えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第九十四話 聲

 

 

 

「あぁー、やっぱり注射は苦手だな…」

 

 先ほど左腕の採血が終わり、俺は血が滲むところにガーゼを押し当てて休憩していた。怒涛の如く検査を行われたけど、一通りの内容が終了したようで、ようやく一息入れられたって感じだ。傍にある給水機に紙コップをセットして、出てきた水を勢いよく喉に流し込む。まだまだ検査は続くみたいだけど、さすがに気疲れを感じてきた。思わず欠伸が出てしまったので、手でしっかりと押さえておく。

 

 あれからバラキエルさんとの予想外の対面を果たした後、アザゼル先生に連れられて待合室っぽい部屋へと入った。白で統一された部屋はなんだか病院っぽい雰囲気だけど、中は誰もいないからがらんとしている。まずはそこに持ってきた荷物などを置き、アザゼル先生が機械の準備をしている間に病院や健康診断とかで着るような薄手の検査着を身に着けておいた。今まで病気知らずだったこともあって、身体検査とか久しぶりだから、ちょっと緊張する。

 

 それから先生に再び連れられた先にあったのは、人間界で見たことがあるような機械や、SF映画とかで見られるようなものすごくハイテクな機械類の数々。しかも驚くことに、全部自動で動くらしい。普通の健康診断みたいに視力検査や身長・体重なんかも測ったけど、全身をスキャンされたり、血圧を測って動脈壁の様子を見たり、血液の流れに筋肉や骨の状態を検査したりなど、そこまで調べるのかと唖然とするような検査のオンパレードだった。

 

 あと裏世界らしい魔法力やオーラ用の検査も行われ、魔法力の循環比率とか余剰分のオーラ量とかすごく細かいところまで調べていたと思う。ちなみに一番怖かったのが、魂の検査ってやつだったな。なんか訳が分からない内に終わっちゃったけど、受けている間はこう身体の中のさらに中をぐるぐる調べられている感じで、慣れないのもあって気持ち悪かったかも。

 

「それにしても、今まで意識していなかったけど神器のオーラってすごかったんだなぁ…。いつもありがとうな、相棒」

 

 しみじみと今回の検査で感じたことを口にし、神器に感謝の気持ちを伝えておく。先生から検査中は神器の能力を全てカットするように言われていたから、今だってじくじくする注射の痛みに顔がちょっと引き攣る。いつもならさっさと相棒が傷を治してくれたり、痛覚を消してくれたりとフォローしてくれるんだけど、さすがに今は検査中だから自重してもらっていた。

 

 だから今更だけど、こんなにもダイレクトに痛みを感じるのは久しぶりな気がするのだ。いつの間にか相棒が色々世話してくれていたみたいだからなぁ…、本当に。相棒に能力を使わないようにお願いしたら、検査中は一切使わずにいてくれた。その分、今まで相棒に頼ってきた部分がよく分かった気がする。なんというか、俺って日頃から相棒のオーラが身体中を巡っていたみたいで、それが一切なくなると少し身体が重くなったように思うのだ。それに結構驚いた。

 

 俺は意識していなかったけど、どうやら相棒が自分からオーラを俺の身体に回していたおかげで、身体能力や瞬発力の向上、各種耐性力や感知能力などの性能も上げていたらしい。普通の神器所有者は、戦闘などが始まったら意識して自分の神器のオーラを纏って戦いに備えるものだけど、俺の場合は相棒が常に神器のオーラ操作をやってくれていたため、なんと日常から常時戦闘モードだったようだ。まさかの健康優良児の原因が発覚だよ。俺の相棒が頑張り過ぎてヤバいです。

 

 

「おーい、カナタ。休憩は終わったかぁー?」

「あっ、先生。まだちょっと気持ち悪さが残っていますけど、だいぶすっきりしてきました」

 

 休憩所の自動ドアが開き、そこからいくつかの資料を抱えたアザゼル先生が訪れた。スーツの上に白衣を着ていて、薄く色の入った眼鏡をかけている姿は、なんだか熟練のお医者様に見えるな。正直、よく似合う。俺は飲み終わった紙コップをごみ箱へと捨て、先生のところまで歩いていった。

 

「俺からすれば、お前の健康状態の結果が良好過ぎて逆に気持ち悪いぐらいだったけどな」

「えっ、さらっと毒を吐かれた」

「まさか日頃から神器のオーラを纏って健康管理をしていたとは…。お前の神器、本当にオカンなんじゃねぇのか? それにお前こそ、常に神器の神秘のオーラが身体中を巡っているとか、違和感を感じなかったのかよ」

「違和感ですか…」

 

 アザゼル先生から呆れたように言われ、俺も考える様に首をひねる。そう言われても、相棒のオーラがずっと身体に流れていたなんて気づいていなかったのだ。人間、意識していないことはうっかり流しちゃうもんだよね。たぶん先生や周りが気づかなかったのは、相棒が『概念消滅』で微弱なオーラを感知されないようにしていたからだと思う。

 

 何で相棒がそんなことをわざわざしていたのかはわからないけど、そのおかげで俺は助かってきたのは事実だ。だってこれ、大変なのは相棒で、俺は何も知らない内にその恩恵を受けていたようなものである。だから、相棒を怒るつもりはないし、特に困ることもない。それでも、普通なら自分とは違う別のオーラが身体を巡っていたら気づくものらしい。本来神器と俺は、全く異なる存在なのだから。そう考えると、ちょっと不思議だな。

 

「とりあえず、検査の結果はこれな。最近の子どもは好き嫌いが激しくて栄養バランスが崩れがちだったり、運動や睡眠不足による体力・思考力の低下だったり、テレビゲームや間食のし過ぎで目や歯に悪影響があったり、と色々あるはずなんだけどな。魔法力やオーラ、魂も含めて健康そのもの。悪い天使であるおじさんからしたら、もうちょっと悪い遊びの一つでも覚えたらどうだ? と言いたくなっちまうよ」

「いや、健康なんだからいいじゃないですか…」

 

 ゲームのやり過ぎはちょっと心配だったけど、夜更かしは相棒の強制シャットダウン(物理)のおかげでできなかったし、疲れ目なんかもその都度回復してくれていたから視力が落ちることはなかったようだ。先生から診断結果を受け取ってパラパラと目を通すと、身長が春よりも少し伸びていて口元がついニヤケてしまった。

 

 ふと視線を向けると、一枚だけ付箋が張られている書類があることに気づく。それを取り出してみると、レントゲンで撮られた胃の写真みたいなのが貼られていた。

 

「あぁ、それは検査結果の唯一の注意点な。問題ってほどじゃなかったが、胃がちょっと荒れていたぞ。あとで三日分の処方薬をやるから、食後に飲んでおけよ」

「ありがとうございます。うーん、環境の変化の所為かな…? 気をつけます」

「ストレスは溜めすぎると碌な事がないからな。俺が「もはや聖人じゃね?」と思ったほどにヤバかった胃のカルテなんて、このあたりが真っ黒ですごかったぞ」

 

 そう言って、胃の写真をほぼ満遍なく指でなぞる先生。それ、もう胃のほぼ全てに穴が空いていませんか? そういえば胃で思い出したけど、紫藤さん元気になったかな。駒王町がいつの間にか魔境になっちゃっているけど、早く帰って来られることを祈るべきか、もう少し海外で療養できることを祈るべきか悩みどころだ。魔法少女は俺が原因だけど、それでまさか悪の組織まで引き寄せてしまうなんて普通思わないよ。

 

 ちなみに、紫藤さんのためにメフィスト様からお願いされていたイリナちゃんへのストッパーの件だけど、一応俺なりに頑張りはしました。例えば将来、イリナちゃんが教会に所属するのかはわからないけど、ミルキーの影響を受け過ぎたら後々大変かもしれないと思ったのだ。イリナちゃんって感受性が強いから、たぶん外国に行っても「ミルキーマジカル!」と叫んじゃって、純粋な外国の方に日本の神秘を勘違いさせてしまうかもしれないだろう。

 

 さらに教会にとって魔法関連の単語はあんまりよく思われないことを考慮し、紫藤さんのために頑張ってイリナちゃんには、「技を放つ時の台詞は『アーメン!』って言っておけば、牧師のお父さんとお揃いになるから、イリナちゃんにぴったりじゃない?」と原作での彼女の決め台詞を思い出して、せめてものアドバイスをしたのだ。魔法少女の愛の拳はもう手遅れだったけど、せめて周りからは敬虔な信徒と思われるように。

 

 そんな俺からの助言に、「遠くにいるパパが、まるで傍にいてくれているみたい!」と嬉しそうに喜んだイリナちゃんは、技を放つ時には「アーメン!」と愛を籠めるようになった。これなら、ミルたんの影響を受けて教会に行っても、「アーメン!」って言っているから魔法少女感が薄れて、多少のフォローにはなっていると思う。教会も愛を大切にしているから、大丈夫だと信じよう。

 

 

「それにしても、魂の検査とか初めて受けましたけど…。あれはちょっと苦手ですね」

「だろうな、あれが得意なやつの方が少ねぇと思うぞ。魂を直接揺さぶられる経験なんて、早々ないからな。とりあえず、次は神器に関する検査に入る。まずはお前を介した神器の同調率と抵抗力の調査からだな」

「同調率と抵抗力ですか?」

 

 どうやら次の検査は、ようやく目的である神器に関することらしい。それでも、これも基本中の基本の検査のようだ。神器の奥を調べるような精密検査は、シェムハザさんが来てから行うみたい。火龍の巣で先生が言っていたけど、神器の同調率っていうのは俺が相棒を通して意識を合わせるあの感覚のことだろう。でも、神器の抵抗力ってどういう意味なんだろうか?

 

「同調はお前がいつもやっている得意分野だよ。抵抗力って言うのは、そうだな…。簡単に言うと、神器に対するアレルギー検査みたいなやつかね」

「えっ、神器にアレルギーなんてあるんですか?」

「稀にな。神器の放つ神秘のオーラへの抵抗力がないと、身体や精神、それこそ魂すら拒絶反応を起こすことがあるんだ。お前は全く意識していなかったみたいだが、それだけ神器のオーラっていうのは未知の力なんだよ」

 

 神器を検査する用の部屋に移動するため、先生と通路を歩いていると、神器の抵抗力に関する話の内容に目を見開く。俺にとっては問題なく使えている神器だけど、中には神器への抵抗力が低い者もいる。そして、その場合はかなり悲惨なことになる可能性が高いらしい。

 

 食事でアレルギー反応が出たら、命が危ない場合があるのと同じだろう。神器のオーラに人間の心身や魂が耐えられず、アナフィラキシーショックを起こしたような症状になるらしい。神器のオーラはその人間の魂と共に在るため、原因を引き離すことも出来ない。だから何度も同じような重い症状を重ねることになり、命の危険を引き起こすのだそうだ。

 

 食事なら除去する方法があるけど、神器は取り出すことが出来ず、それでいて基本的に聖書の神様にしか神器を弄ることが出来ないため、治療もままならない。そのため、神器への抵抗力が低い者は、生まれてから死ぬまでずっと苦しみ続けることになるらしい。この施設にいる神器所有者は、その抵抗力が低い人間を主に保護しているようだ。ここぐらい最先端の設備を使って生命維持をしないと、生きることさえできない人達。

 

 神器の存在は、多くの人の人生を変える。俺のように神器を受け入れて裏の世界を生きる者もいれば、ラヴィニアのように神器によって表の世界から弾かれてしまった者もいる。俺にとって、神器は救いだった。だけど、中には神器があることで不幸になる場合だってある。それはわかっているつもりだった。神器は一蓮托生。その関係をどう築いていくかを考えるのは、結局はその人自身にしかできないのだから。

 

 でも、神器を持って生まれたことで死ぬ運命が決定づけられるなんて、それはあまりにも辛すぎるじゃないか。その人に宿ってしまった神器だって、最も救いたいはずの宿主を自分の所為で死なせてしまうことしかできないなんて…。

 

「その、治せないんですか?」

「現状は維持が限界だ。それこそ昔なら、永遠に続く苦しみから早く解放してやるのが唯一の救いだったぐらい、どうしようもなかった不治の病だ」

 

 人外の生き物がたくさんおり、魔法や奇跡の業だって溢れるこの世界でも、治すことができない不治の病。もし神様が生きていたら治療の目途だって立ったかもしれないけど、それを望むことはできない。俺の表情が暗くなったことに気づいたのか、アザゼル先生は俺の頭に手を置いて慰めるように撫でた。

 

「そう落ち込むな。俺が現在研究しているのは、その病をなんとかするための解呪に関する術式でな。神器の中を弄るのが難しいのなら外付けの回路を作って、代わりに神器を制御する緩衝術式を挿むことで阻害している面を弱める研究、ってやつをやっているんだ」

「じゃあ、それが完成したら助かるんですか?」

「……神器は使えないだろうが、普通の生活ならできるかもしれん。もっとも、まだまだ完成には程遠い理論だし、これで助かるのは比較的症状が軽いやつらだけだろうな。残念ながら、魂にまで悪影響を受けてしまっている場合は、今の技術では延命すら難しい現状さ」

「…………」

 

 いつも自信満々に告げるアザゼル先生の声が、この話に関しては重く感じる。それだけ、彼も自分の力ではどうすることもできない現状に悩んでいるのだろう。この世界で神器について最も研究しているのは、アザゼル先生だ。その彼が助けられないと言うのだから、何も知らない俺に何かを言える術はない。彼の研究が少しでも早く実を結ぶのを祈ることしかできないのだろう。

 

 そして先生の話を聞いて、思い出したことがある。原作で足が速くなる神器を持って生まれた子どもが、抵抗力が低いために足が動かせず、車椅子で生活しているという話があったことを。確か三大勢力での同盟が成立し、お互いの技術を交流させたことで、その子の足を治せるまでに先生が研究を進めた、ってあやふやだけど記憶している。きっと今アザゼル先生が考えている理論こそが、その前身となるのだと感じた。

 

「あの、例えばですけど。俺の『概念消滅』で、その人達の神器が放つオーラを消したりとかはできませんか…?」

「カナタ、お前が気に病む必要はねぇし、罪悪感を覚える必要もない。これは、もうどうしようもないことなんだ。お前の力で一時的にオーラは消せるかもしれないが、一生そいつの面倒を見るつもりか? それに神器と魂は繋がっているから、根本をどうにかしない限り、命が削られていくのを止めることはできないだろう」

 

 俺が咄嗟の思い付きで話しても、先生は仕方がなさそうに笑うだけだった。俺を納得させるように、一つひとつ説明してくれる姿は、聞き分けのない生徒を厳しく諭す先生そのものだ。それがわかったからこそ、俺は口を閉ざすしかない。先生が言うことは、もっともなことだ。ただの憐みの感情だけで、見知らぬ他人のために一生をかけることなんて出来ない。

 

 たぶんだけど、俺が神器の抵抗力に関して感傷的になってしまったのは、悲しさと悔しさがあったからなんだと思う。俺は神器を持っていたことで救われた人間だから。これまで何度も神器と「対話」し、一緒に関係を築いてきた自負がある。だからこそ、神器を持って生まれたことで不幸になってしまった人がいても、いつか神器と向き合うことが出来るんじゃないかって前向きに考えることができた。

 

 でも、彼らは神器を持ってしまったからこそ救われない人間なのだ。それはあまりにも理不尽であり、残酷な運命でしかない。そんなの神器と向き合う以前の問題だ。絶対的な死を前にすれば、神器を持って生まれたことに嘆き、恨むしか道がないじゃないか。俺が今まで感じてきた相棒への信頼や願いなんて、彼らにとっては無意味なものでしかない。それが、きっと悲しいと思ったんだろうな。

 

 聖書の神様は、どうして神器を人間に送ったのだろうか。答えのない問いなのはわかっているけど、せめて神器システムを後世のために繋げることはできなかったのかな。すごい神様だって言うのなら、ちゃんと救いのあるシステムを組んどいて欲しかったよ。そうしたら、こんなにももやもやしないで済んだだろうに。

 

 

「お前はお前に出来る範囲で、やれることをやればいいんだよ。それにこいつに関しては、俺が一番なんとかできる可能性が高いだろう。やるだけ手は尽くしてみせるさ」

「……はい、先生」

「よし、しんみりした話はこれでしめぇだ。ほれ、この部屋が目的地だぞ」

 

 先ほどまでの真剣な表情から、にやりと楽し気に笑う先生に俺も頷きを返した。この話はここでおしまいということなんだろう。それに異議を唱えるつもりはない。先生の指示に従って神器を左の手の中に呼び出し、暫くの間準備を待つことになった。

 

「カナタ、同調検査用の器具をセットするからそこの椅子に座ってくれ」

「あっ、わかりました」

 

 憂鬱になっていた気分を入れ替るために、俺も軽く自分の頬を手で叩いておく。それからアザゼル先生から言われたとおりに椅子へ座ると、頭を覆うヘルメットみたいなものが付けられ、心臓に近い位置に聴診器のような機械が取り付けられる。さらに右手の中指の先を洗濯ばさみのような機械が覆い、圧迫感からかドクドクと血液が流れる感覚を感じた。

 

「まずは普段通り、神器に自分の意識を通してみろ。それから、神器のオーラを全身へ巡る様に纏ってみな」

「えっと、感知をやっているような感覚と同じで大丈夫ですか?」

「おう、それで問題ない」

 

 それなら難しいことは何もないな。いつものように神器に意識を溶け込ませようと、ゆっくりと目を瞑る。相棒を通して世界を感じることで、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのがわかる。アザゼル先生の纏うオーラやこの部屋の内装、それこそ廊下や遠く離れた部屋の気配だって手に取る様に理解できた。

 

 仙術もどきの力で、この世界に流れるオーラってものを感じる様になれた時から、感覚だけじゃなくて命の流れも含めて見える様になった世界。堕天使の研究所は機械類ばっかりだし、精密器具がたくさんあるからか小さな生き物の気配すら感じず、清潔に気をつけられているのがわかる。そんなことをのんびり考えながら、ゆったりとこの時間を過ごした。

 

「……これは」

 

 そんな時、感覚を研ぎ澄ませていたおかげか、本当に小さな呟きを耳が拾った。その発信源は俺以外なら、アザゼル先生しかいない。オーラの揺らめきから、彼の感情に変化があったことに気づく。メフィスト様と同様に、ラスボスクラスである先生は自分の思考を悟られないように、オーラも含めて読心術が使われないように意識して気を付けている。その彼のオーラが揺らいだ。

 

「……先生、どうかしましたか?」

「悪い、気を逸らさせてしまったか。検査結果は今ので十分取れた。お疲れさん、少し待っていてくれ」

「は、はぁ…」

 

 俺の問いかけに応える先生の声は、少し固い気がする。俺と相棒の同調率を調べていたらしい機械の結果を何度も先生は確認し、大量の魔法陣なんかも一緒に起動させて情報を整理しているようだった。それに少し不安を覚える。たぶん先生の中でまとめ作業に入っているのだろうから、それが終わるまで大人しく待った方がいいのだろう。

 

 それから数分ほど待っていた俺に、アザゼル先生は眉間に皺を少し寄せながら印刷された書類と一緒にやってきた。それになんだか緊張したが、一度深呼吸をして落ち着くように努め、姿勢を正しておいた。

 

 

「……ふぅ、待たせたな。一応だが結果は出た」

「えっと、大丈夫です。あの、もしかして何かあったんですか?」

「あったといえばあったが、これが何を意味しているのかはまだ判断がつかないってところだよ」

 

 それって、どういう意味だ? 訝し気な俺の顔に先生は小さく笑うと、手に持っていた書類を俺に見せてくれた。そこにあったのは、何かのグラフだった。右と左に同じような振れ幅の波が映っていて、違いがほとんどない。さらに色もよく似ている。左の方は明るいオレンジに淡い赤色のグラデーションが入っているけど、右の方は綺麗な(あか)色だ。二つを比べている数値なんかも、なんだかよく似ているような気がした。

 

「さっきお前が自分の神器のオーラを意識できていないことを俺は鈍いって思っていたが、訂正しておく。お前は意識をしていなかったんじゃなくて、――意識が出来なくて当然だったんだ」

「意識が出来ない?」

「左のグラフはお前自身のオーラで、右のグラフがお前の神器のオーラだ。ほとんど同じだろう? それこそまるで双子みたいに、『同一の存在』と認識してもおかしくないぐらいに似すぎている。これじゃあ、自分のオーラと勘違いしても仕方がないぐらいだ」

 

 アザゼル先生から告げられた内容が、一瞬理解できなかった。『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』は俺の神器だし、もう一人の自分的な気持ちで接してきた。一生を共にすることになる相棒だけど、それでも元々は俺と全く違う別の存在なのだ。もう一度俺は改めて書類を見比べてみると、周波数も波の高さも少しぐらいしか違いがない。偶然俺と相棒のオーラが似ていた、ということなんだろうか。

 

「……カナタ、一年前にお前のオーラ量を測定するために、実験したことを覚えているか? その実験データをもとに、お前へ制御用の腕輪を渡したはずだ」

「確か人形の中の光力を消す実験でしたよね。はい、覚えています」

「一年前のデータが残っていた。結論として、お前と神器のオーラが似ているのは偶然じゃない。お前のオーラは元々オレンジ色しかなく、周波数や波も違っていた。つまり、お前自身が神器のオーラにだんだんと近づいていることがわかった」

 

 神器の存在に近づいている。まるで俺と相棒が、一つの存在になっていくように変わっている。それに一瞬、震えのようなものが起きた。ぐるぐると回る思考に、煩いぐらいに鳴っていると感じる心臓の音。さすがに能天気だと言われ慣れてきた俺でも、これがどれだけ異常なのか理解できた。

 

 俺と相棒の同調率が高かったのは、この検査結果の通りにオーラの質が少しずつ似てきたからなのだろう。そういえばいつからか、相棒の思念が俺にはよくわかるようになっていた気がする。相棒のオーラをもっと身近に感じ取れるようになったのだって、何かきっかけがあったような……。

 

『新たな式よ生まれろ、――法則の書き換え(リライト)!』

 

 ……思い出した。あの時だ。クレーリアさんを助けるために『書き換え(リライト)』を創り出したあの瞬間。何かが嵌まったような感覚を俺は確かに覚えた。確信はない。だけど、あの瞬間に感じた相棒のオーラを、俺は記憶している。たぶんあの時に、俺の中で何かが書き換わり始めた。そんな気がする。

 

 それに驚きと困惑が浮かぶが、でも俺自身は今までこのことに気づかなかったし、特に変化も感じなかった。俺の意思や思考だって、何も変わっていないと思う。俺には前世の記憶がある。だから、今世の俺を客観的に眺める視点を持っていた。この一年間を振り返っても、俺の行動に特に違和感はない。

 

 間違いなく、俺は俺の意思で考え、自分の足で選んで歩いてきた。オーラに関してはわからないけど、少なくとも神器が俺の思考や行動に対して干渉はしていないような直感は働いた。

 

「普通、オーラっていうのは早々変わるもんじゃない。超常のオーラの影響を受けて変質することはあるが、その場合影響を受けた人間の心身や魂にも大きく作用する。それこそ、人格や感性が歪むほどにな。だがお前の神器の場合は、カナタに悪影響を与えないように配慮しながら、少しずつ時間をかけて変質させているような感じにもみえた」

「相棒がですか?」

「そうだ。だがさっきも言ったが、何故かは判断がつかない。何のために書き換えているのかもな。だが、以前話したと思うが、神器を使いこなすためには己の持つ神器を理解し、力を受け入れ、一体化を果たすことで深奥へと至ることが重要だと言ったはずだろう。神器のオーラと限りなく近くなっているお前なら、さらに深いところまで潜り込むことが出来る様になるかもしれん」

 

 アザゼル先生の言葉を聞きながら、俺は左手に持つ相棒へと目を向ける。今まで俺の問いかけや疑問に思念を返してくれたことはあっても、神器から俺に何かアクションを起こすことはなかった。だから、相棒が何を考えているのかはわからない。ラヴィニアが言っていたように神器が宿主の存在を乗っ取ろうとしているのか、いつものようにただ助けてくれているだけなのかも。

 

 俺は相棒を信じたい。信じるって決めている。だけど、知らない内に少しずつ自分が変えられていることに恐怖心もある。今まで俺のために頑張ってくれていた相棒を疑いたくなんてない。きっと俺のためにやってくれていることなんだろう、って思いたい。大丈夫だって笑って、当たり前のようにこれからも信じていいんだっていう確信が欲しい。

 

 

『……なぁ、相棒』

 

 いつものように、心の中で問いかける。そっと目を瞑り、気持ちを落ち着かせようと息を吐く。俺に対して思念でしか伝えられない相棒から、明確な答えが返ってくることはないだろう。それでも、今だけは、今だけは相棒の想いがちゃんと聞きたい。相棒に意思があるというのなら、その声を聴きたい。

 

『信じていいんだよな。これからも相棒は、俺とずっと一緒にいてくれるんだよな?』

 

 少しでも相棒に聞こえる様に意識を同調させ、神器のオーラが全身に巡る感覚を覚えながら、俺の意思は深く沈み込む。俺がやっていることは、ただの懇願だろう。相棒に返事が難しいことも、頭の中ではわかっている。だからこれは、ただの確認のための作業とも思えるだろう。少しでも自分が安心できるように。

 

 相棒に問いかけることで、いつものように自分の気持ちを整理するための問いかけ。相棒もそれをわかっているだろうから、きっと「心配しなくて大丈夫」という感じの温かい思念が届き、頭の中に紅く優しい光が通るのだろう。本当は答えが欲しいけど、今はそれだけでもいいから反応が欲しかった。

 

 そう考えていた。何も疑問に感じることなく、それが当たり前のように。だけど、一つだけ今まで相棒へ感じてきた認識の中で、大きな違いがあったことを俺は意識していなかった。俺は数日前にアザゼル先生から、『神器システムの壁の向こうに自立した意思があること』を明確に知った。その認識がこれまで神器全体になんとなく向けていた思考を、『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)の奥にいる者』へ向けて強く働いたのだ。

 

 そして神器自身の願い。自身の声を強く求める宿主の想いに、過保護な相棒が何も感じないはずがない。俺に答えを返してあげたいと、せめて今だけはこの声を届けたいと祈りを籠めた。

 

 それが、きっと最後の鍵だったのだろう。

 

 

 

《――依木(よりき)の望むままに》

 

 魂の奥底からこだまするような、――(こえ)が聴こえた。

 

 


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