えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第三十九話 牙

 

 

 

 俺の耳にまず入ったのは、テーブルを拳で叩く音だった。そこまで大きな音ではなかったが、沈黙が支配していた空間にはよく響いた。音の発信源に視線を向けると、八重垣さんが肩を震わせながら拳を握りしめている。彼の表情に浮かぶのは、怒り、悲しみ、信じていたものに裏切られたような泣きそうな顔。歯を噛み締め、溢れる感情を必死に抑え込もうとしている姿だった。

 

 クレーリアさんやルシャナさん達も、みんな顔色が悪い。中には涙を流す者もいた。ルシャナさんがクレーリアさんの肩をそっと抱き、それに彼女は無言で小さくうなずいている。明るい笑い声に包まれていた場所を塗りつぶす様に、重くて暗い空気が全体を包み込んでいた。こうなるってわかっていたけど、いざこの場面を見ると俺も辛い。それでも、彼らにはいずれ告げなければならないことだった。

 

「……以上が、みなさんに見ていただきたかったものです」

「ショウくん。写真に写っていた歩道橋は、やはりあの後…」

「はい、以前八重垣さんと出かけた時、紫藤さんに会いましたよね。その後、八重垣さんが去って、俺は紫藤さんが帰るまで隠れていたら、この密会を目撃してしまいました。バアル派の悪魔と教会が手を結んでいるところを」

 

 クレーリアさんたちにも説明するように、あの時のことを詳しく話しておく。紫藤さんと出会ったことを伝えることになるので、クレーリアさんから聞いていない、と言いたげな視線が送られる。隠していたこちらにも非があるので、頭を下げて謝っておいた。

 

 以前クレーリアさんと約束していたみんなが集まる機会。俺のことがあるので、表向きには悪魔稼業や進路の話し合いということにしてくれている。俺はそこで、証拠となる写真と音声を提示したのだ。

 

 写真を見たみんなは、教会と悪魔が話をしている様子に驚愕を表し、次に彼らの会話の内容に言葉を失っていた。ここにいる者たちが犯罪者として、悪魔と教会の体裁のために粛清される現実が見えてしまったからだ。いつも笑顔を浮かべていたクレーリアさんが、目をつぶって涙を堪えている。それが一番、俺の中で堪えた。

 

「なんで、なんでもっと早くこれをッ……! ――違うっ、ショウくんを責めたって意味がないだろう、僕。くそっ、なんで、なんでですかっ、紫藤さんッ!! そこまで、相容れないと自分で言った悪魔と手を組んでまで、クレーリアを受け入れてはくれないんですかッ!?」

「ははっ、まいったなぁ…。まさかこんなことになるだなんて。ごめんね、ルシャナ。みんなも、本当にごめんね。(キング)である私の所為で、みんなにまで……」

「違うわ、クレーリア! 私は、私たちは、あなたが王であることに後悔なんてしていないっ! あなたが裁かれるなんて、そんなのおかしいじゃない! だって、あなたはただ好きな人と一緒にいたいって思っただけで。本当にただ、それだけの気持ちでっ……」

 

 ルシャナさんはクレーリアさんに寄り添いながら、嗚咽混じりの声をあげる。俺は大きく息を吐き、そんなみんなを真っ直ぐに見据えた。そうだ、こうなるって最初からわかっていた。自分たちの思いを受け取ってくれない現実を知った彼女たちが、絶望する姿を。だけど、俺は彼女たちに絶望だけを知らせに来たんじゃない。

 

「悪魔たちによって、ディハウザー・べリアルさんにクレーリアさんたちがこの事を知らせることはできません。ここから逃げるにしても、教会と悪魔が手を組んでいる以上、八重垣さんやクレーリアさんたちの実力じゃ切り抜けることもできないと思います」

「……ショウくん?」

「俺は、ずっと考えていました。どうしたらいいのかってずっと悩んで、迷って、考え続けて、それでようやく答えを見つけられたんです。みんなを助けるためには、どうすればいいのかって」

 

 全員の視線が俺に向かっていることを感じながら、俺は力強く言葉を紡いでいく。みんなを助けるためには、クレーリアさんたちの協力が必要不可欠なのだ。だから、俺はこの記録を彼女たちに見せた。それでも立ってほしいから。生きることを諦めて欲しくなかったから。

 

「クレーリアさんたちにできないのなら、俺が代わりにやればいいんだって思ったんです。悪魔や教会にマークされていない俺なら、ディハウザー・べリアルさんにこのことを伝えることができます。みんなを助けてほしい、ってお願いをしに行くことができるって気づいたんです」

「キミが、皇帝へ?」

「まっ、待って、ショウくん! これは私たちの問題なんだよ!? あなたをそんな危険に巻き込む訳にはいかないし、そこまでしてもらう必要なんてない! だって、ショウくんは子どもで、人間で、魔法使いで――」

「そして、みんなの友達です」

 

 クレーリアさんの言葉の後を繋げるように、俺は笑って言った。やっぱりクレーリアさんたちなら、危ないから関わるなって俺に言うと思っていた。だけど、そんな気持ちでいてもらったら俺が困る。俺はもうこの事件に関わる気で準備をしてきたのだ。面と向かって言うのはちょっと気恥ずかしいけど、それでも俺はクレーリアさんたちと目を合わせながら口を開いた。

 

「さっき言いましたよね、俺も悩んだって。だけど、もう俺の中で答えは出ているんです。俺はこれからも、みんなと一緒に笑っていきたい。クレーリアさんとレーティングゲームの試合をまた見たいです。八重垣さんとおしゃべりしたり、また買い物をしたいです。ルシャナさんや眷属のみんなと二人のバカップルっぷりに呆れながら、またかって笑い合いたいです」

「……そのためにキミは、本来関係のない僕たちの問題に関わるっていうのかい」

「はい、そうです。危ないのは承知です。自分でも、バカだなって思います。だけど、賢く生きることがここから逃げることだっていうのなら、俺はバカでいいです。俺は友達を見捨てたくない。みんなを助けたい。だったら、そのためならちょっとぐらい無茶をすることになったって、俺は精一杯に頑張りたいと思ったんです」

 

 俺の声がどうか届いてほしい。伸ばした手を握ってほしい。絶望や憎しみなんかで、彼らの気持ちが終わってほしくなんてない。

 

「俺は弱いし、どうしようもないし、バカだけど、それでも俺にできる全てで立ち向かいます。みんなでそんな風に力を合わせて頑張れば、『皇帝べリアル十番勝負』を一緒に笑って見れると思ったんです。だから、そのために、えっと…、えーと。……おっ、俺をどうぞ盛大に巻き込んでくださいッ!」

 

 あっ、なんか最後失敗したような気がする。ルシャナさんがズルッと肩を落とした気がした。羞恥心故に、もう一回やり直してもいいかなと考えていたら、クレーリアさんが俺に向かって飛び込んできた。本気でビックリした。俺を抱きしめるように腕を回すので慌てたが、彼女が俺の肩で泣いているとわかったので、前にクレーリアさんが俺にしたようにポンポンと頭を優しく叩いた。

 

 八重垣さんへ助けを求めるように視線を向けるが、彼は仕方がなさそうに笑って、俺の髪をぐしゃぐしゃに撫でてくる。意味がわからない。正直クレーリアさんにいきなり抱きつかれて、初対面の時のように八重垣さんから怒られるんじゃないかって冷や冷やしていたんだけど、そんな様子もない。

 

 不思議に思いはしたが、先ほどまでの憎しみや怒りに染まっていた彼の表情がなくなったのは少しほっとした。いつもの八重垣さんに戻っている。クレーリアさん同様に、彼も笑っている顔の方が似合うからな。それからクレーリアさんが落ち着くのをみんなで待ち、俺はこれからのことについて話し始めたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「メ、メフィスト・フェレス様やタンニーン様にまで? しかも、お兄様の十番勝負にエントリーまでさせるだなんて」

「あっ、このことはもちろん内緒ですからね」

「わかってはいるが、なんというか…。ショウくん、よくそんなこと考えたね」

「人脈の幅がとんでもありませんね」

 

 アザゼル先生についてはさすがに話せなかったけど、メフィスト様が今回の事について知っていること、そしてタンニーンさんに仲介役をお願いしていることを三人には話した。他の眷属のみなさんは、別室でこれからのことについて作戦会議をしている。さすがに事が事なので、協会の介入を知る人は少ない方がいい。それに、これから話す内容も公にしたらまずいだろうからな。

 

「教会の様子も伺っているんだよね」

「あっ、はい。俺と契約してくれた……(おとこ)()に」

「今何かニュアンスがおかしくなかったか?」

 

 だって、他にどう表現しろと。

 

「そういえば、八重垣さん。今回の教会の勢力って、今駒王町にいる人たちだけですか? 援軍が来たりする可能性とかは」

「援軍はおそらく来ないだろう。僕とクレーリアたちを粛清するのに、今の戦力だけでも十分すぎる。特に紫藤さんは聖剣を持つことを認められた、歴戦の剣士だ。僕も正直、彼に勝てるかどうか…」

 

 聖剣。そういえばこの時代にあったな、聖剣。悪魔側のことに集中しすぎて、うっかり忘れていた。危ない危ない。確か原作で、幼い頃のイッセーとイリナの写真に、聖剣も一緒に写っていたのだ。そこから、木場祐斗さんの復讐心が甦って、聖剣を巡る騒動に発展したという展開だったと思う。

 

 聖剣は魔の者に対して強い効果を表す武器だ。悪魔は触れるだけで肌が焼かれ、さらに聖剣で切られたら魂すら消滅させてしまうらしい。まさに悪魔の天敵というべきものだろう。教会の人間が魔の者と戦う上で、重要な兵器の一つとされていた。

 

 そんな力があるのなら、みんな聖剣を使うだろう。だけど、聖剣は数が少ないし、使う者を選ぶ。聖剣を扱うにはその因子が必要で、原作ではこの因子を巡って虐殺まであったほどだ。紫藤トウジさんは、希少とされる聖剣の因子を持った人間である。この時代じゃ、人工聖剣使いはまだ作れないだろうからな。実はすごい人だったんだな、紫藤さんって。

 

「その聖剣って、エクスカリバーみたいな?」

「さすがに、そんな伝説級の聖剣じゃないよ。でもあれは、夢幻の聖剣(エクスカリバー・ナイトメア)をイメージして作られたレプリカだ。本物ほどの力はないけど、幻術やフェイントが使えてね。紫藤さんの腕も合わさって、厄介極まりなかったよ」

 

 原作では戦っている姿を見ることがなかったけど、彼はミカエル様のエースに選ばれる紫藤イリナの父親なのだ。弱い訳がない。八重垣さんも剣士としての腕なら拮抗しているみたいだけど、聖剣の能力を使われたら厳しいらしい。

 

 うわぁ、やだなぁー。絶対に戦闘なんてしたくないぞ。紫藤さんだけでもやばいのに、さらにエクソシストの仲間が何人もいるのだ。悪魔だけでなく教会と戦わないためにも、粛清が起こる前に解決させないといけないな。話し合いで終わるのが一番だ。

 

「うーん、さすがは正臣の上司さんね…」

「八重垣さん、紫藤さんに弱点とかってないんですか?」

「紫藤さんの弱点かぁ…。えーと、親バカ? いや、これはさすがに……。去年の教会の忘年会で、夜の街のエロ談議が始まって、女体の神秘についてすごくいい顔をしながら熱く語っていたから、……エ、エロ関係に弱いとか?」

 

 そんな反応に困る弱点を言われたって、こっちも困るよ。あと忘年会で何をやっているんですか、教会の方々。

 

 

「えっと、それじゃあ私は手紙をお兄様に書けばいいってことかな。正直、お兄様に迷惑はかけたくなかったんだけど…」

「クレーリア」

「わかっているわよ、ルシャナ。これ以上我が儘は言いません。何より、ショウくんがここまでやってくれているのに、私が意地を張っている場合じゃないもの。本当に情けなくて、申し訳ないけど、これが私にできることだもんね」

 

 教会についてはまた考えることにし、今はやれることをやることになった。俺はまず、クレーリアさんにディハウザーさんへの手紙をお願いした。いきなり見知らぬ俺が説明するより、彼女からの手紙ならより説得力が増すと考えたのだ。それにクレーリアさんは了承し、べリアル家の紋章の入った便箋をルシャナさんに持ってきてもらっていた。彼女は八重垣さんやルシャナさんにアドバイスをもらいながら、書き始めたようだ。

 

 その様子を眺めながら、俺は次に彼女へどう切り出そうか悩んでいた。俺は今回の件に古き悪魔たちの思惑が絡んでいることを知っている。メフィスト様からも、クレーリアさんが彼らに消されなければならない何かを握っている可能性がある、と教えてくれた。彼女からそれを上手く引き出して、皇帝へ俺は伝えないといけないのだ。悪魔の駒の秘密を。

 

 

「クレーリアさん、さっきメフィスト様にも今回の事を相談したって言いましたよね」

「え、えぇ。今そう聞いたけど、それがどうしたの?」

「その時、メフィスト様が言っていたんです。今回の悪魔側の……バアル派の悪魔の対応はおかしいって」

「おかしい? どういうことだい」

 

 八重垣さんが目を瞬かせながら疑問を口にし、クレーリアさんとルシャナさんも同じ気持ちなのか、作業の手を止めて俺を見つめる。原作の知識と今までの状況をすり合せながら、俺は慎重に続きを話した。

 

「べリアル家への対応が、一切されていないことにです。クレーリアさん、確認しますが、今回の事をべリアル家はまだ知らないんですよね」

「うん、私からはまだ伝えていないわ。バアル家から伝わってもいないみたいだし」

「だったら、たぶんべリアル家にこれからも伝わることはないでしょう。もしこのままクレーリアさんを、バアル派が消したとします。そうなったら、べリアル側はどうしますか」

「……事実確認をまず求めるでしょう。特に、ディハウザー様なら確実に」

「そこで、バアル派はなんて答えそうですか?」

「八重垣さんとの恋愛の粛清、いえ、もしかしたら詳しいことは教えられないかもしれませんね。ここはバアル家の土地ですし、悪魔は汚点を嫌います。曰くつきの土地だと広めたくはないでしょう。べリアル側もバアル側と事を大きくしないようにするかもしれませんが、……ディハウザー様はそれで納得されるでしょうか」

 

 そう、悪魔や教会が最も危惧しているはずのディハウザー・べリアル。その対応が、あまりにもなおざりなのだ。原作でも思ったが、古き悪魔たちは「クレーリアは死んだ」としか答えなかったみたいだし。クレーリアさんが罪を犯して、戦争に発展したらまずいから粛清しました。そっちが悪いんだから文句言うなよ、ってそんな対応マジかよ。彼が不信感を抱くのは当たり前だ。

 

 いくら大王バアル関係だとしても、べリアル家が一切介入しないで、勝手に子女を粛清しちゃっていいのかよ。悪魔社会の体裁を守るためならなおさらだ。しかも彼女たちを説得するという時間まであった。時間がなくて、すぐにでも戦争に発展するかもしれない危機だったと言うのなら、まだ納得できる要素はあったかもしれない。だけど、そうではなかった。

 

 本当にべリアル家が介入して戦争に発展してほしくないと考えるのなら、事前に魔王へ言っておくべきだろう。魔王を介して、クレーリアさんのことを説得するようにディハウザーさんに言えたはずだ。なんで事後に、サーゼクス様にだけ報告しているんだよ。ディハウザー・べリアルを警戒しているという癖に、どうして対応を今までの事例と同じ扱いにしているんだ。特例は作れない、のだとしても相手は皇帝の従姉妹だぞ。これじゃあ、皇帝なんて実は歯牙にもかけていないって対応だ。

 

 ……いや、実際に歯牙にもかけていなかったのだろう。彼から不信感を抱かれようと、古き悪魔たちにとっては痛くもかゆくもなかった。彼には自分たちを脅かす力はない、と侮っていたのだ。いくら皇帝でも、冥界の重鎮である自分たちへ刃向うことはできない。そんなことを根底に思っていたから、彼に原作のような対応ができたのだろう。自分たちの威光で、今までと同じように皇帝を抑えられると勘違いしてしまったのだ。その結果が、原作での皇帝の復讐へと繋がった。

 

「教会や悪魔が、ディハウザーさんの介入を恐れているのは音声にも録音されています。だけどそれにしては、悪魔側の対応はディハウザーさんを、べリアル家を蔑ろにしすぎです。まるで……例えべリアル家から不信に思われても、クレーリアさんを排除したいという感じに見えました」

「そんなこと、それにどうして私が……」

「俺の聞き間違いかもしれないですけど、バアル派の悪魔があの時に言っていたような気がするんです。『これで、駒について知る邪魔者がいなくなる』って」

 

 俺の話に困惑をずっと浮かべていたクレーリアさんの表情が、『駒』という単語を聞いた瞬間、明らかに反応が変わった。そこにあったのは、驚きと納得と怒り。そんな彼女の様子に、八重垣さんやルシャナさんも気づいたのだろう。疑問はあると思うけど口を挟まず、静かに成り行きを見守っていた。

 

「……心当たりが、あるんですね?」

「えぇ、冥界では都市伝説程度の扱いだけどね。だけど、もしそうなら……許せないっ! こんな方法で、こんなやり方で、正臣や私の眷属、お兄様やショウくんまで巻き込ませるなんてッ!」

 

 いつも笑みを浮かべていたクレーリアさんの激昂に、心臓がビクッと跳ねたような気がした。傍にいた二人も目を白黒とさせている。だけど、原作での展開を知っている俺にしてみれば、彼女の怒りは当然のことのように感じた。

 

 クレーリアさんは、ずっと八重垣さんを好きになったことでみんなに辛い思いをさせてしまっていることに悩んでいた。八重垣さんを好きでいたい。だけど、それでみんなに悲しい顔をさせてしまう自分を責めていた。悪魔の社会にとっても、自分の行いによってディハウザーさんや、土地を貸していただいているバアル派の悪魔にも迷惑をかけてしまっていると。それでも彼女は明るく笑って、みんなを元気づけてきた。いつか受け入れてくれると信じて、自分の思いを伝え続けていたのだ。

 

 それなのに、彼女の葛藤など古き悪魔たちにとっては意味のないものだった。自分たちの悪魔社会への利権のために、今回の件が使えそうだからと利用しただけに過ぎなかった。悪魔社会の体裁を守るためと言う看板を掲げ、彼らはクレーリアさんを消そうとしている。彼女が大切にしている八重垣さんや眷属のみんな、ディハウザーさんも巻き込んで。悲恋という悲しい結末で、自分たちの都合のいい欲望を隠そうとしたのだ。

 

 さぁ、ここからだ。古き悪魔たちに食い込ませられる牙を作れるかどうか。それによって、ディハウザーさんに託せる手札が変わってくる。クリフォトが彼に渡した内容ほどの情報は得られないかもしれないけど、悪魔たちに危機を感じさせるほどの情報は欲しい。それがきっと、彼女たちを救う切り札になってくれるはずだから。その鍵を持っているのは、クレーリアさんだけだった。

 

 俺は早鐘を打つ心臓を、深く息を吐くことで収めるようにする。自分にできる全てで立ち向かうためには、怖気づいてなんていられない。クレーリアさんの持つ鍵を受け取って、それをディハウザーさんに手渡せるように、俺は意を決して口を開いたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 美しいステンドグラスが輝き、そこから入り込んでくる淡い光が神秘的な雰囲気を作り出す。神聖さを感じる荘厳な建物であるが、それでありながら迷える子羊を受け入れるような温かさも持っている。木で作られたベンチが均整に並び、大きな十字架の石像が訪れる者たちを祝福するかのように佇んでいた。そして今日も一人、教会に足を運ぶ一人の子羊というには巨体であるが、そんな感じの人物が現れたのであった。

 

 この教会で牧師を務める聖職者、紫藤トウジはその人物が現れた瞬間、思わず冷や汗が流れた。相手に敵意はない。むしろ、純粋で澄んだ目をしている。しかし、その異様なまでの雰囲気と存在感が彼に緊張を強いていた。それでも紫藤トウジは深呼吸を一度し、笑顔でその相手を迎え入れたのであった。

 

「これは、これは。いったいどのような用件でこの教会へ来られたのでしょうか?」

「ミルたんには悩みがあるにょ。その悩みを聞いてもらいに来たにょ」

「ミル、にょ……、そ、そうですか。迷えるこっ、子羊に救いの手を差し伸べるのが私たち神の信徒の務め。微力ながら、お力になりましょう」

 

 鍛え抜かれた筋骨隆々な大男に、いったいどんな悩みがあるというのか。彼が着ているTシャツの悲鳴の方が聞こえてきそうだが、紫藤トウジは牧師スマイルで全力でスルーする。悩みを持ちし巨漢――ミルたんは、教会のベンチに座り、静かに祈りを捧げだした。

 

 存在感はすごいが、真摯なまでに強い思いを感じるその祈りに、紫藤トウジも「ほぅ」と感嘆の息を溢した。彼が真剣な気持ちで祈りを捧げているとわかったのだ。それに彼は先ほどまでの己を恥じ、これほど真っ直ぐな願いを持つミルたんに寄り添うことを選んだ。選んでしまったのであった。

 

「さぁ、ミルたんさん。あなたは己の内にある悩みを晴らしに、この教会へ訪れたのでしょう?」

「そうだにょ。悩みがあって教会に来たんだにょ」

「ふむ、いったいどのような悩みなのですか?」

「教会は神様や天使様に繋がっていると聞くにょ。そして、神様はミルたんたち人間を創造し、育み、愛を与えし存在だと聞いたにょ」

「そうですね。我らはみな、神の子です。それ故に私たちは神を敬い、そして応えていかなければいけません」

「だからわかったにょ。ミルたんの悩みを解決できる手がかりは、教会だとわかったんだにょ」

 

 ミルたんからの確信的な言い方に、紫藤トウジは真剣な目を向けた。教会でなければ解決できない悩み。それほどの強い思いを持って、彼はこの教会を訪れたのだ。ならば、それに応えることこそが自分の役目である。神の信徒として、立派に役目を果たして見せよう! 妄想スイッチも入った紫藤トウジのやる気は燃え上がった。

 

 そんな彼をしり目に、ミルたんは奏太との会話を思い出していた。彼からのアドバイスは、実に的を射ているとミルたんは感じたのだ。彼の願いはただ一つ、魔法少女になることである。そして、奏太のおかげで同士を得ることができ、魔法少女への一歩を確実に進むことができただろう。しかし、まだまだその道のりは長いものである。

 

『えーと、ミルたん。ミルたんの願いは魔法少女になることだよな。だったら、魔法少女の『魔法』の部分は今俺の方で対応しているから、どうせなら教会には後半の部分をお願いしてみたらどうだろう?』

 

 そんなミルたんのためを思って考えた奏太の思いつき(やらかし)が、今教会に降りかかろうとしていた。

 

 

「牧師さんお願いにょ。ミルたんを少女にしてほしいにょッ!」

「ぶぅッ!?」

 

 あまりの無茶ぶりに、紫藤トウジは噴いた。奏太はさらっと一番大変な部分を教会に押し付けていた。人体の神秘についてなら、まずは神様関連から当たってみたらどうだろう、という軽い気持ちで言った奏太の言葉は、ミルたんを納得させたのだ。そして、教会に真剣な悩み相談として持っていかせてしまったのである。

 

 この日から、悪魔と教会による粛清の舞台裏で、「少女になりたい」という真摯な願いを持って現れたミルたんによる、牧師紫藤トウジの受難の日々も同時に始まったのであった。

 

 


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