えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか? 作:のんのんびり
「正臣やカナくんは、もう家に着いているのかな?」
「たぶん、まだじゃないかしら。今日は特に警戒しているでしょうから」
「そっかぁー。うぅ……、早くお兄様の活躍が知りたいよー」
夕暮れに近づいた駒王学園からの帰り道を、買い物袋を持った二人の女子高生が歩いていた。今日はちょっと豪勢な晩御飯にしよう、と朝に考えていたため、足りない食材を買い足していたのだ。寄り道をする気はなかったが、それでも自分達のために頑張ってくれているみんなのために、せめて何かできることはしたい。クレーリア・ベリアルは、手に持つ買い物袋に視線を移すと、優し気な微笑みを浮かべた。
ストライキが無事に終われば、あとは教会との交渉のみとなる。皇帝ベリアルが八重垣正臣を認め、二人のために動いてくれている事実を知れば、戦争には発展しないことを理解してくれるだろう。そうしたら、もう教会側と争う必要はなくなる。クレーリアは、正臣に仲間と闘うなんてことをしてほしくない、と考えていた。種族が違っても、わかり合えるはず。それがクレーリアと正臣が抱き続けてきた、真っ直ぐな気持ちなのだから。
「……今日は、いっぱいおいしいものを作らなきゃね」
「ふふっ、そうね。それが、今の私たちにできることだから」
「うん、どんな小さなことでも一歩ずつ、ってね!」
前までは、否定され続ける苦しさに、一人で泣くことが多かった。みんなを心配させないために、笑顔の仮面で不安を覆い続けてきた。先の見えない未来に、怯え続ける毎日。そんな日々に終止符を打ってくれたのは、小さな魔法使いの存在だった。まるで、物語に出て来るような本物の魔法使いのように、全ての不安を彼女達から消し去ってくれたのだ。
もちろん、小さな魔法使いは小さなことしかできない。それでも、小さな努力の積み重ねが、クレーリアたちに心からの笑みを取り戻させてくれた。わかり合えない恐怖を、立ち向かう勇気に変えてくれた。思いを伝え続ける大切さを、思い出させてくれた。その魔法使い自身は、それに全く気付いていないのだろうけど。
「あら、どうしたのかしら?」
「ルシャナ?」
「家で待機してもらっているはずの眷属から、連絡だわ。クレーリア、人目のつかないところへ移動するわよ」
「え、えぇ」
二人で歩く帰り道、突然魔力による通信が届いたことに、ルシャナは眉を顰める。自分たちが買い物をしてから帰ることは、一緒に学校へ通っていた眷属に伝えているので、帰りが少し遅くなることは知っているはず。つまり、予定とは違う何かが起きたということ。魔方陣を起動させるのを一般人に見られる訳にはいかないため、二人は近くにある人気がない公園へと向かった。
そうしてたどり着いた先で、二人は辺りを警戒する。公園から聞こえるのは噴水の流れる音のみで、人気がないことを確認し、ルシャナは耳へ手を当て魔方陣を発動させた。クレーリアも通信に聞き耳を立てながら、周りに気を配っておく。日の短くなった冬の夕暮れが、彼女たちをゆっくりと包み込み、伸びた二つの影が照らし出されていた。
「……それは、本当なの?」
それから、幾度かの問答の後。眷属達からの連絡に耳を澄ませていた彼女達は、その内容に緊張が背をかける。魔法使い側からの、倉本奏太からの警戒の知らせが、駒王町に届いたからだ。唐突な教会側の不審な動き、それが今回のストライキと無関係には思えない。何らかの形で、教会がクレーリア達に接触をするかもしれなかった。
ルシャナは教会側の動きに歯を食いしばると、これからの行動について冷静に詮索する。とにかく、クレーリアと自分の二人だけで行動するのはまずい。今すぐにホームへと帰り、眷属達と合流するのが先決だと考えた。
それと八重垣正臣にも、このことを伝えねばならないだろう。魔方陣でホームまで転移をするのが一番確実だろうが、怪しまれないだろうか。教会側の動きをどうやって察知されたのか感づかれれば、奏太達にも迷惑がかかる。それに悩んだが、今は最も危険であろうクレーリアの安全が最優先だと切り替えた。
「クレーリア、転移魔法を起動させるわよ」
「えっ、でも。私たちが転移魔法なんて使ったら、不審に思われちゃうんじゃ…」
「たぶんね。でも、一番まずいのは、あなたに何かあることよ。クレーリア、あなたは絶対に死んではいけない。ディハウザー様や、奏太くん、たくさんの人たちが、あなたと八重垣さんのために戦ってくれているの。後で迷惑をかけてしまうかもしれないけど、まずは動くのが先決よ」
「……わかった。私の女王の判断に従うわ」
これ以上の迷惑をかけてしまうかもしれないことに悩んだが、クレーリアもルシャナの判断を王として肯定する。以前にも、似たようなことがあったからだ。兄であるディハウザーに迷惑をかけてしまうと、今回のことを秘せた所為で、こんなにも大事につなげてしまった。
もし奏太がいなければ、動くことすらできずに粛清されていたかもしれない。ならば、今はとにかく動かなければならないだろう。教会には、エクソシストの精鋭たちがいるのだ。さらに、駒王町に張られている結界で、ベリアル眷属達は居場所を特定されている。そんな状態で、逃げることも戦うこともできないであろう。ならば、一度ホームに戻って、防御を固めるしかない。もしものために、籠城の準備はしてきたのだから。
「それじゃあ、転移の準備を始めるから――」
ルシャナが転移用の魔力を手に籠めると同時に、公園に現れた気配を感じ取り、続く言葉が止まった。クレーリアもそれを察し、息を飲んで胸の前で拳を握る。数秒ほど目を伏せたルシャナは、決意を込めた眼差しを浮かべ、気配がする方へ王を庇うように立ち塞がった。
「クレーリア、転移魔法の起動はあなたがやって。私が時間を稼ぐから」
「えっ、待って…。ルシャナ、そんなのって……!?」
自身の女王の覚悟に、クレーリアから悲鳴のような声があがる。ベリアル一族は、もともとあまり戦闘が得意ではない。ディハウザーのような魔王級が生まれたこと事態がありえないことであり、クレーリアも他の一族と同じように戦うことが苦手だった。だから、ディハウザーの母親が、従兄弟の闘う姿を見るのが辛いと語ることも一概に理解できたのだ。
彼女はディハウザーに影響されたこともあり、幼い頃は兄と同じようにレーティングゲームに参加したい、と夢を見ていた。そのための勉学や訓練に励み、はぐれ悪魔と戦えるぐらいの力量はつけ、その成果として駒王町の管理を任させることになったのだ。しかし、成長していくにつれ、自分の才能ではゲームに通じないとわかってしまった。当時はそのことで兄に泣きついたりもしたが、今はもう吹っ切れている。それからクレーリアと眷属達は、各々の持つ力でベリアル家を支え続けよう、と決めて行動してきたのだ。
だが、今はその才能のなさが恨めしい。兄のような魔力の才能が少しでも自分にあれば、正臣のような剣の才能が少しでもあれば、こんな風に守られるだけにならなくてよかったのに。どれだけ必死になって頑張っても、届かないことがあるのはわかっている。それでも、大切な幼馴染一人守れない王として未熟な自分が、何よりも悔しかった。
「お願い、クレーリア! 急いで――!!」
「……あれ、もしかして。そこにいるのは、クレーリアかい?」
王の気持ちを理解しながらも、それでも急かせようと声をかけた女王の声は、再び遮られる。他ならない、クレーリアとルシャナの声とも違う、第三者の声によって。しかし、緊張感のないそのよく聞きなれた声が、彼女たちの鼓膜と心を震わせた。
勢いよく振り向いた彼女たちの目に映ったのは、長い黒髪を一つに括った、長身の男性。のんびりと歩く彼は、不思議そうな顔で彼女たちを見つめていた。
「やえ…、がきさん……?」
「えっ、うん。どうかしたの、すごく焦っていたみたいだけど」
そう言うと、公園の入り口からクレーリア達に向かって、真っ直ぐに彼は進みだす。公園には彼以外にはいないため、先ほどの気配は黒髪の青年のものだったのだろう。
「もう、脅かさないで下さいよ。本気で寿命が縮みました」
「そんなことを言われても…」
彼としては、いきなり焦りだした彼女たちにどう反応したらいいのか迷っている様子だった。困惑したように頬を掻く姿は、まだ教会側が動き出したことを知らないのだろう。それにルシャナは、緊張で張っていた糸を緩ませ、心臓の音を抑えるように大きく息を吐いた。彼のいつも通り、のほほんとした顔を見て、安心してしまった自分に思わず笑ってしまった。
しかし、正直助かったのは事実だ。少なくとも、クレーリアとルシャナの二人だけだった状況に、八重垣正臣という戦力が加わったのである。たとえ他のエクソシストに出会ってしまっても、彼なら退けることができるだろう。紫藤トウジが出てきてしまったらわからないが、その時は先ほどのように女王である自分が王を逃がせばいい。
とにかく、彼に状況を説明して、ホームへ一緒に転移するべきだろう。ルシャナはクレーリアの手を握り、黒髪の男性の下へ駆け寄ろうとして、……それに抵抗を示すような反応に足が止まった。どうしたのかと振り返ると、クレーリアは八重垣を見ながら、何か迷いを見せるようなそぶりを見せる。ルシャナはそれに、訝し気に首を傾げた。
それから少しして、疑問が湧き出す。いつも元気いっぱいな彼女が、どうして真っ先に恋人である八重垣正臣に反応を返さない。ルシャナのように、安堵を見せない。普段なら、飛びつくような勢いで向かっていくのに、クレーリアの足は動こうとしない。まるで、黒髪の男性の下に行きたくない、と示すかの様に。
「クレーリア、どうしたの?」
「……ごめん、わからない。だけど、何か違うの…。正臣なんだけど、何か違って……」
クレーリア自身も、自分の反応に困惑していた。確かに先ほどのルシャナと同じように、声の主が八重垣正臣だったことに、彼女も嬉しかったはず。しかし、彼をこの目で捉えた瞬間、「違う」と単純に思ったのだ。それが、クレーリアの足を止めさせた理由。
彼女の目に映る彼は、間違いなく八重垣正臣だ。風に揺れる長い黒髪や優し気な表情、温かい雰囲気は、確かに彼そのものなのに。
「……ねぇ、正臣」
「なんだい、クレーリア?」
確認するように呼びかけたクレーリアへ、彼は嬉し気に返事を返した。その表情や仕草、話し方や雰囲気も全て彼とそっくりだ。ただ一つだけ、クレーリアだからこそ分かってしまった違いを除けば。
「違う、あなたは違う…。あなたは正臣じゃないッ!」
「――えっ?」
「…………」
「確かに正臣そのものだよ。だけど、その正臣は『昔の』正臣であって、『今の』正臣じゃないっ!! 私と出会ったことで、変わった彼じゃないわッ!」
その違いが、目だと気づいた。彼の目は、クレーリアと出会ってから、恋を知ってから変わった。その変化を、彼女は最も間近で見続けてきたのだ。昔の彼の目は、使命を全うしようとただ前だけを見続けていた。だけど今の彼は、隣を歩く人と歩調を合わせるように、周りを気にかけていた。自分自身の進む道を、見つけることができていたのだ。
それが、目の前の正臣にはない。まるで、時間が巻き戻っているような、クレーリアと出会う前の八重垣正臣のようだという違和感が、彼女を確信へ至らせた。未だにクレーリアの言葉に混乱するルシャナと違い、黒髪の青年はクレーリアの咎めるような視線を無言で受け止め、……悲し気に笑った。
「……本当にキミは、八重垣くんのことが好きで、彼を見続けてきたんだね」
一瞬だった。見知った姿の知り合いに出会え、油断していたルシャナは自分が公園の壁まで吹き飛ばれたことを、背中に感じた衝撃からようやく悟った。
思わず息が止まり、内臓が傷ついたのか、口から吐血が出る。頭も強打したのか、平衡感覚が狂い、立ち上がることもできない。衝撃の勢いが落ちたことで、地面に倒れ込んだ彼女は、血がせりあがる苦しさと痛みから嗚咽を繰り返した。
「――ルシャナァッ!?」
「に、げっ…。お願い、逃げ、てぇッ……!!」
目の前から突然消えた幼馴染の姿に呆然とし、彼女が壁にぶつかった衝撃音でようやくクレーリアは我に返った。頭から血を流し、傷ついた身体を必死に動かそうとする彼女の下へ向かおうとした足は、ルシャナの叫び声によって止められる。
だが、クレーリアよりも早く彼女の下へたどり着いた人物は、二人の悪魔を目で捉えながら、腰に差していた刃を抜いた。
「クレーリア・ベリアル。ここで逃げれば、私はキミの眷属をここで消滅させる。……私の目的はキミだけだ。キミが大人しく私についてくるのなら、彼女を見逃してやろう」
「……ッ!?」
咳き込むルシャナの首に、当てられた鋭い刃。その剣の纏う聖なる気に、二人は息を飲み、本能的な恐怖に震える。そして、先ほどまでの優し気な雰囲気などなかったかのように、その美しい刀身を握る彼の表情は、どこまでも空虚な無があった。
悪魔や魔の者が恐れる、神の加護を持つ武器。彼がルシャナを消滅させる、と言った言葉に嘘はないだろう。その聖なる輝きを悪魔が身に受ければ、その魂さえも消滅させてしまえる。それほどの力を持つ武器を担う者を、「聖剣使い」と人々は呼んだ。クレーリアは、目の前の黒髪の男性の正体に気づき、唇を噛みしめた。
「紫藤、トウジさんッ……!」
「……そうだよ。本当はキミたちのホームに案内してもらって、キミの眷属達を行動不能にしてから、連れ去るつもりだったのだけどね。仕方がない、それはみんなに任せるとしよう」
「いったい、どうやって…」
「……八重垣くんには、まだ見せたことがなかったから知らなかったようだね。
「そんな、ことって」
宣言通り、八重垣正臣の幻術を纏っていた聖剣の力を消し、そこから現れたのは、栗色の髪に牧師服を着た男性。聖剣使い、紫藤トウジその人だった。彼はその無機質な瞳をクレーリアへと向けながら、感情が感じられないような口調で答えを語った。
クレーリアとルシャナは、聖剣にそこまでの力があったことに絶句した。彼が持つ聖剣はレプリカであるため、そこまで繊細な操作や長時間の能力の行使はできない。しかし、自身の記憶の中から、特に親しかった仲間の姿を映し出すぐらいなら造作もなかった。事実、八重垣正臣の幻影を纏った紫藤トウジに、親しかったルシャナでさえ完璧に騙された。彼の笑い方も、話し方も、癖さえも、彼は知っていたから。
だが、肝心のクレーリア・ベリアルが騙せなかったことに、紫藤トウジの胸中に複雑な気持ちが芽生える。彼女がどれだけ八重垣正臣という青年を思っているのかを、痛いほど理解してしまったからだ。それでも、もう止まることはできない。彼は迷いを振り払い、聖剣を持つ手に力を込めた。
「あっ、ルシャナっ…!」
「さぁ、どうする。クレーリア・ベリアル」
淡々と宣告を告げる教会の戦士の言葉は、どこまでも冷ややかで機械のようだった。ルシャナは必死に声を出そうとするが、その度に聖剣の刃が首を掠め、その激痛に呻き続ける。動かない身体に涙を流し、悔しさに拳を握りしめた。
わかっていたからだ、クレーリアが出すだろう選択を。優しい彼女が、眷属を、友達を見捨てられる訳がない。たとえそれで、自分が危険な目にあうとわかっていたとしても。
「……私が大人しくついていけば、私の眷属を傷つけないでくれますか」
「殺さない、とは約束しよう」
「それは……」
「キミの眷属が、大人しく待てができるのなら傷つけはしないさ。だが、向かってくるのなら、こちらも応戦しなければならない」
当たり前のことだろう、と告げる紫藤トウジに、クレーリアはそれ以上何も言えなかった。教会と悪魔は、もともと敵対関係の組織である。攻撃を仕掛けてくる悪魔を滅ぼすのに、教会側が躊躇する必要なんてないのだ。そして、彼女の眷属達や八重垣正臣が、攫われたクレーリアを助け出そうと動かないはずがない。彼の「殺さない」は、自分達にとって破格の条件なのだ。
「それじゃあ、正臣も」
「彼は、キミに関係ないだろう。……八重垣正臣は、私の部下であり、教会の戦士だ」
「待って…ください。それって!?」
牙をむいたクレーリア・ベリアルの眷属は殺さない。だが、八重垣正臣はその限りではない。紫藤トウジの言葉の意味に気づき、彼の纏う空気が張り詰めたように凍ったことが、クレーリアの顔色を真っ青にさせた。
彼は、覚悟を決めてしまったのだ。自分の仲間を、その手で殺める覚悟を。
「待って、お願いっ! もう少しなの…、もう少しで、全部……!」
「悪いが、私たちにはもう時間がないんだ。ここで、教会と悪魔の悲劇を終わらせなくてはならない」
「お兄様は、決して戦争なんて起こさない! 教会の人たちを、傷つけたりなんてしないっ!」
溢れる涙を拭くことすらせず、クレーリアは必死に声を張り上げる。あと少しで、もう少しで、ようやくここまで来たのに。正臣の仲間たちが、これ以上苦しまなくてもいいように、仲間の血で汚れてしまわないように。みんなが、救われるように…。そのために、みんなで頑張ってきたのに。
「私は教会の戦士だ。……悪魔の言葉を信用することはできない」
そんな彼女の慟哭を、紫藤トウジは切り捨てた。
「これ以上、時間をかけるつもりなら、この悪魔の首を落とす。他の眷属達もだ」
「どうしてっ……。っ、……わかり、ました。だから、聖剣を私の眷属から離して。あなたに従うから」
クレーリアは己の感情を抑えつけ、流れる涙を拭きとり、せめて王として気丈であろうと震える声に力を入れる。今は、彼の言葉に従うしかない。それに、まだ正臣が殺されるとは限らないのだ。ここで紫藤トウジに抗っても、クレーリアに抵抗できる力はない。
彼女の言葉に頷くと、教会の戦士は聖剣をルシャナの首から離す。解放はされたが、ずっと聖なる気に当てられていた彼女はすぐに動けない。だが、悔し気に歯を食いしばって、紫藤トウジを睨み続けることだけはやめなかった。優しい王を攫う人質として使われたのだ、ルシャナの怒りは当然であろう。彼はその視線を振り払い、クレーリア・ベリアルの下へと歩いた。
「行くぞ」
「……せめて、私の眷属にルシャナをお願いすることを連絡してはいけませんか」
「それをすれば、キミが教会に攫われたことを彼らは知るぞ。自ら眷属や恋人を、窮地に追いやるか」
傷ついた女王を置いていくことに、クレーリアはせめてと提案を出した。確かに紫藤トウジの言う通り、ルシャナが助け出されれば、教会がクレーリアを攫ったことをみんな知るだろう。悪魔の生命力なら、致命傷を受けていないルシャナが死ぬことはない。彼らを巻き込ませないために、このまま何も告げず、彼について行った方がいいことは頭ではわかっている。
だが、クレーリアは首を横に振った。彼女の目は涙で濡れているが、決して光は失っていなかった。恐怖や不安はある。自分の大切なものが、全て壊されてしまうかもしれない。それでも、希望だけは、諦めることだけは絶対にしたくなかった。
悪魔を信じられない、と告げられた言葉に彼女の胸は抉られた。どうして伝わらないのか、と以前のように喚き出しそうだった心を、それでもクレーリアは押しとどめた。大丈夫だ、と自分に言い聞かせることができた。挫けてなんて、いられないから。例え周りから否定され、信じてもらえなくても、それでもこの道を歩くと決めたのは自分自身なのだ。
もう二度と、この思いを諦めないと決めたのだから。恐怖に震える身体を叱咤し、思いを勇気へと変えていった。
「……信じていますから。私は、みんなを」
「……何?」
クレーリアの真っ直ぐなまでの思いに、紫藤トウジは足を止める。わからないからだ、何故彼女がここまで強くいられるのか。いつ殺されてもおかしくない状況で、抗うこともできないほどの戦力差があるのに、どうして絶望せずに立っていられるのかが。
「八重垣くんやキミの眷属が助けに来てくれる、と夢物語を見ているのか。エクソシストの仲間たちだけじゃなく、この私すら退けて、彼らがキミを助けてくれると」
「すっごく他力本願で、ものすごくカッコ悪いですけどね。でも、私の取り柄はどんな状況でも、挫けず笑うことだから。絶対にうまくいくって、みんなで笑い合えるって、最後まで信じることだもの」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことは、ありえない。神の奇跡にも等しいことだ、……起こり得るはずがない」
「じゃあ、今日初めて見られるかもしれないですね。その、神にも等しい奇跡が」
眩し気に笑ったクレーリアの顔に、紫藤トウジは驚きに目を見開く。この状況で笑っていられる、彼女の思いの強さが信じられなかった。それに愚かだと思いながらも、何故か否定の言葉が出てこない。彼女が口にした、全部うまくいって、みんなで笑い合える未来。それを、心の底で彼も望んでしまっていたから。
「もうすぐクリスマスですから、可愛い小さな妖精さんが、奇跡のプレゼントを届けてくれるかもしれませんよ」
「……キミの夢物語に付き合うつもりはない。連絡を入れたいのなら、勝手にするといい。余計なことはしゃべらないように」
「はいはい、怖いなぁー」
心配げに見つめるルシャナに向かって、「大丈夫だよ」と笑いかけたクレーリアは、決意を込めて頷いてみせる。それに彼女の女王も、弱弱しくではあるが同じように頷き返した。自分のやるべきことを、必ず果たすために。
それから、眷属達へ今いる公園に来てほしい、と要件だけを伝える。紫藤トウジに忠告された通り、それ以上余計なことは言わなかった。だが、奏太から忠告を受けていた眷属達は、すぐに動いてくれるだろう。弱った幼馴染を寒空の下に長時間置いていくことだけは、したくなかったのだ。
「あっ……、そっか。どうりで寒いはずね」
「雪か」
ちらり、と視界に映った白い塊に、クレーリアは手を伸ばす。指先に触れたその冷たさと儚さを感じながら、彼女は
悪魔が奇跡を願うことを、みんながわかり合える未来を夢見ることを。そして、みんなを巻き込んでしまう自身の力のなさと、その身勝手さを。悪魔なので祈ることはできないが、せめて願わせてほしい。ちゃんと奇跡はあるのだと、心が凍ってしまった戦士にその温かさを教えてあげてほしい。それが、きっと彼には必要なんだと思うから。
白い雪が彼らを静かに包み込み、その姿を消し去っていく。少し白にも見える色を持った灰色は、雪景色の中へと溶けていったのであった。