えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第四章(下) 教会編
第五十七話 ベリアル


 

 

 

「ルシャナー。ほらほら、もう行くよ! 早く学校に行って、すぐに家に帰って、お兄様のご様子を聞かないといけないんだから!」

「すぐに家へ帰るのは理解できるけど、早く学校へ行く必要性とは関係ないと思うわよ」

「うっ、いつも通りの冷静なツッコミね…」

 

 灰色の髪を櫛で整えながら、クレーリア・ベリアルは忙しない様子で自身の女王へ声をかけた。それに呆れた声音で、ルシャナはクレーリアが気づいていなかった彼女の制服の折れ曲がりを直しておく。駒王学園に行くには、まだ早い時間であることは事実であるため、クレーリアは一度息を大きく吸って、自身の焦燥を落ち着かせるように心がけた。

 

「ふぅー。それにしても、さすがはルシャナね。私なんて、昨日はなかなか寝付けなくて、それでいて早起きしちゃって目も冴えちゃったのに」

「……私だって、不安はあるわ。でも、私たちはいつも通りの行動を心掛けなくちゃいけない。ディハウザー様が行動を起こされることを、本来の私たちは知らないことになっているんだから」

「そう、よね。私たちはお兄様が今日ストライキを起こすって、知らないのよね。決行はお昼ぐらいになるはずだったし、私たちが学校を休んでいたら不自然だから…」

「えぇ、だから八重垣さんも放課後にここへ来るはずよ」

 

 また、念のためここ数日、クリスマス前ということで二人ほど悪魔の仕事の精選を装って、家で待機してもらっている。もしものための連絡係であるが、何も起こらないことが一番であろう。予定では、魔王と大王の会談は午後に行われるはずなので、クレーリアたちが帰る頃にはストライキがすでに始まっていることだろう。

 

 全てはディハウザー・ベリアルの独断によって起こる事象とされ、彼はレーティングゲームの関係者以外に事実を伝えていないことになっている。アジュカ・ベルゼブブからの証拠を架空の旧魔王派の仕業とし、それを古き悪魔と魔王に突き付けるという……知っている側からすると、すごいマッチポンプである。皇帝側は駒王町のことを旧魔王派から教えられていることになっているが、彼らに見張られている駒王町側と連絡を取る訳にもいかなかった。

 

 

「……ベリアル家のご当主様には、すでにディハウザー様から今回のことを話されているのよね?」

「うん。ほら、ベリアル家はバアル派寄りの派閥に入っていたじゃない? その関係で、私も駒王町の管理者を任せてもらえていたから。でも、これからのことを考えると、それも難しくなるだろうからって。……本当に私、色んな人に迷惑をかけちゃったよね」

 

 クレーリアは、人間界に留学へ行く前のことを思い出す。冥界からの見送りの際、ベリアル家総出で自分を送り出してくれたあの日。親戚一同が祝福して、頑張って来いと背中を押してくれた。そんな風に応援してくれたみんなの思いを、自分の思いのために裏切ってしまったかもしれない、と彼女はずっと考えていたのだ。

 

 八重垣正臣と出会ったことに後悔はない。彼を好きになったことだって、偽りのない自分の本心だ。誰かを好きになる心を間違いだとは思わない。だが、聖職者である人間を好きになってしまったことへの後ろめたさだけは、ずっと持ち続けていた。社会的に間違っているのは、きっと自分たちの方なのだろう、と頭の中ではわかっていたから。

 

 クレーリアがベリアル家に八重垣正臣のことを伝える勇気を持てなかったのは、みんなに迷惑をかけてしまうという罪悪感。そして、家族からも否定されたら…、という恐怖があったからだ。正臣が仲間たちから糾弾される姿を見て、連絡を取る手が震えてしまった。しかし、もしもっと早く伝えていたら、何かが変わっていたのかもしれない。そうしたら、こんな大事にならず、大切な友だちを危ないことに巻き込まずに済んだかもしれない、と何度も思った。

 

「あなただけの責任じゃないわ。私も、あなたの女王として至らない部分があったもの。人間界へ行く幼馴染を支えるって、ベリアル領のみんなに言っていたのに、情けない限りだわ」

「ルシャナがいなかったら、私はもっと大変なことになっていたと思うよ。でも、……ふふっ」

「クレーリア、どうしたの?」

「ううん、ごめん。私って、すっごく恵まれていたんだなぁー、って改めて実感しただけ」

 

 『お前が無事でよかった。後は任せなさい』と、古き悪魔たちに気づかれないように使い魔ごしに送られた短い手書きの手紙。ディハウザーからの話で全てを知ったベリアル家が、クレーリアへと伝えた意思。それに彼女は、今まで気丈に張っていた肩を震わせ、声が枯れるぐらい泣き続けた。クレーリアのために、ディハウザーのために、ベリアル家の一族は一丸となって、古き悪魔達と戦うことを決意してくれたのだから。

 

 それで今の高い実権を持つ立場から、降ろされる可能性もあるだろう。今ある財だって、減ってしまうかもしれない。古き悪魔達は、それだけ冥界に影響力を持っているのだから。しかし、そんなクレーリアの心配は、『節約料理はベリアル家の得意分野よ。今度野草のフルコースを用意してあげるからね』という、一緒に同封されていた自身の母からの自信満々の字に、数秒ほど固まってしまった。ちなみに冥界の節約レシピの技術は、ベリアル産なのが多かったりする。

 

 ベリアル家は、元々貧乏貴族だった。下手したら、断絶していたかもしれないほどにギリギリの財政状況だった過去がある。だからこそ、ベリアル家は一族と領民のみんなで力を合わせて家を盛り立て続け、ベリアル家と領土を死守してきたのだ。そんなベリアル家に、ディハウザーという魔王級の悪魔が生まれたことで、ようやく財政は回復し、豊かな生活を手に入れることができた。しかし過去の名残は今でもずっと残り、親戚一同同じ家に住み、領民と共に過ごしてきたのだ。

 

 だからこそ、彼らは立ち上がれた。そんなようやく手に入った豊かさよりも、彼らが選んだのは家族の命だったから。それは、共に手を取り合ってきた領民も一緒に。

 

「すごく格好いいお兄様に、優しい一族と領のみんな、私を思ってくれる恋人や友だちや眷属。そして、人間界に行く私を助けたいからって、眷属にまでなっていつも私を心配してくれる大切な幼馴染もいる。ほら、恵まれているでしょ?」

「クレーリア…」

「だから、私は頑張れる。最後まで、笑うことができる。いつか絶対にみんなからもらった恩を何倍にしても返すんだって、何度だって立ち上がれる」

 

 今回の件で、多くのヒト達に迷惑をかけてしまった。だからこそ、もう止まることはできない。もしかしたら、冥界を追放される可能性だってあるだろう。もう家族に会うことはできないかもしれない。これから、自分がどうなるのかという未来すら不透明な状態。それでも、歩みを止めることはしない。自分が決めた道を歩くのをやめてしまうことが、背中を押してくれたみんなへの本当の裏切りになってしまうとわかったから。

 

 そして、希望を捨てずに、諦めずに最後まで頑張ることで開ける道があることを、小さな友だちに教わったのだから。

 

 

「それに、昨日正臣からもらったプレゼント(お守り)もあるしね。心強い限りだよ」

「……今日だけは大目に見てあげるけど、ネックレスは校則違反じゃなかったかしら。留学生や訳ありが多い学園だから事情によっては許可をもらえることはあるけど、さすがに今日すぐには無理でしょう。見えないところにしまっておかないと、せっかくのプレゼントを生徒会に没収されるわよ」

「ああっ!? 危ないっ! 昨日から嬉しすぎて、ずっと首にかけたままだったよ!」

「私の(キング)はいつになったら、落ち着きをもってくれるのかしらね…」

 

 ネックレス片手に慌てる王を見ながら、女王は溜息交じりに肩を竦める。それと同時に、気づけばいつも通りのぐだぐだな空気になっていることに、自然と微笑みが浮かんでいた。仕方がない、とルシャナは自身の記憶を頼りに、リビングの引き出しを開く。そこから小さな巾着袋と紐を取り出すと、それを持ってクレーリアの下へと戻った。

 

「ほら、この袋の中に入れたら、お守りらしくなるでしょ。これなら首からかけていても、大目に見てもらえると思うわ」

「わぁ、ありがとう! さすがは、ルシャナだね。……念のため、制服の中に隠しておこうっと」

「確か、奏太くんのおかげで本当にお守り的な効力もあるのよね?」

「うん、そのはず。だから時期的にはちょっと早いけど、正臣からクリスマスプレゼントとしてもらえたんだ」

 

 少しの間、クレーリアは邪魔にならないように灰色の髪を前に流し、後ろに回ったルシャナは紐の長さを調整しておいた。このネックレスは、大切な自衛手段の一つでもあるため、クレーリアはできるだけ身に着けておくべきだろう。

 

 クレーリアは一度お守り袋を手に取り、じっくり眺めるとほのかにだが温かみを感じる。それがみんなから勇気をもらっているようで、それにくすぐったい気持ちになった。胸の前でお守りをぎゅっと優しく抱きしめた後、そっと制服のベストの下へと入れた。

 

 

「さて、そろそろ行こっか、ルシャナ。明るく、元気にね!」

「ふふっ、そうね。……そうだわ、せっかくなのだし、今日の夕飯は少しだけなら豪華にしてもいいかも」

「えっ、本当に!? 何を作るの?」

「さてね、お楽しみよ」

「えー」

 

 小豆色のスカートを翻しながら、灰色の髪の少女は頬を膨らます。それに目を細めた金色の少女は、口元の笑みをそっと手で隠しながら肩を小さく震わせた。二人の少女は内にある逸る気持ちを抑えながら、駒王学園へと足を進めたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「ベリアル家ってどうなっているんだ? 事情を話した途端、バアル家に殴り込みに行きそうになったって聞いたが、……本気で何を考えているんだ?」

「ビ、ビィディゼ。明け透け過ぎよ…」

 

 原作でバアル家に殴り込みした男(ビィディゼ・アバドン)は、呆れたように肩を竦める。それにロイガン・ベルフェゴールは冷や汗を流しながらも、否定しないところに彼女の本心が見えた。ストライキをすることで、ディハウザーは古き悪魔たちと対立することは決定事項だ。それはベリアル家も影響を受けるだろう。故に、ストライキを行う数日前に、ディハウザーはベリアル家に事情を説明しに行くことを決めていたのだ。

 

 実家へ帰る時の皇帝はどこか表情が硬いように感じていたが、二人はそれを無言で見送った。普通に考えれば、皇帝の独断はベリアル家に多大な不利益を及ぼす可能性がある。今の実権を守るために、古き悪魔たちと敵対する意思を見せる皇帝を糾弾してもおかしくない。今更家族に否定されたからと皇帝が止まるとは思えないが、それでも彼と一蓮托生する決意をした二人としては、不安事は少ない方がいいとは思っていた。

 

 しかしそんな心配は、皇帝からの通信で一気に吹き飛んだ。

 

「アバドン殿、ベルフェゴール殿、すまない。その、二人に頼みたいことがある」

「謝罪ということは、ベリアル家当主との話し合いは失敗したということか?」

「いや、その……逆に成功しすぎたというか。やる気が十分すぎるという感じでね」

 

 珍しく歯切れの悪い皇帝の答えに、双璧(ツッコミ二名)は無言で目を合わせあう。あっ、これめんどうなやつだ、と以心伝心してしまった。なんで成功と失敗の二択しかないはずの選択肢の中で、第三の選択肢を突き抜けてくるんだ。

 

「ベリアル家のみんなや領民も、全面的に手伝ってもらうことになったんだ。それで、彼らにできそうな仕事の精選や、古き悪魔たちに動向がバレないように、キミたちの協力が欲しくてね」

「……何がどうしてそうなるの」

「おい、さすがに領単位の隠蔽とかしんどいんだが。なんとかならないのか」

「……その、すまない。たぶん大人しくしていてくれと言ったら、バアル家に殴り込みに行きかねないんだ」

「貴公のところの一族と領民は、どうなっているんだ!? 悪魔としての常識をもうちょっと大切にしないかッ!!」

 

 原作で冥界よりも保身に走った男(ビィディゼ・アバドン)は、通信越しに悪魔貴族としての常識の尊さを語るが、皇帝は爽やかに笑い返した。謝っているが、ちょっと嬉しそうな様子が弾んだ皇帝の声でわかる。横で二人の様子を見ていたロイガンは、なんかもういいやと少々開き直ってきていた。

 

 

 

 遡ること数時間前。ディハウザーは半日ほどの有給休暇を取り、久しぶりにベリアル領へと足を運んでいた。毎年年末は、皇帝としてレーティングゲームに参加するため早い時期に一度帰省することがあった。そのため、皇帝が自領へ帰ることを、周りから不審に思われることはないだろう。

 

 ただ、いつもならもっと前に帰省の時期を家族へ連絡していたのだが、今回は準備などがあったため、急な頼みとなってしまった。そんなことで実家に気を遣うな、と父から言われているが、ストライキを行うことを話す手前、彼の心には靄のようなものが静かに広がる。今更止まることはできないが、それでも不安は少しずつ沈殿していたのだ。

 

 ディハウザーがこれから起こす行動は、彼一人だけの影響で終わるものではない。結果的に一族を巻き込んでしまうことに、申し訳なさと罪悪感が胸に残る。ディハウザーがレーティングゲームの世界へ入ったのは、困窮していた一族や領民を救いたい、という思いがあったからだ。

 

 戦闘が苦手だったベリアル家の中で、魔王級という実力を持つ自分が生まれたことに、何か意味があるんじゃないのか。この力でみんなを幸せにできるのではないか、とそれがレーティングゲームを始めた彼の最初の原動力になっていた。一族の復興のために、そして自身の夢のために、ディハウザーは自らこの世界に足を踏み入れたのだ。

 

 それなのに、今からディハウザーは、自分のために一族や領民に迷惑をかける。己の力では、全てを守ることはできないから。そんな自分の無力さや悔しさに、血が滲むほど拳を握り締めた。

 

 

 それから年末の挨拶に来た、という名目でベリアル家に顔を出したディハウザーは、ベリアル家当主である父にレーティングゲームの事情を話した。さすがに王の駒や奏太のことは話せなかったので、ロイガンたちに話した表向きの理由と運営の不正を知ったクレーリアの粛清のことだけを語る。迷惑をかけることへの申し訳なさに頭を下げるディハウザーに、話を聞いた当主は朗らかに笑ってみせたのだ。

 

 それから起こったのは、「ちょっとバアル家に話をして来る」と突然立ち上がった父を、慌てて羽交い絞めにして止める息子の図の完成である。その時の物音を不思議に思い、どうしたのかと部屋に入った母親は、ハッスルする親子を見て、動転して周りへ助けを求める。結果、親戚一同がベリアル家本邸で暮らしているため、全員集合。一族の結束力に、皇帝は色々な意味で涙が出そうになった。

 

 その後、ベリアル家当主を羽交い絞めにする事情を話さない訳にもいかず、親戚の一部とクレーリアの両親には残ってもらい、旧魔王派から聞いたことになっているクレーリアとレーティングゲームの情報を改めて伝えたのだ。その後、「バアル家に行くぞー!」と全員が立ち上がった時は、皇帝の実力を遺憾なく発揮してなんとか沈める。今までの悪魔生で、五指に入るほど疲れた、と後に彼は語った。

 

 

「ディハウザー、やっぱり危ないわ。冥界の重鎮に逆らうなんて、何もあなたが矢面に立たなくても…」

「母上、申し訳ありません。ですが、これは私にしか…、いえ、私がやりたいと思ったのです。危険なことはわかっています。それでも、私は――」

「……あなたは、いつもそうね。いつも誰かのために、自分が傷つくことなんて二の次で」

「カリファ、ディハウザーは……」

 

 目を伏せて気持ちを吐露する母に、父は口を開きかけ、静かに閉じた。ディハウザーがレーティングゲームへ参加することを、妻は最後まで反対していた。一族のために、ゲームとはいえ傷つく息子を見たくなくて。それでも、陰ながら息子を支え続けてきた。しかし、今回の件は今までとは違う。それは、ここにいる誰もがわかっていた。

 

「……私は母上にとって、親不孝な事ばかりしていますね」

「えぇ、本当に。困った息子よ。危ない事、ばっかりして」

「…………」

「ゲームの時とは、何もかも違う。だからこそ、……今回は私たちも一緒に戦えるわ」

 

 ディハウザーは、その言葉に目を見開き、俯いていた顔を勢いよく上げる。そこには、愛おしそうに、仕方がなさそうに、泣きそうな顔で笑う母の顔があった。

 

「あなたは一度決めたことは、絶対に曲げないのだもの。だから、いくら私が止めたって、真っ直ぐに突き進もうとするわ。レーティングゲームでは、私たちがあなたにできることなんて、何もなかった。あなたからの施しを受け取るしか、私たちにはできなかった」

「そんなことはありません! ベリアル家のみんなが応援してくれたから、母上達が身を削って私を支えてくれたから、私はここまでやってこれたのです!」

「でも、戦うのはいつもあなた一人だったわ。あなたの姿に誇らしくもあり、苦しくもあって。それでも、あなたのおかげで、ベリアル家は救われてきた」

 

 カリファ・ベリアルは、息子の前まで真っ直ぐに歩くと、そっとその頬を優しく包んだ。

 

「だから、今回はベリアル家を遠慮なく巻き込みなさい。私たちも戦わせなさい。あなた一人だけに、全てを背負わせたりなんてさせない。今までベリアル家があなたから受け取ってきたものを、返すチャンスをちょうだい。ベリアル家の母として、ディハウザー(息子)を、クレーリア()を守らせて」

「あぁ、そうだな。私たちは、家族と領民が無事であるならそれでいい。山暮らしや貧乏暮らしには慣れている。また、一から始めたってかまわないさ。息子に頼りっぱなしで、不甲斐ないばかりだったが、それでも私はお前の父親なんだ。こんな時ぐらい、父としての威厳を出させてくれ」

「母上、父上……」

 

 力を持つ者としての責任があると、ずっと思っていた。大切な一族のために、大好きなゲームのために、力を持つ自分は進まなければならないと考えていた。それが間違っているとは、思わない。しかし、正しいことなのかもわからない。ただこの能力で大切なものが守れればそれでいい、とそう思い続けて生きてきた。そのためなら、自分の持つものを擲つことだってできたのだ。

 

 しかし、それで本当に家族は喜ぶのだろうか。迷惑をかけることを恐れ、自分一人で進むことが本当に彼らのためになるのだろうか。そう思考したディハウザーの脳裏に、ふと思い出した言葉があった。それは、ディハウザーに向けた言葉ではなかった、あの時の少年にとって思わず零れただけのものだっただろう。だが、それが今の彼にとって正鵠を得ているような気がした。

 

『一人じゃ、……叶えられない。そうだ、そんなの当たり前のことじゃないか』

 

 

「……一人じゃ叶わないのは、当たり前のこと、か」

「ディハウザー?」

「いえ、私はまだまだ未熟だったのだと、痛感しただけですよ。駄目ですね、何でも一人で背負うのはいけないと教わったばかりだというのに」

 

 思わず笑みをこぼしたディハウザーは、目を手で覆うように押さえる。張っていた肩の力を一度抜き、大きく深呼吸をした。これから自分が戦う相手は、たった一人で敵う相手じゃない。そんなことはわかっていたはずなのに、迷惑になるからとベリアル家を巻き込むことを恐れてしまっていた。いっそのこと、勘当されるべきだろうかと考え、彼らを危険から遠ざけるべきかもしれないとすら思っていたのだ。

 

 自分が持つすべての手で挑む。それぐらいの気概がなければ、とても敵う相手ではないとわかっていたはずだろうに。皇帝はもう一度、深く息を吐き出す。今までの皇帝ベリアルとしてだけの生き方から、変わると決めたのだ。自分自身が決めた道を、正しくみんなと歩むために。ずっと燻っていた靄が綺麗に晴れた皇帝は、顔を上げて真正面から彼らの目を見据えた。

 

「……父上、母上。そして、みんな。改めて、頼みがあります。クレーリアと、私のために、ベリアル家の力をどうか貸してください!」

 

 先ほどまでの巻き込むことへの謝罪のためではなく、自分たちのために巻き込まれてくれ、という身勝手な頼み。それでもディハウザーは、力強くその言葉を紡ぎ、ただ頭を下げた。

 

「お前は昔から賢かったな。私たちの負担にならないようにと、いつも気を遣ってくれた。お前が私たちに頼み事をしたのだって、ゲームに参加したい、というたった一つしかなかったのだから」

「……父上」

「そんな息子のせっかくのわがままの一つや二つぐらい、聞いてやらなければ親として情けないではないか。共に戦おう、ディハウザー。我々ベリアル家の雑草のごとく、しぶとい底力を見せつけてやろうではないかっ!」

 

 当主の声に賛同するように、部屋にいた者たちは一斉に声を張り上げる。熱気が包む部屋の中で、母だけは「いい、絶対に無茶をしては駄目よ。いざって時は、夫を盾にしなさい」とブレない息子愛を見せていたが。

 

 

 それからベリアル家は、政争に詳しい自棄気味のビィディゼの指示のもと、皇帝の名声で繋げることができた親交、パイプを全て使うことに惜しみはしなかった。領民も全面協力を示し、色々諦めたロイガンのゲームで培ってきた経験から、レーティングゲームのストライキを後押しするためのデモ活動の準備も秘かに進めたのだ。

 

 そして、やっとストライキを迎える前日。思わず双璧二人で、「長かった…」としみじみ酒を飲み交わしてしまったのは、まぁ仕方がない。

 

 

「ベリアル家の繋がりで、フェニックス卿と裏で繋がれたのは大きかった。多額の資金提供とゲームに必須である『フェニックスの涙』を提供する家を抑えれば、かなり勝率が上がる」

「あなたがベリアル家のパイプをフルに使って、特に念を押していたものね」

「ルヴァル・フェニックス殿は、トップ10入りするほどの実力者だ。それに、数年後には三男殿もゲームの世界へ入るらしい。彼らも序列の関係上、ゲームでは色々苦労したみたいだからね」

「ふん、あそこは成り上がり故に、貴族として上手く生きるために常に機を狙っている。不正の証拠と利益、成功への保証があれば、あちら側につくことはない。……さすがに、中立の立場からは動かせなかったがな」

 

 ディハウザーとクレーリアを救うために、と動き出したベリアル家。その勢いは、皇帝の補佐をしていたビィディゼとロイガンの目が思わず遠くなるほどだったらしい。貴族の悪魔の中でも、ベリアル家は元々変わり者として有名だった。今では皇帝のおかげで好意的なイメージが強いが、それまでは侮蔑と嘲笑の対象になることもあった。それでも彼らは、貴族としての生き方より、家族と領民の手を取り合って泥臭く生き残る道を選んできたのだ。

 

 そのため、表向きは皇帝の威光もあり笑顔で接する古き貴族たちだが、ベリアル家の生き方を裏で失笑する者もいた。その中で、同じくレーティングゲームによって台頭したフェニックス家とは、お互いの繋がりつくりのためにも良好な関係を築いていたのだ。そんな小さな繋がりであったが、それが今回功をなした。

 

 フェニックス家は、古き悪魔側につくことはない。ただし、全面的に皇帝側につくのは厳しかった。古き悪魔達と敵対するのは、フェニックス家全体のことを考えると容認できなかったからだ。しかし、皇帝たちがストライキを行う間、「不正が事実であるかを見極めるため、ゲームへの投資と涙の提供を一時的に停止する」ことを確約出来た。皇帝側に近い中立、それがフェニックス家が出した結論だった。

 

「でも、ルヴァル・フェニックス本人に関しては、彼の裁量に任せるって話よね」

「あぁ、実際にゲームに参加しているのは、息子だからな。家としては中立側だが、プレイヤーである息子の気持ちは尊重したいそうだ。……これだから、家族ごっこの好きな者たちは甘いんだ。無駄な隙を作ろうとする」

「その隙に我々は助けられているんだ。素直に感謝しようじゃないか」

「…………」

 

 家族ごっこ筆頭の皇帝に向けての遠回しの嫌みだったのだが、本心から笑みを浮かべて返された言葉に、ビィディゼは小さく鼻を鳴らした。時々ディハウザーに突っかかるような言い方をビィディゼはするが、それを皇帝が流すのは彼らの日常の一部になっている。ビィディゼの性格的に、慣れないことを行う彼なりのガス抜きの仕方なのだろう、と最近になって理解したロイガンは『フォローしておく』と皇帝に無言のサインを送る。それにディハウザーも、感謝を頷きで返した。

 

 

 ロイガンたちには、今回の騒動は双方引き分けに持っていくようにすることを事前に伝えている。ここで古き悪魔達を叩き過ぎると、窮鼠と化す恐れがあるからだ。まだまだこちらは、彼らと相対するには弱小であることは事実。長く時間をかけて、少しずつ彼らの足場を削っていかなければならない。皇帝たちを危険視しても、自分たちの方が上だと侮らせておくことが重要であった。

 

 今回のストライキが、クレーリア・ベリアルを救うために行われたということを知られてはならない。クレーリアが皇帝を縛れる重要な駒だと思われたら、彼女は今後もなんらかの形で狙われ続けるからだ。故に今回のストライキの一番の目的は、パフォーマンスだと思わせている。冥界の民に、レーティングゲームの内情へ関心を持ってもらうため。プレイヤーのゲーム意識の変革のため。そして、魔王の関心を得るために。

 

 皇帝はすでに裏でアジュカ・ベルゼブブとコンタクトを取っているが、それは誰にも明かしてはならないことである。皇帝と魔王が繋がっていると知られれば、彼らの警戒心は一気に跳ね上がるだろう。そのため、アジュカとのファーストコンタクトは、ストライキでの話し合いの場にしなければならない。魔王と皇帝による暗躍と悟られず、魔王も皇帝の独断に巻き込まれたという体を取ることで、古き悪魔達の警戒心を逸らすのだ。

 

 それぞれがお互いの立場から介入し、すでに裏で仲間であることを隠しながら、自分たちにとっての最良の選択へと誘導し、敵の油断を誘う。そして、頃合いを見て、同士になろうと表向きにも手を取り合う手筈となっていた。そのためには、表向きには古き悪魔と立ち向かうために、魔王の後ろ盾を手に入れるパフォーマンスが必要なのだ。従姉妹を救うためにストライキをするより、よっぽど怪しまれない動機になる。

 

『考えが浅い者たちなら、キミのストライキをただの感情故の爆発と捉え、旧魔王派に利用された愚か者と見るだろう。これらは特に問題ない。だが、考えることをやめない者たち……バアルのおじじなら、キミの動機の裏を探るはずだ。そして、俺へのアピールの可能性にたどり着く。一部の厄介な相手は、俺とキミの動向を探ろうと今後目を向けだすことだろう』

『そしてストライキ後に、私はベルゼブブ様と秘密裏に会合しようとするような……不審な動きを見せることで、彼らの動きを逆に縛るという訳ですね』

『ふっ、あぁ、そうだ。厄介者同士である俺とキミが手を取り合わないように、必死に妨害をし出すはずだ。すでに手を組んでいるとも知らずにね…。ご苦労なことさ』

『そうして、彼らの目が私たちに向いている間に、クレーリアたちの安全を完全なものとする。例え気付かれたとしても、彼らの手が届かないような安全な場所へ』

 

 アジュカとの通信で、本当に多くのやり取りを交わした。今までのことも、これからのことも。これまで政争や裏に深く関わってこなかったディハウザーにとって、魔王との会話は戸惑いの連続であったが、意識を切り替えて自身の力へと変えていった。これからのために、変わっていかなければならないのだ、自分も冥界も。

 

 今日、この日から。冥界の大きな流れはゆっくりと回りだすのだから。

 

 

 

「――二人共。どうやら、おしゃべりもそろそろ終わりのようだ」

 

 自身の眷属からの合図を察知したディハウザーは、そっと瞼を閉じ、小さく息を吐き出す。皇帝の纏う空気が変わったことに、ロイガンとビィディゼも瞬時に立ち上がった。アグレアスにある一室で、三人は機を待ち続けていた。合図があったということは、今頃地上は大騒ぎだろう。

 

 彼らの眷属たちが、冥界全土へ向けてメディアを通して大々的に中継を始めたのだ。事前に大きなことをすると伝えていた信頼できるゲーム関係者とメディア関係者以外、きっと大混乱だろう。なにせ、レーティングゲームのトップ3による、突然の冥界全土へ向けた独占中継なのだから。

 

「ディハウザー。私の眷属から、冥界全土への伝達の確認ができたわ。あいつらの子飼いの動きも封じたから、放送に問題はなさそうよ」

「……政府の役人を使って、アグレアスの庁舎前の公園を使えるようにした。あそこの広大な面積に多くのプレイヤーが集えば、さぞ見栄えもいいだろう」

「あぁ、助かるよ。……では、行こうか。私たちの新たなるステージ(ゲーム)へ」

 

 鳶色のマントを翻し、ディハウザー・ベリアルは不敵な笑みを浮かべる。扉へと向かう彼の足取りは軽く、気負いを一切感じない自然体な様子に、後ろの二人も慣れたように続いた。その身に纏うオーラはどこまでも澄み切り、芯の通った力強ささえ感じさせたのであった。

 

 

 

「んっ、……そういえば、魔王様といえば」

「何、魔王様がどうかしたの?」

「いや、私たちの一番の目的はベルゼブブ様だが、おそらく他の魔王様も話し合いに来られるだろう。もしそこに、レヴィアタン様もいらっしゃったなら、時間と機会があれば聞きたいことがあったと思い出してね」

「クッ、随分余裕だな。しかし、レヴィアタン様に皇帝である貴公が聞きたいこと…? ゲーム関係でか?」

「いや、ちょっとしたお礼のためだよ。伝手があったら、聞いてほしいとね」

 

 訝し気な二人へ、皇帝は爽やかに――否、どこか乾いた笑みを見せながら、困ったように頬を掻いた。

 

「……なぁ、二人共。レヴィアタン様なら、成人男性が魔法少女になる方法を知っていらっしゃるだろうか?」

『…………』

 

 ポツリと呟いた皇帝の言葉に、悠然と目的地に向かっていた全員の足と表情が固まった。

 

 

「……えっ、ディハウザーが?」

「違うよッ!? ――ッ、ごほんっ! えっと、その…、知り合いに頼まれたんだ。私は顔が広いから、教えてもらえたら嬉しいと……」

「ディハウザー。私が言うのもなんだが、その……、知り合いは選べ」

 

 原作で周りなんて駒だと考えていた男(ビィディゼ・アバドン)は、居た堪れなさに視線を逸らしながら、心の底から思ったことを口にする。たぶん、初めて皇帝を心から心配した。

 

「ディハウザー、悪魔だけどあなたはヒトが良すぎるのよ。嫌なことは断る勇気も必要よ?」

「しかし、私は迷惑をかけた側でね…。それに相手には悪気も悪意も一切なく、純粋に善意で思ったことを口に出しているだけだろうから、それを断ったら悲しませてしまいそうで…」

「逆に性質が悪いだろう、それは。いったいどんな悪魔だ」

 

 人間です。ディハウザーは、心の中でツッコんだ。冥界全土を巻き込む台風の直前、トッププレイヤー三名は、ちょっぴり距離が近くなれたような気がした。

 

 


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