えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか? 作:のんのんびり
「あのデュリオさん。今更ですが、このような甘味を私が食べてしまっていいのでしょうか? 私はお金を持っていませんのに…」
「アーシアちゃんを街に誘ったのはこっちなんだから、奢って当然だよ」
「でも…」
「それじゃあ、駒王町に適応できるかもしれない人材の勧誘って理由で特別経費として落としてもらおうか」
「わ、私のために経費はやめてくださいぃ…」
大人しく奢ってもらいました。申し訳なさと困惑の声が漏れてしまったアーシアだが、買ってもらったジェラートをおずおずと口に含む。そして、そのおいしさに思わず目を輝かせた。聖女であるアーシアが街に下りることは滅多になく、あってもこのように買い食いなどしたことがない。そもそも店に入って商品を注文することすら初めてだった。
日々の食事に出てくるのはパンとスープが主で、時々野菜やパスタ料理がある程度。肉料理や甘味などはクリスマスのような特別な日に食べるのが彼女の常識であった。それなのに、こんな何でもない日に食べてしまっていいのだろうか。質素倹約を大事とする教会のシスターとして、罰が当たってしまわないかとシュンと肩を落とした。
「どうしたの、アーシア? 頭がキーンとした?」
「いえ、その…。こんなおいしいものを食べてしまって、罰が当たってしまわないかと…」
「えっ、美味しいものを食べて何で罰が当たるの?」
「あぁー、なるほど。教会は質素倹約が当たり前だからね。俺も子どもの頃はアーシアちゃんみたいな食生活だったよ」
教会出身とはいえ、少し前まで表の一般人として過ごしてきたイリナは首を傾げたが、アーシアと同じ境遇だった青年は理解を示すように頷いた。確かに浪費はいけないし、贅沢も堕落への一歩手前として捉えられる。実際、デュリオがお世話になっているシスター達の食事も似たようなものだった。
「まぁ、その反動で今では美味しいもの巡りが趣味になっちゃった俺の言葉だけど、『富や物質主義は避けるべき悪、さらには戦うべき悪』とする理論と『繁栄と幸福は神の祝福』だと考える理論がキリスト教にはある。俺はどっちも正しくて、どっちも極論であると思っているんだ」
「どちらもですか」
「うん、ぶっちゃけ価値観の違いってだけなんだと思っている。もちろん他者のものを奪ってまで貪欲に求めるのはいけないと思う。だけど、自分がちゃんと頑張って得た糧を自分や他者に還元することは当然のことだって俺は思っているんだ」
自分の価値観を押し付けるつもりはない。だけど、今この時をただ楽しんでほしい。デュリオは小さな世界の中で生きる幼い少女の頭を優しく撫でると、真っ直ぐに目を合わせるようにそっと屈んだ。
「だからこれは、これまでずっと頑張ってきたアーシアちゃんに還元されたものだって俺は思うよ。聖女としてみんなに与えてきた幸福が、祝福としてアーシアちゃんの元に返ってきた。ただそれだけのことなんだよ」
「これが、私への祝福?」
「うん。だって、美味しいものを食べると幸せな気持ちになれるでしょ?」
そう問いかけると、少女はゆっくりと頷き返した。そして、もう一度手に持つジェラートをジッと見つめると、今度は勢いよく口に含んだ。先ほどまでの遠慮がちな食べ方ではなく、一度はやってみたかった食べ方。先ほどイリナが話していた、冷たいアイスを一気に食べると頭がキーンとする感覚。
自分には不相応な幸福だと感じていた心が、どこか吹っ飛んでいくような冷たさだった。
「ッ――! 美味しいけど、本当に頭がキーンとするのですぅ…」
「あはははっ! アーシア、変な顔になってるー! よーし、私もやっちゃおう!」
「じゃあ俺も、三人でキーンとなろうか」
そう言って自分と同じようにジェラートを口に入れて、冷たそうに顔を萎める二人の表情に思わず吹き出してしまった。人を見て笑うなんていけないことだと思うのに、涙が出そうなぐらい笑いが止まらなかった。口の中は冷たいのに、胸のあたりがポカポカと温かい。
あぁ、そうか。私はずっと……こんな風に誰かと一緒に笑って食事がしたかったんだ。これまで願うこと、考えることすらできなかった欲が、アーシアの中でかたち作られているのを感じた。
「アーシア、次はこっちに行ってみよう!」
「はい、イリナさん!」
ジェラートを食べ終わった後は、街の散策に入った。教会の中から見えた街の景色を、実際に自分の足で自由に歩く新鮮さ。田舎の街ではあるが観光名所になっているところもいくつかあり、そこに行ってはイリナと二人で写真を撮る。さらに雑貨屋さんに顔を出すと、可愛らしい工芸品がいくつも立ち並んでいて見るだけでも楽しい気持ちになれた。
「デュリオお兄ちゃん、みんなへのお土産はどれがいいかな?」
「うーん、ここはオリーブ畑が有名だったはず。あと、ガラスを使った工芸品も人気だったはずだよ」
「へぇー、じゃあそれにしよう。あっ、アーシア見て見て! このガラスビーズのブレスレット可愛くない?」
「はい、可愛らしいです」
「じゃあ、アーシアとお揃いで一緒に買っちゃおう!」
「……え? えぇぇっ!?」
全てが初めてで、心臓が常にドキドキと音が聞こえそうなほどの興奮の連続。イリナとお揃いのブレスレットが腕にはめられ、嬉しさに思考はもうパンク状態だ。こんなにもらってしまって本当に良いのかと考えそうになるが、それよりもアーシアの心を占めていたのは別の気持ちだった。
「この時間がもっと――」
街から少し外れた丘の上の建物。そこから街を一望していると、いつも過ごしている教会が目に入った。聖女であるアーシア・アルジェントが帰らなければならない場所。そのはずなのに…、無意識に呟いてしまった言葉に少女はハッと口を噤む。それを隣で見ていたイリナは、アーシアと寄り添うようにそっと距離を詰めた。
「もっと、続いてほしいよね」
「……イリナさん」
「私も同じ気持ち。もっとアーシアといっぱい遊びたい」
どうしてこの人たちは、ずっと欲しいと願っていた言葉を自分にくれるのだろう。周りから聖女であることを望まれ、自身もそうあるべきだと律し続けてきた生き方。それが今日会ったばかりの人達とのたった数時間の思い出で、どんどん気持ちが塗り替えられていく。
「……私も」
「うん」
「もっと、イリナさんと遊びたいです」
「やった、両想いだね」
嬉しそうに抱き着いてくる友達に、アーシアも気恥ずかしそうに身を任せた。自分の気持ちを他者に伝えることが怖かった。同じ目線に立ってくれる人がいない世界は寂しかった。そんな世界で過ごすことが当たり前だったはずなのに、素直な気持ちを受け止めてくれる友達がいる温かさを知ってしまった。
「どう、アーシアちゃん。俺達の誘惑体験は?」
「こんなの、ズルいです…。勝てっこないですよぉ」
ニッと笑みを浮かべていじわるな質問をするデュリオへ、アーシアは震える声音で噛みしめるように返答した。だけど、その表情は自然と笑ってしまっていた。アーシアは改めて街の奥に立つ教会の建物を見据える。聖女として、教会の象徴として過ごしてきた自分の全てだった世界を。
「でも、こんな不純な理由で選んでしまって本当にいいのでしょうか」
「聖女の仕事は大切だよ。だけど、教会の使者としての仕事も大切だ。なら、自分がやりたい方を選んだらいいのさ」
「私がやりたい方を…」
「まぁ、聖女が不在となるこの地を心配する気持ちはわかるよ。聖女としての期待を裏切るんじゃないかって思いも。だけどね」
デュリオは肩を竦めると、あっけらかんと言い放った。
「ぶっちゃけそんな
「え、ええぇぇ…」
「本当本当。第一、聖女がいなくなって教会側が困るなら、俺達にキミを勧誘する許可を上が出す訳ないじゃん」
実際、神の子からのお願いに、上は「どうぞどうぞ」と快く許可を出している。異種族に対して公平に接することができて、駒王町に適応できるかもしれない人物というだけで確保確定だ。それをこんな風に回りくどくしたのは、命令としてではなく、アーシア自身に決心してほしかったという理由だけ。
それはおそらく教会側も薄々察しているのだろう。自分達の崇める聖女がいなくなることを。だから、あれだけ対応が後ろ向きだった訳だ。三人の視線はそのまま教会へと真っ直ぐ伸びていく。教会側と話を付けてくると笑顔で別れた二人の姿を思い出し、アーシアは不安げに俯いた。
「……猊下と奏太さんは、今司祭様とお話しされているのですよね」
「うん、俺達がどれだけアーシアちゃんを勧誘したいのか全力でアピールしていると思うよ」
「お兄ちゃん、『アーシア・アルジェントちゃんを勧誘する100の理由』ってスライドと資料まで作っていたもんね」
「ええぇ……」
驚きを通り越したアーシアの貴重な絶句を聞きながら、奏太をよく知る二人はクスッと笑い合った。そこには心配も不安もない。あるのは確信のような安心感。
「心配ないよ。だって、あのじいさんとカナたんによる話し合いだ。むしろ、教会の人達の方を後で労わることになりそうだね」
「じゃあ、胃薬も買って帰る? ママと一緒にパパに買ってあげたら泣いて喜んでくれたよ」
「確かに。さすがイリナちゃん、それはいいアイデアだね」
「これが教会の外の常識…。わ、私も頑張ってついていかないと」
常識が鍛えられた二人の様子に、これに順応できるように頑張らないとっ! と拳を握りしめて力強く頷くアーシアちゃんなのであった。
――――――
「それでは、続きまして。アーシア・アルジェントちゃんを勧誘したい理由のその68です。それは、可愛くて優しくて守ってあげたくなる女の子という癒し枠が駒王町には必要だからです! もはや駒王町では天然記念物レベルですよッ!!」
バンッ! と自前で持ってきた小型のプロジェクターに手を当て、さらにはマイク片手にスピーカー越しに力説するのは、デュリオ達から全幅の信頼を寄せられていた青年。倉本奏太はその期待に応えるように、全力で教会を相手取っていた。なお、相手側はすでにノックダウン寸前な様子なのはご愛敬である。
「駒王町は十人に一人が魔法少女の街なんですけど、男女比のバランスがヤバいんですよね。怪人の皆さんは男性型が多くて、魔法少女がとっ捕まえる犯罪者も8割以上男性だから、魔法少女が増えても清涼感がちょっと足りなくて…。街にいる女の子たちは大変逞しく育っちゃったし、それはそれで可愛いと思うんですけど…」
「若、話がズレています」
「おっと。とにかく、こう健気に頑張っていて守ってあげたくなるような女の子枠がいないのは非常に問題だと思う訳ですよ! すでに癒し枠に『おっぱい』があるとはいえ、他にも癒しの供給源がないとイッセーくんや教会で働くみなさんのメンタルがもたないかもしれません。大切な日々の活力ですからね、癒しっていうのは」
「あ、あの、その…、そんな変態ばかりの魔境に聖女様を連れていくのはやっぱり――」
「えっ、魔法少女の生態は『勧誘理由18』の時に一緒に語りましたよね? もう一回説明が要りますか?」
「申し訳ありません。何でもないです…」
おい、もっと頑張れよ! という同僚の無言の視線を受けるが、だったらそっちがやれよ! と視線の応酬を交わし合う教会の司祭とシスター達。聖女様の今後についての話し合いと聞いて、何とか説得できないかと集まった彼らはすべからく後悔していた。敵は枢機卿ではなかった。いや、その猊下も鋭い視線で教会関係者が逃げないように出口を封鎖しているのでもう敵だろう。それよりも聖者の方がヤバすぎた。
長年妹アピールで口達者な朱雀と舌戦で張り合い続け、息子命な銀色の悪魔から相手の心理をついた説得の仕方や納得させる方法を学び、シスコン悪魔達とディベートをし続けた奏太の熱量と熱弁は、聖書陣営のトップ勢に『ルシファーの曾孫で白龍皇のヴァーリ・ルシファー』を、『ヴァーくんは良い子だから大丈夫理論』で認めさせた実績を誇っていた。
「あの、この勧誘理由ってまだ続きますか…?」
「えっ、百個あるって最初に言ったじゃないですか」
きょとんと全く悪意が感じられない声音に、手で顔を覆って泣き出す者まで現れる。教会の皆さんがちゃんと納得できるように、善意で丁寧な理由説明をしているつもりの奏太は首を傾げた。唯一彼らの温度差を理解しているおじいちゃんは、頭の固い教会の信徒たちを相手にするならこれぐらいの荒療治は必要だと沈黙で見守りの態勢を取っていた。
彼らは現在『聖女』という象徴に目が眩んでいる状態だ。信徒として正しいという考えに凝り固まり、視野が狭まっていると言ってもいい。そうでなければ、司祭枢機卿と聖者からの要請に対して、ここまで『聖女』に入れこまないだろう。『聖女』を管理してきた者としての自負が、彼らの態度からずっと感じられていた。
こういう状態の相手を納得させるのは至難の業だ。だからこそ、倉本奏太のような先制パンチは相手のペースを乱す。これを天然でやってのけるのが一番性質が悪いのだが、対象が自分ではないので良しとした。
「い、今更ですが、聖者殿! この理由付けとやらに正当性はあるのですか!?」
「事前に天使長のミカエル様にプレゼンしたらOKをもらえましたよ」
『――えっ?』
さらっと出ちゃいけないビッグネームというか、実質トップの名前がポンッと飛び出たことに再度固まる教会勢。バッと全員が
色々言いたいことが爆発しそうだが、さすがに天使長が認めたものを下っ端の自分たちがケチをつけるなんて罰当たり過ぎる。むしろ天使長が認めたって、もはや聖典だぞこれ。みんな深々と教典を聞くように頭を垂れ、祈りを捧げながら理由100選を真剣に聞くしかない。傍から見たらヤベェ集団でしかなかった。
「ふぅ、全力で語り切ったぜ…」
「お疲れさまです、若」
いい汗かいたぁー、と笑顔で額の汗をぬぐう奏太に、サッと手ぬぐいと飲み物を差し出すおじいちゃん。爺やレベルが着々と上がっている。それにお礼を言って飲料を口に含んで部屋の中を見回すと、まぁ見事な死屍累々だった。すでに奏太のプレゼンの熱量に頭と胃が痛くなった多数が終了と同時に退出をし、天使長などのトップ勢が絡むほどの案件なのだと恐れた何人かも退出。
残っているのはこの教会のトップである司祭と数人のシスターだけ。この部屋を出た時点で、『聖女』に関する話し合いへの参加を諦めたと見なされる。数による泣き落としは通じない人数に自然と選別されたのだ。なお、
「……何故」
「ん?」
「何故、聖女様…。
その言葉には、純粋な疑問も含まれていた。アーシア・アルジェントの持つ癒しの力は確かに素晴らしいものだ。性根も真っすぐで心優しく、誰に対しても分け隔てない慈愛の心。まさに聖女として完璧な存在。それほどの人物なら、上層部が目をつけるのも当然かもしれないと思っていた。
だが、彼女の代わりになる人物が本当に他にいないのかと問われれば、それは否だと答えられる。聖人君子のような性格を持つ者や、アーシアと同じ治癒の力を所持する者も、探せば間違いなく見つかるだろう。だから、教会の象徴としてすでに功績のある『完璧な聖女』を差し出さずとも、もっと他に選択肢があるはず。彼女なら今後も素晴らしい聖女として名を馳せるはずだ。
三大勢力の協定の中心として、教会の代表である使者となるのも立派な仕事だろう。だが、それでは『聖女』としての象徴がなくなってしまう。彼女はもっと多くの人々を救い、慈愛を与えられる存在になれる。
――それだけのポテンシャルを発揮できる未来を、アーシア・アルジェントは持っているのだから。
「先生達から教わった大事な言葉があるんです。今の俺を形作る根幹ともいうべき大切な教えが」
そんな思考を遮るような力強い言葉が、部屋の中に凛と響き渡った。
「今は聖者様とか言われている俺だけど、最初からこんな風に力を使うことはできませんでした。それどころか一歩踏み出すことすら怖がっていた、ただの弱っちくてちっぽけな人間でしたよ。才能だってないって堂々と言われて、出来ることだってたかが知れていました」
自虐のように聞こえるが、奏太の中では間違いなくあった過去の自分。それなりにマシになった今と比べると恥ずかしさもあるが、それでも否定はしない。あの時の自分がいたからこそ、今の自分に繋がっているのだから。
「そんなどうしようもなかった俺に、ちゃんと諦めずに最後まで生きてほしいって思いを託してくれた人がいました」
奏太にとっての出発点であり、始まりの第一歩となった言葉。何もせず怯えるだけの生き方から変わろうと思ったきっかけ。諦めるのが嫌いになったのは、きっとこの言葉が後押しにもなったからだろう。
「そんな俺に向かって、強くなれと背中を押して支えてくれる大人達がいました」
自由人でいじめっ子で容赦がないけど、面倒見が良い尊敬する大人達。本人達の前では言いづらいけど、彼らのような子どもを導ける大人に将来なりたいと奏太にとって目標となった背中達。
「そんな俺の傍で、肩を並べて共に歩んでくれる友人や仲間達がいました」
突拍子のない提案に呆れながらも、全力で実現への道を切り開いてくれたみんな。お互いに意見を交わし、くだらないことで喧嘩をし、ふざけて笑い合った何でもない日々。そんな毎日を守りたいと思えたから、どんなにきつくても歩みを止めることなく歩き続けることができた。
「そんな俺の手を握って、ずっと隣にいてくれる掛け替えのないパートナーがいました」
奏太が禁手に至る最後の瞬間に聞こえた彼女の言葉。人の領域を越える力を手に入れることに恐怖心はあった。だけど、変わらず隣にいてくれる温もりがあったからこそ迷いを振り切ることができた。己の立場が変わってしまうことも、いつか人でなくなる未来だって受け入れられたのだ。
「そんな俺を信じて、希望に手が届くようにずっと助けてくれた相棒がいました」
時々手厳しいけど、誰よりも味方になってくれた存在。奏太にとってはすでに傍にいることが当たり前で、全幅の信頼を寄せられる最高の相棒。訳も分からず転生してしまった世界で、孤独に心が死なずに済んだのは間違いなく一本の紅い槍のおかげだった。
「俺がここまで成長できたのは、この道こそが『俺が選んだ道』なんだって胸を張って言えるのは、俺のことを支えてくれるみんながいたからです。そうじゃなかったら、俺は今でも小さな世界で一人
胸に手を当てて誇らしげに笑みを浮かべる奏太の言葉に、誰も口を挿むことができなかった。それは彼のこれまでの生き方を、まざまざと感じ取れてしまったから。それだけの強い想いがそこには籠められていた。
「知っていますか、自分らしく生きるって結構難しいんですよ。特に周りとは違う力を持ってしまったら余計に。人ってやっぱり、一人じゃ生きていけない生き物だって俺は思っていますから」
枢機卿に頭を下げられ、天使長と対話ができ、『聖者』と呼ばれるほどの奇跡の力を持つ者でさえ、孤独には耐えられないのだと笑ってみせる。――あぁ、そういうことかと司祭は理解した。彼が何故アーシア・アルジェントに手を差し伸べたのかを。
「アーシアちゃんに、そんな人はいますか?」
その問いに答えられなかった時点で、司祭とシスターは口を噤むしかなかった。
「……今のアーシアちゃんには、文字通り聖女になるしか道がないんです。俺のようにたくさんの道から悩んで考えて、みんなと相談して、この道を進みたいって選べる選択肢がありません」
「大人として、その子どもが最も才能を発揮できる道を選ばせるのはいけないことでしょうか」
「それをアーシアちゃんが望んでいないのなら、待って支えてあげるのも大人の役目だと俺は思っていますよ」
持って生まれた力を最大限世界に還元させて、その子どもを輝かせたいと願う大人達の気持ちは奏太だって理解している。それでも、その特異な力を持ってしまった子どもの立場を理解している彼だからこそ、伝えられる言葉があった。
「俺から皆さんに言えるのは一つだけです。『聖女』としての偶像じゃない、あなた達がこれまで見てきたアーシア・アルジェントちゃんを信じてください」
ハッと見開かれた目を、奏太は真っすぐに見つめ返した。
「ほんの数時間一緒にいた俺でさえ、アーシアちゃんがすごくいい子だってわかりましたよ。そして、彼女なら今ある力を正しく使い、今よりももっと輝くことができるって信じています」
「随分な自信ですね」
「俺の勘って当たるんですよ。世界を知った彼女が、『聖女』という枠組みすら越えてさらに大空へと羽ばたいていく姿を見てみたくはないですか?」
あまりにも傲慢不遜な物言いに唖然とするが、ニッと弧を浮かべる笑みに嘘はない。甘い希望の糸を垂らすやり方は、聖人というより悪魔みたいだが。『聖女』という象徴に凝り固まっていた価値観を、容赦なく蹴り飛ばす所業である。それに呆れながらツッコむと、青年はきょとんとした表情で何でもないように言い放った。
「だって、それだけのポテンシャルを発揮できる
――――――
「ううぅ、楽しすぎて帰りが遅くなってしまいました…。司祭様に怒られてしまわないでしょうか」
「安心して、アーシア! その時は私も一緒に怒られてあげるから。クリスタルディ師匠に怒られ慣れているからね、私!」
「胸を張って自慢げに言えるところが、イリナちゃんのすごいところだよね」
日が傾き、さすがにそろそろ夜の帳が空を覆いそうな時刻になってきたため、街に出かけていた三人は教会へと帰宅した。一般開放はすでに終わっているので広間は暗くシーンとしているが、奏太たちがいるはずの部屋の明かりはまだついていた。もしかしたら、まだ話し合いは続いているのかもしれない。
ごくりと緊張に唾を飲みこんだアーシアは、何度も深呼吸を繰り返す。街の丘の上で決めた自分の道。『聖女』として周りから望まれた道ではなく、アーシア・アルジェントとして進みたいと願った選択肢。だが、この選択が正しいのかはわからない。これまで自分の感情で選んだことなんてなかったのだから。
「怖い?」
「デュリオさん…。そうですね、怖いと思っています。自分で選択するって、こんなにも重いことだったんですね。身体が震えてしまいそうです」
「だからこそ、選ぶことには責任がついてくるんだ。だけど、大丈夫だよ」
デュリオとイリナはお互いにウインクで合図をし合うと、アーシアの右手をイリナが、小さな背中を支えるように肩へ手を当てたデュリオが傍へと近寄った。驚きに固まる少女に二人は笑顔を見せると、温もりと一緒に気持ちを届けるように言葉を紡いだ。
「私達がちゃんと傍にいるよ。怖いことはみんなで乗り越えちゃおう!」
「アーシアちゃんを一人にはさせないさ。お兄ちゃんとして、しっかり妹は守らせてもらうよ」
「イリナさん、デュリオさん…」
「悩んだら相談したらいい。怖かったら手を握って欲しいって言ったらいい。アーシアちゃんと俺達には、それができる絆があるんだから」
「――っ、はい!」
思わず熱くなった目頭を左腕の袖でふき取り、友達からもらった勇気を胸に司祭たちが待つ部屋へと三人は歩を進めた。先ほどまでアーシアの心を巣くっていた恐怖心は、まるでポッと火で消えてしまったかのように感じられなくなっていた。みんながいれば、もう何も怖くない! 意を決して、明かりがついている扉を開けた先には――
「はい、第十四問! アーシアちゃんの好きなお花は何かを答えよ!」
「くぅっ…! また難問を……!?」
「はっ、司祭様。確か以前、治療を受けた患者から感謝の印としてミモザの花をもらった時、あの子が喜んでいた記憶が微かにあります!」
「でかした、シスターよ! では、答えはミモザにしよう」
「りょうかーい。答え合わせはアーシアちゃんの口からお願いするね」
そう言って視線が扉へと向いた奏太に、室内にいた人達の目も自然とそちらに向かう。そこには、勇気を振り絞って突入したはずのこの気持ちをどう昇華したらいいのか迷子になり、フリーズして固まるアーシアちゃんがいるのであった。何で和気藹々としているの、街に行く前は一触即発だったよねこの方達。
「はぁ、遅いぞデュリオ」
「すみません、じいさん。つい遊びすぎちゃいました。それにしても、さすがはカナたんって言うべきですかね」
「別に俺は当たり前のことしか言ってないぞー」
デュリオからの賛辞に、ひらひらと片手を横に振って応える奏太に小さく噴き出す。彼にとっては、本当に言いたいことを言っただけなのだろう。教会の司祭達は非常にくたびれた表情をしているが、あの狂信的な危うさは鳴りを潜めている。それどころか、どこかすっきりしたような目をしていた。
「それで、何をしていたの?」
「えっ、アーシアちゃんの好きなものは何でしょうクイズ」
「な、何で私のクイズをしているんですかぁー!?」
「アーシアがツッコんだ!?」
感動に口元を手で押さえて、アーシアの情緒の成長に震えるイリナだった。緊張していた中で意味不明な状況にオーバーヒートした結果の覚醒のようだ。顔を真っ赤にしてぷぅーと頬を膨らませて怒るアーシアに微笑まし気な空気が漂う。子どもの成長は早い。
「だって司祭さん達、『聖女』フィルターが全開過ぎて、アーシアちゃんの好きなものとかほとんど答えられなくてさー。さすがにそれは、子どもの保護者としてどうよってなったわけ」
オーバーヒートしていた頭が徐々に冷えていったアーシアは、奏太からの答えに思わず戸惑ってしまった。自分の好きなもの。そんな風に考えることさえ自分自身も忘れていたからだ。教会で与えられるものを受け取り、ただただ聖女として過ごしてきた日々。そこに好き嫌いという意思を向けることさえ許されていなかった。
そんな自分自身でさえも好みなんてわからない中、他者である司祭たちにはもっと無理難題な問題だっただろう。チラッと申し訳なさげに視線を向けたアーシアと目が合ったシスターは、何度か口元をもごもごとした後、おずおずと声をかけた。
「
「えっ? は、はい」
「あなたの好きな色は、その…白であっていますか?」
自信なさげに告げられた答えに、アーシアの目が見開かれるぐらい衝撃に固まった。
「えっ、その反応は違うということ…?」
「ふっ。やはりな、私の予想通り黒色が正解という訳だ」
「待て。瞳と同じ碧の可能性もまだ残っている」
「いやいや、
アーシアはようやく気付く。これまでと違って、ちゃんと教会のみんなと目が合うことを。聖女としてではなく、ただのアーシア・アルジェントを知ろうと考えてくれているのだということを。そして、朧気でもこれまでのアーシア自身を必死に思い出してみようとしてくれていることも。
「ふぇ…」
それに気づくと、とめどなく涙が零れ落ちていた。それにギョッ!? とあわあわと挙動不審になる教会の大人たちに落ち着けと猊下の叱責がとび、デュリオはよしよしと優しく頭を撫で続けた。どうして涙が止まらないのか、アーシア自身も明確な言葉では言い表せない。それでも――
あぁ、私はちゃんとここにいたんだ、と感じられたことが瞼を熱くした。
「わ、私は、自分が何色が好きなのか…わからないです。でも、今皆さんがおっしゃられた色は、みんな好きだとも思っています」
「うんうん、今はそれでいいんだよ。これからたっぷり時間はあるんだ。自分の好きを見つけていくことが、今後のアーシアちゃんの宿題ってことだね」
「はい、頑張ります」
ズビッと鼻を啜った幼い少女の目には、最初に会った頃に見えた仄暗さは感じられず、キラキラと未来を見据えるような輝きがそこにはあった。イリナにハンカチを貸してもらって顔を拭き、乱れてしまった衣服も整える。そして、気分が落ち着いた頃合いにこの教会のトップであった司祭へ向けて、決意を籠めた眼差しで頭を垂れた。
「司祭様、この度の聖書陣営の懸け橋となる教会の使者としての役目を私は引き受けたいと思います」
「覚悟はあるのですね」
「はい、……『聖女』としての役割をこなせず申し訳ありませんでした」
「いいえ、
「はわわ…、ど、どうしてでしょうか。何故か期待がさらに重くなってしまったような気がしますぅ…」
それから夜も遅くなったため、今回の集まりは解散することになった。今生の別れのようなテンションで抱き合うイリナとアーシアだったが、日本語を勉強するために時々イリナの所に足を運ぶことが確定したためめっちゃ喜び合っていた。『聖女』としての仕事はしばらく続けるが、少しずつ引継ぎ作業をしていくことが決定したのだ。
事前に上層部に伺いを立てていたため、代わりとなる治癒師の派遣についてはわりとスムーズに行われるようになるようだ。アーシアほどの治癒ペースは難しいかもしれないので治療の規模は小さくなるかもしれないが、そもそもこれまでのやり方がハード過ぎただけでもある。それを考えると、新しくお布施と信仰をゲットする方法を考えないといけないだろう。
「ふむ、
「あれほどの感謝と嘆きを齎すとは、さすがは
「しかし、これまで『聖女』を中心にこの教会が回ってきたのも事実。突然その象徴が消えてしまうことを嘆く気持ちはわかります」
「聖女の偶像か。……これほどの人気なら、いっそのこと
「アレか、アレは確かに思わず拝み倒したくなる素晴らしいものだった」
「あっ、私はそれのミカエル様バーションを買いました」
しばらく無言となった一同は、お互いに顔を見合わせあう。『アーシア・アルジェントちゃんを勧誘する100の理由』という特級呪物を喰らった所為で、駒王町の魔法少女やら、関連したキャラクターグッズやら、偶像崇拝の果てにおっぱい教が生まれたことも知識として知ってしまった。そうして混乱状態がまだ残っているまま会議を行った結果、意外とそれアリなんじゃね? という結論に至ってしまったのであった。
信者の皆さんの心の拠り所は、今後もこの教会には必要である。あんまりよくわかっていないアーシアを上手いこと丸め込み、私で信者の皆さんのお力になれるのなら! と本人からの許可をもらった教会の新規事業は無事に軌道へと乗ったのであった。
のちに、里帰りした教会周囲にデフォルメされた自分似のフィギュアが大量に並び、信者にお祈りされている姿を目撃したアーシアは別の意味で帰りづらくなったのであった。