ひとりひとりと、女神と人と。~改訂作業中~   作:M崎

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 ~Happy Birthday 希~

 どうも皆さま、お久しぶりです。M崎です。生きてます。

 さてifルート希誕生日編・前編です。
 あまりにも時間がなく、あまりにも長いので、前後編に分けました。
 そして都合上、後編は6月15日以降の投稿となります。本当に申し訳ございません!

 それでは前編、どうぞ。
 意外と始まりと終わりがシリアスで、話の進み方はだいぶゆっくりです。




幸福 ~μ's Birthday Edition Vol.8~ 前編

 2016年6月8日、午後7時23分。

 退屈そうに椅子で寝ていた神城柊哉(かみしろしゅうや)のもとに入って来たのは、1本の電話だった。

 

 「…ん、電話か…」

 

 プルルル、プルルルと音を鳴らす携帯に、柊哉は閉じていた目を開ける。

 どうやら暇を持て余してぼーっとしていたら本当に眠ってしまったようだ。

 時計の短針が最初見たときから4周ほど回転しているのを確認。

 気だるげに背もたれから身を起こして、うーんと大きく伸びをする。

 

 「あー…」

 

 ピントの合わなくてぼやけた視界に、梅雨空の薄黒い雲がご挨拶。

 それは水で薄めた墨のような、何とも暗く湿気た空だ。

 柊哉は目をこすりながら、心底うんざりしたように一つため息をつく。

 

 「…あーあ、降りだしちゃったよ…せっかく今日は晴れると思ったのに…」

 

 ここ最近ずっと雨続き。空を見る限り、つい先ほど降りだした雨のようだ。

 それも一時の大雨(スコール)ではなく、少なく長く降る、じとっとした雨模様。

 窓ガラスに打ち付けられた雨粒が涙のように流れていく。

 

 (うわー…)

 

 本当に憂鬱になる。

 モチベーションが晴れの日と全然違う。

 何もする気が起きない、何もしたくない。

 お天道様はそんなに泣き続けて苦しくはないのだろうかと疑問すら湧いてくる。

 

 だから雨は嫌いだ、と柊哉は目をこすった。

 大好きな曇り空が、途端に鬱陶しいものへと変貌するから。

 雲はもくもくと湧き出て日光を遮るだけでよいのだ。

 わざわざ街に水分を浴びせて、すべてを洗い流す必要性などないのだ。

 

 恨みがましく黒雲を睨んで、柊哉は小さく欠伸を漏らした。

 鳴りっぱなしの電話が、耳に痛い。

 

 (…そろそろ電話に出ないと不味いよな…)

 

 柊哉は机の上で飛び跳ねる携帯をひっつかんで、眠気に少し震える指で通話ボタンを押す。

 

 「…もしもし?」

 

 そして通話相手も確認せずに、さも業務連絡のように携帯を耳に当てた。

 どうせ慶佑(けいすけ)あたりが何かくだらないことで電話してきたに違いない。

 「メントスコーラやろうぜ」とかそういうノリだ。面倒極まりない。

 

 と、控えめに言って高をくくっていた柊哉は、―――直後。

 

 

 

 「―――…しゅう、やぁ…」

 

 

 

 「…おい、どうした?」

 

 意識を限界まで覚醒させた。

 即唸りを上げて回転し始める脳や骨髄も、どこか強張ったように緊張する筋肉や心音(こころね)も含めて、柊哉の全てを叩き起こした。

 

 それほどまでに、それは切羽詰まった感情のこもった声だった。

 

 目をカッと見開き、少し焦ったように電話へ声を出す。

 

 「どうした、おい?」

 「―――やっと、やっと出た…!柊哉ぁ…っ!」

 「…………………」

 

 しかし柊哉は、すぐにその焦りが鳴らす警鐘が大きすぎることに気づいた。

 

 (…絶対不味いことが起こったやつよな、これ…!)

 

 通話口の先の声は、雨と涙で濡れていた。

 まるで柊哉が電話に出るのを待ち望んでいたかのように。

 まるで何か良くないことが起こっているかのように。

 安堵と焦りに満ち満ちて、一層悲壮に、一層所在なさげだった。

 

 だからまず、柊哉は電話に出なかったことを謝った。

 

 「…出てやれなくてごめんな、絵里(えり)。ごめんな…」

 「…聞いて、柊哉」

 「………おう」

 「…いいえ、ここで話すより、先に来てもらったほうが、早いわね…」

 

 そして柊哉は声の意味を通話口の相手―――絵里に尋ねる。

 何故そんな辛そうな声を出す、と暗に問いかける。

 涙を流す美少女がいたら、男として、神城柊哉として、放っておくわけにはいかない。

 

 彼女はその声に、強く鋭く、端的に言葉を返して来た。

 

 「今すぐ来て、柊哉!!」

 「おーらい、すぐ行く。どこに行きゃいい?」

 「御茶ノ水駅の南口に私がいるわ!!」

 

 余程火急の用事なのだろう、いつもクールで頼もしい絵里の声に落ち着きがない。

 喋る時間も惜しいと言わんばかりの、少し潤んだ鼻声だ。

 普通ならあり得ないはずのその声に、柊哉は、

 

 「了解、10分で行く!」

 

 とすぐさま返し、家の扉を開け放った。

 通話状態のまま、家のカギを閉め、近くにある地下鉄の駅へと走り出す。

 

 急ぎの用事、と言われればこちらも出来るだけ急ぐのが礼儀というものだろう。

 可及的速やかに(ASAP)、という言葉の契約を破るわけにはいかない。

 

 「お願い、出来る限り早く来て!!」

 「わあってるよ」

 

 絵里の懇願に返事を返しながら、柊哉は自身の最高速で道を駆ける。

 先ほどまでの眠気なんてもう1ミリも残っていない。

 心中にあるのはただひとつの焦燥。

 「急がなければ」と思う気持ちが、全てのものの遅さ、自分の遅さに嫉妬し、柊哉の身を焦がす。

 

 ―――まして。

 

 

 

 「…(のぞみ)が―――(のぞみ)が、倒れたんだから…っ!!」

 

 

 

 ―――こんな哀しげで悲痛な絵里の声を聞いたのなら、尚更。

 

 

 

                    ★

 

 

 

 絵里(えり)によると。

 (のぞみ)は絵里と一緒に道を歩いていたら、突然ぶっ倒れたらしい。

 苦しげに胸を押さえたり、うめき声をあげたりなどの前兆もなく、唐突に。

 足を踏み出そうとして、そのまま倒れ込んだ。

 

 絵里が大声で呼びかけても反応がなく、それどころか徐々に顔色が悪くなっていったため、急遽絵里は救急車を要請し、希を病院へ運ばせたとのこと。

 脈はあったらしいが、それでも命に関わる危険な状態であったことは事実だ。

 

 (…あっぶねぇ…!!)

 

 柊哉は内心真っ青に震え上がる。

 

 正直一大事どころの話ではなかった。

 だいぶどころかすごく不味い話だった。

 もしあの電話を取ってなかったら…と思うと今更ながらにぞっとする。

 大切な人を失ってしまうところだったから。

 ワガママな話だが、自分の周りの人間は、誰一人として、欠けてほしくないから。

 

 だから柊哉は病院の廊下を全速力で走る。

 

 一刻も早く。

 一時も無駄にはせず。

 希に会って。

 大丈夫な姿を確認して。

 「良かった」って、心の底から言いたい。

 

 そうしないと、きっといつまで経っても、「安心」って言えない。

 

 運び込まれた病院は、以前何度もお世話になった西木野(にしきの)病院。

 今希の横には、偶然病院に立ち寄っていた真姫(まき)がいるらしい。

 柊哉は駐車場を高速で通過すると、病院の自動ドアにぶつかりながら1階ロビーへ走る。

 

 (…希はどこだよ…?)

 

 風通しが良く、どこか解放感の溢れる真新しい西木野病院のロビー。

 だが今となってはそのロビーの風景すらも凶兆に見えて仕方がない。

 

 キョロキョロと柊哉が辺りを見回していると、柊哉に追いついてきた絵里が、ある方向を指差した。

 

 「―――希は、あっちよ!…ついてきて!」

 

 それはエレベーターの方向でも、先生のいる診療室でもなかった。

 彼女のしなやかな指の向く先は、診療室のさらに奥、1階にある数少ない病室の方面に伸びる廊下の方向だった。

 柊哉はそれに頷きを返し、身を翻してそれについていく。

 絵里も焦っているのか、その歩みはもはや歩みではなく、駆け足だ。

 

 柊哉はただ、そんな絵里についていく。

 そうするしか出来ないというのもあるが、単純に、希に早く会いたいから。

 今ここで勝手に行動して、時間が露と消えるよりかは、大人しくしているほうが確実に希に会える。

 柊哉は半ば破綻した思考で、あるいはどこか「違えた」思想を抱いて、絵里の後ろを慎重に歩む。

 

 そうして進むこと2分ほど。

 「101号室」というプラカードがついた木製のドアの前で、絵里は唐突に止まった。

 どうやらここが希のいる病室らしい。

 そう思い立った柊哉は、途端ドアに得体の知れなさを感じて、身震いする。

 

 「―――ここが、希のいる病室よ」

 

 神妙な面持ちでドアノブを持つ絵里の手も、小さく小刻みに震えていた。

 彼女が抱いている気持ちは果たして同じなのだろうか。

 その震えが不安から来るものだと勝手に判断した柊哉は、いてもたってもいられなくなって、ドアを蹴破るようにして開ける。

 

 「―――あ、柊哉っ」

 「真姫!…」

 

 中で驚くように声を上げる真姫を確認。

 絵里の言った通り、彼女はベッドの隣に、心配そうな目をして座っている。

 柊哉は彼女に手を挙げると、一目散に、中央に鎮座するベッドへと駆け寄った。

 

 「…希は!?」

 

 そして覗き込むように、ベッドの中で眠る彼女の姿を確認する。

 

 

 

 ―――そこには、毒リンゴを食べた白雪姫のように眠る、東條希の姿があった。

 

 

 

 「………っ!!」

 

 柊哉はまず、その作り物めいた彼女の美しさに息を呑む。

 不謹慎だと分かっていながらも、見惚れざるを得ない美しさ。

 ぎゅっと閉じられた(まぶた)、シュシュのない紫紺の髪、私服のまま眠る姿。

 柊哉はそれら全てに心を惹きつけられて、慌てて目を()らす。

 

 そして次に、彼女の儚げ(エフェメラル)な寝顔に、焦りを抱いた。

 

 それはまるで、線香花火のように今にも消えてしまいそうで。

 二度と目を覚ますことはなさそうで。

 

 シルクのような希の右手を、両手で支えるように持ち、そっと撫でる。

 

 この手が離れた瞬間、彼女が遠くへ行ってしまいそうで。

 

 「希…」

 

 柊哉はガンガン鳴りっぱなしの警鐘を胸に、彼女を見守ることしか出来ない。

 遅れて部屋に入って来た絵里も、眠る希から視線を外し、目を伏せた。

 

 そして必然的に哀しい沈黙が場を満たす。

 真姫も、柊哉も、絵里も、何も言えない。

 定義することのできない感情が、蜷局(とぐろ)を巻いて襲い掛かってくる。

 どうすることも出来ず、何も言えず、何とも言えずどんよりとした空気。

 

 

 

 ―――そこで「彼女」は目を開いた。

 

 

 

 「………ぅ……ぅん…」

 「!?…希!?」

 

 それに最初に気づいたのは、恐らくは真姫だろう。

 突然呻くように声を上げた希が、酷く静かに瞼を開き、そのエメラルドの瞳を魅せたのだ。

 否―――「魅せた」という表現では語弊があるかもしれない。高確率で、雰囲気にふさわしくない表現だと言われてしまうはずだ。

 しかし彼女のそれは、柊哉の主観では確実に「魅了」だったのだ。

 女神の再来、というのは言い過ぎだが、それでも彼女は美しかったのだ。

 

 それこそが美少女の美少女たる所以。

 可愛い人が何をしても可愛い、というのは絶対に柊哉だけの主観ではない。

 

 美しき紫の女神・東條希(とうじょうのぞみ)は、呆然とする周りをよそに、ベッドからゆっくりと身を起こして、寝ぼけたように辺りをきょろきょろと見渡す。

 

 「―――…あ、れ…?うち、なんで、病院、なんかに…?…道、歩いてた、はずなのに…」

 

 そして、ここが病院と認識した希は、その首を無邪気にきょとんとひねった。

 

 彼女は何故自分がここにいるのか、まだよく分かっていないようだ。

 この様子だと、自分が倒れたことを覚えているかどうかすら怪しい。

 記憶を失くしたのかもしれない、と、ふと嫌な妄想が頭を過る。

 柊哉(じぶん)との思い出も、アイドルだった2年間の思い出も、全て忘れてしまったのかもしれない、と。

 

 

 ―――でも、そんなもの。

 

 

 そんなものが。

 

 

 「「「…希っ!!!!」」」

 

 

 

 ―――彼女が目を覚ましたということへの喜びに、勝るはずもなくて。

 

 

 

 目をしぱしぱさせて、何とか外界を認識しようとしている希に、絵里と真姫が思いっきり抱き着いているのが、柊哉の瞳に映った。

 

 「…良かった…良かった、希…っ!!」

 「…心配、させないでよ…バカっ…!!」

 

 2人は希が病人だということも忘れて、希に縋りつき、涙を零す。

 彼女らは心の底から歓喜しており、心の底から安心していた。

 それは柊哉もまた同様。

 大切な人を失わなかったことを喜び、また大切な人の再来に安堵していた。

 

 不安でどす黒く染まっていた世界に、紫とエメラルドを起点として、色が戻っていく。

 それはキャンバスにもう一度色を塗りなおしていくかのように。

 希の人生という劇を終わらせないがために。

 

 

 

 「―――え、えりち?…それに、真姫ちゃんも…どうしたん…?」

 

 

 

 ―――そして、その一言で、世界は再び色づいた。

 

 

 

                    ★

 

 

 

 「…はー…うち、道の途中で倒れて、救急車に運ばれて、ここに来たんやね…」

 

 2016年6月8日、午後7時46分。

 絵里(えり)に、ここに来た経緯を説明してもらった(のぞみ)は、自分に何かを納得させるように、その境遇に頷いた。

 ようやく腑に落ちた、といった、晴れ晴れとした表情。

 

 だがその眼は何かに嘆いているようにも見えるし、何かに悲しんでいるようにも見える。

 ただその「何か」が分からない柊哉に、彼女の気持ちを推測し語る資格はない。

 

 物悲しげな笑みを浮かべる希は、かえって清々(すがすが)しそうに言葉を語る。

 

 「やっぱり…うち、少し疲れてたみたいやな…」

 

 そして彼女は、誰にも見えないような、あまりにも小さいため息をついた。

 柊哉はその横顔に違和感を感じ、まじまじと希の顔を凝視してしまう。

 だが、そのため息で、柊哉の考える「何か」を吐き出し終えたのだろう。

 次の瞬間にはいつもの希に戻って、ぺこっと頭を下げていた。

 

 「―――ありがとう。えりち、真姫ちゃん、柊哉くん」

 

 可愛らしいつむじを見せているその礼に、邪念や怠惰は微塵も感じられない。

 ただ「ありがとう」と、溢れんばかりの感謝を全身で物語っている。

 彼女の誠心誠意の感謝がこそばゆかったのか、絵里は照れくさそうに、真姫は何故だか焦ったように、それに応じていた。

 

 「…私たち、親友じゃない。これくらいのことは当然よ」

 「えりち…!…本当に、ありがとうね…」

 「…私は希が元気になってくれれば、それでいいわ。…だから早く病気を治して、一緒に大学に行きましょ♪」

 「っ、うんっ!…絶対、やで!」

 

 「…わ、私は別に、居合わせただけだし…お礼なんて、言われる筋合いはないわよ…」

 「ううん、うちが言いたいだけ。ありがとう、真姫ちゃん」

 「っ!!…そ、そう………早く、元気になりなさいよ…?」

 「…分かった」

 

 いかにも彼女ららしい言葉のやりとりに、柊哉も頬を緩める。

 美少女同士が醸し出す華やかさのほかに、慈しみと微笑ましさが、そこにはあった。

 彼女らの雰囲気が、彼女らの笑顔が、柊哉を安心させていく。

 

 (…μ’sってのは、こう、見てるとすげぇ落ち着くんだよねぇ)

 

 やはりμ’sは、柊哉(じぶん)の心の源のようだ、と柊哉は苦笑。

 と、楽しそうに会話をしていた希がこちらを振り向いたので、柊哉は笑顔で言葉を返す。

 

 「俺は基本的に絵里と同意見だよ。元気だったらそれでいいのさ~」

 「ありがとう…柊哉くんは、やっぱり優しいんやね」

 「伊達に戦後最大のフェミニストと呼ばれてるわけじゃないんだなー、これが」

 「―――うち、そのあだ名、今初めて聞いたんやけど?」

 「あれま、認知されてない…?真姫ちゃん、そうなん?」

 「少なくとも、私は聞いたことないわよ」

 「私もないわね…」

 「ウソダロ?あれ?まさかの自称?」

 

 盛大に自爆した柊哉を見て、くすくすと笑う希。

 その笑顔を皮切りに、101号室に穏やかな雰囲気が流れ出す。

 やはり、病人が元気であれば、お見舞いする側も安心するというものだ。

 まして「μ’sのお母さん」とまで揶揄される彼女の笑顔ならば、その安堵感も段違い。

 「判断」を誤りさえしなければ、誰だってほっとする。

 

 柊哉は希の微笑みを見て、「これは大丈夫かな」と笑みを浮かべた。

 これだけ笑顔で話せるなら、と、ネガティブな思考を脳から追い出す。

 そしてもう一度会話をつなげようと、話題を切り出し―――。

 

 

 

 ―――そこに「彼」はやってきた。

 

 

 

 突然、101号室のドアが、大きな音を立てて、無遠慮と言えば無遠慮に開く。

 柊哉を含めた全員が、ぎょっとして向けた視線をスパイスに、医療器材と看護師、それに点滴を引き連れて、やって来たのは一人の男。

 白衣に身を包み、周りの視線をものともせず、ただゆったりと歩んでくる。

 王のように、予断を許さないくせして余裕綽々な歩み。

 

 

 

 「東條さん、目が覚めましたか?それでは、バイタルチェックを…って、おや、神城柊哉くんじゃないか。久しぶりだね、調子はどうだい?」

 「―――…真尋(まひろ)院長」

 

 

 

 ―――男の名は、西木野真尋(にしきのまひろ)

 

 この西木野病院の第2代院長兼理事長にして、μ’sのメンバー(紅の女神)、西木野真姫の父親。

 柊哉の元かかりつけ医師で、娘の真姫を溺愛する親バカの代表例とも呼べる男。

 

 

 

 彼―――真尋は、柊哉に軽く挨拶すると、ベッドの傍の椅子に腰かける。

 

 「…この病棟で会うのはこれで2回目だね。前回は僕にとっても切羽詰まった用事だったけど、今回もなのかい?」

 

 切れ長の目に、フレームの細い眼鏡をかけた、いかにも医者といった風貌。

 柔らかな笑みを浮かべたその顔は、見る者すべてを安心させる。

 辺りをくまなく見渡すその眼は、見たものすべてを的確に診断する。

 

 そして、高速で演算するその頭は、的確に判じた物事に、的確な資源を投じ、適切な行動を行う。

 

 だから柊哉は、いくら親バカでも、この男には敬語を使う。

 いくら「次娘を『真姫』と呼び捨てたら躊躇なくメスで殺す」と言われたとしても。

 

 「当たり前でしょう、大事な女の子が倒れたんですよ?…これを大事(おおごと)以外になんて言うんですか」

 「成程。…だから真姫が、あれほど血相を変えて、僕の部屋に飛び込んできたのか。…それなら納得だ」

 「そうですね。…まぁ、真尋さんなら一番安心できると思ったんでしょう。これはメンバーの不調どころの騒ぎじゃないですから」

 「…何にせよ、真姫は、μ’sのことは大切に思っているんだな」

 「そりゃそうですよ。真姫だって、誰だって、μ’sはあの9人でμ’sだって思ってますからね。ひとりだって欠けて欲しくない」

 「やはり、そうか。…あと、次真姫を呼び捨てにしたら殺すと言ったはずだよ?」

 「今そんなことを話し合ってる暇はないでしょう。―――それで、希は大丈夫なんですか、真尋さん」

 

 一度殺されそうになったが華麗にスルーして、柊哉は真尋に核心的な質問をする。

 瞬間、隣で真姫と絵里が、はっと息を呑んだのが分かった。

 希の反応はよく分からないが、彼女が一番心配しているだろう。

 かくいう柊哉だって、心中は全く穏やかではない。

 どういう真実が来るのか、どういう現実が突きつけられるのか。

 

 ―――『もうアイドルは出来ない』

 ―――『もう二度と、踊り歌うことは無理だろう』

 

 脳に現れた最悪の一言が、4人を更に焦燥感のどん底へと叩き落す。

 

 ―――『大丈夫、ただの貧血ですよ』

 ―――『何も心配はありません』

 

 脳に現れた最善の一言が、4人を絶望からゆっくりと引っ張り上げる。

 

 最善と最悪。

 当然4人は最善を願い、希の無事を願う。

 その診断を唯一知りうる、真尋へと期待と不安の目線を向ける。

 

 その彼は、甲斐甲斐しく動く看護師からデータを聞きながら、病名を告げた。

 

 

 

 

 「―――うーん…これは、過労だね」

 

 

 

 

 「…か、ろう…?」

 

 家老、苅生、嘉郎―――過労。

 柊哉は聞こえた病名が信じられなくて、半ば条件反射的に聞き返す。

 希も、絵里と真姫も、ぽかん、とした表情で、真尋をじっと見つめていた。

 

 その真尋は、手に顎を載せて、カルテと睨みあいをしながら、柊哉の質問に答える。

 

 「―――うん、過労で間違いないだろう」

 「どういう、ことですか…?」

 「どういうこと、か。難しい質問だね」

 「すいません…」

 「…過労というのは、本来は過重労働、つまり働きすぎという状態を指す言葉だ。…まあ、疲労が蓄積されたもの=過労、と考えてくれると話が早い」

 「そうなんすか…じゃあ、希は仕事をして、むちゃくちゃ疲れていた、ってことですか?」

 「それは似ているようで僅かに違う」

 

 真尋は安直な柊哉の考えを、冷たい声で否定した。

 柊哉は驚きに少し目を開き、真尋を見つめる。

 

 彼もカルテから顔を上げると、柊哉を真っすぐに見つめて、柊哉に問いかけた。

 

 「…柊哉くん。過労の原因は何か、知ってるかい?」

 「…いろいろ仕事をして、肉体的にも精神的にも疲れがたまっている状態、ですかね?」

 「大まかに言えばそうだ。…過労の原因としては、週60時間以上の労働、月50時間以上の残業や休日出勤などいった、肉体的原因(フィジカル)の他にも、ストレスや睡眠不足などの精神的要因(メンタル)もある」

 「………つまり」

 「彼女の場合、まだ大学1年生だということだから…恐らく後者が如実に出たのだろう。6月は、環境的にも、社会的にもストレスがたまりやすい時期だからな」

 「そう、ですか…」

 

 話は終わったとばかりにカルテに視線を戻す真尋に、柊哉は何も言えなくなってしまう。

 希も納得したように目を伏せるのみだ。

 彼女なりに、真尋の推測を受け入れたのかもしれない、と、柊哉は彼女を(おもんぱか)る。

 

 真尋の話には、納得できる要素がたくさんあった。

 反論を許さないほど、理路整然とした正論に、完膚なきまでに叩きのめされた。

 

 絵里もその言葉に思うところがあったのか、静かに頷く。

 

 「―――確かに…言われてみれば、ストレスの溜まりやすい条件は、揃っているわ…」

 「…『大学』という未知の環境、高校の比ではない課題の量、生活スパンの苦しさ…そこまでは誰しもが経験することだろう。僕もその道は通って来たから」

 「…そう…」

 

 真尋もその頷きに援護の言葉を並べる。

 確かにそうだ。

 受験競争脱却の余韻に浸る暇もなく、準備段階で未知だらけの新しい環境に足を踏み入れ、あまつさえそこで生きているのだから。

 いくら無知だって、大学の生活は想像以上に楽しく、辛いことは人づてに知っている。

 今回は「辛さ」を溜め込みすぎたのだろうと、柊哉はその援護に頷く。

 

 だが絵里は、その言葉に首を振って、もう一つ条件を付け加えた。

 

 

 「でも希には…そこに、『μ’s』っていう条件が入っていた」

 

 

 「………っ」

 

 それは、彼女だからこそ気づけたのだろうか。

 あるいは、彼女以外のメンバーの意見を総称したのだろうか。

 おそらくは後者だ。

 絵里だけでなく、隣の真姫の確固たる目線が、そう語っているのだから。

 

 気迫か娘か、その言葉に真尋も今度こそ黙り込む。

 

 

 そう。

 希はかの超人気アイドル・μ’sの一員。

 注目度、認知度、そのどれもが一般人とは段違い。

 

 

 ―――きっと大学中で、「大学生・東條希」ではなく、「μ’sの東條希」として見られ。

 

 『あれが東條希』

 『あれがμ’sの』

 

 ―――きっと2ヶ月間ずっと、好奇の目線に晒され続け。

 

 『やっぱ可愛くない?美女、ってーの?』

 『彼女にしてぇ!…告ったら付き合ってくれるのかな!?』

 

 ―――きっと何度も何度も、話題に挙げられて。

 

 柊哉の知らないところで、苦労し続けてきた。

 その結果が、この状況だ。

 

 「…希……」

 

 柊哉は黙って横を向いている希を、無念と後悔を込めて見つめる。

 彼女の表情は、柊哉の位置からは全く見えない。

 だが彼女の後ろ姿だけでも、彼女の気持ちがプラスとマイナスどちらの方向にいるかは分かる。

 これだけ客観的、理論的な事実を挙げられれば、自明の理だ。

 

 何事も生半可とやりすぎは良くない。

 「彼女は優しすぎたのではないか」と気づいた瞬間、柊哉の脳裏にその言葉が浮上してきた。

 

 生半可は後で自分が後悔するし、やりすぎはかえって自分の首を絞めることになる。

 子供のころから、両親、先生、大人に言われ続けて来た言葉。

 それは客観的な意見によるものだと気づいたのはいつだろう。

 主観というのはげに恐ろしい。

 自分では「まだまだ」と思っているものでも、客観的に見れば行き過ぎだと言われてしまう。

 他人の基準が、自分には分からないからだろうか。世界の主観が自分だからなのか。

 自分以外のものを見ている時と、自分を見ている時とでは、感じ方が全く違う。

 

 

 (…優しさって、こんなにつらいものだったっけか…)

 

 

 柊哉は哀しげな希を、ただじっと見つめることしか出来なかった。

 空の黒色が徐々に濃くなっていく。

 薄い灰色の雨空を、飛行機が切り裂くようにして飛んでいく。

 

 その翼に切り裂かれた雲が、やけに印象に残った。

 

 

 




 いかがでしたでしょうか?

 後編もなんとか書いていきたい次第でございます。
 今度は頑張って甘々に書きますよ!!

 それではまた、後編で。
 21話も頑張ってます。

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