えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第九十一話 境界線

 

 

 

「あぁー、うん。これは確定かな」

 

 冥界サバイバル生活、六日目。タンニーンさんからはぐれ悪魔討伐の依頼を受け、その悪魔の潜伏先を俺達は探っていた。昨日寝泊まりした岩場を拠点に、俺達は手分けしてはぐれ悪魔の痕跡を探すことになったのだ。ドラゴンさん達が調べてくれた範囲にはもう入っているため、いつ出てきてもおかしくはない。姿や気配を消せる俺が魔物の多い森を担当し、ラヴィニアとリンは見晴らしのいい草原や山のあたりを調べることになったのだ。

 

 俺は気配を探りながら森中を駆け、森にいる生き物のオーラを順に辿っていく。悪魔なら魔力を持っているため、魔力を探知する魔導具が使える。悪魔が通った痕跡を見つけることができれば、そこから探すことも難しくはないだろう。そうやって森を探索すること約二時間。……俺が持っていた魔力を探知するコンパスの針が、ある方向を差し出したのだ。

 

 俺は慌てて跳んでいたスピードを緩め、コンパスが差す方向へ慎重に歩を進めていく。すると、だんだんとコンパスの針も強い反応を示し出していった。この反応から考えるに、悪魔本人がいるか、何かしら魔力を使用した力場が残っているかの二択だろう。しかし、魔力を発見してから数分は経ったけど対象が動く気配がない。もしかしたら、悪魔の死体がある可能性もあるか。

 

「ラヴィニア、コンパスが反応を示した。だけど、動きが全くないから魔力の残留だけで対象はいないか、死んでいるのかもしれない」

『わかりました。すぐに向かうのです』

『おー!』

 

 耳元に手を当て、魔方陣を起動させた俺はすぐに通信を二人へ飛ばす。念のため、生命反応の感知ができる俺が先行して、安全の確認をしておいた方がいいだろう。もしかしたら、気配を消して隠れている可能性もある。俺の感知は近づけば近づくほど精度が上がるし、今のところ嫌な予感は感じられないから、確認するぐらいならいけるだろう。

 

 魔法と神器で注意を払いながら、少しずつ魔力が感じられる現場へ近づいていく。草を踏みしめ、木の間をくぐり、時には跳んで足場を確保する。その途中で、あることに気づいた。あまりに、森が静かなのだ。魔力の発信源に近づくほど、森のオーラが静まり返っていく。

 

「……魔物や小さな生き物すら、いない?」

 

 俺が感知の範囲を広げると、発信源に近づくほど生命の気配がなくなっていることがわかる。森のオーラも火龍の巣の近くにある森のオーラと比べて、力強さがあまり感じられず、静かに息を潜めるような、まるで何かしらの脅威が去っていくのをじっと待っているような……。そんな不可思議な雰囲気が漂っていた。

 

 仙術もどきは、ただ気配を察知するだけの力じゃない。この世界にある命のオーラを感じ取る力だ。そして、オーラは決して一定のものじゃない。感情や心身の状態など、その時々の動きもオーラでわかるのである。オーラが激しく揺らめいていれば、「あっ、この人怒っている」とかが何となく感じられるのだ。

 

 ちなみに、実力者は身に纏うオーラすら自分でコントロールして感情を隠したり、ブラフで揺らめかせたりしてくるから、過信しないように、とメフィスト様に忠告はされた。俺の保護者様は、いつもニコニコで全然オーラの動きも変化しないから、本当に読めない。仙術が認知されている世界だから、そのあたりの対策もちゃんとあるってことなんだろう。仙術使いの数は少ないから、オーラにまで気を使っているヒトも少ないらしいけど、油断は禁物。この世界、本当に安心要素が少ないなぁ…。

 

 それはともかく、森や生き物のオーラから考えて、これは迂闊に近づかない方がいいな。自然の中で生きる魔物は、森と共に生き、その培ってきた本能に従って動く。知能は低くても、生存本能に関しては俺達よりもずっと働くのだ。俺は片手を耳元に当て、ラヴィニアへ連絡を入れる。それからしばらく、無言で考えをまとめるラヴィニアを待ち、俺も近くにあった木に身を寄せておいた。

 

『考えられるとしたら、罠でしょうか。それとも、魔物すら本能で近づくことを恐れる何かがある可能性です』

「罠って言っても、タンニーンさんの領で罠を張ってもなぁ…。たぶん、誰も引っかからないぞ。まさかドラゴンを相手にするつもりなんてないだろうし」

『私たちのような追手が来ることも予想外でしょう。しかし、そのような『異変』をわざわざ残していることが不可解なのです。魔力の跡を残し、生き物の気配が感じられない場所があれば、捜索が苦手なドラゴンだって気づきます。自分はこの辺りにいると言っているようなものなのです』

 

 確かに。ここまで森が静かなのは不可解だと、俺だって気付いた。違和感がある範囲事態は狭いから、ちゃんと探さないと見つからないだろうけど、それでも見つかる可能性はある。そんな危険を冒すメリットが、はぐれ悪魔にあるだろうか。だって、はぐれ悪魔がいくら力をつけても、ドラゴンには敵わない。それなのに、わざわざ違和感を残す理由。

 

「もし、わざと残しているとしたら?」

『……わざとドラゴンに気づかせる理由。カナくん、その魔力が感じられる範囲はわかりやすい場所にありましたか?』

「いや、結構奥の方かな。くまなく探して見つかったって感じ」

『今カナのいる所に向かっているけど、あんまり大物の巣穴がないから、餌場としておいしくない場所だったと思うよー』

「つまり、普段目的もなくドラゴンが来るような場所じゃないってことか」

 

 ドラゴン的に言えば、偶然散歩して見つけました、ぐらいの確率だろうな。それぐらい、このタンニーンさんの領地は広い。もしかしたら、日本よりも大きいかもしれない。冥界は地球と同じ範囲ぐらいあって、しかも海がないため地上がどこまでも続く。開発されていない未開の土地だって、まだまだたくさんある冥界だ。タンニーンさんはドラゴン達のために、地位や名誉やお金よりも環境や土地や食料に重点を置いた最上級悪魔だからな。

 

「でも、俺達みたいに本格的に捜索していたら、気づいてもおかしくないぞ」

『逆に言えば、捜索……『はぐれ悪魔を見つける』という目的がなければ、ドラゴンがそこへ来ることがないということですね。おそらくですが、理由がわかったのですよ』

「えっ、マジで?」

「はい。その魔力力場は、たぶん『警報』なのです」

 

 耳元の魔方陣と同時に、直接届く肉声が耳に入り、俺は座っていた木の根本から立ち上がる。上空から風を切る音が聞こえ、そこに金の髪と白いローブをはためかせながら、風を操って着地をしたラヴィニアが現れた。さらに元の大きさに戻ったリンがくるっと綺麗に一回転して、見事な着地を決める。俺に向かって「ふふん」と得意げに鼻を鳴らしてアピールをしてくるので、よしよしと頭を撫でておく。すごく喜ばれた。

 

「それでラヴィニア、『警報』ってどういう意味?」

「はぐれ悪魔にとって、ドラゴンが自分の捜索に加わるのは死活問題なのです。見つかったら、抵抗する間もなく討伐されるでしょう。だから、ドラゴンが本当に自分を探しているのかを確かめる必要があったのですよ」

「……まぁ、タンニーンさんも言っていたけど、本来ドラゴンってプライドが高くて、マイペースだもんな。下級のはぐれなんか知るか、で放置される可能性もあるか。真面目なタンニーンさんがそんなことをしないと思うけど」

「でも、タンニーンさんの責任感の強さを相手は知りません。追手だけでなく、ドラゴンまで加わるかを確かめる必要があったのです。はぐれ悪魔にとって、追手を撒け、力を増すために必要な魔物()が豊富であるこの土地を手放したくないはずです。でも、危険地帯であることも事実」

「なるほど。危険ギリギリまで餌を食べたいけど、ドラゴンは怖い。だから、見つかりづらいところにわざと怪しい場所を作った。もし自分を探す者がいたならば、その怪しい場所を調べるのは当たり前。そこに踏み入れる者が現れたら、すぐにでも逃げ出せるようにした訳か」

 

 これは、想像以上に頭が回るぞ、このはぐれ悪魔。わざわざ魔力を残したのも、何かしらの警報を発動させるための術を施すためってことか。ドラゴンにその場所を気づかれたら、すぐにこの領から逃げ出す。そうすれば、追手は現れるが、一撃必殺のドラゴンの追撃はなくなる。自分の領地外へ逃げていった下級のはぐれを、わざわざ追いかけはしないだろう。何より、タンニーンさんに保護されているドラゴン達は無断で領地外には行けないから。

 

 となると、迂闊に近づかなくて正解だったか。もしその警報を発動させてしまっていたら、はぐれ悪魔に逃げられていたかもしれない。

 

「もし『警報』があるのならば、はぐれ悪魔が魔術を施している形跡があるはずです。まずは、それを無力化しましょう」

「了解。魔方陣の探知は任せてもいいか?」

「はい、もちろんです。魔方陣を発見出来たら、次はカナくんにお願いするのです」

 

 おう、逆探知は任せろ。もし警報としての機能がついているのなら、発動したかを察知するために術者とまだパスが繋がっている可能性が高い。それなら、俺が『術式の書き換え(リライト)』でその魔術の主導権を奪い、本来の術者のパスを辿って、潜伏場所を割り出せるだろう。これについては、先生が溜息を吐きながら、「お前がいると、下手に結界や術を残せねぇな」と肩を竦められた。

 

 特に結界術や支援魔術などの継続的に力を使うタイプは、魔力や魔法力などのエネルギーを注ぎ続ける必要があるため、だいたい術者とパスが繋がっているのだ。俺がその結界や術を奪えば、一気に守りがなくなる。あと、たとえ奪うまではできなくても、それを発動しただろう術者は特定できるのだ。なら、あとはその術者を集中的に狙えばいい。支援タイプを真っ先に潰すのは、戦いの定石だろう。

 

 

 そうして、二人と一匹で息を潜めながら進み続けた先で、揃って眉根を寄せてしまった。ラヴィニアは唇を引き締め魔法を発動し、リンは不機嫌そうにしている。俺はちょっと吐き気を感じてきたので、相棒の力で咄嗟に気持ち悪さを消しておく。臭いを抑える魔法を使ってくれたラヴィニアに感謝を告げ、俺達はさらに進んでいった。

 

 酷い臭いだ…。腐臭と鉄臭さが混在し、魔力混じりの淀んだオーラがだんだんと濃くなっていく。これは、魔物も寄ってこないわ。淀んだ魔力で犯された空間なんて、餌があったって野生の本能が警鐘を鳴らす。俺達みたいに、目的がある者以外近づくことすら嫌悪を感じるだろう。

 

 そして、ここまで近づけば、目的地に「生きている者」の反応が一切ないことがわかる。徐々に近づくにつれ、この臭いと気持ち悪さの正体がはっきりと俺達の目に映っていった。

 

「……ッ」

「……これ、完全に遊んでいるねー」

 

 リンの間延びした、でも明らかに苛立ちを含んだ響きが耳に入る。去年のドラゴンサバイバル教室でそれなりの血生臭さには慣れていた俺でも、これはあまりに酷かった。ラヴィニアも数秒ほど黙祷を捧げる様に目を瞑る。俺は直視ができず、思わず目を逸らすことしかできなかった。

 

 俺達の目の前に現れた光景は、真っ赤に汚された森だった。折れた木々が散乱し、地面も大きく抉れている。何よりも目に映ったのが、複数の死体だった。そして、そのどれもが原型をとどめていない。転々と身体のパーツが地面に転がり、あり得ない方向に四肢が捻じ曲がり、内臓などが辺り一面に飛び散っている。地面も木も全部、血で赤く染められていた。

 

「なん、だよ……これ。まさか、これが喰っていた後…なのか?」

「ううん、食べてすらいないよ。ただ殺して、遊んでいただけ。獲物を振り回したり、叩き付けたり、千切ったりして。転がっているパーツを繋げてみれば、欠損がほとんどないから」

 

 リンが冷静に説明をしてくれる。自然界で生きているリンにとっては、こういった光景は見慣れているのだろう。それでも、命を弄ぶようなやり方に嫌そうにしていた。野生のドラゴンなら気にしないだろうけど、リン達のような教育を受けた上位ドラゴンにとっては、命の糧を冒涜するような行為は嫌悪するだろう。去年のサバイバル実践の時、大人のドラゴンさん達が子竜達にそう教えていた姿を思い出す。

 

 命を弄ぶような、力なき者を蹂躙することに快感を覚えるような、力だけを追い求めるような強大な力を持つドラゴン。それを、『邪龍』と称されるからだ。だから子竜の内に、大人のドラゴン達はしっかりと教育を行う。我が子を堕ちた龍にしないためにも。命に敬意を持たせるのだ。

 

 俺は大きく息を吐き、逸らしていた目を現実に向ける。気分も良くないし、吐き気すらするが、それでもしっかりと見据える。そして、強く思った。このはぐれ悪魔は、絶対に逃がしちゃいけないと。頭の中で討伐まではしなくても、もしかしたら話し合いでなんとかならないか、とひっそり思っていた気持ちも消し去った。

 

 もう、これは手遅れだ。獲物を何度も地面に叩き付けたような跡。振り回して木に幾度とぶつけて、無造作に放り投げた跡。力の限り四肢を引きちぎって、血の雨を降らせた跡。悪意そのものが楽し気に嗤っていたのが、神器を通して伝わってくる。そこには理性なんてない、もはや獣ですらない、ただの化け物だ。神器を握る手に、徐々に力が籠っていった。

 

 

「この死体、もしかしてハルピュイアか?」

「うん、カナの言うとおり」

「まさか、昨日見た偵察部隊……?」

 

 寝泊まりした岩場の近くを飛んでいた四体の魔物達。バラバラで確認しづらいが、胴体の数を確認したらちょうど四体分あるのがわかった。

 

「この辺りは大物の巣がないから、ハルピュイアの餌場の一つなんだと思う。血や肉の乾き具合を見て、まだ長い時間は経っていないから、昨日カナが見た偵察部隊だと思うよ」

「だとしたら、まだはぐれ悪魔は近くにいる可能性が高い」

 

 確かに、あのハルピュイア達が去っていった方角はこっち側だった。あの岩場から離れて、こっちへ飛んできたハルピュイアの群れを、はぐれ悪魔が襲ったのだろう。血の渇き具合から、半日以上はたぶん経っていそうだ。それなら、まだそう遠くには行っていないはずである。

 

「なるほど。魔力を辺りに残し、血を撒き散らしたのは、施した魔術を隠すためだったみたいですね」

「ラヴィニア?」

「これは、魔物の血で紛れさせた魔方陣なのです」

 

 血に濡れた森を静かに見つめていたラヴィニアは、血に濡れた地面を指さす。よく観察すると真っ赤に染まった地面一帯に、微かな魔力が感じられる。魔物の血と魔力で淀んだ空間を作り、巧妙に魔方陣を隠していたのか。

 

「このタイプの陣は、魔方陣の中に入った生き物を対象にしたものですね。この空間に足を踏み入れたら、発動する仕組みです。はぐれ悪魔を捜索する者が現れたら、何か痕跡がないか普通なら調べますから」

「警報があるかもと警戒していなかったら、これに気づくのは難しいってことか」

「はい。探知に長け、術に理解がある者じゃないと。一般のドラゴンさん達には難しいのです。タンニーンさんの眷属ドラゴンさん達なら気づくかもしれませんが、みなさん役職がしっかりあって忙しい方々です。このような討伐依頼に出られる時間はないですからね」

「パパ、族長の仕事とか領の管理とか冥界のお仕事とかいっぱいやっているよー」

 

 さすがは主が最上級悪魔である眷属ドラゴンの皆さん。あの真面目なタンニーンさんが眷属にするだけあって、みんな真面目なんだろうな。そりゃあ、お偉いさんに下っ端でもできる仕事は回さないわ。

 

「……ちなみにリン、お前がこの場所を見つけたらどうする?」

「気分が悪いから全部燃やすー」

「魔方陣が消されれば、それも術者に伝わるでしょう。二重の警報という訳ですね」

 

 痕跡がないか調べようと入り込んだ者や、リンのように気分が悪いから壊そうと考えた者、どちらも対象にしたということか。確かにこの空間をそのままにしておくなんて、普通なら嫌だろう。森にも良くないし。俺も早くこの空間を何とかしたいと思う。

 

 俺は意を決して、血で汚れた地面の一歩手前まで歩く。そして足を止めると、神器を手元に呼び出し、魔法力を纏わせた。ラヴィニアと頷き合うと、俺は血に濡れた地面へ向け、相棒を突き刺した。

 

術式の書き換え(リライト)!」

 

 神器を通して、血の魔方陣へ魔法力を注ぎ込む。まずは所有者の権限を消し去る。次に相手に繋がるパスを見つけ、本来の術者に気づかれないように術の接続への『認識』の部分を消す。さらに警報の役割となる術式を消して、新たに俺の魔法力で改変し、俺達に無害なものへと変えていく。消去、構成、制御、発信、また消去…、と次々と概念を施していった。

 

「……よし、掌握完了っと。ラヴィニア、この魔方陣を転写できるか?」

「メフィスト会長からいただいたカードがあるので、そこに移してみましょう」

 

 ラヴィニアが前に出ると、俺が制御した魔方陣の上にそのカードを置き、目を閉じて詠唱を始める。魔方陣がそれに引っ張られる感覚が起こり、俺は術への『抵抗』を消して、ラヴィニアの魔法の後押しをする。すると、地面に広がっていた魔方陣が徐々に小さくなっていき、最後にはカードの中へと吸い込まれていった。それを拾い上げると、カードの中には血のように赤い魔方陣が描かれている。無事にできたみたいだ。

 

「よし、リン。ここを燃やしてくれ。ハルピュイアも、このままは嫌だろうからな」

「わかった」

 

 リンは快く頷くと、血に汚れた森をハルピュイアの死体ごと燃やしていく。ラヴィニアが同時に消火作業もしてくれたため、問題なく火葬することができた。俺は地面に相棒を突き刺して穢れを消し、浄化作業をしておく。すると、少しずつ森のオーラが活気づいてくるのが、仙術もどきの感覚から伝わってくる。自己満足でしかないけど、あんな淀んだ空間を放置なんてしたくなかった。あの倉庫の時のことが頭を過ぎるから、余計に…。

 

 三十分ほどで作業を終えた俺達は、ラヴィニアが持つカードへ目を移す。そこから繋がるパスを辿れば、目的地へ着くだろう。俺は二人へその方向を告げると、タンニーンさんへ対象を捕捉したことを通信で伝える。万が一にでも、取り逃がすことがないようにしないといけない。タンニーンさんが言っていた通り、後続の手配をお願いしておいた。

 

「さて、行くか」

「はい」

 

 はぐれ悪魔と戦うことに、不思議と恐怖はなかった。むしろ、戦わないといけないと感じる使命感のような、沸々とした闘志の方が強い。戦闘をするよりも、このはぐれ悪魔を逃がしてしまうことの方が怖いのだ。フラッシュバックするのは、「今まで通りに暮らしたかった」と泣いていた恵さんの泣き顔。あの時に感じた怒りは、未だに俺の中で消えずに残っている。

 

 俺は種族という視点で、誰かを嫌いになれない。世間で邪悪だと謳われる悪魔や堕天使やドラゴンにだって、クレーリアさんやアジュカ様、アザゼル先生にタンニーンさんのような良いヒト達がいる。自分勝手で悪いヒト達だっているけど、そんなの人間だって同じだろう。昔やったRPGとかで、「人間は強欲で、みんな悪いやつだ」なんて言われたら悲しいと感じた。わかり合える可能性だってあるかもしれないのに、その可能性を切り捨ててしまっているのだから。

 

 俺は半年前に、紫藤トウジさんを止めた。悪魔を悪だとする彼に、それは違うと立ち塞がった。その気持ちを嘘にしたくない。紫藤さんのように、ちゃんとわかり合えることだってできるかもしれないのだ。クレーリアさんを殺そうとした悪魔だって、ミルたんとロボのコンビによる蹂躙、それとメフィスト様とアジュカ様のおかげで搾り取られたみたいだし、俺の中にあった溜飲は下がった。

 

 それでも、どうしても俺にとって許せないやつがいるとしたら…。俺は「化け物」が許せない。古き悪魔達のような利益だけを考えて行動するヒト達は、普通に嫌いなだけだ。価値観からわかり合えないヒトがいることも、仕方がないと諦められる。どうしても相容れない時は、矛を向け合うのも当然だろう。だけど、種族関係なく「化け物」は違う。明確な基準が自分の中にある訳じゃないけど、……今回のはぐれ悪魔は確実に俺の境界線を踏み抜いていた。

 

 俺の感情に呼応するように、神器が紅く輝く。俺達は真っ直ぐに目的地を目指すために、足を前に進めたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「……これは、霧なのです」

「異形が張る結界の中でも、最もポピュラーなものだったっけ?」

「はい、どうやらこの霧で自らの魔力を散らしていたのでしょうね。それに霧は、方向感覚を迷わせ、不意打ちや逃走に使いやすいですから」

「このはぐれ悪魔、たぶんウィザードタイプなんだろうなぁ。今回は魔力パスがあるし、感知は得意だし、俺に幻術系統は効かないから、こういうタイプの魔術の対処が一番楽だけど」

「それは、カナくんだけなのです」

 

 そんな理不尽そうなジト目で見られても…。霧の結界が裏の世界でオーソドックスなのは、一定の効果が確実に望める下地があるからだ。大きな木が辺り一面に茂り、薄暗い森の中に現れたほの暗い雰囲気を纏う霧。まさに怪談とかでオバケが出てくるシチュエーション、とでも言えばいいのだろうか。肌寒さまで感じてきた。

 

 そういえば、オバケって仙術もどきで感知とかできるんだろうか? 出来ても出来なくても、なんとも微妙な気分になるけど…。姫島朱乃さんが除霊の仕事をしていたとか言っていたし、悪霊は実在しているっぽいしなぁ…。俺、ホラーゲームは好きだけど、ホラー映画を見たり、心霊スポットに行ったりするのは苦手だ。普通に怖い。特にこの世界だと、悪霊や祟りが洒落にならないから余計に。

 

「うーん、ここまで目前に迫ったんだ。正面から突撃するのも悪くないだろうけど…。このはぐれ悪魔、かなりズル賢そうだからなぁー。やるなら相手には何もさせずに、一撃で決めたい」

「そうですね。ですが、この範囲の霧の結界を張っているとなると、カナくんなら能力で気づかれないかもしれませんが、私とリンちゃんは気づかれると思うのです。私たちが囮になって誘い出す、という手もありますが…」

「……いや、受け身よりたぶんこっちから攻めた方がいいと思う」

 

 何となくとしか言えないが、そう直感が働く。こういうめんどくさい相手は、先手を譲ったらいけない。時間を与えるだけ、余計に事態がこじれることもあるのだ。それに、相手のペースに合わせるなんて俺達らしくないだろう。

 

「ラヴィニア、神器を使うのはやっぱり難しそうか?」

「タンニーンさんのご依頼の達成条件には、環境の保全も入っているのです。『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』は、発現させるだけでも周囲を凍らせ、吹雪を起こします。自然環境を故意に狂わせるのは、森に良くないのです。私の神器は、閉所や狭い空間、今回のような条件付きの場合は、あまり使い勝手が良くありません」

「それもそっか…。氷姫がいけるなら、聖水吹雪で上空からはぐれ悪魔の瞬殺ができるかと思ったのに…」

「カナの発想が怖い」

 

 大丈夫、本当にやる時はリンに当たらないように気を付けるから。ハーフ悪魔のドラゴンだから、リンは聖なるものがやっぱり苦手みたいだ。『聖氷姫人形(セイント・ディマイズ・ギアドール)』の聖水吹雪は、あの最上級悪魔の魔龍聖にダメージを与えた実証付きである。だけど、なかなか使いどころが難しいようだ。

 

「魔法も森を傷つけない範囲に収めたいので、私とリンちゃんはあまり大きな攻撃ができないと思うのです」

「俺が前線で戦うのも一つの手だけど、……あんまりやらない方がいいんだよな? 本来は」

「もちろんです。カナくんは私たちの要であり、敵にとっては『一番最初に潰しておきたい相手』なのですから」

 

 原作でも、先生がアーシアさんに指導している時に、そんな感じのことを話していた記憶がある。回復要員は貴重であり、戦闘ではその有用性から真っ先に狙われる。正臣さんとの接近戦の訓練だって、回避や見切り、防御に切り返しなどを重点的に鍛えられていて、ガチンコの近接はまだまだ不安が残る感じだ。俺が前線に出るのは、よっぽどの緊急事態か、今回のような事情がある場合ぐらいだろう。

 

「うーん、なぁラヴィニア。氷姫を周囲に影響を及ぼさない範囲で、使役することってできないのか?」

「えっ、周囲に影響を…? カナくん、ごめんなさい。あのお人形さんを制御するのは、まだ私には……」

「じゃあ、氷姫はやめといて。それなら、周囲に影響を与えないぐらいに力を抑えた、氷を使った別の人形を作ることってできないか?」

「えっ? えぇっ……?」

 

 どうしよう、ラヴィニアが混乱し出してしまった。でも、たぶんだけど出来るんじゃないかな、と思うのだ。宿主であるラヴィニアが望むのなら、その想いは現実となる。先生だって言っていた。神滅具の最大の特徴は、『所有者の意思や想いを『全て』汲み取り、それを実現させるために神器が進化したり変化したりすることで応え、新たな力を持ち主に与える』ことだって。

 

 昨日の話を聞いて、ラヴィニアは『氷姫』への恐怖をまだ消すことが出来ないのはわかっている。いきなりラヴィニアにとっての『最終目標』を使いこなせるようになれ、なんて難しすぎるに決まっているだろう。だったらまずは、『お姫様』は眠らせておいて、その末端の力から少しずつ制御していったらいいんじゃないだろうか。

 

「ラヴィニアの氷姫って、どうやって動かしているんだ? 意思とかある感じ?」

「意思は、少なくとも今まで感じたことはないのです。私がやりたいことをお人形に命じると、その通りに動いてくれました」

「ある程度のオート化は可能?」

「はい。簡単な命令でしたら、自動運行もある程度はできます。神器を前面に出し、私が後衛から魔法を放つなど、連携を行えますから」

 

 そこまでできるのなら、実現できなくはないか。彼女は過去に、氷姫を冷凍荷物運びに使ったり、ロボに変身させたり、『彼女がやりたいと望んだ形』にちゃんとできていたのだ。かなりその場のノリが大きかったけど。しかし、神器へのお願いに必要なのは小難しく考えることではなく、勢いというかノリというか、「できる! やりたい!」という情熱だと思うのである。俺がだいたいそうだったから。

 

 思い出すのは、兵藤一誠が使っていた『白龍皇の妖精達(ディバイディング・ワイバーン・フェアリー)』や、木場祐斗が使っていた禁手の亜種『聖覇の竜騎士団(グローリィ・ドラグ・トルーパー)』である。宿主とは別の思考を持った、自動行動型の神器の派生技だ。赤龍帝は倍加や壌渡、聖剣創造は剣を作ることが本質であり、本来はチビドラゴンや騎士を作るものではない。つまり神器には、本来の能力とは外れた派生を作れる下地が元々あるのだと考えられるだろう。

 

 神器の禁手(バランス・ブレイク)は、決して一種だけではない。亜種として別の方向へ進化する場合もあれば、魔剣と聖剣のそれぞれの禁手を得て、実質二つの禁手を手に入れた木場祐斗さんのような事例だってある。ラヴィニアは元々独立具現型の神器の使い手で、『自分の意思以外で動くもの』への扱いに慣れている。

 

 氷とは、水が固体になったものだ。固体となって固まった氷の形を変えるのは難しくても、水の状態ならいくらでも形を変えられ、凍らせることで新しい固体を生み出せる。聖水との組み合わせが成功したのだから、水という不定の性質も氷姫は持っていると思うのだ。

 

 ラヴィニアの中で、おそらく『氷姫』というイメージが強すぎて、そこから変化させるのが難しいのだろう。だからこそ、そこを俺の概念消滅が補助できたらいいんじゃないだろうか。

 

 

「『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』の形状を変えるのですか?」

「それだと、『氷姫人形(ディマイズ・ギアドール)』と変わらないだろう。お姫様とは、根本から変えてみるんだ。ラヴィニアが望む、ラヴィニアだけの氷の人形を作るのさ」

「私が望む……私だけのお人形」

 

 『氷姫』だと周囲に影響を与えてしまうのなら、影響を与えないような新しい氷の人形を『氷姫』の派生で作ってしまえばいい。神滅具なら、きっと俺達の想いを汲み取ってくれる。『氷姫』はラヴィニアが望んで得たものじゃない、言い方は良くないけど勝手に押し付けられたようなものだ。それに愛着を無理やり持て、という方が酷だろう。だったら、まずは自分が好きになれそうな人形を作っていこう。そこから、スタートしていけばいい。

 

「ラヴィニアが『永遠の氷姫』を作成する時に、俺が能力でサポートを行うから、ラヴィニアが望む形になるように氷を制御するんだ」

「そ、そんなこと、いきなりできるのでしょうか?」

「『氷姫人形』の時だって、ぶっつけ本番だったけど出来ただろ。能力作りに大切なのは、テンションの高さと勢い、あと「こんなこといいな、できたらいいな!」と本気で思うことだ。ラヴィニアなら、いけるいける!」

「ノリと勢いとカナすぎる」

 

 俺達の会話を聞いていたリンが、ポツリと呟く。まさかのその二つと俺は同列扱い!? 今まで俺が相棒に頼んで作ってもらった能力の製作方法を伝えてみただけなんだけど…。だって、本当にこんな感じで新しい能力を作ってきたからな。そういうもんじゃないの?

 

「ラヴィニアが作ってみたい人形とかってあるか?」

「お人形は神器を思い出して、あまり好きではなかったのです…」

「うーん、じゃあ『騎士』とかはどう? 『お姫様』を守る存在と言えば、やっぱり『騎士』だろ。カッコいいし」

「えっ、『騎士』さんですか…? あっ、『騎士』でしたら、好きです。カナくんにいっぱい見せてもらいましたから。氷の騎士さんなら、ぜひ作ってみたいのです!」

「……うん?」

 

 あれ、ラヴィニアのテンションが上がったのは良かったけど、なんか俺と認識がズレていないか? 俺がいっぱい見せた、ってどういうことだ? 俺、アーサー王物語みたいな騎士系のゲームや漫画を彼女へ貸した覚えなんて、あんまりないんだけど…。

 

 それにしても、ラヴィニアって『騎士』がそんなに好きだったのか? 人形は嫌そうだったけど、騎士を作るのは大賛成らしい。女の子は騎士とかカッコいいものが、やっぱり好きなのかな? まぁ、ラヴィニアにやる気が出たのならいいんだろうか。なんか、『氷姫人形』を初めて作った時や、『魔法少女』をやった時のテンションと似たような空気を、今のラヴィニアから感じ取ったような気がしたけど。

 

「さっそくやりましょう、カナくん! たくさんの『騎士』さんを作ってみせます。私の勉強の成果を見せる時なのですよッ!」

「お、おぉー…」

「おー!」

 

 どうしよう。たぶんだけど、何かラヴィニアの中の押してはいけないスイッチを押してしまったような気がする。彼女の常識の境界線を、見事に踏み抜いた気がする直感。俺とリンは、よくわからない気持ちなれど、とりあえず今はテンションに任せることにした。

 

 それから数刻後。ラヴィニア制作の氷の騎士団は無事に完成した。ラヴィニアとリンは大興奮し、俺は顔を手で覆って項垂れたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 血の臭いを纏うはぐれ悪魔は、新たに得た餌を手に、うっそりと笑みを浮かべる。己の腕の中で首の骨が折れて事切れた魔物を、口を大きく開けて頭から噛み砕いていく。肉を喰らう食感、魂を犯す快感、そのどれもに酔いしれていった。自分の中の魔力も徐々に増していき、もう少しすれば忌々しい追手を返り討ちにするのも実現できないことはないだろう。

 

「やっぱり、魔物より食べるなら肉付きも魂も良い悪魔……、それよりも人間よね」

 

 はぐれ悪魔となった当初から、悪魔の目的は人間界へ向かうことだった。そのために力を蓄え、魔力で理性を溶かされながらも、生き残るための知恵だけは消さないように意識をし続けていたのだ。はぐれ悪魔は、自分が決して上位の存在でないことを知っている。下級として生まれ、上位の者に対する劣等感をずっと持ってきたのだから。それ故に、焦らずに力をつけることに集中することができた。

 

 逃走していた際、ここがドラゴンの領地と偶然知り、咄嗟に潜伏できたのは運が良かっただろう。自分が下級の端くれとはぐれ悪魔は知っていたが故に、ドラゴンのような強者がわざわざ自分程度で動くとは思えなかったのだ。ドラゴン達に脅威と思われるまで力をつければ、さすがに重い腰を上げかねないが、それよりも先に人間界へ逃げている。

 

 それに、例え見つかっても、攪乱は自分の得意分野だった。はぐれ悪魔は喰らった魂の一部を利用し、魔力で練り上げて作った卵をお腹の上から優しく手で撫でる。虫に似たヒト型となったはぐれ悪魔は、その能力を十全に利用した。この卵は、可愛い自分の兵隊だった。力は自分よりも劣るとはいえ、数の力は決して馬鹿にできない。思考能力や感情はなく、命令を遂行するだけのお人形。追手の悪魔は、きっと自分を一人だと思って油断する。そこを数で潰し、さらに良質な魂を得るのだ。

 

 ドラゴンや強者に見つかったのなら、勿体ないが兵隊を囮として使う。兵隊は自分の分身であるため、見分けはほとんどつかない。自分とよく似た大量の兵隊を相手にして、本物をピンポイントで見つけるのは困難であろう。そうやって強者相手には囮を使って逃げ、また魂を喰らい、兵隊を作り、そしてさらに新たな魂を得る。そのための準備をはぐれ悪魔は冷徹な思考の下に行い、楽し気に嗤って見せた。

 

 もし危惧があるとすれば、感知能力に長けた者や自分と同じように物量を使った戦闘ができる存在だろうか。だが、そんな存在が偶然自分の前に現れる可能性は低いと思われる。そんなことを考えていたはぐれ悪魔の動きを止めたのは、霧の結界に反応が感じられた時だった。

 

 

「これは、……何?」

 

 はぐれ悪魔は顔を歪め、理解できない現象に目を見開く。結界に反応があった、それは間違いない。だが、魔物の気配ではないのだ。では、悪魔かと言われるとそれも違う。ドラゴンなら、こんなに接近されるまで気付かないなどあり得ない。何よりも、生きているような気配が感じられないのだ。しかし、何かが霧の結界の中を粛々と進み、自分の下へ集まろうとしている。

 

 わからない。冷や汗がはぐれ悪魔の背に流れる。最も危険なのは、すでに囲まれてしまっていることだ。まるで自分を逃がさないように、突然全方位から反応が現れた。数は三十以上は感じられる。これでは、逃げるどころではない。袋叩きにされる未来しか見えない。はぐれ悪魔には、一刻の猶予もなかった。

 

「卵よ、孵りなさい! 私を守るのよッ!」

 

 はぐれ悪魔は即座に切り札を切った。悪魔やドラゴンのことなどの後先より、ここで迷えば蹂躙されるのはこちらだ。体内で温めていた卵を解放し、魔力で刺激して一気に孵化させていく。ここで喰らい続けてきた魔物の数は、おそらく百は越えるだろう。百体の人形を向かわせれば、三十という数なら穴をあけるのは難しくない。はぐれ悪魔と同じ見た目を持った、意思のない空っぽの肉の塊が虚ろな目で命令を待った。

 

「殺しなさいっ!」

 

 はぐれ悪魔の短いながらも、強い口調で紡がれた命令。それに従うように、人形たちは凶器を振り上げ、奇声を発し、それぞれが自分の近くに現れた反応へ攻撃を始めた。はぐれ悪魔は己の気配を出来るだけ小さくし、戦闘のどさくさに紛れて逃げ出すつもりであった。息を殺して、自分の兵隊たちの様子を観察し、敵の情報を少しでも得ようとそっと顔をあげた。

 

「…………えっ、何あれ?」

 

 思わず、素で疑問を口にした。理性なんてほとんど溶けてしまったはずなのに、そんなことより目の前の光景に訳が分からなさ過ぎて開いた口が塞がらない。自分はいったい何と戦っているというのだ。あんな生物、冥界にいたっけ? 次々と溢れる疑問と意味不明さに、はぐれ悪魔のなけなしの理性が悲鳴を上げた。

 

 そこにいたのは、30cmほどの大きさの小柄な物体。物体としか言えない。それぞれが武器や盾を持ち、無骨なフォルムを纏い、ガシャンガシャン! と音を奏でる。中には、足にローラーのようなものがついた物体や、巨大な羽や砲台を背負った物体までいる。一つ目だったり、棘が生えていたり、ツノみたいなものが生えていたり…。見た目はヒト型に似ているが、装甲が全身にくっ付いている姿は鎧のようにも見えた。

 

 そのヒト型は、見るヒトが見れば一つひとつのデザインに違いがあり、細部にまでかなりの拘りがあることを感じられたであろう。マニアなら、狂喜乱舞して頬ずりだってしたかもしれない。どこかの大公様なら、涙を流して崇めたであろう。そしてその全てが『氷』で出来ていた。森の中に突然現れた氷の鎧軍団。周囲から氷の鎧が歩くごとに鳴る三十体以上の駆動音に、はぐれ悪魔の頬は引き攣るしかなかった。

 

「と、とにかく、アレを壊しなさい! とにかく、壊してッ!」

 

 正体はわからないが、大きさはそこまで大きくない。それに氷でできているようだから、これなら簡単に壊せるだろう。分身の一体が命令に従い、氷の鎧を自らの爪で斬り割いた。氷の固さによる反動で腕が折れたが、氷の人形は反動で粉々に砕ける。これなら、百体もいれば問題ない。なんだ、ただの虚仮脅しか。そう嗤いかけたはぐれ悪魔は、またしてもその動きを止めた。

 

「再生、している……?」

 

 もはや、嘘だろうと言いたかった。壊したはずの氷の人形に再び氷が纏わりつき、寸分変わらぬ姿で再び現れたのだ。そしてそのまま、腕の折れた分身へ持っていた氷のサーベルを一閃させ、両断してしまう。大きさは小さい。動きもそこまで早いものじゃない。高い技術がある訳でもない。だが、進軍は一向に止まらない。

 

 どれだけ壊しても、魔力で削っても、その再生力と固さは悪夢かと言いたくなる。小回りの利く小ささもあって、攻撃も当たりづらい。中には、銃身や腕から氷のミサイルを飛ばしてくる物体までいる。弾丸も無制限っぽい。何これ。

 

「踊りなさい、私のお人形達よ。歴代の『機動騎士ダンガム』の想いや魂を受け継ぎ、その存在を世界へ見せつけるのです! 行きなさい、『不屈なる騎士たちの遊戯(ドール・アーマー・ガーディアン)』!」

 

 氷のダンガム複数に囲まれて混乱していたはぐれ悪魔は、結界に侵入して近づいていた白き少女に気づかなかった。その声が耳に入ったと同時に、少女の命令を聞いた騎士団はさらに動きを良くしていく。何故人間が冥界にいるのかはわからないが、あの少女が氷の人形の術者であることは間違いないだろう。

 

 だが、氷の騎士達によって少女へと繋がる道はすでに塞がれている。白き少女の前には、数体のダンガムが彼女の周りを守っていた。見るヒトが見れば「あれは、ダンガムゼットから出てきた可変機構システム!」とか、「OVAにあった兵器をここまで再現したのか!」と感動で打ちひしがれるかもしれない。きっと戦闘している場合ではない、とロマンを叫び出すことだろう。ダンガムを全く知らないはぐれ悪魔にとっては、いくらでも再生する恐怖の人形(プラモデル)でしかないが。

 

 

「……冗談じゃないわ」

 

 いくらこちらの数が多くても、何度も再生して、しかも欠損や痛みも気にしない存在と戦うなど正気ではない。幸い、こちらの存在を氷の人形達は捕捉していない。上手く分身達が囮の機能として、通用していることに胸を撫でおろす。だが、悠長にしている暇はない。この乱闘騒ぎの間に、自分はここから逃げ出さなければ、と兵隊へ指示を出した。

 

 はぐれ悪魔の注意は、白き少女に向かっていた。彼女から目を離さないように気を付けて移動していたため、何か別の動きがあればすぐに気づけるだろう。故に、身を隠すはぐれ悪魔の存在をしっかりと感知し、死角となっていた真後ろから、自分の兵隊たちに一切気付かれずに近づく存在がいることに気づかなかった。

 

感覚の消失(デリート)

 

 突然感じた背中への鋭い痛み。それに悲鳴を上げかけたが、ふと気づくと痛みは何も感じなくなっていた。いや、痛みだけではない。視覚も、聴覚も、嗅覚も、暑さや寒さすらもわからない。自分が立っているのか、座っているのかすらも。自分にあったはずのあらゆる感覚が分からなくなっている。己が持っていたはずの当たり前が、何も感じられない。そこにあるのは、完全なる無。

 

 それはほんの数秒だったかもしれない。だが、はぐれ悪魔にとっては恐慌状態に陥ってもおかしくないほどの恐怖に魂が叫んだ。とにかく持っていたはずの腕らしきものを記憶通りに振り回してみるが、実際に振っているのかもわからない。自分は叫んでいるのかすらわからない。その無は、はぐれ悪魔にとってはあまりに長く感じるほどだった。

 

 そして、唐突に全ての感覚が戻ってくる。まず感じたのは、先ほど感じた背中に何かが刺さったのだろう痛み。そして、紅い槍を自分に向けて突き刺す少年の姿を映し出す視覚。今更気付いた、自分の腹に突き刺さった槍を呆然と眺める。いったい、いつ刺されていたのかも気づかなかった。

 

 

「……ッ、ガァァアアァァッーー!!」

 

 感覚が戻ったはぐれ悪魔が最初に感じたのは、純粋な怒り。見下していたはずの人間に手をかけられていることに、本能が叫ぶ。最後の力を振り絞って腕を振り上げ、狂気に満ちた悪意を目の前の少年に向ける。それに一瞬、少年の肩が小さく揺れたが、決して槍を手放すことなく、震えそうになった歯を食いしばって恐怖を跳ね返すように叫び返した。

 

 悪意による恐怖。だがそれ以上に思い出したのは、この裏の世界に足を踏み入れた起源とも言える、小さなきっかけ。交わした大切な約束。

 

『その代わり約束です、絶対に最後まで生きてください。そして、笑っていて下さい。記憶は消しても、化け物に負けなかったガッツとその思いは消さないで下さい』

 

 他ならない少年が、彼女へ向けて発した言葉。なら、ここで口に出した自分が負けるわけにはいかない。彼女は何の力も持っていなかった。だけど、悪意に負けることなく、必死に立ち向かったのだ。

 

 その約束が、その勇気が、少年の足を前へ踏み出させた。そして何より、頼りになるパートナーが傍にいてくれるのだから。

 

「消えろォォッーー!!」

「カナくんっ!」

 

 白き少女は咄嗟に小さな氷をはぐれ悪魔の腕に当て、相手の動きを鈍らせる。その隙に腹に突き刺していた槍に消滅の効果を纏わせ、右斜め上にそのまま一閃した。神器に元々備わっている『消滅(ルイン)』の力はその効力を遺憾なく発揮し、はぐれ悪魔の振り上げていた腕ごと削り取った。そして、振り抜いた槍の遠心力を使って一回転し、真っ赤に染まったはぐれ悪魔を再び貫いた。

 

「……さようなら」

 

 完全に戻ってきた聴覚が拾ったのは、目の前の少年から告げられる別れの言葉。口や身体から流れる鮮血が地に落ち、はぐれ悪魔の体重などまるで感じないように、その巨体を槍で持ち上げられる。そして、少年は上空へ向けて、はぐれ悪魔ごと槍を空へと投擲した。重力と空気抵抗を消された槍は、投げられた勢いそのままにはぐれ悪魔を連れて、上空へと打ち上げられた。

 

「攻撃力が高いと、森に悪影響を与えるのなら…。何もない上空で対処すればいい」

 

 天に紅色が舞う。小さな赤き龍は、主の合図に合わせて急接近する。ずっと溜め続けていた魔力の炎を、上空を飛ぶはぐれ悪魔へ向け、自分が持つ最大火力で解き放った。それは狂うことなくはぐれ悪魔へと当たり、痛みを感じる暇もなく、一瞬にしてその身体は燃やし尽くされた。はぐれ悪魔に喰われた魂も、炎によってその殻が焼失し、天へと消えていったのであった。

 

 

「……終わったぁー」

「はいなのです」

 

 死体や燃えカスすら残さず焼失したはぐれ悪魔に、途端に分身達もボロボロと崩れていく。それを見届けると、氷のダンガムたちは綺麗に整列する。そして、姫である少女に敬礼を行うと、幻のように跡形もなく消えていった。

 

 白き少女――ラヴィニアも『不屈なる騎士団』へ向け、敬礼を返す。その目はキラキラと輝き、「グリンダにも、ダンガムを見せるのです」と大好きなおばあちゃんへのお土産ができたことに満足した。

 

 少年――倉本奏太は、そんなパートナーの姿に乾いた笑みを浮かべる。一年前にアザゼルが原作で作っていたロボットからヒントを得て、『氷姫人形(ディマイズ・ギアドール)』を作り出した。その関係で、「ロボアニメとか、漫画とかが資料になるかも」と奏太はラヴィニアへ『機動騎士ダンガム』のシリーズ全巻を渡していたのだ。そしてこの一年で、見事にパートナーは目覚めた。とりあえず、心の中でグリンダさんに謝っておいた。

 

 彼の中で、『騎士』と『機動騎士ダンガム』は繋がっていなかったのだ。奏太の前世で見たアニメは『機動戦士』という名前であったため、うっかり忘れていたのである。ラヴィニアが氷でプラモデルを作り出した瞬間、「あっ、やっちまった」とやっと気づいた。こんなに喜んでいるパートナーに水を差す気持ちにもなれず、無事にラヴィニアの新しい可能性を開花させることに成功したのであった。

 

 

「お疲れ、ラヴィニア。リンもナイスファイヤー」

「はい、カナくんもお疲れ様でした。騎士さん達は、まだまだ改造できるところがたくさんありますから、今後が楽しみなのです。今度は漫画版の機種や、アナザーの要素も含めてみようと思います」

「カナー、ラヴィニアー、どやぁー!」

「はいはい、自分で言わなくてもすごかったよ。ラヴィニアは、……今度新作のダンガムのDVDを借りてくるよ」

「わぁ、ありがとうございます!」

 

 嬉しそうに微笑むラヴィニアに、奏太の顔には諦めが浮かんでいた。もうこうなったら、アニメ仲間が出来てよかったじゃん思考でまとめることにしたのだ。人はそれを、思考放棄という。

 

 パートナーがロボに目覚めてしまった原因の大半が、奏太の自業自得。氷姫って、人形というよりロボって感じじゃない? だから、人形が怖いなら、もうロボでもいい気がしてきたのだ。無骨なフォルムとか、巨大さとか、意思はないけどロマンという熱は持っていそうなところとか…。と、奏太は遠い目で紫色の空を眺める。この世界のサブカルチャーの影響力が怖い、と改めて思ったのであった。

 

 とりあえず、依頼達成に全員でハイタッチを決め、動かなくなったはぐれ悪魔の分身達を供養し、タンニーンへ成功の連絡を入れる。戦闘で少し震えていた手を握りしめ、少年は安堵の息を漏らした。悪意には慣れず、まだまだ怖い気持ちはあれど、それでも立ち向かう勇気が持てたことにホッとする。課題点はいくつもあるが、少しずつ力にしていこう、と改めて前を向くことが出来た。

 

 こうして、冥界の討伐依頼を無事に成功させることが出来たのであった。

 

 


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