えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第七十二話 交渉

 

 

 

「ごきげんよう、皆様。この度は、私共の話し合いのために席を用意して下さり、感謝いたします」

「ごきげんよう、ディハウザー殿。こちらこそ、我々の要請に耳を傾けてくれたこと、冥界を治める魔王として感謝する」

 

 アジュカ・ベルゼブブの案内に従い、真っ直ぐに向かった先で、まず皇帝の目に入ったのが鮮やかな紅色の髪だった。エメラルド色の瞳は穏やかに、しかし油断のない佇まいを見せる冥界の王を前に、ディハウザーは深く頭を下げる。騒動の中心地である皇帝の登場に、部屋の中にいた者達の目が一斉にこちらを向いたのが分かった。

 

 運営の重役たちはすでに席についていたようで、忌々しい表情を隠すことなく、皇帝たちを無言で睨みつけている。バアル大王はこちらを一瞥すると、目を細めて思案気に腕を組んだ。アガレス大公は、彼らの交渉を見届けるために離れた場所に座り、じっとりと流れる汗を拭きとった。最初に挨拶を交わしたサーゼクス・ルシファーは、内心「やりづらいなぁー」と思いながら、一触即発の雰囲気にどう話を切り出そうかと思考を巡らせる。

 

 そんな重々しい緊張感が流れる空間で、次に行動に移したのは、軽やかなステップでサーゼクスの隣に並んだ小柄な影だった。二つに縛った黒髪を揺らし、ディハウザーと視線を合わせると、にんまりとした邪気のない笑顔を見せた。

 

「ごきげんよう、ディハウザーちゃん。前に『マジカル☆レヴィアたん』に友情出演してくれて以来だね☆」

「これは、レヴィアタン様。ごきげんよう。はい、以前はお世話になりました」

「うん、ディハウザーちゃんが演じてくれた『コーテイ仮面』は、冥界の子ども達にすごく人気だったんだよ。また一緒に出演できたら、私は嬉しいんだけどなぁー」

「ははっ、それは光栄なことだ。是非とも、また機会があればオファーをかけてください」

「やった! その言葉、確かに受け取ったからね☆ 監督に猛烈アピールしちゃうんだから!」

 

 周りの深刻な空気など関係ないように、セラフォルー・レヴィアタンは嬉しそうに皇帝へフランクな口調で話しかける。それに呆気に取られる上層部をしり目に、多少空気が緩んだのが誰の目から見てもわかった。あのまま話し合いなんてさせたら、完全な喧嘩腰での対応になりかねなかっただろう。

 

 サーゼクスは視線で感謝の念を伝えると、後ろ手に隠れたピースサインをセラフォルーは送る。こういった掻き回しは、彼女の領分だ。気にしないで、とひらひらと手を振った。

 

「さてと、本当はもっと色々とお話したかったんだけど…。今回、私はおまけなんだよね。またお話しできる日を楽しみにしているね☆」

「はい、こちらこそ。……ありがとうございました」

 

 そう締めくくると、セラフォルーは魔王用に用意されていた椅子へと大人しく腰掛ける。彼女は今回の話し合いに姿を見せて参加するだけで、介入はしない。セラフォルーの役割は外交官としての外の警戒であり、ここにいるのだって皇帝への牽制という、古き悪魔達に向けたポーズのためだけだった。ディハウザーとロイガンとビィディゼという魔王級が三名ここに来るのなら、魔王を三名傍につけて確実な安全を確保したい、と運営側に強請られてしまったのだ。

 

 サーゼクスとしては、セラフォルーへの負担を考えてそれは拒否しようとしたが、彼女自身がそれを受け入れた。ただでさえ切羽詰まっている状態である運営を、下手に刺激しない方がいいと判断して。実際、今の彼らには普段の余裕が感じられない。いつも目の敵にしていた魔王に護衛を頼むほど、彼らは皇帝を警戒しているという訳だ。

 

 それにしても…、とサーゼクスはふと思案する。ピリピリしている運営側と違い、随分皇帝側には余裕があるように感じられたのだ。この場であえて空気を読まなかったセラフォルーの対応に、皇帝は当たり前のように付き合って、彼女の意図を察したのかお礼まで告げている。彼が元凶である運営を目にして暴走しないか、と危惧していた心配はなくなったが、逆に不気味さを感じさせられてしまった。

 

 

「それでは、まずはストライキを解除する条件として、私の要求を述べさせていただきましょう。私、皇帝ベリアルの運営への要件は、冥界の民やプレイヤーへ謝罪をし、今後の改善に向けた誠意を見せてもらうことです。プレイヤーを蔑ろにし、民衆を騙し、レーティングゲームを私物化し、ランキング操作を行っていた罪を全面的に認めてもらいます。証拠もあるのです、言い逃れはできないでしょう?」

「それは……」

「その交渉の前に、貴殿に聞いておきたいことがある」

 

 まずは話を切り出したのは、ディハウザーの方であった。交渉用に用意されていた席に座ると、皇帝は早速先陣を切ったのだ。それに口ごもった運営よりも早く、ゼクラム・バアルは厳かな雰囲気を纏ったまま口を挿む。拒否することを許さぬような空気に、誰もが口を噤んだ。ディハウザーも運営へ向けていた視線をバアル大王へ合わせ、了承の頷きを返した。

 

「感謝する。私が聞きたいのは、その証拠の出所だ。……冥界の民たちには、あえて隠した情報も含めてな」

「大王様、皇帝が隠した情報とは……?」

「皇帝ベリアルの後ろにいる者たちを懐柔してみせた情報、とでも言えばいいだろうか」

 

 バアル大王の言葉を聞き、全員の目がロイガンとビィディゼに向かった。それに二人は冷や汗を流し、固唾を呑み込む。紫紺の瞳は水面のように静かでありながら、心の奥底を少しずつ締め付けてくるような圧力を感じさせる。皇帝が冥界中に見せた証拠も重要だが、彼がどこまでこちらの闇を知っているのかを知る必要もあった。

 

「……それを口にして、よろしいのですか?」

「構わぬ。ここにいるのは、それを知る立場にある者だけだ」

「なるほど。しかし、懐柔とはまた…。私は彼らにちゃんと取引として選択肢を与え、その上で選んでもらっただけですよ。運営はどうやら、彼らにとって信用のおけない相手だったようですしね」

 

 ディハウザーは薄く笑みを浮かべると、同意を求める様に後ろの二人に首を傾げてみせる。それに、「こっちに振るんじゃねぇよ!」とビィディゼは視線を明後日へと向け、ロイガンは疲れたように肩を落としていた。そんなある意味で息ぴったりの反応を見せる三人の様子に、協力関係はちゃんとあるらしいことが伺える。少なくとも、脅しや無理やり従わせている訳ではないことは理解できた。

 

「取引か」

「えぇ、彼らの今までの誇りとこれからの悪魔生全てを天秤にかけた取引です」

「アレを、貴殿は取引の材料にしたのか。実力でレーティングゲームの頂点に立ち、皇帝と呼ばれた男が」

「そうです。第一、『(キング)』の駒なんて劇物、こんなことにしか使えないでしょう?」

 

 あっさりと情報を暴露した皇帝に、運営側はギョッと目を見開いた。まさか皇帝が、そこまでゲームの闇を理解しているとは思っていなかったのだ。彼は政治的な介入が困難なほど、正義感が強く、公正な態度を周りへと示す王者だった。そんな彼が、ゲームでドーピングを使用していたプレイヤーを味方に引き込み、そのために彼らの不正の一部を黙認したのだ。今までの皇帝を知っている者ほど、信じられないような面持ちだった。

 

 ディハウザーは一言断りを入れ、空中に手を掲げ、パチンッ、と指を鳴らして転移魔方陣を起動させる。すると、彼らの目の前に書類の束のようなものが現れた。その意味を感じ取った運営側は唾を飲み込み、バアル大王は皇帝の真意を測ろうと紫紺の瞳で真っ直ぐに射抜く。そんな彼らの行動に皇帝は一礼だけ返すと、その視線は魔王へと向けられた。

 

 

「さて、『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』の製作者であり、レーティングゲームの根幹を築き上げたアジュカ・ベルゼブブ様に確認したい。『王』の駒は実在しますね。そして、運営は世間に知られていないその駒を使って、自らの手駒をつくり上げ、ランキング操作をしていた。この事実に相違はありませんか?」

「……事実だな」

「アジュカ・ベルゼブブ殿っ! それはッ!?」

「今更何をそんなに狼狽えるのですか。皇帝ベリアルはすでに確信をもっている。俺が否定しても、意味なんてないでしょう。バアル大王もそれを理解しておられたから、口に出すことを許されたはずです」

 

 アジュカが皇帝の言葉に肯定を返すと、運営側から非難が向けられる。しかし、呆れたようなアジュカの態度からもわかるように、確かにただの悪あがきであることには違いなかった。皇帝から渡された資料を読んでいた上層部の一部の顔色は、すでに真っ青になっている。アジュカも資料を一瞥すると、古き悪魔達に向けて嗤ってみせた。

 

「むしろ、此度の騒動の原因として責められるべきは、そちらではありませんか? 彼らの持つ古き血を大切にしたいようですが、それで増長を許してしまうからこのように手を噛まれる。結局今回のように、皇帝に体よく利用されているようではね…」

 

 アジュカの含みのある言葉に、古き悪魔達は苦虫を噛んで睨みつけた。皇帝が手にした証拠や資料の出所について、ある程度の見当がついてしまったからだ。旧魔王派、と呼ばれる古の血を持つ悪魔達。古き悪魔と呼ばれる者ほど、裏で彼らの血に傾倒している者は多い。そして彼らなら、『王』の駒について知り得、現政府を貶めるために冥界を混乱させることに利益がある。もっとも、その企みは皇帝によって、明後日の方向に使われてしまった訳だが。

 

 古き悪魔の中には、旧魔王派の者たちを再び王位に就かせたい、と考えている者だっている。それを表だって表明することはしないが、裏で援助をしている者は間違いなくいるのだ。おそらくその中に、『王』の駒を旧魔王派に貢いだ者だっていただろう。この駒の力を使って、偽の魔王を倒せ! と。もっとも、その行為は彼らの逆鱗に触れるだけで終わってしまったことだったが。

 

 彼らは、誰よりも自分達の立場を奪った現四大魔王に憎しみを抱いている。そして、己の血に誇りを持ち、プライドの高さで言えば、古き悪魔達以上に融通が利かないのだ。そんな彼らに、現魔王であるアジュカが作ったドーピング剤で勝てなど、死んでも嫌だっただろう。レーティングゲームなど、彼らにとっては現魔王の権力の象徴そのものだ。ゲームを壊すことは、彼らにとって望むべきことであった。

 

「ちなみに、そのあたりはどうなんだい?」

「さぁ、私もあまり関わりたくなかったものですから。『自分たちの復権に民衆から支持のある私の力を貸せ』とは言われましたけど、そもそも私はレーティングゲームを作ってくれた魔王様に感謝していますからね。確かに駒を作ったのは魔王様ですが、それを使って不正をしたのは運営です。そこを混同して考えるほど、視野を狭くした覚えはありませんよ」

「ふむ、そこはキミの判断に感謝するよ。しかし、そうなると旧魔王派(彼ら)の介入があった、という明確な証拠はない訳か」

「申し訳ありません。さすがに深入りするのは、危険だと判断しまして」

 

 おそらく旧魔王派の仕業だと思われるが、その証拠は不確定なものしかない。彼らのよく使う手である。どれだけ疑いの目を向けても、徹底的な証拠が出ない限り、古き悪魔達に守られる彼らに手を出すことができない。今までにも似たような手口で冥界を陰から陥れようとしてきたため、ようやく尻尾が掴めるか、と思っていたアジュカは残念そうに溜息を吐いてみせた。

 

 もっとも、このアジュカの態度も皇帝の話も、全て予定通りのことである。旧魔王派は全く関与していない今回の件であるが、今まで彼らがやってきた手口と真似させることで、疑いの目を向こうへ向けさせたのだ。今までだって、疑わしい活動をしてきた彼らに下手な追及なんてできなかった。なら、今回の件も同様に追及することは不可能だろう。たとえ追及しても、いつも通り「そのようなことはしていない!」と突っぱねられるのがオチだ。事実、本当に何もしていない。言いがかりだと、確実にキレるだろう。

 

 つまり、真実は闇の中という訳である。責任を追及することは叶わず、どうすることもできない。それを理解したのか、運営側は明らかに苛立ちを滲ませながら、書類が皺になるほどにきつく握りしめた。古き悪魔達は一枚岩ではない。運営側は旧魔王派に責任を追及したいと思っても、他の古き悪魔達が彼らを守るだろう。旧魔王派は扱いが難しく、深入りしすぎればこちらが面倒なことになる。特に古き悪魔達にとっては、それが顕著であろう。

 

 ただバアル大王だけは、訝し気に眉根を顰めているが、彼も迂闊に今回のことについて動くことはできないだろう。疑わしい者が、あまりにも多すぎるからだ。一度その疑わしい人物の筆頭である魔王達へ視線を向けたが、今回の騒動のやり方はあまりに彼ららしくない、と考え直す。先ほどまで彼らと一緒に行動していたが、皇帝の行動に右往左往していた様子は、とても演技には見えなかったのだ。四人共、本気で遠い目をして心底疲れていた。目が死んでいた。彼らも大嵐に巻き込まれたのは、間違いないだろう。

 

 

「……わかった。その件に関しては、バアル家は関与しないことを宣言する」

「初代バアル様っ!?」

 

 古き悪魔達をまとめる筆頭であるバアル家が、責任の追及に関して目を瞑ると決めたことに、運営側は悲鳴に似た声をあげる。しかし、ゼクラムは有無を言わせぬように、視線だけで彼らの反論を封じてしまう。こうなってしまっては、運営側はもう何も言うことができなかった。

 

 しかしそうなると、明らかに劣勢なのは運営側であろう。皇帝が冥界に見せた不正の証拠だけでなく、『王』の駒という禁忌にまで触れられてしまったのだ。これらの事実がもし明るみになれば、ゲームの権利どころの騒ぎではなくなってしまうだろう。自分達の権威にさえ、傷をつけられてしまうかもしれない。

 

「……私は冥界を混乱させたい訳ではありません。それに、私はレーティングゲームのプレイヤーであり、それ以上の立場など求めていません。ゲームと政治が絡むことは、今後もあるでしょう。しかし、政治があってのゲームにはなって欲しくない。私が望むのは、レーティングゲームが掲げる『夢』という理念を、大切にしてほしいだけなのです」

「その『夢』のためなら、古き悪魔(我ら)を敵に回す覚悟があると?」

「さて、私はただのゲーム好きな夢見る一悪魔でしかありませんからね。……『夢』とは希望であり、奇跡すら呼び起こす思いの力です。その思いを踏みにじる権利なんて、誰にもありはしないと考えているだけですよ」

 

 灰色の瞳と紫紺の瞳が真正面から向かい合い、それぞれが己の矜持を掲げ、折れることなく相対し合う。爽やかな微笑みを浮かべるディハウザーと、クツクツと楽し気に喉を鳴らすゼクラムに、周りは思わず一歩引いてしまう。お互いに目だけは全く笑っていなかった。

 

「童が、よく吼えるものだ」

「若さは大切な原動力の一つですからね」

 

 サーゼクスとセラフォルーは、思わず腕をさすって、なんだか肌寒く感じてきたなー、と遠い目になる。アジュカは、シスコンを本気にさせるから…、と内心溜息を吐いた。シスコン二人に囲まれているアジュカにとって、妹が絡んだ時の悪魔のめんどくささは、身に染みて理解していた。ロイガンとビィディゼは、もう私たちがいなくても、皇帝に全部押し付けておけばよかったんじゃない? と居た堪れなさに頭を抱える。アガレス大公は、流れるようなキレのある動作で胃薬を飲んでいた。

 

 そんな時間がしばらく続いたが、不意にゼクラムが引いたことで皇帝とのやり取りに唐突な終止符が打たれる。それに周りは困惑したが、彼は皇帝との会話でどこか満足したように、口元に笑みを作るだけである。先ほどまでのギラギラとした瞳は鳴りを潜め、普段の優雅な佇まいへとあっさり変化したのだ。これには、ディハウザーも面を食らってしまった。

 

「そう警戒する必要はない。もう、私からは何も言わんさ。それに私は、ただの仲介役だ。これ以上、年寄りが前に出ても仕方がなかろう。……ディハウザー・ベリアルという男を知った。今回はそれを成果として、持ち帰らせてもらうよ」

「……左様ですか」

「あぁ、なかなか良い目だった。――年寄りの話に付き合ってもらって、申し訳なかったね」

 

 己の野心のために吼える悪魔は、嫌いじゃない。そう一言告げると、ゼクラムは口を閉じ、これからの流れに静観の構えを取った。元々彼は、このストライキは負け戦だと早々に見切りをつけている。ディハウザーの交渉に割り込んだのは、言葉通り皇帝ベリアルという悪魔を、今後に向けて知るためであった。ゼクラムはこの交渉が始まる前から、本番はストライキが終わってからだと感じ取っていたのだ。

 

 『王』の駒で寝返らせた不正組だけでなく、『魔龍聖(ブレイズ・ミーティア・ドラゴン)』のタンニーンや、『番狂わせの魔術師(アプセッティング・ソーサラー)』のリュディガー・ローゼンクロイツといった、名立たる実力者たちまで皇帝に付き従っている。すでに無視できない勢力へと、彼らは変わっていっているのだ。ディハウザーが掲げる正道の旗の下、これからも多くの者たちを魅了していくことだろう。

 

 これらと戦うことになるとは、全く骨が折れそうだ。と、年甲斐もなく熱くなってきた感覚に、ゼクラムは久方ぶりに若い力に感化された自分自身を笑った。永く生き過ぎた悪魔ほど、目的を失い生への執着が薄れていくとされる。しかし、やれること、やることが多い悪魔は、いくら年をとっても野心を胸に宿すことができるのだ。ゼクラムは早々に、次に行われる皇帝との凌ぎ合いに目を向けていた。

 

 バアル大王の中では、運営上層部はすでに終わりだと切り捨てている。もう十分に良い目を見ただろうし、引き際の良さも上に立つ者として大事なものだ。せめてこの交渉をしっかり終えられたのなら、数百年は先になるが、彼らへ新しいポストを用意してあげられるだろう。

 

 そんな風に、これで自分の役目は終わりだ、と考えていたバアル大王であったが、その度肝を抜いたのは、――その味方のはずの相手からだった。

 

 

「……罪。そうだ、皇帝ベリアル。先ほど、あなたは我々に罪があると言ったな」

「えぇ、公正を謳うゲームで、不正行為をあなた方が行っていたのは事実でしょう」

「そうだな、罪なら裁かれなくてはならない。それは、正しい行いだろう」

 

 古き悪魔達は、権威を手放す恐ろしさを誰よりも知っていた。旧魔王派という、悪魔の頂点に立っていた者たちが、権威という椅子を奪われたことにより、全てを失った姿を傍で見てきたのだから。冥界での彼らは、腫物のように扱われ、古き遺産として生きている。あんな惨めな立場と同じになるなど、認めたくなかった。考えたくもなかった。それが自分達の身に降りかかるなど、信じたくなかったのだ。

 

 頼りにしていたバアル家は、自分達を見捨てた。大きな音を立て、椅子から立ち上がった悪魔は、皇帝を忌々し気に睨みつける。その尋常でない様子に、サーゼクスとアジュカは警戒度を上げ、すぐに彼らの間に立てるように様子を窺った。セラフォルーも周りを一瞥し、バアル大王の護衛として傍にそっと控える。ゼクラムは僅かに目を見開き、そして気づく。彼らの目が、恐怖で歪んでいることを感じ取ったのだ。

 

「だったら、ベリアル一族が行った罪も、当然裁かれなければなりませんよね? それが、罪を犯した者が辿る末路だと、そうあなたが言うのだから!」

「…………」

「ベリアル一族の、罪…?」

「まさか、貴殿らは…。アレに手を出したのかっ」

 

 古き悪魔達の謳う罪の告発に、戸惑いを浮かべていた魔王やロイガンたちと違い、ゼクラムには心当たりがあった。それ故に、最悪の一手を彼らが仕出かしたことを悟ってしまったのだ。運営側が皇帝に交渉の場を頼んだ背景を、勝負を諦めたからと誤認してしまった。

 

 アウロスに閉じ込められていたために、ゼクラムはそれを確認する手段がなかった。何よりも、現魔王派が旧魔王派に与えた『権威の消失』という恐怖が、古き悪魔達の中にこれほど強いトラウマとして残っていたなど、想定外だったのだ。奇しくも、古き悪魔達の権威は現魔王政権に移行しても、変わらず在り続けることができていた。そのため、彼らのトラウマが表に出る機会などなかったのである。

 

「ふふっ、何をおっしゃられるのですか、バアル大王様。アレに私たちは手を出しておりません。しかし、先ほど私たちとは別の勢力が介入した知らせは受けています。私たちには、それをどうにかできるというだけですよ」

「……随分と、そちらに都合のいい筋書きを仕立て上げたものだな」

「お待ちください、ゼクラム殿。これは、どういうことですか? ベリアル一族の犯した罪もそうですが、別の勢力の介入などっ!」

 

 魔王として、聞き捨てならない話であった。特に悪魔陣営とは別の勢力も動く事態がすでに発生しているとなれば、ここで悠長に話をしている場合ではないだろう。最悪の事態を想定し、サーゼクスはディハウザーと運営の間に立ち、ゼクラムへ向けて魔王として疑いをぶつける。アジュカは運営側を一瞥すると、次に無言で彼らを鋭い目で見つめる皇帝へ視線を向けた。

 

「……皇帝ベリアル。ベリアル一族の犯した罪に、心当たりはあるか?」

「冥界にいる一族には、心当たりがありません。それに今は、私の眷属達が傍にいるため、他勢力が絡む隙もないでしょう。しかし一人だけ、人間界に留学している家族はいます」

「その者の名と、居場所は?」

「クレーリア・ベリアル。私の従姉妹であり、現在はバアル家とグレモリー家が共同で治めている駒王町の管理をしています」

 

 バアル家とグレモリー家、それに深い関わりがある者達がここにはいる。サーゼクスは、まさかの実家の名前がここで出て来るとは思わずに呆然とし、ゼクラムは厳しい表情を隠すことがなかった。現在の駒王町の管理は、バアル家に一任され、貴族の子女や子息たちに経験を積ませるための場所となっている。もしその駒王町で事件が起こったというのなら、管理の権限を持っているバアル家の初代当主が知らないはずはない。

 

「えぇ、その通りですよ。その、クレーリア・ベリアルです。彼女は罪を、それも悪魔にとっては『反逆罪』と捉えられてもおかしくない行いをしたのです!」

「……その女性は、いったい何をしたというのです」

「愛してしまったのですよ、敵同士であるはずの教会の戦士を! そして、結ばれてしまった。許されない恋を、彼女はしてしまったのです!」

『――ッ!?』

 

 古き悪魔が語る真実に、緊迫した空気が場を凍らせた。悪魔以外の、それも教会の戦士と恋仲になるなど、考えられないような事態だった。特に悪魔と信徒との恋愛など、教会側が許せるはずがない。悪魔も信徒を堕落させた訳でもなく、愛し合うなどという理由では、体裁のために動かざるを得ないだろう。

 

 それが事実なら、確かにクレーリア・ベリアルは罪を犯したことになる。

 

「しかし、我々はクレーリア嬢を説得するために、すでに教会と話し合っていたのです。同胞の命をむざむざ散らせる訳にはいかないと。だが、私たちの説得も空しく、彼女は考えを改めることがありませんでした。そして、今日この日。痺れを切らした教会側が、ついに事態を動かしてしまったのです」

「なら、すでに彼女は…?」

「……いえ。教会側は、私たちが彼女を救おうと動いていたことを知っています。故に、取引を持ち掛けてきました。私の仲間が、現在駒王町で待機しています。教会に囚われた彼女を救うためには、すぐにでも協力関係を組んでいた私たちが向かう必要があるでしょう。私たちも同胞のために身を切りたい思いですが、しかし残念なことに……皇帝ベリアルによって、この地位を落とされてしまったら、それも難しくなってしまうでしょうね…」

「まさか、あなたたちはッ……!」

 

 サーゼクスは古き悪魔達の思惑を知り、驚愕と怒りを覚える。彼らはクレーリア・ベリアルの命を盾に、皇帝ベリアルを脅すつもりなのだ。このような事態を魔王に伝えていなかったことも含め、明らかに作為的な工作がされているのは間違いなかった。何よりも、こんな方法で真実を捻じ曲げるなど、とても許されることではない。

 

 皇帝ベリアルは、感情的な心を抑えつけ、常に理性的な話し合いを臨んでいた。バアル大王もそれを感じ取ったから、早々に彼から手を引いたのだ。この王者を怒らせるのは得策ではないと判断し、傷が浅い内に彼の望むものを渡すことを選んだ。それに対して、彼らは誠意の欠片も見せることなく、彼を脅して貶める行為まで行ってしまった。それに、自身の顔色が悪くなるのをサーゼクスは感じた。

 

 彼らは、わかっているのだろうか。もし皇帝ベリアルの怒りが限界を越えれば、どうなるのかを。いくら超越者と呼ばれる魔王が複数いるとしても、ここで魔王級である彼が暴走すれば、ただでは済まないだろう。一番まずいのは、現在冥界中の民の旗頭となっている彼が、暴力を行使する様を見せてしまうことだ。そうなれば、民たちの不満も一気に爆発するだろう。皇帝という正義の名のもとに、冥界中で暴動が発生することになる。

 

 それは、二度目の内乱。それも、相手は古き悪魔達に虐げられてきた者たちだ。魔王ルシファーとして就任することになったと同時に、サーゼクスが守るべき者たちと定めた者達。まさに、悪夢以外の何ものでもない。皇帝の行動に注意を向けすぎていたあまり、古き悪魔達の暴挙を止めることができなかった。握りしめた拳に、血が滲むのを感じた。

 

 そんなサーゼクス・ルシファーの様子に、穏やかな口調で心配そうな声がかけられた。

 

 

「大丈夫ですか、ルシファー様? 拳から血が出ているようですが…」

「大丈夫です、ディハウザー殿。今は、私よりもディハウザー殿の怒りを鎮める方が先で……」

 

 思わず言葉が止まる。そして全員の視線が、皇帝ベリアルに向けられた。いや、何で当事者のお前がそんなに冷静なんだよ、と心の声が満場一致する。ディハウザーはそんな視線に肩を竦めると、小さく笑みを浮かべてみせた。

 

「その、ディハウザー殿。彼らの行為に、怒ってはいないのですか?」

「いえ、腸は煮えくり返っていますよ? 私の家族を脅しの道具にされたのですから」

「あっ、やっぱりそうよね。自他ともに認めるファミコン皇帝だし…」

「そうだな、ファミコン皇帝だからな。だが正直、皇帝の家族を人質に取ったと言われた時点で、ここは地獄と化すかと思って覚悟していたんだが…。相変わらず、何を考えているのかわからない男だ」

 

 おずおずと全員が気にしていた質問を口にしたサーゼクスに、ディハウザーは当然のごとく爽やかに答えを告げる。ちなみに、ロイガンとビィディゼは、クレーリアの名前が出てきた時点ですぐに皇帝の傍から避難して、様子を窺っていたのだが、暴れる様子がないので普通に戻ってきた。それなりの付き合いをしてきたおかげで、ディハウザーは暴走しない、と彼の態度から確信できたのだ。そんなズケズケと遠慮のない二人に、さすがのディハウザーも半眼の眼差しを向けてしまったが。

 

「まぁ、今は大丈夫ですよ。怒りを向けるよりも先に、確認することがありますから。……バアル大王殿、クレーリアが教会の信徒と恋愛をしたのは間違いありませんか?」

「……あぁ、間違いのない事だ」

 

 ゼクラム・バアルもサーゼクス同様に、皇帝の暴走による内乱の危機を察している。何が皇帝の怒りの引き金になるかわからない以上、とにかく刺激しないように注意を払いながら、彼は真実を告げることを選んだ。そして、ゼクラムからの肯定の言葉に、誰もが口を噤んでしまった。

 

「わかりました。それでは、クレーリアが現在教会に囚われているのは、真実ですか?」

「……そういうことか。いや、残念ながら、私は知り得ていない情報だ。少なくとも、貴殿がストライキを起こすまで、そのようなことは起こっていなかった」

「なるほど。では、彼らが話した、『クレーリアが教会に捕まっている』という話が、本当かどうかはわからないという訳ですね」

「なッ!?」

 

 ディハウザーがバアル大王に確認した内容を聞き、嘘の可能性を示唆された古き悪魔達は、怒りで歯を軋ませる。アジュカからの情報で、メフィスト・フェレスがその駒王町に向かった悪魔を捕捉しているのは間違いない。ならば、何らかの方法で足止めを行ってくれている可能性が高いだろう。それを踏まえた上で、ディハウザーはあえて彼らに挑発的な笑みを見せた。

 

「ふざけるなっ! 間違いなく、クレーリア・ベリアルは教会に捕らえられている!」

「それを証明できるのですか?」

「クッ…、悠長なことを言っていれば、貴様の従姉妹はすぐにでも粛清されるかもしれないのだぞッ!?」

「……だったら、その駒王町に待機させている悪魔とすぐに連絡を取ってもらいたい。教会側が取引として応じるつもりなら、クレーリアの声か、せめて教会関係者からの証明が欲しい」

 

 声を荒げる悪魔へ向け、皇帝も強い口調ではっきりと意思を表示した。従姉妹が粛清されそうになっている事実を知っても、狼狽えることなく冷静に状況把握を務める王者に、何もかもが上手くいかないことに彼らは目を吊り上げる。だが、少し手間であることは事実であるが、皇帝の言う通りにクレーリア・ベリアルの声を聴かせるのは悪くないかもしれない、と考えを改めた。

 

 教会に連れ去られたクレーリアは、殺される恐怖に震えながら、皇帝に助けを求めていることだろう。教会には、皇帝との交渉が終わるまでは、彼女を殺さないように約束を取り付けている。今頃、駒王町で待機している仲間も、ベリアル眷属達を粛清し終わった頃合いだろう。彼に紫藤トウジへ連絡を入れてもらい、クレーリアの悲鳴でも聞かせてやればいい。それに、彼女の眷属もすでにこの世にいない事実を知れば、さすがの皇帝ベリアルも醜態を晒すはずだと考えた。

 

「……いいだろう。そこまで疑うのなら、貴様の望む声を聞かせてやろう。もっとも、五体満足かどうかはわからないがな!」

「…………」

 

 古き悪魔は嘲るように嗤うと、皇帝に聞かせるために魔方陣の音声がこの部屋全体に届くように設定をする。この悪魔の様子から、クレーリアが教会に攫われたのは本当なのかもしれない、と最悪の想定が周りの頭によぎった。それでもディハウザーは、鋭い眼差しを向けたまま、無言で腕を組んで、その知らせを待つ姿勢を保つ。皇帝ベリアルの役目は、冷静に少しでも交渉の時間を延ばすことだ。己の願いを託したみんなが、きっと彼女を救ってくれることを信じて。

 

 アジュカ・ベルゼブブもローブの中に手を入れ、そっと懐にしまっていた緑色の玉に触れる。ディハウザーをこの部屋に案内する直前に、メフィスト・フェレスにクレーリア救出の合図を出したが、まだ成功の知らせは届いていない。クレーリアを救ったと同時に、メフィストが緑色の玉に魔力を籠めることで、アジュカにそれを知らせる手筈となっていた。

 

 最古参の悪魔が補助し、しかも彼曰く優秀な助っ人まで頼んであるのだ。その名に懸けて失敗はないだろうが、心臓に悪いのは違いない。だが、この場にいる誰よりも憤怒で煮えたぎっているだろうディハウザーが、感情の全てを抑えて我慢をしているのだ。自分もまた彼らを信じて、待つことが役目だと展開された魔方陣を真っ直ぐに見据えた。

 

 しかし、そんな彼らの心配は、遠い彼方の出来事としてすでに蹂躙されていたことを、すぐに理解するのであった。

 

 

「さて、――聞こえるか、同胞よ。皇帝ベリアルとの交渉のために、クレーリア・ベリアルの声を聴かせることになった。まずは、エクソシストの連中と連絡を取ってもらいたい」

『――ッ――――!』

「……ん? どうしたのだ、何を言っている。聞こえッ――!?」

 

 悪魔の言葉は、そこまでだった。駒王町を任せてきたアジュカやディハウザーも、魔王や古き悪魔や他の悪魔達も、誰もが信じられない表情で目を引ん剝く。緊迫としていた雰囲気が漂っていた空間に、雷鳴のごとく鮮烈なカタストロフィが容赦なくその産声を上げた。

 

 

『ミルキィィィィィ・バァァァァァァァン・ストラァァァァァァイクゥゥッッーー!!』

『フハハハハッーー!! 俺のこの手が暗黒に燃える! 俺の周りにリア充が多くて許せんと轟き叫ぶッ! 爆裂ノォォォッ……ザゼルフィンガアアアアアアアアアッーー!!(という名のロケット・パンチ)』

『ギャァアアァァァァァッーーーー!!』

 

 

 プツンッ、と魔方陣の通信が切れる。通信相手が唐突に繋がらなくなったことを伝える様に、まるで『ツー、ツー』と寂しい音声が魔方陣から聞こえてくるようだった。先ほどまでは息の詰まるような重苦しさが漂っていたはずなのに、今さっき起こった現実が意味不明過ぎて、文字通り全ての空気を吹き飛ばしてしまった。誰もが無言でしばらく魔方陣を眺め、脳内のショックを回復させようと務めていた。

 

「……もう一回、魔方陣を繋げてみてもいいか?」

「……はい、どうぞ」

 

 さっきまでヒートアップしていた古き悪魔も思わず冷静になり、再度の試みを全体に尋ねる。それに皇帝も、素で頷いてしまった。違う意味で雲行きが怪しくなってきた事態に、誰もが魔方陣に集中しているのを確認したディハウザーは、視線だけをアジュカへ向けてみる。魔王様は真顔で「俺は何も知らない」と首を横に振っていた。

 

 それから、何度も通信を試みたが、結局繋がらなかったことに古き悪魔の怒声が響く。次には皇帝ベリアルに「貴様の仕業か!?」と八つ当たりして来るが、本気で知らないのでディハウザーは首を横に振って、必死に否定をした。ただ、なんとなく元凶に関しては心当たりがあったので、背中に嫌な汗が流れてはいたが。

 

「まさか今のはっ……!? 初代劇場版の魔法少女ミルキーが使っていた、ミルキー・バーン・ストライクじゃっ! 魔法少女としての熱き心と、悪を許さぬ気高き精神が合わさる時、魔法少女の真のエネルギーが解き放たれるわ。そのマジカルフォースエネルギーを最大限に高め、一点に打ち放つ極大魔法。まさか、私以外にもあれを完成させる真の魔法少女がいたなんてッ……!」

「あの必殺技の掛け声、……ところどころ邪悪な私怨に紛れているが、明らかにダンガムの面影を感じさせる必殺技。しかもあれは、既存のシリーズから続くダンガムという固定観念を破壊し、アナザーダンガムの下地を作った『Gシリーズ』に影響されていることは間違いない! さらには、魔方陣から聞こえた駆動音の反響から推測するに、全高十五メートル級の鋼鉄製かっ!? まさか自らの手で作りあげたのか、なんて漢だっ……! 世界には、ロマンを理解する者がちゃんといたのだなっ……」

 

 水を得た魚の如く、早口で独り言を語りまくるセラフォルー様と、……アガレス大公。両手で顔を覆い、感動の涙を流すおっさんは、バアル大王が二度見するぐらい今最大限に輝いていた。

 

 そんなさっきまでの深刻な空気が一気にカタストロフィされた現象に、サーゼクスは頭痛からこめかみを押さえる。なんだか気づいたら、状況もよくわからないうちに、さらによくわからない謎の存在が大暴れして、そして何もかもを蹂躙していった、というしかない。この魔王ルシファーの目をもってしても、さっぱりわからん。

 

 すでに目が遠くなっているサーゼクスだが、それでも最後まで魔王として頑張ろうと、常に冷静沈着で頭の良い親友へ疑問を投げかけた。

 

「なぁ、アジュカ。いったい何が起こっているんだ……?」

「ふっ、さてな」

 

 俺が聞きたい。アジュカも心の底から思った。

 

 


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