赤色の抱擁   作:ハルカナツキ

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凄く、おひさしぶりです。
ハルカナツキです。


かなり間が空いてしまいましたね。
これが最終部になります。

それでは、よろしくお願いします。


第四部 クリスマス・イブ(1)

 

 

 

 

 希はネックレスに同封されていた手紙をそのまま繰り返し読んだ。

 父の書く字を見るのは久しぶりだった。とめるべきところをとめず、はらうべきところは針のように突き出した、男っぽい字体だ。

 自分の書く少しまるっこい字とは似ても似つかない。

 

一度自分の持ち物に父が勝手に名前を書いてしまい、ひどく怒って母に書き直してもらったことを思い出す。

 母の字は父のそれとは対照的に、とめはねをきちんと守った見本的なもので、希は母の書いてくれるひらがなが好きだった。

 もう一度最初から読み直した後、手紙を丁寧に折りたたんで封筒にしまった。

 

 

 

 プレゼントのネックレスを手に取ってみた。

 十字架は小さくて華奢だが、その割に重みがある。

 母がよく首にかけていたものに似ているが、それは金色だったことを思い出した。

 希が話すことに対して、そうねえと応えるたびに揺れてきらりと光る、あの十字架。

 にっこりと微笑み、額にのせられる掌の温度。

 

 

 たった一度のプレゼントは、それに付随したいろいろな記憶を引き出してくれた。

 それが贈り物の本当の価値ではないのかとも思う。

 

 

 ネックレスを見つめていたら身につけてみたくなって、洗面台に向かおうとすると、携帯が鳴った。絵里からのメールだった。

 

 

 

「明日の17時ちょうど、あの銀杏並木の入り口で待ち合わせにしましょ。おやすみ」

 

 

 

 明日はこの家で夜を過ごすはずだが、待ち合わせをするのか、と一瞬思ったが、あの場所なら悪くないなと希は思った。

 わざと二分ほどおいてから、わかったよ、17時ね、おやすみ、と返信した。

 

 そのあと、あれ、と思う。

 確か今日の昼に私から連絡すると言ったんじゃなかったっけ。

 しかし場所と時間に異存はなかった。

 

 

 ネックレスをつけるのは明日の楽しみに取っておくことにした。

 

 

 

 

 バスルームから出て髪を乾かしてると、急に眠気を感じた。

 今日は朝から神田明神の手伝いをし、夜には久しぶりに会った父に心身共に翻弄されたことを思い出す。

 強い眠気はそのせいだ。希は長い髪がなかなか乾いてくれないのを、目を閉じながら辛抱強く待った。

 歯を磨きながらテレビを見ると、まだ23時になっていないことに気付く。

 

 いつもならこんなに眠くなる時間じゃないのに。

 

 

 明日のために何かしなくてはいけないことがありそうな気もしたが、結局瞼の重さに耐えきれず、ベッドに入った。

 灯りを消してから、アラームをセットしていないことに気付いたが、放っておいた。

 どうせ今日の朝と同じ時間にがなり立てはじめるだろう。

 昼の絵里の声と、夜の父の声を思い浮かべているうちに、眠りは静かに訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の朝、絵里はアラームよりも一時間以上早く目を覚ました。

 特に寒いわけでも、大きな音がしたわけでもない。

 うっすらと開いた眼で天井を見つめた。部屋の暗さから、まだ太陽は昇っていないと推測した。

 特に眼覚めが悪いということもなく、布団から出て、長い伸びをした。

 こんなに早く起きてしまっては希の家で眠くなってしまうのではないかと考えた。

 

 

 

 いつもよりも意識的にゆっくりとストレッチをした後、一枚上着を羽織って一階のリビングに向かった。

 あと二十分もすれば母が起きてくるだろうし、それまでにコーヒーを入れておこうと思ったのだ。

 寝ているはずの亜里沙を起こさぬように、そろそろと足を運ぶ。

 

 

 朝食の席では、イブに学校なんておかしい、と亜里沙がまた不満を漏らしていた。

 しかし、文句を言う割に楽しそうに家を出ていくところを見ると、授業が面倒なのと同じくらいには、友人とのおしゃべりが楽しみなのだろう。

 

 しばらくリビングに座ってテレビを見ていると、母も仕事に出かける時間になった。

 

 歯を磨き、絵里は自室に戻った。窓際で空を見てみると、雲の面積はほとんどない。

 暗く湿ったイメージのこびり付いた日本の冬にしては珍しいくらいの快晴だ。

 今日と明日くらいは雪が降ればいいのにと内心毒づく一方で、雨じゃなくてよかったとも思う。

 窓を開けてみると、昨日よりも幾分和らいだものの、やはり冷たい空気が絵里の顔をひとなでして、部屋のぬるい空気を切り裂いた。

 

 

 

 ベッドの縁に座り込み、机の上に目をやると、希へのプレゼントであるキルトに視線が止まる。

 もうさんざん確認したはずなのに、シールをゆっくりはがして紙袋を開き、中身を取り出す。

 赤いティアレの花をかたどったキルトにはなんの異常もないのに、子細に点検し、再び袋に戻す。

 もうこれと同じことを三度は繰り返しているが、どうしても気になってしまうのだ。

 

 

 

 短くため息をつき、ベッドに背を倒す。昨年の白いマフラーの時はこんなことにはならなかったのに。

 やはり自分の手で制作したものは思い入れが違うのだ。

 希はこれをどうするだろう、と思う。いつも目につくところに掛けて、見るたびに私のことを思い出してくれるだろうか。

 私が費やした時間と、思いと、二人に積み重なった時間のことを。

 その夜のことを。

 

 そのたびに優しい気持ちになって、そっと手を伸ばし、花びらに触れてくれるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 希にしては珍しいくらい、無理のない目覚めだった。

 アラームが鳴ったのは希の両目が開かれるのとほとんど同時で、まるで希の睡眠周期を正確に把握しているみたいだった。

 幸福な気持ちで希は伸びをする。

 かすかに漏れる外の光が、その触れる空気をわずかに温めていく。

 

 

 

 顔を洗って手早く朝食を済ませると、希は17時までにやるべきことを頭で整理し始めた。

 今日の自分の行動をシミュレートするうちに、なぜ絵里が待ち合わせを提案したのかと考え始めていた。

 昨年みたく私が部屋で待っていてもよさそうなものだが、なにか彼女には考えがあるのだろうか。希はとりあえず部屋を軽く掃除することにした。

 絵里の思惑については、会うときまでに考えておこうと思った。

 

 

 

 掃除を済ませてしまうと、整った部屋に一人でいることが寂しく感じた。

 この感じはとくに珍しいものでもないが、最近はやけに、誰と一緒にいるでもなく一人でいる、という状況を強く意識してしまうようになったと思う。

 きっと彼女のせいだ、と希は思う。

 

 教室でも生徒会室でも、いつも絵里ちは私のそばにいる。

 学校という空間はひどく閉鎖的だが、それは翻っていつも決まった人間が近くにいる状況を作り出してくれることを意味する。

 だから、絵里と恋仲になってからというもの、希は長期休暇というものにそこまで魅力を感じなくなっていた。

 一人っきり、部屋のなかで退屈をもてあそぶよりも、学校に行って絵里ちに会える方が、よっぽどいい。

 

 

 

 ベッドから腰を上げ、着替えを済ませると、冷蔵庫の中身をみて、何があるかを頭にいれた。

 きっと待ち合わせのあと二人で買い物に行くことになるだろう。去年みたく二人で夕食を作るのだ。

 確認が済むと、もう家の中ですることは何もない。

 

 

 

 昼食は外で済ませることにして、希はコートと白のマフラーを身に着けて外にでた。

 待ち受けていたかのように吹き付ける寒風に、思わずマフラーに顎をうずめる。さてと、と心のなかでつぶやく。もう少し、今夜のためにやることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 はっ、と絵里は目を覚ました。

 いけない、と呟いて両目をこすりながら体を起こす。

 掛け時計に目をやる。

 どうやらあのまま一時間ほど寝てしまっていたらしい。

 右手のそばにプレゼントのキルトの入った袋があった。

 短くため息をついて袋を机の上に戻し、軽く伸びをして、洗面所に行って顔を洗った。

 

 

 

 一階に降りて行って紅茶を飲むと、目がさえてくるような感覚があった。

 机の上には母が作っていってくれた煮物と書置きがあった。

 冷蔵庫にあるものも好きに食べてね、とある。

 

 

 

 言葉遣いといい料理のレパートリーといい、絵里の母は日本的な人だ。

 大学でロシア文学を専攻していたらしく、父とは学部のゼミで知り合ったらしい。

 父は母の作る和食が大好きで、よくにこにこしながら魚の塩焼きを食べていた。

 食事以外にも彼は日本文化に強く魅力を感じているらしく、家族で京都に旅行に行った際には大量の工芸品を買い込んでいた。

 

 

 

 絵里が紅茶やキルトに興味を持ったのは祖母の影響が強い。

 バレエを習い始めたのも、祖母が薦めてくれたからだ。

 彼女はやはり昔の人間らしく、自分に厳しく弱音を吐かない人だった。

 しかし孫の絵里にはとても優しく、ロシア文化について様々なことを教えた。

 絵里が今度友人のプレゼントにキルトを送ると電話で話した時は、そうかい、と心の底から喜んで見せた。

 

 

 

 早めの昼食を済ませ、食器を洗ってしまうと、絵里は二階の部屋に向かった。

 約束の時間まではまだ四時間ほど時間がある。

 学校の課題を進めようと一度机に向かったが、一時間程で集中できなくなり、手を止めた。

 

 

 本棚に見ると、昨日買ったあの本が目に留まった。

 茶色のブックカバーを掛けられた、ミナとレイの物語。ふと内容を思い出してしまい、かっと顔が熱くなる。

 ああいった描写のされた本を読むのは初めてで、実際に読んでいるときは目が離せなくなっていたが、今思うと少しどうかしていたように思い、恥じ入ってしまう。

 

 

 

 希と交際を始めてからもう一年とすこしが経過しているが、二人はミナとレイのような関係にまでは踏み込んでいなかった。

 一緒のベッドで手を握り合って眠り、頬にキスしあうのが精一杯だった。

 今夜はどうしようと、どうなるんだろうと絵里は少し考えてしまう。

 

 

「そういった行為」を意識したことがないわけではない。

 しかし、お互いに自分がまだ高校生であるという意識が頭にあって、境界線を踏み越えられずにいる。

 未知の物事に対して、恐怖が好奇心と拮抗しているのだ。

 また、特に行為に及ばずとも、家族やクラスメイトに内緒で付き合っているという感覚、で十分満たされてしまっているのかもしれなかった。

 秘密の共有というのは、心の距離を限りなく近づけてくれる。

 

 

 

 椅子から立ち上がり、その本を手に取ってみる。

 パラパラとページを繰ってみるものの、続きを読む気にはなれなかった。

 これについての話をしたら希はなんて言うのだろう。

 目を細めて茶化してくるのか、それとも照れてうぶな反応をみせるのだろうか。

 絵里一度本棚にそれを戻したが、思い直して机の引き出しの奥にしまい込んだ。

 何かの拍子で亜里沙に見つかったらたまったものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 希はコーヒーショップ「スデルベッグ」で軽い昼食を済ませると、セレクトショップで取り置きしてもらっていたプレゼントを受け取った。

 その後は約束の時間まで書店で過ごすことにした。

 店内はやはり待ち合わせまでの空き時間を持て余した人が多いらしく、特に雑誌コーナーには立ち読みの客が多い。

 

 

 希は料理雑誌のコーナーを探した。

 最近はやたらこの業界がホットらしく、すぐにそれは見つかった。

 適当に一冊手に取って読み始める。

 

 

 昨年のクリスマスは二人で鍋を囲んだ。

 女子らしく豆乳鍋にしようということになったのだった。

 女子二人だからそんなに食べないだろうということで具材を少なめにしたところ、すぐに尽きてしまい二人で笑ったことをよく覚えている。

 鍋とは別に絵里ちがボルシチを作ってくれていなかったらどうなっていただろう。

 あの時絵里ちが、ボルシチって実はウクライナの料理なのよ、と話していたことを思い出す。

 

 

 今年は何を作ってくれるだろうかと考えながらペラペラと眺めていると、生姜焼きやステーキなど、なにやら力強いメニューばかりが紹介されていると気づく。

 表紙を見てみると、タイトルは「一瞬できめる! 俺のガッツリ男メシ」というものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絵里は輸入食品店のカルデラに買いものに来ていた。

 いくつか買いたいものがあるのだ。

 恐らく希と一緒では買いづらいものもそこには含まれている。

 正直どういうものを買うべきか、判断の際の基準がまったくわからないので、度数の低くて飲みやすいスパーリングのものを選んだ。

 そしていくつかチョコレートやお菓子を選び、レジに向かう。

 

 

 ワインを買うなんて初めてのことで、少し緊張していたが、店員は怪訝な表情一つ見せなかった。

 絵里は安心するのと同時に、少しだけむっとなった。

 彼女には私がいったい何歳にみえているのだろう。

 

 

 ワインは少し重たく、買ったことを少し後悔し始めていた。

 お店にケーキを取りに行こうと一瞬思ったが、後で希と一緒に取りに行った方がいいと思った。

 ケーキは生ものだ。

 

 

 

 まだ少々早いが、絵里は待ち合わせの場所に向かうことにした。

 世界は夕暮れに近づき、赤みを帯びはじめ、やがて黒が降りてくる。

 時折強い風が吹いて、ひとつにまとめた髪が散らされ、紙袋が音を立てている。

 辺りにはこれからのイブの夜を楽しむはずの人々が溢れかえっていた。

 誰もが特別な時間に期待を膨らませている。

 

 

 

 約束の場所にたどり着いた。

 LEDのイルミネーションが催され、多くのカップルがあたりに見られた。

 十二月のイチョウは落葉が進み、地面に一面に黄の扇が敷き詰められている。

 コンクリートを踏む感覚が、いつもよりすこし柔らかい。

 

 

 

 あの時は、これほど落葉していなかった。

 希が気持ちを伝えてくれた、あの日。

 まだ秋の気配が消え去っていなかった。

 でもその空気は、震える希の手の温度をゆっくり奪っていた。

 私はそれをそっと握りしめていた。

 

 

 ベンチに腰掛けようと思ったが、ひどく冷たくなっているだろうと思ってやめた。

 希が来るであろう方向を見つめ、立って待つことにする。

 

 待ち合わせをするとき、自分が先に到着して、希が来るのを待つのが好きだ。

 どんな服を着てくるのか、歩いてくるのか、走ってくるのか、最初になんて言うだろうか。

 そのときどんな表情を浮かべるだろうか。

 いろいろなことを考え、想像する。

 

 

 闇が少しだけ強まり、電飾の光りの輪郭が広がっていき、存在を主張する。

 さまざまな色を織り交ぜて、リズムを刻んで発光している。

 反対側の並木を見つめ、まるで生きているみたい、と絵里は思う。

 

 気温が下がってきた。

 

 右側から鋭い風に薙ぎ払われる。

 

 身震いして、乱れた髪に触れたとき、視界の端に誰かがこちらに向かってくるのを捉えた。

 右の斜め前に、白のマフラーを巻いた髪の長い娘。

 

白い吐息を弾ませて、早足で私に近づいてくる。

 控えめに手をあげ、振っている。

 

 

 希。

 

 

 だんだん大きくなる硬質な足音。

 

 私は少し息を深く吸い込んで、右手を挙げて応えて見せた。

 

 




ありがとうございました。

クライマックスですね!
次の投稿で最終話にしようと思います。

次回もどうかお付き合いよろしくお願いします。
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