えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第六十六話 絶望

 

 

 

 八重垣正臣は、駒王町の街を走り続けていた。額から流れる汗を邪魔そうに袖でふき取り、雪景色の中を息を切らせて足を進めさせる。日はだいぶ暮れ、冬の空はすぐにでも暗がりを見せ出す。雪が降ってきたこともあり、駒王町を歩く人の数も減っていたため、正臣の先を遮るものは何もなかった。

 

 冥界で起こる大嵐。それが今日、クレーリアの従兄弟であるディハウザー・ベリアルの手によって起こされる。そこで悪魔側と交渉して、クレーリアから手を引かせれば、後は教会との交渉だけになる。バアル派の悪魔から教会に、ベリアル家に敵対の意思がない事を伝え、そこから話し合いへと向かわせるのが流れだった。

 

 自分達の問題を、義兄である悪魔に任せてしまうことに申し訳なさはある。しかし、正臣にできることは何もなかった。だからこそせめて、紫藤トウジへ話をするのは自分の役目だと考えていたのだ。精一杯に頭を下げ、今までの感謝を告げ、教会と決別するために。彼に剣の腕では敵わないかもしれないが、それでも自分の思いの全てをぶつけようと思っていた。悪魔との交渉後なら、少なくともお互いの命を奪うまでのことにはならないだろうから。

 

 だが、その流れは変わってしまった。他ならない、悪魔と教会の手によって。

 

 

「――ルシャナさんッ!」

「八重垣…さん。今度は、本物ですよ、ね?」

「あ、あぁ。僕は僕だよ」

 

 彼が走っていた理由、それはクレーリアの眷属達から連絡を受けたからだった。自分達の問題に共に立ち向かってくれた少年――倉本奏太から、教会に不審な動きがあることを知らせてくれたこと。そしてそのすぐ後、クレーリアからの不審な場所指定をお願いする連絡があったこと。それに眷属達は早急に動き、正臣にも事態の急変を伝えたのだ。互いに合流することが先決と、クレーリアが指示を出した場所を目的地とした。

 

 そうして彼女達がたどり着いた先で見つけたのは、ベリアル眷属の女王であるルシャナが倒れ伏す姿だった。降り積もる雪に冷えた身体は色をなくし、赤い血だけが色鮮やかに映る。息はあったが、内臓を傷つけてしまっているため無理に動かせず、とりあえず人払いの結界を張った後、公園近くの屋根に移動させた。その場に、八重垣正臣も合流を果たしたのだ。

 

 先にたどり着いていたのだろう眷属達の手によって、彼女の傷には包帯が巻かれ、すでに血は塞がれていた。しかし、聖剣による痛みはまだ続くのか、すぐに立ち上がることはかなわない。金色の髪は地に汚れ、制服は血で濡れ、意識は取り戻したが、その知的な容貌は涙に暮れている。それに正臣は拳を握り締め、彼女に頭を下げた。

 

「すまない、紫藤さんが…。僕の仲間たちがっ……!」

「あなたが、謝らないで…、ください。あなたの、所為じゃない。女王として、不甲斐ない……私自身の力不足が原因です」

「しかし…」

「しつこいです。……それに、八重垣さんは、私たちの仲間でも、あるん…ですから……。あなたが暗いと、みんな暗くなってしまいますよ…」

 

 ルシャナは小さく笑って言ったが、痛みから身体を丸め咳き込む。眷属達が彼女を慌てて介抱し、あまり無理はするな、と注意するが、頑固な女王は聞く気がないらしい。眷属からの魔力供給で少しばかり回復した彼女は、涙で濡れていた頬を拭き、強い意志を宿した瞳のまま、眷属達と正臣に視線を向けた。

 

「大丈夫、かなりマシになったわ…。これぐらいの痛み、心配しないで。ここでじっとしている訳には、いかないですから」

「……わかった。辛いとは思うけど、何があったかを話してくれるか?」

「もちろんです。そのために、クレーリアは……私たちに託してくれた」

 

 それから語られたのは、紫藤トウジによるクレーリアの拉致の真実だった。まさか聖剣の能力で、八重垣正臣の幻術を纏えるなど想像すらしていなかった。何よりも、もしクレーリアが正臣が偽物だと看破できていなかったら、ホームを全滅されていただけじゃない、協力してくれていたみんなの存在もバレてしまっていたことだろう。その状況に、正臣や眷属達の顔色は真っ青になった。

 

「クレーリアのおかげで、最悪は免れました。紫藤トウジの話から考えると、彼らはクレーリアをすぐに殺すつもりはないと思う。あと、大人しくついてくるのなら、私たち眷属の命だけは取らないって、約束をしていたわ」

「眷属の命だけ……」

「えぇ…。八重垣さん、気を付けて。紫藤トウジは、あなたを斬る気よ。クレーリアを助けに行こうとする、あなたを」

「…………」

 

 わかっていたはずだった。それでも、いざ父のように思っていた人が、自分を斬ろうとしていると言われると、重苦しい感情に塗りつぶされそうになる。だが、正臣は頭を振り、その恐れを振り払う。ここで紫藤トウジに立ち向かうことができるのは、自分だけなのだ。クレーリアを救いに行ける可能性があるのも。

 

 紫藤トウジは、間違いなく本気で来るだろう。八重垣正臣の恋人である、クレーリアを攫ったのだ。正臣が助けに来ることぐらい、簡単に予想がつく。しかし、こちらの戦力はあまりに乏しすぎる。まともに切り合えるのは、正臣だけ。王は攫われ、女王は戦闘不能な状態で、司令塔がいないベリアル眷属達と協力するのは難しい。さらに、紫藤トウジだけじゃない、エクソシストの仲間たちも立ち塞がるのだ。戦闘経験に乏しい眷属達では、勝つことも厳しいだろう。

 

 ディハウザー・ベリアルとの交渉が終わるまで、クレーリアが殺されることはないと考えられる。皇帝である彼が彼女を見捨てるとは思えないが、だからといって彼が負けを受け入れたら、本当に全てが終わってしまう。ここでクレーリアを救い出せなかったら、せっかくここまで頑張ってきたことが、何もかも無になってしまうのだ。

 

 それだけは、受け入れられない。たとえ、紫藤トウジやエクソシストの仲間達を斬ることになったのだとしても、彼らを止めなくてはならない。眷属達から連絡を受けて、腰に差してきた愛刀の柄を握りしめ、正臣は強く唇を噛みしめた。

 

 

「怖い顔をしていますよ、八重垣さん」

「……ルシャナさん、彼女は僕が必ず助けます。この命を懸けてでも、たとえ仲間のみんなを斬ることになったとしてもッ!」

「やめてください。クレーリアを泣かせる気ですか」

「うぐゥッ!?」

 

 スパンッ、とどこにそんな力が残っていたのか、女王は美しい手刀を正臣の頭へ振り下ろした。見事な角度から落とされた手刀は、昏い覚悟を決めようとしていた男の目を目覚めさせる。正臣は痛みに呻きながら、何故止めるのかと胡乱気に見返すと、ルシャナは呆れたように溜息を吐いた。

 

「クレーリアが、そんなことを望むわけがないからです。私は彼女に幸せになってほしい。そして、クレーリアの幸せにはあなたが必要なんです」

「だけどっ……!」

「言ったでしょう、あなただって私たちの仲間なんだって。クレーリアだけじゃない、私たちだって、あなたの手を家族の血で汚させたくないんです」

 

 綺麗ごとを言っているのは、夢物語を語っているのは、ルシャナも理解している。誰よりもクレーリアが救われてほしいと願い、傍で支えてきたのは彼女なのだ。八重垣正臣の力で、クレーリアが救われるのなら、悪魔として彼を教会に焚き付けることだってしただろう。だけど、彼女はクレーリアに託された。彼女の意思を、覚悟を。それを捨てることだけは、絶対にできなかった。

 

「それに、クレーリアが言っていたんです。『可愛い小さな妖精さんが、奇跡のプレゼントを届けてくれるかもしれませんよ』って」

「……それって」

「本当に、主従揃って情けないですよね…。あんな小さな子を巻き込むだけじゃなくて、厄介事まで押し付けようとして。もう十分すぎるプレゼントを、あの子からもらっているというのに…」

 

 それでも、あの少年なら、きっと八重垣正臣を助けてくれる。クレーリアを救うために、あり得ないはずの奇跡を届けてくれるかもしれない。もちろん、彼は『灰色の魔術師』に所属しているただの人間だ。教会に攫われたクレーリアを救うために、表立って動くことはできないだろう。これ以上、何の得にもならない彼女たちのために、危ない橋を渡ってくれるなんて、虫がよすぎるというものだ。

 

 だが、八重垣正臣とベリアル眷属だけでは、教会に立ち向かうことは不可能に近い。教会相手に、悪魔側や組織が介入することも難しい。そんな状況でクレーリアを救うには、少年の協力がどうしても必要だった。もしかしたら彼なら、何か打開策を見つけてくれるかもしれない。そんな希望を、彼はいくつもみせてくれたのだから。

 

 

「奏太くんには…」

「一応、八重垣さんが来る前に連絡は入れました」

「彼は、なんて答えてくれたんだ?」

 

 正臣自身も、期待してしまったのは嘘ではない。彼はどんなに絶望的な状況になっても、決してあきらめることなく、真っ直ぐに手を伸ばしてくれた。もしかしたら、と考えてしまう思いに嘘はつけない。奏太の善意に甘える考えなのは、わかっている。だが、彼と一緒ならクレーリアを本当に救えるかもしれない。逸る心を抑えるように、ルシャナへ視線を真っ直ぐに合わせた。

 

「その、何やら通信先が騒がしかったですけど、……『わかりました、頑張ります』と泣きながら答えてくれました」

「……なんで、泣いて?」

「えっと、さぁ? 私が焦っていたのもあって、理由はよくわからなかったです。ただ、『これが、カナたんの分にょ』という野太い声と一緒に、あの子の悲痛な叫び声が聞こえたと思ったら、通信が切れてしまって……」

「えっ、何? どういうこと。奏太くん、大丈夫なのか?」

「たぶん? ここの集合場所だけは、なんとか伝えることはできましたが…」

 

 現在駒王町は緊急事態に陥っているが、何故か奏太側も緊急事態に陥っているらしい。クレーリアが攫われて、気が焦っていたルシャナが思わず冷静になってしまうぐらいには、大パニックになっていたようだ。頼みの少年が大泣きして叫んでいる状況に、正臣と眷属達の間に無言の時が流れる。本当に大丈夫だろうか。

 

 とりあえず、奏太から了承の返事はもらえていることから、おそらく『彼なりに』頑張ってくれるのだということを信じよう。先ほどまでの張り詰めていた空気が、一気に吹き飛んだ気がするが、ある意味これも彼の力なのかもしれなかった。

 

「ふ、はははっ…。なんというか、奏太くんらしいね」

「ふふっ、えぇ。不思議とどんな状況でも笑っちゃうのよね、あの子やクレーリアがいると。……だから、私たちも頑張りましょう。私たちにできることを一歩ずつ」

 

 時間がないのは変わらない。だが、焦って突っ込んでも返り討ちにされるのは目に見えている。クレーリアを助けたいのなら、紫藤トウジと決着をつけるのなら、確実に一歩ずつ進むべきなのだ。追い詰められたから戦うんじゃない、みんなが望んだ……笑い合える未来のために戦う。それが、八重垣正臣とベリアル眷属の意思。それだけは、決してなくしてはいけない彼らの指針なのだから。

 

 

「まず、私たちが考えるべきことは、クレーリアの居場所の特定ね。この際、彼女を救い出せればこっちの勝ちだもの。あとは、ディハウザー様たちがなんとかしてくれると信じましょう」

「なんだか僕たち、本当に周りを頼りまくっているよね」

「悶々と内で悩んでなんとかしようとした結果が、粛清エンドだったのよ。もうどこにだって、頭を下げるしかないじゃない」

 

 普段クールで冷静な女王が、かなりはっちゃけだした。彼女も色々な限界を越えすぎて、テンションがおかしな方向に吹っ切れだしたのだろう。ルシャナの態度に、絶望的な状況に俯いていたベリアル眷属達も、少しずつ笑みが浮かんでいく。

 

「八重垣さん、紫藤トウジがクレーリアを拉致しただろう場所の見当ってつきますか?」

「……おそらく、教会ではないだろう。あそこには、紫藤さんの奥さんと娘さんがいる。彼女たちを巻き込みたくはないと思う」

「いっそ、彼女たちを人質にしてしまいますか?」

「そ、それは…」

「冗談です。紫藤トウジもその可能性を考えて、護衛を置いているかもしれません。それに、一般人の女性や子どもを巻き込むなんて、ベリアル眷属としての誇りが許せませんから」

 

 古き悪魔達と同じ卑劣な方法なんて取りたくない。人質を取ってしまえば、それこそクレーリアと正臣の真摯な思いまで穢してしまう。それに、もしも上手くいったとしても、教会と悪魔の間に確実に亀裂を生んでしまうだろう。何よりも、クレーリアが絶対に悲しむ。正臣も彼女たちを巻き込みたくなかったため、ルシャナの返答に頷きを返した。

 

「あと考えられるのは、駒王町にいくつかある教会の私有地だね。僕もいくつか知っているけど、虱潰しに探すのは骨が折れそうだよ」

「……なら、いっそのこと聞いてみますか? クレーリアと紫藤トウジがいる場所を」

「えっ、聞く?」

「エクソシストの仲間にですよ。一人ぐらい強襲しましょう。八重垣さんと私たちが協力すれば、多勢に無勢です。ボコボコにして、居場所を吐かせましょう」

「ルシャナさん、戻ってきて。いつもの冷静で、僕たちにツッコミを入れてくれる女王様に戻ってきてください」

 

 思わず敬語が出てしまった。今夜の女王様は、アグレッシブすぎる。

 

「でも、悪い案ではないでしょう? 向こうが私たちを狙ってくるのは間違いありませんし」

「そうだけど」

「居場所が分かれば、後は私たちでそのエクソシストの仲間たちをなんとかして引き受けます。だから、八重垣さんは紫藤トウジさんの方へ向かって下さい」

「えっ?」

 

 常にみんなで行動する、と考えていた正臣は、ルシャナの案に疑問が声に出る。何より、いくら命は奪わない、と約束したからといって、彼女たちには危険すぎる案だ。戦い慣れした戦士達相手に、彼女たちは高校生で、しかも戦闘経験だってあまりない。それにルシャナは唇を噛みしめると、「冷静に判断してです」と小さく呟いた。

 

「私たちでは、足手まといです。紫藤トウジとの戦闘は、八重垣さんに任せる方が勝率が高いでしょう。実力の足りない悪魔(私たち)では、聖剣の前に無力ですから。それに、彼らは私たちの命を奪えないはず。そこをつけば、エクソシストの人たちを足止めすることぐらいはできるかもしれません。必ず、一対一の状況へあなたを持っていきます」

 

 自らに王を救える力がないことを判断したルシャナは、正臣に全てを託す選択を選んだ。ベリアル眷属の居場所は、駒王町に張られた結界によって探知されてしまっている。それなら、自分たちが囮となって、彼らの気を引くことができるだろう。もし余裕があれば、正臣の援護に向かえばいい。隙をついて、クレーリアを救出することもできるかもしれない。

 

 それに、倉本奏太達も援護に入ってくれるはずなのだ。正臣一人だと厳しくても、教会に知られていない彼らが陰ながらサポートに入ってくれれば、さらに勝率は上がるだろう。ならば、自分達の役目はそのための露払いである、とルシャナは答えを出したのだ。

 

 彼女の小さな身体が震えているのが、正臣には分かった。それでも恐怖を抑え込むように顔をあげ、凛とした声音でベリアル眷属達に役割を伝えていく彼女は、王を支える女王としての相貌になっている。そして、そのルシャナを支えるように、ベリアル眷属達は誰一人として逃げることなく、動こうとしている。

 

 正臣は彼女たちを戦力外だと判断し、自分一人で解決しようと考えた、先ほどの己を恥じた。彼女たちが一番自分達の力不足をわかっている。それでも王を救うために、正臣のために道を作れるように、できる全てで戦おうとしているのだ。

 

「……ありがとう、みんな」

「当然です。それに、八重垣さんが一番危険であることには、変わりないんですよ。紫藤トウジとの勝負に拘らずに、クレーリアの救出を優先してくださいね」

「あ、あぁ、そうだよね」

 

 いつも通りピシャリ、とした女王の注意を受け、正臣は乾いた笑みを浮かべる。クレーリアと一緒に彼女に怒られて、それを眺めるベリアル眷属のみんなに笑われて、そんな当たり前だった毎日が頭をよぎった。

 

 その当たり前を取り戻すために、この剣を振るおう。愛するヒトを、大切な仲間を、守りたい未来のために、自分勝手な我を通していこう。そのための()を、自分は彼女へ誓ったのだから。

 

 

「さて、お待たせしました。私の身体もだいぶ回復してきましたし、そろそろ動きましょうか」

「大丈夫なのか?」

「平気です。女王である私が、へばっている訳にもいかないですからね」

 

 そう言って柱を支えに立ち上がり、ふらつきそうだった足に力を込めてルシャナは立ち上がる。誰もが心配そうな顔をするが、彼女の行動を止めようとする者はいなかった。頑固な彼女が止まらないことは、ここにいるみんなが知っていたからだ。

 

 それに正臣は仕方がなさそうに肩を竦めると、せめて男である自分が肩ぐらいは貸そう、とルシャナに近づくために足を前に踏み出し――

 

「えっ」

 

 そのまま勢いを殺さずにルシャナの横を駆け抜け、彼女に向かって放たれていた魔力の刃を己の刀で切り裂いた。

 

 

「あっ、八重垣さん?」

「……後ろに下がっていて、ルシャナさん。みんな」

 

 刀を構えた先で、正臣は鋭い視線で彼女を狙った先を見据える。突然のことに困惑していた彼女たちも、すぐに事態の把握に努める。何者かに襲撃を受けた。それも、もし正臣が気づかなかったら、ルシャナに直撃していただろう。その攻撃方法から、相手が誰なのかに気づいた彼らの表情は、固く強張った。

 

「おやおや、なるほど。そういえばいましたね、聖職者でありながら悪魔と恋愛なんてした愚かな男が。すでにベリアル眷属と、合流していましたか。名前は忘れましたが、剣士としての腕はあると聞いていましたね」

 

 蔑むような、昏く淀んだ声が、正臣たちの耳に届く。そして、血のような魔方陣が彼らの前に現れ、そこから一人の悪魔が姿を現した。彼はベリアル眷属と正臣を品定めをするように一瞥すると、クツクツと楽し気に嗤った。

 

 

「……バアル派の、悪魔」

「えぇ、そうですよ。まさかあなた方の敵が教会だけとでも? いやだなぁ、教会が粛清に動くのなら、我々だって動かなければフェアではないでしょうに」

「クレーリアはまだ殺されていないわっ!」

「どうせ殺されることには、変わりないでしょう? あなたたちも含めてね」

 

 まさかここで悪魔側まで動くとは、彼女たちにとって完全に想定外だった。彼らはクレーリアの命と引き換えに、皇帝と交渉するつもりであったはず。このことを本来のルシャナたちは知るはずがない事だが、知っているからこそ彼らが動くことに驚きを隠せなかった。

 

 だってこれでは、もし皇帝が彼らの条件を飲んで、クレーリアの解放を望んだ場合、その約束を違えてしまうことになるから。悪魔は教会と交渉して、クレーリアを助ける。そのような筋書きのはず。それなのに、まだ皇帝との交渉すら終わっていない段階で、こちらに攻撃の意思を向けるとは思わなかったのだ。

 

「……そういうこと」

「ルシャナさん?」

「彼らはディハウザー様との交渉で、クレーリアを救うと話すはずよ。だけど、その眷属は含まれていない。私たちを殺すことは別に契約違反じゃないわ」

「待ってくれ…。なんで悪魔側がわざわざそんなことを?」

「今までの彼らの思考から考えるに、……ベリアル家への嫌がらせじゃない? クレーリアは人質だから、彼らは手を出せない。だけど、私たちは違う。クレーリアの眷属が全滅したことを知れば、ディハウザー様は心を痛めるだろうから」

 

 バアル派の悪魔には聞こえないように小声で、ルシャナは自分の考察を語っていく。その内容に正臣は絶句し、悪魔側の悍ましさに刀を握る手に力が籠った。

 

「私たちの全滅は、教会の所為にでもすればいいわ。クレーリアが攫われたのは事実。その時に、眷属達は葬られたってことにすれば、交渉の場での教会の本気に真実味が増す、ってところかしら」

「だけど、そんなの後で確認されれば…」

「もみ消す気でしょうね。クレーリアが、教会と不祥事を起こしたのは本当のこと。何より私たちは眷属悪魔で、貴族悪魔じゃない。眷属悪魔のために、悪魔側が下手に教会へ追及なんてできないわ。教会側も不祥事をもみ消したいだろうし、今回の粛清が表に出ることはない。故に、私たちの死は、ひっそりと闇に葬られる」

 

 今回のディハウザーとの交渉に、眷属の存在は重要視されていなかった。彼らはその裏をついて、嫌がらせに彼女たちを消し去りに来たのだ。貴族悪魔であるクレーリアとは違い、眷属悪魔である彼女たちの立場は低い。彼女たちの死に不審なものがあろうと、悪魔側は詳しく調べようなどとしないだろうから。

 

 教会側も、悪魔側の事情に深入りしたくないために、黙認するであろう。どっちみち、聖職者である彼らにとって、悪魔が消されるのは問題のないことなのだ。同族同士争うのなら、勝手にやれという感じに、見て見ぬ振りをするだろう。

 

 

「まったく、あの聖剣使いはどうも甘い。クレーリア・ベリアルなど簡単に捕らえられるだろうに、眷属の命を奪わないと約束を交わすなど。聖職者なら、悪魔の一人か二人ぐらい、斬り殺してくれているだろうと思っていたんですけどねぇ」

「……お前たちのような、命を命と思わないやつらと一緒にするな」

 

 紫藤トウジの行動を鼻で嗤う悪魔の姿に、正臣は怒りに燃え上がる心を平静に保ちながら、冷静に戦士として間合いをはかっていく。ここで怒りに任せれば、相手の思うつぼだから。彼の後ろには、守るべき仲間たちがいる。それが正臣の剣に、力を与えていた。

 

 それなりに力のある悪魔であろうが、少なくとも正臣とそこまでの力の差があるとは思わない。先ほどの籠められた魔力の強度から、相手の力量を正確に計算していく。今までの戦闘の経験から分析し、己の培ってきた勘を考慮し、戦闘スタイルを見極める。教会の戦士として魔の者と戦い続けてきた彼だからこそ、相手を斬るための一本の剣へと変われる。

 

 その正臣の後ろで、ルシャナたちもそれぞれが彼を援護するように魔力を籠め始めた。おそらく相手は、ベリアル眷属だけを相手にすると思ってここに現れたはず。普段は気の抜けた青年であるが、正臣は紫藤トウジに次ぐ実力者として名のある戦士なのだ。みんなで協力をすれば、この悪魔を退けることは決して不可能ではない。

 

 

「くくくっ、随分好戦的な目ですね。王が攫われ、女王は傷つき、まともに戦えそうなのは敵対勢力であるはずの男一人。それでよく戦意が保てますね」

「えぇ、絶対に負ける訳にはいかないから。あなたたちの思惑なんて打ち破って、クレーリアだって救ってみせる! あなた一人、私たちが力を合わせれば――」

 

 みんなを鼓舞するように声を張り上げたルシャナへ、悪魔は本当に楽しそうに、面白おかしそうに、希望に縋る愚かな娘を憐れむように、嗤い声をあげる。その悪魔の狂ったような嗤いに、ルシャナは肩を跳ねさせるが、敵意を隠すことなく相手を見据え続けた。

 

「……あぁ、なるほど。なるほど。あなた方が絶望していないのは、そんな小さな希望でしたか。……では、そんな愚かしい希望を消し去ってしまうような、更なる絶望をあなたたちにプレゼントしてあげましょう」

 

 悪魔の言葉を、正臣たちは一瞬理解できなかった。だが、その変化に逸早く気づいたのは、八重垣正臣であった。彼は知っていたからだ、彼らの気配を、纏う殺気を。刀を握る力が強張り、冷や汗が彼の背をかけていく。

 

 

「久しぶりだね、八重垣くん。……今日という日が来てしまったのは、残念だよ」

「……轟、さん、スミスさんやみんな……」

「嘘、どうして…」

 

 雪景色の中から、現れた複数の人影。ルシャナたちもそれに気づいた時には、どうすることもできない現状に身体を強張らせた。自分達を囲むように展開された、絶望への包囲網。正臣と同じように、剣や刀などを持った戦士たちが次々と姿を現す。その者たちの顔に浮かぶのは、悲哀と覚悟の相貌。

 

 確かに紫藤トウジは、眷属達を行動不能にしようと語っていた。だが、エクソシスト全員で向かわせにくる、などといった暴力を向けて来るとは思っていなかったのだ。それも、悪魔側と協力して。

 

「勘違いしているようだから、言っておくよ。悪魔側と協力したのも、ここに私たちがいるのも、全て我々の独断だ。トウジさんは、このことを知らない」

「えっ……?」

「……トウジさんは、全てを自分で背負う気でいた。キミを斬るのは自分の役目だと。今回だって、我々は教会の警護だけで、もしもベリアル眷属が動いた場合だけ、彼女たちを止めてほしいとしか言わなかった。それと、キミが教会に訪れたら、自分のいる場所を教えて欲しい、ともね」

 

 エクソシストの仲間から語られた真実に、正臣は呆然と立ちすくむ。紫藤トウジは、本当に自分一人で決着をつけるつもりでいたのだ。仲間に罪を背負わせないために、全てを背負って正臣を斬ろうとしていた。

 

 聖剣と同様に、最大の戦力である仲間たちを、紫藤トウジは使えなかったのだ。口ではいくら言えても、実際に彼らに正臣を斬る役目を命令することができなかった。それは彼の甘さであり、弱さであり、優しさだった。教会の戦士としての任を全うするのなら、仲間を使う方が確実なのに。それでも彼は、己の剣だけで正臣と戦おうとしたのだ。

 

 

「だけど、それって大変勿体ないですよねー? 失敗も許されないというのに、非常に愚かな選択だ。だから、私が声をかけてあげたんですよ。……彼らも迷っていたみたいですから」

 

 強張る正臣の表情が面白いのか、悪魔は饒舌に語りだす。悪魔の言葉をエクソシスト達は睨みつけるが、それ以上のことはしなかった。悪魔のささやきに、迷いのあった彼らは耳を傾けてしまったからだ。紫藤トウジに全ての罪を背負わせる選択を。息子のように見守ってきた正臣を、本当に彼に斬らせてしまっていいのかを。

 

 それに、彼らには不安があった。それは、紫藤トウジの体調である。彼らは最も間近で、彼の胃痛の軌跡を見てきた。この数ヶ月で、病院に運ばれた回数、胃に穴をあけた回数、奥さんに泣きついた回数、娘に抱き着く回数、神に祈りを捧げる回数、仲間に介護される回数、どれも数えきれないほどのものになっている。

 

 だからこそ、彼らはわかってしまった。紫藤トウジはもう、心身ともに本当にヤバい状態だと。今は教会の戦士としての使命があるからこそ、その信仰心と気力だけで彼は立っている。だが、その後は? 彼自身の手で正臣を斬れば、その精神はどれほどの傷を負うことになるのだろうか。今までのことで蓄積された胃痛(痛み)は、確実に限界を迎えかねない。

 

 紫藤トウジが八重垣正臣を斬るということは、彼の胃も終わるということと、イコールに等しいのだ。それに万が一、正臣が紫藤トウジに勝ってしまったら、それこそ彼の今までの覚悟が全て消えていってしまう。

 

 だからこそ、エクソシスト達は悩み、考えた。どうすれば、この悲劇を最小限に収めることができるのかを。紫藤トウジに正臣を斬らせてしまえば、自分達は仲間だけじゃない、大切なリーダーさえ胃痛で失ってしまうかもしれないのだ。

 

 それだけは、何としても彼らは阻止したかった。

 

「……故に我々は、覚悟を決めたんだ。私たちの手で、キミを斬ることを。トウジさんの命令に背いてでも、彼の覚悟を踏みにじることになるのだとしてもっ! それでも、あの人の胃を守るには、もうこれしか方法がないんだァァァッ!!」

「紫藤さんっ……、そこまで、胃が悪化していたなんてッ……!」

 

 彼らの切実すぎる心の叫びに、さすがの正臣も彼らの覚悟を責めることができなかった。紫藤トウジの胃痛の一端が、紛れもなく自分であるが故に。

 

 

「八重垣くん、我々を恨んでいい。キミの実力を恐れた私たちは、こうして卑怯な手を使わざるを得なかった…。彼女たちを置いて、キミ一人で逃げることはできないだろう?」

「クッ……!?」

 

 エクソシストの仲間たちがここに集結した理由はアレであるが、もう打つ手がないほどの状況であることには変わりなかった。確かに正臣一人なら、彼らを振り切ってなんとか逃げることはできたかもしれない。だが、そうなったら、ベリアル眷属達の命はないだろう。

 

 バアル派の悪魔が狙っているのは、ベリアル眷属達の命。そして、エクソシスト達が狙っているのは、八重垣正臣の命。彼らの目的は互いに利になると考えた結果、こうして協力体制が生まれたのだろう。

 

 正臣に、彼女たちを見捨てる選択肢なんて取れるはずがない。だが、悪魔とエクソシスト達の挟撃を、しかも彼女たちを守りながら行うなど不可能に近い。

 

「僕はっ……!」

 

 それでも、守ると決めたのだ。彼女と己に誓った、思いの剣。愛するヒトを。大切な仲間たちや友だちを。彼らと共に笑い合って、歩む未来を。この命の炎が消える最後まで、諦めずに貫き通すと決めた。例え、どれほどの絶望の中にあったのだとしても。

 

 悪魔の狂笑が響き渡る中、雪のように彼らに絶望を降り積もらせていった。

 

 


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