えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第六十話 波紋

 

 

 

「まさか民衆のツッコミ(叫び声)で、中継が一時中断になってしまうとはね。まだ耳の奥の方に、違和感が残っているような気がするよ」

「私は予想ができていたから、すでに耳栓をしていた」

「私も予想ができていたから、眷属達にも耳栓をしておくように事前に伝えていたわ」

「……なぁ、それはちょっとずるくないかな」

 

 画面の全面に立っていた皇帝と違い、後ろに下がっていた双璧二人と裏方の眷属達は、当たり前のように耳栓を用意していた。ちなみに裏話だが、放送を聞いていた一部事情を知る悪魔や堕天使も、耳栓の準備は万全だったらしい。一応、皇帝も身構えてはいたのだが、旗頭として先頭に立つ者が耳栓をする姿なんて見せる訳にもいかず、大音響を防ぐ術がほとんどなかったのだ。

 

 しかも、皇帝は冥界全土へ向けてパフォーマンス中であったため、他の民衆のように手で耳を塞ぐなどの行為ができず、耳がキーンとしながらもずっと耐え続けるしかない。防御魔法を隠れて鼓膜に張ったのは、初めての経験であった。

 

 そんなディハウザーの恨めしそうな声音を、ロイガンとビィディゼは視線を明後日に向けて、さらっとやり過ごす。それなりに共に過ごしてきたことで、かなり遠慮が取れてきているというか、精神的にたくましくなっていた。現在三名は、先ほどまでのハプニングの対処のために、少しばかりの休憩時間を取っているところであった。

 

 本来ならストライキ宣言直後にこのような時間が取れるはずはないのだが、近くで皇帝たちを映していた数台のカメラマンやテレビ局員の鼓膜に、ツッコミによる大ダメージが与えられたことで、一時的に放送が困難という珍事が起こってしまったのだ。まさかの休息を与えられることになってしまったが、民衆もそれぞれ考える時間がいるだろう、と皇帝もそれを受け入れた。

 

「いいのか? 運営に時間を与えることになるかもしれないが」

「我々の目的には、魔王様の介入が必須事項だ。しかし、運営がすぐに魔王様に助けを求めないだろうことは予想できる。なら、それなりに足掻かせて、勝手に責任を擦り付け合わせ、疲弊させる時間に使えるだろう。プレイヤーたちが覚悟を決めるのにも、少しばかり時間がいるさ」

 

 それに裏では、ベリアル領の領民たちが、一般民衆に向けたデモ活動を各地で起こしている。トップ3による宣言に冥界中が緊急特番を始め、それにベリアル家当主と妻がディハウザーの半生を涙ぐみながら語り出す。いい笑顔で「任せろ、冥界中に感動の嵐を巻き起こしてくる」と親指を立てた当主の顔は、まさにこの息子にして、この父ありであった。

 

 皇帝はそれに羞恥心で色々ダメージを受けながらも、両親の好意を無碍にもできず、あんまりやりすぎないように、とだけしか伝えられなかった。悪魔の中には、ディハウザー・ベリアルという悪魔のことをよく知らない者もいるだろう。このストライキは、どっちつかずの者たちすら味方にしなければいけなかったため、下準備は入念に行ってきたのだ。

 

「民衆への焚き付けは、アレで十分だろう。次は要であるプレイヤーの行動次第だな。運営のことだ、様々な手を使ってプレイヤーを引き止めようとするはずだ」

「まずは、様子を見る者も多いだろうからね。特に貴族にとって、古き悪魔達に逆らうのは、それなりにリスクがある」

 

 だが、主は貴族でも、その眷属は転生悪魔であることが多い。貴族としての利権だけを優先すれば、眷属達に不信感を与えてしまい、今後のゲームに確実に悪影響を及ぼすであろう。中には、眷属だけでストライキを行う場合だって起こりうる。運営側は貴族悪魔達に声をかけることはできるだろうが、転生悪魔や下級貴族の悪魔にできることはない。

 

 レーティングゲームに参加する(キング)は、貴族の上級悪魔である場合が多い。しかし、それ以外の十五の駒に関する者たちは、圧倒的にそれ以外である場合が多いのだ。主に従順だった転生悪魔や下級貴族達とて、自分たちの夢を食い物にされ続ける現状を受け入れたくはないだろう。

 

 貴族的な思考ではなく、ディハウザーがあえてプレイヤーとしての視点だけでストライキを宣言したのは、そんな転生悪魔や下級貴族の悪魔に向けてのメッセージの意味もあった。例え相手が強大でも、数の力というのは、決して馬鹿にはできないものなのだから。

 

「それでも、すぐにこちら側へ来てくれたプレイヤーの数も多い。時間の経過は、決して我々にとって不利だけを招く訳じゃないさ」

「それもそうね。……それにしても、まさかあの魔龍聖がすぐに賛同を示してくれるなんてね。さすがはドラゴン、すごい迫力だったわ」

「あぁ、あれで転生悪魔や運営のやり方に不満のあった王のほとんどが、こちら側に来てくれた」

 

 ロイガンは先ほどまで見た光景を思い出し、素直な感想を口にする。ビィディゼも今回ばかりは、それに率直な同意を示した。皇帝のストライキ宣言に困惑を隠せないプレイヤー達の中で、一番に賛同の声をあげたのは予想通り生粋の悪魔貴族ではなく、悪魔の駒で異種族から転生した転生悪魔だった。しかし、相手があまりにも予想外すぎた。

 

 今回の『皇帝ベリアル十番勝負』で最後の試合を飾ることになっていた最上級悪魔――元六大龍王に名を連ねていた『魔龍聖(ブレイズ・ミーティア・ドラゴン)』のタンニーンだったのだ。呆然とするプレイヤーたちを前に、突然の上空からの羽ばたき音と豪快な笑い声が響き渡る。数十体もの十五メートル級の巨大ドラゴンが、次々に公園に降り立った姿は、まさに圧巻の一言であった。

 

 いきなり現れた乱入者に民衆は驚きながらも、タンニーンが真っ直ぐに皇帝を目指しているとわかると、慌てて皇帝への道を開ける。頭がクラクラしながらも、カメラマン根性を発揮し、テレビ局員も最後の力を振り絞り撮影を再開する。地響きを鳴らし進む大型ドラゴンの姿に、皇帝に向かって騒いでいた運営関係者も口を閉ざさざるを得なかった。

 

 

『映像を見た時は驚いたが、随分と面白い事を始めたではないか、皇帝よ』

『タンニーン殿』

『……だが、ストライキをするとなると、俺との勝負はどうなる? それを今年最後の楽しみに、眷属達とトレーニングに励んでいたのだがな』

『私も、今年最後のゲームであなたと戦えることを、心から楽しみにしていました。このようなことを始めた私の言葉に、説得力はないのかもしれません。ですが、決してあなたとの試合を蔑ろに考えていた訳ではありません』

 

 謝罪の気持ちを込め、頭を下げようとした皇帝へ、タンニーンは再び豪快に笑ってみせる。驚きに目を瞬かせるディハウザーに向け、堂々と腕を組み、にやりとドラゴンらしい邪悪な笑みを見せた。

 

『くくくッ、謝罪はいらん。言っただろう、面白いことを始めたなと。皇帝よ、お前の本気はアレで十分に俺にも伝わった。そんなお前のゲームへ向けるひた向きな姿勢を、今更疑いなどせん』

『それでは……』

『なぁ、皇帝よ。俺は自分の目的のために悪魔へと転生し、そして様々な戦闘を経験できることを理由にレーティングゲームにも参加してきた者だ。はっきり言って、俺にはゲームへの高尚な志などないに等しい。強い奴と戦いたい、ただそれだけだ。冥界の政治や地位、名誉に興味もない』

 

 皇帝と元龍王の会話に、誰もが固唾を呑んで見守る。タンニーンのようにゲームに対して夢を持たず、ただの手段として考えている悪魔も当然いるだろう。そんな者たちの多くは、皇帝の行いに困惑の感情を強く持っていた。確かにゲームの不正はいけないと思うが、しかしそこまでゲームに対して強い思いを抱ききれない者たちだっている。 

 

『俺から問いたい、皇帝よ。お前の行いや覚悟を否定するつもりはない。お前の言葉は酒のように甘美に響いた。だからこそ、思ったのだ。こんな俺のような考えを持つ悪魔すらも酔わせるような誘い文句が、他にもまだあるのではないか? と。そんな興味が、皇帝ベリアルに湧いた。それで、ここまで足を運んでみたのだ』

 

 楽し気に皇帝を興味の視線で見つめる元龍王は、どこまでもドラゴンらしく、己のルールに従って動いていた。冥界の命運やゲームよりも、自身の興味を刺激するほどの面白さを、この祭りを心の底から楽しめる酔いを自分に提供できるのか。それにディハウザーは、しばらく口を閉ざした後、にっこりとタンニーンへ微笑み返した。

 

『えぇ、もちろんですよ。タンニーン殿』

『ほぉ…?』

『さて、タンニーン殿。質問に質問を返すのは、本来失礼に当たるのですが、一つよろしいでしょうか?』

『構わん。言ってみろ』

 

 まるで見えないプレッシャーが、二人の間を駆け巡るように交差する。王同士の会話は緊張感を孕みながらも、互いの口元に映る笑みは消えることがない。周囲はごくりと唾を飲み込み、この光景を真っ直ぐに見つめ続けた。

 

 

『タンニーン殿は、タッグマッチ戦というものをご存知ですか?』

『…………は? あ、あぁ、まぁ知っているが』

 

 思わず素の声が出た。お前、いきなり何を言いだすの? と本気で思いながら、タンニーンは堂々と皇帝を見つめ返すように努める。いい笑顔を見せる皇帝に、いるはずがない元凶の無邪気な笑みが何故か重なる。ちょっとお腹が痛くなった。

 

『人間界のスポーツには、シングルやダブルスという、同じ内容のゲームでありながら、異なったゲーム形式があったりします。それぞれ少しずつルールを変え、プレイヤーも観客も楽しめる様に、様々な工夫がなされているそうです』

『そ、そうか。それがどうした?』

『例えばですけど、……そう、私とアバドン殿がチームになり、タンニーン殿とベルフェゴール殿がチームを組んで対戦というのも、面白そうだと思いませんか? 人数が多すぎるのなら、それぞれの駒の特性を考慮しながら半数ずつメンバーを募るとか、ルールを考えて。こんな風に、今までにない変則的なレーティングゲームも、ちょっとやってみたいと思いませんか?』

 

 レーティングゲームの根幹は、古くから変わらず続いている。それにゲームの内容を新しく追加することはあっても、そんな根元からの抜本的な変化は今までになかった。常に王同士がそれぞれ己の眷属を集って、それをぶつけて戦わせる。それが基本であり、それ以外のものが作られることはなかった。

 

『レーティングゲームは、実力者の育成のため、戦闘の経験を培うために行われている、と言われています。それなら、もっと様々な想定をしてもいいではないですか。もしかしたら、王同士で協力して、事に当たる事例だってあるかもしれません。強大な敵に立ち向かうために、拠点の防衛のために、他者と力を合わせることだってあるかもしれないでしょう?』

 

 現に、原作の展開では、眷属という垣根を越えて、それぞれの分野から力を合わせて戦う場面が多かった。グレモリー眷属とシトリー眷属による、悪神ロキとの戦い。バアル眷属と協力をする場面もあり、それぞれ別の勢力同士で戦うことだってある。本当の有事の際、自分の眷属とだけで戦う場面の方が少ないのだ。

 

 そんな有事がそうそう起こる訳ではないが、そのもしもを想定して経験を積ませることこそが、本来のレーティングゲームの役目ではないのか。ゲームと実戦に違いは当然あるだろうが、それでも無駄になることはない。それに、ずっと同じルールで戦い続ければ、今のゲーム環境のように変動が一切なくなってしまう。それが、運営に好き勝手を許してしまった土台にもなっていただろう。

 

 

『何故、今までこのような新しいルールがなかったのか。ゲームのランキングが、長らく停滞するなんて事態に陥っていたのか。簡単です。運営がそれでは、ランキング操作をすることができないからですよ。変則的な新しいルールは、想定外を当然生む。新しい可能性なんて求めていない彼らにとって、それはあってはならないことだったのです』

『……新しいゲームの可能性か』

『タンニーン殿。あなたは先ほど戦いを求めて、レーティングゲームの世界に入ったとおっしゃられた。そんなあなたにとって、今のゲーム環境は満足のいくものですか? 生き物は常に進化し、変わり続けてきました。なら、ゲームだって進化していくべきでしょう。変わり続けていくべきでしょう。しかし、このままだとレーティングゲームは、ずっと停滞し続けたままになってしまう』

 

 皇帝の考えは、冥界の民にとって、考えもしなかったものだった。今のゲームに満足してしまっていた中で、皇帝によって語られた夢物語は、冥界の民に新たな可能性を教えたのだ。本当にそんなことが実現できるのかは、わからない。当然問題だって多いだろう。しかし、あまりにもその可能性には、甘美な響きを伴っていた。もしも実現できたら…、という新しい夢が広がっていく。

 

『ゲームの面白いところは、進化することじゃないですか』

 

 そんな風に、当たり前のように告げた少年の何気ない言葉が、皇帝の夢を広げ、さらに冥界中に波紋を広げていった。

 

 

『タンニーン殿、私はあなたと戦いたい。そしていずれ、……もっと先の、新たなステージへと進むだろうレーティングゲームの舞台でもね』

『……クッ、ハハハハハッーー!! なるほど、これは確かに夢があるなァッ! お前の言うステージで戦うには、今のままでは実現ができない。それこそ、レーティングゲームの根底を変えない限りはっ!!』

 

 面白くて仕方がないように、ドラゴンは咆哮を上げ続ける。ギラギラと輝く紫紺の瞳は楽し気に細められ、心の底から新しい戦いというものを渇望した。レーティングゲームを手段として考え、戸惑いを浮かべていた者たちも。才能や実力が足りず、ランキング上位にあがることができなかった者たちも。その目の色が、少しずつ変わっていく。

 

 本当に変わるのだ、レーティングゲームは。自分たちの手で、変えられるのだ。皇帝を先頭にこの流れについて行くことで、今までの全てが変化する。それに気づくと、身体が突如震え出す。これは武者震いだろうか、と笑みが浮かび、新たな野望をその瞳に宿し出した。

 

『まさかそこまでの夢想家だったとはな、皇帝よっ! 穏やかな表面の中に、随分な怪物を飼っているではないかっ!? だからこそ、――面白いッ!!』

『タンニーン殿…』

『受け入れよう、お前の求める変化を! その夢に、俺達も酔わせろっ!『魔龍聖』タンニーンとその眷属は、皇帝ベリアルの改革に賛同し、レーティングゲームの新たな可能性を築くことを、ここに誓おうッ!!』

 

 後ろで待機していた眷属から事前に用意してもらっていた酒を一杯がぶ飲みすると、タンニーンは勢いそのままに、冥界中へ轟くかのような大声を張り上げた。言っていることはそれなりに本心なのだが、さすがにパフォーマンスも含めるとなると、呑まなきゃやってられない。祭りの参加に一番乗りで声を上げるのならば、盛大でなくてはならないのだから。

 

 タンニーンはどこまでもドラゴンらしく、合間に気付け薬()を飲みながら、皇帝への賛同を冥界へと告げた。それに続き、次々と自らもとプレイヤーたちは声を上げ出す。流れを完全に奪われてしまったことに、運営側はさらに真っ青になっていった。

 

 皇帝は、本気だ。本気で、『今』のレーティングゲームを壊そうとしている。今まで愚かだと侮っていた男の本性を、内に飼っている怪物を知り、古き悪魔達はようやく危機感を抱き始めた。焦りが彼らの視野を、さらに狭めていった。

 

 

 

「タンニーン殿には、正直助かったよ。彼は魔物や異種族から、王として絶大な人気を誇っている実力者だからね。冥界中の使い魔やドラゴンも協力してくれるみたいだし、今も精力的に声をかけてくれている」

「酒飲みながらだけどな」

「ドラゴンが酒好きとは聞いていたけど、すごい酒豪よね…」

「……あとで、最高級のお酒を差し入れに持っていっておくよ」

 

 この日のためにお酒をストックし続けていたタンニーンは、(相棒)片手に王としての威厳満載で、現在活動を行っている。マイペースの代表であるドラゴンとしてのイメージが冥界では強いため、彼の行為を咎める者はいないだろう。祭りとして心から楽しんでいる龍王の機嫌を損ねるなど、自殺行為にも等しいのだから。

 

 呆れる二人を眺めながら、ディハウザーは当然タンニーンの本心を知っていたため、心の中で謝罪を浮かべる。彼の場合、完全に奏太のやらかしに巻き込まれただけだったからだ。しかし、第一声を発するサクラ役が大切なのは理解していたし、それができるのがあの場でタンニーンだけだったのも確かであった。

 

 ストライキの話を聞いたタンニーンは、もう巻き込まれることに半ば諦めを浮かべながら、奏太の案をしっかり取り組んでくれた。マイペースとは真逆の、大変常識的な龍王様による多大なる好意で。それに皇帝は、申し訳なさで胸がいっぱいになる。『かわいそうなドラゴン』という異名は、伊達ではなかった。

 

 

「さて、私たちがやってきた不正は、すでにこちらで告白したことで私たちへの弱みを運営は持てずにいる。『王』の駒の真実は、運営にとっても急所であるため、どれだけ裏切り者と私たちを罵ろうが、真実を明かすことはできないだろう」

「私たちの家は、番外の悪魔(エキストラ・デーモン)の家だから、元々政府との関係も薄いしね」

「ベリアル家の者にも、運営には気を付ける様に伝えている。私の眷属達が見張っているため、誰にも手出しはさせないさ」

 

 それから三人は、運営の動きを予想するために話し合いを始める。冥界のことは、皇帝に任されている。その期待に応えるためにも、彼は歩き続けなければならないのだ。志を同じくする仲間と共に。

 

「…………」

 

 ディハウザーは、嵐が吹き荒れ始めた冥界の空を通して、人間界のことを思う。クレーリア()の未来を、幸せを必ず守ってみせる。そのためにも、と決意を新たに皇帝は力強く立ち上がった。

 

 そうして、タンニーンとの会合後、カメラマン根性を最後まで捧げてぶっ倒れたスタッフが目覚めたと同時に、再び彼らの戦いは始まるのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「くそっ、ふざけるなッ! 何がゲームの正当性だっ!! これでゲームの規律が厳しくなったら、運営に金を握らせて黙認させていた、研究の強化実験に気づかれる可能性も出てくるッ……!」

「あ、主…」

「ちっ…! あの方に確認をしなくては。皇帝め、余計なことをッ……!!」

 

 とある貴族の館。先ほどまで流れていた皇帝の宣言に大きな歓声が冥界全土から聞こえていたが、当然ながらそれとは真逆の反応を示す悪魔もいた。その内の一人であるとある上級悪魔は、苛立ちから怒鳴り散らし、己の眷属に八つ当たりをしていた。

 

 彼は元七十二柱の一つ、ナベリウス家の分家悪魔であった。向上心が強く、研究熱心であった彼は、それこそ本家の意向さえ無視して、怪しい実験を繰り返していた。彼はレーティングゲームという手段で冥界での地位を手に入れるために、あらゆる手を尽くしてきた。己の眷属の能力向上のために、様々な強化を施してきたのだ。

 

「仕方がない、事前実験はできないが、例の研究成果を試していくしかないか…」

「お、お待ちください! あの投薬はまだ実験段階で、適合に失敗すると魔力が暴走する危険性があり、自我の崩壊を引き起こす可能性があると前に――」

「ふんっ、壊れたら取り換えればいい。問題ないだろう」

「そんなッ……!」

 

 彼にとっては、結果が全てだった。実験が成功すれば、試合に勝てれば、力があればそれでいい。そのためなら、己の眷属がどれだけの苦痛を味わおうが、無茶な強化を強要し続けてきた。

 

 彼はそれなりに能力があり、有望だと持て囃されていた悪魔だ。しかし、悪魔の貴族らしく自身を鍛えるなどはせず、その生まれ持った能力だけで試合に臨んできた。そのため、ゲームのランキングで上にあがればあがるほど、レートが苦しくなっていったのは言うまでもない事であろう。

 

 そうして、ゲームで勝ちが拾えなくなってきた主は、次に己の眷属に強さを求めた。眷属達も最初は主の要求に必死についてきていたが、それも少しずつ限界に近づいてきている。眷属達の顔には疲労が常に見え、精神的にも休まらない日々。しかし主が満足することはなく、再びレートが停滞し始めた頃から、ついにその主は眷属に薬や無茶な能力操作の強要をし始めたのだ。

 

 ナベリウス家の分家悪魔は、元々とある研究に携わっていた。ただの分家悪魔でしかない自分に目をかけて下さった主のために、その研究を成功させることを夢見ていたのだ。その成功のために、己の名誉のために、彼は己の眷属を使って実験をするようになる。悪魔にとって眷属とは、都合のいい実験動物と同じだった。

 

「まずは、あの兵士(ポーン)に試してみよう。成功すれば、今度こそ神器の性能をあげられるかもしれん」

「しかし、それでまた使い物にならなくなったらどうするのですか!? 前回の実験で、彼女は体調を崩して…」

「せっかく見つけた神器持ちだったが、使えないものを手元に置き続けても仕方がない。禁手化させるために能力をオーバーフロウさせたが、制御を誤るとは使えん。回復次第、今度は前回より一段階下げてから投薬を行う」

「……ッ!」

「だが、確かに投薬の件は、副作用で使い物にならなくなったら、手間がかかるのも事実か…。そうだ、騎士(ナイト)には弟がいたはずだ。まずはそいつで試そう。弟が問題ないのなら、兄も問題ないだろう。結局兵士が使えず、強化した弟の方が使えそうになったら、代わりに私の眷属にしてもいいな」

 

 主の言葉に絶句し、言葉を紡ぐことができない眷属をしり目に、その悪魔は己の中だけでプランを立てていく。彼にとって、眷属は己のための道具。そして、その眷属の身内――血縁者も同様だった。彼は眷属の血縁者も己の家に招き、保護をしているが、それは人質やスペアとして使えるかもしれないという目的も含まれてのことであった。

 

「そ、れは……」

「なんだ、私の決定に文句があるのか? そういえば、貴様の成績も最近よくないな…。これ以上結果が出せないようなら、貴様に試してもいいのだぞ。私は身寄りのない貴様らを拾ってやったんだ、感謝して協力するのが当たり前だろう。……あぁ、それとも逃げて、はぐれ悪魔にでもなるかい?」

「…………いえ、出過ぎた真似をしました。今後も、精進致します」

 

 眷属の青年は恐怖に震えながら、主へ首を垂れた。それにつまらなさそうに鼻で嗤うと、眷属を置いて研究の方針について意見を伺うために、自分の部屋へと足を進める。八つ当たりのおかげで少しすっきりしたが、それでも苛立ちは収まらない。今以上に己の眷属を強化するためには、あの方の研究を成功させるためには、どうすればいいのか。それだけを考え続けていた。

 

「……あの戦車(ルーク)は、そろそろ限界だな。別の駒を探しておく必要があるか。まったく、私の眷属でまともに使えるのが、僧侶(ビショップ)のみとはな……。ふふっ、あの人間は、本当にいい置き土産を残してくれたものだよ。駒を二つ消費しただけの価値はあったが、しかし、まだまだ足りないな」

 

 それから、ぶつぶつと呟く悪魔の貴族は、己の世界に入ったまま屋敷の廊下を歩き、去って行った。眷属の青年は、無言のまま自身の部屋へと戻る。これからの日々に憂鬱な表情を隠すことなく、どうすればいいのかと眩暈さえした。まだしばらくは、まだ数年なら持つはずだ。だが、その後は? 果たして自分は無事に過ごしていられるのだろうか。だからといって、逃げるなんて自殺行為にも等しいことなんてもっとできない。

 

 青年はモニターに映る、輝かしい未来を語る皇帝の姿に強く唇を噛みしめながら、静かに陰へと消えていった。

 

 

「……嫌なものを見ちゃったにゃん」

 

 長い黒髪を指で弄りながら、同色の着物を身に纏った女性は、深い溜息を吐いた。屋敷の柱の陰に身を潜め、自身が得意とする仙術を行使し、気配を消していたため二人には気づかれなかったようだ。街で彼女の妹が喜びそうなおもちゃを探しに出かけていたところで、突如街の中央で起こった皇帝のストライキ宣言。黒髪の女性は、先ほどの貴族の眷属であり、己の主の性格をよく知っていたため、様子を探るために急いで屋敷に戻ったのだ。

 

 そして彼女の予想通り、皇帝の行動は彼の逆鱗に触れる出来事だったらしい。八つ当たりを受けた眷属は可哀想だが、巻き込まれるのはごめんだったので、そのまま隠れ続けたのだ。モニターの先で話を続ける皇帝へ視線を向けると、余計なことをしてくれて…、と女性は胡乱気に映像を睨む。主の機嫌が悪いと、屋敷全体がピリピリとし出す。彼女はもう一度溜息を吐くと、すぐに踵を返し、自分の部屋へと足早に駆けて行った。

 

「なーにが、楽しくゲームをしましょうよ。悪魔のくせに、不正が許せないって笑っちゃうわね。……私のところの、バカマスターみたいな考えの悪魔だって多いのに」

 

 最初は馬鹿にしたように笑った。何を夢物語を見ているのかと。レーティングゲームのプレイヤー全員が、楽しんでゲームに参加していると思っているのか、とかすかな苛立ちが生まれもした。転生悪魔である彼女にとって、レーティングゲームは、自身と家族が生きるための糧だ。主のご機嫌を取るための手段なだけ。そのゲームの結果で、自身と家族の待遇が変わってくるから。結果を出せば、強くなれば、贅沢と自由が許されたから。

 

 彼女は力を使うことや、強くなることが好きだった。面白いことが好きで、自由気ままな性質を持つ野良猫。だから、ゲームで戦うことを拒絶しなかったし、自由や贅沢を手に入れるために強くなることを拒絶しなかった。それでもこの生活は、窮屈な籠の中を感じさせるような息苦しさがある。ゲームでの戦いを心から楽しむことはない。ただ淡々と作業のように、黒髪の女性は力を振るい続けてきたのだ。

 

 そんな暮らしに思うところはあれど、彼女が大人しく飼い猫になった理由はただ一つ、――たった一人の家族のためだった。彼女に妹が生まれてすぐ、姉妹は親を亡くしてしまった。人間の研究者に惚れていた猫又の母が、彼について行った先で、実験の事故に巻き込まれて共に亡くなってしまったのだ。それに黒猫は、呆然と涙を流し、崩れ落ちるしかなかった。

 

 まだ幼子である妹を守りながら生きるには、彼女一人の力では足りず。また希少な種族という価値から、他の種族に狙われる危険性もあった。そこへ父親を雇っていた今の主である悪魔が現れ、保護される代わりに姉は悪魔へと転生する道を選び、今まで歩いてきたのである。幼い妹を抱える黒猫に、選択肢などなかった。

 

 そこに、彼女の感情はない。あるのは、生きるための手段のみ。しかし、それだけでいい、と黒き女性は割り切って生きることができた。白く幼い妹が笑っていられるのなら、自分に笑顔を向けてくれるのならそれでいいと。

 

 

「あっ、黒歌(くろか)ねーさま! おかえりなさい!」

「ただいまー、白音(しろね)。いい子にしていたかにゃん?」

「はい! でも、お外がね、なんだかざわざわしているような気がしました」

「……そっか。白音もそういった気配が、感じられるようになったんだね」

 

 白髪に白いふわふわの獣耳を持つ幼子は、部屋に帰ってきた大好きな姉――黒歌に勢いよく抱きついた。仙術で部屋の中の気配から、妹の行動を感じ取っていた黒歌は、すぐに優しく抱きしめ返す。不思議そうにぴくぴくと白の猫耳を震わせる白音に、黒歌は一瞬だけ思案気に目を伏せだが、妹に気づかれる前に笑顔でそれを覆い隠した。

 

 先ほどの、主と眷属の会話が蘇る。黒歌の主は、『騎士(ナイト)には弟がいたはずだ。まずはそいつで試そう』と当たり前のように告げていた。彼にとって、眷属だけではなく、その血縁者も自分の駒と同じ扱いなのだ。それを今日の二人のやり取りで、改めて実感してしまった。

 

 今は黒歌の働きでレートを下げることなくいられているが、レーティングゲームは一人だけで回せるゲームじゃない。黒歌以外の眷属も強化されているため、現在はまだなんとかなっているが、数年後はわからない。チームで一人だけ特出している状態が続けば、それを対策されるのは当たり前だ。それにいずれ、他の眷属の方が先にもたなくなる。妖怪・猫又の中でも強い力を持つ『猫魈(ねこしょう)』である黒歌は、生命の流れを扱う仙術に長けていた。故に、他の眷属達の身体が徐々に限界を迎えてきていることを察してしまったのだ。

 

 だが、それに気づいても、黒歌は何もしなかった。自分と妹のために戦うだけで、精一杯だったからだ。他の眷属を庇えば、その分だけ自分たちに負担として返ってくる。時々、眷属同士で結果の奪い合いが起きることもあるため、仲間意識なんて芽生えもしなかった。ゲームで勝つ、という目的のためにただ利用し合う関係。それが、彼らの認識だった。

 

「白音、お外の様子がわかったとか、マスターの前で絶対に言っちゃ駄目よ」

「どうしてですか、ねーさま?」

「どぉーしても。お姉ちゃんとの約束。できる?」

「……わかりました」

 

 まだ幼い妹に、己の主のやり方を説明するのは酷だろう。白音は黒歌のはぐらかしに少しだけ唇を尖らせたが、すぐにこくりと頷き返した。姉の自慢になるが、妹は素直で聞き分けが良い性格だ。だからこそ、心配にもなる。もしあの主が、幼い妹に能力の強要をしたら、どうなってしまうのかと。黒歌が今の主に協力する理由は、妹の保護のためが大きい。それが白音を守る防波堤になってくれているが、正直いつまで効力があるのか、あの様子を見る限り不安で仕方がなかった。

 

 それに、あの主の下にい続ければ、いずれ成長した白音をレーティングゲームに参加させようとするだろう。高成績を出す黒歌を手放すとは思えないし、その妹である白音に可能性を見出さないはずがない。解放されることなく、このまま一生、あの悪魔の駒として生き続ける未来…。それに黒歌の背中に怖気が走った。

 

 嫌だった。そんな縛られた生き方を自分はしたくないし、妹の生涯をあの悪魔のために使い潰させたくなかった。しかし、果たして逃げられるのだろうか。もし妹を連れて逃げられても、はぐれ悪魔となってしまう。追手に追われながら、生きていける保証はあるのだろうか。

 

 黒歌には、頼れる相手なんていない。お尋ね者となった姉妹を、匿ってくれるはずもないだろう。もし匿ってくれる場所を見つけても、それ相応の見返りを要求されて当然だ。それにどこに行ったって、姉について行くだけで、妹の将来は決定づけられてしまう。自分の道を歩くことも、夢を見ることさえできないのだ。

 

「……夢、か」

 

 レーティングゲームの真実を暴き、それでも夢と希望を冥界中に届けてみせると宣言していた皇帝の言葉。黒歌がそれに失笑を浮かべたのは、例え運営をどうにかしたって、自分たちのこれからが変わるとは思えなかったからだ。

 

 自分はたぶん、光の中を生きることはできない。何も望まないことが一番楽で、夢や希望を抱くことにもう疲れてしまった。黒歌の中にある昏く淀んだ思いは、少しずつ彼女の身を蝕み出す。それでも、彼女が己を見失うことなく未来を進むことができたのは、守るべき大切な存在がいたからだった。

 

 黒歌は腕の中にある温もりを抱きしめ、優しい手つきでその頭を撫でた。もし、彼女に希望があるとすれば、それは間違いなく小さな白猫だろうから。

 

「ねーさま?」

「白音はさ、やりたいこととかある?」

「……えっ」

 

 きょとんとする妹に、唐突な質問をしたと黒歌は思う。だけど、先ほどの映像で見た『夢』を語る皇帝の姿に、心のどこかで眩しさを感じていた。陰の中を生きることを、黒歌はすでに割り切ってしまっている。しかし、せめて妹だけは光の中を生きてほしいという願いがあった。この優しい妹が、自分のようにだけはなってほしくないと。

 

 しかし、そんな黒歌の願いが叶う可能性はほとんどない。このままなら、白音も黒歌と同じ道を辿ることになるだろう。自分で生きる道を選べない苦しさを、知っていくことになると思うから。だからこそ、せめてと考えたのだ。もし白音に叶えたい夢があるのなら、今だけでもなんとか叶えてあげたいと。それが、姉としてせめてできることではないだろうか、と考えたのだ。

 

「えっと、私がやりたいことですか…?」

「白音が欲しいものや、したいこと、なぁーんでもいいよ?」

「…………」

 

 にこにこといつものように笑う黒歌の言葉に、白音は真剣に考え込む。なんとなく直感で、この質問は自分の本心を伝えなければいけないと思ったのだ。言葉にして、ちゃんと自分の気持ちを伝えることが、今の姉には必要であると。思案するように猫耳を揺らした後、尻尾をピンッと立て、白猫は元気な声で黒猫へ返事を返した。

 

 

「黒歌ねーさまと、ずっと一緒にいたいですっ!」

「……へっ?」

 

 少し恥ずかしそうにしながらも、白音ははっきりと自分の気持ちを告げた。真っ直ぐな眼差しを姉に向け、ぎゅっと黒い着物を小さな手で握りしめる。強い光を宿す金色の瞳に、黒歌は目を逸らすことができなかった。

 

「ずっと、ねーさまと一緒にいたい。ねーさまと、にこにこしていたいです!」

「白音、それは……」

「ねーさまも、一緒ににこにこしていなきゃ……いやですっ!」

 

 思わず否定を返しそうになった黒歌へ、白音は目に涙を浮かべながら言い切る。最愛の姉と一緒にいたい。だけど、そこに姉の笑顔がないのは、白音にとって何よりも嫌だったのだ。妹が真剣に、姉の幸せを願ってくれていることに気づいた黒歌は、呆然としばらく佇んでしまった。

 

 それから、何かを言おうと口を開くが、何も出てこなくて閉じてしまう。しかし、ゆっくりと、じんわりと黒歌の中に白音の夢が浸透していった。黒く濁っていた冷たい心に、白い光が入ってくるような温かな気持ち。それに一瞬泣きそうになった顔を、妹に見えないように拭き取った黒猫は、宝物を抱きしめる様に目の前の温もりを腕の中に囲った。

 

「……そっか。白音は、お姉ちゃんもにこにこしていないとだめなんだ」

「黒歌ねーさま…?」

「姉思いな妹を持てて、お姉ちゃん感動しちゃうにゃァァッーー!!」

「にゃァァんッ!?」

 

 普段通りの飄々とした雰囲気を作り出し、黒歌はそのまま妹を巻き込むように倒れ込んだ。しっかり腕に抱きとめているので痛みはないだろうが、姉の突然の奇行に耳と尻尾が驚きで逆立ってしまった妹は、目に涙を浮かべながら怒り出す。それに気持ち半分な感じで、笑顔で謝る姉。頬を膨らませて拗ねた白音は、しばらくぷいとそっぽを向くのであった。

 

 それからもう一回謝って、無事に許してもらえた黒歌は妹との楽しい時間を過ごし、疲れた白音をそっとベッドに寝かせた。すやすや眠る白音の白髪を指で掻きなぜた後、黒猫は覚悟を決めて立ち上がる。これから自分がしなければいけないことを、出来ることを見つけたのだ。

 

 できるのかどうかなんて、正直わからない。それでも、もう忘れてしまっていたはずの胸の温もりを、白音のおかげで思い出すことができた。いつ消えてしまうかわからないほどの小さな光であるが、せめてこの温もりを感じている間だけでも、妹の夢を叶えるために、姉として頑張りたいと希望を持つことが出来たのだ。

 

 

「正直、頭を使うのは苦手なんだけど。……でも、やるしかないにゃ」

 

 主のやり方がこのまま変わらないのならば、ここにい続けることはできない。だが、主の下から逃げ出すというやり方では、白音と笑顔で一緒にいることはできないだろう。止まることも、逃げることもできない。ならば、残る方法はあと一つだけ。

 

 戦うのだ。この現状や、自分自身と。真正面から訴えても、転生悪魔である黒歌が貴族悪魔である主に勝つことはできない。殺すことはできるだろうが、それでは意味がない。戦闘なら得意なのに、と心の中で文句を言いながら、別の方法で戦う道を探すしかないと考えを改めた。黒歌がそんな風に考えられたのは、先ほど見た皇帝の姿が強く印象に残っていたからだった。

 

 黒歌にとって皇帝ベリアルは、正義感が強く、不正は正すべきだとあの運営に真正面から嚙みつくほどの男。彼はレーティングゲームを正常な状態に戻すために、あれだけの大事を起こした。普通なら何か裏があるのではないか? と疑うものだが、あれだけの大騒ぎを起こしておいて、皇帝の声明はゲームの改善のみ。正直ただのゲームバカだからという理由が、一番納得がいくほどだった。

 

 彼は強大な敵に勝つために、彼らが想定していた方向とは全く別の視点から攻める道を選んだ。それによって、運営側は完全に混乱し、すぐに機能することができなかった。相手と同じ土俵で戦う必要なんてないのだ。黒歌にできる方法で、主を自らの土俵に落とすことで勝つ。卑怯かもしれないが、それこそ悪魔らしいではないか。黒歌は妖艶に微笑み、唇をぺろりと舌で舐めた。

 

 

「えーと確か、マスターはずっと怪しい研究ばっかりしていたにゃ。それも、ナベリウス本家には知らせずに、いつも『あの方のために』とか言っていたわね。そしてそれに、父親(あの男)も関わっていたはず…」

 

 黒歌は自分の主と父親が研究していた内容を、詳しくは知らない。ただ、とてもまともな研究だとは到底思えなかった。それだけは、わかっている。それこそ、常軌を逸していた、と言い換えてもいいだろう。主が悪魔を強化しようとしているのは理解しているが、何を目指しているのかは教えられたことがなかった。それは、他の眷属達も同じだろう。

 

 さらに言えば、自分の主の背後には、おそらくナベリウス本家以上に厄介な存在がいる。そうじゃなければ、家の意向を無視し続けるなど、切り捨てられる危険性を考えればできるはずがない。貴族悪魔としてのプライドの高さを思えば、家から捨てられた悪魔というレッテルに耐えられる訳がないだろう。つまり、それだけ大きな後ろ盾が、主にはいる可能性があるということだ。

 

「だったら、切り捨てさせてやるにゃ。あいつらがやっていた研究が、冥界の法に触れるようなものなら…。皇帝みたいにその証拠を押さえて、裏から摘発できるかもしれない」

 

 黒歌にとって、あの男を父親などと思ったことはない。研究にしか目がなく、母親を情欲の捌け口にしか考えていなかったような男だ。それでも、自分と最愛の妹をこの世に産んでくれたのは、間違いのない事実。母親は男を見る目がない駄目なヒトだったが、二人の姉妹を愛情を籠めて育ててくれた。

 

 もやもやした心は残るが、それでも主の研究が、結果的に二人の命を奪った。この鳥籠に囚われるきっかけも、全ては父親がその研究に携わっていたからだ。なら、自分の今までを無茶苦茶にされた分、きっちり仕返ししてやってもいいじゃないか。

 

「……娘として、親の敵ぐらいとってやるのが、親孝行ってやつかしらね」

 

 自分でもらしくないことを言ったと思い、黒歌はおかし気に肩を震わせた。少なくとも、あの父親は間違いなく感謝よりも激怒するだろうが。逆に気分がいいというものだ。主の後ろに何がいるのかはわからない。彼らが何を研究していたのかさえ。ならば、まずは知ろう。両親のことから目を逸らし続けるのを止め、しっかり向き合おう。

 

 それが、大切な妹と日の下を歩くために必要だというのなら、両親の業にだって立ち向かってみせる。

 

 

「まずは、情報集めからやるべき? 他の眷属(あいつら)に聞いても収穫なんてなさそうだし、自分で調べるしかないのかにゃぁ…」

 

 ちょっとめんどくさい、と心の中で思いながらも、気合いを入れる様に黒猫は軽く頬を叩く。主が犯罪行為を行っていても、関与していない証拠があれば、その主の眷属が裁かれることはない、と冥界の法で定められている。原作で犯罪者となった皇帝ベリアルの眷属が、世界大会の宣誓の挨拶に参加することができていたのも、この法で守られていたからだった。生粋のウィザードタイプで、仙術使いの黒歌にとって、結界を弄ってこっそり忍び込むぐらい朝飯前のことである。

 

 皇帝のように不正の証拠を集め、それを然るべき場所で開示し、己の主を摘発する。貴族である主を捕まえるのならば、曖昧な証拠では逃げられる可能性があるので、皇帝のように周りが庇いきれないほどの証拠を集める必要があるだろう。時間や労力はかかるだろうが、実現不可能な考えではない。そこで黒歌と白音は無罪を主張、または少々報復の危険性はあるが、情報提供者が黒歌だと伝えれば、主の罪から逃れられるかもしれない。

 

 あの主を摘発した後のことは、まだ考えられていない。主の後ろにいた者の影もある。それでも、犯罪者として追われることはない。幼い妹を連れて、「はぐれ悪魔」の烙印を押された状態で逃げるのは、黒歌とて厳しいのは理解していた。一番可能性として高いのは、妹を人質に取られたり、殺されたりするかもしれないことだろう。もしかしたら、妹を連れ出すのに失敗する可能性もあるのだ。

 

 逃げることに不確定要素が多すぎるのなら、まずは比較的安全な案から試すべきだ。妹と一緒に笑い合いながら、光ある世界を生きたいのならば。そんな夢物語が、本当に叶うのかと嘲笑う自分自身がいることを理解しながら、それでも黒歌は最後の足掻きを行うことを決心した。ここから逃げるのは、最終手段でもいいのだから。

 

「集めた証拠は、……皇帝に送ったらなんとかなるにゃ? 不正大嫌いみたいだし」

 

 自分でも適当さを感じてしまうが、元々政治や情勢などに興味のない黒歌にとって、悪魔なんてどれも同じに見えていた。それなら、皇帝と同じ方法で主を摘発しようと考えたのだから、レーティングゲームの不正が嫌いらしい悪魔に送ろう、と思ったのだ。政府公認の正式な試合で、違法ドーピングを使うのはまずいことだろうから。

 

 黒歌が思いついた方法は、最初から勝算の低い賭けなのだ。孤独な黒猫は、仲間と共に戦ったことがない。常に一人で戦い続けてきた。だから、誰かに頼る生き方を知らない。もし皇帝が黒歌の証拠を握り潰してしまっても、それはそれで仕方がない、と心のどこかで考えてしまっている。ただ、妹の夢を叶えてあげたいという願いが、せめてもの足掻きとして現れた考えだったのだから。

 

 

「うん、その時はその時にゃ。やっぱり駄目だったら、最初に考えていた通り、……私がマスターを殺してでも、白音を連れて逃げるだけよ」

 

 黒猫は静かな決意を胸に、己のやるべきことを確かめる様に言葉に表す。この日、皇帝の行動が波紋のように冥界へ広がったことで、一匹の黒猫に小さな夢を抱くきっかけを作ったのだ。

 

 皇帝が言っていたような、興奮し、涙し、努力し、仲間と築き上げてきた時間なんてない。喜び、怒り、哀しみ、楽しんだことなんてない。それでも、夢は生まれる。レーティングゲームだけでなく、世界の流れを変えるほどの大きな力は、様々な影響を冥界中に与えていった。

 

「ふにゃぁ…」

「あっ、涎出てる」

 

 幸せそうに眠る妹に思わず吹き出すと、黒歌は口元をそっと拭い取っておく。主を含め、冥界中が大慌てしているようだが、今はこの穏やかな時間を大切にしよう。黒い尻尾を楽し気に揺らし、微笑ましそうに黒歌は目を細めた。

 

 黒歌の心を動かしてきたのは、いつだって一匹の白猫のことを思う時だけ。そのためなら、本物の悪魔に、化け物にだってなってみせる。ただその時は、優しい妹を泣かせてしまうかもしれない。それだけが、チクリと黒歌の胸を痛ませた。

 

 

「こんなお姉ちゃんのことを思ってくれて。……ありがとうね、白音」

 

 気恥ずかしくて本心を直接妹に伝えることはできないため、こんな形でしか返すことができない。天邪鬼で隠し事ばっかりで、気まぐれな野良猫。そんな自分の性格に自嘲しながら、黒猫は屋敷の窓から見える空をぼんやりと眺めた。

 

 いつか姉妹二人で、この空の下を自由に歩けるその日を夢見て。黒猫の鳴き声が、冥界の空へと溶けていった。

 

 

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