えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第七十五話 決着

 

 

 

 最初に踏み込んだのは、紫藤トウジであった。数十もの分身体もそれに合わせ、それぞれが明確な意思を宿す様に、一人の男を倒すために殺到した。大きく振りかぶられた聖剣、彼を刺し貫こうとする凶器、眉間を狙う銃口、どれもがただの人間にとって必殺の一撃となるだろうものばかり。この中で本物は一人だけであろうが、数十もの敵に囲まれた状況に、例え戦闘経験のある者でも臆してしまうのは仕方がないことであろう。

 

 だが、八重垣正臣は怯むことなく、その囲いの中へと自ら跳び込んでいった。この数を相手に逃げを打つのは、この狭い空間では悪手。その場に留まるなど、狙ってくれと言っているようなものだ。ならば、あとは自らの力で活路を開くしかない。

 

「チャンスは、一度きり」

 

 奏太からもらった切り札は、すでにいつでも使えるようにしている。問題はタイミングだ。彼の神器を使えば、正臣の受けている幻術の効果を消滅させることができるだろう。槍を自らに刺している間は、紫藤トウジの聖剣の特性を無効化して戦うことができるのだから。

 

 しかし、奏太のこの神器は一回限りの消耗品であり、持続効果はない。神器を『刺す』ことで籠められた能力が発動し、それによって彼の大本の神器と繋いでいるオーラが消耗する。そして、能力が発揮されたと同時に、この神器は消えてなくなってしまうのだ。つまり、正臣の異常状態を一時的に消すことはできても、神器が消えたと同時に暴走状態の聖剣の力によって、再び正臣は状態異常にかかってしまうのである。

 

 奏太のくれた切り札は、状態異常の因子を蓄積させて夢へ堕とすレプリカが相手なら、十分すぎるほどの効果を発揮しただろう。コツコツ溜めてようやく発症した状態異常の数値が、また0に戻されるのだから。しかし、現在の暴走状態だと、せっかく値を0に戻しても、また一気に100%にまで上げられてしまうのだ。使いどころを間違えれば、意味のない代物になりかねないだろう。

 

 それでも、正臣にとっては十分に頼もしい存在だった。神器から微かに放たれる温かなオーラが、自分が一人ではないことを教えてくれる。大切な友人が預けてくれた力を、無駄になんてしない。短く息を吐き、師の幻影達へ向けて刀を振るった。

 

 

 一人、二人…。正臣を斬るために必殺の一撃を見舞う幻影達を切り抜けながら、エクソシストとして磨いてきた技術を正臣は遺憾なく発揮した。紫藤トウジの分身達は防御などは捨て、ただ正臣を斬る剣として襲い掛かってくる。何人かの師を刀で斬ったが、全てが霧のように消え失せていった。さらには、自分の目に映る分身の数が減ったように感じない。分身の相手をする中で、正臣の死角を狙って時々混ざる殺意の銀閃に、滝のような汗を流しながらも的確に対処していった。

 

 分身を斬った数は、もう数を数えることすら億劫になる。自分は何度目の死線を潜り抜けただろうか。避け切れなかった刃や銃弾が、いくつもの傷をすでに作っている。先ほど寸でで躱した本物の一閃が頭皮を斬ったのか、目に入りそうになった血を強引に袖で拭った。

 

 まだ、いける。己の首を狙った一撃を頭を低くすることで避け、そのまま目の前の胴体を斬り割く。それにより消えだした幻術に小さく息を吐いた瞬間、小さな神器から微かなオーラが零れた。あの時、紫藤トウジが放った弾丸を斬り割こうとした正臣へ危険を知らせたように。それを感じ取った正臣は、反射的に前方へ向けていた足を止めて、身体を捻るように後ろへ下げた。

 

「ッ――!」

 

 刹那――目の前を銀の刃が通り、何本か前髪を持っていかれた。消えようとしていた分身の背後から、正臣ごと貫こうとしていた凶刃を紙一重で躱しきる。それに目の前の師が驚きに目を見開く姿を目に映し、確信を持つ。ようやく現れた本物へ追従しようしたが、すぐさま大量の分身体が聖なる波動を放つことで、正臣の視界を一瞬眩ませる。距離を開けるために放たれたのだろう、本物の銃弾を刀で逸らした時には、本体はすでに分身の中へと紛れ混んでしまっていた。

 

 だが、先ほどまでの攻防で、切り札を切るべきタイミングを掴んだ。紫藤トウジは、我武者羅に剣を振るっている訳ではない。大量の分身体を嗾けながら、そこから正臣の一瞬の隙を狙ってくる。これだけ圧倒的に優位な状況でありながら、彼は一切の油断を捨て、合理的に正臣を葬るための手を使ってくるのだ。教会の戦士は、堅実に、確実に、敵を少しずつ削りながら、機を見て必殺の技を放つ。

 

 例えそれを理解したとしても、この剣閃の牢獄から抜け出す術がなければ、もうどうすることもできない。徐々に体力も精神力も削り取られていき、最後には無慈悲な狩人の手によって、チェックメイトという訳だ。分身を消し飛ばせるような広範囲を攻撃する術があれば、圧倒的な身体能力の格差があれば、仲間の存在があれば違っただろう。

 

 しかし、八重垣正臣は人間だ。特殊な能力などない、己の技術だけで生き残ってきた戦士。それを紫藤トウジは、熟知していた。だからこそ、正臣だけでは決して突破することが適わない、彼を倒すためだけの牢獄をつくり上げたのだ。

 

 

「やっぱり、強いなぁ…」

 

 全く容赦がない、もう虐めだろうと言いたくなる。剣だけの人間一人相手に、ここまでメタを張って、油断なく殺しに来るとか、お前は鬼か悪魔かとすら感じてきた。必死の抵抗すら潰され、まるでさっさと諦めれば楽になれる、と正臣に伝えてくるようだ。

 

 きっと師なら、正臣の目に僅かでも諦めを感じ取った瞬間、痛みを感じる時間すら与えずに、この命を斬り割くであろう。それが最後の慈悲だと言わんばかりに。

 

「それでも、……乗り越えさせていただきます」

 

 正臣の顔に浮かんだのは、好戦的な笑み。この状況で諦める? とんでもないっ! それでこそ、自分がずっと追いかけてきた、追いつこうとしてきた自慢の師だ。自分が最初の『世界』の敵として、乗り越えるべき壁だ。誰よりも自分を認めてほしい、と剣を振るい続けてきた父だっ!

 

 この人を倒したい。この人の本気を乗り越えたい。そして、この人を倒したら、勝利宣言と一緒に自分が愛した彼女がいかに素晴らしいのかを、動けない師の傍らで延々と語りまくって、散々自慢しまくってやる! そして、幸せいっぱいに高笑いをしながら、彼女と一緒に生きていくのだ。八重垣正臣の幸せはこの道なのだと、二人は幸せになれないと告げる『世界』へ全力で叩き返してみせる。

 

 理不尽(絶望)すらはねのける理不尽(希望)を持って、神の奇跡に等しい夢物語をこの手で紡いでみせよう。

 

 

 

「まだ、諦めないのかい」

「諦めませんっ」

 

 折れる気配のない正臣の目を見て、苦々し気に口を開いた幻影に返事を返す様に、刀で振り向きざま切り伏せた。霞のように消え失せた分身の背後から、放たれた複数の銀閃を最小限の動きで避け、神速の刃を持って返り討つ。それも実体のない光の粒子として空間に溶け、先ほどの焼き回しのようにまた分身が現れた。

 

「何度やっても、無駄だよ」

「わかりませんよ。紫藤さんこそ、聖剣の暴走状態を維持できるリミットが近づいているんじゃないですか? 案外、このまま僕が逃げ切って勝ってしまうかもしれませんね」

「……言うじゃないか」

 

 にやりと笑った正臣の切り返しに、紫藤トウジの目は細まり、先ほどよりも剣舞の雨は激しさを増し出す。頬に一閃入り、右手に銃弾が掠ったが、刀だけは決して手放さない。正臣に余裕がないのは確かだが、おそらく紫藤トウジに残された時間も少ないはず。ならば、狙うは彼が己にトドメを刺す瞬間だろう。

 

 少なくない切り傷やじくじくと痛み出す火傷、一瞬の判断が生死を分ける極限状態の攻防に、体力と精神力の限界が近づいてきているのが分かる。流しすぎた血が腕を伝い、刀の柄を握る手にドロリとした熱い感触が感じられた。僅かでも気を抜けば、意識を持っていかれそうになる中で、それでも正臣は必死に刀を振り続けた。

 

 

 そうして無心に刀を振り続けていた正臣は、ふと思いだす。それは、先ほど二度も自分を救ってくれた友人の神器の存在だ。ただの偶然、とはとても思えなかった不可思議な出来事。

 

 幻術ですでに惑わされているという認識がないまま、刀で銃弾を弾いていれば、気づかなかった二発目の弾丸に撃ち抜かれていた可能性がある。さらに、あの攻防の合間で反射的に後ろへ下がっていなければ、師の剣を受けていたかもしれないだろう。事実、あのタイミングは完璧だった。紫藤トウジが驚きに目を見開いていたのも、正臣の隙を狙った一撃だったからであろう。

 

「……相棒くん、だっけ」

 

 ぽつり、と一人呟く。正臣にしかわからないぐらいの、微かに感じる紅のオーラ。正臣は、神器についてそれほど詳しくない。仕事柄、異能者と関わることもあるが、深い付き合いの者はいなかった。だから、彼は神器というものが『人間が持つ不思議な力』ということぐらいしか知らない。特殊な能力などない正臣にとっては、便利な道具だなぁ、ぐらいの認識でしかなかったのだ。

 

 それでも、自分は間違いなくこの神器に助けられたのだと思う。

 

『よろしく頼むな、相棒』

『あっ、待ってください。今、相棒に俺の思いつきができるのか相談してみますので』

 

 まるで当たり前のように、紅い槍へ話しかける少年の姿。無機物であるはずの神器に相談だなんて、突拍子もないことを平然と行う様子。神器しか取り柄がない、と彼は語っていたが、正臣としては何故それで謙遜するのかが最初はわからなかった。

 

 だって、神器は倉本奏太自身の力だ。過去、神器を持つ者達と任務で話した時だって、彼らは己の神器()を自慢げに誇っていた。それなのに、神器の力を褒めても、少年は「すごいのは相棒ですよ」と当然のように語るのだ。

 

 それに、『やっぱり不思議な子だなぁー』と思いながらも、クレーリアを救うという手前、正臣は特に言及することをしなかった。ただ、なんとなく少年にとってこの紅の神器は、『特別な存在』として認識しているのではないか、と考えたのだ。だからこそ、この神器がまるで正臣へ危険を知らせてくれたのではないか、とそんなあり得ないはずのことが頭に浮かんだ。そして、それを特に抵抗もなく受け入れられるような気がしたのである。

 

 自分より戦闘経験が豊富な紫藤トウジが必殺を狙ってくるとしたら、それは八重垣正臣では認識できない最高の機であろう。自分から態と隙を作っても、正臣の剣を誰よりも知る師が引っかかるはずがない。そう、自分が今戦っている敵は、己よりも己の剣を知っている相手なのだ。彼と離れていた半年足らずの時間では、紫藤トウジの勘を掻い潜ることは厳しいだろう。

 

「……理不尽に対抗するのなら、当たり前の概念を消せ。前例なんて関係ない、僕自身が信じた道を行くんだろう」

 

 随分な博打というか、馬鹿なことを考えているな、と正臣は心の中で失笑する。それでも、自分の心は、自分の勘は、それを信じろと告げてくるのだ。

 

『俺は弱いし、どうしようもないし、バカだけど、それでも俺にできる全てで立ち向かいます。みんなでそんな風に力を合わせて頑張れば、『皇帝べリアル十番勝負』を一緒に笑って見れると思ったんです』

 

 そうだ、倉本奏太と同様に、八重垣正臣だって弱い。どうしようもないし、馬鹿だけど、必死になって全力で立ち向かっている。それでも、どうしてもあと一歩が届かない。自分一人では、達成が困難であることは、最初から分かっていたことだ。

 

 ならば、彼の言う通りみんなで力を合わせよう。勝つためなら、なんだって使ってやろう。きっと上手くいくって、何の根拠もないくせに、それでも自分が信じた道を馬鹿みたいに真っ直ぐに突き進んでみよう。

 

「ねぇ、相棒くん。もし…、彼のように僕の声もキミに届くのなら。……僕を助けてはくれないかな」

 

 キミの大切な宿主くん(奏太くん)と一緒に、『皇帝べリアル十番勝負』を笑って見られる未来を掴むために、キミの力を貸してほしい。

 

 こんな突拍子もない賭けを思いついた自分に、呆れたような笑みが浮かんでしまう。まさに、前代未聞だろう。無機物である神器に、それも他人から借りただけの神器に命を預けるなど、正気の沙汰ではない。あまりに追い詰められすぎて、狂ったのかと思われても仕方がないことだろう。だが、そんな正臣の言葉へ――

 

 紅の神器はまるでその意思に応える様に、淡い光を放ったのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「本当にすごいよ、……キミは」

 

 紫藤トウジは心からの賛辞を、八重垣正臣へ送る。戦士として培ってきた経験で考えれば、すでに彼との勝負はついているはずだったからだ。正臣を斬ったと思った銀閃は、僅かに掠らせることしかできず、撃ち抜いたと思った銃弾も、紙一重で躱される。それも、数十体以上の分身に囲まれた中でありながら。すでに正臣は、紫藤トウジの予想を越えた戦いを見せていたのだ。

 

 彼に剣術を教えてきたのは、自分である。だからこそ、どこかで自惚れや慢心があったのは事実だろう。自分が本気になれば、彼を倒すことは難しい事ではないと考えていた。それがまさか、聖剣の奥の手を使わされ、さらには幻術により万全な状態となった今でも、正臣を倒しきることができないでいる。彼は、聖剣使いと剣だけで渡り合ってみせているのだ。正臣の覚悟は、今までの剣士としての限界を凌駕し、更なる領域へと至ろうとしていた。

 

 師である己を追い抜かそうとする彼の成長に、悔しさと嬉しさを感じる。だが、今は敵同士であり、決定打は受けていなくとも、正臣は血を流しすぎていた。驚くべき集中力で剣鬼のような気迫を纏った彼であるが、人間としての限界は着実に訪れているのだ。聖剣使いは懐に入れていた結晶の放つオーラ濃度から、己の限界を測り、次が最後の一撃になるだろう、と息を深く吐いた。

 

 この一撃に全てを籠める。紫藤トウジが教会の戦士として、異形相手に勝利へと導いてくれた力と経験を用いた、最高の一撃を放つ。剣士としての正臣の癖や動きを脳内でトレースし、分身体へ命令を下した。接近と離脱を繰り返し、時折本物の刃を幻影に紛れ込ませ、正臣の動きを的確に縛っていく。瞬きをする間に、それを幾重と繰り返した中でついに、……その機は訪れた。

 

 

 一人の幻術の刃を逸らし、返しの刃を見舞ったばかりの正臣の側面。瞬時に右側から襲い掛かろうとした分身の姿に集中力が微かに削がれ、呼吸が一瞬乱れた。自分に襲い掛かる師の姿を返り討ちにしようと、身体を瞬時に捻って対処したが、それにより彼の視点は本物の紫藤トウジから外れ、己の一閃を刀で討ち返せない体勢へと変わっていた。

 

 その瞬間を、紫藤トウジは見逃さなかった。彼は残った力を振り絞り、獣のように姿勢を低くし、冷酷に獲物を狩る走狗となる。完全なる死角を狙った必殺。相手は筋肉を伸ばしきってしまい、咄嗟に避けることはできない。すでに右手に持つ刀を振り切ってしまった正臣に、この凶刃を防ぐ術はない。

 

 聖剣使いは剣を脇に水平に構え、相手の命を貫くための速度を秘めた突きの姿勢をつくる。そして、無防備に曝された男の身体へ吸い込ませるように、瞬時に聖剣を突き立てた。

 

 

 

「……実はですね、紫藤さん。スミスさんが日本のアニメで嵌まったのは、糸だけじゃなかったりするんですよ」

「――なっ!?」

 

 だが、次に彼が感じ取ったのは、肉を貫いた血飛沫ではなく、鈍く響いた金属音。聖剣の衝突による衝撃によって、割れた金属の破片が紫藤トウジと八重垣正臣の間を飛び散った。

 

「なんでも…。『二刀流って響きからして、もうなんかロマンに溢れているよね!』って、以前良い笑顔で言われて、そのまま練習に付き合わされちゃったんですよ。あれは、大変でした」

 

 必殺の一撃を放った聖剣使いの剣を、正臣は視線すら向けることなく、左手で引き抜いたもので側面を勢いよく強打し、その剣筋を強引にずらした。それにより、正臣を貫くはずだった剣は彼の衣服を斬り割くだけに終わってしまう。その事実に、驚愕が紫藤トウジの胸中を荒らした。

 

 正臣が左手に持っていたのは、先ほどブーメランにして奇襲技にも使用した刀の鞘だった。聖剣にぶつけた反動で、鞘の先にある(こじり)が粉々に割れ、先端は半ばまで斬れ、途中で(ひしゃ)げてしまっている。教会の錬金術による技術によって作られた鞘は、非常に頑丈に作られている。右手に持つ刀で対処できない、体勢から避けることも難しい。だから正臣は、左手で鞘を引き抜いて、迫り来る刀身の側面へぶつけ、聖剣の軌道を無理やり逸らしたのだ。

 

 いくら頑丈にできているとはいえ、鞘で聖剣の軌道をずらすなど簡単にはできない。それも、完全な死角を狙った一撃をだ。紫藤トウジが攻撃するタイミングを僅かでも誤れば、できなかっただろう神業。間違いなく聖剣使いは、最高の機を狙ったはずだった。正臣では反応できない、絶好の好機。それを、完璧なタイミングで防がれてしまった。

 

 

 突きを放った動きのまま硬直した紫藤トウジだが、無理やりにでも身体を捻って、この窮地を脱するための行動へ移す。脂汗を滲ませながら、聖剣の幻術で己の姿を見失わせ、態勢を少しでも整えようと動いた。己の分身だけでなく、光の波動による誘導、足音を歪ませ位置の特定をずらす。正臣の認識から逃れるために、強引に聖剣の能力を引き出したことで脳に負荷がかかり、聖剣使いの口元から血が零れた。

 

 しかし、紫藤トウジが目にしたものは、己が作り上げた幻影による牢獄ではなく、決して自分を見失うことなく鋭く射抜かれた黒曜の瞳。聖剣使いの作り出した絶好の機を逃さず、全力で食い下がった紅のオーラを身に纏う剣鬼の姿だった。八重垣正臣は、幻術など一切目に映らず、真っ直ぐに本体へ刀を振りかざした。

 

「アアアァァァァッーー!!」

 

 完全に混乱状態を脱しきれないまま紫藤トウジは、力の限り己へ斬り込んでくる正臣の剣と真正面から相対することとなる。何故彼に幻術が効かなくなったのか、彼が纏う異質な紅いオーラは何なのか、それを思考する暇すら与えることなく、激しい衝突が二人の間に起こった。

 

 だが、その均衡は一瞬で決する。決めるはずだった一撃を防がれ、逃げを打つために咄嗟に剣を振るった聖剣使いと、この一撃を決めるために全てを懸けた剣鬼の剣では、その籠められた想いの強さが勝敗を分けた。

 

 ピシリッ、と鈍い音が響き渡る。時間がまるでゆっくりと流れる様に、その音は少しずつ大きくなり、最後には盛大な破壊音が二人の剣士の鼓膜を貫いた。細かな欠片と一緒に、光の粒子が辺り一帯へ散りばめられ、美しい白亜の剣が真っ二つに斬り割かれたのだ。遅れて、防ぎきれなかった刀の一閃が紫藤トウジの肩口へと届き、血飛沫が舞った。

 

「――ッ、グッ、…ガァ……!」

 

 紫藤トウジの目が見開かれる。半ばから折られた聖剣が、肩口から噴き出す真っ赤な血潮が、八重垣正臣の剣が自分に届いたのを痛感させた。剣士同士の戦いで、自身の半身である剣を真っ二つに折られたのだ。聖剣の特性を無理やり引き出す暴走状態は、強大な力を持ち主に与える。だがその反面、無理やりな能力行使によって徐々に刀身が朽ちていき、耐久力は損なわれていくのである。剣鬼の一撃は、その弱点を見事に突いたのだ。

 

 荒い呼吸を吐きながら、その目は油断なく互いを見つめ合う。少し開いた間合いは、それぞれの足元に血の跡を残していた。数十といた聖剣使いの幻影は、聖剣が折れたと同時にすでに消え失せている。友人から預かった神器の効力も失われ、正臣に纏われていたオーラが静かに消えた。

 

 静寂と呼吸音だけが、支配する空間。正臣は己の手で聖剣を、師を斬った高揚感に打ち震えながら、それでも折れた聖剣をまだ下ろさない師を警戒するように刀を向け続けた。剣士として、お互いの矜持を懸けた戦いの決着が、ここについたのだ。

 

 

「……紫藤さん。僕の、勝ちです」

「あぁ、……まさか、聖剣をここまで見事に折られてしまうとはね。剣士としての戦いでは、私は負けを認めなくてはならないだろう。……八重垣くん、キミの勝ちだよ」

 

 深く息を吐いて、落ち着かせた声音で、正臣は強い意志を籠めて己の勝利を告げる。それに紫藤トウジも、折れた聖剣を握りしめながら、真っ直ぐな肯定を返した。目標を乗り越えることができた達成感に溢れ出しそうな感情を、正臣は必死に押し込めながら、唇を噛みしめる様に口を開いた。

 

「剣を、下ろして下さい」

「……師である私に勝ったんだ、もっと喜んだらどうだい。それに警戒しなくても、私が持っているのはもう戦いに使えそうもない折れた聖剣だ」

「あなたは、剣士としての敗北は認めても、教会の戦士としてはまだ膝を折っていませんよね。教会の戦士が敗北を認める時は、その闘志すらも折られた時だと僕に教えてくれたのは…。紫藤さん、あなたです」

「…………」

 

 正臣の追及に紫藤トウジは薄く笑みを浮かべ、それでも聖剣を手放すことはなかった。

 

「僕は、……あなたを殺したくない」

「自分を殺しに来た相手を、殺したくないか…。甘いよ、八重垣くん。敵はキミのそんな甘さを、容赦なく狙ってくる」

「そうでしょうね。でも、僕は我儘なんです。自分の我儘を貫くと決めたんです。僕はあなたを倒したくはあっても、殺したくなんてない。死なせたくなんてない。クレーリアも、ベリアル眷属のみんなも、あなたも、エクソシストのみんなも、誰も死んでほしくないんです」

 

 甘いのは、馬鹿なのは、八重垣正臣自身が一番理解している。その甘さによって、命を落とす可能性があることも。それでも、後悔しない生き方を選ぶと決めたのは、自分自身なのだ。己の大切な者を守るためなら、それを狙う者の命を奪う覚悟はある。だけど、正臣にとって、教会の仲間たちも大切な人達の中に入るのである。なら、最後まで足掻きたいではないか。

 

「……なんで、キミが泣きそうな顔をするかなぁ」

「紫藤さんが、頑固で融通が利かないのがいけないんです」

「いや、八重垣くんにだけは言われたくないからね。恋愛に一直線になって、周りなんて全然見えていなかったじゃないか。……だけど、キミの言う通りかもしれないね」

 

 軽口の応酬を呆れ気味に告げ合う二人の間には、昔の師弟関係に戻ったような空気が流れた。しかし、それを破るように紫藤トウジの口調は再び固さを帯びたものとなり、教会の戦士としての温度の感じない視線を正臣へ向けた。これが最後だ、と伝える様に。

 

「最初に言ったね。私が教会の戦士として生きてきた全てを、キミにぶつけると。教会の抱える闇すら含め、どんな手を使ってでも……キミの心を折る。これは、もはやただの意地や妄執の域だろう。それでも、最後まで付き合ってもらうよ」

「……わかりました。なら、それすらも僕は越えていくだけです」

 

 正眼に構えた刀を、目の前の教会の戦士に向けて振り抜く。彼を殺すつもりはない。だけど、もう戦闘が続行できないように、行動不能にするぐらいは覚悟しなくてはならないだろう。聖剣が使えないとしても、油断できない相手であることには変わりない。相手がどのような攻撃を仕掛けてきても対応できるように、正臣は気を弛ませることなく目を光らせた。

 

 紫藤トウジはそれに小さく笑うと、折れた聖剣を左手に持ち、正臣に向けて構える。すると、微かに光の粒子が蠢いていることに気づく。しかし、先ほどのような力はすでにないようで、レプリカの範疇を越えることはないだろう。今更、その程度の幻術を見破れない訳がない。

 

 さらに言えば、正臣が紫藤トウジに入れた一撃は、決して軽いものではないのだ。聖剣の暴走による後遺症は、確実に彼の身体を蝕んでおり、先ほどまでの高速戦闘などはもうできないであろう。それは血を失いすぎている正臣にも言えることだが、まだこちらは余力を残している。お互いに立っていることすら、そろそろ限界に近づいてきていた。故に、勝負は一瞬で決まるだろう。

 

 ここで全てに決着をつける。聖剣を構えて静止する師に覚悟を決め、正臣は足を前に踏み出し、一気に距離を詰めた。

 

 

「……できれば、この手だけは使いたくなかった」

 

 独白のような、師の声が聞こえてくる。それに正臣は眉を顰めながらも、スピードは決して緩めずに直進する。紫藤トウジは、それでもその場から動かなかった。

 

「ごめんね、八重垣くん。だけど、キミのその甘さは、その優しさは、……その愛は。確実にキミ自身の弱点となって、その命を奪うだろう」

 

 刀を振りかぶった。相手の意識を奪うことを目的に、峰打ちを狙った一撃。それを紫藤トウジは目で追いながら、自身は決して動くことがなかった。代わりに微量の光の粒子が彼に纏わりつき、一瞬だけ正臣の視界を遮った。しかし、師の気配は変わらず感じられることから、八重垣正臣はそのまま迷いなく刀を振り抜いた――

 

「――ねぇ、正臣?」

「えっ」

 

 ――はずだった。正臣の視界に入ったのは、艶やかな灰色。鈴を鳴らしたような、温かな声色。白のブラウスに、小豆色のスカートを身に纏った少女。髪と同じ灰色の瞳を優し気に正臣へと向ける、愛しい女性の姿。共に生きていこうと誓い、何があっても守ると決めた、たった一人の大切なヒト。

 

 違う。彼女は、これは、クレーリア・ベリアルじゃない。彼女の灰色の目には、自分に向けた愛しい感情が感じられない。人形のようで、生気だって感じられないような、本当に側だけを取り繕ったような出来の悪い幻影だ。そう、心は一瞬で理解しても、頭がそれに追いつかなかった。身体は敏感に反応してしまった。それが目に入った瞬間、彼は呆然と刀を振るう手を止めてしまったのだ。

 

 クレーリア・ベリアルを斬ろう、とした自らの行動を無意識の内に抑えてしまった。そしてそれは、正臣にとって致命的ともいえる隙を作り出した。

 

 

「――ガァッ、ッ……!?」

 

 動きの鈍った正臣へ向け、紫藤トウジは素早く右拳を突き出し、男の顎を捉える。聖剣に残っていた最後の粒子がそれによって散り散りとなり、灰色の女性の幻影も同時に消え失せた。顎から伝わった衝撃が脳を揺らし、カウンターで吹き飛ばされた正臣は地に倒れ伏し、立ち上がることが叶わず膝を折る。握っていた刀も手放してしまい、今の正臣には手の届かない位置へと音を立てて滑っていった。

 

 的確に人体の弱点を突かれたことで点滅する意識に、必死に歯を食いしばるが、身体は震えるばかりで動いてはくれない。吐き気と混濁する視点、腕にも力が入らなかった。それでも、何度無様に転んでも、諦めることなく立ち上がろうと、正臣はもがき続けたのだ。

 

 ……油断など、一切なかった。最後の一瞬でさえ、師の動き全てを捉える気概で臨んだのである。しかし、だからこそ相手はその集中力を逆に利用し、八重垣正臣の信念そのものへ刃を向けさせる策を用意したのだ。正臣に、斬る覚悟がなかった訳ではない。だが、例え幻影だとわかっても、何の躊躇もなく目的のために斬り伏せられる男だったのなら、正臣はこの道を進んではいなかっただろう。

 

「キミの優しさを、キミが彼女へ向ける愛を、利用させてもらったよ。幻影だと心ではわかっていても、人の感情や身体は、そう簡単に納得できるもんじゃないからね」

「紫、藤さ…んっ……」

 

 耳に入った言葉に、正臣は悔し気に拳を握りしめる。人間である教会の戦士達は、異形と戦うためにあらゆる方面から策を打ち、対策を立て、勝利を収めなくてはならない。正臣もそこで、相手の精神を揺さぶる戦い方を教わってきたのだ。紫藤トウジのやり方に、卑怯だと罵ることは簡単である。だが、世界の平穏のために汚れ役を背負ってでも戦うと決めた相手に向けては、ただの負け犬の遠吠えでしかなかった。

 

 紫藤トウジは、能力の反動と傷の痛みに表情を歪め、……正臣の想いを利用してもぎ取った勝利に、虚しさと己自身への嫌悪が心に渦巻く。それでも、長年の経験によって培われた冷酷な思考は、八重垣正臣を確実に葬るための道筋を示してしまった。彼の心を利用した一撃を行わない道もあったが、それは教会の戦士として戦うことを選んだ自分の覚悟と矛盾してしまう。紫藤トウジにとってこの戦いは、今までの自分の生き方の全てを懸けると決めた決戦だったのだ。

 

 紫藤トウジは無言で唇を噛みしめ、己を蝕む感情に蓋をする。脳を揺らした衝撃によって、敵が立ち上がることができない今が、最大のチャンスだ。教会の戦士は役目を終えた聖剣を鞘に納め、自分と正臣の丁度中間に落ちていた彼の刀を拾うために、足を進めようと一歩踏み込む。この戦いの全てを終わらせるために。

 

 八重垣正臣と、教会の戦士による二人の戦いは、こうして決着へと向かおうとした――

 

 

 

「正臣ィィッーー!!」

 

 ――その瞬間。ここにいるはずがない存在の介入によって、定まりかけた世界の流れが問答無用で吹き飛ばされ、二人にとって予想外の一手が差し出される。その声を聴いたと同時に、双方の胸中に浮かんだ驚愕と困惑の感情は、その場の時を強制的に停止させた。

 

「まさか、この声は……。クレーリア…、なのかっ!?」

「バカな、何故彼女がここにッ……!?」

 

 双方にとって、あり得ないはずの出来事。八重垣正臣にとっては、信頼する少年に託し、彼女を安全な場所まで連れて行ってくれているはずだった。紫藤トウジにとっては、聖剣の特性で意識を奪って閉じ込めた、悪魔との交渉のため、そして正臣を誘き出すための大切なカードだった。

 

 二人は反射的に、声が聞こえた戦闘訓練場の入り口へと勢いよく振り返った。

 

「ぶほォォッ!!」

「ゲルゥゥッ!!」

 

 そして、同時に血を噴いた。

 

 

「紫藤さんっ! これ以上、正臣を傷つけさせはぁぁー……、えっ?」

「……いやぁー、さすがだねぇー。すごい効力」

「えっと、あれ? これで、よかったんでしたっけ…?」

「大丈夫だ、問題ない。全て予定通りだよ」

 

 入り口から姿を現したクレーリア・ベリアルは、すでにかなり失血しているのに、更に血を噴き出す男二人に、心配と困惑から頬が引きつる。その彼女の肩の上に乗るハムスターは、一瞬にして先ほどまでの空気がぶち壊された光景に、どこか遠い目をしながらも乾いた声で答えを伝えた。

 

 さっきまで立ち上がろうとジタバタしていた正臣は、自分の鼻を手で必死に押さえ、プルプルと打ち震えているようだった。紫藤トウジは胃のあたりを手で押さえながら、口元に吐き出した血と一緒にものすごく咳き込んでいる。クレーリアは二人の変化におどおどしながらも、ゆっくりと二人の間を遮るように中間へと足を進めた。途中で、足元に落ちていた正臣の刀を拾い、ギュッと胸の前で握りしめた。

 

「もしかして、お迎えが来てしまったのか…? 天使が…、僕の目の前に美しく可憐な白衣の天使がいる……」

「ま、正臣、目を覚まして。それ以上鼻血を出すと、本当に死んじゃうから。あと私、悪魔だよ」

「白衣の破壊神が…、幾十もの戦地を渡り歩いたナース巨神兵が、私の目の前に進撃をッ……!」

「いないよ、そんな怖いものっ!? 紫藤さん、私のことが何に見えているんですか!?」

 

 愛しい女性の素晴らしい姿を拝むように称えながら、正臣は鼻や目から熱いパトスを流し出す。そして、幻術使いである聖剣使いが脳裏に刻み込まれたトラウマによる胃痛で、深刻な幻覚症状を訴え出す。ラブスター様のハムハム奥義が一つ、『ハムシャス』による変身魔法(魔力で衣装を編んだだけ)によって姿を変えられたクレーリアは、その効力に素でビビっていた。

 

 クレーリアが身に纏うのは、淡い桜色のレースに、太ももから覗く白のガーターベルト。清楚でありながら、どこか男の憧れを刺激するロマンの象徴。可愛らしいキャップも身に着けた、純白のナース服であった。この局面でコスプレまがいな衣装を着て登場することに、疑問と羞恥心が彼女になかった訳じゃない。だが、大悪魔であるメフィストから太鼓判を押され、さらに正臣のためなら頑張れると言った手前、クレーリアは当たって砕けろ精神で介入することを選んだのであった。

 

 ある意味で、今回の事件の大局(元凶によるやらかし)のほぼ全てを理解していたからこそ、『大いなる愛の化身、ラブスター』は、無慈悲に紫藤トウジのトラウマを抉り出すことで、虚を容赦なく突いたのだ。悪魔である。

 

 そして、紫藤トウジの目をクレーリア・ベリアルへ釘付けにすることによって、弱者の一撃を届かせる道筋を作り出した。

 

 

「愛と正義と希望の使者、魔法少女ミルキー☆カタストロフィー! 愛のエネルギーとその他もろもろの思いを込めて、あなたの頑なな心と世界を粉々にぶち壊しに参上ォッ☆ はいっ、登場シーン終了ォッ! 直接は初めまして、ミルキー・レッドですっ!」

「……はっ?」

「それでは、ご挨拶いっぱぁーつ! 『ミルキー・サンダー・クラッシャァァッーー!!』」

「はぁぁッ!?」

 

 紫藤トウジの間合いから離れた場所に、突如紅色のコスプレ衣装を着た子どもが現れる。クレーリア(白衣の死神)に気を取られていたことで、姿を消して部屋へ侵入した少年の存在に紫藤トウジは気づくことができず、背後を取られたのだ。黒髪に仮面をつけた少年は自棄ぎみにポーズを決め、早口に登場文句と自己紹介を律儀に告げる。そして、準備万端に最大限の魔法力を溜めていたマジカルステッキを、教会の戦士に何の脈絡もなく速攻で突き出した。

 

 目の前に突然現れた、全くもって理解不能な事態。捕えていたはずのクレーリア・ベリアルが脱走しただけでなく、何故かその彼女がナース服を着て、己のトラウマを刺激してくる。さらには、フリフリのコスプレ衣装を着た魔法少女(男)がいきなり現れ、これでもかと紫藤トウジの胃にトドメを食らわせながら、雷の魔法を放ってきたのだ。わけがわからない。

 

 だが、それでも紫藤トウジは動く。思考が停止しかけながらも、教会の戦士としての意地が彼の身体を動かした。自分に向かって真っ直ぐに放たれた雷の魔法は脅威だが、あんなにも大声で自らの存在を知らせ、しかも無駄な動きもあったおかげで、この危機を脱することが可能だとわかったのだ。

 

 正直理解はサッパリできないが、この魔法を避けた後は、魔法少女であるらしい少年をまずは無力化するために行動しよう、と彼の冷徹な思考は思い至る。クレーリア・ベリアルは、紫藤トウジにとって脅威にはならないため、先に危険性の高い方を潰すことを選んだのであった。

 

 魔法少女魔法は威力や性能は非常に高いが、パフォーマンス要素が多量に含まれている関係もあり、隠密性や速攻性にはもともとあまり向かない魔法なのである。ちなみにこれについては、『せっかく魔法少女になったのに、キラキラと輝かないなんて論外よ!』と、魔王少女様は力説していた。

 

 そんな訳で、紫藤トウジに魔法を使うのなら、登場シーンも含めてバッチリと姿を現し、更には決め台詞まで決めなくてはならないのである。奇襲技として使うには、使用条件などと合わせないと難しく、使いどころを見極める必要がある魔法であった。

 

 それを当然、ミルキー・レッドとラブスター様は理解していた。だからこそ、この魔法を『直接』紫藤トウジに当てる気など最初からなかった。彼らが狙った一撃は、相手の予想を覆した先にあるのだから。

 

 

「教会の戦士の執念は深く、思考は実に合理的だ。ミルキー・レッドだけが相手だったら、手負いだろうとキミが負けることなんてまずないだろうねぇ。弱肉強食こそが、この世界の理なのだから。それだけの力量の差が、覆しようのない事実としてある」

 

 大量の星が散りながら向かってくる稲妻を、紫藤トウジは足に力を籠めて、その場から脱することで紙一重で躱す。そして避けられた雷は、そのまま教会の戦士の横を素通りしていった。

 

「だけどね、……自らを弱者だと認めながら、それでも足掻くことを諦めない者『達』は厄介だよ。我々(強者)を倒すためなら、この世の理なんて蹴り飛ばして、予想外の方向から奇跡を掴もうと手を伸ばしてくるんだからねぇ」

 

 最初にそれに気がついたのは、八重垣正臣だった。クレーリアの後ろで鼻を押さえていた青年は、驚きに目を見開き、そこから必死になって動かない身体を無理やり動かそうと焦りを浮かべた。爪が床を引っ掻き、全身を刺す痛みに血を吐きながら、正臣は力を振り絞って叫び声をあげた。

 

「……ッ、逃げるんだっ! クレーリアァァッーー!!」

「っ、しまっ――」

 

 正臣の血反吐を吐くような叫びが耳に入った瞬間、紫藤トウジは己の失敗を悟った。思い出したのは、先ほどまでの自分達の立ち位置。トラウマを刺激されていたことで、思考がそこまで追いつかなかったのだ。入り口から入ってきたクレーリアは、正臣を守るように紫藤トウジの前に立ち塞がっていた。そして、この紅の魔法少女は、紫藤トウジの背後から雷の魔法を放っていた。つまり彼らは今、一直線に並んでいる状態だったのだ。

 

 紫藤トウジが避けた先にいるのは、皇帝ベリアルへの大切な交渉のカードであり、正臣への餌として利用した悪魔の女性。この雷の魔法は、紫藤トウジとて直撃するのはまずい、と判断するほどの威力は秘めているのだ。しかも、現在の彼女は聖剣の力で消耗している。クレーリアの実力では、この魔法を打ち消すことも、避けることもできないであろう、と瞬時に思い至ってしまったのである。

 

 もしもの可能性を考慮し、紫藤トウジはクレーリア・ベリアルへ、傷一つつけないように配慮をしていた。ベリアル眷属の女王を人質に取って、彼女を脅して連れてきたのも、抵抗されるのを防ぐためという意味合いもあったのだ。彼女を傷つけた原因は教会でないとしても、彼らを助けに来たはずの魔法少女が誤爆してやりました、などふざけているのか、と思われる内容を上に報告できる訳がない。

 

 今更、魔法をどうにかすることはできない。ギリッ、と紫藤トウジは歯軋りをし、せめて被害を最小限に抑えるためにクレーリアの下へと足を踏み出した。魔法を受けた彼女が昏倒した場合、頭を床に打ち付ける可能性がある。まずは、魔法を受けたクレーリア・ベリアルを確保する。そうすれば、正体不明の魔法少女も、これ以上クレーリアを傷つけないために、迂闊に魔法を放つことはできなくなるだろう、と考え至った。

 

 

「いくよ、クレーリアちゃん」

「はい!」

 

 八重垣正臣と紫藤トウジの焦りの声とは裏腹に、クレーリア・ベリアルは自らへ迫り来る稲妻に怯えることなく、力強く見据えていた。自分へと襲い掛かってくる魔法に恐怖を感じる心はあれど、それを上回るほどの勇気が彼女を支えている。ラブスター様の合図に頷き、クレーリアは真正面から魔法に向かって身を投げ出した。

 

 八重垣正臣やベリアル眷属のみんな、そして大切な家族や友達に、守られることしかできなかった自分。大切な者を守る力が自分にないことに悔しさを滲ませ、そこから少しでも変わりたいと願ったのだ。だから、ここで逃げる訳にはいかない。自分のためにこんなにもボロボロになってまで助けようとしてくれた愛しい人を、自分の手で助けてみせるのだ。みんなで力を合わせて。

 

「お願い! 私達の想いに応えてッ!」

 

 正臣が自分にくれた優しさやひたむきな愛が、彼の命を奪うなんて認めない。そんな運命、絶対に許さない。だって、彼からもらった愛が、それを渡してくれた小さな妖精の想いが、こんなにも素敵なクリスマスプレゼントを自分に届け、この瞬間へと繋げてくれたのだから。クレーリアは手に持つ恋人の刀を強く握りしめ、その身に魔法を受けた。

 

 

『――えっ』

 

 そして、呆然とした声が響いた。必死に手を伸ばしていた正臣と、彼女を捕らえようとしていた教会の戦士は、目の前で起こった光景が信じられず、その動きを止めた。魔法が当たる直前、突如クレーリアの胸元から光が放たれ、まるで向かい来る魔法に反射するように水の柱が現れたのだ。水流は稲妻を飲み込んで上空へと駆け上がり、バチバチと雷を纏った水の渦が作り上げられた。

 

 正臣は唖然とそれらを眺めていたが、クレーリアの胸元で光っていたものの正体に気づき、大きく目を見開いた。彼はそれが何かを知っている。そして、それは当然だろう。クレーリアを守る力になってほしい、と願いを込めて、自分がクリスマスプレゼントとして彼女へ渡したペンダントだったのだから。魔法使いの協会に所属する奏太に頼んで、魔法の付与効果が付けられた彼女へのお守り。

 

 水の魔方陣が刻まれたその魔導具は、持ち主の身に害が起こりそうになった時、受動で発動するタイプのものだった。ラヴィニアへのクリスマスプレゼントとして用意していた奏太に便乗するかたちで、正臣もクレーリアへ同様のものを頼んでいたのだ。そして、奏太の魔法を受けそうになったクレーリアを守るために、その魔導具はその効果を遺憾なく発揮した。それを思い出した正臣は、ここまでの展開が彼らの手によって作られたものなのだと理解する。

 

 彼らは正臣がクレーリアへ繋げた守るための力を、この局面を打破するための予想外の一手へと変えてみせたのだ。

 

「今の僕では、大した魔法は使えないけどねぇ…。この程度の水を操るぐらいならできるんだよ」

 

 クレーリアの肩の上に乗っていたラブスター様は、「ハムハムハーム」と念仏のように呪文を唱えながら踊り出すと、それに合わせて魔法力で作られた水流が意思を持ったように動き出す。そして、クレーリアへ向けて走っていた紫藤トウジへ容赦なく襲い掛かった。教会の戦士の予想を立て続けに崩す出来事の連続に、彼の思考はすでに追いつくことができなくなっていた。

 

 メフィストの提案で、紫藤トウジのトラウマをナース服と魔法少女の存在で蘇らせ、体調と精神にバッドステータスを初撃で与える。最初からクレーリアと奏太は、事前にお互いの立ち位置について話し合っていた。そして、考える時間を与えないように息もつかぬ間に雷の魔法を放ち、クレーリアへ誤射したと勘違いさせる。紫藤トウジなら、被害を最小限に抑えようと動くと予想していた。だから、攻撃されたら受動で発動する水の魔導具で、奇襲の一手を作り出せるのではないか、と奏太は踏んだのだ。

 

 クレーリアによる守るために生み出された水は、奏太による攻めるために生み出された雷を巻き込み、それをメフィストが補助することで相乗効果を生みだした。混乱の境地に達している紫藤トウジには、これをどうにかできる思考も行動もすぐに取ることができない。水と雷を複合させた弱者の力は、合体魔法(ユニゾン・スペル)と呼ばれるにふさわしい一撃へと昇華したのであった。

 

 

「これが、私たちの一撃ですっ!」

 

 魔法が、教会の戦士を飲み込んだ。こうして、悪魔と教会の陰謀が渦巻いた駒王町の最後の戦いに、決着がついたのであった。

 

 


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