えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第七十四話 切り札

 

 

 

「――聖剣よッ!」

 

 紫藤トウジが言霊を発すると、聖なるオーラが剣から溢れ出す。そして、牧師服を着た男性が突如三人に増え、それぞれが斬撃を放ち出した。夢幻の聖剣(エクスカリバー・ナイトメア)の見せる光の粒子が反射し合い、持ち主の記憶を形として作り出したのだ。八重垣正臣はそれに目を鋭く細め、後ろへ下がりながら迫りくる銀閃を紙一重で躱し続けた。

 

 正臣は冷静に三人の師を見据え、その動きを素早く観察する。踏み込む速度、剣筋のブレ、彼が通った後に舞う土埃の動き、それらを視界に収めていく。聖剣の見せる幻術は厄介だが、冷静に見極めれば対処することはできた。記憶から幻覚を生み出す代物であるため、実際に戦闘をしている本物と見比べれば、いくらか動きに違和感を覚えるのだ。

 

 しかし相手は幻覚だが、油断はできない。幻術に斬られても実際に斬られる訳ではないが、聖剣の粒子を浴び続けることで脳が誤解し、疑似的な痛覚を感じさせてくるからだ。まだその段階には陥っていないとわかっているが、光の粒子でできた幻覚の攻撃を受けないに越したことはない。

 

 そして、手前にいた紫藤トウジが聖剣を振りかぶった隙を見て、正臣は足元の砂埃を蹴り払う。剣が当たる寸前で後ろに下がって回避に成功しながら、紫藤トウジの表情を盗み見た。土埃が顔に一瞬かかったというのに、全く瞬きすることなく斬る動作を続けた様子を見て、確信を持つ。

 

「一人目」

 

 これは幻覚だ。正臣は幻術でできた紫藤トウジの横をすり抜け、もう二人の方へ意識を向けるように、刀を振り抜いた。

 

 

 彼が一人目の幻術を見破ったのを紫藤トウジは悟ったのか、すぐに二人の動きは鏡合わせのように相手を挟撃する構えを見せる。さらに聖剣が光り輝くと、紫藤トウジの腕を幻覚で歪め、剣を持つ手が何本にも見えだした。正臣に己の剣筋を読ませないためだろう。二人の紫藤トウジは正臣との距離を詰めると、複数の斬撃を放った。

 

 数十はあるだろう攻撃の内、一つだけが本物。一本の刀では、二人分の攻撃を捌くのは厳しいだろう。どれが幻術なのかわからなければ、一撃をもらう可能性が高い。初撃は大きく横へ避けることで切り抜け、二閃目は姿勢を低くしてスライディングの要領で剣の嵐を避け切る。しかし、それにより正臣の態勢が崩れた。それに、容赦なく剣を振り上げようと紫藤トウジは振り返ったが。

 

「っ……!」

 

 それよりも早く、正臣は腰に差していた刀の鞘を引き抜き、相手の足元に向けて勢いよく投擲した。聖剣を振り上げようとしたタイミングを狙ったことで、剣で鞘を討ち返せない瞬間を狙ったのだ。それにより追撃を阻止された紫藤トウジは、咄嗟にバックステップで跳び上がり、足元擦れ擦れを通った鞘の不意打ちを避けた。そのすぐ後、紫藤トウジの後ろから、投擲の勢いのなくなった鞘が甲高い音を立てながら、床へと転がっていった。

 

 だが、これでどちらが本物であるのかは気づかれてしまっただろう。距離を開けて着地したことで、再びお互いの間合いが開く。もう意味がなくなってしまった自分の幻術二体を消し、息を整えて態勢を整え合った。最初の焼き直しのように正臣と対峙する状態へと戻る。……これで何度目の衝突になっただろうか。

 

 幻術は聖剣に光の粒子を溜めてからでないと使えないため、連続して使用することは難しい。これで決めるつもりだったのだが、予想以上に正臣の動きが良く、そして紫藤トウジの動きは予想以上に重かった。聖剣の能力を使用しているにも関わらず、彼に一太刀も浴びせることができていないのが、何よりもその証拠となっていた。戦闘に入ってからの正臣の集中力は鋭くなっており、紫藤トウジが作り出す幻術を的確に見極めてくる。

 

 正臣は幻術で見せる刃を無暗に打ち返さずに見切り、本物の銀閃は刀で逸らすことによって、聖剣の粒子を散らさないように配慮もされてしまっていた。光の粒子でできた幻術に相手の身体を触れさせるだけでも、夢へ誘わせる力を強くさせる副次的効果がある。幻術だからと馬鹿にして、力任せに攻撃する異形相手には罠として効果的なのだが、能力の詳細をよく知る正臣には効かないだろう。

 

「……私が本物で運が良かったね。鞘で狙ったのが幻術だったら、あのまま私に斬られていたかもしれないよ」

「僅かですが動きに違和感を感じたので、自分の勘を信じてみました。あと、もし外れていたのなら…」

 

 少しでも動揺を誘えれば、と思い紫藤トウジは口を開いたが、逆に薄く笑い返す正臣の表情に訝し気に眉を顰めた。だが、背後から微かな金属音が耳に入ったと同時に、戦士としての経験から培った警鐘に従って咄嗟に身体を翻す。そのすぐ後、自身の頭部擦れ擦れを横切った影に、脂汗が頬を流れた。

 

「さすが」

「……鞘にワイヤーのようなものを括りつけていた訳か。幻術だったなら今のようにすぐにワイヤーを引き、鞘を引き戻す要領で本物を後ろから狙えばいい」

「前に、エクソシストの仲間に教えてもらった奇襲技なんです。ちょっとカッコよかったので、隠れて練習していました」

「教えたのはスミスだな、あの馬鹿…。日本のアニメを見て「糸使いって玄人っぽくて、モテそうですよね!」とか言って、何回か腕を切っていたと記憶していたが…。諦めていなかったのか」

 

 おそらく今回の一件が起こる以前に、やっと練習してできた鞘ブーメランを年下の正臣にでも披露していたのだろう。上司にネタ技など見せて、真面目にしろと怒られたくないから、おそらく黙っていたなと悟る。正臣は日常生活では不器用な面が目立つが、戦闘技術に関してはかなり器用なのである。さらに彼の素直な性格もあり、仲間内で勝手に変な技術を教えていることがたまにあったのだ。

 

 正臣も断ればいいのに、「先輩が言うことだしなぁ…」でなんでも付き合ってしまう下っ端根性(人の好さ)と、変なところで柔軟性があるため周りへの適応力も無駄に高かった。そのため、教えられた技術をしっかり吸収してしまい、さらには自分の技として昇華していく。彼がこの若さで教会でも名の上がる戦士になれたのは、剣の腕だけでなく、その器用さも挙げられていたのだ。

 

 紫藤トウジが、この戦闘訓練所を正臣との一騎打ちの場所に選んだのも、遮蔽物が何もない狭い空間が欲しかったからである。聖剣の幻術を最大限に活用でき、なおかつ正臣が利用できるものを減らすために。正直、先ほどのように自分の部下たちが、正臣にネタやノリで教えただろう技術に牙を剥かれたくなかった。正臣の場合、真面目に技として使用してきそうなのが尚のこと性質が悪い、と紫藤トウジはちょっと溜息を吐いてしまった。

 

 

「五十三、か…」

 

 そんな風に、上司に呆れられている正臣は左腕を引いて、自分側へと戻ってきた鞘を左手で器用に掴んだ。素早く仕掛けを施し直し、再び腰へ差しておく。そして、ポツリと呟いたのは、師の聖剣と打ち合った回数だ。紫藤トウジを倒すのなら、長期戦は己の不利となる。万が一、自分が幻術に嵌まってしまう危険性を考慮するのなら、せめて百打ち合うまでに決着をつけたいと考えていた。その折り返し地点がきてしまったことに、僅かに表情を硬くする。

 

 確かに紫藤トウジの動きは、いつもよりキレは良くない。それでも未だに彼へ届かないのは、皮肉にも自分の決意を聞いた師が、迷いの一切を捨てて戦う道を選んでしまったが故だった。だが、それに不思議と悲しさは生まれなかった。何度か剣を打ち合って感じたのは、『自分を乗り越えてみせろ』という師として、父としての大きな壁であったからだ。この命懸けの戦いは、剥き出しの思いのぶつけ合いなのだと気づいた。

 

 それに真っ直ぐに応えたい、という思いが正臣の中で膨れ上がるが、それをなんとか押しとどめる。腕の隠しポケットに入れている固い感触が、冷静になるようにと自分に言い聞かせてくれているように感じた。正臣はたった一人で、ここに立っている訳ではないのだ。自分のやるべき役割を忘れてはならない。

 

『紫藤トウジとの勝負に拘らずに、クレーリアの救出を優先してくださいね』

 

 大丈夫、と心に浮かんだ彼女との約束に、正臣は頷き返す。紫藤トウジと決着をつけたいこの思いは、正臣にとって大切なものではあるが、何を捨ててでも大切にすると決めた一番は、すでに決まっているのだ。クレーリアと共に帰ってくることが、自分がやるべきことなのだから。

 

 それに、もうそれなりに時間を稼ぐことはできただろう。もしかしたら、もう奏太達がクレーリアを見つけている頃かもしれない。彼女を安全な場所へ誘導できたら、例の通信用の魔道具で知らせが入る手筈になっている。クレーリアが助かったのなら、正臣がここで戦い続ける理由はなくなるのだ。ただ逃走するにも、彼を出し抜かなければならないため、そう容易な事ではないのはわかっていた。一人で切り抜けられない場合は、逃げに徹して、応援が来るのを待つしかないだろう。

 

 だがその場合、その応援で何がやってくるかわからないのが、素直に怖い。サポートタイプである奏太だけが、正臣の応援に駆け付けにくることはないだろう。確実に魔法少女かスーパーロボットの援護が、紫藤トウジに降りかかる。戦闘と一緒に、彼の胃も終わりかねないのだ。自分の我儘のために生きることを決めたとしても、弟子として、息子として、出来ればそんな悲劇を切実に起こしたくない。罪悪感でつらい。

 

「……でも」

 

 とりあえず、と今は小さく頭を振って、まだ継続中の戦闘に集中するように正臣は意識を戻す。逃げに徹する可能性も考えると、これ以上不用意に師の聖剣へ近づくのは得策ではない。おそらく彼との決闘は、あと一、二回の衝突が限界だろうと考えた。それで紫藤トウジを倒せなかったのなら、潔く自分が彼を倒すことを諦める。その時は、後で奏太に紫藤トウジの胃痛を消滅できないか、頭を下げてお願いしようと心に決めた。

 

 奏太からもらった切り札を使えば、無茶をすることもできるだろうが、使わないのなら使わないに越したことはない。紫藤トウジをここで倒す必要性がない以上、自分の我儘のために切り札を切るのは、正臣を心配して神器を預けてくれた少年に失礼だろう。それに正臣の心の余裕を保たせるために、この切り札は十分に効果を発揮してくれた。そこまで思考すると、正臣は次の衝突に備え、深く息を整える。せめて自分の思いが、剣を通して師へ伝わることを信じて。

 

 

「……随分、落ち着いているね。ここまで焦りが見えないと、何かあるんじゃないかとちょっと勘ぐってしまうよ」

「紫藤さん相手に冷静さを無くしたら、すぐに斬られてしまいそうですからね」

「そういう意味じゃないさ。わかっているだろう、すでに五十は切り結んだ。聖剣の能力を知るキミなら、短期決戦で勝負を決めてくるだろうことは読んでいた。だから、こちらは防御を固め、あまり攻勢に出ずに聖剣の粒子を拡散させることに集中したんだ」

「…………」

 

 やはりか、と内心で納得する。お互いにここまで無傷で切り結べたのは、正臣も紫藤トウジも攻勢に出ようとしなかったからだ。紫藤トウジは防御を固め、正臣は攻め立てながらも危険な賭けだけはしなかった。自分の安全が最優先で、紫藤トウジの一撃をもらわないことに注視していた。それに訝し気な目を向けられても、仕方がないだろう。本来なら、正臣は紫藤トウジを倒さなければならないのだから。

 

 人間である自分達にとって、一撃が勝敗を大きく分ける。だからこそ人外と戦う彼らは、相手の隙を見つけるまで回避に専念し、あらゆる技術を用いて、彼らへ必殺の一撃を見舞うのだ。そうやって戦い続け、勝利して彼らはこの命を繋いできた。故に、機を読むことにかけては、十年以上の経験の差を持つ紫藤トウジに軍配が上がるのは間違いないだろう。

 

 だからこそ、短期決戦を仕掛けるだろう正臣に対して、紫藤トウジは防御を固め続ければ、いずれ焦りから僅かでも隙を生み出す、とジッと機を窺っていたのだ。しかし、一向にその気配が訪れないことに、彼も疑惑を持つようになる。正臣は、まだ何か手を隠している。そして、それを自分が暴かない限り、八重垣正臣を倒すことは叶わない、と長年の勘が聖剣使いの脳裏を過ぎった。時間稼ぎは、自らの利にならないと悟ったのだ。

 

 紫藤トウジは、教会の戦士として培ってきた己の勘を最も信用している。このままでは、自分は彼に勝つことができない。聖剣使いはその事実に薄く口角を上げ、正臣の実力を心の中で素直に称賛する。先ほど、自分が持つ全てを彼にぶつけると告げている。ならば、師の全てを乗り越えてみせろ。先ほどまでの守勢な剣筋が、前方へと傾いた。

 

 ――紫藤トウジは、自らの切り札を切る覚悟を決めた。

 

 

「まったく、これは後で始末書に書く内容が増えるな」

「……紫藤さん?」

「見せてあげよう、八重垣くん。聖剣の本当の力を。私が必ず倒すと決めた相手にだけ、見せることを決めた技を。牙を剥く教会の戦士が、いかに恐ろしいかをね」

 

 その言葉と同時に、悪寒が正臣の背をかける。咄嗟に後ろに飛びのき、刀を前方に掲げた。一瞬で間合いを詰められ、振り下ろされた聖剣の重圧が刀を通して全身に伝わってきたのだ。それに奥歯を噛みしめ、その衝撃をなんとか逸らす。突然の攻勢に虚を突かれたが、受け流すことで対応することはできた。

 

 正臣もすぐさま紫藤トウジへ刀を振るおうと、右足を踏み込もうとして――目を見開いた。

 

「クッ……!」

 

 いつの間にか、紫藤トウジは片手で聖剣を握っており、反対側の手に持っていたのは、白光りする銃身。それが先ほど踏み込もうとした足に向かっていたことを視界の端に捉え、正臣は力任せに左足で地を蹴り、銃口から逃れる。遅れて届いた甲高い銃声に聴覚が一瞬麻痺し、耳鳴りに顔をしかめた。とにかく距離を開けるべきだと、聖剣の軌道の範囲から脱する。

 

「甘い」

 

 回復した聴覚が拾ったのは、そんな一言。紫藤トウジの聖剣が光り輝き、そこから聖なる波動が撃ち出された。それが、複数。正臣はその内のどれかが幻術だと把握したが、瞬時にそれらを判断することは困難だった。いくつかの波動をやり過ごし、自分に当たりそうになったものは斬っていく。そこへさらに追撃するように、紫藤トウジは銃口を向け、三発の銃声と共に、銃弾を正臣に放った。それらも、当然幻術と織り交ぜながら。

 

 その内の一発が、避け切れなかった正臣の左腕を掠める。それに小さな悲鳴が漏れかけたのを必死に抑え、とにかく紫藤トウジの一手を見逃さないように目を凝らす。聖なる波動や光力が込められた銃は、エクソシストが使う飛び道具の技術の一つだ。警戒していなかった訳ではないが、まさか聖剣の効力は飛び道具にすら適応されるとは思っていなかった。

 

「僕ら人間や人型に近い人外はね、目や耳といった直接的なものに左右されやすい生き物だ。だから、こんなこともできる」

 

 紫藤トウジは真っ直ぐに銃口を正臣に向け、指をゆっくりかけ、一発の銃声が鳴り響く。幻術で複数に増えた訳でもない、真っ直ぐな弾丸。正臣はそれに眉根を顰め、刀で迎え撃とうとした瞬間、腕の隠しポケットに入れていた奏太の神器から微かなオーラが漏れた。

 

 直感で、身体を横に避ける。すぐ横を通り過ぎた弾丸が目に入り、壁に撃ち込まれた場所を見て、そして驚愕する。自分の感覚では、一発しか銃弾は放たれていなかった。銃声も、彼が引き金に手をかけたのも一回だけのはず。しかし、壁に埋め込まれた弾丸は二発。その事実に、最悪の想定が正臣の中を駆けた。

 

 見えなかった。聞こえなかった。まだ五十程度しか打ち合っていないはずなのに、視覚と聴覚が狂わされている。自分の視界に映るもの、耳に入るものが、幻覚なのか本物なのかの判断が働かなくなっていた。今目の前にいる紫藤トウジの姿すら、本物かどうかとさえ疑いを持ち始めてしまうほどだった。

 

 

「気づいたみたいだね」

「いったい、いつの間に…? 夢幻の聖剣(エクスカリバー・ナイトメア)のレプリカの幻覚作用に、これほどの即効性はなかったはず」

「あぁ、ないよ。レプリカにはね。だから、一時的に引き上げさせてもらった」

 

 そして、彼の懐から取り出されたのは、淡く発光する水晶のような小さな宝石。初めて目にする正臣は、それの発する聖なるオーラに目を瞬かせる。そしてそれが、どこか夢幻の聖剣のレプリカが放つオーラと似通っていることも。

 

「長い年月をかけて、聖剣が研究されてきたのは知っているね。使い手になれるほどの因子持ちは希少だが、聖剣を扱う因子を持つ者は私含め、数は多くないが一定数存在する。しかし、聖剣の数には限りがあった。因子を持つ者全てに聖剣を譲渡することはできない。力の弱い聖剣なら錬金術でも作れるだろうけど、戦士として心許ないのは違いない。そこで開発された技術こそが、既存の聖剣から力の特性を抽出して、錬金術で新たに作り出されたこのレプリカ技術だった」

 

 聖剣の特性のみを抽出して、作り出されたレプリカ。それらは、本物の聖剣の五分の一以下の力しか発揮できないが、特殊な能力を扱うことができた。これらの技術は、まだまだ教会でも研究途上であり、レプリカ使い達は研究所に使い心地や性能を伝える義務がある。また、研究所から研究のための実験にも付き合う必要があるのだ。紫藤トウジが使ったのも、その研究成果の内の一つだった。

 

「この結晶はね、そのレプリカに付与されている聖剣の特性を、一時的に引き上げることができるものなんだ。私も過去に一回しか使ったことがないけど、本物と同じように精巧な幻術を作り、相手を惑わすことができるようになる」

「……つまり、すでに僕は聖剣の夢に囚われている訳ですか」

「キミだけでなく、私自身もね。幻術で、私の体調もしばらくの間は正常な状態だと認識させた。先ほどまでと違い、今の私は万全な状態だという訳だよ」

「なっ!?」

 

 その事実に、正臣は絶句する。まさか散々紫藤トウジを苦しめていた胃痛を、聖剣の能力で自ら克服するとは思っていなかったのだ。師との戦闘で、正臣を優位にしていた大きなアドバンテージが、ここで消されてしまった。それに、嫌な汗が頬を流れる。しかし、それほどの力を持つ結晶があるのなら、何故今まで使わなかったのか。正臣はその疑問を、真っ直ぐに紫藤トウジへ投げかけた。

 

「……でも、何かしらのデメリットがあるのではないですか? そんな便利なものがあるのなら、最初から使えばよかった。それこそ、聖剣使いはみんなそれを使っているはずですよね」

「正解。聖剣の特性をある意味無理やり暴走状態にさせて、力を引き出しているようなものらしいからね。持ち主も気を強く持たなければ、その特性に飲み込まれて自我崩壊する危険性がある。さらに、特性を暴走させているようなものだから、使い終わった後の聖剣はボロボロになって、使用することができなくなるんだ。まさに、諸刃の剣って感じさ」

 

 一度使えば、持ち主の精神に多大な負荷がかかり、しばらく聖剣は使い物にならなくなる。せっかくの聖剣の因子持ちが廃人になる危険性があり、また再び剣が修復されるまで、戦士としての活動は難しくなってしまうのだ。教会もそのことから、レプリカ使い達に結晶は切り札として使用するように言っていた。

 

 紫藤トウジ自身も、暴走状態の聖剣を扱う危惧から、最終手段としてでしか使用を考えていなかった。長時間の使用も持ち主の精神を蝕む危険性があり、使えるのは僅か数分足らず。また仲間が近くにいると、聖剣の暴走による巻き添えを食う可能性も高いのだ。

 

 人間であるため、基本コンビやチームを組んで戦うエクソシストにとって、このデメリットは共倒れの危険性があり、現在この結晶の使用は見直すように検討されている。しかしこの時代では、人命よりも成果に比重が置かれていることもあり、使用の制限はほとんどされていなかった。

 

 

「だけどね、八重垣くん。キミを倒すぐらいの時間なら、これで十分さ。わざわざ効果を話してあげたんだ、納得はできただろう」

「なんで、そんな危険な力を使ってまでして…」

「……教会も綺麗なだけじゃない。こういう人体実験なんて、よくあることさ。人外から人の命を守るための組織でありながら、人外を倒すために人の命を使う。教会はそういった負の側面や闇だって抱えているし、目を背けたくなるようなこともしている。……それでもね、人に仇なす者を斬る力を得るために、この道を選んだのも私自身だ」

 

 紫藤トウジは、泣きそうな顔で正臣へ笑いかけた。

 

「私はそんな『世界』の仕組みに目を背けて、自分を誤魔化して生きることしかできなかった。でも、八重垣くんはそんな『世界』と抗う道を選んだ。それならこれから先、教会の闇もまたキミたちへ容赦なく降りかかってくるだろう。キミたちの覚悟を塗りつぶす様に、理不尽に踏み潰す様にね」

「紫藤さん…」

「さぁ、八重垣くん。これが私の全てだ。……キミがどうやって、この理不尽に抗うのか見せてもらおう」

 

 紫藤トウジの姿がブレ始め、一瞬にして数十もの分身を作り出す。しかも、それぞれがバラバラな動きでありながら、正臣へ明確な闘志を向けていた。彼らの表情を見ても、先ほどまでの人形のような精巧さではなく、人間らしい剥き出しの感情が浮かんでいる。正臣には、どれが本物で幻術なのかがわからなかった。今まで自分の命を救ってきてくれた勘も、すでに宛てにならないだろう。

 

 それでも、正臣の目に諦めは浮かばなかった。紫藤トウジが語った、『世界』からの理不尽。そんなもの、嫌というほど教えられたのだから。自分の力ではどうすることもできない悔しさを、大切なものが自らの手から零れ落ちていく恐怖を、正臣一人の力では決して抗うことができなかった絶望を、いくつも経験した。そして、それと同じ数だけ救われてきたのだ。

 

 この三ヶ月間は、正臣の価値観の全てを崩壊させるには、十分すぎるほどに濃い日々だった。きっと正臣だけだったのなら、誰も救うことができなかった。クレーリアも、ベリアル眷属達も、自分の命すらも守れなかっただろう。そして、それは正しい。道理に合わない力で押しつぶそうとしてくるものに、真正面から立ち向かって敵う訳がない。そんなこと、当然のように理解している。

 

 ならばどうするか。どうやって、理不尽に抗えばいいのか。その答えは、すでに教えてもらった。相手が理不尽な方法で攻めてくるのなら、こっちだってそれら全てをぶち壊す理不尽で対抗してやればいい。一人では抗えないのなら、みんなで立ち向かう。神の奇跡を待つのではなく、みんなの手で奇跡を掴んで引き寄せてみせるのだ。それぐらい奇想天外で、バカ正直な気持ちを貫く。

 

「いこう、みんな」

 

 正臣の目に怯えはない。澄んだ黒曜の瞳は、紫藤トウジを真っ直ぐに射抜く。自分に託してくれたたくさんのヒト達の思いが、闘志として正臣の魂に宿るように。研ぎ澄まされた集中力は、まるで彼自身が一本の刀そのものになったように、己の敵の全てを斬り割いてみせる気迫を感じさせた。

 

 紫藤トウジは、全身全霊を持って来る。それに背中を見せた瞬間、自分は容赦なく切り捨てられるだろう。逃げに徹するにも、先ほどまでのアドバンテージが消えた状態では、純粋な剣術で後れを取る可能性が高い。ならば、残るは迎え撃つしかない。紫藤トウジが知らない、正臣の切り札。それを切るべきタイミングを掴み取り、己の勝利を引き寄せてみせる。

 

 この衝突で、決着がつく。己の全てを懸けた師弟の対決は、佳境を迎えるのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「んー」

「どうかしたのかい、カナくん?」

 

 クレーリアさんを背負って進みだし、もうすぐ地下から抜け出せる一歩手前まで来て、ふと足が重くなったような気がした。ラブスター様の不思議そうな声に、自分でもどうしたのかと思う。それでも、なんとなくだけど、この感覚を無視するのはまずいような感じがしたのだ。一刻も早くクレーリアさんを安全な場所へ連れて行くべきだと思うのに、ざわざわとした何とも言えない予感が、それに待ったをかけてくる。

 

 この建物から離れることさえできれば、クレーリアさんの体調も良くなるだろうし、転移魔法を使うことができる。そうしたら、すぐにでも彼女を公園へ避難させることが可能だろう。俺は分離した神器の効果範囲から出る訳にはいかないけど、それを見届けたらすぐにでも正臣さんへ連絡を入れて、みんなで応援に駆け付けようと考えていた。だから急ぐべきだとわかっているのに、ここから出るのを躊躇う何かがある。心がどうしても落ち着かない。それに一瞬考え込んだが……。

 

「……相棒?」

 

 ふと、そんな声をかけてしまった。だけど、口に出したことで自分の中で確信が起こる。この予感は、神器が発する感覚だと。神器は宿主の魂と直結している。その宿主に危機が訪れる可能性が高い時、神器の鼓動が脈動として直に伝わってくるのだ。だけど、この感覚はいつもの危機に直面した時に感じる嫌な予感とは少し違う。でも、このままだといけないという呼応が、俺に伝わってくる。

 

 そうだ、神器とは想いの力だ。宿主の想いが強ければ強いほど、神器は主人のためにその力を発揮する。俺の想いに応えるために、俺を助けようと相棒はいつも力を貸してくれた。だから、この感覚を疑うのではなく、俺が誰よりも、何よりも信じるべきなのだ。例え妄信と言われようと、それだけの『力』を相棒は、俺に示してくれたのだから。

 

 俺の呟きにラブスター様の髭がピクリッと動くが、俺を急かすことなくジッと待っていてくれる。それに感謝しながら、足を止めて少しの間、俺は考えを巡らせる。そして、思い当たった。俺の神器の一部が今、正臣さんの手元にある。俺には分からないけど、大本の神器である相棒とは間違いなく繋がっているのだ。

 

 以前タンニーンさんとの戦闘で、ラヴィニアの神滅具である『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』に、分解した槍を突き刺して能力操作をした時と、おそらく似た感覚だろう。あの時も、相棒は神器合体の能力制御を、分離した槍から大本の神器を通して俺に教えてくれた。なら今回も、同じように正臣さんの状況を俺に伝えているのではないだろうか。

 

 

「……ラブスター様。その…」

「神器が、何かカナくんに伝えたのかな?」

「はい。たぶんですけど、このままここを出てはいけない気がするんです。根拠とか、全然ないんですけど…」

 

 自分でもなんと言えばいいのか、困惑が浮かぶ。俺の感じるこの感覚を、他者へ説明するのが難しい。だって、何となく嫌な予感がするんです! で通じる訳がない。しかし、ラブスター様は深く息を吐くと、クシクシと顔を手で毛繕いした。

 

「友人が言っていた、神器所有者特有の感覚ってやつかな?」

「あっ、たぶんそれです!」

「今でなければ、間に合わない。なるほど、切り札の一つぐらいは隠し持っていた訳か。でも今の彼なら、それでも打倒できるだろうとは考えていたんだけど……、いや、待てよ。そうか。あの聖剣の能力を使えば、彼の精神を揺さぶる弱点を突ける。紫藤トウジが教会の戦士として本気になったのなら、八重垣くんだからこそ効く最大の搦め手を使いかねない」

「えっ?」

 

 アザゼル先生の友人なだけあって、ラブスター様は俺の曖昧な感覚に理解を示してくれた。それに喜んだのも束の間、呟くように思考を巡らせていた彼の告げる内容に、俺は言葉を失う。メフィスト様が考え至った危惧が、俺にはわからない。だけど、正臣さんに何か危機が迫っていることは理解できた。正臣さんだからこそ効く搦め手。それに嫌な予感が渦巻いたのだ。

 

 正臣さんは確かに強いのだと思う。なんせ原作で、聖杯と魔剣で強化されていたとはいえ、悪魔であるゼノヴィアさんのデュランダルと真正面から斬り合い、彼女の破壊の攻撃全てをいなせる技術を発揮していたのだから。しかし怨恨に囚われていたが故に、彼は培ってきた技術ではなく、魔剣の持つ直情的な力を振るってイッセー達と戦った。

 

 それもすごいパワーだったのだろうけど、あのグレモリー眷属にパワー勝負を挑むなんて、俺からしたら絶対に考えられない。あのチームは、乳力(にゅうパワー)という未知なる力を使って、必勝パターンを敵味方関係なく植え付けた恐ろしい方々だ。英雄派の連中も言っていたが、まさに理不尽でデタラメな奇跡の連続だった。……今思い出すと、イッセーの乳力の一番の被害者って、英雄派じゃないか? あの衝撃の京都編とオーフィス防衛編を、俺は絶対に忘れないぞ。いけない、全く関係ない事に考えが逸れた。

 

 

「正臣が、危ないの?」

「あっ、クレーリアさん」

「……メフィスト・フェレス様。お願いします、私も正臣の下へ行かせてください。紫藤トウジさんは、確か私を傷つけることができないんですよね?」

「……だとしても、危険すぎる。何より、僕らだけで向かったって、正直大した戦力になれるとは思えない。『ハムンテ』で注意を引かせることはできるかもしれないけど、しかし…」

 

 あの、さすがにハムスター(上司)が、爆散する姿は見たくないんですけど…。でも、悩んでいる時間はあまりない。クレーリアさんも多少回復したとはいえ、戦うことは不可能だろう。俺の神器を投げても、紫藤さんに当たるかわからないし。……そういえば、魔法少女魔法の雷の魔法がホーミング性能を有していた気がする。でも、エクソシストの人達にあの時奇襲で放ったけど、結局当てることができなかった。ただ魔法を放って、当てるのも難しそうだな。

 

 俺達が正臣さんにできる援護は何だ。せめて紫藤さんの動きを止めることができれば、正臣さんの力になれるかもしれないのに。今の俺達にできる、紫藤さんへの一撃。人外と戦う彼の危機察知能力や回避能力すら上回る、予想外の一手が必要だろう。どうしたらいい、何か方法はないだろうか。

 

 そんな時、クレーリアさんは不安から、身体を強張らせ、俺の肩を抱きしめる力を強くする。その所為で、彼女の柔らかいものが俺の背中に余計に押し付けられた。そういった感情を消しているから問題ないけど、ちょっと俺の持つなけなしの集中力がですね……。

 

 そこまで考えて、背中の柔らかさと一緒に感じられたとある感覚に、俺は目を見開く。待て、もしかしたら、いけるんじゃないか? 俺の魔法とクレーリアさんの協力があれば、紫藤さんへもしかしたら一撃を与えられるかもしれないぞ!

 

 

「ラブスター様! 今、ちょっと思いついたんですけどねっ!」

「……あぁー、きたよ。土壇場で発揮されるカナくんのパターンがまたきちゃったよ」

 

 えっ、なんでそんなに疲れた感じなんですか。

 

「……という訳なんですけど。クレーリアさん、できそうですか?」

「うん、頑張れると思う。勿体ないけど、正臣を救うためだもの」

「だけど、それだとちょっと一押し足りないかもしれないねぇ。……仕方がない、ここは悪魔らしく無慈悲に紫藤トウジの弱点を突くしかないか。クレーリアちゃん、八重垣くんを救うためなら色々な意味で頑張れるかい?」

「えっ、は、はい。もちろんです!」

 

 ラブスター様の確認に、俺とクレーリアさんは揃って首を傾げるけど、少しでも成功率が上がるのならやるに越したことはない。メフィスト様は独自に使い魔を放って、駒王町を調べていた。もしかしたら、俺達が知らない紫藤さんの弱点を知っているのかもしれないだろう。今はどんな手を使ってでも、勝率を上げるべきだ。もうとにかく、やってやりましょう!

 

 そうして準備が終わった俺達は、急ぎ足で紫藤さんと正臣さんの下へ向かったのであった。

 

 


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