えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか? 作:のんのんびり
「うーん、やらかしたなぁ…」
ガシガシと片手で頭の後ろを掻きながら、倉本奏太は遠い目で溜め息を吐き出す。上司であるメフィスト・フェレスが、北欧の戦女神であるフレイヤとその護衛達と一緒に会談用の部屋に入ってしばらく経った。奏太は体育座りをしながら廊下で待っていたが、焦っていたとはいえついうっかり漏らしてしまった悩みの所為で間違いなくえらいことになったのはわかっていた。北欧に
ちなみに先ほどまで鼻紙を渡してくれた
「まさか、こんなかたちで向き合うことになるとは…」
ボソッと呟いた言葉が空しく響く。じっくり思い返してみても、自分の悩みの焦点は「ラヴィニアの迷惑になっていないか」という考えしか思い浮かばなかったからだ。誤解されたことより、誤解させてしまったことが気になり、この後どうすればよいのかを悩んでいた。つまり、自分自身は彼女とそういう関係に見られたことを「迷惑に思っていない」という裏返しでもあった。
『私は魔法少女なので、心配はいらないのです』
裏の世界に足を踏み入れて、初めて出会った年下の魔法使いの女の子。神滅具を宿す凄腕の魔女でありながら、優しくて天然で面倒見のいいパートナー。誰よりも傍で支えてくれて、誰よりも頼りになって、だからこそ彼女の過去を聞いて誰よりも守ろうと決めた女の子なのだ。彼女が支えてくれるなら支え合って、彼女が与えてくれるなら与え合えるように。彼女に拠り所が必要だと言うのなら、孤独を恐れているのなら、傍で寄り添える関係を選んだ。
『カナくん、私はあなたを助けたい。どんな小さなことでもあなたの力になりたいのです。だから、私も一緒にカナくんの問題へ巻き込ませてください』
彼女の性格なら、危険に飛び込もうとするパートナーを放っておくことができないのはわかっていた。だから、奏太の方から一緒に巻き込まれてほしいと頭を下げた。それはラヴィニアの優しさに甘えすぎないためであり、自分なりのけじめも含まれていただろう。どんなかたちであれ、ラヴィニア・レーニが隣にいない「先」を想像することができなかったのは確かだったから。
『ラヴィニア自身が俺の帰ってくる居場所なんだってことは覚えておいて』
あの時の言葉は、決してその場を取り繕うために咄嗟に出た言葉じゃないのは、奏太自身が一番よくわかっていた。
「……
そこまで言いかけて、思わず片手で顔を覆うように天を仰いだ。マジか、とすら頭に浮かんだ。これまで自分が考えていた理想を口にしていくほど、ずっと隣にいてくれたパートナーの輪郭がはっきりと現れてくる。おそらく耳まで赤くなっていそうな熱を冷ますために、奏太は何度も頭を横に振った。
年下相手にそういう目を向けてしまうのは、何だか悪いことをしているみたいで「異性」として見るのをあえて避けていたところがあった。彼女が望む友達としての関係を壊すことなく、ドキッとすることがあっても平常心を保てるように常に心掛けていたのだ。一度深く息を吐いて深呼吸をした奏太は、先ほど感じた熱を抑え込むように胸のあたりに手を置いた。
「…………」
おそらくだが、これまで漠然としていた思いを確かに「今」――ちゃんと自覚できたと思う。しかし、だからこそこの考えを振り払うように冷静になるように努めた。自分の中の優先順位を間違えてはならないから。自分自身のことなら「感情」で決めることができた。だが、今回は自分だけの問題じゃない。倉本奏太が器用に物事を考えられる人間じゃないことをわかっているからこそ、取捨選択だけは間違えられなかった。
「俺が一番に望むのは――」
メフィストたちが、この二人の関係を見守ることを選んだ理由は二つある。一つは、ラヴィニアの
そんな彼の性格を分かっていたからこそ、彼らはあえて「自覚」を促すことなく沈黙を貫いたのだ。
――――――
「くっ、不覚でしたわ。愛の女神であるこのわたくしが、あまりの胸の高鳴りで
「本気でやめてね」
これまでの二人の馴れ初めで何とか女神を無事
メフィストがここまで必死になって説得したのは、自分の保護下にある二人のことを考えてもあるが、聖書陣営全体としても慎重に扱わないとならない案件だったからだ。次期聖書の神の候補であるレーシュと唯一コンタクトが取れる神の子であり、その異能も希少で代えが現状効かない。何より、彼の身に何かが起こればシステムと直結している天界は特に詰みかねない。
ただでさえ倉本奏太には様々な責任や制限を負わせてしまっているのだ。多感な時期である十七歳の子どもが護衛なしで自由に外出もできず、接触させる相手もかなり限定させている。安全のためと言えば、彼はそりゃそうだよなと文句も言わずに受け入れてきた。口には出さないが、重責によるストレスや疲弊だってあるだろう。そういった諸々が重なって、ある日いきなり緊張の糸が切れることだって起こり得てもおかしくない。
ただ彼の性格的に、周りに迷惑が掛かることや、誰かの命に関わることを考えて、限界ギリギリまで抱え込むだろう。だから、聖書陣営は奏太の願いや我が儘に対して概ね容認するようにしてきたのだ。そしてラヴィニア・レーニの存在が、倉本奏太の心の負担をかなり軽減してくれているのは誰が見ても明らかだった。彼女が隣で支えているから、彼は前を向いて突き進んでいける。
聖書陣営からしたら、彼らの関係を崩す可能性があるなら出来る限り避けたいと思うのは当然ではあるだろう。現状、安定している状態を保てるなら、「恋愛」は不確定要素でしかない。彼ら二人の性格や抱えているもの、そして聖書陣営の思惑もあって、周りは見守ることを選択してきたのだ。
「それに聖書側の意思が少しわかりましたわ。あなた方にとって『
「……そうだねぇ、『僕ら』にとって大切な子だよ」
周りの護衛には聞こえないぐらいの小声で確認すると、フレイヤの瞳は面白がるものから北欧の女神としての思考を回していく。たかが子どもの恋愛――という扱いではない時点で、聖書陣営での倉本奏太の立ち位置が少しずつ上方修正されていた。少なくとも、私的な関わりが彼らにはあり、お互いへの信頼も見えた。
「女神フレイヤ、『僕ら』はあの子の心の奥に深く踏み込むことができない。あの子と『僕ら』には、切っても切り離せない関係がすでに出来上がってしまっている」
「…………」
「保護者として歯痒い思いはあるけど、あの子が本心を話せるのはきっと何も関係がない第三者だけなんだと思う。彼にとって守る必要も、守られる必要もなく、ただ話を聞いてくれるだけの相手。もしあの子の相談に本当にのる覚悟があるのなら、陣営と関係なくあなた自身の言葉で導いてあげて欲しい」
聖書陣営にとって、倉本奏太はすでに「急所」と言い換えてもいい。そしてそれを奏太自身も理解している。だから、彼は本心を聖書陣営の関係者には伝えられない。彼らが心配しないようにいつも通りの姿を心掛けるからだ。また相談役となった仏教陣営に対して「正史」については遠慮なく相談ができても、自分自身に関することは一度も口に出していない。
彼が唯一、本心や弱さを伝えられたのは――幾瀬朱芭ただ一人だけであったように。
「まぁ、僕としては普通に会談をして欲しいと切に思うけどねぇ」
「あらあら~。嫌よ」
「うん、知ってた…」
輝くような女神スマイルで絶対恋愛相談をする! という固い決意を感じさせるフレイヤ様のマジトーンに、メフィストは「僕にできるのはここまでのようだ…」と遠い目をするしかない。元々の原因は奏太自身なので、あとは本人に乗り越えてもらうしかない。それに、恋愛相談に関しては押しの強い愛の女神の方が相性もいいだろう。少なくとも、彼女は恋愛に対して誠実な神であるのは間違いないのだから。
なお、儂だけまだ延長戦になるの…? と隅っこの初代様が一番の被害者であった。
――――――
「えっと、女神フレイヤ様。本日はお越し下さりありがとうございます。改めて、先ほどは色々とすみませんでした」
「いいのですよー、むしろわたくしからしたらご褒美ですもの」
「あ、あははは…」
今日は飲み明かしましょう! と肩を組んで退出する戦乙女達に生温かい目で応援された奏太は、何とも言えない顔で笑うしかない。先ほどまで敵意はなかったが胡乱気な視線を向けていたはずの美人な女性達が、めっちゃ好意的というか後方腕組みお姉さんになっていたレベルの変わり様である。最後に無言でポンッとメフィストに肩を叩かれたのが、この後の話し合いの大変さを物語っているようだった。
「そのずいぶんメフィスト様と話されていたようですけど…」
「えぇ、あなた方の馴れ初めから死がふたりをわかつ後も含めてじっくりと…」
「えっ、俺のプライバシーは…?」
北欧の女神の暴走を止めるにはめっちゃ語るしかなかったのかもしれないが、奏太からしたら初対面の超絶美人の女神さまに自分のアレコレが暴露されている状態である。すっごく気まずいし、恥ずかしい。頬を掻いて視線を彷徨わせた奏太だが、とりあえず本来の目的を無理やりにでも整えないとまずいと咳払いをして誤魔化した。
「あの、とりあえず会談をしません…? さっきの相談は、その…、もう自分でどうするか決めましたので」
「……決めたとは?」
「ラヴィニアとはこれまで通りの関係を『継続』することにしたので、いつも通りを心がければ――」
そこまで言いかけた奏太に、フレイヤの瞳はスンと真顔になる。美人の顔面の迫力に気圧された少年は、ヒッと小さく悲鳴をあげた。
「何を言っているのです? 友人以上恋人未満でありながら、実質熟年夫婦みたいな甘酸っぱさでわたくしを昇天させておいて、ここまできっかけが与えられておきながらまだ無自覚とでも言うのですか」
「無自覚、ではないですが…」
「いいえ、わたくしは愛の女神よ。あなたがラヴィニアちゃんのことを相談した時の切羽詰まった言葉は、心からの戸惑いと彼女に対する強い思いを感じたわ。今だって、奏太くんの言葉には嘘はないけど迷いがある。奏太くん、あなたはラヴィニアちゃんのことを――」
「好きですよ。きっと他の誰よりも」
奏太の声は大きくも小さくもなかったが、震えもなくはっきりと言葉として響いた。
「ずっと一緒にいたんです。ずっとラヴィニアに支えられてきたんです。彼女が隣にいたから、俺はこうして自分の道を歩くことができました。優しくて天然で面倒見がよくて、容姿だってめちゃくちゃ可愛い。それでいて仕事に真面目で責任感が強くて、誰かのために一生懸命に頑張れる。一緒にダンガムではしゃいで、お菓子だってたくさん作ってくれて、心強いパートナーとしていつも俺のことを引っ張ってくれた」
自覚なんて――とっくにしている。
「俺のことを一番に考えてくれて、困ったときは相談にのってくれて、自分が辛い時は俺を頼りに手を伸ばしてくれる…。そんな女の子、好きになるに決まっているじゃないですか」
奏太の告白はどこまでも澄んでいた。澄み切っているからこそ、フレイヤは表情を硬くする。メフィスト達が何故この二人に「自覚」を促すことを避けていたのか。ラヴィニアのことを思っての配慮だったのは間違いない。だが、それだけではなく倉本奏太が一度「覚悟」を決めたら決して折れないことを理解していたからだ。その覚悟が自分達が望む方向に進めばいいが、そうじゃなかった場合――最も難関になるだろうと予想していた。
ここまで自覚していながら、これまで通りを『継続』することを選ぶ。それが並大抵の覚悟じゃないことは、フレイヤ自身もわかっていた。神依木による波長から、彼が本気で思いを伝えているのが理解できるからこそ、深く息を吐いて相談者としての相貌へと変わる。こちらの感情を押し付けることをせず、彼の気持ちを吐き出させることに焦点を当てる。
『もしあの子の相談に本当にのる覚悟があるのなら、陣営と関係なくあなた自身の言葉で導いてあげて欲しい』
あの大悪魔がどこまで想定していたかはわからない。だが、いいだろうと笑みを浮かべる。神話の原点からして、人間が恋愛に関する祈願をすれば喜んで耳を傾けるとまで逸話が遺されている愛の女神なのだ。ここまで切実な愛を、なかったことだけにはしない。
「……わかりました。では、まずは当初の予定通り会談から始めましょうか」
「えっ…」
「腰を据えて相談にのるなら、奏太くんが気にしている些事から片付けていくべきでしょう。それにあなた自身の背景を知らないままでは、見当違いのアドバイスしかできません。ですから、わたくしにあなたたちのことを教えてください」
ふわりと誰もを魅了するような笑みを浮かべたフレイヤの変わりように、奏太は唖然と呆けてしまう。正直質問攻めされても仕方がないような返しだったと自分でも思っていたので、まさかスムーズに当初の目的が遂行できそうなことに戸惑うしかない。それでも、メフィストから任されていた任務でもあったため、都合よくその流れにのることにした。
フレイヤとしても、当初の目的を果たすのは北欧の女神としての務めでもある。メフィストとの会話で、『
「――あの者が長らく姿を見せないことはわかっていましたが、あの傲慢な神が自らの教えに背いてまで
「えっと、それは…」
「あぁ、ごめんなさい。あなたを責めている訳じゃないわ。それに、後継者ができたことも、聖書陣営が和平を目指していることも嘘じゃないと思っている。我々と友好関係を築きたいことも含めてね」
聖書の神と相対した事がない者なら、非常に筋が通った話に聞こえる。実際、人間や比較的若い世代の異種族なら信じてもおかしくなかっただろう。だが、己以外を神と認めぬと唯一神として君臨していた者が、主導してこの流れを作ったという部分に同じ神として引っかかっているだけ。
しかし、それをこの場で指摘するのは賢くないだろう。ここは正式な政治の場ではない。真実は言っていないが、嘘も言っていない。そもそもこれほどの大事を人間の子どもから聞く方が普通ならあり得ない。彼も上から言われた通りの内容を話しているだけだろうから。
「神と魔王が表から退き、聖書陣営が緩やかな死から逃れるには、種族間の争いを止めるしかない。遺恨を飲み込み生存を選んだ理に適った道ね。唯一神という教えを排し、種の繁栄を目的とするなら、他神話との関係を改善させたいという思惑も理解できるわ」
「その、今回の件をオーディン様に繋いでいただくことはできるでしょうか?」
「うーん、そうねぇ…。じゃあ、奏太くんがわたくしの質問に答えてくれるのなら考えてあげるわ」
先ほどまでのシリアスな空気を入れ替える様に、ぱちんっとウインクを見せてフレイヤは妖艶に笑ってみせる。それにきょとんと目を瞬かせた奏太は、慌てて首を縦に振って肯定を返した。
「俺に答えられることでしたら…」
「その聖書の神の後継者くんは奏太くんの神滅具に宿っていて、あなたはその声を地上に下ろせることから二代目神の子に選ばれた。そして彼らをまとめる中心として神器症の治療や、魔王レヴィアタンと話していた眠りの病などの研究などをあなたは任されることになった」
「どっちかというと、俺からやらせて下さいとお願いしたんですけどね」
「あら、どうして?
「別に神の子だからとかそんな高尚な理由じゃないです。ただ知り合いの子どもが神器症にかかってしまって、それを何とかしたいと頑張ったら治療法を見つけられただけで、眠りの病も悪魔の友達がたくさんいるから事前に対策を立てられないかって思っただけですから」
全部自分がやりたいからやっただけ。そのやりたいことを叶えるためには、責任を負う立場にならざるを得なかった。困ったように笑う少年に、女神はなるほどと溜め息を一つ零す。だんだんとだが、倉本奏太という少年の厄介さを理解してきた。この子は優先順位を明確に決めている。そして、そのためならいくらでも労力を、協力を、自分自身を差し出すことさえ厭わない。
彼はその目指すべき目標の為なら、苛烈な決断だってしてしまえる。例えそれが己を削る選択だったとしても。
「あなたがラヴィニアちゃんとの関係を『変化』ではなく『継続』させることを選んだのは、彼女のためですね」
ピタリと笑顔が固まった。
「本来のあなたの性格なら、自分の恋情に気づいた時点で告白を選ぶ気概ぐらいあるでしょう。しかしそれをせず、見て見ぬふりをすると決めたのは逃げではなく、本気で彼女の為を思って待つと決めたから」
「…………」
「しかし、その選択は彼女が別の誰かと結ばれる可能性だってあります。だけど、あなたがその可能性を考えていない訳がない。奏太くん、あなたはそれすら受け入れる覚悟で『彼女の幸せ』を選んだのですね」
「……寿命が違うんです」
それは、溢れたものが零れ落ちた言葉だった。
「俺はいずれ人を終えます。ラヴィニアと同じ時間を過ごせないんです。もし結婚して子どもができても、家族の中で彼女だけが置いてかれてしまう。誰よりも孤独を怖がっていた彼女を、その家族が置いていってしまうんです」
この世界には寿命を延ばす方法ぐらいあるかもしれない。原作のように異種族に転生する方法だって知っている。だけど、それを強要するようなことだけはしたくなかった。だって、自分が一番人間を終えることを怖がっているのだから。
「それに俺の立場を考えたら、恋人らしくデートだって気軽にできない。組織のボスとして立たないといけないし、治療や研究のために時間だってあんまり取れない。立場上、話せないこともたくさんあるし、きっと我慢だってさせてしまう。一般的な恋人らしいことを、俺じゃあ彼女に与えられないんです」
今更、この道から外れることはできない。だから、感情で決めることができなかった。
「絶対苦労させてしまうとわかっているのに、俺を選んで欲しいなんて言えるわけないじゃないですか。俺にとってラヴィニアは、幸せに笑っていて欲しい大切な人なんです」
「彼女を幸せにするのが自分じゃなくても?」
「絶対に泣きます。後悔だって間違いなくします。ヘタレだ、意気地なしだって心底思います。それでも、
実際そうなったら、相棒の力を借りることになるかもしれないけど、と奏太は泣きそうな顔で笑ってみせた。その笑顔に、愛の女神もそれはもういい笑顔で返した。
「何ですか、そのジャパンの少女漫画に出てきそうな当て馬枠的な思考は」
「うえっ」
「あなたの言う通り、愛とは感情だけで決めるものではありません。果たすべき責任があることも確かでしょう。でもね、だからってせっかく芽生えたあなたの恋心を潰す理由にはなり得ないのです」
ゆっくりとした動作で立ち上がったフレイヤは、奏太の目の前まで進むと目線を合わせる様に少し屈む。目の前に突然現れた立派な双丘に、視線のやり場に困ってドギマギするしかない。そんな少年の困惑を面白がるように、女神はえいっと可愛らしい声を上げた。
「しかし、あなたの懸念も理解できました。なら、わたくしがその懸念ごと包み込みましょう」
ボフンッ、と突如柔らかな衝撃が顔に走り、先ほどまでの覚悟が吹っ飛ぶほどの肌色に奏太の思考は停止した。フレイヤは楽し気に豊満な胸に少年の頭を優しく押し付け、よしよしと黒髪を撫でつける。何が起こっているのかわからず完全に固まっている奏太へ向けて、女神の声はどこまでも温かかった。
「奏太くん、これはわたくしの持論よ。恋はね、理屈じゃないの」
「そ、れは…」
「もちろん、あなたの不安もわかるわ。だから、奏太くんの覚悟に水を差すことはしない。でも、約束してちょうだい。もしラヴィニアちゃんの幸せにはあなたが必要なんだと
突然の女神の暴挙に混乱していたが、どういう意味なのか分からないと戸惑いを瞳に浮かべる奏太に、フレイヤは教え子を諭すように告げる。
「あなたは真面目過ぎるわ。恋はね、甘いだけじゃないの。苦さも酸っぱさも、零れる涙すらも愛おしく思うものなのよ」
「……でも、辛い思いをさせたくないと思うのは」
「大切よ。だけど一番大切なのは、あなたがそれを忘れないこと。献身を当たり前だと思わないこと。苦労させるとわかっているなら、感謝と尊重を常に持ち続けなさい。それだけで不思議と疲れなんて吹っ飛んでしまうものなのよ」
「……感謝と尊重」
「何より、この女神フレイヤがあなた達の後ろ盾となりましょう。このわたくしが後方でしっかり見守りますので、安心してデートができます。それに魔王との事業提携を活発に行っていけば、あなたの治療行為への負担も減らせることでしょう。あなたが厭う全てをわたくしが切り払ってみせましょう」
えっ、と思わず顔を上げて、うっとりと色気全開のご尊顔を直視してしまい、再び胸に視線を向けるしかなく逃げ場がないことにあたふたする純情な少年を面白がりながら、フレイヤはポンポンと頭を撫でた。
「オーディン様にはわたくしが繋げましょう。そして、その結果に関わらず女神フレイヤは個人として、あなたとラヴィニアちゃんのことを応援させてもらうわね」
「いや、えっ、何で…?」
「わたくしが愛の女神だからです。というより、ここまできてお預けなんて耐えられないわ! 絶対に特等席で後方腕組みをしながら見守ってみせるから、相談があったらいつでもわたくしを頼りなさい!」
北欧に恋愛相談をぶつけたら、文字通り女神が自分から釣られに来た件。間違いなく北欧との関係的に大成功をおさめたはずなのに、保護者達の胃にまたダメージがいきそうな結果であった。ようやく胸から解放してもらえたことに安堵した奏太だが、女神さまにそんなこと畏れ多いですとでも言おうものならまたダイブさせると両手を広げだしたので口を噤むしかない。この女神、物理的すぎる。
「えっと、とりあえず話を聞いてくれてありがとうございました。少し…、いえ、だいぶ気持ちが楽になったと思います」
「わたくしが力になれてよかったわ」
「少なくとも、向き合うための心構えはできました。ラヴィニアを待つ気持ちに変わりはないけど、もっとちゃんと自分の思いについても考えてみます」
「そうねぇ。……もうさっさと押し倒されちゃった方が早いかも」
「えっ?」
一瞬、不穏な呟きが聞こえたような気がして首をかしげたが、女神さまのパーフェクトスマイルに誤魔化された。
「あと、さっきの俺の言葉は…」
「大丈夫よ、ラヴィニアちゃんにも、あなたの保護者の誰にも言わないわ。相談者のプライバシーを守るのは当然よ」
フレイヤからの配慮に、少年はホッと息を吐き出した。寿命の問題も、人を終えることも、相応の立場に立つ悩みも、本人や聖書側には言いづらいのは確かだ。ずっと蓄積して沈殿していた思い。聖書側は奏太にその道を選んでもらう他に選択肢がない状態で、言っても困らせてしまうだけなのは十分にわかっているのだろう。彼は謝罪や気遣いが欲しい訳ではないのだから。
ある意味、第三者であり恋愛相談が大好きなフレイヤでなければ、彼の本音は表にすら出てこなかっただろう。不器用過ぎる少年の恋心が無事に育つのを見守りながら、たっぷり甘酸っぱさを堪能しようと心の中で舌なめずりをする。しっかりとマタタビ効果もあって誑かされていた。
「まぁ、これで一件落着ってところか。元々の想定とはだいぶズレたけど、フレイヤ様の協力とオーディン様への繋ぎはできたんだし。……でも、何か忘れているような?」
《依木》
あれー、何だっけ? と本気で首を傾げる宿主へ、さすがに可哀想になってきた相棒が自ら神託を下した。
《しっぽ》
「……しっぽ? あっ」
「えっ」
この日、他者に無関心だった幼き神は憐れみという情緒を覚えたのであった。