだろう。それに約三年間、カナくんはリーベくんを検診して、オーラや神器にずっと触れてきた分、治療の成功率は他の誰よりも高い。そういった打算的な部分もあったと思うよ」

「それは、確かに…」

「だけど何よりもねぇ。リュディガーくんは、カナくんだから許可を出したんじゃないかな。リーベくんの兄として、これまでずっとローゼンクロイツ家を支えてくれたキミだからこそ、未来を託せると決断できたのだと僕は思うよ」

 

 そう言ってにっこりと微笑んでくれたメフィスト様に、俺は気恥ずかしさから頬を指で掻く。神器は宿主の想いや願いの強さに応えるように力を顕現させる。リュディガーさんが、大切な息子さんの治療を俺に託してくれたこと。それが嬉しくもあり、必ず成功させてみせるという強い想いを俺に与えてくれた。

 

 

「えっと、今日の治療には先生や魔王様達も来られるんですよね?」

「うん、カナくんはあんまり自覚がないかもしれないけど、これから行われる治療は歴史が動く大々的な瞬間と言っても過言じゃないからね」

「一応自覚はしているつもりなんですけど、治療の後に起こる怒涛の展開が色々ヤバすぎて…」

「……否定できないのが本当に悲しいけどねぇ。――ごほんっ。あとはキミの神器が禁手(バランス・ブレイカー)に至る時、万が一があったら大変だからね。知恵者や監督役は必要だろう」

 

 悪魔陣営や堕天使陣営に報告会を行ってから、治療までしばらく時間が空いたのはみんなの時間を調整するためでもあったらしい。俺の神器である『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』は、全ての神器を統括する聖書の神様が創り出したシステム――『相棒』と繋がっている。聖書の神様が死んでしまったことで、システムを操作する者がいなくなり、様々な不具合が起こり出した世界。それが今の現状だった。

 

 神様しか触れることができない(システム)を書き換える。本来なら成し得ることができなかっただろうやり方。それが、聖書の神様にとって予想外の二つの存在が揃ったことで可能となった。『観測者(イレギュラー)』である俺の『概念消滅』と、自意識を芽生えさせた相棒の『システムとしての権能』を合わせることによって。『神の手』が『神』に至る道を二人で築き上げたのだ。

 

「カナくんと神器くんがこれから行うのは、聖書の神がこの世界に布いた理を消し去り、新たな理を創造すること。不可侵である神の領域へ、人間であるキミが踏み込むんだ。用心しておくに越したことはないよ」

「……はい」

 

 俺の『概念消滅』は『観測者(イレギュラー)』としての認識によって、この世界にあるあらゆる概念や構成に干渉することができる。それは本来なら、誰も触れることすらできないはずの神の領域さえも――。だけど、人間である俺ではその領域まで踏み込むことができない。とてもではないが、俺の実力では神様の領域に至るまで足りないものがあまりにも多すぎる。というか、ぶっちゃけ無理だろう。

 

 だから、別の視点で考えてみた。俺の異能を相棒に使ってもらえばいいのだと。この世界で神の領域に最も近いところにいるのは、間違いなく相棒だろうと思うから。俺を中心としたことなら、相棒は俺の異能を望むように使うことができていた。これまでも甲斐甲斐しくお世話をしてくれていたからな。つまり、神に最も近い権能を持つ相棒が『概念消滅』を俺を中心としたもの以外にも使えるようになれば、聖書の神様が定めた理を消し去り、新たな理を作ることだってできるかもしれないと考えた訳である。

 

 それには、俺と相棒を隔てる壁を取っ払う必要があった。その唯一の方法こそが、『禁手(バランス・ブレイカー)』だと考えた。この世界に漂う「流れ」に逆らうほどの劇的な転じ方をすることで、次の領域に至る――均衡を崩すほどの力。俺と相棒が一つに繋がることで、これまであった世界の均衡は間違いなく崩れるだろうと直感した。

 

 

「さてと、時間も来たことだしそろそろ向かうとしよう。カナくん、準備はいいかな?」

「はい、大丈夫です」

 

 メフィスト様と二人、ローゼンクロイツ家へ向かうための魔方陣の上に足を踏み入れる。ラヴィニアや朱雀や朱芭さん、正臣さん達からもらったたくさんのエールを胸に、ゆっくりと息を整えた。これからのことに、ピリッとした緊張感はある。だけど、不思議と不安はないような気がした。

 

 リーベくんを助けたいと行動し、たくさんのヒト達が俺の背中を押してくれた。約三年半――その費やした時間が、俺に自信を与えてくれる。みんなの願いや期待が、いつも傍で支えてくれる相棒の存在が、俺の足を前へ進ませてくれた。

 

「いこう、相棒」

 

 協会の魔法使いとしての灰色のローブを翻し、深紅の輝きを胸に魔方陣の光に包まれていった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「やぁやぁ、リュディガーくん。今日は手土産に体力回復用の護符やアミュレットなんかをたくさん持ってきたんだ。遠慮なく使ってくれていいからねぇ」

「ごきげんよう、諸君。ローゼンクロイツ殿、我々もこの場に招待してもらい感謝する。こちらも手土産に、フェニックスの涙をジョッキごと持ってきておいた。遠慮なく使ってほしい」

「ごきげんよう、アジュカと一緒にすまないね。私からもアガレス産の医療薬や、シトリー領で使われている精神安定用の香木を用意してもらったんだ。たくさん使うだろうから、ぜひ受け取ってほしい」

「へぇー、メフィストも魔王共も気が利くじゃねぇーか。俺はじゃあ……持ち運び用のグリゴリ式安眠快適ベッドでも渡してやるか。これがあれば、いつでも昏倒して大丈夫だぜ!」

「……私はこれからいったい、どんな理不尽な説明を受けるというんだ」

 

 さすがは経験者の皆さんだ、準備の仕方がプロっている。世間では悪魔より悪魔と言われ、いつも不敵な笑みを浮かべている『番狂わせの魔術師(アプセッティング・ソーサラー)』様が、めっちゃ狼狽えている件。あのー、皆さん。これからのことを説明するならアイテムは必須だと思うけど、手加減してあげましょうよ。俺も相棒を片手ににじり寄りましたけど。

 

 そんなわけで、メフィスト様、アジュカ様、サーゼクス様、アザゼル先生という豪華メンバーが揃ったローゼンクロイツ家。応接室の壁際に立っているリュディガーさんの眷属さん達が、緊張に固唾を飲んでいるのが分かるほどの顔ぶれである。ちなみにセラフォルー様とファルビウム様は、さすがに魔王四人が揃うのはそう何度も難しいとのことでお仕事らしい。停戦協定のための下地作りが大変らしく、なかなか多忙なようだ。

 

 なお、アザゼル先生は護衛も付けずに一人で堂々と来たみたいだけど、このヒトはトップなのに相変わらずの身軽さである。少なくとも、俺以外は魔王級以上の悪魔だらけなのに、いつも通りな雰囲気のままだ。こういうところが大物というか、シェムハザさんがいつも頭を抱えるところなんだろうな。先生なりに大丈夫だって確信をもって動いているんだろうけどさ。

 

「奏太くん、リーベのために治療法を見つけてくれたのは心から感謝している。しかし、……他にはいったい何をやらかしたというんだい」

 

 胃痛用の回復アイテムを腕いっぱいに抱えたリュディガーさんが、頬を引きつらせながら俺の方を見てくる。俺はメフィスト様に確認のために視線を合わせると、こくりと頷いてくれたため、ある程度の説明はするべきだろうとまずはざっくり話すことにした。

 

「えーと、大雑把に説明するとですね…。神器症の治療法を探している途中で、もはや次元が違うというか、このままだと世界が滅亡するレベルのヤバい案件を成り行きで発掘してしまったんですよ」

「……え」

「それで保護者の皆さんに相談したところ、早急に世界中の神話がまとまって対応しないとまずいってことになったんです。そしてそのためには、まず聖書陣営がまとまるべきだと考えて、停戦協定を結ぶために天界に引きこもっている天使の皆さんとお話する必要が出てきました。神器症の治療は本来なら世界を混乱させるかもしれないから難しかったですけど、このおかげで保護者の皆さんからOKをもらうことができたんですよね。だから今回の治療を行うことで、天使の皆さんをおびき寄せて協力してもらおう! という展開になったんです」

「…………」

「ちなみに補足すると、今カナくんが話してくれた流れや治療法の詳細なんかを聞くと、もれなく今日一日が胃痛と悪夢で潰れるよ」

「詳しい説明は後回しでいいので、リーベの治療を先に頼みます。色々聞かなかったことにするので、純粋な喜びで今日一日を家族と締めさせてください」

 

 キリっと精悍な表情で頭を下げたリュディガーさんに、賢明な判断だと頷く大人たち。まさかの治療までの流れを全カットでいいんですか…。治療法とか相棒のこととか、お子さんを任される手前、説明責任はちゃんと負うつもりだったんだけどなぁ…。リュディガーさんは立場的に共犯っぽい位置になるから、多少は情報を共有しても大丈夫って言われている。異世界関係はさすがにまだ口に出せないけどね。

 

 まぁ、とりあえず。どうやら早速治療から入ることになったようなので、握りしめていた相棒にそっと目を向ける。裏世界に入って二年目の夏、アザゼル先生に連れられて『神の子を見張る者(グリゴリ)』の研究所に行った時、俺は初めて相棒の聲を聞くことができた。うっかり魂の奥底に迷い込んでしまった俺を、元の場所まで引き上げてくれた温かな思念。あの紅い光に染まった空間から聞こえてきた『(うた)』は、今でも不思議と俺の頭に――いや、魂に残っているような気がした。

 

 

「カナタ、禁手(バランス・ブレイカー)に至る方法は問題ないのか?」

「はい、先生。ほら、俺が最初に相棒の聲を聞いた時に聞こえてきた謳があるって、前に話したことがあるでしょう。たぶん俺が至るための鍵は、その時から持っていたんだと思います」

「そうか。お前の神器の奥にいるのが御子神だというなら、その謳を捧げる(奏でる)ことが重要なんだろうな」

「神器が禁手(バランス・ブレイカー)に至る時に唄う謳って、何なんでしょうね」

 

 思い返せば、兵藤一誠やヴァーリ・ルシファーは呪文のように謳をよく紡いでいたな。朱芭さんからも、鳶雄の神滅具が至る時には呪文を唱えるって話していたかも。でも他の神器や神滅具のみなさんは、至る時にあんまり唄っていなかったような気もする。曹操なんて無言でシュパッと禁手していた気もするし。あいつ、効率を重視し過ぎじゃね? もう少し厨二的な心を持つべきだと思う。

 

「アレはおそらく『呪い』であり、『祝い』でもあるんじゃねぇかって考えている」

「呪いと祝い…」

「過去の所有者が『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』の呪文を唄っていたのを聞いたことがあってな。聞いていると自虐的っていうか、成り果ててしまった己を嗤い、自分にないものを妬んでいるような感じだったと思ってな」

「えっ…、辛辣なご意見」

「最後にはどこまでも共に堕ちようと所有者の足をガシッ! とだなぁ…」

 

 アザゼル先生、それはもう普通にホラーです。これから唄う人間の気持ちを考えろよ。『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』の詠唱を知っている手前、あんまり否定はできないけどさ…。

 

「あの、それのどこに『祝い』の要素が…」

「どこまでも共に堕ちようと浸食してくる『呪い』だが、同時に自分と同じように成り果ててほしくないという矛盾みたいなもんも感じられるからだよ。『お前は勝手に世界を呪ってろ!』って言って、『呪い』を乗り越えていったヤツもいた。そういうヤツにとっては、自分のようになるなって『祝福』の籠められた謳にもなるんだろうなって思った訳よ」

 

 そうか、だから『呪い』であり『祝い』でもあるのか。相棒はどうなんだろう。これから唄う謳は、きっと相棒自身のことを謳ったものなのだろうから。

 

「まぁ、でも。お前らの謳ならきっと大丈夫だろう」

「えっ?」

「お前と神器は同じ未来を願って、ずっと前へ進もうと足掻いてきた。他人事みたいに宿主を呪ったり、祝ったりするんじゃなくて、共に歩む相棒として発破をかけるような……そんな過保護極まりない内容だろうよ」

 

 ポカンと目を瞬かせる俺に、ニヤッと笑みを浮かべたアザゼル先生はグシャグシャッと頭を撫でた。本当にこのヒトは世話好きというか、俺の緊張を少しでも解すために言ってくれたのだろう言葉に温かな思いがこみ上げてくる。あぁ、そうだ…。兵藤一誠やヴァーリ・ルシファーも『呪い』を乗り越えた先で、相棒たちと共に世界を駆け抜けるような、そんな格好いい呪文へと変わっていったじゃないか。

 

 なら、きっと大丈夫だ。俺達の気持ちは、これまでもこれからも一緒なんだから。

 

 

『もしも俺が『人』には過ぎたる力をそれでも望むのなら。どうしても叶えたい願いが出来たその時は――』

 

 『依木の望むままに』と伝えてくれた相棒の聲。あの時はわからなかったけど、今なら何となくわかるような気がする。相棒が俺の意思で決めるのを待っていてくれた訳が。あの聲の先にある力は、一人の人間が持つには大きすぎると感じた理由が。世界の流れそのものまで変えてしまうかもしれないと働いた直感は、決して間違ってはいなかったのだろう。

 

 ギュッと紅の柄を握る手に力を入れる。どれだけ時間をかけたとしても、しっかり考えて神器と向き合うと決めた。俺自身が『人』として後悔しないために、大切なものを零れ落とさないようにするために。だけど、今の俺のままじゃ『足りない』というのなら、この器を満たそう。傲慢に強欲に俺が望む未来を手に入れるために前へ進もう。

 

 

 

「奏太くん」

「はい、リュディガーさん」

「リーベをよろしく頼む」

 

 あれからリーベくんが眠る部屋まで案内された俺達は、魔法や結界などを張る保護者達の準備を待った。ベッドの中ですやすやと眠るリーベくんへ、リュディガーさんと奥さんが何度も手を握っている。それから二人は治療の邪魔にならないように部屋の壁際まで寄ると、深々と俺に向かって頭を下げてくれた。たくさんの不安や心配の言葉を飲み込んで、俺に希望を預けてくれた二人。俺は力強く頷くと、相棒を両手で握りしめてベッドの前まで進んでいった。

 

 アザゼル先生たちも壁際に寄って、静かに様子を見守ってくれている。アジュカ様はベッドの傍で俺に何かあった時のための補助になってもらった。誰一人言葉を発することのない沈黙が支配する中、俺の足音と深く吐き出す呼吸音だけが部屋に響いた。槍をリーベくんに向けて掲げた時、ふと彼の手に何かが握られていることに気づいた。

 

 ベッドの中で眠るリーベくんの手には、小さな天使の羽の模様が描かれたクリスタルが握られている。それを見て、リーベくんのことを思うもう一人の兄のことが思い出された。誰よりも優しく、みんなが平穏に暮らすことを願い、子どもたちの未来のために戦っていた青年の姿。……あぁ、彼もここで応援してくれているのかもしれないと思うと、小さな勇気をもらえたような気がした。

 

 

「――――――」

 

 そして、静かに目を瞑る。

 

 手のひらに握りこむ相棒へ向けて『同調』することで、部屋の中にいるみんなのオーラが鮮明に色づいていく。そこからさらに意識を奥へと沈み込ませていくと、闇しかなかった空間に紅の光が徐々に広がっていった。

 

 ――この空間に来たのは、これで三度目になるだろう。深い深い魂の奥底。一度目は偶然迷い込んでしまった。二度目はリーベくんを助けることができるのかどうしても知りたくて足を踏み入れた。そして三度目は、自分の意思でこの奥の鍵を開けに来たのだ。

 

 沈み込んでいく意識と一緒に、魂に沁み込んでいくように紡がれる『(うた)』。そんな深紅に染まる空間の先に一つの気配を感じた。その気配は以前と違い、俺に引き返すように促さなかった。『(うた)』を聞かせないように、阻むようなことはしなかった。ただ静かに、俺が来るのを待ってくれていた。

 

 俺はその気配に向けてゆっくり頷くと、さらに奥へ奥へ沈むために――

 

 

 謳を捧げた(奏でた)

 

 

 

《――義の太陽が昇り、その暁の翼には癒しがある――》

 

 

 気づけば、すらすらと口ずさまれた謳。魂の奥底からざわりとした震えが起きる。両手で握っていた相棒が、『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』が……。包み込まれるように紅き閃光を放ちだす。いつも俺を支え、導いてくれた深紅の思念。その光はいつも温かくて、優しかった。

 

 消えることのない紅き輝きは 極夜(きょくや)を照らす終わらぬ導きの太陽へ――

 

 

《――神去(かむさり)し黄昏の循環は、夢幻なる黙示の夜明けを祈った――》

 

 

 神様が亡くなってしまった黄昏の世界。神がいなくても世界は回る。それでも、その傷跡は神の死を俺達に忘れさせないように迫ってくる。だけど、それでも俺達は進むと決めたんだ。生きると決めたんだ。不条理な理不尽が襲い掛かってくるというのなら、それ以上の理不尽で叩き返してハッピーエンドを目指そう。いつだって俺達は、そうしてきたんだから。

 

 神隠れた黄昏の刻は 新たな御子による払暁の時代へと変じる。

 

 

《――あぁ、最後の天秤は――》

 

 

『奏太の「起源」は「木」。本質は『降霊』にあると思うわ。そして、あなたの「起源」が「木」なら、その神器があなたに惹かれたことにも繋がると思う。神器は聖書の神が作りしもの。そして、キリスト教で有名な木と言えば…』

『生命の樹と知恵の樹。そして、……セフィロトの樹だっけ。そういえば、魔法使いの授業で習ったな。生命の樹の起源は「未顕現の三者」と言われていて、その内の一つが――』

『アイン――『無』よ』

 

 やっぱりあいつはすごいなと不意に感じる。いつも日常からお世話になっていた『消滅』の力。これまで本当に何度も俺のピンチを助けてくれた異能(アイデンティティ)。この力がなければ、俺はこの死亡フラグ溢れる世界を生き残ることも、自分らしく生きることもできなかっただろう。

 

 消滅の概念は 生命の樹に宿る三種の無(アイン)の概念の起源を辿り――

 

 

《――黎明(れいめい)を照らす福音となり沈まぬ光を与えよう――》

 

 

『蝶は再生と復活、そして『変化』を象徴すると言われているわ。蝶と魂には深い繋がりがあるとされているの。蝶はあの世とこの世を行きかう力があるとされ、『輪廻転生』の象徴として崇められていたのよ』

 

 そして、俺に宿る起源を教えてくれた恩師。当たり前のように過去の俺を受け入れてくれた人。スパルタでものすごく厳しくて、でもいつも俺の無茶ぶりに応えてくれて、悩んで止まりそうになった時は大丈夫だって背中を押してくれた。『変化』を与える紅の蝶は、夢幻の天へと羽ばたく翼となることができた。

 

 アザゼル先生の言うとおりだ。この『(うた)』は、『呪い』でも『祝い』でもない。きっとこの呪文は、『祈り』であり、『願い』であり、そして『誓い』の謳だった。

 

 

《――()い、(うた)い、奏でよ…》

 

 

『なら、私も一緒にいます。あなたが望むなら、どこまでも』

 

 禁手(バランス・ブレイカー)へ至ることに、最初から肯定的だったわけじゃない。『人』には過ぎたる力を持つことを、恐れたりだってした。でも、それでも手を伸ばさなくちゃいけないと覚悟を決められた時、思い浮かんだのは彼女の温かな手だった。たとえこの先何があっても、一緒に歩いてくれる人がいる。それがどれだけ心強かったか、俺はずっと忘れないだろう。

 

 最後の一節が紡がれたときには、ずっとここで待っていてくれた気配のすぐ目の前まで立っていた。これまでのようなフワフワした状態じゃない。足は地を踏みつけているような感覚を感じ、目は太陽のように眩しく照らす暁に細まり、手は生まれた時から傍で見守ってくれていた相棒へと差し出されていた。

 

 そして、開いた口はその名を口にしていた。

 

 

白夜なる(ミッドナイトサン)夢見鳥の聖樹槍(・イノベート・イデア・ロン・セフィラ)

 

 

 身体から溢れ出るように膨れ上がった紅いオーラが周囲に渦巻き、ベッドに眠るリーベくんへと注がれていった。ひらりと暁の蝶が舞い踊り、福音の太陽が産声を上げたのであった。

 

 




 これで第6章の『激動編』は完結になります。禁手の詳細や天界とのドタバタ、狗神へと繋がっていく物語は次章『天界編』で描いていきたいと思います。いつもたくさんの応援、本当にありがとうございました!

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