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赤色の抱擁、第二部の希編になります。今回は少し短めです。
それでは、よろしくお願いいたします!
朝食兼昼食を済ませると、希はベッドに横になりながらテレビを見るともなく見ていた。この家では、テレビは一人きりの静けさを紛らわすための装置として機能していた。
正午を迎え、番組が変わったことに気付くと、図書館へ向かう準備を始めた。冬休みの課題と筆記用具、温かい緑茶を入れた水筒、財布。カーテンを閉める際に伺った灰色の空は今にも冷たい雨を落としそうだったため、折り畳みの傘とタオルもバッグに入れた。昨年のクリスマスに絵里がプレゼントしてくれた白くて長いマフラーを身に着け、外に出た。寂しげな風の音と容赦ない寒さに身が震えた。
図書館は希の家から徒歩10分程度の場所にある。冬場にはこの数分間さえ辛いものだ。マフラーに顎を少しうずめながら、すっかりクリスマスムードに支配された街を通り過ぎてゆく。多くの店が赤と緑と白で装飾を施し、まだ明るいというのに、イルミネーションの光が、張りつめた、まだ明るい冬の空気に染み出していた。買い物にいそしむ人々はみな幸せそうに見えた。しかし、一体この中の何人が、クリスマスはニムロドの誕生日であると知ってるんかな、と少し意地の悪い疑問を頭に浮かべた。
図書館の近くまで来ると希は少し歩調を早めた。その寒さは耐え難かった。館内に入り、窓際にあるいつもの席に向かった。図書館の暖かい空気は、その特有のにおいで希を迎えてくれた。無数の書物と暖房と人間の入り混じった香りだ。実は、希は頻繁にこの図書館を訪れていた。勉強をする場所としてではなく、音ノ木坂の図書室にはおいていない、神話やスピリチュアル(オカルト)にまつわる書物を読むためだ。机にノート類を広げて場所を取り、いつもの癖で本を探しに行きかけたが、立ち止まって小さく首を振った。違う違う、今日は宿題をやりに来たのだ。
まずは比較的得意な英語から取り掛かった。先に簡単な小問をあらかた済ませてしまい、後に長文問題を取っておくというのが希のスタイルだった。その日に取り組んだ英文では、ヨーロッパの自由主義について小難しい議論が展開されていて、口がへの字になった。
続いて数学に取り掛かったが、三つの定点ABCの間を訳のわからないルールに従って行ったり来たりする動点Pに辟易し、すぐに止めてしまった。「なんで点が勝手に動くんや」と呟いてしまった後、ここが図書館であることを思い出した。少し疲れを感じ、水筒の中身を口に含み、喉でその温かさを堪能した。館内は飲食禁止であるが、たまにお茶を飲むくらいなら、というのが皆の暗黙の了解であった。
次は現代文に取り掛かった。題材にされた小説は、次のようなストーリーだった。田舎に暮らす少女が外に遊びに行くが、夕焼けの帰り道、お気に入りの帽子をなくしてしまったことに気づき、遊んでいた場所まで探しに行く。しかし、夜が訪れてあたりは暗くなっていき、結局彼女は帽子を見つけられない・・・・・・そこまで読んでいくと、希は自分でも気が付かぬ間にペンを置き、幼いころの記憶を蘇らせていた。
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希が小学三年生のころ、短い期間だったが、東京とは比較にならないくらいの田舎に住んでいたことがあった。周りに遊び相手もおらず、部屋で本を読んで過ごすことが多かった。しかし、午後5時が近づくと、決まって本を置いて外に出ていった。水田に挟まれた道を歩いていき、視界の開けた場所で沈みゆく太陽がオレンジに染め上げる空と雲、山々を眺めるのだ。それは彼女にとって、世界が一番美しく見える瞬間だった。やがて5時を迎え、おなじみの音楽が緋色の空に響き渡る。
遠き山に日は落ちて 星は空をちりばめぬ・・・・・・
ドボルザーク、「新世界より」。いつも決まって、ご近所の犬が流れてくる音楽に呼応して、長い鳴き声を上げる。音は雲間に吸い込まれていき、空は赤みを増して、やがて闇が首をもたげてくる。まさに世界が交代してゆくのだ。彼女はこの景色を見るのが大好きだった。夕焼けが、孤独までも焼き尽くしてくれるような気さえするのだった。
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雨音が彼女を現実に引き戻した。それほど強くはないが、無数の雨粒がコンクリートにたたきつけられる音がガラス越しに聞こえてくる。雨具を持ってきて正解だった。携帯の画面は午後4時過ぎを示していた。予想外に時間が経過していた。
雨が弱まることを期待してしばらく外を眺めていたが、そんな様子は微塵も感じられなかった。その日の開館時間は5時までだったが、彼女は雨がこれ以上強くなる前に帰宅することにした。
雨にも好ましいものとそうでないものがある。この日のそれは、希にとっては完全に後者だった。冬の雨は地上のあらゆるものに静かに襲い掛かり、鋭くはじけた。一粒一粒から、すべてを濡らしつくすという無言の意志さえ感じられた。小さな折り畳み傘では防ぎきれず、髪や服が少しずつ濡らされていき、体はすっかり冷え切ってしまった。マフラーは雨に触れないようにいつもより二周多く首に巻き付けてあった。家に帰ったらシャワーを浴びて、夕食は冷蔵庫の中身でお鍋にしようと決めた。もう食材はあまり残ってないが、今から買い物をする気に離れなかった。どうせ明日には二人のイブのために買い物に行くのだから。
彼女は絵里のことを考えた。この雨だから、暖かい部屋の中で本を読んでいるか、課題を黙々とこなしているか、どちらかだろう。それとも亜里沙ちゃんと遊んでいるのかもしれない。
希は絵里の透き通るように白い肌を、魅惑的にひらめく碧眼を思った。室内で少し紅潮した頬とすべらかな細い指を思い浮かべ、想像の世界で優しく触れてみた。ふわりと軽い金髪のにおいをかいだ。2日後にはそれが現実になるのだ。歩いたまま、肩を挙げて深呼吸をする。わずかに雨を含んだ冷たい空気に、気管が引き締まるような感覚がした。見慣れた景色は、まだ図書館を出て5分も経っていないことを教えてくれていた。あまりに緩慢な時の流れに軽く腹が立って、歩幅を少し広げた。強く踏みだした左足が水たまりをとらえ、飛び跳ねた水がソックスを濡らした。
はい、読んでくださった方々ありがとうございました。
どうしても「新世界より」のくだりを入れたかった次第です(笑)
私の地元でも流れていて、帰省するたびに、ああ、帰ってきたなと思わされます。
次回は第二部の絵里編です。お楽しみに!