誕生日を大幅に過ぎてしまったifルート希誕生日編の後編です!!
本当にもう謝罪の気持ちしかありません。
ここまで遅らせてしまい、希様も、読者の皆様もキレるほかないと思います。
かえすがえす、すみませんでした!!
それでは後編です。
本編が読みたい方は、21話の投稿をお待ちください。
その後。
その
つまり、今現在、
「…まだ電車動いてねぇな…なんで今日に限って事故るんだよ半蔵門線…錦糸町のアホ…」
2016年6月8日、午後11時47分。
絵里と真尋、真姫がいなくなった後も、未だ雨は止まなかった。
それどころか強くなる一方で、今外は「バケツをひっくり返したような」という前置詞がまさにしっくりくるほどの、大豪雨。
夜の暗さと相まって、現在この上なく危険な状況だ。警報も3つ出ている。
柊哉は音と光だけが支配する夜の東京を睨みつけて、大きくため息をついた。
これでは、自分の家に帰るのも難しいだろう。
何せもう4時間も、この西木野病院に足止めを食らっているのだから。
あるいは、ある意味での「雨宿り」をしている、とでも言うのだろうか。
(…ったく…天気予報ってのは、なかなか当たらないもんだな…)
「くそっ、お天気お姉さんなんてもう信じねぇ!!」
柊哉はラジオの天気予報に軽く悪態をついてから、もうひとり、雨に心を痛めているであろう彼女のほうを見やる。
「…ほんと、すごい雨やね…」
その彼女―――希も、ため息をつきながら、心配そうに窓ガラスの奥の景色を見ていた。
彼女はベッドから半身を起こし、祈るように手を組んでいる。
彼女もまた、この病院で「雨宿り」をしなければならない人物のひとり。
入院しているとはいえ、この病室は希の家ではない。
少なくとも今日、彼女がここにいることは、まさしく「雨宿り」だ。
雨を見ると憂鬱になるというのはあながち間違いでもないらしい。
当然、墨を垂れ流したかのような重く気まずい空気が、この病室には流れている。
すごく窮屈で、すごく嫌な気分で、すごく、居心地が悪くて。
だが。
「―――まぁ、梅雨時ってことなんだろ…」
「梅雨って、もっとしとしとって雨が降るのじゃないんやね」
「雨だと感じるレベルは神様によってそれぞれだからな。ましてやスピリチュアルパワーの塊である希が倒れたんだから、尚更強く降るんジャネーノ?」
「…いくらなんでも、うちがそこまでのパワーを持つとは思えんけど?」
「こればっかしはフィーリングの問題だなー。俺がただ希を信じてるってだけだし」
「…ありがとう、柊哉くん。うちも早く退院して、もっと頑張るね」
「おう、そうしてくれ。希がいないと運の女神がだだ泣きしちゃうから」
「ふふ、うちがちゃんと見とかんとね」
そんな中、柊哉と希は、至って普通の、他愛ない会話をしていた。
柊哉がおどけて、希がそれを見守り、柔らかく言葉を付け加える。
ただ笑顔で、普段通りの、あの部室と同じ会話がそこにあった。
そこに空気の良し悪しという観念は影響しない。
この独特な距離感こそが、彼女らの「普通」なのだ。
そこに空気の良し悪しという概念は関係ない。
ただ彼女たちがそこにいるだけで、自然とこうなっていくのだ。
それこそμ’s。
それこそ
柊哉にとっては、この美少女と一緒にいる空間こそが、心地よいものなのだ。
こうして彼女たちと話せること自体が楽しいのだから、居心地の悪さなんて相殺されてプラマイゼロ。
柊哉は踊るように会話を持ち出す。
「―――そーいや、ずっと気になってたことがあるんだがよ、希」
「?…なぁに、柊哉くん?」
「『純愛レンズ』ってさ、あれ希が歌詞起こして書いた歌なの?」
「え?そうやけど…どうしてそう思ったん?」
「前々から、この歌、すっごく他人のために尽くしてる歌だなあって思ってたんだよ。んで、実際に希本人に会って、ホントに優しい女の子だったから、そうなのかなーって」
「っ!!!―――もう、柊哉くんはずるいなぁ…」
「んまぁ、俺は基本的に『純愛レンズ』大好きだし、恋に悩んでる友人にはぜひともこの歌を薦めたいって思ったんだが…ん?希?どった?」
「ううん、なんでもないよ。…柊哉くんって、よく見てるんだねって、思っただけ」
「女の子の心の機微に気付こうと努力して盛大に失敗する神城柊哉さんですから」
「うちはそんなことはないと思うで?…柊哉くん、どんな女の子とも、すぐ距離詰めちゃうし…」
希は柊哉の言葉に思うところがあったのか、頬を赤くしてもごもごと何か言っている。
位置的にその言葉が聞こえなかった柊哉は、首をひとつ傾げてから、手をひとつ叩いた。
「まぁいいや。結論として、俺は『純愛レンズ』が好きだっていう話。『硝子の花園』も『もしもからきっと』も大好きだけど、やっぱ希が歌う歌なら『純愛レンズ』が一番だな」
「ほんと!?…感じ方は人それぞれなんやなぁ」
「およ?ほかのメンバーは違うのが好きって言ってるの?」
「うん。真姫ちゃんと
「うわー、概ねイメージ通り!…じゃあ、宇宙一のアイドル、にこはなんて言ってた?」
「にこっちは、『私が監修してるんだからどれも最高に決まってるでしょ!?』って」
「あははっ、にこらしいや。…しかし、よりにもよって真姫ちゃんが『もしもからきっと』を好きとはなぁ。花陽ちゃんとか絵里ならまだ分かるんだが」
「そのわりには、海未ちゃんが『硝子の花園』好きなのは否定しないんやね」
「海未は案外好きそうだしな。あの子の歌、恋の歌多いし」
「『STORM IN LOVER』とかね。…でも、確かに真姫ちゃんが言うとは思わんかも」
「でしょ!?真姫ちゃんは絶対『硝子の花園』だと思ってた…アテが外れた…」
「それはそれでいろいろとおかしいと思うけど…」
「じゃあ『純愛レンズ』か!?…俺と
そして柊哉はからからと笑った。
しかし5秒と経たずに、その笑いは引っ込むことになった。
「…もう!」
こちらを見る希は、思った通りのむすっとした不満顔。
頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向くその姿は、まるで子供のように可愛らしい。
―――そう、子供のように。
(希だって、まだ18歳の女の子なんだよな…ホント、人って身勝手)
柊哉の心に、一抹の寂しさと、憤りがするりと侵入してくる。
イメージとレッテルで生きる世界はこうも辛いものか。
優しい人ほど損をする世界というのは、そこまで常識的なものか。
疑問を投げる。
―――何故、嘘つきと傍若無人が台頭し、優しさと真実が淘汰されなくてはならないのか。
柊哉は、いっそのことこんな世界ぶっ壊してしまおうか、なんて物騒なことを考える。
不完全な「1」という世界の上に都合のいい現実を重ねて、過去を塗りつぶすよりかは、一度世界を「0」にしてから、再びやり直したほうが何倍も楽だ。
自分に出来ることは少なく、自分が何かしらをしたところで世界は変わらないが。
ただそれでも、この優しい少女のために、何かをしてやりたい。
と、そこまで考えたところで。
―――柊哉は、眼前の希が、
「―――あれ、もう話なくなったん、柊哉くん?…しょうがないなぁ、うちがとっておきの話したる♪」
ちょっと誇らしげに笑みを浮かべている彼女の顔は、普段通りの東條希の笑顔。
穢れや妬み、腹黒さなんて微塵も見えない、綺麗な、綺麗な、笑顔。
柊哉のコスい思考の渦なんて馬鹿らしくなるほどの、純粋な笑顔。
その穢れなき笑みを見た柊哉は、まず、己の無知を恥じた。
そして直後、今まで考えていたものを全て棄てた。
そうだ。
そうなのだ。
この世界は、「優しさが損をする世界」なんかじゃない。
そんなみみっちくアホみたいな世界じゃない。
この世界は、「優しさが最後に微笑む世界」だ。
踏まれ
因果応報は世の常なのだ。
日本神話のオオクニヌシのように。
あるいは童話『シンデレラ』のように。
自分に起こった全てを
(…俺ってホント、救いようのない大馬鹿野郎なんだなぁ…)
そう考えた途端、柊哉の中の疑念が、音を立てて吹っ切れた。
事故を起こした半蔵門線、外で降り続く雨、その他マイナスの出来事に抱く一切合切の感情が、すっと消え失せた。
柊哉のネガティブ思考を、無意識な希の慈愛が上回ったがために。
彼の弄した愚策を、彼女が全身で否定し、正したがために。
口調も清々しく、柊哉は希の話を一旦遮り、希を誘う。
「…なぁ、希。…夜も遅いけど、ちょっと、外に出ようぜ。飲み物買いに行きたいんだ」
★
真夜中に近い、6月8日ももうそろそろ終わろうとしている時間帯。
病院の休憩スペースで、
外はまだ衰えない土砂降りの大雨、カラスのような空は、電灯なしでは前を見るのもやっとというくらい、暗く、黒い。
そんな中聞こえるのは、ザァァァァァァァ―――と、軽く余韻を残す雨音。
辺りの病室の患者さんの、防音も形無しの大イビキ。
そして―――眼前の
「…わっ、くそっ!今度こそ4つ揃うと思ったんだけどなー…やっぱ無理かえー…」
(―――柊哉くん、どうして帰らないんやろか…?)
プシュッ、と2本目のカフェオレの缶のプルタブを開ける柊哉に、希はどうしてよいか分からないと、助けを求めて視線を送る。
突然希を連れ出し、あまつさえ帰ろうとしないことへの、困惑の目線を。
「―――はー、夜になっても、コーヒーって美味いもんだな」
だが肝心の柊哉は、カフェオレをくいっと
連れ出した割には何も話をせず、ただ時折時計を見ては、得心がいったとばかりに頷くばかりだ。
希は、そんな柊哉のどっちつかずな態度に、いい加減辟易していた。
もう既に何度も「まだ、帰らないん?」と聞いている。
しかしそのたびに、「もうちっと待ってくれ」と、柊哉は希をその場に留めるのだ。
これでは、何故「希を」連れ出したのかが、全く分からない。
というか今、別に希を連れ出す動機が見当たらない。
うんざりしたといっても過言ではなくなっている希は、もう3回目となる質問を投げる。
「―――なぁ、柊哉くん。何で、うちを呼びだしたん?」
「ん、それにはある高尚な目的があるんだよ~。そのために、もう少し待っててや~」
「はぁ…そんなん前も聞いたで…?」
「お願い、もう少しだけ。あと…そうだな、5分も待てばいい」
「何でなん?」
「それはまだ教えられないな。ま、5分経てばのお楽しみ、ってことで」
「―――待つくらいなら、別にええけど…」
「ありがとな。…あ、希もカフェオレ飲む?…あぁでも病人だしなぁ、やめたほうがいいのかね?」
「…うちはいらんよ」
「あらそうなの。…残念」
だが、今回も、「あと5分」という具体的な数値以外は、前と変わらぬ答えが返って来た。
柊哉に、何かをはぐらかされたような形。
その何かが分からなくて、希はまたチリッと頭を焦がす。
それは焦りなのか、はたまた苛立ちなのか。
希にはその「チリッ」の判断も出来なくて、それがさらに希に溜まっていく。
(…どうしたんやろ、柊哉くん…)
2本目のカフェオレを一息に飲み終えた柊哉は、ゴミ箱に空き缶をダストシュートした。
ゴミ箱の中にはそれほど空き缶が入っていなかったようで、カラン、という音は軽い。
柊哉はその音にぶー、と口を尖らせている。
いったい何を期待していたのかはよく分からないが、期待はどうやら外れたらしい。
(柊哉くんも、男の子なんやね…)
希はその情景を、少し微笑ましげに見やる。
その視線は、母が子を見るようにも、―――恋人を見守るようにも見えた。
それも当然の話。
未だ行動の意味はつかみかねているが、希だって柊哉のことが好きなのだ。
想い人の知らない一面を知れることが、嬉しくないはずがない。
希が頬を緩めていると、唐突に、柊哉がこちらを振り返ってきた。
「あ、そうそう、希」
「―――何や?」
(…あっ…)
緩んだ表情を見られたと勘違いした希は、お世辞にもいいとは言えない表情でそれを見返す。
やってしまってから、少しの後悔と、大きな申し訳なさが希を襲った。
別に柊哉に冷たく当たる必要性はないのに。
希の勝手なフラストレーションのせいだというのに。
だが柊哉は、それらをさして気にした様子もなく、ズボンの左ポケットから
―――そして。
「―――音楽聞こうぜ、イヤホン片っぽずつつけて」
まるで何事もなかったかのように、そう、無邪気に言い放って、希の左耳にイヤホンの片方を差し込んだ。
「…えっ」
唐突な行動に、希は目を白黒。
今までの辛い思考さえ、勢いに置いて行かれていく。
すっとんきょうな声を上げて、柊哉の真意を見極めようとして、図りかねる。
その柊哉は、普段通りの表情でイヤホンをスマホにブッ挿し、すとんと希の左に立った。
今までと全く違う、最接近した距離感に、希はかすかに頬を赤らめる。
恋人同士みたいな、彼氏と彼女みたいな、今の距離。
彼氏役の柊哉は、自身の右耳にももう片方を差し込んで、スマホを起動し、つつきはじめる。
途中ぽつりぽつりと、言葉を呟きながら。
なかなかオススメの曲が見つからないような体を、取り繕いながら。
「…ちと、希に元気がないように見えたからな。…違う、この曲じゃない…」
「―――っ!!」
「完全に俺の自意識過剰かもしんないけどさ…お、このアルバムか?」
「………………」
「今日入院してから、なーんとなく、希の表情に陰があったんだよなぁ…14番、14番~っと」
「………柊哉くん…?」
「まぁ、気がした、くらいの話だから、違うんなら違うでいいんだけど…あれ?15番だっけ?」
「――――――」
「もし間違いじゃ、ないんだとしたら…おっしゃ、これだ!」
希はもう、何も言えなかった。
コロコロと表情を変える柊哉は、本当にいろいろなものをよく見ている。
見ていないようで、全てを看破し、あえて無視し、肝心なタイミングで持ち込む。
ある種才能じみたその眼に、希は言葉を返すことが出来ず、黙り込んでしまう。
しかし。
「―――音楽でも聞いて、気持ちを落ち着かせようや」
―――柊哉は、違った。
それだけの情報を仕入れてなお、希に微笑みかけてきたのだ。
希は思わず息を呑む。
彼の、
彼の顔の、あまりにも純粋な笑顔に。
その刹那、希は柊哉が何をしたいのかを、ようやく理解した。
(…そっか、柊哉くんは…うちを、勇気づけようとしてくれたんやね…)
―――柊哉は。
全てを看破し、恐ろしいほどの情報を基に行動しているのではない。
ただ、中にあるマイナスの気持ちを、プラスに変えようと試みていただけなのだ。
女の子を喜ばせたい、たったそれだけの単純な行動原理で、動いていたのだ。
女の子が喜ぶのなら、音楽でも、なんでも利用して、笑わせようとして。
…たった、それだけの気持ちで、希を連れ出したのだ。
病室の中で、ベッドで寝ているだけよりも、ずっと、満足そうな顔が見られると思ったから。
(柊哉くん…)
希はその心遣いに、大きな感謝と、たとえようもなく大きな、ある感情を抱く。
それは、嬉しかった、とは少し違う。
驚嘆した、というのも間違いだろう。
哀しい、なんてそんなはずがない。
驚いた、という類のものでもない。
それでは何なのか?
―――「大好き」に決まっている。
「じゃ、流すぞ?」
柊哉のおそるおそるといった問いかけに、希はこてんと頭を肩に乗せることで応えた。
それこそが柊哉への、一番の感謝だと思ったから。
「好意」を察知するのだけはてんでダメダメな柊哉に、最も大きな「好意」を表せると思ったから。
その突然の行動に、驚いたように一瞬ぶるっと体を震わせた柊哉は、希から視線を逸らし、慌ててスマホへと向き直った。
(…可愛いなぁ、柊哉くんの反応………やっぱり、うち、好き…)
希はその照れたような反応に満足して、ネコのように目を瞑る。
不思議と眠くはなかった。
それ以上の満足感と安心感とが、希の胸を満たして、フワフワと軽い気持ちにさせていた。
何より柊哉への溢れんばかりの愛情が、希とともにあるのだ。
…眠ってなんかいられない。
―――
奇しくも、柊哉のイヤホンから流れ始めた音楽は、『愛してるばんざーい!』。
何故そのチョイスなのだろうか。
もっと元気づけるための歌はあっただろう。
だが、そんな疑問よりも前に、希の口からは、ある一言が零れていた。
「―――ありがとね、柊哉くん…」
柊哉の表情はここからは見えない。第一目を瞑っているのだから見えるはずがない。
でも何となく、いつものように微笑んでいる、そんな確信が希の中にはあった。
ニヒルで、格好をつけてて、何故か見るとすごく安心する、あの笑顔を。
「…まだ、終わっちゃいないさ…」
だから、希は柊哉のその一言を、幸か不幸か、聞き逃してしまった。
★
それから5分後。
ちょうど「愛してるばんざーい!」が終わった瞬間、柊哉が時計を見て小さく呟いた。
「―――頃合いだな…」
そして、余韻に浸っていた希の耳から優しくイヤホンを取ると、囁くように希に告げる。
「…うし、んじゃそろそろ戻ろうか。ってことで、…頭、どけてくれると嬉しいな」
そう言って肩を指差す柊哉はとても照れくさそうで。
希の目には、薄紅に染まった彼の頬が映った。
希はそれをからかってやりたい気持ちに襲われるが、「後でもいいか」とぐっと我慢して、素直に頭をどける。
「ありがとな」と微笑みながら席を立った柊哉は、希の真意なぞ全く気にせず、うーんと大きく伸びをする。
「…あーっ…と?…おっ、23時58分!!まぁ、
希には意味の分からない言葉を柊哉は一言。
それにハテナと首を傾げたところで、希は柊哉に手を掴まれ、引っ張られた。
「…ちょっ、柊哉くん?」
「ほれ、病室戻ろうぜ。こっからじゃちと遠いし、少しだけ急いでな」
世界を導く太陽の如く、希を導く柊哉。
最初驚いた希は、その表情にふっと破顔して、なすがまま、腕を掴まれておくことにする。
そこに言い知れぬ「慈愛」と、天真爛漫な「無邪気さ」があるから、希は柊哉についていく。
―――思えばいつも、「愛情」を与える側だった。
両親共働きの世帯で育ち、世間一般で言うカギっ子だった希は、仕方ないとはいえ、両親から与えられた愛情が、人よりも少なかった。
公園で楽しく遊ぶ母と子、一緒に買い物をする親子、漏れ聞こえてくる家族旅行の話。
それらすべてが羨ましくて、でも希はただ、見ているだけだった。
そのおかげでついたレッテルは、引っ込み思案、根暗、友達のいない少女。
転校を繰り返し、どこに行っても上手く行かなかった彼女は、それを良くないとは思いながら、どこかで―――諦めていた。
だが。高1の春。
国立音ノ木坂学院。
そこで初めて出来た「親友」は、それまでのどの経験にも勝る、素晴らしい思い出をくれた。
楽しくて、穏やかで、あったかくて。
希はすぐに、絵里との学校生活が大好きになった。
そして一緒に過ごすうち、今まで望んでも与えられなかった友達も出来た。
希は、それがすごく、すごく、嬉しかった。
そしてだからこそ、彼女は自分の境遇、自分の環境を鑑みて、決意した。
―――そうだ。
―――次は、うちが、みんなに、うちに足りなかった「愛情」を注げば、いいんや。
そこから彼女は、誰に対しても優しくあるよう努めた。
たとえ自己満足と罵られようとも、それが自分の道だと思ったから。
それは希生来の性格、周囲の友人の手助けもあって、一応、成功した。
希は誰からも愛され、誰にでも愛情を注ぐ、という人間になることが出来た。
そして高2になり、廃校を救うためにμ’sが生まれ、生徒会副会長になり、知り合いも比べ物にならないくらいに増え。
彼女に注がれる愛情も、彼女の注ぐ愛を上回るくらいの量になった。
でも。
希は自分が贅沢だと知りつつも、どこか「足りない」と思っていた。
それは小さな違和感となって希の心に現れ、彼女をちくちくと刺した。
相談することなんて出来やしなくて、希はそれを抱えたまま、高3に進級し、そして。
―――柊哉に、出逢った。
奇跡的な出会いを果たした
まだ
それは同じμ’sのメンバーとして、同じ学校の一員として。
少なくとも希は、そう思っていた。
だが、彼は違った。
―――柊哉は、注がれた愛情を、文字通り「
その方法は様々で。
ある時はふとしたことでオーバーに褒めたり、ある時はいつの間にか行動を起こしていたり、またある時は、運に任せたりなんかもしていた。
しかしそれらすべてが、μ’sのためだけに、μ’sの愛情に報いるためだけに、起こした行動だった。
つまり柊哉は、希たちの注ぐ愛情に恥じないほど働いて、μ’sを守ろうとしたのだ。
希はそれが新鮮だった。
「意図的に」希たちの愛情に愛情で返す人も、μ’sを全身全霊で守ろうとする人も
次第に彼はμ’sになくてはならない男になり、そして―――希の空いていた穴を、じんわりと満たしてくれる存在になった。
彼の無償の愛が。
彼の献身的とも呼べる数々の行動が。
希の心を動かし、融かし、彼女にとって、「大切な人」へとなっていった。
西木野病院101号室前。
柊哉と希は、夜の廊下を2人静かに走り、もとの場所に着いた。
(…はぁ…これで今日もおしまい、なんやね…)
希は気持ち寂しく感じながらも、ドアノブにゆっくり手をかける。
それを回す刹那、柊哉のほうを振り向いて、にっこり微笑んだ。
「今日はありがとね、柊哉くん。こんな遅くまで残ってくれて」
「いえいえ。希が楽しいと感じたのならばそれで」
「…柊哉くんは、今日はどうやって帰るの?」
「う~ん、どーせ俺は半蔵門線止めやがったどっかのバカのせいで帰れねぇし…まぁ、ネットカフェとかで時間潰して帰るよ」
「―――そうなん…」
「それに、どっかの病室を貸してもらうってわけにもいかんだろ。もう寝静まっちゃってるし、俺の入る隙間なんてないって」
そう、早口でまくし立てた柊哉は、何も言えなくなった希に、もう一度笑った。
「そんじゃな、希。また明日も来るから、早く元気になってな」
「…うん。じゃあね、柊哉くん」
希は心を痛めながらも、その挨拶に頷く。
軽く手を挙げて、廊下をゆっくり歩く柊哉に、希からかけてやれる言葉は何もない。
ただ真っすぐに、柊哉の後姿を見つめるほかないのだ。
柊哉の言う通り、早く元気になって、柊哉を見返すしかないだろう。
希はパシッと両頬を叩いた。
とりあえず、まずは睡眠をとって、明日の元気を養わなければいけない。
ずっと持っていたドアノブをようやくひねった希は、一歩病室に足を踏み入れ、そして、
―――信じられないものを見た。
「―――…嘘…」
希の目線の先には、この病室を出たときにはなかった、あるものが映っていた。
それはもう言うまでもなく柊哉が残したもので。
ただその瞬間だけを待ち望んでいたかのように、そこにあって。
柊哉の「計画」という言葉の裏に潜んだ意味を知って。
―――柊哉の心遣いに、一滴の涙を零した。
「…こういうことするから、柊哉くんって、女の子に好かれるんよ…ばか…」
頬を伝う水滴を人差し指で拭う。
つい先ほど別れたばかりなのに、愛しさが止まらない。
今はいない柊哉が、自分のためにこんなことをしてくれたことが嬉しい。
涙が出るほど。
最低かもしれないけれど。
すごく、嬉しい。
自分は幸せ者だ。
(…大好きやで、柊哉くん…)
雨空に一言、呟いてみる。
そして希は、貰ったそれを、大事に大事に冷蔵庫へとしまうと、自分の右手を胸に抱きよせ、ぎゅっと目を瞑った。
時刻は。
2016年、
『誕生日、おめでとう、希。
追伸
ほんとは病院じゃなくて、家でするつもりだったんだけど、急遽予定変更!!
ごめんな。明日の朝にでも、バースデケーキ、食べてくれよ。
神城柊哉』
★
誕生日。
それは、全ての献身、全ての善い行いが、まっすぐに自分に返って来る一日。
そして、
―――
東條希の誕生日、6月9日。
この日、彼女は、数ある1日の中でも、最高のスタートを誇る一日を切り、多すぎた不幸を、余りある幸福へと変えた。
~Happy Birthday 希~
神々の、祝福があらんことを―――。
いかがでしたでしょうか?
次の21話の投稿は、作者多忙により、7月10日以降にもつれ込む模様です。
それを過ぎさえすれば、夏休みが待っておりますので、その時は大量に打ちたいと思います!!
感想、アドバイスなど、心よりお待ちしております。
それではまた、21話で!!