赤色の抱擁   作:ハルカナツキ

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こんにちは。ハルカナツキです。
「赤色の抱擁」第二部、絵里編になります。

それでは、どうぞ。


第二部 絵里編

 母が用意してくれてあった昼食をとった後、絵里は再び自室で課題に取り掛かっていた。亜里沙はまだ学校があり、一人での食事というのはなんとも寂しいものだった。今度は、あまり得意でない数学である。初日からきっちりと課題を進めていくあたり、我ながら生真面目な性格だと、絵里は思った。

 

 しかし英語のようにはすらすら進まず、手が止まりがちになっていた。正弦定理やら余弦定理やらを駆使して三角錐の高さを求めていったところ、途方もない分数がはじき出された。うなりながら答えを確認すると正解はジャスト4であるらしい。うんざりしてノートを閉じ、勉強は中断することにした。数学の課題はなぜか分量が多めで、この先が思いやられた。

 

 

 一階のリビングに降りていき、電気ケトルのスイッチを入れると、中断していたキルトの制作に取り掛かった。今回、彼女はハワイアンキルトに挑戦していた。大判の一枚布を八つに折りたたんでカットすることで、左右対称の模様を施すことができる。

 

 デザインのモチーフとしては、ティアレという花を採用した。ティアレは六枚から八枚の白く肉厚な花びらと、爽やかな芳香を持つ。特に、八枚の花弁を持つティアレは、日本でいう四つ葉のクローバーのようなもので、幸福をもたらしてくれるらしい。絵里はそれをあえて赤色でキルティングしていき、小さなタペストリーのようなものを作っている。ハワイアンキルトはすべて手縫いの作業であり、完成までに長い時間がかかるのだが、その分作品に強く思いを込めることができる、と絵里は考えていた。現在は最終の仕上げの段階だ。そうでなくてはイブに間に合わない。

 

 湯が沸いたのを確認し、立ち上がって紅茶をいれる用意をした。カップとスプーン、そしてジャムを持ってくる。紅茶の中にジャムを入れ、かき回して飲む、というのが、日本人のロシアンティーに対する一般的な理解だが、これは誤りだ。ロシアではジャムを紅茶の中に入れたりはしない。しかし絵里は本場のロシアンティーよりもむしろ日本的なそれを好んだ。

 

 紅茶を注いだカップにラズベリーのジャムを入れ、ゆっくりスプーンを回す。市販のティーバッグの紅茶だが、かすかな茶葉の香りに、絵里は満足した。熱い紅茶を口に含み、ゆっくりと喉に伝わらせる。小気味良い音をたててチョコレートを齧り、舌の上で溶かしていく。糖分を取りすぎているかもしれない、と絵里は思ったが、今更やめられない。もう一口飲んで、絵里は再びキルトに取り掛かった。慣れた手つきで黙々と生地に針を通してゆく。着々と完成に近づいているという実感が彼女の手を急がせたが、焦らないで、と絵里は心の中で唱えた。部屋は静まり返り、掛け時計の針が時を刻む音が、かすかに聞こえてくるほどだった。それに応えるように、絵里の手も規則正しく運動していた。

 

 

 さすがに疲れを感じ、キルトを置いて伸びをすると、外では雨が降っていることに気が付いた。強くはないが、いつまでも降り続きそうな印象を抱かせた。冷めきった紅茶をレンジで温めて飲んだ。外はずいぶん冷え込んでいるに違いない。そろそろ帰ってくる時間だけど亜里沙は傘を持っていったかしら・・・・・・

 

 絵里はもう一度湯を沸かし、亜里沙のための紅茶の準備をした。カップを温めているうちに玄関から、お姉ちゃんただいまー、と声がした。

 

「学校出たとたんに降り出してきちゃったよ。お姉ちゃんは休みでいいなあ」

 

 亜里沙は玄関でずぶ濡れの靴下を脱ぎながら、舌足らずな声で不平を漏らしていた。

 

「おかえり亜里沙。寒かったでしょ?とりあえず体ふきなさい」

 

 絵里は亜里沙にタオルを渡してやり、紅茶あるわよ、と言ってリビングへ戻った。

 

「はああ~生き返るね~」

 

 亜里沙は紅茶を飲んで、間延びした声で言った。座りながら両手を伸ばし、机の上にうつぶせの様になっていた。温かい紅茶は雨で冷えた体にしみいるようだった。

 

「ねえ、聞いてよお姉ちゃん。今日岡本先生がまた怒っちゃって授業が延びちゃったんだよ?男子が携帯いじってたのがばれちゃってさ・・・・・・」

 

 岡本先生は国語の教師で、些細なことで怒りだして授業をストップさせ、尚かつ延長させることで有名な先生らしい。ただでさえ時間のゆっくり進む国語の授業が、さらに長くなるのだ。亜里沙は三日に一回は彼に対する不平を口にしている。

 

「それは携帯使ってた子が悪いわよ」

 

「でもさ、それで私たちまで、授業長く受けなきゃだったんだよ?」

 

「それは大変だったわねえ。それより、とりあえずシャワー浴びてきたら?髪、濡れてるわよ」

 

 亜里沙がバスルームに行くと、絵里は二階から彼女の着替えを持ってきてやった。するとちょうど母が帰宅し、すぐに夕食の準備に取り掛かった。夕飯は亜里沙の好物のシチューらしい。作りかけのキルトを二階の自室に持っていき、絵里も夕食の準備を手伝った。

 

 

 父は仕事で遅くなるらしく、三人で夕食を済ませた。食事の最中も、亜里沙は学校での出来事を話した。たいていは、教師と不真面目な生徒と退屈な授業に対する批判だったが、体育のバレーボールは楽しかったようだ。亜里沙は25日から冬休みになるらしく、高校生の方が多く休むなんてずるいと、かわいらしく文句を言っていた。

 

 

 絵里は自室に戻ると、再び一時間ほどキルトに取り掛かった。最終の作業であるパイピングのまつり縫いを施し、キルトを完成させた。

 

 作品が出来上がると、いつも決まって、達成感と少しの寂しさが一緒になってやってくる。両手で作品を持ち上げ、全体のチェックをした。白の生地に、自然界には存在しないはずの赤のティアレが美しく咲いている。幸運の八枚の花弁は、正方形の生地に正しく対称に広がっている。うん、これなら大丈夫。満足気に頬笑み、事前に用意したプレゼント用の袋に入れ、赤いリボンでとめた。机の片隅にそっと置いて、しばらくそれを眺めていた。

 

 

 希は、喜んでくれるだろうか。絵里はそれを希に渡すシーンを想像した。タイミングやらセリフやらをいろいろと考えてみたが、やがておかしくなってやめた。今更彼女に対して気取って見せる必要はないのだ。

 

 

 絵里は風呂から出てリビングでテレビを見ながら、明後日は友達の家に泊まってくると母に伝えた。わかったわ、でも25日の夜には帰ってきなさいよ、と母は言った。綾瀬家ではクリスマスの夜は家族で過ごすことになっているのだ。お父さんも早く帰ってこられるの、と母に聞いた。大丈夫みたいよ、と母が応えた。

 

 無糖の紅茶を飲みながら馬鹿げたバラエティー番組を見ていると、絵里は唐突に疲労を感じた。宿題とキルトのせいだと思った。まだ22時をまわったあたりだったが、おやすみ、と母に言い、ベッドに向かった。

 

 

 自室のカーテンを開けて外の様子を伺うと、勢いは幾分弱まったものの雨はいまだに降り注いでいた。なんてしつこい雨だろう、と思った。

 

 月も星も、分厚い雲に覆い隠され、闇はいつもより重みを増しているようだった。希は、明日の午前中は神田明神でお手伝いをする予定だったはずだ。それまでに降り止んでくれるだろうかと考えながら、再びカーテンで夜を隠した。携帯で明日の天気予報を確認したところ、午前中の降水確率は40パーセントだった。気象庁は予防線を張っているのではないか。なんとも微妙な数字だ。

 

 

 部屋のメインの照明を消し、ベッドサイドの灯りをつけ、ベッドに潜り込んだ。高校二年生にもなって、と自分でも思うのだが、絵里は真っ暗な部屋がとても苦手だった。暗闇というのは、それだけで人間の想像力を掻き立て、言い知れぬ恐怖を呼び起こす。何も見えないからこそ、そこにはすべてが存在しうるのだ。

 

 

 布団の中が体温で温まってくると、絵里は強い眠気を感じた。キルトを作った日はいつもこうだ。やっぱり集中すると体力を使ってしまう。

 

 静まり返った部屋に雨音が侵入してくる。しかし目を閉じると、絵里はすぐに意識を手放した。眠りは深く、執拗だった。まるでこの雨のように。

 




はい、ありがとうございました。
やっと作中で一日が過ぎました(笑)

次は第三部になります。またいくつかに分割するかもしれませんが。

それでは、次回もよろしくお願いいたします!
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