えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

73 / 225
第七十三話 世界

 

 

 

 石造りでできた壁に、無機質な石畳が一面に敷かれた広い一室。壁際には刃を潰した武器が一ヵ所にまとめられ、端には医療具などが一纏めに置かれている。足を前に進めるたびに、その足音が部屋中へ反響し、普段よりも大きく耳に響くように感じた。八重垣正臣は迷うことなく道を進みながら、今までの思い出が蘇るような懐かしさに目を細める。

 

 この場所を、鍛錬のためによく利用したな、と仲間たちと切磋琢磨し合った日々。一年前なら、当たり前のように感じられていただろう毎日。教会の上から駒王町付近の任務を言い渡され、今まで世界中を回っていたチームがここに根を下ろしてから、本当にたくさんのことがあっただろう。紫藤トウジに娘が産まれた時は、みんなして構いまくっていたな、と思う。自分のように剣を振るのが大好きな脳筋の集まりだった影響もあり、少々やんちゃに育ってしまったが。あれは、紫藤さんも頭を抱えていた、と思い出し笑いが出た。

 

 そして、ふと気づく。その懐かしさに眩い輝きを感じながらも、それをすでに過去のものとして自分は捉えていることに。そんな当然のようにあった日々へ、終止符を打ったのは自分自身のわがままの所為だとわかっていたからだ。どれだけ懐かしさに胸がいっぱいになっても、もう戻ることはできない。……戻るつもりもない。その全てを覚悟して、八重垣正臣はここまで来たのだから。

 

「……懐かしいね。ここにいると、今までの日々が鮮明に思い出せるようだよ」

「そうですね。僕もきっと、紫藤さんと同じ日々を思い出していたと思います」

 

 部屋の奥に飾られた十字架の像の前で、栗色の髪と牧師服、そして純白の聖剣を片手に佇んでいた男性は、親しい相手へ話しかける様に柔らかな声をかけた。その声に正臣は一度目を瞑り、様々な思いを溢れさせながら、笑みを浮かべて返事を返す。こんなにも穏やかに彼と会話をするのは、いつぶりだろうか。彼と最後に会ったのは、あの夕日が目に映った歩道橋の上だったと記憶する。お互いに平行線を辿るしかなかった会話が、正臣の記憶の中を巡った。

 

「同じ日々を過ごし、同じ日々を思い合うことが、私たちにはできる。それなのに、どうしてここまで違えてしまったんだろうね」

 

 紫藤トウジは正臣の返事を聞き、一度十字架の像へ視線を投げかけると、過去を尊ぶような思いが口に出てしまった。その穏やかな声音に、もの悲しさも同時に感じてしまい、正臣は思わず口を噤んでしまう。彼に向かって歩いていた足が一瞬止まるが、それでも前に進むと決めた足を下がらせることなく、栗色の男性との距離をさらに縮めていった。

 

「思いも誇りも変わらず、(ここ)にあります。だけど、僕と紫藤さん達とでは、守りたいと誓った一番が違った。きっと、ただそれだけのことだったのだと思います」

「……一番守りたいもの、か。八重垣くん、キミの守りたい一番は、やっぱり変わらないんだね」

「はい、きっとどれだけ説得されても、それこそ死んだって変わらないと思います。何事にも不器用で、ずっと剣しか振ってこなくて、女性の口説き方一つとっても上手くいかなくて、真っ直ぐに思いをぶつけることしかできない。そんなバカな男が、僕ですから」

 

 相手の間合いの数歩前まで進めた歩みを止め、正臣は強い意志を持って紫藤トウジと対峙する。柔らかに薄く笑みを作る正臣を見て、紫藤トウジは少し目を見開くと、彼と真っ直ぐに向き合うように視線を合わせた。紫藤トウジもまた、己と相手との間合いを測り、聖剣を握る手に力を籠めていった。

 

 

「……正直、驚いたよ。こんな風に、キミと会話が成立できることにね。彼女を攫えば、きっと八重垣くんは私へ怒りを向けてくるだろうと思っていたから。……私の目的は、気づいているんだろう?」

「えぇ、ですが怒りで我を忘れたまま紫藤さんと戦って、勝てるほど僕は強くありません。それにルシャナさんから、僕の剣は怒りをぶつけるためにあるんじゃない、と教えてもらいましたから」

 

 紫藤トウジは当然ながら、自分の体調が本調子でないことを誰よりも理解していた。八重垣正臣は自分に次ぐ実力者であり、剣の腕なら互角だろうと冷静に分析できていたのだ。さらには、彼の強みである聖剣の能力は、正臣にその能力の大部分を知られている。戦士として戦ってきた紫藤トウジだからこそ、勝敗の均衡がどちらにも傾く可能性があるとわかったのだ。

 

 だからこそ、彼はクレーリアをかどわかすという行いによって、正臣を精神的に追いつめ、怒りから冷静さを欠かせる方法を選んだ。悪魔が教会を利用しようと考えたのなら、教会もまた悪魔の思惑を利用するために。メフィストが告げていた通り、教会側は合理的な思考の下で動くことによって、正臣の心をかき乱そうとしていた。

 

 正臣の性格なら、紫藤トウジがベリアル眷属の女王を傷つけたことにも、責任を感じるはずだろう。そうして、自分がクレーリアを救わなければならない、という思いが彼の視野を狭めさせる。そのために、ルシャナへ聖剣を向け、クレーリアが仲間へ連絡することを黙認したのだ。全ては、彼をこの手で斬るための最良の流れを作るために。

 

 しかし彼の思惑は、そのために利用されたベリアル眷属一頑固な女王のチョップによって、粉々に崩されてしまった。クレーリアの意思を受け取り、正臣のために命を懸けて戦った彼女の決意は、紫藤トウジの思惑に一矢報いてみせたのだ。

 

「……ベリアル眷属の女王か。悪魔なら王を助けるために、人間であるキミを教会へ焚き付けさせるための、更なる起爆剤になれると踏んでいたんだけどね」

「彼女はクレーリアが選んだ、最も信頼する女王ですよ。それに、『焚き付け』という意味では、そう間違っていません。『クレーリアと二人で帰ってくる』と、ルシャナさんと交わした約束が、僕に力を与えていますから」

 

 八重垣正臣に宿る揺るがぬ意志を感じ取り、紫藤トウジは無言で歯を食いしばる。ベリアル眷属達を悪魔という固定概念で捉えてしまい、彼らが築き上げてきた信頼関係の強さを見誤ってしまった。まるで、悪魔と人間は手を取り合うことができる、と紫藤トウジへ証明するかのように。そんな彼の様子を捉えた正臣は、己が手に持つ刀へそっと目を向け、自分に託された思いを改めて感じ取っていた。

 

 大切なヒト達と共に、笑い合える未来を守るための剣にする。それこそが、自分が選んだ剣の道なのだ。その思いを失ってしまったら、この剣には何も宿らなくなってしまう。今までの誇りや誓いも全て消えた、空虚な張りぼてでしかなくなるだろう。教会の戦士としての今までと、クレーリアの恋人としてのこれからは、決して別々のものではないのだから。

 

 憎しみや怒りで握る剣は、確かに己へ強い力を与えるだろう。だが、それはただの孤独な暴力でしかなく、周りを不幸にする力である。周りと手を取り合って生きることを選ぶのなら、間違ってはならない。そんな力を望んではいけない。それを、みんなに教えてもらったのだから。

 

 

「それに、ずっと紫藤さんへ伝えたいと考えていた言葉があるんです。例え僕の独り善がりなのだとしても、絶対に言おうと思っていた言葉が…。僕なりのけじめとして」

 

 八重垣正臣は姿勢を正し、胸にそっと手を当てる。そして、紫藤トウジへ向けて深く頭を下げた。それを向けられた本人は、驚きに目を見開き、動きを止めてしまった。怒りや憎しみを向けられると思っていた相手から、この様に頭を下げられるとは思っていなかったのだ。お互いに僅かな隙を作ったが、剣は下ろし合ったままだった。

 

「紫藤トウジさん、僕に剣を、生き方を、家族の温かさを教えて下さり、ありがとうございました。そして、教会の信徒として許されぬ道を選び、あなたの信頼を裏切って、みんなを苦しめてしまったこと、本当に申し訳ありませんでした」

 

 あの日の歩道橋での会話の時、正臣の心には受け入れられない悲しさや遣り切れなさに溢れ、紫藤トウジへ怒りをぶつけることしかできなかった。だが、倉本奏太の介入によって、一度じっくりと自分のことや教会のことを考える時間を得ることができた。その時間は、正臣に最も必要だった冷静さを取り戻させてくれたのだ。

 

 自分の思いは本物であり、クレーリアを愛したことに後悔はない。だが、教会の組織に所属する者としての対応としては、間違っていたのだろう。紫藤トウジ達の行動は、この『世界』では正しかったのだ。間違っているのは正臣であり、それを認められずに周りへ当たり散らしていただけだった。そのことを、彼は受け入れることができたのだ。

 

「……八重垣くん。キミは…、理解して……」

「間違っていたのは、僕の方なんでしょう。紫藤さん達は、正しかった」

「だったら――」

 

 今からでも、まだっ…。しかし、そこまで言いかけた彼を止める様に、正臣は静かに首を横に振った。肩を竦め、自分でも呆れたような笑みを浮かべる。紫藤トウジ達の気持ちに気づき、自分の思いが受け入れられないことを知った。自分達の方が間違っていることも、理解したのだ。

 

 それでも、――自分の気持ちは変わることがなかった。なら、それがきっと答えなのだろう。

 

「紫藤さん、僕は…。『間違っていてもいい』と思ったんです」

「なっ……!」

「この思いが、この道が、間違っていても構わない。『正しく生きることが自分の思いに嘘をつくことだっていうのなら、僕は間違った生き方(バカ)でいい。それを貫くために、ちょっとぐらい無茶をすることになったって、僕は精一杯に生きたいと思った』。……それが、僕の決意なんです」

 

『賢く生きることがここから逃げることだっていうのなら、俺はバカでいいです。俺は友達を見捨てたくない。みんなを助けたい。だったら、そのためならちょっとぐらい無茶をすることになったって、俺は精一杯に頑張りたいと思ったんです』

 

 『世界』から否定され、諦めかけていた自分達に向かって、真っ直ぐに手を伸ばして勇気をくれた少年からもらった言葉。それは八重垣正臣の中に、今でも強く残っている。打算もない、根拠もない、出来るかどうかもわからない。それでも、少年は笑顔で『世界』に立ち向かおうと言ってのけた。

 

 そこからは、まさに怒涛の展開だ。魔王の隠れ家に侵入したと思ったら、まさかの魔王本人へ協力を取り付け、次に皇帝へ会いに行ったと思ったら、レーティングゲームのストライキを唆し、冥界中を大混乱させる。最後には悪魔や教会の思惑を、魔法少女とスーパーロボットという謎すぎる伝手で蹂躙していった。傍でこれらをずっと見てきた正臣自身ですら、さっぱり理解ができないのだ。敵側にとっては、理不尽過ぎてキレても仕方がない。

 

「……本気、なのかい?」

「諦めたら、何も変わりませんから。『世界』が否定して来るのなら、その度に何度だって立ち上がってみせますよ」

 

『守りたい思いが本物なら、戦わなきゃダメにょ。諦めたら、何も変わらないんだにょ。否定する世界すら愛する心を持って、自分から踏み出す勇気を掲げ、希望を胸に困難に立ち向かってこそ、立派な魔法少女になれるのだにょっ!』

 

 紫藤トウジは、正臣の言葉を否定することも、愚かだと失笑することもできなかった。自分の中に小さな波紋を作った存在が残していった言葉が、頭の中を過ぎったからだ。その後のナース巨神兵のトラウマもうっかり思い出してしまって、ちょっとお腹を押さえてしまったが。

 

 彼の中で揺れる、二つの心。正臣の真っ直ぐな思いを理解したい、と願う紫藤トウジ自身の感情。『世界』にとって危険因子となり得る彼をここで断ち斬るべき、という教会の戦士としての正しさ。その二つは、ずっと彼の中で燻り、衝突し続けていた。そして、未だに彼の中で答えを見つけることができないでいたのだ。

 

 だが、正臣の決意を聞いて、彼は決めた。ならば、その言葉が本気なのだと自分に証明してみせろと。何度壁にぶつかったって、立ち上がってみせろと。今回の件は、紫藤トウジが教会の信徒としての誇りや、生き方を捨てられなかったが故に起こったことだ。だったら、最後までその思いを貫く。正臣がこれから戦うことになる『世界』の正しさを、彼へ見せつけるために。

 

「……やはり、話し合いで止まることはできないみたいだね」

「そうですね。……お互いに」

「なら、もう残った道は一つしかない」

 

 紫藤トウジが聖剣を眼前に掲げると同時に、八重垣正臣も刀を前方へ振り上げる。先ほどまでの雰囲気は消え去り、油断なく相手を見据え合った。長年師弟なだけあって、相手が自分に望んでいることが手に取るようにわかる。結局、己の不器用な気持ちを真正面から相手へ伝えるには、(コレ)しかないのだから。

 

 それで正臣が自分に斬られたのなら、彼の覚悟はそこまでのことだっただけのこと。この程度の壁を越えられないのなら、いずれ道半ばで力尽きるだろう。より惨めな最期を迎えるであろう。それなら、教会の戦士として、剣の師として、家族として、彼にここで引導を渡すのが己の役目だ。

 

 だが、もしも彼の剣が自分に届いたのなら。『世界』の正しさに抗い、立ち上がることが出来たのならば…。その時は、一人の父親として、息子の一人立ちを見守ろう。師の剣に打ち勝ったのなら、彼が語る『守るための剣』を認めよう。紫藤トウジが持つ、今までの全てをぶつける。この戦いが、自分の生き方を見つけた正臣への餞別となれるように。

 

 

「八重垣正臣。キミの最初の『世界』の敵として、私は立ち塞がろう。『世界』のために、キミを倒す」

「……紫藤トウジ。この剣に懸けて、僕の決意を証明する。クレーリアを救うために、あなたを倒します」

 

 これ以上の言葉は、もういらなかった。あとは、己の剣で語ればいいのだから。

 

 二人同時に一歩距離を詰めると、途端に間合いがなくなった。それを合図に、靴底に力を籠めて一気に蹴り上げ、一瞬で零距離へと移行する。紫藤トウジは聖剣を振り下ろし、正臣は刀でその斬撃を受け流した。そこから更に前へ踏み込み、返す刀で聖剣を握る彼の腕を狙うが、すぐに聖剣の切っ先がそれを討ち返す。

 

 正臣は討ち返された反動をそのまま利用し、刀を振り上げた遠心力をギアに身体を滑り込ませ、紫藤トウジの背後へと回る。そのまま放たれた逆袈裟斬りは、寸分の狂いなく彼の胴体へと向かう。しかし、聖剣使いは片足を軸に身体を反回転させるだけでそれを避ける。そこへ間を置かず、紫藤トウジは下掛けからの一閃を放ち、相手の剣と打ち合った。

 

 たった一瞬の攻防で、すでに三度も打ち合った。紫藤トウジは堅実に守りを固め、聖剣の能力を最大限に行使するための打ち合いへ持ち込もうと踏み込む。正臣も聖剣の能力を警戒し、身を翻しながら無暗に刀を振らず、相手の死角の隙を狙って一撃を見舞った。

 

「っ……! 紫藤さんッ!」

「八重垣くんッ!」

 

 それぞれが背負うと決めた想いを剣に乗せ、互いに引くことのない剣舞は激しさをさらに増す。銀閃の衝突によって火花を散らし合いながら、彼らの戦いは始まったのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「……始まったみたいだねぇ」

「なら、こっちも早くクレーリアさんを見つけないといけませんね」

「幸い、罠などは張られていないようだ。あるのは、このあたり一帯に転移魔法を阻害する教会の術式があるだけかな」

 

 正面にある地下へと続く階段を降りていった正臣さんを見送り、俺達は別の通路から地下へと向かう道を目指していた。安全や避難を考えれば、地下にある施設の出入り口が一つしか用意されていない、なんてことはないからな。俺とラブスター様は、正臣さんに教えてもらった非常用の出口に向かっていたのだ。

 

 そして、ラブスター様の感知魔法で、正臣さんが戦闘を始めたことを知る。俺も仙術もどきによって、ピリピリとした感覚が神器を通して伝わってきた。波打つような荒々しさがありながら、研ぎ澄まされたような鋭い戦意(オーラ)も感じる。……うん、原作にたくさんいるバトルジャンキーな方々を嘗めていたわ。こんなオーラの中に、喜々として飛び込んでいく気が知れない。

 

 改めて、「なんで俺みたいな一般市民が、インフレバトル世界に転生しちゃったのかなぁー?」と今更な思いを抱いてしまう。本当に今更なことなので、俺は気持ちを入れ替えるためにもすぐさま行動へ移す。施設の裏手に隠してあった通路を開けて、慎重にそこへ飛び込んだ。紫藤さんも戦闘に集中しているだろうし、こちらの侵入は気づかれないだろう。

 

「大丈夫そうかな…。それにしても、転移魔法が使えないのなら、すぐに脱出するのは難しそうですね」

「そうだねぇ。おそらくクレーリアちゃんの逃走を防ぐためと、悪魔側を安易にここへ近寄らせないために張った術なんだろう」

「なるほど。それなら逆に考えれば、悪魔側の加勢がすぐにここへ来る心配もないってことか」

 

 駒王町にいるバアル派の悪魔は、ミルたんたちが相手をしてくれている。しかし、冥界側の悪魔達にいつこちらのことを気づかれるかはわからない。ディハウザーさんの交渉もすでに始まっているだろうし、ここからは時間との勝負になるだろう。ディハウザーさんとアジュカ様なら大丈夫だと思うけど、何か予想もつかないような不測の事態が起こって、混乱状態になる可能性だってあるのだ。用心に越したことはない。

 

 俺は気を引き締め直し、明かりの消えた通路の中を早足で進んでいく。暗視の魔法はすでにかけてあるし、仙術もどきの力で生体反応を探っていった。戦闘訓練所なだけあって、それなりの広さは確保されているらしい。仮眠室やキッチンなどといった生活用スペースもあり、祭祀場なんかも見つける。正臣さん達が戦っている近くには寄らないように気をつけながら、彼女が閉じ込められているだろう部屋を探した。

 

「でも、ラブスター様。どうしてクレーリアさんが、紫藤さんの近くにいないとわかったんですか?」

「彼の性格から判断してだよ。女の子の目の前で恋人を斬り殺すところなんて、わざわざ見せつけるような男ではないだろうからねぇ。戦闘の余波だってあるかもしれないし、なおさら近場に彼女を置いてはおかないさ。ここには居住スペースとしての個室がいくつかあるらしいし、そこに監禁されていると考えるべきさ」

 

 ふむふむ、さすがはラブスター様、勉強になります。こうやって知り得た情報を精査することで、こちらの動きもスムーズになることがよくわかる。情報を集めるだけじゃなくて、それを上手く利用して使っていけるように、俺も頑張らないといけないな。

 

 作業に集中しながらも、そんな風に会話を交わしていた俺達であったが、不意に俺の感知に反応があったことに動きを止める。正臣さん達がいる場所とは、ちょうど裏手にある奥の一室。俺は相棒を両手で持ち、目を閉じて意識を深く神器に通すことで、さらに感覚を研ぎ澄ませていく。そして、確信を持って言葉を告げた。

 

「あの部屋に誰かいます。僅かですが魔力を感じたので、あそこにクレーリアさんがいる可能性が高いです」

「うんうん、よくできました。ここは教会側の聖なる領域だから、魔力を扱う使い魔越しだと精密な探知は難しいからねぇ。こういう時、自然界にあるオーラを扱う仙術や特殊な異能力なんかは、頼もしく感じるよ」

「えっと、ありがとうございます」

 

 出来てよかった、仙術もどき。そういえば、前にメフィスト様から「日本には古くから異能を宿す一族が多くいるから、そちらの勉強もしていこうねぇ」と言われたな。特に異能を扱う術に優れた五大宗家の特性なんかは、よく覚えておくように、って言われていたっけ。姫島とか真羅といった、原作と関わりが深い家なんかもあるし、俺が日本に住んでいるのも大きいだろう。神器も一般的には、異能の一種と分類されているしな。そっちも頑張ろう。

 

 人間の俺にはあんまりよくわからないけど、悪魔であるメフィスト様には、教会の領域から感じるオーラとかがビシバシと感じてしまうのだろう。原作の兵藤一誠も教会に近づいただけで、気分が悪くなっていたし。そう考えると、悪魔であるクレーリアさんにとっても、この場所は辛いはずだろう。両手に掲げていた神器を下ろし、真っ直ぐに目的を見据えた。

 

 それから俺達は急ぎ足でその部屋に向かい、扉がしっかりと施錠されていることを確認する。扉を外から叩くが、彼女からの返事はない。明かりもついていないし、もしかしたら気を失っているのかもしれない。

 

「神器で消滅させますか?」

「いや、後で教会の監査などが入った時のことを考えて、あまり痕跡は残したくない。カナくん、扉の鍵穴に僕を近づけてくれるかな」

「わかりました」

 

 言われた通りに肩に乗っていたラブスター様を手に乗せて、ドアノブの傍へと近づけた。すると、何やらモゴモゴと頬袋が動いたかと思うと、ポンッと小さな工具のようなものが現れた。これ、テレビで見たことがあるな。あとラブスター様、あなたの頬袋の中はどうなっているんですか。四次元にでも繋がっているんですか。

 

 ちょっと遠い目になっている俺をしり目に、ラブスター様は器用な手つきで小さな工具を手に取ると、鍵穴を弄り出す。ここまでくれば、彼が何をしようとしているのか理解できた。魔力や異能で扉を開けると、何かしらの痕跡を残してしまうかもしれないのなら、古典的な方法で突破するまでのこと。メフィスト様って、結構何でもできそうなイメージはあるけど、ピッキングまでお手の物とは…。さすがは大悪魔様です。

 

 それからラブスター様は、数秒ほど工具を入れ替えながら作業をし、ついには扉にかかっていた鍵を開けることに成功した。カチリッ、と小さな音を立てて開いた扉に、思わず感嘆の声を上げてしまう。ラブスター様は満足そうに髭を揺らすと、再び工具を頬袋に放り込み、何事もなかったように俺の肩の上に戻った。彼にとって、この程度は自慢することでもないのだろう。一万年も生きる悪魔って、色々な意味ですごいな。

 

 

「クレーリアさん、ここにいるんですか?」

 

 地下なので窓はなく、明かりもついていないのできょろきょろと部屋の中を見渡す。彼女の無事をしっかり確認したかったので、光を求めて壁側に目を向けた。すると、視界の端に目的だった電灯のスイッチを発見し、俺は手袋越しにそれを押す。

 

 俺の目に明るい光が入り、次に目に入ったのは灰色の長い髪の女性。彼女はベッドに丁寧に横たえられ、苦しそうな顔色で魘されているようだった。俺は駆け足で彼女の前まで移動すると、ラブスター様へ視線を投げかけた。

 

「ラブスター様、クレーリアさんは」

「……大丈夫だよ。おそらく夢幻の聖剣(エクスカリバー・ナイトメア)の夢を見せる能力で、クレーリアちゃんを眠らせているだけのようだねぇ。命に別状はないし、他に何か術をかけられている様子もないかな」

 

 それなら、と俺は神器を構える。ラブスター様も静かに頷き、俺の肩から飛び降りた。俺は『Analyze(アナライズ)』で手のひらサイズの槍を作り出し、クレーリアさんの手の平へと槍の矛先を向ける。少しチクッとするだろうけど、傷口はあとで消すつもりである。深く息を吐き、彼女に神器を突き刺した。

 

彼女を捕らえている夢よ、消滅せよ(デリート)!』

 

 俺の言葉と同時に紅色の光が槍から溢れ出し、クレーリアさんを包み込んだ。駒王町の事件に介入してからも、時間がある時はアザゼル先生と修行をしていた。俺自身に効果を及ぼすことについては太鼓判を押されたので、次の課題は他者へ向けた能力使用である。特に、疑似回復技や特殊効果の消滅などを重点的に訓練させられただろう。だから、失敗はしないはずだ、と自分を信じる。

 

 俺は神器のオーラが、クレーリアさんにちゃんと巡っていることを感じとった。そして、相棒の思念が届いたと同時に能力の行使を止め、神器で彼女の傷を癒しながらそっと引き抜いた。すると想定通り、クレーリアさんの手の平には血の跡だけが残り、綺麗に傷口を塞ぐことができたのだ。それに安堵から息を吐き、すぐに彼女の肩へ手を置いて、名前を呼びかけた。

 

 

「クレーリアさん! 起きてください、クレーリアさんッ!」

「――ゥ…。ッ、……あっ、ん。……カナ、くん?」

「はい、正臣さんと助けに来ましたっ。体調は大丈夫ですか?」

「うん…、大丈夫。少し、意識がはっきりしないだけで……、すぐに回復できると思う」

 

 ゆっくりと目を開いたクレーリアさんは、俺を認識すると安心したように、泣きそうな顔で笑っていた。片手を持ち上げて目のあたりを擦り、重たい身体に力を入れる様に上半身をなんとか起き上がらせる。顔色はまだ悪いけど、魘されていたようだし、夢見も悪かったのだろう。人質として攫われた彼女にとって、自分の所為で多くのヒトを危険な目にあわせてしまった罪悪感は、悪夢として彼女を苦しめていたのだと思う。

 

「正臣や、ルシャナ達…。ディハウザー兄様は……」

「みんな無事です。ディハウザーさんは交渉を始めて、ベリアル眷属のみんなは、今は最も安全…だと思われる場所にいます。正臣さんは、紫藤さんと戦っていて、その隙に俺がクレーリアさんを助けに来たんです」

 

 かなり簡潔な説明になるが、少なくとも今のところ大丈夫であることは伝えられただろう。特にルシャナさん達は、魔法少女(カタストロフィ)とスーパーロボットに守られているからな。たぶんどこよりも安全だと思う。俺の答えに安堵の色を彼女は見せるが、すぐに心配そうな表情を浮かべた。

 

「……正臣、紫藤トウジさんと戦っているのね」

「……はい」

「クレーリアちゃん、起き上がってすぐにあれこれ考えても仕方がないさ。まだ辛いだろうけど、少しでも体力が回復したら移動することになる。キミが共に生きることを選んだ彼を信じてあげなさい」

 

 自分が攫われてしまった所為で、正臣さんと紫藤さんが戦うことになったことを悔いる様に、彼女は唇を噛みしめる。そんなクレーリアさんにかける言葉が見つからない俺の隣から、ラブスター様がフォローを入れてくれた。憂鬱な表情を浮かべていたクレーリアさんは視線を声の方に向け、肩を跳ねて驚きに目を見開いていた。

 

「ハ、ハムスターがしゃべっている」

「『大いなる愛の化身、ラブスター』さ。クレーリアちゃんと八重垣くんの愛のパワーによって、この駒王町に導かれた愛と勇気と希望の使者である魔法少女達の可愛いマスコットだねぇ」

「……カナくん」

「……一言でまとめると、俺の上司です」

 

 それだけで、ラブスター様が何者なのかを知ったクレーリアさんは、敬うべきかどうするべきかで思考が追いつかず、あたふたと挙動不審になる。いきなり組織のトップを務める大悪魔様が、ハムスター(マスコット)になって目の前に現れたら、普通にビビるよね。

 

「あと、何で魔法少女…?」

「希望の使者です。ここで説明すると俺の精神が持たないので、それでもう納得してください。正臣さんは諦めてくれました」

「え、えぇー」

 

 困惑の声を上げながらも、クレーリアさんも状況が状況なので、正臣さん同様に深く考えないことにしてくれた。俺も魔法少女とロボについて、改めて他者へ説明すると考えると、何から話せばいいのかさっぱりわからないからな。とりあえず今は前に突き進んで、悩むのは全部解決した後でいいやっ! な気持ちでいるので。人はそれを、丸投げとも言う。

 

 

 さて、クレーリアさんの顔色も少し良くなってきたし、当初の目的は達成できただろう。正臣さんの戦闘がまだ続いているのが不安だけど、まずは彼女をルシャナさん達がいる公園へ連れて行くべきかな。俺は正臣さんに渡した神器の効果範囲のことがあるから遠くには行けないけど、そこはラブスター様にお願いすれば問題ない。

 

 それにしても、悪魔やエクソシストがいるんだけど、あそこが駒王町で最も安全だと現時点で確信を持って言えるのだから、色々おかしいと思う。とにかく、冥界側も動きがあるかもしれないし、彼女をここから連れて行くのは確定だろう。

 

「……クレーリアさん、歩けそうですか?」

「ちょっとふらつくけど…、たぶん」

 

 心配げに告げた俺の質問に、クレーリアさんは頑張って立ち上がり、数歩ほど歩いてみせる。はっきり言って、フラフラだ。ここは悪魔にとって敵地だし、聖剣のオーラを受けた影響もある。精神的な疲労もかなり溜まっているだろうし、こうやって折れることなく立ち上がっているだけでもすごいことなのだ。俺の能力で蓄積したものを消せるかもしれないけど、失った体力は戻せない。

 

 俺は少し逡巡し、これしかないかなと考えを巡らせる。後で正臣さんに「羨ましい!」と怒られるかもしれないけど、緊急事態なんだし許してくれるはず。俺が神器持ちなことを正臣さんには教えたし、すでにクレーリアさんに手に持つ神器は見られている。俺は軽い調子で、思いついた内容をクレーリアさんに告げた。

 

「クレーリアさん、俺が背負いましょうか?」

「えっ、でも…。小学生のカナくんじゃ、さすがに高校生の私を背負うのは……」

「これでも、ドラゴンと鬼ごっこができるぐらいの体力ならありますよ? あっ、あと俺の持っているこの神器で、『俺が感じる重さ』も消せるので大丈夫です」

「……カナくん。こういう事態だから仕方がないけど、女の人に重いとか堂々と言わない方がいいよ? それなら、お言葉に甘えさせてもらうけど…」

 

 クレーリアさんにジト目で言われて、俺は思わず乾いた笑みが浮かんでしまう。そういえばそうですね、うっかりしていました。クレーリアさんはそれにちょっと呆れ気味に微笑むと、俺の首に腕を回し、太ももを俺の腕に絡め、背中へと倒れこんでくる。そこまできて、俺は気づく。自分がとんでもないことをやらかしたことに。

 

「――ッ!!」

「……カナくん?」

「あー、うん。カナくんも男の子だもんねぇ。でも、自分で言ったことだからね。やらかした責任は自分で頑張りましょう」

 

 そんな、ラブスター様っ! まさか、こうなることが最初からわかっていて黙っていましたか!? 相棒の力で重さを感じなくしてもらえたおかげで、問題なく彼女を背負うことはできた。それ自体は大丈夫だったが、俺の背中に感じる柔らかい感触に今更ながら慌ててしまう。クレーリアさんは俺に問題がないとわかると、安心して力を抜いてしまっている。艶やかな吐息が、俺の耳元を震わせた。

 

 身体が硬直したように動かない。そうだった、クレーリアさんって美人だし、プロポーションも良かったもんなぁ…。本当に今更なことを思い出したよ。予想もしていなかった、突然の奇襲だ。原因は俺の迂闊な一言。まずい、これは考えていなかった。

 

 緊急事態だから、で無反応で誤魔化せるほど、俺は男を捨てた覚えはない。というか、身も心も男だ。魔法少女は、もう存在が超越しているからカウントしない。もう一回言う、俺だって普通に女の子が大好きな思春期の男の子なんだっ! こういう考え自体、俺を信頼してくれているクレーリアさんにも、彼女の恋人である正臣さんにも悪いと深く思っている。反省している。

 

 何よりも今は、紫藤さんと正臣さんの一騎打ちという重要な戦闘中で、冥界は真面目に交渉中だぞ。罪悪感が半端じゃないんだがっ! 原作みたいなシリアスの最中に、いきなりエロ思考で欲望のまま突撃できるのは、イッセーじゃなきゃできないよッ!? やっぱりあいつすげぇよ、さすがは主人公だよ!

 

 だけどさ、やっとだよ! やっと『ハイスクールD×D』に転生して起こった、ラッキーイベント再びなんだよッ!? 前回のラヴィニアの『心頭滅却』と同様に、素直に浸れないのがものすごく世界からの悪意を感じるけど。匙さんというメイン級でさえ、エロに厳しい世界だとは理解していたが…。モブには、感動する暇すら与えないってか? そりゃあないぞ、世界よ! この流れを変えるためなら禁手化(バランス・ブレイク)するぞ、このやろうッ!!

 

「……ック。相棒、俺の…、男として大切な気持ちを、今は消滅させてくれッ……!」

 

 相棒は何も思念を送ることなく、そっと言う通りにしてくれた。ラブスター様は無言で俺の足元をポンポンッ、と慰めるように叩いてくれた。クレーリアさんは不思議そうにしながらも、何も聞かないでくれた。みんなの優しさが心に沁みる。

 

 こうして、俺達はクレーリアさんを連れて、部屋から脱出することに成功したのであった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。