えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第九十八話 父親

 

 

 

「ふぅー…、こんな風にランニングトラックをずっと走るなんて、去年のマラソン大会ぶりかもなぁ…。距離は毎回十五キロと明らかに中学生にやらせるメニューじゃないけど」

 

 あれからグリゴリに訪れて、すでに数日が経過した。今日も俺は、バラキエルさんから課せられた修行メニューをこなすために、こぼれる息を上手く調整しながら、一人静かに走り込んでいる。これでも体力をつけるために小学生の頃からずっと走り込んでいたので、ちょっときついが走り切れない距離じゃない。協会で正臣さんとも、よく一緒に走っていたからな。

 

 ただ、さすがに十キロを過ぎたあたりからつい独り言を口にしてしまう。ずっと同じところを一人で走るって、精神的になんだか疲れるのだ。早く終わらせようとして一定のペースを崩してしまうと、途端に足に来る負担が増してしまうため、じっくり確実に走り込むしかない。俺の身体能力が向上すれば、それだけ相棒への負担が減っていくし、能力の幅も広げられる。頑張るしかない。

 

 そうして、トラックを幾度も駆け回り、ようやく目標だった長距離を走り終える。途中、単純作業故に何度か頭の中で相棒に話しかけて、集中しなさいと注意をされながらもなんだかんだで付き合ってもらい、無事に達成することができた。さすがに距離が距離だったから、毎度の如く汗だくになってしまう。俺は乱れた呼吸をゆっくり整えながら、その場に座り込んで水分補給を行っておく。あぁー、身体に水が沁み渡るぜぇ…。

 

「うむ、無事に走り終えたようだな」

「あっ、バラキエルさん。少し休憩したら、今回もいつも通りのメニューですか?」

「縄跳びを使った上下運動、次に反復横跳び、壁登りだな。お前の場合、基礎がそれなりにできているため、それほど時間をかけずにこなせるだろう」

「わかりました」

 

 座り込んでいた俺に、冷えたタオルを渡してくれたバラキエルさん。すごくありがたい。バラキエルさんの訓練って、堅実且つ一切の妥協とかはなしで厳しいけど、こういう気配りが非常に助かるのだ。水分補給もこまめに注意してくれるし、こちらの限界をしっかり見極めてくれるし、訓練を急かすことなく的確なアドバイスをくれるしで、まさに理想の教官って感じである。堕天使の幹部として、多くの部下をその手で育ててきた実績が窺えた。

 

 朝の基礎訓練の時間は、バラキエルさんと二人きりであることが多い。ここ数日一緒にいたおかげで、それなりに打ち解けることは出来てきたと思う。一見、背も高く怖そうな空気が漂ってくるし、プレッシャーを感じることもあるけど、初対面が初対面だったおかげか肩の力をほどほどに抜くことが出来ただろう。ある意味で、あの衝撃の初めましては、結果的によかったのかもしれない。

 

 訓練は大変だが、何事にも大切なのは、体力や瞬発力をつけることだからな。それから言われた通りに縄跳びのトレーニングを始め、ぴょんぴょんと規則的に跳び続けていく。時々、バラキエルさんからアドバイスをもらい、すぐに修正を加えながら黙々と行った。その後の反復横跳びは普段やらない動きな分、無駄な動きが多かったようで体力の消耗が激しい。壁登りはリアル赤帽子のおじさんジャンプの気分を味わいながら、僅かな足場を使って重心の取り方に気を付けた。

 

「…………」

「ん、どうかしましたか?」

「いや、すまん。お前ぐらいの子どもを指導するのは、何分久しぶりでな。私自身、口下手で……表情を作るのが不得手な自覚がある。戦士の育成なら遠慮はしないのだが、昔はそれでよく怖がられてな」

「あぁー」

 

 じっと俺の方に目を向ける教官に首を傾げたが、その理由にちょっと納得してしまった。確かに傍から見たら、無口で無表情なバラキエルさんの態度は、怒っている様に感じても仕方がない。ただそこに立っているだけで、強者が放つオーラに肌が粟立ってくる。あの鋭い眼光で見られたら、緊張だってしてしまうだろう。大人でもビクビクしそうなのに、それが俺と同じ年ぐらいなら余計にそう思ってしまうのかもしれない。

 

「俺は大丈夫ですよ。バラキエルさんぐらい背が高くて、威圧感のある友達がいるので慣れていますから。それに周りが強者ばかりな所為か、仙術もどきを使って相手のオーラを受け流すのは得意なんですよ」

「そうか…」

「はい、それにバラキエルさんの指導はわかりやすいですし、負担をかけないように俺のことを気遣ってくれているのもわかりますしね。心配して下さって、ありがとうございます」

 

 普段忙しいはずの幹部であるバラキエルさんがこうして俺についてくれるのは、アザゼル先生の好意だとわかっている。迷惑になっていないか少し気にしていたけど、ここ最近ずっと外の任務ばかりだったから、内側の任務をこうして回してくれたのはありがたかったらしい。さすがに幹部だと休暇一つ取るのも大変らしく、むしろ今回のように時間が決まった正規の仕事という扱いの方が、スケジュールの管理もしやすいみたい。

 

 二日目以降は訓練が終わって俺が部屋に戻ったら、すぐに帰宅できると珍しく目尻を下げていた。武闘派である彼は、事務仕事より堕天使的な営業仕事を担当しているため、休みや帰宅が不定期なのは当たり前。いつもはなかなか帰れない任務が多い中、定時で帰れる俺の護衛という仕事は彼にとって息抜きにもなっているらしい。もしかしたら、アザゼル先生がバラキエルさんに仕事を回したのもそれが理由の一つなのかもしれないな。

 

 バラキエルさんがどこに帰っているのかは教えられていないけど、原作知識からたぶん家族の下に帰っているのだろうと推測出来た。そうだとしたら、俺の護衛が家族サービスの時間に当てられていると思えば、ちょっと気は楽になる。イッセーくんが小学校に入学した頃だから、一つ年上の朱乃さんだってまだまだ幼い。奥さんとのSMプレイも、きっと盛り上がっていることだろう。

 

 

「はぁー、全部終わったぁー」

「少し休憩を挿んだら、私との手合わせを行うぞ」

「……制限時間とセット数は?」

「三分を四セット」

「うえぇ……」

 

 昨日よりも三十秒さらに延ばされた。きつい。泣きそう。カップラーメンが出来上がる時間で、俺は何回死線を潜り抜けることになるのだろうか。俺が行うバラキエルさんとの手合わせは、簡単に言ってしまえば逃げゲーだ。制限時間が来るまでに彼の攻撃をひたすら回避し、いなし、とにかく逃げ回る。近・中・遠距離全ての攻撃を織り交ぜてくるため、一歩でも足を止めたら文字通りハチの巣にされる衝撃を喰らうのだ。

 

 最初の一セット目なら体力は持つが、セット数がかさむほど集中力は途切れ、消耗は当然激しくなる。戦闘は、常に万全な状態で挑めるとは限らない。連戦や消耗戦を仕掛けられたり、体調が悪い時に襲ってきたり、敵はこちらを倒すためにあらゆる手を使ってくる。敵がこちらの準備を待ってくれるなんて、普通はありえないのだから。

 

「お前に必要なのは戦う力ではなく、最後まで生き残る力だ。敵を倒すのは、味方に任せればいい。お前が立ってさえいれば、味方は何度でも立て直すチャンスを得られる。逆にお前が先に倒された場合は、それだけ味方の損害は大きくなると思え」

「サポートタイプは、チームを支える要だからですよね。そして、それ故に敵から真っ先に狙われやすい」

「その通りだ」

 

 最初に手合わせを行う時にも、バラキエルさんから教わったことだ。俺に必要なのは、敵を倒すパワーではなく、敵に倒されないようにするためのテクニックを磨くこと。先生が『感知』の修行を優先的にやらせていたのは、不意打ちや敵の攻撃で俺が真っ先に沈む危険性を減らすためでもある。アーシアさんはファーブニルと契約することで、召喚術による防御を得ていた。俺にもリンがいるけど、まだまだ幼竜だしな。必然的に、俺が頑張るしか今のところないのである。

 

 正直ものすごく辛いけど、必要性はわかっているし、文句を言っても絶対に梃子でも曲げてくれないだろうことは言わなくてもわかる。武人気質のバラキエルさんは、自分が口にしたことは決して曲げることはない。そういうところは、タンニーンさんと似ているかも。あのドラゴン様も、やると口にしたら必ずやるからな。そんな恐ろしいところは、同じじゃなくていいのに…。

 

 とりあえず、今は床に大の字で転がって大人しく体力の回復に努める。休める時に休むのも大切な訓練だ。多少楽になったら上半身を上げて、軽くストレッチをして身体の筋を解しておく。柔軟体操をしっかりしておかないと、筋肉痛が大変なのだ。相棒の能力で痛覚はなんとかできるけど、自分で対処できるところはやっておくべきだろう。

 

「んー、手合わせのやる気を少しでも上げるためにも、っと。バラキエルさん、今日のお昼ご飯はちなみに何でしょうか?」

「筑前煮だ」

「おっ、やった! これはおいしくご飯を食べるためにも頑張らないと」

 

 手合わせが終わる頃には、ちょうどお昼時になる。そして、冥界に来てからずっと日本食欠乏症だった俺は、シェムハザさんの好意で日本食を用意してもらって以降、お昼ご飯はわざわざ用意してくれることになったのだ。さすがに最初は迷惑だからと断ったんだけど、バラキエルさんが「私も昼に和食が食べたくてな」と少し恥ずかしそうに告げ、おいしい日本食の伝手があるからと持ってきてもらえるようになったのだ。

 

 そしてこれが、本当においしいのである。絶妙な味付けに、ご飯が何杯も進む。昨日のだし巻き卵も絶品だったし、グリゴリに来てよかったと思えるエピソードは、間違いなくこのお昼ご飯の時間だろう。時々料理の感想をバラキエルさんに聞かれるので、手作りなのは間違いない。彼も食事をする時は、普段の仏頂面が崩れるぐらいご飯をかき込んで味わって食べているから、誰が作ったものなのかはなんとなく想像できた。

 

「いつも作っていただいてありがとうございます、と今日も伝えてもらっていいですか?」

「あぁ、わかった。あと、……明日は何かリクエストがあるならば作る、と聞いている」

「本当ですかっ!? えー、何がいいかな。絶対に何でもおいしいよなぁ…。ちなみに、バラキエルさんがお勧めする料理ってありますか?」

「全てだ」

 

 真顔で答えられた。このヒトも、愛に生きるヒトだよね。

 

「じゃあ、ここは和食の定番料理の一つ、炊き込みご飯で!」

「ほぉ、さすがは日本人だな。なかなかよくわかっている」

「炊き込みご飯なら、多少冷めていてもおいしいですし、持ち運びも楽ですからね」

「この時期なら、梅やトウモロコシ、鮎や生姜も美味いだろう」

「くっ、定番の五目炊き込み御飯も捨てがたいが、旬の食材を盛り込んだものもすごく気になる。俺はいったいどれを選べばいいんだっ……!」

 

 どれも美味いぞ、とボソッと言われる。さすがは和食通、羨ましい限りです。しばらく一緒にいたおかげか、バラキエルさんの口数が多くなるワードはだいたいわかるようになった。この教官様は基本無駄話をしないため、必要なこと以外は本当に口数が少ない。沈黙が嫌いって訳じゃないけど、せっかくならコミュニケーションを取りたいとは思う。

 

 あと彼と話をする際、踏み込んではいけない線引きには気を付けている。お昼ご飯を作っているのは誰かとか、バラキエルさんがどこに帰っているのかとか。あえてそういう部分を不自然ではあるだろうけど一切触れず、掘り返したりはしない。聞いても答えは返ってこないだろうし、気まずくなるだけだ。原作で知っているからではなく、触れてはいけない境界線だと理解できる。

 

 このあたりは、ラヴィニアとずっと一緒にいたからか、聞かれたくない空気が多少は読めた。バラキエルさんも、俺がそのあたりの境界線に触れないとわかってくれたのか、こうやって自然体で会話を続けてくれる。一度だけ「気を遣わせてしまって、すまない」と謝られたことはあったけど、頷きだけは返しておいた。

 

 

「奏太……だったな。少し気になっていたのだが…。日本には古くから続く異能の家系が多い。お前が魔法使いになったことや、堕天使と懇意になることに不都合なことはないか?」

「えっ、いやいや俺は普通の一般人ですから。特別な血筋とか全くないので、そういう(しがらみ)みたいなのは特にありませんよ。家族もみんな一般人で、普通に過ごしていますし」

「家族か…。一般人なら、心配しているんじゃないか?」

「えっと、夏休みはこっちに来るって去年から決めていたので、ちゃんと事前に話はしましたし、親戚の家にはGW中に挨拶へ行っておきましたから。両親は共働きで、姉ちゃんも部活の大会で忙しいので、思い思いに頑張っていると思います」

 

 バラキエルさんの口から、俺のことについて聞かれるとは思っていなくて、少し面を喰らってしまう。ただ、彼がどうしてこんなことを問いかけたのかが、なんとなく察することはできた。彼の言う通り、日本には古くから国を守ってきたとされる異能者の血筋が存在する。そして、裏の世界にいるほとんどの日本人は、それらの家系出身の者が多いのだ。俺のような本当にただの一般人の方が、珍しいぐらいに。日本にある組織の多くは秘密主義で、異端者は排斥されたり、粛清されたり、とまさに鎖国レベルの徹底さである。

 

 メフィスト様が、日本人である俺の存在を公にしないのは、神器のこともあると思うけど、日本の組織を刺激しないためでもあるのだろう。日本人だからと一々気にされないかもしれないけど、一部過激な思考を持つ者も中にはいるため、配慮しておくことは賛成だ。俺も魔法使いの組織に所属しているため、日本の名家には近づかないように気を付けている。

 

 あと確か、堕天使の組織と日本の異能組織の仲が、ものすごく悪いと聞いている。悪魔や教会はそれなりに公平に話し合えるみたいだけど、堕天使に関してはかなり過激らしい。先生曰く、隠れ家的なものは日本にもいくつかあるみたいだが、駒王町やキリスト教会のように日本で公認されている土地は少ない。あっても、監視がつけられるらしい。理由は原作知識のおかげでわかっているけど、本当に蛇蝎の如く嫌われているんだな…。

 

 原作では和平後、関東に堕天使の研究施設を作ったりしていたから、日本の組織とも少しは和解できたんだろうけど、原作までに何かきっかけでもあったのかな。朱乃さんの過去はある程度わかっているけど、そのあたりの描写はなかった。日本の姫島家との間に確執を作ってしまったバラキエルさんだからこそ、日本人である俺を心配してくれたんだろう。

 

「それに、先生というか、堕天使の皆さんと懇意にしているのは表向き隠していますし。大丈夫ですよ」

「そうか。……帰ったら、家族にはちゃんと元気な顔を見せるんだぞ。いつだって親は、子どもが心配なものだ」

「はい」

 

 ちょっと照れくさいけど、しっかり返事をしておく。彼の言葉を素直に聴こうと思えるのは、きっと彼が父親だからなのだろう。他のヒトに子ども扱いされるとちょっと反発心が起こることもあるけど、バラキエルさんやタンニーンさんの言葉は不思議と説得力がある。メフィスト様はおじいちゃんみたいな感じだけど。こういうところは、やはり父親の威厳というか、貫禄があるのかもしれない。

 

 それから短いながらも会話を続けた後、身体を伸ばして頭を切り替え、バラキエルさんとの手合わせの準備を行っておく。今日はどれぐらい動けるのかは不明だが、なんとか食らいついていくしかないだろう。俺は相棒を呼び出し、調子を確かめるためにくるくると数度回した後、真っ直ぐに切っ先を構えたのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 上級悪魔の領土の中でも自然保護区が多く、美しい景観が臨めるとされるシトリー領。大自然に恵まれた領土は、その息吹を肌で感じたいと訪れる観光客や、ゆっくり休養を取りたいと足を運ぶ者が後を絶たない。そして、その豊かな土地を利用して作られた医療施設は、冥界でも最先端とされ、名立たる病院がいくつも存在する。その内の一つである病院で、銀色の魔術師は渋面を隠すことなく医師からの話に頷きを返すしかなかった。

 

「多少の発作を和らげる薬なら、用意できると思います。しかし、かなり副作用も強く、長く投与をし続けるのは危険でしょう。それに、薬に対する抵抗力ができてしまうと、途端に効き目も薄くなってしまうかと…」

「他に、神器に関する医療を行っている病院はありますか?」

「……残念ながら、私は存じません。他の病院も同じような処置しかできないでしょう。こう申しては医者として心苦しいのですが、悪魔は神器の研究に対してあまり意欲的ではないのです。そのため、その分野の発展は他陣営に比べてもかなり遅いものであるかと」

 

 レーティングゲームの第七位であり、冥界に名の知れる最上級悪魔――リュディガー・ローゼンクロイツ。彼は待望の息子が産まれた喜びを味わってすぐ、己ではどうすることもできない絶望を突きつけられた。彼の息子に下された診断は、神器の神秘のオーラに対する抵抗力の低さが、心身を蝕むという不治の病。リュディガーはすぐさま、持てる知識や人脈を駆使し、あらゆる情報をかき集めるために奔走してきた。

 

 そうして、わかった事の一つとして、自分の息子の症状は神器症の中でも、かなり重篤なものであったことだ。神器の機能不全によって、身体障害を起こし、腕や足などの一部の機能が使えなくなる症状はいくつかある。しかしその場合は、まだ命の危険が低い部類らしいことが調べた結果わかった。だが、息子のように部位ではなく、身体全体に影響がある症状の場合、その多くの命は長生きできなかった。

 

 リュディガーは我が子へ、ありとあらゆる魔術の神秘を施し、延命の処置を試みた。『薔薇十字団(ローゼン・クロイツァー)』にある技術や、主であるマモン家前当主に頭を下げ、その眷属である同僚達にも声をかける。しかし、返ってくる言葉は残酷な現実を知らせるものばかりだった。

 

 悪魔側が神器症に関する研究を進めていない理由は、リュディガーも遺憾ながら理解できた。教会は聖書の神が創った神器を持つ所有者を保護する名目があるため、それらの研究が行われている可能性は高いだろう。神器研究に意欲的な堕天使陣営も同様である。しかし、悪魔側は神器を持つ人間を眷属として扱いたいという欲はあっても、神器症を発症しているような『欠陥者』を欲しがることはないのだ。

 

 悪魔の駒には限りがある。さらに言えば、人間のみが神器を持って生まれる関係で、ハーフ悪魔でなければ当事者になることはほとんどない。転生悪魔の子どもは悪魔として次世代を残すことになるので、神器を持って生まれることはまずないのだ。つまり、研究をしても需要が少ないのである。合理主義である悪魔としては、多数を救う医療を伸ばし、少数しか事例がない神器の研究を切り捨てた背景があった。

 

 神器の研究を行っている少数派の派閥はあれど、リュディガーが望むほどの結果は期待できないだろう。それどころか、悪魔陣営ではなく、教会や堕天使陣営の方がよっぽど有意義な情報を得られるかもしれない。しかし、それを実現するのが困難であることは百も承知であった。悪魔の駒で転生した悪魔の身で、他の陣営にコンタクトを取れば、裏切り者と思われても仕方がない。それこそ、戦争に発展する危険性から、軽率な行動もできなかった。

 

 

「ローゼンクロイツ殿」

「……ディハウザーか。すまないな、レヴィアタン様にわざわざ連絡を取ってもらって」

「構いませんよ。セラフォルー様も、他に伝手がないか探してくれるそうです。サーゼクス様の方でも、眷属であるメイザース殿が『黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)』の方に、炎駒殿が昔の伝手から『東洋の神獣達』に窺ってくれるそうです。ベルゼブブ様からも、いくつか心当たりを探してみると聞いています」

「そ、そうか…」

 

 医者との話が終わり、魔術師は袋小路に陥った今の現状に項垂れるしかない。どれだけ手を考え模索しても、希望の光すら一筋も見えない。魔法使い達や悪魔側の協力で、人間と悪魔の世界での伝手は手に入れられた。しかし、少しずつ手に入れられる情報の限界が近づいてきていることを嫌でも実感してしまうのだ。

 

 そんな病室の椅子にかけていたリュディガーの下へ、深めに帽子をかぶった男性が近づく。灰色の髪と瞳を持つ最上級悪魔――ディハウザー・ベリアル。自分が有名人であることを理解しているため、病院で騒ぎを起こさないために変装をして訪れた彼は、友の沈痛な様子に唇を噛みしめる。少しでも希望が持てるように、ディハウザーは一つひとつ言葉を探しながら報告を行っていく。リュディガーが頼った人脈の中で、誰よりも率先して動いてくれたのは皇帝であっただろう。

 

 ディハウザーは、レーティングゲームの皇帝であり、純血の悪魔貴族である。今までのゲームやストライキで得られた繋がりや、貴族悪魔だからこそ取れる手立てを用い、リュディガーの助けになろうと協力を惜しまなかった。彼にとってリュディガーは、半年前の冥界大騒動を共に乗り越え、レーティングゲームを変えていこうと手を組んだ同士。改革のためだけでなく、友の助けになりたいと思ったのだ。

 

 という訳で、ディハウザーはその人脈をフルに使って遠慮なく周りに連絡を取りまくった。半年前にはっちゃけたおかげもあり、あと奏太理論である「迷惑はかけてしまうけど、どうしても必要だから後でちゃんとお礼を返せるように頑張る理論」の下、魔王含むあらゆるところへ助けを求めたのである。リュディガーは皇帝の行動力に感謝すると同時に、ちょっと戦慄していた。

 

「それで、お医者様の方からは?」

「……やはり、手立てと呼べるほどのものはないらしい。一時的に発作を抑えるのが、精一杯だろうと」

「息子さんの容態は?」

「今は落ち着いている。出来る限りだが、簡易的な封印処置を行うことはできた。だが、日に日に身体が蝕まれるのを止めるのは無理だろう」

 

 おそらく息子が、十歳を超えることはない。それこそ、更に余命が少ない可能性もある。医者からも、魔法使いからも、悪魔の研究者からも、寸分違わず言われた命の刻限。神器を生きたまま取り出すことは不可能であり、完全に封印する方法も死の危険性が孕む。投薬で発作を抑え、騙し騙し延命を続けていくしか手立てがなかった。

 

 リュディガーは、息子の名を『リーベ・ローゼンクロイツ』と名付けた。ドイツ語で『愛』を意味し、ようやく得られた我が子へ出来る限りのことをしよう、と妻と話し合って誓った名だ。まだ産まれて数日であり、環境の変化による悪化を防ぐために、しばらくは人間界の病室で妻と共に過ごすことになっている。

 

「ディハウザー、本当にすまない。レーティングゲームを変えていこうとする、大切な時に…」

「気にしないでください。それに半年前は、私の家族を救ってくれたんです。なら今度は私が、ローゼンクロイツ殿の家族を救う手助けをする番なだけですよ」

 

 ストライキの最中に聞いた、リュディガーが心に秘めていた夢。『我が子に「私はレーティングゲームのプロプレイヤーなんだ」と誇りを持って言いたい』と語っていた眩し気な姿。それは今でも、ディハウザーの中で強く残っている。故に、迷いも怖気も一切ない。皇帝ベリアルとして、みんなの夢を背負うヒーローになると決めたのだから。

 

 

「しかし悪魔側からだけでは、これ以上は難しいかもしれないですね…。教会や堕天使なら、何か知っているかもしれませんが」

 

 口にしながら、これが厳しい願いであることはわかる。魔王達が話していた和平案という希望はあるが、それが実現するのはいつになるのかは未だに不明なのだ。古き悪魔達を説得することの難しさ、堕天使や天使達の動向など、リュディガーの息子が生きている間にそれが間に合うのか。それに、神器症は不治の病とまで言われているのだ。治せる保証はない可能性もあった。

 

「……可能かはわからないが、もしかしたら教会になら伝手をつくれるかもしれない」

「ローゼンクロイツ殿?」

「『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』。あそこは最大規模の魔術組織であり、元教会の人間すら受け入れている唯一の組織だ。それにあそこは中立の組織として、魔法の知識を得たいと願う一部の教会の者と裏で取引を行っているらしい、と耳にしたことがある」

「本当なんですか?」

「確証はない。所詮は魔術組織間で秘かに流れる、根も葉もない噂だ。ただあそこの理事長なら、あり得なくはないだろうってだけさ。それにあの方なら、別の切り口を持っているかもしれない。半年前、教会側の後始末の手際の良さを見るに、おそらく例のエクソシスト達と何かしらの密約を交わした可能性も考えられる。少しでも手があるのなら、いくらでも対価は用意するつもりさ」

 

 リュディガーは皇帝にも頼み、あえて『灰色の魔術師』にはまだ連絡を入れないで欲しいと告げていた。本来なら最大規模の魔術組織であり、番外の悪魔(エキストラ・デーモン)であるメフィスト・フェレスと繋がりなど持てるはずがない。しかし、『偶然』にもその組織に所属している一人の人間と彼らは懇意にしていたため、僅かながらであるが関わりを持つことが出来たのだ。

 

 『灰色の魔術師』への連絡を遅らせた理由に関しても、その一人の少年のことが気にかかったからである。おそらくあの少年の性格なら、リュディガーの子どものことを知れば、全面的に協力しようと動くだろうと簡単に推測できてしまったからだ。冥界に変革の嵐を呼び、レーティングゲームを変えるきっかけをつくることができたのは、彼のおかげである。これ以上の好意をもらってしまうことに、さすがのリュディガーとて考えたのだ。

 

 しかし、今はもう他に手がない。今は世迷言にすら縋って、厚顔無恥であろうと頼み、少しでも足掻くしかないのだ。それにあの少年なら、予想外の伝手を持っている可能性だってある。今はメフィスト・フェレスの『女王』である魔龍聖の領地へ修行に行っているらしいと連絡は事前にもらっているので、彼が今回のことを知るのは夏休みが終わったぐらいの頃になるだろう。もちろん彼に頼るだけでなく、自分にできる全てを行うつもりだ。

 

 一人の父親として、我が子を救う。ただそれだけを胸に、リュディガーは拳を強く握りしめた。

 

 

 もしこの時、何か一つでも歯車が違っていたら。奏太が冥界へ修行に行っていなければ。リュディガーの子どものことをもっと早く知っていれば。メフィストが奏太の神器について、ディハウザーやリュディガーにすら情報を規制していなければ。アザゼルが奏太の神器の危うさをメフィストへもっと早く伝えていたならば。

 

 それらもしもは、『偶然』と片付けられてしまうものだっただろう。倉本奏太が冥界で築いた繋がりが、本来なら起こりえなかったはずの原作以上の繋がりを新たに作った。世界を進ませる歯車はまた少し形を変え、ゆっくりと流れを築いていくのであった。

 

 


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